九段新報

犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。

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「セクシーな下着は性交する気持ちがあるという事実を推認する」という弁護士の主張

 少女をレイプしたとして罪に問われていた男性の裁判で、少女が着用していた下着が引き合いに出されたのを受け、アイルランドで抗議運動が広がっている。
 裁判中、被告側のエリザベス・オコンネル弁護士は、法廷で17歳の女性の下着を持ち上げて聞いた。
「彼女が何を身につけていたか見てください。前の部分がレースになったTバックを履いていたのです」
 その後、被告である27歳の男性は無罪の判決を受けた。
 オコンネル氏のコメントは、Irish Examinerなどの地元メディアで報道された直後に物議を醸した。ダブリンの強姦救援センター「Dublin Rape Crisis Centre」は発言を受けて法改正を求めている。ただし、Rape Crisisは事件の判決を疑問視しているわけではないとしている。
「『性交渉は同意に基づいていた』というのがレイプに対する弁護のため、レイプにまつわるこの種の通説やステレオタイプは再三訴訟で登場します」と、Rape Crisisの最高責任者を務めるノエリン・ブラックウェルはIrish Independent紙に語っている。
「そのため、被告側が同意があったことを示唆できるようなことはすべて利用されます」
 11月14日、アイルランド中で女性がデモに集まり、訴訟の扱いに抗議した。
 女性たちが下着を掲げて猛抗議 性暴力事件の裁判に怒りの声-Buzz Feed
 この事件に関してです。現在アイルランドをはじめとして巻き起こっている運動の主眼は、裁判で女性の下着が合意の類推に使用されたことに対する不満と反対を主張することです。
 いうまでもなく、下着の種類はセックスの合意を類推するものではありません。よしんばそういう、セクシーな下着をつけることがセックスへの欲求をある程度なり反映していたとしても、それはあくまで下着をつけた時点での思惑であって気が変わった可能性を否定するものではありませんし、いま問題になっている被告との同意であるというわけでももちろんありません。

 裁判ではどのように下着が言及されたか
 この後行われた最終弁論で弁護人のエリザベス・オコンネル氏は、陪審員に対して告訴人の少女が事件当夜着用していた下着に注意を喚起して次のように述べました。これが後々、大問題になりました。

 彼女(被害者の少女)が被告人に惹かれていた、誰でもいいから出会いを求め、関係を持つことにオープンであったという可能性が、提出された証拠によって完全に排除されたでしょうか。事件当時の彼女の服装をよく思い出して下さい。表がレース素材のTバックをはいていたのです。

 これに対して検察は最終弁論で陪審員に対して次のように訴えています。「皆さんは、二人の間で性交が行われたか、二人の間に合意があったかを判断して下さい。お聞きの通り、被害者少女は合意していないと証言し、被告人は少女は合意したと証言しました。皆さんが考慮する主要な論点は、被害者少女が性交に合意したかどうかです。彼女が合意したか否か、この二者択一です。もし彼女が合意しておらず、被告人もそのことを知っていたと皆さんが思われるのでしたら、有罪になります。被害者少女は合意しなかったと明言しています。彼女はこれまで性体験はないと言っています。被告人はたくさんキスをしたと言っていますが、公判でキスをしているの目撃したという証人は一人もいませんでした。」
 この後、男性8名女性4名からなる陪審員は1時間半の協議の後、全員一致で無罪の評決を下したとのことです。様々な手続きの時間を考慮すると、実質的な協議はほとんど行われなかったと思われます。
 さてこの「アイリッシュ・イグザミナー」の記事を読んだ限りでは、少女のはいていた下着が決定的要因となって評決が下されたようには思えません。
 アイルランド 17歳少女レイプ事件無罪判決 「被害者がレースの下着を身につけていた」 アイルランド女性が猛抗議-The Zero Hour
 そもそも、どのような文脈で下着が裁判で言及されたかを確認しておきましょう。今回の事件では多くの性犯罪がそうであるように、合意の有無を決定的に証明する証拠が不足した状態で裁判に至ったようです。
 そういう状況の中で、下着の種類というのは被害者の女性に合意があったことを仄めかす証拠であるかのように扱われました。もっとも、弁護士の言うように被害者が「誰でもいいから出会いを求め、関係を持つことにオープンであった」としても、被告とのセックスに合意していた証拠には全くならないはずで、論理的には崩壊しているのですが。
 無罪判決の決定的な理由は証拠の不十分でしょうが、しかしこの弁護が影響しなかったとも思えません。

