チャリダー久保田の世界楽翔〜世界一周自転車旅行記〜

自転車による世界一周に向けた準備の話や、旅の話など

2/7~2/22

ブラジルのサルバドールからイグアスの滝があるフォスドイグアスに飛行機で向かい、そこからバスで自転車を置いているパラグアイのイグアス居住区に向かう。
しかし、その前に現在自転車はリムが割れた状態で保管してあり、首都アスンシオンではカンチブレーキ用リムが入手できなかったため、パラグアイに入国する前にブラジルで探す必要がある。

中南米では26インチは主流ではなく27インチ~29インチ、もしくは700Cが多く、その上使用者の少ないカンチ用となれば、在庫はかなり少ないだろう。
探すのに苦労するかと多いきや、宿の近くにある自転車屋であっさり見つかり、難なく課題をクリア。
組み立てるくらいならパラグアイでもできるだろうと、新品のリムをもってイグアスにある民宿小林へ。

半年ぶりに再開した自転車は、砂埃と錆で汚れきってしまっていた。
出発前にシートを被せていくか悩んだが、湿気がたまって錆びるのが嫌だったので、シートを被せずに置いておいたが、それでもダメだったようで、これはメンテナンスに時間がかかりそうだ。
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左が継続 中央が交換対象 右が新品

まずはリムを直すべく、壊れたリムからスポークとハブを外し、この時に曲がっていたスポークは日本から持ってきている新しいスポークと交換し仮組。
ふれとりなどこの先の調整は自信が無いので、仮組した状態でブラジルとの国境にあるシウダーデルエステの町の自転車屋で調整してもらい、当日に完成したのを受け取り宿に戻る。
意気揚々と新しいフロントタイヤを取り付け、メンテナンスに移ろうとしたら、今度は後輪のスポークが外れていることに気づく。
リアのリムもダメになったかと外れたスポークを見てみると、ハブのスポークを通す穴の部分が欠けていた。
前々から穴の部分に亀裂が入っていたのは知っていたが、フロントリアが壊れた状態で進んでいたのが良くなかったようだ。
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上が新品。
厚みが無いので弱そうだ。
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ニューリム
(300km程走った後撮影)

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再びバスに乗りエステの町でハブを探す。
エステには自転車屋が10軒ちかくあるのですぐに見つかると思ったが、36H用は聞いたことのないメーカーのが一つ見つかっただけで、SHIMANO製は何処にも置いていない。
怪しげなメーカーでは耐久性が心配なので、ブラジルで探そうとリムを買った自転車屋に行くと、これまた難なくSHIMANO製のハブが見つかったのでブラジルにて交換。
ハブはバラで売っておらず前後セットなので、それならば一緒にフロントのハブも交換しておけば良かったと後悔。
今回購入したのはSHIMANO ALIVIO M430と低価格(80レアル≒2350円)なシリーズではあるが、強度的には問題ないだろう。


自転車作成時は先駆者達の話やブログを読んで頑丈なパーツを組んだが、海外では先進国以外まともなパーツが手に入らないことが多い。
それでも、大抵の国で応用の利く規格を選んでいるので、あとは怪しげなパーツの耐久性を信じて進むしか他は無い。
今回3万km走って初のハブ・リム交換となったが、頑丈と噂のサンリングルのリムから謎メーカーのリムに交換し、果たしてどのくらい持つのだろうか。
とりあえず、サンリングルのライノライトは3万kmはもったので、頑丈と断言。
と、できないのが旅行用自転車作成における難しい所。
イカダを一緒に下ったハマは同じライノライトで6万kmもったというし、早い人は1万Kmもたずに割れた人もいる。
荷物の多さ、路面状況で差はでるし、そもそもの新品の状態での個体差もあるので、長距離チャリダー100人くらいにアンケートを取って平均値を出してみないと何とも言えないのである。
それでも、今リムのメーカーを問われたならばサンリングルのライノライトをお勧めするだろう。
コイツの難点は、日本では入手が難しいと言う点だが。


スポークは継続してDT Swiss『チャンピオン2.0』を使用。
ここまで一度も折れていない。
スポークの折れに関しては、スポークの強度よりも、重要なのは組む人の腕なんじゃないかと思う今日この頃。
日本を旅していた時にスポークが折れた時は、当時は携帯が無かったので、公衆電話でタウンページ見ながら片っ端から自転車屋さんに電話をかけて探すも、半分以上の店で断られた思い出も。
海外で折れたスポークを直してもらった後、他のスポークが次から次へと折れだしたり、そもそも長さの違うスポークで組まれたなんて笑い話もあるので、この辺も検証する必要があるだろう。


前後のリムは直ったので、次は錆び取り。
キャリアをばらしてから、スチールウールで磨いて錆を落とし、傷ついたメッキの上に油を塗りこむ。
磨くだけで一日作業。
そして最後はサドルをワックスで磨き上げ完成。

