パンクとエレクトリック・ミュージックの融合、それは実験であり、パンクのアイデアを商業的にも成功させた。昨日あげたバンド以外にもソフト・セル、オーケストラ・マヌーウ゛ァ・イン・ザ・ダーク、デペッシュ・モード等々、彼らはディスコの斬新でポップなアイデアにパンクと同じ閃きを感じ、ダンス・フロアーとラジオからスターに成っていった。誰が一番先で誰が革新的だったか、ぼくにはもう分からない。
本当はこの日記は昔のNMEなどを読みながら自分が体験した過去、もしくは体験してない過去をもう一度再確認したいと思っている。しかし、過去のNMEはまだ手に入れられていないし、今はぼくの思いでだけでしかかけない。残念だ。お金があればな、今すぐにでもイギリスに行ってNMEを全部手にいれて、年表に自分の気になる出来事をいれていくだけでもそれはおもしろいことだと思うのだが。
ぼくにとって先にあげたエレクトリック・ミュージックはどれも刺激的だったが、一番衝撃を受けたのはスパークスの『Number One in Heaven』だ。デヴィッド・ボウイなグラムをプレイしていたスパークスがドイツのディスコ・プロデューサー、ジョルジョ・モルダーと組んでとんでもなくポップなアルバムを作ったのだ。後にブロンディなどに受け継がれるが、彼らは誰よりも早く、そして誰も聞いた事のない音楽を作ったのだ。
YMOもこのアルバムには凄く影響されたと思う。このアルバムで画期的なのは生ドラムとエレクトリック・ミュージックの融合だ。あの当時ドラム・マシーンには限界があったんだろう。みんながどれだけエレクトリックになろうとしている時にこれは目から鱗だったんじゃないだろうか。同じドイツのDAFもこのスタイルに希望を見いだしたんじゃないだろうか、そしてDAFはみんながポップになる中、エレクトリック・ミュージックのアグレッシウ゛な魅力を押し進めた。