相模原の事件に関して、きっといいたがりなオジサンたちがわかりもしないのにそれっぽいことを言って、しかも喝采を浴びるという地獄が顕現するだろうと予想していたので、それが現実になってニッコリしています。ニッコリっていうか(暗黒微笑)って感じですが。
 そうです。長谷川豊です。前回からの続きです。

 とんでもない差別意識
 一連のテレビ報道を見ていて……大体は素晴らしい中継やリポートをしているのですが、一点だけ気になった点がありました。
 それは、昨日の夜のニュースの中で出てきた
 「これから取り調べが進み、動機の解明が待たれます!」
 というリポート。
 う~ん。まぁ、そのリポート自体を否定するつもりはないのですが、私個人の感想では……この事件って……
 圧倒的な障がい者であるバカが普通の障がい者の方を殺害した事件
 と認識しています。本音ベースで言えば、皆さんもそうなのではないでしょうか?
 そうです。今回の事件、誰が何と言おうと、一番頭がおかしいのは……この容疑者です。このバカが一番狂っているのです。
(中略)
 社会的には「障がい者」とくくられる人たちはいます。
 でも、直接取材などをすると、彼らは「そういう特徴を持った人間」でしかなくて、もちろん、社会的に不利益などが出ないように守られるべきですが、差別対象になる人間ではないのです。我々と同じ、「様々な特徴を持った人間」なのです。
 しかし、今回のバカのように四の五のと屁理屈を述べて、結局頭の完全におかしな連中ってのは、私は「社会の害悪」だと思っています。こういう連中って……別に理解なんてしようとしなくていいと思うのです。だって狂ってんだから。バカなんだから。ほっときゃいいのです。とっとと死刑にするなり、人体実験の対象にするなりすればいいだけだ、というのが私の意見です。
 護送の時の映像を先ほど見ました。笑ってるのね。
 私は「動機の解明」なんて待たないでいいと思っています。税金の無駄使いは辞めて、とっとと殺すべき。飯食わす金がもったいないです。
 【長谷川豊】相模原の一件は「動機」を考察する必要があるのだろうか?
 恐らくというか、恐ろしいことをよくもまあ書けたものだなという感じです。これでは相模原の犯人と同じではないですか。しかも当人はそのことに一切気がついていないというのが余計に恐ろしいですね。
 今回の事件の動機を端的に述べれば、「生きるべきでない人間を殺そうとした」ということに尽きます。つまり、犯人の中には生きるべき人間とそうでない人間を切り分ける発想と、それをするための基準があったというわけです。
 一方、犯人を批判しているように見える長谷川氏も、実際は同じような考え方をしていることが文章からよくわかります。犯人を「圧倒的な障がい者」、被害者を「普通の障がい者」に分け、前者はさっさと殺せと言っています。人を健常者と障碍者に分け後者を殺害した犯人と何が違うのでしょうか。
 今は、氏の基準が犯罪者かそうではないかで分けられているから、まともに見えるのかもしれませんが、実際にはまともではありませんし、そもそも「死ぬべき人間がいる」という発想があるのですから、あとは基準がちょっと動けばテロリストの出来上がりでしょう。私は、氏が前科を持つ者を殺害してまわっていたとしても全く驚きませんし、今までの口ぶりからはそうなってほしいと思っている節はあると断言しても構わないと思います。
 前回の記事で引用した部分では。「ゴミはごみ箱に捨てるべきだ。」 などと言っていたくらいですから。人をゴミ扱いする発想はやはりまともではありません。