早速試走に出かけたが、かってにギアが変わりまともに走れない。
調べてみると、チェーンのコマ同士が一部固まって居たため、ディレイラーを通過する時に干渉していたのが原因。
洗浄キットは無いので、一度外してガソリンで洗い固まった部分をほぐしてから、オイルをさして洗浄完了。

時間はかかったが、一通りの修理、メンテナンスが終わり準備が整った。
これでようやく走行開始ができそうだ。

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宿の猫
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宿のヤモリ
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イグアス居住区の看板




1/18~2/3
ベレンからパラグアイに戻ろうかと思ったが、折角ここまで来たので行きたいけど自転車じゃ距離的に行けなかった場所を観光。



1,レンソイス・マラニャンセス国立公園
白砂漠の中に季節限定で出現する湖の景色が有名。
雨季の終わりから乾季始まりの6月~9月が良いらしいが、1月でも湖はできており観光客も少ないので狙い目。
昼と夕方の二つのツアーがあり、昼のツアーは参加者が僕一人だったので、各湖で写真を気兼ねなくとることができた。
観光拠点となるバヘリーニャスを流れる川ではピーコックバスが釣れるらしいので、居心地も良いしのんびり釣りするのも良いだろう。
ツアー代は2019年1月で各70ソル

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2,Chapada Diamantina N.P シャパーダ・ジアマンチーナ国立公園
ベレン滞在時にネットしている時に見つけた国立公園。
日本名の呼び名が、今一つはっきりしない。
メキシコのセノーテのような透き通った洞窟の泉や、テーブルマウンテンなどがあり、日本人には知名度が低いが、ブラジル人には人気スポットらしい。
広範囲に渡って観光スポットが広がるので、いくつかをチョイスして二日間観光。
テーブルマウンテンは、ベネズエラのロライマと比べると高さも規模も小さいが、眺めは良いしふもとまで車で行き30分ほどで登頂できるので、危険なベネズエラに行って出国できないリスクを考えれば、ここの選択肢もありか?
日帰り二日間で440ソル 昼食付き
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拠点となるレンソイス村(砂漠のレンソイスとは別でサルバドールから西に400km
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3,サルバドール
音楽の町。
町の至るところから太鼓のリズムが聞こえる賑やかな町で、マイケルジャクソンンの"They Don't Care About Us"のPVに使われた町。
海に面しているのでメルカドで海産物が手に入る。
カポエイラ&アフロヘア―発祥の地。
日本人宿『なお宿』があり、2月または3月にあるカーニバルに太鼓のグループとして参加することもできる。
街並みや景色が綺麗で居心地よく、南米の中でトップ5に入る程気に入った町。
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ジャックフルーツ(ブラジルではジャッカ)手がベタベタになるが甘くて美味い
ハイチュウのような味
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海の神様を祀る日で、海にバラを流している

番外編 それから

12/14~1/13


イカダを手放した3人に、それぞれの旅に戻る日がやってきた。
中村さんはコロンビア、ハマはボリビアに戻り僕はそのままハンモック船に乗り込みマナウス、そしてアマゾン川河口の町ベレンへ行くことにした。
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レティシアの支流沿いの村
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屋台で仲良くなった人に見せてもらった、キト経由で日本に送るアロワナの稚魚
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小屋は解体され、新しい小屋が作られているわれらのノーチラス号。
いつかネオノーチラス号になって新たな人生を歩むのだろう。

