東京都福生市の公立福生病院で昨年8月、腎臓病の女性=当時(44)=への人工透析治療が中止され、1週間後に死亡した問題で、女性は診療方針を相談するため同病院を訪れた当日、治療中止に同意する書類に署名していたことが10日、関係者への取材で分かった。
 治療中止を検討する条件を示す日本透析医学会の提言は、患者に十分な情報を提供するとともに、患者から情報を収集することを求めている。東京都や学会は、死に直結する同意を得た手順に問題がなかったか調べている。
 関係者によると、女性は当時、腕の血管の分路(シャント)が閉塞し、それまでの方法では透析が困難な状態だった。
(共同)
 人工透析、相談当日に中止同意 死の選択、都が経緯調査-東京新聞
 この件です。
 どうも報道を追う限り、変な医者が暴走して安楽死まがいのことを行ったというわけでもないようです。というのも、
 公立福生病院(東京都福生市)で人工透析治療をしない選択肢を外科医(50)から提示された女性(当時44歳)が死亡した問題で、松山健院長が毎日新聞の取材に応じ、女性のケースについて「透析治療を含め、どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」と話した。
 2月下旬、病院内で応じた。亡くなった女性について松山氏は「いろいろな選択肢を与え、本人が(透析治療の中止を)選んだうえで意思を複数回確認しており、適正な医療だと考えている」と強調。「透析治療を受けない権利を患者に認めるべきだ」とする外科医や腎臓内科医(55)の主張に理解を示した。
 病院は女性が透析治療を中止した際、日本透析医学会のガイドラインで設置が望ましいとされている倫理委員会を開いていない。松山氏は「普通の医療の一環だから、開く必要はなかった」と話す。理由については「(病院全体で)年間200~300人が亡くなる。毎回開くのは非現実的だ」としている。
 一方、病院では2013年4月~17年3月、最初から透析治療をしない「非導入」の選択肢をいずれも終末期ではない患者計149人に示し、20人が死亡した。患者の状態が極めて不良など末期的な容体に限定している日本透析医学会のガイドラインから逸脱しているが、松山氏は「『非導入』の選択肢は必要で、むしろその方が倫理的だ」と主張。「(他の医療機関は)『非導入の選択肢はない』と表向きは言うかもしれないが、実際に患者を診ていたら(非導入が)あり得ることは、医療人の誰もが思っていることだ」と言う。
 終末期医療を巡る現状についても言及した。「たとえば意識がなく、意思表示が全くできない患者がいる。胃ろうや人工呼吸器は生命的には永らえる。医療費もそれなりに発生するが、それを是とするかどうかだ」と指摘。そのうえで「透析治療を含め、どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」と結んだ。【矢澤秀範、斎藤義彦】
 透析中止の病院長に聞く「選択肢は必要。むしろ倫理的だ」-毎日新聞
 などというように医師が所属する病院の院長がこの行為を擁護するかのような主張を取材に答えて述べています。

 「患者が可哀想」とは別種の不気味さ
 この事件を聞いたとき、私はかつて『大口病院事件 「延命されている人に楽しいことなんてない」は相模原事件の犯人と何が違う』でとりあげた看護師の患者殺しを思い出しました。この事件の後、「延命している人に楽しいことなんてない」という擁護じみた反応が出ていました。もちろんこれも独善であり、記事で指摘したように独りよがりな判断であることは間違いありません。しかし「延命は苦しく不幸だ」という強固な思い込みがあれば、そうならないように殺してしまうというのは理屈の上ではさほどずれていません。あくまで最初の前提が自分勝手というだけです。
 公立福生病院の外科医や腎臓内科医との一問一答は次の通り。
――なぜ死ぬ選択肢を提示するのか。
 外科医 腎不全に根治(完治)はない。根治ではない「生」に患者が苦痛を覚える例はある。本来、患者自身が自分の生涯を決定する権利を持っているのに、透析導入について(患者の)同意を取らず、その道(透析)に進むべきだというように(医療界が)動いている。無益で偏った延命措置が取られている。透析をやらない権利を患者に認めるべきだ。
 腎臓内科医 透析を否定しているわけではない。インフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)だ。情報を与え、きちんと同意していただく。
 ――学会や国のガイドラインから外れている。
 腎臓内科医 ガイドラインは「説得をして透析を続けさせよう」という「継続ありき」だ。変わっていかなければならない。
 外科医 (女性)本人の意思確認はできていて、(医療は)適正に行われた。(女性を含めて)透析をしている人は「終末期」だ。治る可能性があるのに努力しないのは問題だが、治らないのが前提。本人が利害をきちんと理解しているなら(透析治療の中止は)医療の一環だ。
 医師から「透析中止」の選択肢 最後まで揺れた女性の胸中 “自己決定”と言えるのか-毎日新聞
 ですが今回の事件は、そのときの反応とはまた様相を異にします。というのも一問一答や院長の弁明にあるように今回の治療停止の要因の中で大きな割合を占めているのが「透析治療は無益」「医療費の無駄」という信念です。

 そもそも、医療システム全体について論じる場合ならいざ知らず、個々の患者の治療にあたる際に医者がいちいち「医療費」のことを考えるものでしょうか。
 本来、医師の責務は目の前の患者の意思を尊重しつつ治療にあたり、患者の幸福にかなうことであるはずです。しかしこの医師が優先したのは患者の意思ではなく「医療費がどうのこうの」という、本来その場では重視されるべきではない「全体的な話」でした。要するに必要もないところで「みんなのために」精神が働いて患者個人の意思を無視し、死に追いやったということでしょう。

 透析患者は殺せの末路
 医師は透析患者を一律に「終末期」と呼称していますが、そもそも透析を単なる時間稼ぎの延命治療であるかのように扱うのが誤っています。またよしんば時間稼ぎの延命治療であったとしても、患者当人が望んでいるのであれば否定されるものではありません。
 すでに多くの人がそう指摘しているように、患者の意思は時に揺れ動きますし、また医療に関する知識も医師よりは少なく、治療が苦しく甲斐のないものであると思い込んでいることもあります。そのような患者の思い込みを解きほぐし、治療へと向かわせる一連のプロセスを「継続ありき」と評するのは認識があまりにも浅いと言わざるを得ません。

 このような独善的な医師の登場は、なにも前触れのないものではありません。『長谷川豊が千葉一区&比例代表で出馬するようなので過去の暴言を蒸し返しておく』で論じたように、かつて長谷川豊が「透析患者は自業自得だから殺せ」と言ったとき批判はもちろんありましたが、しかし大半はスルーしたり、むしろ賛同を示したりしたのではないでしょうか。日本社会が「役に立たない人間に医療は無駄」という考え方がはびこっていることは、この長谷川がまたも維新の会から出馬しようとしていることや、古市寿憲と落合陽一が『文學界』の対談で「終末医療が金がかかって無駄」といったイデオロギー以前にシンプルに事実認識が誤った発言をし、それが無批判に雑誌に掲載され垂れ流されていることからも明らかです。

 人には必ず生きる権利があるのだという人権の考え方に照らし合わせれば、人を積極的に死へ向かわせる政策はとるべきではありませんし、どのような負担があろうとも「生きたい」という意思は否定すべきではありません。きわめて単純な公理なのですが、いまの社会では声高に主張しなければいけないのでしょう。