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詳しくは以下の記事をご覧ください。
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 先日シーズン2最終話が公開された『ザ・ボーイズ』を見ました。いやぁ、最高でしたね。S1もよかったのですが、最後がブッチャーの妻の生存判明で終わるという「S2ありき」の終わり方だったので不完全燃焼感がどうしても出てしまってました。S2は謎を残しつつも一応の区切りがついてみているほうもすっきりです。

 一応書いておきますが、『ザ・ボーイズの裏側』を含めてネタバレありでAトレインがごとく突っ切ります。

「人権派」にご用心?

 S2で注目すべきはやはり、セブンの新メンバーストームフロントでしょう。彼女はSNSを通じてファンと直接つながり、世論に多大な影響を与えるという現代的なヒーローでした。これまでのセブンがヒーローの大御所的なポジションにあったのとは対照的です。

 ストームフロントはクイーンメイブとスターライトと並び、セブンに新しい風を吹き込む女性ヒーローとしても持ち上げられます。旧態依然とした組織に順応する「名誉男性」的なメイブ、そんな組織の体質に反発しつつ完全には反発できずある程度順応するスターライト、そして自分の言いたいことをずけずけというストームフロントという女性陣の構図は、社会進出する女性が辿ってきた歴史の縮図のようでもあります。

 時に過激ともとられる現代的な発言でホームランダーを煽り、ヴォートの風潮を一蹴するストームフロントの態度はフェミニズムとも親和的なものです。事実、S2前半の彼女の振る舞いはそれを意識して書かれたものでしょう。しかし、シーズンの途中でとんでもないことが判明します。彼女は白人至上主義のネオナチだったのです。アジア系(ていうか日系)のキミコの弟を惨殺し、ついでにマンションにいた有色系の家族も殺し、リバティーと名乗って活動していた時もアフリカ系を殺し、Aトレインにも嫌悪を向ける有様です。

 このようなストームフロントの二面性は、そのまま差別問題における人々の態度の二面性を反映しているのではないかと思います。日本においても、ある差別問題に強い関心を持ち活動する人が別の差別問題では驚くべき無知を晒すということがまま見られます。差別というのは人間の認識の深いところに根を下ろし、当人も気づかぬままに大きくなってにっちもさっちもいかなくなることがよくあります。こうなると、あるところで人権の大切さを語りながら別のところで踏みにじるみたいなちぐはぐなことになるわけです。

 『ザ・ボーイズの裏側』で語られているように、本作の撮影はコロナ以前に終わっています。それはBLM(の現在のムーブメント)以前でもあったということです。コロナの流行により欧米諸国ではアジア系が差別にあい、またアメリカではアフリカ系が警官に殺害される事態が「頻発」しています。『野木亜紀子は未来人なのか?『アンナチュラル』総評』で論じたように、優れた作品は社会の問題を正確に射貫くが故、それ自体が一種の予言として機能します。おそらくアメリカでも、コロナとBLMを介して「この人がこんな差別を?」というストームフロント現象が起きていたのではないでしょうか。

ネオじゃないナチとナチアレルギー

 そしてシーズン後半に更なる重大事実が明らかになります。なんと、ストームフロントはネオじゃない方のナチだった!

 よくよく考えるとこれは現代のネオナチに対する結構な皮肉です。ストームフロントの主張は「白人が迫害されている」「白人に対する文化の戦争が起こっている」という、ばりばりネオナチのものでした。しかし、ネオナチたちは自分たちを「人種現実主義」などと言い差別ではないと誤魔化しています。そこへ「ネオナチは実はまんまナチでした」というオチをぶち込むわけですから。

 ところで、ストームフロントがライアンに「奴らが白人を殺しに来る!」と吹き込んでいる横で、変なところでピュアなホームランダーが「え?何言ってんのこいつ?」みたいな顔をするのはお笑いでした。ホームランダーもちょっと引くレベルのナチズム。

 そしてナチとの最終決戦です。Aトレインが流出させた資料でナチだとバレたストームフロントはブチギレてボーイズの面々を襲います。ここで興味深いのは、彼女の言った一言です。「ナチって言葉が嫌い、それだけ」