マナウスにはブラジルのタバティンガの港から船で3泊4日の距離にある。
19日港でチケットを買い、20日港の近くでハンモックを12レアル(400円)で購入して乗船。
今回乗り込む船は3階建ての船で、空いているスペースに自由にハンモックを吊るしていいので、人の多い1階2階は避け、三階の風通しのいいポイントにハンモックを吊るす。
食事は2階の食堂で朝昼晩の3食つき、冷たい飲み水も常に飲めるようになっているので、何不自由なくマナウスに着くまでのんびりとハンモックに揺られて読書にふけることができる。
スピードの遅いハンモック船は、中には退屈だと言う人もいるが、アマゾン川は24時間見ていても飽きることは無く、木にぶつかって屋根が壊れることも、エディにはまって抜け出せなる事もない。
船が動いている間は蚊もいないので、快適すぎて4日間の船旅はあっという間に終わってしまい、物足りないくらいだった。
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23日にマナウスに着き、目星をつけていた30ソルの安宿に向かうが、連日30蒸し暑い日が続く中、エアコンは夜だけで日中は扇風機すらなく、一日中大量の蚊が大量に飛んでいるのに嫌気がさし、一泊40ソルのホテルに移動。
ホテルなのでキッチンは無いが町では12ソルで食べ放題の美味いビッフェがあるので、自炊しなくても安上がりで腹を満たすことができる。
また市場ではマナウス名物のTAMBAQUI(タンバキ)は脂がのっていて旨い。
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人のような歯が生えている
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一匹300円と安かったのでトマトソースをかけてオーブンで焼いてみた。
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宿で数日過ごした後、12月31日から1月3日まで宿で出会った日本人たちと釣りツアーに出かける。
残念ながらアロワナやピラルクーは釣れなかったが、60cmオーバーのピーコックバスが釣れたので満足いく釣果だった。
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マナウスに戻った後は再びハンモック船に乗り込み、アマゾン川河口のベレンに向かう。
今回は食堂は無かったが、日に数回寄港する港に弁当売りがおり、港から長い棒の先に取り付けた駕籠にお金を入れて弁当やフルーツを買うことができ、時折走行中の船にペケペケで横付けして乗り込んでくる村人たちからは塩ゆでの川エビを買えるので、エビとビール、そして持ち込んだウイスキーをちびちび飲んで、アマゾン川と広大なジャングルを見つめる日々を過ごす。
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弁当とか落ちないの?と思って見ていたら、弁当も落ちるし人も落ちる。
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マナウスを出て五日後ベレンに到着。
河口から距離はあるが川幅は5kmくらいはあり、大型タンカーの航行も多いので、ここまで来るともうイカダで下るなんて危なすぎてすぐに軍隊に停められてしまいそうだ。
ベレンでは植物園や動物園にでかけ、ジャガーやピラルクーを見たり、ご当地料理に舌鼓を打つ。
ベレンの食は独自の料理が多く、VATAPÁ(ヴァタパ),TACACA(タカカ),MANIÇOVA(マニソバ)と見慣れない文字がメニューに並ぶ。
ヴァタパはココナッツカレーのような風味で、エクアドルのグアティータに似た料理だ。
タカカは野菜とエビの入ったスープで、スープの味そのものより、具材の一つJAMBU(ジャンブー)が強烈な味で、初めて口に運んだ時は衝撃が走った。
見た目は漬けた高菜に似ており、細かく切らず長さ30cmぐらいのままスープに入れられている。
口に入れた瞬間、電気が流れたかと思うほどビリビリと舌に強烈な痺れを感じ、脳が危険信号を出し思わず吐き出しそうになるほどの刺激で、味や香りには違和感はないので傷んでいるわけではなさそうだが、これほど痺れる食べ物は始めてだ。
スープはトゥクピー(キャッサバ又はマンジョカの名で呼ばれる植物の根で作った汁)でタピオカ(キャッサバの根から作ったでんぷん)をといているので、卵の白身のようなとろみがあり、茹でエビが加えられている。
トゥクピーの酸味にエビの香りと塩気、そしてジャンブーの強烈な痺れ。
口の中で爆発するようなインパクトのあるスープ料理だが、一度食べるとこの刺激が癖になり、毎日のように食べていた。
マニソバはマニソバで、長時間煮こまれたマンジョカの葉が深緑を超して黒く変色し、ソースと中からのぞく葉っぱの見た目といい、もう牛のアレでしかなく、まったくもって食欲をそそられない料理だ。
これに肉とエビが加わり、コメの白とエビの明るい色で何とか見た目を保っている。
しかし、見た目とは裏腹に長時間煮こまれたソースは肉のエキスが染み込み、グリーンカレーのような深い味わいがあり、ご飯をお替りしたいほど白米にあう味だ。
ベレンで会った料理はどれもインパクト大の上美味く、メキシコ・エクアドルに次いでアメリカ大陸の三大美味い料理に認定。
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要塞都市
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メルカドで売っているかにクリームコロッケ
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MANIÇOVA
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VATAPA
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FRANGO NO TUCUPI アヒル料理
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TACACA

4000km以上続いたアマゾン川の旅もベレンで終了だ。
上流は上流で、鯰やらエイやら虫やら変わった食材が多かったが、下流は下流で独自の料理文化があり、市場や屋台に並ぶ食材の変化、村人たちの暮らしぶりを見ることで、アマゾン川の多様な文化を学び、そしてそのアマゾンの偉大ともいえる大きさを五感でフルに味わうことができた。
小さいころからあこがれていたアマゾン川にこれ程まで触れ合えるとは、昔の自分に教えてあげたらきっと喜ぶだろう。
4か月近くいたわけだが、まだまだ見たいところややりたいことがあるので、いつか自転車旅が終わったら再びこの地に帰ってきたいと思っている。



最終話 さらばノーチラス号


12月9日 日 雨・曇り 55日目
昨夜から降り出した雨は朝になっても一向に止まず、風を纏って降り続けている。
湿地を抜けるのにどれくらいかかるかわからないが、湿地が1,5kmあるとしたら2時間以上かかると見ていた方が良いだろう。
雨の中2時間漕ぎ続けるのはしんどいので止むのを待ってみたが、鉛色の雲が空全体を覆っており当分止む気配はない。
仕方ないので麻雀して時間をつぶし、雨の止んだ昼過ぎに中村さんと一緒にイミグレへ向かうが、ドアは固く閉ざされてカギがかけられている。
今は12時50分。
13時に開くかと期待したが、13時を回っても開く気配はないので周りの人に聞いてみる。
軍人
「知らんけど、午後には開くんじゃない?」
警察
「多分14時、いや15時かな?」
隣の食堂
「日曜はやってないよ。えっ開くって言ってる?じゃあ、午前中だけよ。」
と三者三様の答えが返ってくるので、意見をまとめれば「その内開くかもしれない」程度のいたってあやふやな答えに行きついたので、時間的に今日の出航は難しいかもしれない。
仕方ないので屋台で弁当でも買って帰ろうかと思ったが、まだ炭をおこしている最中だったので、時間をつぶすために港に行ってみることにした。