 日本も他人事ではない
 さて、このようなある種一般的な論理構造から逸脱するような理屈によって性犯罪を解釈するという司法のありようは、当然日本においても他人事でなく、理解に苦しむ判決というのは往々にして見られます。
 このような判決がみられるのは、言うまでもなく司法にかかわる人々、男性も女性もが性犯罪についてあまりにも知らないためでしょう。そのようなことを示唆するツイートがTLに回ってきました。
 この弁護士氏の主張は、「下着も合意の推認材料になりうる」ということですが、具体的にどのような状況ならそう言えるのかがさっぱりわかりません。ツイートを読む限り、例えば知っている男性とデートの時ならば合意を推認するというらしいのですが、しかし上述のように、いざセックスをしようという時に気が変わってやっぱり嫌だということになる場合も往々にして想定し得るので、やはり下着が推認材料になるというのは無理のある議論でしょう。

 もしかすると司法関係者の界隈では、いったんそれっぽく仄めかした性的な合意は後でどうあっても撤回できない契約書のように思われているのかもしれませんが。
 そういえばかつて、被害者が処女かどうかが証言の信頼性に関係すると主張してはばからなかった元検事もいましたし(『「強姦被害者が処女かどうかは捜査に必要な情報」という主張』参照)、司法では一般社会の常識が通じないのかもしれません。怖いですね。

「母親の遺伝子だけで知能が決まる」は本当か

 昨日コンビニをふらふらしていると週刊現代11月17日号の見出しが目に入りました。そこには「わが子が勉強できないのは母親のせいだった」の文字が。
 記事の内容はまず、平成29年度の学力テストとそこで同時に実施された「保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究」の結果を受けて、父親の学歴よりも母親の学歴のほうが子供の成績に影響すると主張します。そして調査を実施した専門家の「母親のほうが子供といる時間が長いから影響があったのだろう」という解釈を提示します。この解釈自体は妥当なものでしょう。

 しかし記事は、その解釈が本当か疑問を挟みます。そして「知能は母親の遺伝で決まることが分かっている!」という研究を引用するかたちで、見出しの主張が正しいのだといいます。
 ですが、常識的に考えて親の一方の特性ばかりが遺伝して、もう一方がほとんど関係ないということがあり得るのでしょうか。

 元ネタは何か
 さて、まずこの主張がどこからやってきたのかを明らかにしましょう。出典がどこかというのはその主張の妥当性を判断する手がかりになりますから。
 親切なフォロワーに、ライブドアブログでこの「母親だけが知能遺伝に関係する」という主張を否定する記事を教えてもらいました。さらに掘り下げていくと、どうも元ネタが女性自身に2016年に掲載された記事のようです。
《知的能力は父親ではなく、母親から受け継がれる》
 もともとはアメリカのニュースサイト「サイコロジースポット」に掲載されたジェニファー・デルガド氏が書いた記事だが、いまや世界各地で転載されているのだ。デルガド氏の記事は、次のような内容だった。
《……研究結果によると、父親の遺伝子を持つ細胞が蓄積されるのは、気分や本能をつかさどり、飢え、攻撃性や性的衝動を制御する大脳辺縁系。母親の遺伝子を持つ細胞が蓄積されるのは、記憶、思考、音声そして知覚といった認知機能をつかさどる大脳皮質……》
 やや難しいが、子供の知的能力は母親から遺伝し、攻撃性や衝動といった本能は父親から遺伝することが判明した、ということのようだ。知性にまつわる遺伝子は、母親から子に受け継がれたときにのみ機能するのだという。そして記事には、その結論の根拠となる大学の研究などについても書かれていた。
(中略)
 はたしてこの学説について遺伝の専門家たちは、どう考えているのか?同志社大学生命医科学部医生命システム学科の石浦章一教授はこう話す。
「確かに特定の病気については、母親由来の遺伝で発病するものがあります。これは父親由来では発病しないんです。しかし、そういう病気以外で、知能に関して父親の遺伝子がオフになる(伝わらない)という説は、私は聞いたことがありません」
 石浦教授によれば、人間は2万個くらいの遺伝子を持っていて、そのうちの半分の約1万個の遺伝子の組み合わせで頭脳の賢さが決まっているのだそうだ。ほかにも重要なのが子供の脳が形成される幼児期だという。
 驚きの新説「頭の良さは母親からしか遺伝しない」は本当なのか-女性自身
 内容としては、まぁそうだよなという感じです。
 ちなみに石浦氏の言う特定の病気というのは、ダウン症のように1つの遺伝子の異常などを原因とする「一遺伝子疾患」を想定しているのではないかと思います。こういう病気はあまり多くなく、遺伝を原因とする病気の多くは複数の遺伝子の組み合わせからなる「多遺伝子疾患」です。(なので戦時中のファシストのように、精神疾患を根絶しようと患者を虐殺したとしても、原因となる遺伝子それ自体は健常者もいくつか持っているので根絶は無理ということです。)

