チャリダー久保田の世界楽翔〜世界一周自転車旅行記〜

自転車による世界一周に向けた準備の話や、旅の話など

6/7~6/11

Bueons Aires~Gualeguaychu東30㎞


様々な事があったブエノスアイレスを去る日がやってきた。
着いた二日目に、3年前のアンティグア(グアテマラ)で一緒にコロッケを売った友達と再会し、三日目にケチャップ強盗未遂にあう。
ケチャップ強盗とは、服にケチャップ等をかけた後に、年配の女性が「服が汚れているわよ」と呼び止めウエイトティッシュで「拭いてあげる」と親切に声をかけ、バッグなどの荷物を外させてそれを相棒がかっさらうという、ブエノスといったらケチャップ強盗、ケチャップ強盗と言えばブエノスというほど昔からある有名な手だ。
19時前人通りのある大通りを歩いていた時、
「セニョール、セニョール」
と呼び止められ、振り向くと60歳前の手提げカバンを肩にかけた身なりのいい女性が、手をこまねいている。
何だろうと思っていたら、
「服が汚れているわよ」
と、ズボンの裾やトレーナーの背をなぞってくる。
見てみると確かに濡れた跡がある。そしておもむろに「拭いてあげるわよ」とカバンからティッシュを取り出すおばさん。
手口を知っていたのでこの段階でケチャップ強盗と気づき、いいよいいよと、断って足早にその場を去り、ホテルで服を脱いで確認すると背中からズボンのすそにかけ緑色のサルサソースがかけられていた。
ズボンに限って言えば、もともとチェーンの汚れ等で汚かったので、汚れは自体は目立たないので気にしないが、微妙な酸味臭があとを引くのに腹が立つ。
まぁ、物をとられなかっただけでも良しとしようか。

自転車が届いた後すぐにウルグアイに行こうと思っていたのだが、6/6にラジオ出演依頼があり、面白そうなので二つ返事で承諾し、夕方から1時間枠の日本の文化などを紹介する【JAPON HOY】に15分出演。
アナウンサーが日本語を話せるので、質問にはスペイン語と日本語どちらで答えてもいいのだが、少しぐらいはスペイン語で話したかったのだが、緊張したおかげで言葉が出てこず頓珍漢な回答になってしまい、悔いが残る結果となったが、人生初のラジオ番組はいい経験となった。

そして7日ブエノスを出発。
当初の予定ではブエノスから湾を挟んで対岸にある、ウルグアイのコロニアルサクラメントに船で渡ろうと思ったのだが、船賃は5000円と高く折角自転車が戻ってきたことだし、250㎞北にある橋を経由してウルグアイに行くことにした。
首都を抜けるのはどこの国でも交通量の多さや、道の複雑さから非常に労力を使うのだが、ここブエノスでは比較的交通マナーが良く、中南米でよく見るコレクティーボや白バスの無理な割りこみや渋滞が無いので、車に関してはストレスは感じなかった。
しかし、道に関してはブエノスアイレスでは高速道路を自転車で走ってはいけないらしく、郊外に抜ける高速道路と並走して伸びる道を進むのだが、時折高速とは別の方向に延びていくので、地図を見ながら細い路地を伝って高速道路に近づかなければいけない。
いくつもの車が侵入できない細い路地や橋を越えて、60㎞ほど走ったところでようやく都市を脱出。
郊外に出ると交通量が減り走りやすくなったが、場所によっては法定速度が130km/hの道があり、流石に真横を130km/hで走る車は無いが、100km/h近いスピードでトラックが横を走ると、ハンドルをとられるので結構恐ろしい道だ。
郊外に出ても民家はまだ多く野宿できそうな場所が見つからず、結局80㎞走ったところにあるCampanaに、17時に到着したのでこの町で宿泊することに。
ホテルを探すためセントロに行ってみたが付近には見当たらず、駅の近くに行けばもしやと町の奥にある駅舎へ行く。
駅前は中心部に比べ薄暗く、これは無いかなと不安になったが線路沿いにホテルの看板を発見。
値段を聞けば個室で300ペソ(1500円)と悪くない値段なのでここに決定。
久しぶりに走ったせいで、けつが荒れてかなり痛いので2泊することに。
翌日は昼まで爆睡し、食事をすましてベッドの上でダラダラした後町散策。
ホテルを出てとりあえず駅舎を見学。
アルゼンチンの大きな鉄道駅は石造りの立派なものが多く、この駅舎も面構えといい中のさびた鉄骨のホームや蒸気機関車が通っていたころのと思われる鉄道遺跡が味わい深い。
ホームの向かいには廃レンガ倉庫があり、機関車が一両草に覆われて佇んでいる。
線路越しに歩き廃倉庫側に回ると、中に入れるようになっていたので軽く見学。
敷地はどうやら車両基地だったらしく、転車台や工事車両などが草むらに放置され、がらんどうとした倉庫内からは切れ切れのレールが外に向かって伸びているのだが、ほとんどは土に埋まっている。
日本であればもう少し手を加えて、鉄道博物館に流用したりするが、こちらはあまり関心が無いのか機関車などの車両は駅前や広場にに展示されているが、施設自体は放置されていることが多いので勿体ないなと思うことがよくある。
結局この廃車両基地と町の横を流れるパラナ川を見ただけで、後は買い物してホテルに戻り、翌日に備えてゆっくり休むことにした。