昨日発見した港の入り口から、更に町の奥へと数百メートル道沿いに沿って歩くと、舗装工事中の道が川に向かって伸びている。
道の両側には高床式の家が並び、モトタクシーや人の往来があるのでこの先に港がありそうだ。
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200mほど進むと屋根付きの浮桟橋があり、そこから無数のボートがコロンビアやブラジルに向かってせわしなく航行している。
桟橋に渡り対岸を見渡すと、ブラジルのタマティンガには大型の客船が泊まり川岸に沿って町が広がっているのに対し、コロンビアのレティシア側は軍艦二艘とイカダ小屋が数軒ある程度で岸辺は森が広がり、地続きの国境を隔てて対照的な姿をしている。
人口で言えばブラジル側が5万、コロンビア川が2万5千人と2倍の差だが、対岸からはそれ以上の差に見えるのだが、あの森の奥に町が広がっているのだろうか?
川幅は1km弱だが流れが強いのでこれは自力では渡れそうになく、ペケペケ2艘をチャーターする必要がありそうだ。
詳しい方法は後で考えるとして、港から岸沿いを上流に向かって歩き湿地の出口をチェックすることにした。
草地には、排水か湧き水かはわからないが小さな流れがちょろちょろと流れているだけで、行けども行けども湿地の出口は見えてこない。
歩いていると草地が一か所だけ途切れた砂地があり、そこには直径1,3m位はある巨大な丸太を使ったイカダ小屋が座礁しているのを発見し、二人の間に怪しい雲行きが漂う。
更に歩くと木々が増えだした怪しさが増したので、一度中村さんのGPSで確認してみると既に湿地の出口を通り越し、ペルーイミグレがある対岸のロンディーナ島に上陸したことになっている。
バナナ並木を抜け小さな集落、アルベルト・フジモリに辿り着いたところで、これ以上進んでも湿地の出口は無いと判断して引き返すことにした。
引き返しがてらGPSで現在地を確認しながら歩いてみると、イカダ小屋が座礁している付近が丁度湿地の出口となり、そのあたりだけ草地ではなく砂地になっていることから、どうやらここが昔水路になっており、今は完全に水路は塞がってしまったと結論付けた。
今日確認したおかげで難を逃れたが、明日漕いで湿地を抜けようとしたらとんだ無駄骨を食うところだった。
昨日今日塞がったわけでもなかろうに、水路がつながっていると言った人たちはいつの時代の話をしていたのであろうか。
相変わらずペルー人は適当な事ばかり言う人が多いんだから。

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しかし、そうなると残された手段は二つ。
今係留している地点からペケペケで牽引してもらいコロンビアに行くか、サンタロサで終了するかだ。
どちらにしてももう漕ぐことはほとんどないので、行きつくところまで行きついたことにはなる。
あとは気持ちの問題だ。
当初決めたゴールに向けて金をかけて向かうかどうかの、自己満足の世界。
僕としては、金を払ってでも対岸に向かい、計画通りにコロンビアの地にイカダを着けて、すっきりとゴールしたい。
二人の気持ちを確認すると、船賃次第という意見がでたが、もし高ければ自腹切ってでも僕はコロンビアに向かいたいと気持ちを伝え、最終的にイカダを係留していた場所の近くに住むおじさんに聞いたところ、2艘で200ソル(6700円)と港で聞いたよりも半額の値段で交渉がまとまった。
これでようやくゴールへの道筋が見え、明日こそ本当にイカダ航行の終わりの日になるだろう。
長かった旅の終わりが見え、少しセンチな気持ちになってビールをあけるのであった。