 ここに書かれた「サイコロジースポット」というサイトは知りませんでしたが、調べてみると元ネタズバリの記事が見つかりました。
 Smart people should thank their mothers because, according to researchers, their mothers are mainly responsible for transmitting intelligence genes. Thus, gender stereotypes that have survived for centuries are perhaps about to disappear. Single women who want an intelligent child don’t need to look for a Nobel Prize at the nearest sperm bank and it is likely that men will begin to see the intelligence of women as an important part of their attraction.
 Did you know that intelligence is inherited from mothers?-Psychology Spot
 調べてみると、どうも特段専門的に信頼できるサイトではなく、単なるブログ程度のもののようです。現にサイトの下部にブログだと書いてありますし。サイトを運営しているジェニファー・デルガドにしても、大学で心理学を専攻したものの、研究者ではないようです。もし研究者なら記事の権威づけのためにそう書くでしょうが、本人のプロフィールにはそのような記述はありませんし。

 ちなみに、この記事に対するファクトチェックとして「Intelligence Is Inherited Only from Your Mother?-Snopes」という記事も見つかったので、以降の参考にします。

 知能は複数の遺伝子の組み合わせで決まる
 そもそも「知能は母親から遺伝する」説というのは大きく分けて2つの前提からなっています。1つは少数の特定の遺伝子によって知能が決まるということ。もう1つはその特定の遺伝子が母親からしか受け継がれないということです。

 まず前者ですが、これは石浦氏の言う通りで誤りでしょう。そもそも様々な人間の特性は大量の遺伝子の組み合わせで決まります。また知能というのも、週刊現代の記事では「お勉強するための能力」くらいに単純に捉えられていますが、本来は多様な能力を総称したものです。一口に知能といっても記憶する能力、抽象的な概念を理解する能力、言葉で説明する能力、空間的な認識をする能力といったものがあります。これは知能検査が様々なテストからなることからもわかるでしょう(っていうかそもそも、知能は「知能検査で測定される能力」という定義なんですが)。

 あるいは、知能を走る能力に置き換えたほうが分かりやすいかもしれません。一口に走るといっても、そのためには地面を強く蹴る能力、足を速く動かす能力、姿勢を維持する能力、はてはゴールまで気を抜かずに動き続ける意志など様々な能力が関係します。そのため、単に「足が速くなる遺伝子」なるものはそもそも想定しえないということになるでしょう。

 「知能は母親から」はどこから来たのか
 知能が少数の遺伝子で決まらない以上、主張の前提となっている後半部「その遺伝子が母親からしか受け継がれない」というのも誤りですが、そもそもこの主張はどこから来たのでしょうか。
 大元になったサイコロジースポットの記事を読む限り、主張の根拠になっているのはラットの脳の発達を規定する遺伝子が母親由来だったという研究と、もう1つ「知能がX染色体に関連する遺伝子で決まる」としていると記事が解釈している研究があるのですが、ファクトチェックによるとどうも誤読のようです。

 そもそも仮に、知能を決定する遺伝子がX染色体に関係するとしても、それがすなわち母親に由来するという話にはならないでしょう。子供が女性の場合、X染色体は両方の親からそれぞれ同じだけ受け取ることになるはずですから。

 結論としては、母親だけが子供の知能の原因になるということはまずありえないということです。おそらく読者層のメインである男性を慰撫するために子供が勉強できない責任を母親に押し付けるような記事になったのでしょう。

