本書はアメリカで施行され物議をかもした「メーガン法」について、その合憲性と必要性をアメリカ、日本の両方の場合について書かれたものです。本書自体メーガン法が必要だという結論ありきで書かれているので、この1冊でメーガン法について考えるのは著しくバランスを欠くでしょう。また後述するような議論の姿勢そのものの問題もあるので、本書のみを議論の核に据えるのはやめた方がいいかもしれません。もっとも合憲性については、特にアメリカでの判例が非常によくまとめられており資料的価値は高いと思います。
 メーガン法それ自体の必要性についての議論は、別の記事(日本にメーガン法は必要か)で行うとして、今回は本書での議論のあり方について3点指摘しておこうと思います。 

 「事件が起こった」衝撃のまま立法すべきか
 本書にはとあるショッキングな事件が起きたことを「衝撃」と捉え、その影響で立法が議論されるというメーガン法やそれに類似した法律の施行の経緯がよく表れます。
 確かに通常では考えられないと思われる事件が世間に衝撃を与えることは否定できませんし、それがきっかけに議論が始まるというある種後手に回るような議論の形態は、すべての事件事故を予想して対策を立てることは不可能であることを考えればやむを得ないことでしょう。きちんと予想できていたならこのような事件は起こらないと考えられやすいでしょうし。
 しかし事件がきっかけとして機能するのはいいとして、その衝撃のまま立法を急ぐべきではないでしょう。例えばメーガン法であれば、一見性犯罪者の居場所を常に把握するのは防犯に役立つような気がしますが、一方で性犯罪者の社会復帰を妨げる可能性があります。メーガン法の支持者は前科者が受ける不利益より防犯が出来るという利益の方が大きいと信じていますが、そもそもメーガン法に防犯能力があるかは判然としません。捜査をスムーズにすることで連続で犯行を行うことは防げるかもしれませんが、1件目だけはどうしても防げないのが現状ではないかとも思います。
 法律にはこのようにメリットとデメリットが存在します。事件の衝撃のまま立法を行うと、メリットは過大評価されデメリットは過小評価されかねません。最悪の場合信じられていたメリットは全くなく、デメリットばかりあるという状態になりかねません。
 このような法律は今すぐ成立させないと明日何万人も死ぬといったようなものではありません。事件の衝撃が抜けるまで待って十分に議論を重ねる必要があるでしょう。

 防犯の法益は無限か
 本書でよく目にする表現の1つに「(メーガン法は)性犯罪者にとって不利益ではあるが、子供を性犯罪者から守る法益の方が重い」というものがあります。
 確かに防犯の法益は重要で、性犯罪者は自分の意志で犯罪を犯しているのでその責任も考えれば彼らの権利より優先するのは仕方がないかもしれません。
 しかしその法益は前科者の権利を無限に制限するものではないということは留意する必要があるでしょう。人権を制限するにも限度というのもがあります。
 さらに言えば、人権を制限するならその代わりに得られる法益が確かなものだということを立法する側ははっきり示すべきでしょう。「この法益のために制限します」と言っておいてその法益が得られないというのでは意味がありません。

 「なぜ防げなかったのか」という問いに意味があるか
 過去の記事(【佐世保女子高生殺人】「事件は不幸な出来事」という視座)でも指摘したことがあるんですが、こういったショッキングな事件が起こると必ず「なぜこのような事件を防げなかったのか」という問いが湧いて出てきます。当然これからの防犯のためにこのような問いを続けることには一定の意味があるでしょう。
 しかしこの問いにはある問題が含まれています。それは「犯罪は100%防げるはずだ」という傲慢な考えを内包するということです。
 犯罪は100%防ぐことはできません。「法律がある限り犯罪もある」という話ではなくて、犯罪以前に人の行動というのは未だ多くの謎に包まれており、我々には予測や理解のできない動きを見せることが多々あるからです。犯罪を未然に防ぐには、それこそマイノリティ・リポートよろしく未来予知を導入するしかないでしょう。
 私は犯罪は天災に似ていると思います。その理不尽性もありますが、頑張れば被害をおさえることができるが、「100%起こさない」ことは不可能だという点が非常によく似ていると思います。地震は種々の対策により被害を減らすことはできますが、地震そのものをとめることは範馬勇次郎でないかぎり不可能です。犯罪も同様です。
 また犯罪にせよ天災にせよ、その対策にはしばしば人権の制限が伴います。より完璧に対策しようとすればするほどそれは強くなり、行き過ぎれば対策によって得られる利益よりも制約による不利益の方が重いという事態になるでしょう。
 犯罪は不幸な出来事だという視座を持ち、ある程度の犯罪は仕方がないと諦めることも必要であると思います。 

 松井茂記(2007). 性犯罪者から子どもを守る―メーガン法の可能性 中央公論新社