ヨーロッパのオーティス・レディング
素晴らしいR&B、ソウル・ミュージックのライヴ・アルバム。何か所かの寄せ集めらしい、本当はもっと短いセット、ドナルド・ダック・ダンのベースを聞いているだけで、腰が動いて、自分が生きているのがうれしくなる。スティーヴ・クロッパーのギターが押さえ気味という気がするけど、こんなもんなんでしょうか?。モンタレーのDVDも見たくなるけど、お金が...。
マーキーズの管楽器を聞いているだけで元気になります。この明るさは一体何なんなんでしょう。黒人の...と書こうとしたけど、白人のメンバーもたくさんいるわけだし、でもこの天にも上るような気持ちにさせる音楽は...。
昨日ユアン・マクレガーの『アイランド』を見に行ったのですが、映画自体は『アルマゲドン』タイプのどうしようもない映画なのですが、お客さんも結構引いていました。
もし自分が映画の中のユアン・マクレガーみたいな人間だったらどうしよう、生きていく自信がぼくにはない。でも映画の中の人物とぼくも実は対して変わらない、ぼくは40歳で後は死んでいくだけのような人間なのです。ユアン・マクレガーのようなクローンとぼくも実はそんなに変わらないのです。もちろんもっといい仕事をしたり、もっと社会の役にたつこともしたいと思うけど、正直なことを言うと子供の頃はスターに成りたいと思っていた。
今ももう少し大物に成りたいと思っている。でもこんなこと17歳の人が夢見ることじゃないですか、40歳なんて本当は夢も希望もないのです。などと映画を見てる間いけないことをずっと考えてました。こんなことばっかり考えていると鬱になるんだろうなと思いました。
『アイランド』なんて作りもの....でもアメリカの黒人は何百年もこの映画のような世界の中で生きてきたのです。彼らがどんだけ金持ちになっても、自分が本当にどこから連れてこられたかも分からず、ブラウンとかメイとか色がちょっと茶色いとか5月に来たからと名付けられただけでしかない。自分の祖先の本当の名前も知らない。
その時どんな気持ちになるでしょう。あるものはXだ、俺はマルコム・ノーバディーだと名乗り、またある者はどれだけ成功していてもドラッグにハマっていくのです。大天才マイルス・ディビスでさえドラッグにハマるのはそういうことだのだろうとぼくは思っています。
40歳でもう夢がないとか、贅沢な悩みです。でももし戦後の日本が実はアメリカに洗脳されていて、ぼくたちは微妙に日本を嫌いになるように教育されていたら、もしくは共産主義、社会主義の先兵が学校に入り込み、国家の転覆を夢見、ぼくたちに日本というのは悪い国と微妙に洗脳していたら。
ぼくが通っていた清水小学校は確実に社会党?共産党?が強い学校で君が代とか国旗を上げることがなかった学校でした。部落問題もしかり取り組んでいて、石川青年の裁判の日には部落の人たちがデモに行くのを拍手で送って、ぼくたちは教室で部落問題を考えるというような学校でした。その時ぼくはむちゃくちゃ洗脳されていたから、国家というのは悪いもんだと思ってました。国家が悪いとか、いいとかはおいといて、小学生にあの教育は間違っていたと思います。特に公立で。ぼくみたいに思い込みの強い子、ヘタしたら天皇に火炎瓶を投げる子に成ってたかもしれません。
すいません、何の話でしょたっけ、オーティス・レディングです。自分の人生を全て呪ってもいいよな人たちが、コードをCからB♭にするだけで全ての呪縛から解き放ってくれるような、そういう音楽を作れることにぼくは胸が熱くなって仕方がありません。
Language of Music
モンタレーのオーティスのDVDはありませんでした。このDVDおもしろそう。
Posted by kuboken99 at 11:01│
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