 「知能は遺伝によって決まる」は何を意味するのか
 ところで、知能が遺伝によって決まると主張する記事を読むたびに私は違和感を覚えていたのですが、その正体が今回の記事で分かったような気がします。
 例えばかつて、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』の書評をした時にも思ったことなのですが、知能が遺伝で決まるとことさらに強調する人たちというのは、明に暗に「だから努力して勉強しても意味がない」ということを結論に持っています。しかしいくら才能があろうが伸ばさなければ意味がない一方で、才能がなくなって訓練すればある程度は伸びるはずなので当然そんなことはないわけで、この辺の奇妙な悲観主義ともいえる態度がどうして導かれるのか気になっていました。

 そこで今回の記事に出会ったわけですが、この記事は知能の話をするときに「子供が勉強ができる」とか「いい大学に行った行かない」ということを引き合いに出しています。
 もしかすると、こういう人たちは勉強の至上目的を「一流大学に行く」ことに設定していて、それができなければ勉強に意味がないと結論しているのかもしれません。確かに知能がある程度遺伝によって規定され、それによって勉強の最高達成度がある程度決定されるという状況においては、IQ80前後の子供が将来東大へ入学するような確率は極めて低いのは事実です。それを前提として勉強の目的を「一流大学に行く」ことのみと設定すれば、もともと東大に手が届くレベルの知能を持って生まれなかった人が勉強するのは無駄だという結論にもなるかもしれません。

 しかしそういう勉強観はいささか貧弱というか、貧しい見方であると言わざるを得ません。確かにこの学歴社会ではいい大学に行くメリットは計り知れません。しかしそのことは、いい大学を出なければ勉強に価値がないことを意味するわけではありません。
 仮にFランと馬鹿にされるような大学であっても、出るのと出ないのでは年収が変わってくるでしょう。また高校までの勉強と大学からの勉強では質的に違いますし、化けるということもあるでしょう。
 あるいは大学に行かないとしても、数学の基礎や歴史、科学の基本をきちんと知っているかどうかはその後の生活に影響を与えることになるでしょう。極端な話、大学に行かないからと九九も満足に覚えないのであれば日常生活に支障をきたすでしょう。

 「知能が遺伝で決まる」論の強調は、このように勉強の目的を狭く捉える見方に立脚しているのでしょう。しかしよしんば、勉強の最終到達地点が一流大学レベルでなかったとしても、学んでものを知ることには意味があるはずです。

今更ながら、「ラッスンゴレライ」が反日に見えてしまう心理学的理由

 いやはや、私としては軽い冗談として昔のトンデモ話を出したつもりだったのですが、マジモンが引っ掛かりました。ネットは恐ろしいところですね。
 しかし改めて調べてみると、この「ラッスンゴレライ反日説」とでも言うべき言説は意外と手が込んでいます。なぜラッスンゴレライとそのネタを考案した8.6秒バズーカーが「反日」と呼ばれているか調べてみると、以下のようにまとめられます。
・「8.6」は原爆が投下された8月6日を意味する。
・ポーズが広島にある「原爆の子の像」にそっくり。
・ラッスンゴレライはアメリカが爆弾を投下する命令として使う「落寸号令雷」。
・ラッスンゴレライはLess than Gorilla(ゴリラ以下)とも聞こえる。
・キャビア、フォアグラ、トリュフ、スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダーにも意味がある!
 などなど。1つ1つはこじつけ臭くても、これだけたくさんあるとつい信じてしまいそうな量です。よくも集めに集めたりという感じです。ほかにもいろいろありますがとりあえずラッスンゴレライに直に関係しそうなところだけまとめておきました。