12月10日 月 曇り・雨 56日目 
順番にイミグレで出国手続きを済ませ、9時イカダの左右にペケペケを取り付けて航行スタート。
湿地を抜けイカダにとりついた水草を除去し、一度エンジンを切って島の下流側の端まで向かう。
島の右側は流れが緩いのだが、先端をまわり上流に向きを変えるととたんに流れが強くなり、トンパは波にのまれて沈み、エンジンは焼き付きそうなほど大きな音を立ててプロペラを回しているが、時速は1km/h程度しか出ていない。
ガソリンスタンドで補給した後、一度流れに負けて押し流さてしまい危機的状況に陥ったこともあり、これは無理だと断られる可能性もあると思えるほどだったが、一時間以上かけて港まで遡った後は、先頭を対岸方面の斜め上流に向けて進み、若干押し流され気味に対岸へと運んでくれた。
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(本流の)岸際に取り付けてくれるのかと思ったら、ペルー側からは軍艦の陰になって見えなかったが、軍艦の裏側には細い支流がありその先に町があり、地図を見るとこの支流の岸にイミグレがあるのでそこまで連れて行ってくれるそうだ。
町の規模などを考えるとブラジルのほうが良さそうだが、ブラジルはビザが必要なのでビザの持っていない中村さんが警察等に見つかると厄介なことになりかねないので、コロンビアに入るしかないのだ。
支流を遡る事1km。
遂に町の姿が現しイミグレが見えてきた。
最初に係留許可がもらえた場所は排水が流れる場所で臭く、先の事を考えると長くは止めたくないので移動し、最終的にイミグレを正面に捉える対岸に12時半に係留。


56日間、製作日数込みで72日間。
1506kmの旅が遂に終わった。

虻、蚋、蚊、もろもろの虫、スコール、流木、立木、倒木、エディ、渦、謎の病気とうとう試練の連続で、些細なことから対立喧嘩をし、気まずい空気が流れ幾度もコノヤローと思ったこともあったが、辞めたいと思うことは一度も無く、後悔したことも一度もない。
旅全体の期間から見れば、このイカダで下った2か月は短い時間ではあったが、今旅、いや人生の中でも濃い時間を過ごしたことに間違いは無く、この先の人生に役立つことは余り無いだろうがこのメンバーで下れたことに感謝し、アマゾン川で泳いだ日々の思い出は一生忘れないだろう。
船に牽引してもらってゴールと、ちょっと残念な結果になってしまったが、1500km下った思い出に偽りは無く、二人と固い握手をしてゴールの喜びをかみしめるのであった。
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川に浮かぶイミグレ

12月11日/12日 火 曇り・雨 レティシア2日目・3日目
航行は終わったが、最後にイカダや家具の処分が残っている。
当初は対岸の公園で家具を売ろうとしていたが、昨日のうちにイカダに【SE VENDE】(売ってるよ)と書いたところ朝から早速お客さんが来て値段を聞いてきたので、これから値を決め値札を作る所だったので、定価を思い出しながら1割前後の値段で販売。
2か月しか使っていないので3割程度でも売れると思うが、モトを取るつもりはなく、破格の値段でサクッと売りさばき飯代ぐらいになればと思っていたので、鍋一個100円程度で販売し、その後も係留場所の近所の人たちが買いに来て初日にほとんどのものがその場で売れたので、公園に行く手間が省けたので楽であった。
昼前に鍋が売れてしまったので飯を作ることができず、対岸の市場で買い物をしていた処、
「おう、兄ちゃん、イカダでここまで来たんだってな」
と初対面の魚屋のおやじに声をかけられた。
昨日着いたばかりでもう噂が広まっているのかと思うと、その速さに戦慄すら覚える。
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12月13日 水 曇り・雨 レティシア4日目
イカダ本体の販売先が決まり、今日は3人イカダに集まってイカダで過ごす最後の夜を迎える。
麻雀のイカダ杯最終戦30回目を終え、一位12回、2位13回 3位5回で一位の数はハマと互角になったが総合得点で16万点差で一位に輝き、景品の本物の(コカ・)コーラをゲット。

12月14日 晴れ 曇り・雨 レティシア5日目
買ってくれたおばちゃんは100m上流の集落に住んでおり、昼過ぎにペケペケで牽引し売れ残った使い道のない道具を含めておばちゃんに引き渡す。
終わった。これで本当に終わった。
腰の痛くなるお手製ベッド、波が高いと浸水する床、何度も木にぶつかってボコボコになり、最終的に隙間の空いたトタン屋根。
素人がイメージだけで使ったせいであちこちに不備があったが、それでも最後まで沈むことなく僕たちを乗せて旅をつづけた相棒ノーチラス号。
本当によくやってくれた。
名残惜しいがここで第二の人生を歩み人の役に立つことを祈って船を後にする。
ありがとうノーチラス号。
そして、さらばノーチラス号。