カンパーナを過ぎるとイグアスの滝から続くパラナ川の支流と本流を2回越えなくてはならないのだが、これが結構手ごわく、大型タンカーが通る川の為橋の頂上部は地上60mほどまであがり、各橋登り始めから下り終わりまで約4㎞ある非常に長い斜張橋であった。
一本目の支流を越えたところから町は無くなり、かわりに湿地帯が広がっている。
湿地帯と言っても一面に広がる巨大な湿地帯ではなく、畑や牧草地といった開拓地と半々に混ざった飛び地の湿地帯だ。
走りながら猛禽類やサギなどの大型の野鳥を観察することもでき、目を凝らせば湿地帯の浮島でカワウソやカピパラ(ヌートリアの可能性もあり)も見つけることができ、楽しませてくれる道だ。
日本ではカワウソは絶滅してしまったが、国道沿いからカワウソの家族を見つけた時は嬉しくて声を上げそうになった。
浮島に作られた巣穴を中心に3頭泳いでおり、一匹は口に魚をくわえ、一匹は浮島と水中を行ったり来たり。3頭目は警戒心が強く僕に気づいた後水中にもぐってそのまま姿を消してしまった。
カピパラは日向ぼっこをしているのか、浮島の上で全く動く気配が無くイメージ通りのんびりした性格のようだ。
カワウソ、ペンギン、アルマジロ、ニャンドゥーなどの野生動物の種類も多いが、パンパに氷河に湿地帯と、アルゼンチンの道は自然の変化に富んでいて面白い。
気候の変化も激しく、ブエノスは南極からの冷たい空気が海から流れてくるので風が冷たかったが、海を離れ湿地帯が広がる内部に来ると、相変わらず北風が強いが湿度が高く気温も上がり、久しぶりにダウン無しで走れる気温になった。
ただ、気温が上がれば虫も増え、ブエノスの宿(プエルトリモンホステル、ドミ一泊200~250ペソ)では幾度も南京虫に襲われ、湿地帯ではブヨのような小さな吸血昆虫に襲われている。
ブエノスの気温なら本来は南京虫はいないと思うのだが、ブラジルやベネズエラなど温暖な地域からの観光客が多いので、荷物に交じって着いてくるのだろう。
虫は好きだが、吸血昆虫だけは勘弁願いたい。

カンパーナの次はガソリンスタンドの脇でテントを張らさせてもらい、ブエノスを出て4日目の夕方にGualeguaychuの東部にある国境手前までやってきた。
ウルグアイに行くにはウルグアイ川を越えなければならないのだが、アルゼンチン側の国境管理施設(イミグレではない)のような所で、衝撃の言葉を言われた。
「この先自転車の通行は禁止だ!」
思わず
「は?」
と聞き返してしまった。
地図を見て長い橋だなと思っていたが、まさか自転車通行禁止だとは。
そういえばアルゼンチンからパラグアイに抜けようとしたチャリダーが、自転車は通行禁止だと言われヒッチハイクしたとフェイスブックでボヤいていたが、まさかここもそうだとは。
北西部は標高4000mの砂漠地帯。
南部は世界一酷い登山道&高いボート代。
ブエノスからは5000円のフェリー代。
そして北東部は自転車徒歩の通行自体が禁止だとは、アルゼンチンにはろくな国境が無い!
君は鎖国でもしてんのか?
夕方から一時間ヒッチハイクを試みたが、分かってはいたが車は停まる様子はない。
なにせグアレグアイチュから30㎞走ってきて、この道がいかに交通量が無いのは良く知っているし、日曜の夕方のマイナー国境だ、止まってくれる物好きは居ないだろう。
もうこの日は諦めて、施設の屋根の下にテントを張り翌日にかけることにした。
前日の係員はここでテントを張っていいと言っていたが、今日の係員は性格が悪くここでキャンプをするなと言う。
「誰が好き好んでこんな所でキャンプするか!!!」
おまけにヒッチハイクしていればここでヒッチハイクすんな、あっち行けと追い出し、指さされた場所でヒッチをすれば別の係員が着てここでやるなという。
「誰も好き好んでヒッチハイクしてねえよ!!!」
ぷりぷりしながら再び元の所でヒッチを再開。
文句を言ってくる係員はたまに話しかけてきて、言葉がわからないとみるとからかう様に仲間内と下卑た笑い声をあげる。
月曜の午前中でも結局交通量は少なく、乗せてくれそうなピックアップトラックとなるとさらに少ない。
開始から2時間半立ち、また追い出されたので頭に来たのと反応の無さにこのまま強行突破しようと考えた時、トラックの運ちゃんが「乗せてやるぞ」と声をかけてくれた。
荷台には幅2mあるロール紙がぎっしり詰まれていて一見スペースは無かったが、自転車を縦にして無理に詰め込んで扉を閉める。
自転車が痛むのでこの積み方はしたくないが、この際仕方ない。
それに、時間にすれば5分程度だから目をつむろう。
昨日の一時間を加えれば計三時間半ヒッチをし、ようやく対岸のウルグアイに渡れることになった。
運送会社やここの係員、動物のいないツアーに連れて行ってくれたツアー会社など、嫌な奴が目立つ国ではあったが、それでも素敵な景色や良い出会いがあったので、何だかんだで楽しい国だった。
多分あと一回来ることになると思うので、その時こそは楽しい思い出ばかりになりますように。


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国境に架かる橋
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5月3日、ペンギンのいないプエルトマドリンを去り、アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスにバスで向かった。
今回もバス会社に自転車を積むのを断られたので、ターミナル内にあった【VIA GARGO】という運送会社に荷物を預けて、ブエノスで受け取ることにした。
これが、まさかあんな悲劇を生もうとは、この時は想像もしていなかった。

20時間ほどバスに揺られ、ブエノスには4日の昼に到着。
どこの国でもそうだが、バスターミナルの付近は大抵治安が悪く、とくにブエノスは南米の中でも治安が悪いと聞くので、自転車が無い今はバックパッグとフロントバッグ、布製の袋を背負った目立ついで立ちのまま知らない街をふらつくのは危険なので、安全のためにタクシーを使って宿に移動。

タクシーに乗る前にオフィスでいつ届くか聞いたら、自転車は土日を挟むため3日後に届くと言われたので、届くまで宿でのんびりと待機していた。
7日(月)昼過ぎにRetiroにあるバスターミナルに荷物を受け取りに行く。
しかし、サイドバッグ等をまとめた袋は届いたが、自転車はまだ届いていないという。
二個同時に送って片方だけ遅れるのはおかしいとおもいつつ、自転車が大きいからという理由に納得はできないが、ここは南米だ。
数日おくれるのはよくある事だろうと、9日に届くという言葉を信じて引き返し、9日改めて向かったのだがやはり届いていない。
その後何度行っても、明後日届くと言うだけで、全く届く気配がない。

