この件です。
 従来から「正義の暴走」なる言葉の使われ方、ひいてはその概念が意味するところについては違和感を持っていましたが、その違和感の正体を言葉にすることができないままでした。今回上掲ツイートを見て、「あぁそういうことか」と自分の中で腑に落ちるものがありました。

 「正義の暴走」はどのようなときに使われるのか
 正義の暴走はわざわざ「正義」と断っているところからも明らかなように、ただの悪事とは違いことを含意しています。具体的には目的は正しかったが行き過ぎたとか、本質は正しかったがやり方がまずかったというように、ともかくどこかには正しいものがあったんだということを含意しています。ただの殺人を正義の暴走とは言いません。
 そういう意味で、関東大震災時の朝鮮人虐殺を「正義の暴走」と表現することは、虐殺はだめだったが朝鮮人をなんら根拠なく疑い差別することは正しかったというようなことを含意しています。これは「正義の暴走」という言葉の典型的な誤った使い方でしょう(誤っているのに典型的というのもおかしな話だが)。

 「正義の暴走」とどっちもどっち論
 加えて、正義の暴走という言葉は「正義は行為者が善であることを認識しているがために、暴走しやすい」ということをいくぶんか嘲笑的に含意しています。
 しかしそもそも「正義」は暴走するものでしょうか。というか、暴走するようなものはそもそも正義でも何でもないでしょう。『「正義の暴走」なんて存在しない』でも論じましたが、「正義」という枠組みで語られる以上「してはいけない上限」は確固として存在していて、そこを踏み違えれば「暴走」というよりそもそも正義ではないのではないでしょうか。

 「正義の暴走」がもう1つ、嘲笑的に含意しているのは「正義なんてしょせん相対的さ、絶対的な正義なんてないさ」というもっともらしいようでいて単に薄っぺらい価値観です。
 しかし、絶対的かどうかはさておくにしても、現代社会で最上位に位置付けるべき価値観は確固として存在しています。それは「人権」です。中学校で習ったはずです。

 その主義主張や言動が人権に沿っているかどうかを考えれば、どちらが正しいのかは自ずとわかるはずです。微妙な場合もあるでしょうけど。

 人権というグランドセオリーなき人々
 しかし「人権を最上位に位置付けるべき」という、きわめて常識的で穏当なグランドセオリーはこの社会ではなかなか共有されていないのが事実でもあります。
 例えば『京都のヘイトデモカウンターへ行ってきた #0309nohate京都』で論じたカウンターに関して、京都新聞は以上のように報じていました。
 レイシストが「在日排斥を訴える」とまで正確に書いているにもかかわらず、彼らとカウンターとのやり取りは「衝突」というように両者がどっこいどっこいで、かつ両方ともよろしくない立場であるかのような表現を使っています。正確を期するなら「排外デモを市民が止めようとした」とかになるはずでしょう。
 また記事のツイートにこういういちゃもんもついていたのですが(事実ではないことは当該記事で指摘済み)、よしんば朝鮮学校が教育上・歴史上の都合から公園を占拠していた事実が「不法」にあたるのだとしても、それが朝鮮学校への襲撃という行動ととても釣り合うものではないことは「人権」を軸に考えれば明らかであるはずです。

 しかし実際には、こんな些細な非でも見つけ出せば即座に、重大な人権侵害とバランスをとる錘であるかのように扱われるのがいまの日本社会です。これは人々が物事を「人権」というグランドセオリーを軸に考えられていないことの証左です。

 「正義」と何かを取り違えていないか
 加えて、この前ちらほらと過去の記事を読み直して思い出したことがあるのですが、「正義の暴走」という言葉を好んで使う層は、そもそも「正義」の定義をかなり大雑把にとらえているのではなかろうかと思います。
 というのも、「正義の暴走」という言葉を上で論じたように「一部に正しいものがある」という意味ではなく、「あいつらは正しいと思ってやっていること」という程度の意味で使っていると思しき反応も散見されるからです。

 しかし正義かどうかは、その人が正しいと思っているかどうかとは関係がありません。例えばライフスペースという新興宗教団体は死人が生き返るという考え方が「正しい」と認識していましたが、それを「正義」と呼称することに肯定する人はあまりいないでしょう。
 『オタクが「ポリコレ」を理解する前にわかっておくべき前提』では「言葉はもっと厳密に使おう」と論じていますが、ここでも同じ問題が出ています。言葉は第一に意思疎通のツールであり、同じ単語に対する互いの認識が異なれば支障をきたします。

 ともあれ、「正義の暴走」を気にする前に「不正義の蔓延」を気にするべき現状なのは間違いありません。この日本で今現在「正義の暴走」を警戒するのは、真夏に凍死を心配するようなものでしょう。