2018年、京都造形芸術大学を運営する学校法人瓜生山学園が開いた公開講座を受講した大原直美さんは、この講座がきっかけで急性ストレス障害を発症したという。大原さんは企画運営に問題があったとして、大学側を提訴した。
 大原さんが挙げたのが、社会人向けの公開講座『人はなぜヌードを描くのか 見たいのか』(受講料2万円)の全5回の講座のうち、2つの講座について。
 ひとつは、3回目に行われた会田誠さんの講座の中で見せられた作品だった。「うまく言えないんですけど…女性に対してひどいものばかりで、AV女優がゴキブリとセックスしている写真を大スクリーンで見せられると、吐き気しかしない」。会田さんは、手足を切断された女の子が首輪をはめられた姿を描いた作品など、議論を呼ぶ作品を数多く生み出している芸術家だ。
 絵画や彫刻などでヌードや着衣の状態でモデルを務める「美術モデル」を職業とする大原さんは、会田さんの言葉に傷ついたといい「会田誠講師がデッサンに来たモデルを『ズリネタにした』と笑いをとっていたのは、プロのモデルに対する冒涜だと思いました」と憤りを顕にした。
(中略)
 これら2回の講座でショックを受けたという大原さんだが、その作品自体については「裁判の焦点として、会田誠さんの作品が芸術かわいせつかという視点ではやらないつもりです。そういう話をはじめてしまうと芸術論になってしまう」としている。大原さんが責任を追及しているのは、2人の芸術家ではなくあくまで大学側の企画・運営。大原さんは3回目の会田さんの講座の後、大学側の窓口に講座の内容がセクハラに当たると訴えたが、対策は取られなかったという。
 大学側は「事前に十分な告知なく、露骨な性的・暴力的描写のある作品画像が呈示された」としてお詫び文を掲載。しかし、大原さんによると大学側からは今後授業への出席や美術モデルとしての出入りをしないよう要請されたほか、京都造形芸術大学の卒業生である大原さんに同窓会にも出ないよう求めてきたということだ。
 大原さんは「被害者が押し込められて終わりというのは、ハラスメント対策としてはあり得ないことだと思う」とし、大学側に慰謝料など約333万円を求めている。一方、大学側は「訴状が届いていないので、コメントできない」としている。
 「講座内容がセクハラで対応不十分」美術モデルが大学提訴、若新雄純氏「会田誠さんは“問い”を投げていた」-ライブドアニュース
 この問題です。

 問題は大学側の不適切な対応
 まず強調しておきたいのは、本件最大の論点は「大学側の対応がおかしい」という部分であるということです。
 セクハラの被害者である女性に対し、今後の授業への出席やイベントへの参加といったかかわりを断つことを求めるというのは、被害者対応としてはあり得ません。ましてや大学側が非を認めている事例に関してこのような対応をするというのは、暗に被害者が厄介ごとを起こしたと言っているようなものです。示談が決裂するのも当然でしょう。
 また大学の対応のまずさは会田氏のこのツイートにも表れています。今後の講座にも影響するであろう重大なクレームがついていたにもかかわらず、当事者である会田氏へなんら説明、報告を行っていなのだとすれば、この点も対応としては問題であるといえます。

 講義に際してどこまで告知すべきか
 さて、本件の主題とは少しずれますが、気になるところだったので「講義に際して学生へどこまで告知すべきか」という点を論じておこうと思います。なにせこれ、犯罪学の講義でも問題になる部分ですから。

 まず本件に関して、指摘されている明らかに不適切な発言(モデルをズリネタにしたなど)を除いても、作品を学生に見せる場合には会田氏あるいは大学が「かなり刺激の強い作品を見せる」ことを事前に警告すべきであったと思います。私は会田氏の作品集を見たことがありますが、かなりどぎつく、性暴力的なものであったことを記憶しています。芸術に関する講座である以上、一般的な裸婦画を掲示する程度のことでいちいち告知する必要があるとは思えませんが(もちろん学生から要望があった場合は対応すべきでしょう)、会田氏の作品レベルのものを提示するのであれば事前の警告は必須だったでしょう。

 犯罪学の講義にてらせば、とりわけ性犯罪の講義ではその話題を扱うことを事前に通告することは必須であると考えます。性犯罪ではなくとも、取り上げる犯罪によって被害を経験した学生がその記憶を想起してしまう恐れがあるので、どのような犯罪を取り扱うか程度の情報はシラバスなどで告知する必要があります。

 さて、こういうことを論じると考えられる反論として「キリがなくなる」というものが挙げられます。かつて書評した『ポルノグラフィ防衛論 アメリカのセクハラ攻撃・ポルノ規制の危険性』でも、講義で性的な図版を提示するときに告知が必要であるという議論を取り上げて、女性の能力を軽視しているからかえって女性蔑視だとかなんとか書いていましたが、その点が的外れであることは当該書評で書きました。

 方針としては極めて単純で、告知した内容が講義の一部、必須ではない部分であれば代わりの課題で出席に変えればいいし、それが講義全体にかかわり必須であるならば単位を出せないのもやむを得ないというだけの話でしょう。例えば犯罪学を学ぶ上で性犯罪についての講義を聴くことは、重要ではあるものの必須ではないので代わりの課題で帰ることができるでしょうが、医学部の解剖実習は避けて通れないので「代わりの課題を」というわけにもいかないと判断できます。
 避けて通れない必須のものであれば、いかにくむべき背景があろうとも単位を出せないと判断することはやむを得ず、非難されるべきものではありません。その主張が妥当であると思うならば、大学側は毅然とそのことを学生に伝えればいいだけの話です。

 芸術は戦場らしいけど
 今回の件に関しても、告知しなかったことや講義内容に正当性があるというのであれば、そのように主張すればいいだけの話です。実際に会田氏は(妥当性があるとは到底思えないけど)そのようにしています。
 問題は上掲ツイートのように、周囲の「芸術家」たちの中に「だってこれが芸術だもん」というレベルの反応しかできな人が、相当数いるらしいということです。自分の思いを芸術作品に込めるのは当然として、それとは別にそのことを言葉で説明すべきなのは社会に対して芸術作品を提示するうえで必要なことでしょう。「思いは作品に込めた。読み取れないなら知らん」は、芸術界隈ではどうかわかりませんが、少なくともこちらには通じません。芸術家の間でしか通じない、作品を介してのコミュニケーションとやらに付き合う義理は全くないのですから。