流石に予定日から一週間過ぎても届かないことに業を煮やし、強く言って現在位置を聞き出し直接倉庫に取りに行く。
しかし、ここにも自転車は無く、いったい今どこにあるのか尋ねれば電話で聞いてくれと答えるだけだ。
その電話も、オペレーターにつながった後、担当者に変わりますと言ったまま10分以上放置され、一度も確認がとれない。
オペレーターに「繋がらない!」と怒り気味で伝えれば話途中で勝手に切る始末。
まるで悪徳業者さながらの対応だ。
埒が明かないので受け取り窓口で、「ちゃんと探せ!」と叫んでも鬱陶しがられ、途中からは警察を呼び出してあとは知らん顔するようになる。
こっちが警察呼びたいくらいだったので、丁度いいやとついでに相談してみたが、
「届くのには時間がかかるので、もう少し待ちなさい」
というだけで役に立たない。
ダメもとで日本大使館に行ってみたが、やはりこのくらいの話では、大使館的に動くことはできず、消費者庁みたいなところを案内してくれるだけであった。

23日、流石に毎日来てはぶちぎれて喚きまわる外人に折れたのか、今まで聞いた時はここには所長はいないと言っていたが、この日遂に倉庫内にある事務所に連れていかれ、所長らしき偉そうな態度の人物に会うことができた。
そこで、現在自転車は追跡調査中だと白状する。
紛失なのか行方不明なのかどうかをただせば、「知らない」と責任逃れのため曖昧な回答しかせず、態度の悪さにいいかげんに頭に来たので、
「お前ら、ずっと追跡中じゃないか!結局は行方不明なんだろ!?」
と強く詰問しつづけたところ、所長は認めなかったが、案内してくれたいつもの従業員が、観念したようでようやく行方不明だと認めた。

2週間以上進展がない所から遅延でないのは明らかで、無くしたとわかったらただじゃおかないと息巻いていたが、行方不明と認められてしまうと、手を出すどころか、言葉を出すこともできないほどショックが強く、膝から崩れていくように力が抜け、頭が白くなる。

あの自転車は4年間一緒に旅した相棒であり、この先も世界を一緒にまわる世界に一台だけの大切な相棒だ。
すでに万が一に備え、加入している海外旅行保険に相談してみたが、移動のためとはいえ手元に置いてない時点で、【携行品】に当たらず、飛行機以外でのロスバケ(ロストバケーション)は対象外になると返答が来ている。
運送会社が非を認め補償したところで、微々たる金額しかくれないだろう。
ありえない話だが、全額保証が降りたところで、もう一度買える市販品では無く、二度と手に入れることのできないオーダー自転車だ。
何より、こんな理由で自転車を紛失してしまっては、製作者の大瀧さんや、一から相談にのってくれた平野さん、他パーツを提供してくれた方々に合わせる顔が無い。

紛失と決まったわけではないが、嘘しか言わず、ろくな対応をしないこんな会社では見つかる可能性は絶望的だ。
この先祝日があり連休になってしまうので、月曜日もう一度来てくれと言われたが、月曜日になったところで、進展はしないだろう。

「どうすりゃいいんだ・・・、もう無理だよ・・・」
ショックすぎて涙もでず、心が折れて失意のどん底の中、呆けたように宿に戻る。
諦めたくないが、もう自分一人の力だけでは対応できない。
なによりもう心が持たない。

今までは周りに迷惑と心配をかけたくない為に、ごく限られた範囲でしか話していないが、もう四の五の言っている場合ではない。
世界一周中の日本人チャリダーが自転車を盗難され、SNSで協力を呼び掛けた所発見されたという話を、アドベンチャーサイクリング・メーリングリストで読んだので、僕もSNSで助けを請う。
帰宅後早速日本語とスペイン語の記事二本を書いて、フェイスブックに投稿。
投稿は瞬く間にシェアされ、友人やシェアされた記事を見たアルゼンチン人たちから続々と激励のメッセ―ジが届く。
投稿したその日のうちに、記事を読んだ日系の方から連絡があり、宿でその方と親戚の日系弁護士さんにお会いできることになった。
持っている証拠をすべて渡して状況を説明し、この日はずでに事務所が閉まり電話が通じないので、月曜日に事務所に同行していただけることになった。
この方以外にも他の弁護士さんを紹介してくれ方もおり、非常に心強い味方が沢山できた。
スペイン語の記事は数日で4000件以上シェアされ、投稿以降、多くの方から援助の申し出があり、メディアに連絡をしてくれた方もいれば、寝床を提供してくれる方、ママチャリだけど自転車を持ってきてくれる方もいた。
言葉が不自由なので、日系の方からの連絡は特に心強く、日本語学校の先生には本当にお世話になった。
初めこそショックが大きくて気落ちしていたが、多くの方に励まされたおかげで元気を取り戻し、闘志がメラメラと湧きだし絶対にあきらめずに見つけ出してやろう、もし無くしたなら会社をぶっ潰すと覚悟を固める。

そして運命の5月28日午前、オフィスで弁護士さんと従業員が話し合い、今日の14時までに全倉庫に電話で自転車が無いかを確認し、14時に弁護士さんに結果を報告する手はずとなった。
今までどこを探してたんだよ!?と一発かましたいのを堪え、見つかる事を祈り一旦帰宅。
不安で何も手に着かず、布団の中でうずくまりながら、吉報だけを待つ。