 これは非常に的を得ています。ここに至るまで、ストームフロントの言動は支持を集めていました。移民に対する排外的な発言も含めてです。そして、第7話ではそんな発言に煽られた若者の1人が移民系らしい店の店員を銃で殺害するところまでいっています。

 にもかかわらず、ストームフロントがナチではないかという疑惑が沸き上がった途端、彼女への評価はひっくり返します。写真が本物なら彼女は90歳近くなので、捏造という可能性を考えるほうが市民目線では妥当性が高いにもかかわらずです。また、ヴォートもこれ幸いとストームフロントを全く庇おうとしません。まぁ、これはヴォート側の思惑ありきなのでしょうけど、にしてもあっさり乗っかりすぎに見えるのはナチ絡みだからでしょうか。

 いうまでもなく、ストームフロントの言動や主義主張はこの前後で一切変化していません。にもかかわらず評価が一変したことを指して「ナチって言葉が嫌い、それだけ」というのは的を得ています。裏を返せば、アメリカ市民は主張の内実を見ず、ただナチという言葉に反応しているだけではないかという製作者の強い嫌味が見て取れるのです。

 結局、ストームフロントは敗北しました。生死は不明ですが、ヴォートがあっさり彼女の印象改善などを諦めたのは世論の声があってのことでしょう。つまりそれは「ナチアレルギー」に端を発するものであり、ストームフロント自身をしっかり否定したわけではありません。

 このような社会が、コンパウンドVやスーパーヴィランの脅威にこれからどう反応するのでしょうか。この「勝ち方」はS3に向けて大きな禍根になると予想しています。

変わった人、変わらない人

 物語を通して人々が変化するのはドラマの醍醐味です。本作で変わった人といえば、やはりまずクイーンメイブが挙げられるでしょう。様々な葛藤がありつつ、彼女はスターライトの活躍に後押しされるようにホームランダーへ宣戦布告しました。これでセブンの勢力図が大きく変わり、敵対する女性陣2人に対峙するホームランダー、一方ブラックノワールは意識不明、ストームフロントは生死不明、Aトレインは復帰するもどうかかわるか、そしてディープは未だ除籍中という格好です。いやシックスになってるじゃん。

 そしてやはり、最終回でのブッチャーの変化も見逃せません。父親とのやり取りや妻と息子の姿を見て翻意し、拒絶していたライアンを受け入れ彼をヴォートではなくCIAに預けます。

 一方、変わらない人たちの筆頭格はセブンから落とされていたAトレインとディープでしょう。かたや死にかけ、かたや友人(クジラ)を失ったり変な宗教にはまったりしていたのに全然懲りている様子もなくセブンへの復帰を目論んで右往左往します。ぶっちゃけ、セブンでしばらく働けば遊んで暮らせるだけのお金は手に入っていそうなのに、どうしてそんなにセブンにいたいんでしょうね。ホームランダーの気まぐれレーザーで焼かれるかもしれないのに。

 ブッチャーとAトレイン、ディープを並べてみると、前者は有害な男らしさを乗り越え、後者は固執しているとも理解できます。ブッチャーの過去は判然としないところも多いのですが、父親とのやり取りを見る限り「男は強くあれ」と思い込む父親に虐待されて育ったようです。そんな彼は有害な男らしさが顔をのぞかせることが多く、それが弱々しくも状況を乗り越えようとするヒューイとの対比になっていました。

 そういう彼にとって、ライアンは「妻が寝取られて出来た子」なわけで、男らしさとしては最悪の存在だったでしょう。そういうところから当初は彼を拒絶していましたが、妻の態度を見て考えを改めるに至りました。最終的には彼を自分の手で育てることはしませんが、自分の中にまずい有害な男らしさがあることを自覚していることが、似た境遇を持つ彼とホームランダーをわかつ点であり、これからの大きなポイントになりそうです。