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FIN


アマゾン川はいつも晴れのちキュゥ

12月4日 火 晴れ・曇り 50日目
午後、ペルーの国旗を掲げ建物が緑で統一された軍施設の前を通過。
岸辺には見張りや警備の姿が見えないので、そのままスルーして航行。
昔は航行中にチェックを受けなければならない軍事施設があったそうだが、最近はそんな話を聞かないし地元の人も何も言ってこないので、スルーしても問題は無いだろう。
施設から数km下りチンボテの町を過ぎた時、一艘のボートが近づいてきた。
屋根付きの作りのいいボートで、乗組員は迷彩服を着た軍人が二人。
嫌な予感しかせず3人顔を見合わせ渋面を作る。
運転が下手なのかわざとかわからないが、イカダに近づくとき一度トンパにぶつかってからUターンして正面に停泊。
一人の軍人が庇を留めている棒にロープを結ぼうとするので、そこは固定されていないからトンパに結ぶよう伝え、結び終えてから操縦士が乗船。
パスポートチェックと簡単な荷物チェックした後、入国した町や滞在日数、目的等を聞かれ、
「戻ってくる来るからちょっと待っていろ」
と言われて、またトンパにぶつけながら施設の方に戻っていった。
ここから20km進むとコロンビアとの国境になるので、この先はイカダでの航行は禁止されているのだろうか?
不安の中待つ事10分。
今度は一人増えて3人でやってきた。
新メンバーは青い制服を着て胸には【イミグラシオン】と書かれているので、どうやらイミグレ職員のようだ。
もしかして、ここで手続きをしなければいけなかったのだろうか?
一抹の不安を覚えたが、渡したパスポートをチェックし終え、写メを撮った後
「OK,No hay problema(問題なし)」
と言って笑顔でパスポートを返してくれたので、ほっと胸をなでおろす。
最後はみんなで記念撮影をして、手を振りながら去っていった。
こんな中途半端な所で終わらされてはすっきりせず、ずっともやもやしたままになりそうなので、続けることができて本当に良かった。
彼らが去った後、時間が時間なので少しだけ漕いで、岸辺に生えているひょろい木に係留して終了。
ゴールのレティシアまであと100km。
そろそろ終わりが見えてきた。
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12月5日 水 曇り・晴れ・スコール 51日目
吐き気は収まったが、未だ下痢は続くので中村さんから貰った経口補水液の粉を溶かして水分補給。
12時過ぎ中洲が見えてきた。
それを越えると、右岸がペルーで左岸がコロンビアになる。
入国手続きをしていないので、うっかり左岸に寄ると不法入国になってしまい、停泊しようものなら不法滞在のおまけつきとなるので気を付けなければならない。
一時間後中州を過ぎ、川の中央に国境ラインがはいる地帯に突入。
記念にとアマゾン川突入記念同様三人の飛び込み写真を撮る。
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16時ごろ、雷鳴と共に黒雲が空を覆う。
水面はにわかに波立ち、下流から湿った風が吹き出した。
これはかなり激しいスコールになりそうなので、イカダの三方のシートを下ろし、バケツのふたを開け雨に備える。
しかし風が強く、ゴムロープで抑えているにもかかわらず風でシートがめくれて、ばさんばさんと大きな音を立てている。
川面は時化た海の様に白波が立ち、波が小屋内にも侵入してくるほどに。
このまま航行するのは危険なので、岸に付けようとしたが波が激しく向きすらも変えることができない。
船は激しく前後左右に傾き、屋根に張ったシートは風で飛ばされトタンはギシギシと軋み、その内飛んで行ってしまいそうだ。
この状況こそ、まさにイカダで無人島を脱出した物語の主人公に襲い掛かる試練のようだ。
後にして思えばそんな風に思い出して楽しむことができるか、実際経験してみると舵が取れず自然に任せるのみと言うのは、中々恐ろしいことである。
今岸際を流されて立木エリアに入ったら?タンカーが停まっていたら?そもそもタンカーや客船の航行があるある川で、この嵐の中進路上にある漂流中のイカダを避けてくれるのか?
運を天に任せるしかなく、スコールが過ぎるまで生きた心地がしなかった。
激しいスコールは30分ほどで止み、屋根のシートが剥がれたくらいで大きな被害は無かった。
この規模のスコールでも損傷なく耐えてくれるのだから、素人+1が作ったとはいえ、時間とお金と労力をかけたかいがあるってもんだ。
風の影響で左岸のコロンビアに着岸して終了。
早速不法滞在になってしまったが、不可抗力というころで見逃してくれないだろうか?
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12月6日 木 曇り・雨 52日目
体調を崩して11日目、大分回復したが今度はハマがダウン。
ハマは寝ているので中村さんと二人で漕いでいる。
朝、コロンビアの軍事施設の前を通過した後、後方からエンジン音が近づいてくる。
「また軍人だったりしてw」
と冗談交じりに話していたら、横に並んだところでエンジンを止めイカダに近づいて来た。
車体にはpoliciaと書かれ、皆制服を着ている。
「うわっ、本当に来たよ」
ロープで船を固定した後、一名が乗船。
今回のメンバーは5人。うち三人が警察で残り二人がイミグレ職員だ。
お決まりの質問の後、パスポートチェックや荷物チェックも無く写真だけ取って去っていった。
どうやらペルーの軍人たちと違い、たまたま移動中に怪しげな物体が流れていたから、寄ってみただけなのだろう。
去り際にゴールのレティシアまでの距離を聞くと、残り80kmと教えてくれた。