14時、弁護士さんからメッセージが届いた。

「Encontraron tu bicicleta!!」
 (自転車見つけました!!)
「16時にホテルに届けるそうです」

【encontraer】
この言葉をどんなに待ち望んだか。
行方不明と言われた時には出なかった涙が、この言葉を見てジワリと溢れてきた。

良かった、本当に良かった。
一時はどうなるかと思ったが、これで旅が続けられる。
そして、SNSやブログで笑って報告することができ、今旅の最大のピンチとして笑い話にすることができる。

自転車は手違いで、ブエノス内の別の倉庫に運ばれてしまいretiroに届かなかったそうだが、何故か梱包した段ボールが無くなり、自転車を包んだレジャーシートにラップが巻かれているだけの状態だったのを見ると、従業員が一度盗んだが、話が大事になりこれはまずいと思い戻したのだろう。
荷物の紛失・盗難が日常茶飯事のアルゼンチンで、自転車が見つかるのは奇跡に近く、コメントには私も自転車が無くなりました、と言う人も何人もおり、ウェブ上の企業評価では散々な評価が書きこまれている。
その中で見つけることができたのは、弁護士さんの協力はもちろん多くの人が後押しをしてくれ、事務所に問い合わせてくれた他、社長や幹部に話をつけてくれた方、さらには日本領事にこの話をしてくれた方達のおかげだろう。

一人だったらまず相手にされず泣き寝入りするところだったが、多くの方が優しく手を差し伸べてくれたおかげで、無事に見つけることができた。
一時は相当に落ち込んだりもしたが、これで次へと進める。
協力してくれた方たちには心の底から感謝し、この出来事は生涯忘れないだろう。

いくら言ってもいい足りないくらいだが、最後にもう一度言いたい。

muchisimas gracias!!
本当に、本当にありがとうございます。

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Usyuaia~Puerto Madryn

4/21~5/3

ウシュアイアの宿と言えば、日本人宿の『上野山荘』が有名で、本当ならここに泊まりたかったのだが、オーナーのご夫婦が亡くなり、それでもその後数年は開いていたそうだが、昨年とうとう閉鎖してしまったらしい。
その為今回はチャリダーの沖野君に教えてもらった、Backpackers - Refugiosに宿泊。
一泊300ペソ(1500円)とウシュアイアの中では安宿の部類に入り、さらにチャリダーは一泊無料なので非常にありがたい。

ウシュアイア4日目、チャリダーの濱尾君が到着。
そしてお決まりの料理&酒盛りが4日間続く。
初日はひき肉だけでも1,4kg使ったハンバーグで玉ねぎも含めれば一人1㎏、二日目はエンパナーダの皮を伸ばして作ったビッグ餃子、三日目四日目は、鳥のオーブン焼きと、毎日たらふく肉を食い宿でのんびりと過ごした。
物価は僻地価格で相当高いが、なにせここは世界最南端の町ウシュアイア、豪遊しても許されるだろう。

引きこもって酒を飲んでいるだけでなく、近所にマルティアル氷河と町を見下ろす展望台があると知り、宿から往復20㎞もない道なので歩いて向かう。
しかし、町を抜けてハイキングコースに入るころに雪が降ってきた。
天気予報では午後から晴れると言っていたので、少しぐらい雪がちらついても問題は無いだろうと、そのまま突き進む。
しかし雪は次第に強くなり、地面に積もりだしてしまった。
おまけにこのハイキングコース、途中から倒木が多くあまり整備もされていない為、道がわかりづらくなったので、車道に戻り道路を伝って展望台を目指す。
登山道まではいろは坂のようなヘアピンカーブが続き、リフトがある登山道からは小さなスキー場の斜面を登っていく。
入口は3㎝程度の積雪だったが、標高700mの展望台付近は10㎝ほど雪が積もている。
この時期はまだ登山客がいるため雪道でもそこまで足が埋もれる事は無いが、そろそろこの道が冬季閉鎖されるのも時間の問題だろう。
氷河も見に行きたかったが、登山口のインフォメーションでこの時期は危ないから引き返してねと言われたので、おとなしく従い山の奥へとはいかなかった。
それでも綺麗な雪渓を見れたので、それだけでも十分満足だった。

街をぶらついていると写真屋さんのショーウインドーにレンズが並べられていた。
そこに並べてあるレンズを見て、思わず声を上げてしまった。
なんと海外では滅多に目にすることができないシグマのペンタックス用レンズが取り揃えていたのだ。
海外ではCanon Niconは目にするが、PENTAX何てまず見かけない。それがレンズとなるとメキシコシティー以来だ。
種類は単焦点やズームレンズと旅に使うには丁度いいサイズがあり、その中にSigma 17-70mm f/2,8-4,5 DCを発見。
値段は4999ペソ、約26000円と海外で売られている値段にしては悪くは無い。
天体撮影用に明るいレンズが欲しかったのと、最短撮影距離が22cmと今手持ちのレンズに比べ大分よれるので、虫や花を撮るのにむいてそうので思わず買ってしまった。
これからの写真撮影がより一層楽しみになった。

そして、28日にバスに乗ってバルデス半島へ向かう。
予定ではブエノスに飛んでそこから走ろうと思っていたのだが、リマで会った旅人からバルデス半島ではペンギンやオタリア、運が良ければシャチが観れると聞き、予定を変えてブエノスから1500㎞ほど南のPuerto Madrynに行くことにした。
ウシュアイアからバス移動で、出発は朝の5時。
5時以外の便がないため、宿を2時半に出てバス停で自転車を梱包し、一度リオガジェゴスに行く。
濱尾君とはここでお別れだ。
彼はウシュアイアから自走で北上して南米を再び回るという奇特な漢なので、もう南米では会えないかもしれないが、縁があれば世界のどこかでまた会えるだろう。

