遅きに失した気もするけど気にしない気にしない。
 今回は気鋭の社会心理学者によるレイシズム分析の1冊。なのですが、これが巷に溢れるレイシズム言説の計量的分析を行った貴重な仕事であるとか、今後のレイシズム研究・反差別活動の基本となる1冊であるといった話は新聞等の書評で語りつくされているので、ここでは犯罪心理学ブログらしい視点から切り込んでおきましょう。

 「マズゴミ」で接続する古典的レイシズムと現代的レイシズム
 アメリカにおける黒人を題材とした、従来のレイシズム研究はレイシズムを2つに分けることが出来るとしています。1つは古典的レイシズムと呼ばれるもので、被差別集団を能力的・道徳的に劣っているとするものです。もう1つは現代的レイシズムと呼ばれるもので、これは既に差別は解消されているにもかかわらず、被差別集団が特権を得ているという主張のことです。在日特権に関わるデマがいい例でしょうか。
 黒人へのレイシズム研究においては、表に表すことが社会的に容認されていない古典的レイシズムに取って代わり、相対的に表明が許容されやすい現代的レイシズムが姿を現しているとされていました。一方、著者による研究では、Twitterにおける在日コリアンへのレイシズムには現代的レイシズムと同時に古典的レイシズムも確認されており、古典的レイシズムが鳴りを潜めていない現状が浮き彫りになっています。
 本ブログにおいて再三反論していた「在日コリアンには犯罪者(とりわけ強姦犯)が多い」という主張は、古典的レイシズムに当たります。
 著者はレイシズムに関わるツイートをさらに分析し、古典的レイシズムに関与するツイートの9割が、在日コリアンへの犯罪に言及していることを明らかにしています。古典的レイシズムのツイートとしては、単に在日コリアンが劣っているだとか、韓国が整形大国であることと関連し容姿をあげつらうだとかも考えられるのですが、それらはそれぞれ5%程度しかありませんでした。
 この知見は、犯罪がレイシズムの道具として利用されていることを示唆するものでもあるでしょう。一応、これらのツイートはレイシズムとは関係なしに事実の提示を行っているだけである可能性もありますが、一方で、凶悪犯罪の犯人を在日コリアンだとする根拠・真偽共に不明な情報があふれかえっているのも事実です。
 犯罪性をある集団のスティグマとして利用することは珍しいことではありません。少年犯罪の凶悪化であるとか、高齢者犯罪の増加、オタクに対するバッシングなどはその典型例でしょう。黒人への偏見に関する研究でも、黒人と暴力性を結び付けやすいという結果は得られています。
 ただし、在日コリアンへのレイシズムで特異なのは、抽象的に暴力性を主張するツイートと同じくらいかそれ以上に、具体的な犯罪と在日コリアンを結び付ける言説が目立つということです。
 レイシズムに関連するツイートの階層的クラスター分析では、犯罪に言及する古典的レイシズムのツイート、通名利用に言及する現代的レイシズムのツイート、マスコミへ言及するツイートが1つのまとまりを作っていました。つまり、「在日コリアンの犯罪性に関する信念」→「(にもかかわらず在日コリアンの犯罪に関する報道を見ないことによる)マスコミへの不信感」→「(通名利用によって日本人に成りすましているという不満からの)特権への不満感」という流れが出来ている可能性があるということでもあります。この研究では具体的なメカニズムまで解明はされていませんが、犯罪性・マスコミへの不信・特権があるという信念の3つが互いに作用している可能性は大きいと思います。

 ネトウヨは保守ではない?
 そのほかに興味深い知見として、インターネット利用と関連する保守イデオロギーは右翼的権威主義ではなく社会支配指向であることが挙げられます。
 右翼的権威主義は、支配者や因習に盲従する姿勢や、権威が攻撃するように指示したり権威に背く対象を攻撃する傾向で構成されるものです。社会支配指向は社会を競争の場と捉え、集団を優れているか劣っているかの次元で捉え、格差を是認するイデオロギーです。
 つまり、インターネット上の保守反動は不平等を是認する姿勢と認知的なレイシズムの複合体であり、権威に追従する姿勢ではないと著者は指摘しています。
 このことは安田浩一氏が『ネットと愛国』で、ネット右翼では天皇に関する言葉をほとんどみないとしていたことと一致しますし、鈴木邦夫氏のような古典的な保守主義者の口から度々聞かれる、ネット右翼は保守ではないといった嘆きとも整合するものです。
 このように、みんながなんとなく感じていたことを立証するという研究は、特に研究の蓄積が乏しい分野においては重要な意味を持ちます。本書は、そのような仕事の積み重ねによってできているといえるでしょう。

 今後に繋がる研究を
 本書で著者が述べているように、これらの研究ではまだわからない部分も多く、これからの研究で明らかにされるべきものも少なくありません。
 しかし、1冊の本としてこれらの成果が世に出たことには非常に大きな意味があります。私も自身の研究のために先行研究を参照することがあるのですが、1冊このような本になっているかどうかでこの作業のはかどり具合は大きく異なります。私のようにまだまだ勉強不足で、研究の基礎になる理論も学んでいかねばらない立場の人間ならなおさらです。
 論文では1つ1つの研究はバラバラに存在し、掲載雑誌によっては閲覧が容易ではない場合もあります。また字数制限の都合上、目的の部分や結果の考察に不十分さを感じることも少なくありません。しかし、書籍であれば多くの研究が順序立てて紹介されるために理解もしやすく、考察も豊富です。
 本書の存在は、とりわけ今後レイシズム研究に関わろうとする後進の立場からはありがたく、目標にもなるものです。道しるべとして本書があることで、本邦でのレイシズム研究が発展すればと思います。

 高 史明(2015). レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット 勁草書房