 『ザ・ボーイズ』はナンセンスでグロテスクな装いの中に社会的な問題をこれでもかと投入することで、大人向けのエンタメとして成功を収めています。本作を反ポリコレとしか理解できないのは、すし屋にきてシャリだけ食べるようなものでしょう。ちゃんと魚も食べてください。ただし、ディープのいないところで。

 刃唯阿(演:井桁弘恵)は、いわゆる敵怪人であるマギアと戦う『A.I.M.S.』の技術顧問であり、作中では実働部隊の隊長に近い立ち位置で動いています。実際の隊長は仮面ライダーバルカンに変身する不破諫(演:岡田龍太郎)なのですが、変身アイテムの管理をしている都合からか、彼の上司的なふるまいをすることが多いです。
 彼女の変身する仮面ライダーバルキリーが特徴的なのは、番組開始前からすでに変身することが明らかになっており、かつ固有のスーツと変身アイテムを使用することです。後者の特徴を持つ女性ライダーは仮面ライダーホッピーなど過去にもいましたが、いずれも番組後半からの登場であり、初期から登場した事例はありませんでした。
 刃唯阿は「前進した女性ヒーロー」足りえるのか-九段新報文化面
 去年の冬にこういう記事を書きました。昨日、『仮面ライダーゼロワン』も最終回を迎えたので、この辺を総括すべきだろうと思い新たに記事を書きました。

 結論から言うと、刃唯阿と仮面ライダーバルキリーは「前進した女性ヒーロー」足りえなかったというのが私の評価です。

地味だった活躍

 なぜ「前進した女性ヒーロー」足りえなかったのか。理由の1つはシンプルに活躍が地味だったところにあります。

 わかりやすいのがフォーム数でしょう。最初期から登場しているライダーであるにもかかわらず、バルキリーには初期フォームのほかに1つしか与えられませんでした。これまでの女性ライダーにフォームチェンジが存在しなかったことを考えれば確かに前進と言えましょう。しかし、2号ライダーのバルカンがランペイジなど特異的なフォームを得、途中参戦の迅にもベルト違いのフォームがあったことを考えれば十分とは言えません。

 また、そもそも変身の機会が途中からあまり与えられなかったのも大きいといえます。中盤の「お仕事五番勝負」ではZAIA社長である天津の秘書的なポジションとなり存在感が薄れていきます。ZAIA退社後もそこまで戦う機会に恵まれたわけではありません。

 このような扱いを考えると、まずライダーとしての前進が不十分であったというべきでしょう。

ジェンダーバイアスを脱しきれない

 刃唯阿がヒーローとして前進しきれなかった大きな要因の1つは、ジェンダーバイアスから脱しきれない描き方にもあったと言えます。

 個々の面を見れば、刃はA.I.M.S.の隊長であったり、女性が伝統的に苦手とされてきた科学技術の専門家であったりと前進した描写も見られます。しかし総体を見ると、これらの進歩を無にするような演出に巻き取られてしまった印象ばかりが残ります。A.I.M.S.では不破の活躍のほうが注目されていましたし、科学技術に関しても作品の都合上それが得意な人が大量に登場し、挙句「衛星ゼアから信号を受けた3Dプリンター」がじゃんじゃかパワーアップアイテムを作成するような環境では全然目立ちませんでした。

 「お仕事五番勝負」における扱いも、天津を敵役として強調する狙いがあるかと思いきや、特にあまり意図がなかったようですし。退職届の下りもギャグとして処理されました。

 このような、刃に対するおざなりとも見える演出は、結局のところ「女性はサブ」という総体的なジェンダーバイアスから東映自身が抜け出せていなかったからでしょう。そのような見方は、刃の描き方だけでなく作中全体を通して見られました。

お仕事描写が雑

 そもそも、『仮面ライダーゼロワン』はAIと並んで仕事を大きなテーマに据えた作品でした。AIが仕事を肩代わりする時代という設定、そして仮面ライダーが社長であるという設定から、子供たちに様々な仕事を紹介する側面のある作品であったと言えましょう。