 かなり無理やりなこじつけ
 まず、万が一このブログを読んで「やっぱりラッスンゴレライは反日やったんや!」と世界の真実に気付く人が出るという事故を防ぐために、まずこれらの説がでたらめであることを指摘しておきましょう。もっとも後述するように、あまりすっきり否定できない面もあるのですが。
 まあ、8割、9割・・・いや、100人いたら99人がネタだと思ってるこの「落寸号令雷」問題。
 僕は元ネタは、ゲームなんじゃないかと思ってます。
 昔、「落寸号令雷」でグーグル検索すると「雷帝戦の大号令」とか「雷軍神の大号令」というワードが検索候補としてひっかかってきました。
 なんでも「ブレイブフロンティア」というゲームがあって、そのゲームに出てくる技の名前みたいです。
 だから、そのゲームしてる人が「あ・・雷帝戦の大号令って、ラッスンゴレライに音が似てるな」と思って、「落寸号令雷」って漢字を当てたんじゃないですかね?
 それを、8.6秒がたまたま8月6日と数字が合ったんで、「やばい、これやっぱりそうだよ!!」って、みんなネタで言い出したことだと思うんですけどね。
 まあ、この騒動に呆れた人のひとりが「そもそも落寸号令雷なんて言葉ないから」というスレを立てたりもしてるんですが、その後もいろんな検証がされていて、まったく不毛という言葉以外、見つからない感じですが、ついでなんで紹介しておきます。
 落寸号令雷【ラッスンゴレライ】の真相をわりとマジメに考察する-鈴木太郎の思うこと
 まずラッスンゴレライ=落寸号令雷説ですが、そもそも落寸号令雷という言葉が存在しないのではないかという指摘をしている人がいます。そもそもなんでアメリカの命令が日本語やねんという話でもありますが。
 まぁ仮に、落寸号令雷(スンゴライ)とラッスンゴレライでは、赤字にしたところが被っているだけであり、仮に落寸号令雷の訛った言い方だったとしても不自然な変形であることは否めません。これでは「ラッスンゴレライにいくつかの音を足すと落寸号令雷になる。だからこれは反日の暗号だったんだよ!」ΩΩΩ<なっ、なんだってー!の世界です。

 ちなみに、ラッスンゴレライがLess than Gorillaに聞こえるというのは厚切りジェイソンが言い出したことらしいのですが、グーグルに喋らせると普通に「レスザンゴリラ」に聞こえます。アクセントの位置も全然違いますし。ここから派生して、ラッスンゴレライはListen Gorillaであり、これは韓国人が「聞けニホンザル!」と罵倒する言葉なのだという話も出てきますが、日本人を罵倒したいならゴリラではなくモンキーというべきところでしょう。
ラッスンゴレライ仮説集
仮説1→"Razz’ing God Light" 意味: 神の光だ、あざ笑ってやる
仮説2→"Less than gorilla" 意味: ゴリラ以下
仮説 3→"Lusting God laid light " 意味 : ヤハウェは渇望し、裁きの光を下した。 (旧約聖書19章) ちなみにこの言葉は当時の原爆投下の号令と一致。
仮説4→"Lesson gorilla"意味 : 聞け、猿
仮説5→"Lesson go ray of light"意味 : 日本人は学習しろ。原爆の光線を忘れるな!
仮説6→"Listen! go retry!"意味 : 同胞達よ!あの爆撃をもう一度!
仮説7→"Let soon go re light "(8.6 bazooka)意味 : 8月6日の爆撃をすぐにもう一度!
仮説8→"Rat soon go rewrite"意味 : ネズミは、すぐに書き替える。つまり、ネズミ(日本人)は歴史をすぐに捏造する。
仮説9→"Wrath of god led lightning "意味 : 神の怒りにより稲妻は導かれた。
仮説10→"Lesson! go retry!"意味 : エノラゲイが原爆投下をリトライ(エノラゲイは広島に8.6に原爆を投下した爆撃機の名前)
仮説11→"Let soon go relight "意味 : すぐに閃光(衝撃波)が来るぞ。
 落寸号令雷【ラッスンゴレライ】の真相をわりとマジメに考察する-鈴木太郎の思うこと
 なお上で引用したサイトによると、ラッスンゴレライにはほかにもこれだけの仮説があり、とにかく英語に聞こえることだけはよくわかったという感じです。
 キャビア、フォアグラ、トリュフ、スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダー。 
 言い方とか聞いてるとなんか必殺技名っぽいこのセリフ。実は1つ1つに意味があったと言われてる。
 キャビア→→チョウザメの卵→→リトルボーイ
 フォアグラ→→太らせたアヒルの肝臓→→ファットマン
 トリュフ→→きのこ
 スパイダー→→蜘蛛→→雲
 フラッシュ→→閃光→→ピカ
 ローリングサンダー→→轟く雷鳴→→ドン
 8.6秒バズーカーの反日疑惑をまとめ、検証した結果。-TPAI
 キャビア、フォアグラ、トリュフ、スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダーに関しては上にあるような意味があると主張されているのですが、やはり無理があります。キャビアとフォラグラのくだりに関してはよく考えたものだというべきですが、残念ながらマンでもボーイでもないという粗がありますから。あくまで卵と鳥の肝臓だ。