何処から流れ出しているのか知らないが、川面を浮草が列をなして流れている。
浮草は岸から離れるよう川の中腹に向かって流れていると言うのに、僕らは何故か岸に寄って行ってしまう。
「このイカダは僕らの人生のようですね。進学、就職、結婚等、一般的な人生の流れに乗れず、変な所を漂流してばっかりですよ」
「アレ(浮草の流れ=世間一般の人生)からはみだしてるもんねー」
「少しの風でふらつく僕らの人生」
「わはははは」
ふらつきながらも、目的地に向かって前進する自由な人生。
多少の苦労もあるけど、なんて贅沢な生き方なんだろう。
この日は40km進んだので残り40km。僕らの漂流生活もあと数日だ。
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12月7日 金 曇り・晴れ・雨 53日目
出航前に釣り糸を垂らすと、ナマズが3匹連れた。
内一匹は、横腹に黒い斑点のあるカバサで、サイズは35cmと今までで釣ったナマズで一番大きい。
中洲を抜けT字路にぶつかるように本流と合流。
いつもならそのまま合流するだけでいいのだが、今日はそうはいかない。
ペルーのイミグレのあるSanta Rozaは、中洲のIsla Rondina(ロンディーナ島)の下流にある、横1km縦4km四方ほどの小さな中洲にあり、川の中央より左岸寄りにある。
右岸に寄ってしまうと岸から km離れているので人力では漕いでいる間にブラジルまで行ってしまう可能性が高いので、10km手前の今の内から左岸に寄る必要がある。
左岸に寄れば中洲に着かなくとも、コロンビア及びブラジルのイミグレのある町が左岸にある為、そこに係留して船で中洲に行くことも可能だ。
しかし、合流地点から左岸を目指す作戦は左岸から吹く風に寄って敢え無く失敗に終わり、その後も位置を変えられず結局右岸に着岸となってしまった。
残す事10kmを切り、果たして明日イミグレに辿り着くのだろうか?
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12月8日 土 雨・曇り・晴れ 54日目
Sin título