 しかしながら、その仕事描写は非常に粗末なものであったと評価せざるを得ません。
 本来、ヒューマギアはロボットであることから、外見と能力に必ずしも関連のないものです。つまり、元々男の仕事とされていた職業に女性型のヒューマギアが就いたり、その逆という描写が容易に可能な設定でした。

 にもかかわらず、描かれた職業はほぼ例外なくジェンダーバイアスに忠実でした。医師、弁護士、警備員、配達業者、すし職人、大工、熱血教師、宇宙飛行士、消防士は男性型ヒューマギアが、一方で看護師、花屋、販売員、そして社長秘書は女性という有様です。まだ陸上選手と医師に女性を据えた『魔進戦隊キラメイジャー』のほうが進んでいるといえましょう。

 ジェンダーバイアスに忠実な性別設定にするにしても、その内実でバイアスを乗り越えることも可能なはずでしたが、そのような努力の跡もありません。どころか、消防士が救出対象が美人の女性であることを知って喜ぶといった職業倫理上アウトな表現もしてしまう始末です。これでは女性ヒーロー像を進めるどころの話ではありません。

 このような惨状を見るに、「AIと仕事」というテーマの作品は東映にはそもそも荷の重い仕事だったのかもしれないとも思えます。

ゼロ年代にすら到達していない創作者には無理

 子供向け作品における職業描写を進展させるべきだというのは、もちろん「政治的な正しさ」の上での要請でもあるのですが、『仮面ライダーゼロワン』という作品にとってはそれ以前の、作品全体のクオリティに関する問題でした。

 最終回まで観ましたが、正直言って何がやりたかったのかよくわからない終わり方だという印象です。

 それも当然で、「ジェンダーと職業」というゼロ年代にはすでに語りつくされていたようなテーマすら捉えそこなう創作者に、「AIと職業」という現代の人々の中でもまだ答えの出ていないテーマについて作品を通して語ることは絶対に不可能だからです。

 いわば、掛け算が理解できていないのに二次関数の問題を解こうとしたような無謀が本作にはありました。「AIと職業」という二次関数以前に、「ジェンダーと職業」という掛け算を解けていないために、本作は中心的なテーマを悉く捉えそこないました。

 これは見方を変えれば、東映という創作者集団全体の限界にもかかわってくる問題です。視聴者の人権意識が高まれば、特撮への目線も厳しくなります。また配信サービスで世界中の良作が手元に届く時代に、わざわざジェンダーバイアスを教え込む危険のある作品群を子供に見せたいと思おう親は減っていくでしょう。仮にハリウッドが同じ尺と期間で子供向けヒーロー作品を作ったならば、そういう側面から東映は10年ももたない可能性があります。

 私は特撮が好きですから、だからこそあえてこういうことを書いています。特撮は最低限のアップデートを果たさない限り、「令和ライダー10周年」にたどり着けない危険性があります。子供向けであるという社会的責任に改めて目を向け、視聴者である子供たちのうちマジョリティの男子だけではなく、広く包み込んでエンパワメントする作品でなければこの先、子供向け作品としての発展はないでしょう。

 そうなれば、あとに残るのは昔を懐かしむオタク向けの先細りする商売です。

 ネットフリックスと並行して相変わらずAmazonプライムにも加入しているので、プライムビデオで海外ドラマを見る毎日です。最近は『スーパーガール』を見終わりました。

 公開年の都合なのか、同じドラマ版のDC作品『アロー』や『フラッシュ』よりも配信されているシーズンが少なく、いま見ている『スーパーガール』はシーズン2までしか出ていません。『レジェンド・オブ・トゥモロー』も同様で、たぶん2017年までに公開された作品のみが見放題になるのだと思われます。

 まぁ、見るべきドラマは大量にあるので順次公開のほうがありがたいかもしれませんが。まだネットフリックスのディフェンダーズ系列を全て見れていないので。

 で、『スーパーガール』の話ですが、ここに登場するスーパーガールことカーラ・ダンバースの上司であり、巨大メディア企業キャットコー・メディアの社長であるキャット・グラントが最高だったので全人類観ろとクソデカ主語で訴えるのがこの記事の目的です。