自転車のような大きな荷物は断るバス会社が多く、夕方に着いたリオガジェゴスでは当日は乗客が多いので自転車を乗せるスペースが無いと断られ、翌日の便を予約。
前回泊まったキャンプ場に一泊して、翌日の夜行バスでプエルトマドリンに行くのだが、昨日自転車可といわれたはずなのに、乗せる直前で自転車は無理だと断られる。
そんなこともあろうかと、前日切符を貰った時に、切符に自転車を積むと記入してもらっていたので、それを説明したが駄目の一点張り。
話が違うと押し問答してもらちが明かず、どうしようかと思ってた時どこからともなくやってきたおばさんが係員と話し合いをし、ようわからないうちに自転車とサイドバック類を詰めた袋を窓口に預け、早くバスに乗りなさいと促された。
どうやら別便で送ってもらえるらしいが、バタバタしていつ届くのかもわからないまま、自転車と別れバスはプエルトマドリンに向け走り出した。

20時出発で翌昼過ぎ着。
ホテルにチェックイン後早速ツアーの申し込みに。
と思ったら、シエスタで13時から16時まで休みなので町をぶらついてから帰宅し、夕方改めてツアー会社に。
一軒目の会社でツアーを訪ねたら不吉なことを言われてしまった。
「ペンギン観たいのだけど?」
「もういないわよ」
「いないの?」
「いない」
「オルカ(シャチ)は?」
「いない」
「クジラは?」
「いない」
「何がいるの?」
「アザラシ」
「・・・」
アザラシはガラパゴスでさんざん見たし、今更金払ってまで見ようとは思わない。
時期が悪いのかツアーを組んでいないだけなのか、とりあえず二件目に。
「ペンギンいる?」
「ああ、いるとも」
「オルカは?」
「運が良ければ」
そのツアー会社で貰ったパンフレットによれば、ペンギンは4月中旬までで、オルカは4月いっぱい、クジラは7月以降に見えるとある。
つまり今は一番動物が少ないオフシーズンなわけだ。
パンフレットにはそう書いてあっても、5月一日に入ったらカレンダー通りにすぐに居なくなるってことも無かろう。
少ないかもしれないが、まじかでペンギンが観れるならとツアーに申し込み、翌日一日かけてバルデス半島を観光する。
まずはオルカが観れる半島北側に車は行く。
駐車場に着き展望台に行くと、浜にオタリア(アザラシ)の群れがごろりと転がっている。
しかしそれは展望台から500ⅿほど先で、豆粒程度にしか見れない。
一昨日見れたらしいが、これではオルカが来ても大きな豆程度にしか見ることができないではないか。
それでも40分ほど海を眺めていたが、オルカの気配は微塵もなくそのまま次のペンギンスポットへ。
10分ほど車を走らせた先にペンギンのコロニーがあり、生まれたてのペンギンの赤ちゃんや、子育てをしている大人のペンギンがわんさかいる。
と思っていたのに、そこには遠くの草越しに一匹のペンギンがポツンといるだけだ。
これには他のツアー客も苦笑い。
シーズンオフで数が少ないのは分かるけど、一匹だけってもうツアー打ち切りにしないとダメなルベルだろ。
因みに払ったツアー代は7000円で入園料が2000円。
オルカは毎日見れるとは限らないので見えたらラッキーだが、陸地に居るペンギンはもう見れなくなってることを知っていてツアーを出すなんて、最早詐欺で訴えられんじゃないかと思えるほどだ。

がっかりツアーはまだまだ続き、お次は昼休憩もかねて象アザラシのスポット。
アザラシやアシカはもう良いが、象アザラシは見てみたい。
が、ここも象アザラシのいるビーチは展望台からはやはり遠く、寝そべったアザラシを望遠レンズで見てみてもあの特徴的な象の鼻は見ることができない。
うーん、とことん期待外れのツアーだ。
時期云々の前に、展望台から浜までは高さ50ⅿほどの崖を挟むので、どの時期に行っても海辺の生物は肉眼ではまともに見れない。
貴重な生き物を守るために入場を立ち入り制限したり、高い入園料をとって保護をするのは当然のことだと思う。
しかし、ツアー会社の看板等にはさもまじかで見れるような写真を使うのは誇大表示に当たり、なんか釈然としないままツアーは終わる。

一応象アザラシのいる駐車場には、アルマジロがうろちょとろと走り回っているので、追っかけまわして一緒に遊ぶことができたので、それが唯一の救いだ。
亀に似た姿でトテテテテテと足を一生懸命に動かし走る姿や、鼻を地面に突っ込み、上下に顔を動かして草の根をたべるところや、前足で地面を掘る姿は非常にかわいらしい。
本によれば甲羅ごと焼いて食べると美味いらしいので、いつか食べてみたいものだ。

自転車と荷物を回収後ブエノスまで自走予定だったが、この先もパンパ&暴風が続くのと、釈然としないツアーで気が削がれてしまったので、受けたった荷物を段ボールで補強してブエノスに転送し、自身もブエノスにバスで向かうことにした。


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先住民の舞踏用の衣装?
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海側から見た町
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左奥の斜面を登ると氷河があるらしい
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見晴らし台からの景色
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接写が面白い!
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$1=¥55
日本に比べると型落ちだけど悪くはない価格
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tlerew付近にある恐竜モニュメント
アルゼンチノサウルスだろうか?
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本来はここに無数のペンギンがいるはずなのだ
本当だよ。
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クジラの観れるプンタピラミッダの海でゲット
「スープにして食べるよ」とは地元のおじさん談





Rio Grande~Ushuaia

4/17~4/21

不意うちを食らった過酷な道を越え、一般道に出た後カッパを着込んで走り出す。
今日は風が弱いとはいえ、冷たい雨が降るので体が冷え、厚手の手袋をしていても指先がキリキリと痛む。
12時過ぎ、どんよりと暗くどことなく赤錆色した大西洋が見えた頃に雨が上がったので、自転車をガードレールに立てかけ昼食をとる。
パンを齧りながら海を眺めているのだが、波は無く、沈んだ色の水がべったりと広がっており、見ていて何だかもの悲しい気分になる海だ。
道路から海岸まで距離があるのではっきりとはわからないが、遠浅の海らしく岸から200m程までは水面から岩礁が所々顔を出している。
部分的に色が濃く見えるのは、昆布が生えているのだろうか。
赤錆色に見えたのも昆布の群生なのかもしれない。

