「LGBT」という言葉とともに性的少数者の存在は広く知られるようになってきた。一方で差別や偏見も根強く残り、性的指向などを他人が暴露する「アウティング」と呼ばれる行為で深く傷つけられる人々もいる。二〇一五年に一橋大(東京都国立市)のキャンパスで転落死した男子大学院生=当時(25)=もアウティングの被害を受けていた。遺族は大学を訴えており、二十七日に東京地裁の判決を迎える。言葉を凶器としないため、互いに何を理解するべきかを考える。
 男子学生が愛用したチェロが、実家の部屋の納戸にひっそりとしまわれていた。「自分は愛を語れないけれど、今からチェロで演奏します」。大学の集まりで学生はそう言って、自己紹介代わりに英国の作曲家エルガーの「愛の挨拶(あいさつ)」を披露したという。五歳から習い始め、中高ともオーケストラ部で活躍した。愛知県内に住む両親は、チェロを大事そうに出して懐かしんだ。
  一五年八月二十四日、弁護士を目指し一橋大法科大学院で学んでいた学生は、授業中に校舎から転落して亡くなった。二カ月前、告白した男子同級生にゲイ(男性同性愛者)であることを仲間内で暴露され、吐き気や不眠など心身に不調をきたし、心療内科にも通院していた。
(中略)
 学生は当時、クラス替えなどを求めて担当教授や大学のハラスメント相談室に相談し、内容をパソコンに残していた。それを読んだ妹(26)は法廷で「兄は同性愛を苦にはしていなかった。アウティングをされて以降、目がうつろになり、理解を欠いた大学の対応で悪化した」と訴えた。
 <アウティングなき社会へ>(上)同性愛暴露され心に傷 転落死の男子学生「友人関係、苦しい」-東京新聞
 今回はこちらの連載。連載は裁判の判決直前に掲載され、いまは判決が出ていますのでそこにも触れていきましょう。 
 連載は引用した上のほか、セクシャルマイノリティ支援の運動を行っている人へのインタビューと、事件以降に起こった権利擁護の動きを伝えた中『「彼は昔の自分」命守る制度を 退職し活動に専念「社会を変える」』、ほかのアウティング被害者へのインタビューと、カミングアウトの受け止め方を報じた下『善かれと思っても「暴露」 「打ち明けられたら対話を」』からなります。

 もしもカミングアウトされたらどうすべきか
 本人の同意なく性的指向を暴露するアウティングが問題なのは言うまでもありません。しかし一方で、一般的に人間にとって「絶対に行ってはいけない」という秘密が重荷になりがちであることもまた事実です。ではカミングアウトされたらどうすればいいのでしょうか。
 恋愛話は男女間のことというのがまだまだ前提で、つい最近までLGBTなど性的少数者は笑いの定番のネタにもされていた。そんな空気の中では、意図的に傷つけようとするアウティングだけでなく、想定外だった同性愛をカミングアウトされて(打ち明けられて)戸惑い、誰かに話してしまうことも起こりがちだという。
 「打ち明けられたら、まず、信頼して話してくれたことに感謝を示してほしい。恋愛感情を告白されたら、遠慮せずに自分の好みや恋の対象になるかどうかをはっきり伝えていい」。一人で抱えきれない場合は、守秘義務のある専門窓口に相談することもできる。
 記事の下では以上のように指摘しています。カミングアウトされたことが重荷に感じたら、守秘義務のある専門機関への相談がよいでしょう。軽々に暴露してはならないということは、絶対に誰にも言ってはいけないということではありません。

 大学に責任はないのか
 一橋大法科大学院の男子学生=当時(25)=が校舎から転落死したのは、同性愛者であることを同級生が暴露(アウティング)したことに対して大学が適切な対応を取らなかったためだなどとして、両親が大学に約八千五百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は二十七日、「大学が適切な対応を怠ったとは認められない」として請求を棄却した。 (蜘手美鶴)
 訴状によると、男子学生は二〇一五年四月、同級生に恋愛感情を告白した。同級生は六月、無料通信アプリLINE(ライン)のグループに「お前がゲイであることを隠しておくのムリだ」と実名を挙げて投稿。男子学生は精神不安定となって担当教授やハラスメント相談室の相談員らに相談したが、大学はクラス替えなどの対策をせず、同年八月、授業中にパニック発作を起こし転落死したとしている。
 両親は同級生にも損害賠償を求めていたが、一八年一月に和解した。
 判決理由で鈴木正紀裁判長は、大学のセクハラ対策について「講義やガイダンスをしていればアウティングが発生しなかったとはいえない」と指摘した。
 その上で、被害を相談した教授について「クラス替えをしなかったことが安全配慮義務に違反するとはいえない」とし、相談員についても「クラス替えの必要性を教授らに進言する義務はなかった」と認定した。
(中略)
 実際、原告側は「アウティングは性的指向というデリケートな問題に関わり、人間関係を壊すものだ」として大学の対応を問題視していたが、判決はアウティングがなぜ危険なのかやどう対処すべきなのかに言及しなかった。
 司法が明確な警鐘を鳴らさない中、最近ではアウティングを防ぐ取り組みを始める大学もある。筑波大では昨年、LGBT対応のガイドラインにアウティングの項目を新たに加えた。一橋大の地元、東京都国立市も昨年四月、「公表の自由は個人の権利として保障される」とうたった全国初の「アウティング禁止条例」を施行した。
 大学側の責任認めず 一橋大同性愛暴露訴訟 東京地裁、遺族の請求を棄却-東京新聞
 一方、この事件の訴訟の判決はかなり冷淡なものでした。大学はセクシャルマイノリティの人権擁護について、アウティングに関する知識や対応も含めて学生に周知する程度の義務はあったでしょうし、問題が発生した後にクラス替えをするという対応をする余地もあったであろうと思います。今回の判決はアウティングが不法行為であるかどうかの判断すらしていないようですし、弁護士の言うように「表面的」という批判もその通りでしょう。

 「カミングアウトする必要のない社会」って何?
 ところで、この件と関係して少し話を変えますが、前々から気になっていることがありました。それが自民党をはじめとする保守派の人々が唱えている「カミングアウトする必要のない社会」というものです。これはもともと自民党のLGBTの方針から来ており、「セクシャルマイノリティが特別視されなければカミングアウトする必要ないでしょ?」という考え方に基づいています。

 なるほど、確かに最終的には、カミングアウトなんかしなくても気にせず生きていける社会が理想かもしれません。しかしこの考え方は、そもそもなぜカミングアウトを「したくない人」が存在するのかという根本原因を全く理解できていません。カミングアウトできない社会となっている原因を排さないまま「カミングアウトする必要のない社会」を目指せば、それは「カミングアウトさせない社会」になりかねないことを理解していないのです。

 カミングアウトは、相手が軽々にそのことを暴露しないだろうという信頼の元なされています。アウティングはその信頼を裏切る行為であり、記事が指摘するようにその影響は性犯罪のような、知人が加害者となる犯罪に似るでしょう。今回の件は、まさしくセクシャルマイノリティがなぜ「アウティングしたがらないのか」を可視化した事件であるともいえます。