 キャット・グラントとは?
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 この人です。演じるのはキャリスタ・フロックハートですが、パートナーがハリソン・フォードだと知ってビビりました。

 キャット・グラントの人物像は「我儘な女社長」のステレオタイプにかなり当てはまります。写真で謎の青汁や果物を食べていることから察せられるように健康志向が強く、会社の自分専用のエレベーターを用意するほど我も強い、そしてコーヒーの好みから何までいちいちこだわりが強く自分の要求が満たされないと部下を怒鳴り散らしたり首をちらつかせたりするため面倒な上司という認識で全社が一致している有様です。

 しかしながら、一代で巨大企業を作り上げた手腕と眼力は確かなものです。「マスクをしてれば絶対ばれない」がお約束のヒーロードラマにおいて一目見ただけでフラッシュの正体を見破り、ジェームズ・オルセンや後に特異生物対策局DEOで活躍する天才ハッカーのウィンをしっかり手元に置く采配を見せています。まぁ、性格が災いしてその有能な人材に恨まれ、ヴィランになった人に殺されかけることもたまによくあるのですが……。

 スケールが違いすぎるメンター
 そんな彼女は、カーラの上司という立場から彼女のメンターとしても活躍します。特に元々の専門がゴシップ記事であったことから、よく恋愛の相談にのり彼女の悩みを聞き迷いを解消します。一方、彼女も長年会っていなかった息子との交流の仕方をカーラに相談するなど、シーズン1では持ちつ持たれつの関係を築いていきます。

 しかしながら、キャット・グラントはスケールが違いすぎる女です。カーラの「OLにありがちな恋の悩みスケール1」くらいのものに対し、時々とんでもない規模のものをぶつけてきます。出色はシーズン2最後の下りでしょう。恋人と別れなければならず傷つくカーラに対し彼女が言ったのは「私は4回結婚した。5回目になるところだったけど」でした。うん。これを聞いたら1回くらいってなりますよね。4回の結婚歴が全く違和感ないのも彼女の面白さです。

 日本人の視聴者として苦しいのは、彼女が当たり前のように口にする有名人の名前がさっぱりわからないということです。そういうメタネタによってゴシップクイーンとしてのキャラとスケールを立てているのでしょうが……まぁ、私なら日本人の名前で言われてもピンときませんが。

 全てを持っていく力強さ
 さて、そんなキャットですが、残念ながらシーズン2ではほぼ出番がありません。序盤で会社を離れてしまうからです。

 しかしそんなすんなり消えないのがキャット・グラント。最後の2話で堂々帰還します。しかもエアフォース・ワンに乗って。地球侵略をたくらむダクサム星の女王とアメリカ大統領(地味に女性大統領)が言い争い一触即発というときに現れ、「賢い女性なんだから力を競うのやめろ」と啖呵を切ります。しかもダクサム女王のティアラを馬鹿にするおまけつき。まぁそのあと飛行機が撃ち落されて死にかけるわけですが。

 最高なのは、彼女が登場した瞬間に空気感が一気に「いつものキャットコー・メディア」へ変貌するところです。こればかりはシーズン1から順番に見ていないとわからないところでしょう。ただ、声が聞こえただけで作品の雰囲気を自分に引き寄せるパワーを持ったキャラクターであることは事実です。

 そのあとも会社へ戻り、スーパーガールがダムサムの母船へ侵入するための囮として放送を行い啖呵を切るなど最高の活躍をします。放送によって市民を奮い立たせるという役割はシーズン1のスーパーガールや彼女自身ともダブって感慨深いものです。

 『スーパーガール』シーズン2自体は、ダクサムから来た宇宙人モン=エルを中心に移民や難民、戦争やそれに伴う苦境を描いたストーリーになっており見ごたえのあるものです。カーラの姉であるアレックスが「自分がレズビアンだと気づく」という物語まで含まれており、アメリカドラマの懐の深さを感じることができるものなのでぜひおすすめしたいものです。

 まぁそんなことより、全人類とりあえずキャット・グラントを観ろ。

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