東の水平線に目をやると雨雲が途切れ、隙間から淡い光が漏れている。
その光は昼過ぎだというのに、朝焼けが残っているかのように、まだうっすらと赤みが差している。
フエゴ島の緯度は南緯55度。
秋の終わりの太陽は昼でも北の空を低く通り、アンデスのような青くて濃い空ではなく、いつでもぼんやりとした薄い水色をしている。
フエゴ島はスペイン語ではTierra del Fuego、直訳すれば火の大地(島)だ。これは世界一周中のマゼランが、フエゴ島に住む先住民がおこした焚き火を野火と勘違いしたことが由来となっている。
これが燃えるような紅葉がまるで山火事のように見えるところから、『火の島』と名付けるならまだロマンチックなのだが、先住民がほとんどいなくなった今『火の島』というのはしっくりこない。
かといって『風の島』では安易だし、パタゴニアに比べると若干風が弱いので、これも今一つ。
椎名誠は広い空が印象に残ったため『空の島』と名付けたが、椎名誠が旅したのは12月と夏の時期なので、僕とは感じ方が違う。
そんなことをぼんやりと考えながら走っていた時、空を見てふと頭に黄昏の文字が浮かんだ。
『黄昏の島』
そうだ、この島では日中はいつでも黄昏ているのだ。
太陽が低いので東の空はいつも朝焼けの残り香が後を引き、昼の太陽も力なく広い台地に薄い影を落とす。日に日に早くなる日没は、細くなびく雲と空を朱に染めあげ、台地は黄昏れやがて闇に沈む。
なにより世界の果ての町がある島には、良く似合う言葉ではないだろうか。

リオグランデから70㎞までは見渡す限りのパンパだったが、この辺りから何にもない平原に木々が増えてきた。
木々には葉はなく、骨のように細い枝を寒空に向かって伸ばしている。
枝には寒冷地に広がる森でよく見る、幹や枝に着生して育つ藻の様な黄緑色の植物を身にまとっているのだが、前日まで降った雨に濡れた藻は、水分を含んで枝からだらんと垂れ下がり、まるで童話に出てくる魔女やお化けのいる森のように、暗い森を一層薄暗く見せている。
森を進むうちに木々は明るさを取り戻し、紅葉のすばらしい極彩色の景色が続き、森の奥には1000ⅿに満たない低い山々が聳えている。
どうやこの山脈がある事で気象が変わり、パンパと森のとの地域性の違いを生み出しているようだ。

夕方にTolhunという小さな集落に着いた。
ここにはサイクリストを無料で泊めさせてくれるパン屋さんがあるのだ。
店内に入り従業員に声をかけると、離れにある小麦粉などが置かれている倉庫の一室に案内された。
ドアを開けるとシングルベッドと二段ベッドが一つずつ置かれている。
北海道にあるライダーハウスのような雰囲気で、壁には世界中のチャリダー達の寄せ書きか書かれており、その中には友達のメッセージをいくつか見つけることができた。
シャワーも使わせてもらえるので、お礼がわりにパン屋でエンパナーダを夕食として買い、夜は風と雨を心配せずに案して眠ることができた。

パン屋から50㎞走ると山に囲まれたEscondido湖があり、国道を離れて湖沿いの道を行くと湖の奥に今は使われていない廃コテージがあり、そこで泊まることができるとチャリダー情報があったので、湖沿いの未舗装の道をコテージに向かって走る。
国道との分岐から2㎞行くと、湖畔の森の中にファイヤーピットがいくつも並んでいる。
景色もよさそうだし、安かったらコテージやめてここでキャンプしようかなと思い、入口に向かうと火の取り扱いに関する注意書きがあるだけで管理棟は無く、無料で使えそうだ。
アルゼンチンには市営の無料キャンプ所が多いと聞くので、ここもそうなのだろう。
正面に湖と山を見渡せるポイントにテントを張り、枯れ木を集めて夜の焚き火に備える。
湖に降りてみると透明度は高く手前は水深が低いので、夏には水遊びの家族連れで混みそうなキャンプ場だ。
折角なので久しぶりに竿を出してみたが、風が強く寒いのですぐに諦めてテントに帰る。
夜はこれまた久しぶりの焚き火をし、お湯を沸かしてコーヒーを淹れ、これまでの旅路を振り返る。
2014年7月6日に日本を発ち、初海外に右も左もわからぬままアラスカに立ち、そこから3年10か月の月日が経ち、ようやくここまで来ることができた。
「ウシュアイアはもう目の前だ。」
ここで旅が終わるわけでもないが、着くのは少し寂しい気もする。
そんなセンチメンタルな気分を味わいながら、焚き火の火を眺めていた。

この日の夜から翌昼にかけ雨が降ったため、キャンプ場で連泊。
ここに着いた時は、向かいの山の山頂は黒い岩肌を寒そうにむき出しにしていたが、雨が上がりガスが抜けると真っ白い雪化粧を纏っていた。
いよいよ秋から冬へと、本格的に四季が移り変わりだしたようだ。
三日目も朝に雨が降ったが、10時に止んだので撤収して走り出す。
湖からウシュアイアまでは標高300mアップの峠があり、そこさえ越えてしまえばもうゴールは目前なのだが、出発時間が遅かったのと、夕方も雨が降ったので距離は稼げず、道路脇に建つ電波塔の裏手の雑木林にいいスペースを発見したので、ここを最後のキャンプ地にする。