ゴールのレティシアに向け最後の航行が始まった。
スタート地点が右岸なので、この先はかなりの苦戦を強いられる事が予想される。
地図を見ながら3人で相談し、二つの選択肢に絞ることになった。
一つはこのまま右岸沿いを航行し、イミグレの対岸で停泊し船を捕まえる方法。
この方法は失敗してブラジルに流される心配はないが、イミグレ対岸には集落はなさそうなので、船が通るか、そして運んでくれるかは運任せの作戦だ。
二つ目が、左岸レティシア狙いのコースだ。
こちらは左岸に失敗しても早い段階なら挽回できるが、ど真ん中でどっちつかずに終わってしまうと、不法入国まっしぐらコースになるので、下手に目的地変更はできず、何よりも漕ぎ続けなければいけないハードな作戦となる。
この二つの作戦を念頭にイカダを進め、最後の右カーブを越えたところで左右の決断に入る。
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川面を流れるゴミラインを見ると右岸から川中央に向かって流れているため、ゴミラインと一緒に漕いで行けば左岸に寄れるのではないかという意見にまとまり、左岸狙いとなる。
イカダを漕ぐときは前方の角二カ所と、曲がりたい側と反対の壁側中央付近のポジション取りとなり、力を入れるポイントに着く漕ぎ手は太く重たいオールを使うので、かなりの体力を必要とする。
普段は船長以外は何となしに決めていたポジションだったが、今日は長時間漕ぐ為、疲れがたまらぬよう15分程度でローテーションを組み、体への負担を軽くする。
日差しは強くジリジリと肌を焼き、額に玉の汗を浮かべながら、漕いで漕いで漕ぎまくる。
左岸とロンディーナ島の間にはもう一つ中洲があり、その中洲とロンディーナ島の間を行けるのがベストだったが、川の2/3まで進み「これなら行けるだろう」と思えたころ、中洲に差し掛かったところでイカダは無情にも右岸へと寄りだしてしまった。
本気漕ぎして左岸に寄せようとしても、近づくどころかますます遠のき、気づけばゴミベルトも中央から右岸へと流れ出しているので、左岸は諦め次のコースを定める。
漕ぐのを諦めゴミベルトに乗って右岸へという案もあったが、川幅が広いので右岸に着く前にペルーが終わってしまいそうなので、ロンディーナ島の右下にある中洲の間を狙いそのまま島の右側を下る作戦に変更。
島の手前に広がるゴミベルトを見ている限りでは、流れは緩そうなのだが実際に流れに乗ってみると意外と早く、結局中洲手前20mで再び右岸に寄る流れに飲まれてしまった。
このままはじかれてしまうとそれこそTHE ENDなので、諦めずに漕ぎ続けながらハマ飛び込んで立木にとりついてくれたおかげで、中洲に寄ることができた。
後はこの位置をキープしていけばいいのだが、最後の試練が残されている。
それは、この中洲とロンディーナ島の間の流れを横切ってロンディーナ島の右側に着く必要だあるのだ。
この流れの幅は1km弱。
押し流されてはいけないので、斜め左向きのやや上流にむけ力を込めて漕ぎ続けるが、朝から休まず漕いで既に3時間。
もう肩は痛みで上がらず腕はパンパンになり、手のひらは痺れオールを握る事すら苦痛だ。
それでもここが最後の頑張りどころ、この苦痛を乗り越えた先にゴールが待っているならば、弱音何て吐いている暇はない。
痛みをごまかすように叫びをあげ、最後の力を振り絞り川を横断する。
20分ほどで横断できたが、100m程中腹に流されてしまった。
休む暇なく岸に寄ろうとするも、力が足りず一向に近づかない。このままではイミグレを通り過ぎてしまう。
焦りが見え始めた時、一艘のペケペケが岸際を航行している。
こうなったら助けを呼ぶしかない。
「おーい!助けてくれー!」
「岸まで引っ張ってー!」
この時ばかりは漕ぐ手を休め、立ち上がって大きく手を振りながら助けを請う。
エンジン音で声がかき消されて聞こえないのか、手を振り返してくれるだけで寄ってくれる気配はない。
これはダメかと再びオールを手にした時、船頭の向きを変えてこちらに寄ってきてくれるではないか。
状況を説明すると
「ガソリン少ないから岸までならいいよ」
と引き受けてくれ、どうにかこうにか岸に付けることができた。
ペルー人の若い兄弟にお礼を言い、何とかして辿り着いた岸際をべた付けで下る。
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岸際は流れの緩い芦原が続くので、漕がずにコロコロと岸にぶつかり回転したままイカダを進める。
しかし、一時間ほど転がっているが一向にイミグレのある中洲の入り口が見えてこない。
合流地点から入り口まで5kmも無いので、もうついても良いころなんだが・・・
双眼鏡で確認しても水路らしきものは確認できない。
「もしかして、この水路はもう無くなっているのでは?」
ここに来るまでも、地図上ではあった流れが実際は埋まっていたり雨季のみの流れだったりして、痛い目に何度もあったこと思い出す。
もう一度地図を確認すると、水路の幅は200mしかなく、岸には芦原が広がっているところを見るとその可能性は大いにある。
その時は、とりあえず岸に停めて芦原や森を抜けてイミグレまで歩いていくか、中洲の端まで下りあとは牽引してもらうかだ。
できればどちらもやりたくない方法なので、今は水路がある事を祈るしかない。
再びコロコロ、コロコロと転がりながら水路があると思われるポイントまで進むと、先ほどまでは地形的に見えなかったが、水路入り口を発見した。
だがその水路は水草が一面を覆い、奥に行くにつれて狭まっている。
「この先繋がってるかな?」
3人の頭には不安がよぎるが、近くを通る船にイミグレまで行けるか確認したところ、自信をもって「行けるぞ」と答えたので50%ほどの確率で行くことができるだろう。
行けなかったら行けなかったで引き返せばいいだけなので、ここは思い切って突撃あるのみ。IMGP8797
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川幅は100m弱で、90%ほどを水草が覆い流れはほとんどない。
ピラニア釣りするにはもってこいの環境で、探し求めていたパライソに最終日に到着するとは。
浮草をかき分けつつゆっくりと進むと、右岸にサンタロサの町が見えてきた。
ここまでくればこの先万が一通じてなくも、ペルーのイミグレまでなら簡単に行くことはできる。
進行方向は完全に水草が覆っているので、行けるか心配になったが村人に行けるか聞けば、やはり行けると答えるので、水草をオールでどかして進路を確保しながら進む。
追い抜いてきた地元の若者たちが乗る手漕ぎ船は、少し進んだ先で水草によって進路をふさがれ、身動きが取れなくなっている。
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本当に繋がってるのか?
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その上向かい風となりイカダが押し返され始めたので、前進するのは止めて町の入り口まで戻りとりあえずそこに係留。
村に上陸して散策してみると、小さい村ながらも一応イミグレがあるだけあって、宿や両替所、ツーリスト向けの施設もある。
町の中腹まで行くと芦原の間を岸に向かって伸びる未舗装の道を発見。
道路側には大きな看板が掲げられているので、裏にまわって看板を確認するとそこには大きな文字で
『BIENVENIDOS AL PERU
WELCOME TO PERU 』
と書かれ、看板の隣には小さな灯台もあるので、ここが港であるのは間違いないだろう。
しかし、道からは川は見えずぬかるみ具合を見ても、人の往来はありそうに思えない。
国境の港でこの荒れ具合は無いだろうと思うが、一応確認しておこうと歩いてみたが奥に行くにつれ道が狭まりどう考えても港はなさそうなので引き返す。
とりあえず町中にあった軍事施設や通りすがりの村人に、この水路はブラジル側に通じてるか聞いたところ、ほとんどが通れると回答したので、あの水草地帯をかき分ければブラジル側にでれるそうだ。
時間的に今から漕いでもブラジルに着くのは困難なので、出国手続きも含めて明日に回し、今日はペルーで過ごす最後の夜を祝して、ビールと屋台で買った食事で祝おうではないか。
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