 弁明でさらに差別意識を晒す
 私は前回のコラムで相模原の事件を
 「こんなバカ、相手にする必要もないし、動機の解明なんて必要ない!」
 「健常な精神や健常な知能、肉体能力を持たない人間を『障がい者』と表現するのであれば、この容疑者のほうこそが『障がい者』である」と強い口調で非難させていただきました。
 私のコラムは、別のコラムでも同じことを何度も繰り返し書いているのですが……『長谷川豊』という極論を言うバカを題材にして、皆さんで考えてほしかったり皆さんで意見を出し合ってほしいと願っています。
 極論は書きますが、そうでなければ読む楽しさもなければ、腹も立たないし、その題材について考える気がなくなるためです。
(中略)
 しかし、今回の容疑者は、彼らを『障がい者は生きている価値がない』などと差別視していました。私は逆だと思うのです。そんな「人間として最低レベルの優しさや価値観も持っていない、この容疑者こそ『本当の意味での障がい者』=『人間として最低レベルのものも保持していない出来そこない』だ」と、そう思っています。
 コメント欄に、『長谷川は障がい者に対する差別をしている!』と書き込んでいる人がいるようですが、前後の文章を全く読み解けていないのではないでしょうか。私の文章は、かる~く読めるように書いていますが、実は色々と計算したうえで書いています。2回、3回と読んでも、また違った意味合いなどが読み解けるようになるはずです。
 なので、上記したようなコメントに対して「いや、長谷川さんは普通のことしか言ってないだろ」と反論して下さる方もいますね。ありがたい話です。
 【長谷川豊】異論・反論、何でもどうぞ。それこそが「大事」なのです-教えて!goo
 というわけなんですが、ここまで書いて自分の言っていることのやばさに気がつけないなら、終わってます。
 氏は、犯人を「人間として最低レベルの優しさや価値観も持っていない」ことをもって、「人間として最低レベルのものも保持していない出来そこない」だと断じていますが、犯人が何らかの障碍をもって障碍者を「人間として最低レベルのものも保持していない出来そこない」と断じていたことを考えれば、氏と犯人の発想が近しいことがよくわかると思います。
 『長谷川は障がい者に対する差別をしている!』というコメントは、実に的を得ていると言えるでしょう。氏は「かる~く読めるように書いていますが、実は色々と計算したうえで書いています。2回、3回と読んでも、また違った意味合いなどが読み解けるようになるはずです」などと謎の自画自賛をしていますが、普通の文章は違った意味合いで読み解けては不味いのです。日本語のプロであるアナウンサーのくせに文章をまともに書けないことが露呈してしまっていますね。
 ちなみに、これもまた過激な発言を好む炎上芸人にありがちな言い訳なのですが、問題提起することや議論を喚起することは発現の責任を免じるものではありません。
 最低限の倫理観に欠ける発言をしておいて「異論・反論、何でもどうぞ」じゃねぇよと言いたいところですが、そもそも反論というのは書いて字のごとく論にするものですので、氏の論になり切れていない可哀そうな何かに対して行うものは「お説教」とでも表現したほうが実態に沿うと思います。

 gooは当該記事を削除すべき
 サイト側は、確かに「運営」はしていますが、あくまでそれはサーバーを「貸しているに過ぎない」ことは過去のあらゆる判例を照らし合わせても「常識」です。どうか2チャンネル論争や、ヤフーオークションの裁判事例を、ご自身で多少は勉強してください。私のコラムは「私の個人の知見」の提供にすぎません。全ての責任は私が持ちますし、gooの見解でもなんでもありません。
(中略)
 私はこれからも、大人しい文章なんて書く気は全くないですからね?
 テレビでは使われない言葉、使われなくなった表現をあえて「使うべきところで使っていく」文章を記していきます。それらの意味合いであったり、私の考えの背景なども、またいずれ書く日が来るでしょう。
 どうです?
 腹立つでしょ?
 ワタクシ、こうやって堂々と嫌われ者になれる、そんな自分が大好きです♪今後もよろしく。
 【長谷川豊】教えてgooウォッチの編集部に「長谷川の意見を支持してるのか?」だって?-教えて!goo
 この記事からわかることは、氏はあくまでブログを書く感覚gooと関係し、記事を書いているにすぎないことです。gooが長谷川氏に依頼して、一定のスペースを提供したうえで記事を配信しているのか、本当にブログのうちPVの多いものをトップページにあげているだけなのかは不明ですが、どの道記事に対する全責任から免れるわけではありません。これは、氏が大好きなネットの常識ですが。
 はっきり言って、gooは当該記事を速やかに削除すべきです。
 氏の今までばらまいてきた誤った情報に不誠実な記事の数々は、百歩譲って多様な意見の1つとして容認するとしても、今回ばかりは看過すべきではありません。上述のように、氏は犯人と同根の発想である「死ぬべき人間がいる」という意見を流布しています。そしてその表現は、障碍者へのヘイトスピーチと呼べる域に達しています。このような下地こそが、事件の一因であることは論を待ちません。
 あるいは、このような表現は恐らく賛同を得られないかもしれませんが、犯罪者に対するヘイトスピーチと表現してもいいかもしれません。障碍にせよなんにせよ、ある属性を持つ人々に死ねということが看過されないにもかかわらず、犯罪者に対してはそれが許されるというのは論理的に考えておかしな話です。

 とにもかくにも、当該記事を削除することを、それが難しいならばせめてトップページから外すことを、goo編集部は考えるべきです。