 証拠の採用基準
 このようなトンデモを、なぜ人は信じてしまうのでしょうか。
 ポイントは、証拠を採用する基準は人や状況によって恣意的にいくらでも変化しうるということです。例えば、刑事裁判では「疑わしきは被告人の利益に」という厳しい基準が用いられます。一方で大学が学生に行う処分では「50%を超える程度で確からしい」という優越で構わないという話を『』でしたと思います。
 これらはシステム上要請された基準ですが、それとは別に人は「この程度なら証拠として採用しよう」という基準のようなものがあると考えていいでしょう。ある人はネットに書いてあることをコロッと信じるし、別の人は新聞を複数読まないと簡単には信じないみたいなことです。

 そしてこれらの基準は、話題によっても変化すると考えるべきです。問題はそのことをなかなか自覚できないことなのですが。
 例えば証拠能力を100点満点で評価するとして、普段は60点くらいを基準にしているのに、自分の信じたい主張を裏付ける証拠には40点の基準にして、信じたくない証拠は90点を基準にするということは頻繁に起こります。
 「キャビア、フォアグラ、トリュフ、スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダー」の解釈に関しては、よくできているので40点を与えるとしても、しかし普通に考えれば証拠として採用するにはあまりにも心もとないものでしかありません。しかしこの話題に関して最初から「30点くらいでいいや」と思っていれば問題なく自説を補強する証拠になるのです。
09150412

 ポーズが似ているという話に関しても、手を上に広げるポーズ自体さほど珍しいものではないのでこれを言い出すと結構な人が反日になってしまいます。グリコも反日でしょうか。また向かって右の人のポーズが長崎の平和の像に似ているという話もあるのですが、これは左手を横へ伸ばしている点が共通しているだけで、右手の形は全然違います。これも20点くらいの証拠能力でしょうが、しかし20点でいいと思っている人には立派な証拠です。

 肯定的検証方略と確証バイアス
 さて、心理学には肯定的検証方略だとか確証バイアスという言葉があります。これは要するに「人は仮説を検証しようとすると、その仮説を裏付ける証拠ばかり集めようとする」という傾向のことで、ラッスンゴレライに関してはまさにそれが機能しているというべきでしょう。

 上で、ラッスンゴレライには11もの仮説があるという話をしました。11もあったら1つくらいそれらしく聞こえるもので、信じたい人はそこから1つ都合のいいものを選んで、ほかのそれらしくないものは無視すればいいという使い方できます。本来、1つの言葉がここまで複数の英語を意味することはありえず、これだけ説が乱立すること自体がこの説のいい加減さを示しているのですが、そこは都合よく無視です。

 また確証バイアスには「否定的な証拠を無視する」という特徴もあり、これがラッスンゴレライに対するでたらめを助長しています。
 ラッスンゴレライのこじつけをすべて信じるとしても、それはあくまでネタのごく一部に対するものであり、彼らの言動のうち「反日的なもの」の割合はそうではないものよりもかなり少ないはずです。しかしながら確証バイアスに囚われてあらかじめ「ラッスンゴレライ反日説」を信じ込んだ状態になると、それ以外のものが見えなくなってしまいます。
 「韓国人による凶悪犯が!」と事例を羅列するけど、そのその側にある大量の日本人による犯罪が見えていない、みたいなことです。

 冷静に考えると、こんなくだらないデマに時間を割く必要性があったのが微妙になってくるのですが、改めて調べてみると8.6秒バズーカーはこの騒動でかなり被害を被っているみたいですし、騒動から3年もたってまだマジで信じている人がいることを考えるとやっぱり逐一指摘しておくのは大切なのでしょう。
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家、動画投稿者。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』ニコニコ動画『えーき様の3分犯罪解説』犯罪学ブログ『九段新報』など。TRPGシナリオなどにも手を出す。
E-mailアドレス
kudan9newbridge@gmail.com
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