雨は夜に雪へと変わり、明日走れるか心配だったが雪はすぐにやみ、木々の間から星を眺めることもできた。
朝食前に白い息を吐きながら雑木林を散歩する。
雑木林を抜けると湿地が広がっており、そこからは灰色の空の中真っ白な山脈のパノラマが広がっていた。
山裾に広がる紅葉の森は、標高の高い部分はもう雪を被って色をなくしてしまい、秋は雪によって埋もれてしまったようだ。
山から下りてきた冬は、昨日より今日、今日より明日へと日に日に範囲を広げ、この調子ならあと一か月もしないで街にも雪が積もりだすだろう。
道路からも綺麗な山脈を見ることができたが、誰もいない凍り付いた湿地から見た雪山の景色は、フエゴ島で見た一番の景色になった。

そして11時過ぎ、ウシュアイアの入り口に到着した。
道路を挟むように広大なUSHUAIAと書かれた柱が建っている。
最果ての町の看板にしては自己主張が強すぎて、風情のかけらもないが、USHUAIAの文字が見えた時は、目頭が熱くなった。
柱の前で写真を撮り、町中へと自転車を進める。
ただこれでゴールではなく、ここからさらに30㎞進んだところに、これまで走ってきた国道3号線の終着点があるので、道の終わりまで行ってやろうと、町の入り口で昼食をとった後再び漕ぎ出す。

町を抜け国立公園に入ったところに管理棟があり、ここで入園料を徴収された。
料金は350ペソ(1900円)と非常に高く、あまりの高さに係員に聞き直してしまったほどだ。
公園内でトレッキングや釣り、キャンプなどを楽しんだりするならまだ納得できるが、国道を走るだけで2000円近い入園料は承服しがたいものがある。
行くのをやめようかとも思ったが、ここまで来て引き返すのも悔しいので、しぶしぶ料金を払い公園内に入る。
道の端が有料だなんて、鹿児島の本土最南端の佐多岬のようだ。
ここの岬は私有地の為、敷地内は有料道路となっており、自転車の通行はできないので手前の公園が自転車で行ける最南端になってしまっている。
歩きであれば、シェルパ―斎藤が作った海岸線を歩いて岬まで行くトレッキング道があるとBE-PALの記事に書いてあったが、自転車に乗って最端に行くことに価値があるので、当時は行けないことを悔しく思っていた。

※調べてみると、2012年11月からは無料で入れるみたいです。
 僕が行ったのは2004年。
 その時は携帯も何もない旅だったので、雑誌や出会った旅人同士での情報交換が全てで、ここの岬の噂や攻略方法が伝聞で伝わる楽しい時代でした。

そんな苦い過去を思い出し、折角気持ちよく走りたかったのに、高額の入園料に水を差され気持ちが萎えてしまった。
払うもんは仕方がないとわかりつつ、数㎞区間はこの2000円で何ができたかなどと考え、クサクサと足を引っ張るのであった。
途中で関西のおばちゃんのような元気なノリをした、中国人のおばちゃんに一方的に話しかけられ、その話し方の勢いの良さに、話しているうち元気をもらい、沈んだ気分が消えて明るい気持ちで走り出すことができた。


そして2018年4月21日ついにアメリカ大陸国道最南端のLAPATAIA湾に到着。
「着いた―――!!!」
達成感と充実感に包まれ、南の空に向かい大声で吠える。


1381日
26042㎞

途中バス移動があるので、他のアラスカスタートのチャリダーに比べ距離は短いが、地球半周分以上は走る事ができた。
4年という年月は本当に長く間に、出会いあり別れあり、書ききれないほどのエピソードがあった。

先日こんな夢を見た。
舞台は実家のある松戸市。
夕方家の近くを友達と歩いてい時、友達のMさんがこれから東京で書店仲間の飲み会があるから行こうと誘ってきた。
バスに乗り松戸駅に向かった時、急にバスがふらつきだし、前後の車にぶつかりだしたので、何事かと運転席を見ると、運転手は意識不明でハンドルの上に倒れている。
これはやばいと慌てて運転を変わろうとしたところで、目が覚めて夢は終わってしまった。
ハリウッドのアクション映画のような展開は置いといて、海外に長くいるんだなと感じたのは、バスが走っていたのは右車線だったという事だ。
景色は実際の家の前とほとんど変わらず、バス停の位置も同じだ。
それなのに、バスや道路を行く車は右を走り、バスの乗降口もしっかりと右側にあり、本来は駅と反対方向に向かうバス停から、駅行のバスが出るほどのクオリティーだ。

夢は無意識下の情報をもとに作りだされるというが、僕の脳内では、車は左側通行という30年暮らした日本の記憶を上書きし、右を走るものと認識しているようだ。
30年間の常識を変えることができるほど、4年というのは長い年月なのだ。

記念撮影後25㎞走ってウシュアイアの町に戻る。
まだまだ旅は続くが、まずはひと段落。
当初の予定では、ウシュアイアからブエノスに飛びそこから新大陸を目指す予定だったが、旅しているうちに南米で行きたいところが増えてしまったので、

「(南米編は)最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ」



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フィルターをかけたのではなく、気象の関係で空気が赤みがかっていた
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Sin título



4/13~4/17

Tierra del Fuego港~Rio Grande

フェリーは黒い海峡を越え、30分ほどでフエゴ島に到着。
港を過ぎるとパタゴニアと全く変わらぬパンパがそこには続いていた。
草を食むグアナコ、横を通過すると慌てて飛び立つ顔の黒い鴨、トラックにあおられコロコロと転がっていくフンコロガシ、いつもと変わらぬ景色。
しかし、僕の胸は緊張感にもにた高鳴りを覚えている。
景色こそ変化は無いが、行ったり来たりふらふらして定まらぬコースをとり、進む大陸の順番すらあやふやになってしまった僕だが、アラスカスタートでウシュアイアに行く。
これだけは旅当初から変わらず芯として通してきた唯一の目的地なので、ウシュアイアのあるフエゴ島に立つことで胸が高鳴るのも必然といえよう。

初日は道路わきの丘の裏でテントを張ったのだが、朝、朝食を済ませ着替えをしている時、テントの外でザッザッザッと砂利道を進む音が聞こえてきた。
農道用の小道にテントを張っているので一般人は滅多に入ってこないはずだ。
何の音だろう?と外を見ると、そこには羊、羊、羊、大量の羊がテントに向かって進行してきている。
羊が一匹、羊が二匹、羊が百匹、千匹・・・この数は一万匹ぐらいはいるんじゃないか?!
小道、いや、丘の上も隙間ないくらい埋め尽くす大きな群れだ。
近づいてくる羊に動揺しているが、動揺しているのは羊も同様だ。
「ナンダ、ナンダ、ナンカアルゾ、ウワ、ニンゲンガイル!」
テントの前で困り果て固まる羊たち。
しかし後ろからは押すな押すなの大名行列。
このまま直進してきてテントを押しつぶされたらどうしようと心配になったが、羊たちはモーゼの十戒のようにテントの半径5mを綺麗によけて行進を続けてくれた。
何故かテントの前を横切るときだけ無駄に飛び跳ねる奴もいたが、無事に群れからテントを守ることができた。
最後尾には牧羊犬がガンチョ(羊飼い)の口笛に従って文字通り道草食ってふらふらしている羊を追い立て、群れにまとめている姿は流石と言えた。
丁度カラファテで濱尾君と交換して手に入れた椎名誠の『パタゴニア』に、口笛一つで右へ左へと羊たちを追い立てる牧羊犬の育て方などが書いてあったが、この本にはこんな記述もあった

『パタゴニアでは何が起こっても不思議ではない』

まさにこの記述通り、野宿していたら一万匹近い羊たちにテントを囲まれるという普通に生活していたらまずありえない出来事に遭遇した。
そう、パタゴニアは何が起こるかわからないから楽しいのだ。

フエゴ島上陸二日目の昼にCerro Sombreroで食料を補給し、この日はOnaisinの倉庫のようなバス停で久しぶりの室内泊。
チリのバス停は立派な小屋型のものが多く、誰がこんな所で乗降するんだ?と思うようなところにもバス停があったりするので、バス停泊は今回初だが、チャリダー達にとって雨や風を避けて休憩する時には非常にありがたい施設になっている。
僕を含めチャリダー達はバス停他廃墟などに寝泊まりしているが、本来は廃墟と言えども不法侵入になるし、バス停は寝泊まりする所ではないので、使うときはこっそりと謙虚な気持ちで使いたいものだ。

内陸を走り三日目にアルゼンチン領に戻り大西洋側へと出て、バス停から140㎞先のRio Grandeの川岸でこの日はテントを張った。
橋は二本かかっていたが、古い吊り橋の方は朽ちてワイヤーが通っているだけである。
旧橋脚の裏手にテントを張り翌朝は朝から雨の為、川岸で連泊。
この旧橋のワイヤーは鵜の寝床となっており、夜には50羽近い数の鵜が止まっている。
この鵜、鳴き声がまるでおっさんがゲップをしたような低く下品な声でゲェッと短く鳴き、一羽鳴くと連鎖してみんな鳴きだすので、自然界が奏でる合唱としてはこれ以上酷いものは無いんじゃなかろうかと思うほど、不快な声で鳴くので滅入ってしまう。
三日目の朝、今日は朝日が昇り朝焼けが広がっている。
今日は良い天気になりそうだ。
と思ったのもつかの間、徐々に雲が増えていきパッキングが終わったころには、どんよりとした空に覆われてしまった。
降られる前に早く進もうと、河原から未舗装の道に戻り新道に向かう。
しかし、未舗装の道に戻って自転車を押していると、ギシギシと変な音がする。
何か挟まったかな?
とチェーンの方を見ると、ブレーキとリムの間に巨大な泥の塊ができている。
良く見てみると前後のブレーキのあたりに泥が付き、リムに干渉してしまったようだ。
泥を取り除き再び押したがタイヤが一回転する間に、再び泥が付着し、完全にロックされてしまった。
おまけに靴にもすでに数cm泥がくっつき、厚底靴のようになってしまっている。
雨上がりの未舗装路とは言え、水たまりができるほどぬかるんだ道ではなく、砂利と土の混じったありがちな未舗装路だ。
状態で言えばアルゼンチンの国境よりはるかにましだ。
それなのに、陶芸に使う粘土のようにずっしりとした重さと硬さがある粘着質の泥なので、タイヤにへばりつき泥除けの中にも詰まって完全にタイヤの機能を失ってしまった。
砂漠地帯などのタイヤがうまく回らない所では、左手でハンドル、右手でシートチューブを掴み、押すというより引っ張る感覚で進んでいたが、今回は完全に両輪が回らないのでこの作戦でもほとんど動かすことができない。
こんな泥が詰まるよう道では先に泥除けを外して走ればいいのだが、距離も短いし泥除けを外すためには荷物を外さないといけないので面倒くさく、そのまま走る事を選んでしまった。
必死に引きずっていると、追い打ちをかけるように雨が降ってきた。
想像してほしい。
ロックされて両輪まわらない原付を、靴には泥がついて滑って力が出ない道で雨の中ひきずるシーンを。
泣きっ面に蜂というが、自転車は動かないし雨が降るしで、この時は久しぶりに涙が少し流れてしまった。
車道に辿り着いたのは押し始めて、いや引きずってから40分後の事で、この間200m。
岩場、砂漠、高地、湿地帯、川、この旅であらゆるひどい道を走ってきたが、この200mが一番きつかった。
国境越え後、ウシュアイアまでダートは無く楽な道が続くと思っていたのに、こんな国道脇の野宿ポイントに世界一酷い道があろうとは、誰が想像できようか。

やはり、パタゴニアでは何が起こっても不思議ではないのであった。

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羊の大移動で砂煙がたつ
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Cerro Sombreroには映画館もある(日曜は休館日)
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嘴を地面にさして餌を探す鳥
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(チャリダーだけに)有名なバス停
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国境間は未舗装
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アルゼンチンのイミグレを抜けるとは大西洋
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明け方は餌をとりに行く為、数が減る
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