テクノユニット「電気グルーヴ」メンバーで、俳優のピエール瀧こと瀧正則容疑者(51)が、麻薬取締法違反(使用)の疑いで逮捕されてから一夜明けた13日、各所に波紋が広がった。同ユニットの公演中止をはじめ、ドラマや映画、CMなど出演作品は画像を削除するなど対応に追われた。活動はオールジャンルに及んでおり影響の大きさは計り知れず、損害賠償請求額はトータルで10億円超えの可能性も出てきた。
 ピエール瀧容疑者解雇の可能性も 違約金10億円超-日刊スポーツ
 この件です。
 芸能人が何らかの犯罪で逮捕されると、急げとばかりに出演作品を回収してしまう現象は先日の新井浩文逮捕でも見られました。
 俳優・新井浩文の逮捕・起訴を受けて、第9話にゲスト出演していた人気ドラマ「今日から俺は!!」(2018年10月~12月、日本テレビ系)の該当部分を撮り直し、差し替える対応を行うことが明らかになった。
 「今日から俺は!!」新井浩文の出演シーン撮り直し 安堵の声も-シネマトゥデイ
 しかし、このような対応は本当に必要なのでしょうか。

 犯罪者がテレビ出演することの意味
 そのことを考えるには、そもそも犯罪を犯した芸能人がテレビへ出演することがどのような意味を持つか考える必要があります。

 『山根明をバラエティ番組に出演させる愚』でも論じたことですが、このような芸能人を出演させることは、言外にその人の犯した犯罪が「大したことがない」というメッセージを送ることに繋がりかねません。法律を犯しているにもかかわらず、何事もなかったかのように扱えば当然そういう解釈になるでしょう。
 しかし一方で、我々は大抵の犯罪について、仮にそれを行った芸能人がテレビに出ていたとしても「大したことがない」とまで軽く捉えず、それはそれとしてその人の行為に問題があるときちんと認識できるのも事実です。
 そのため、犯罪を犯した芸能人を処遇するときには、その犯罪の内容とともに、その犯罪が社会でどのように見なされているかを考慮して考える必要があります。

 薬物犯罪と性犯罪
 ピエール瀧は薬物の使用で逮捕されました。新井浩文の容疑は強制性交罪でした。推定無罪とはいえ、逮捕を受ければテレビなどで積極的に取り上げることは避けなければならないのは事実でしょう(そもそも逮捕されれば出演できないわけですけど)。問題は「積極的に取り上げない」の程度がどこまでかということです。

 薬物の使用に関しては、世間一般でそこまで軽視されている犯罪ではありません。むしろ報道を見る限り、依存症は治療可能な病気であるという視点に欠けており、誤った厳しい視線が向けられているとも言えます。故に、ピエール瀧が出演したドラマのシーンなどに関しては、テロップで対処するという程度の処置で十分であろうと思われます。
 一方、性犯罪に関してはまだまだ理解に乏しく、被害が軽くみられることも多い犯罪です。故に薬物犯罪よりも厳しく対処し、放送予定のシーンのカットや取り直しといった処置もやむを得ないといえるでしょう。

 ですが、すでに発売されたCDやDVDの回収、配信されているコンテンツの取り下げといった処置は明らかに必要ありません。テレビのように不特定多数に流されるものと違って、これらのコンテンツは消費者が望んで自ら手にするものです。故に、犯罪者を出演させたからと言ってその行為を軽視するメッセージを発する要素は薄くなるはずです。
 またそもそも「現在」ピックアップして放送するテレビと、「過去」に作られたコンテンツを提供するこれらのものでは、芸能人が出演することの意味も異なります。テレビでわざわざ取り上げることは犯罪の軽視につながるやもしれませんが、DVDに映っていた程度ではそのようなメッセージにはならないでしょう。
名越 よく「自由なゲームですよね」と言っていただくんですが、本当はできないことのほうが多い。
武田 不自由をデザインすることで、自由を感じられるようになる、ということですか?
名越 そのとおりです。また、作品性を守るための不自由、というのもあります。たとえば『龍が如く』は、自分から人を殴ることは絶対にできない仕様になっているんですよ。相手に絡まれないと、ケンカは始まらない。だから、暴力ゲームと言われるのはいささか心外なんですよね。
 また、子どもが死ぬシーンと薬物が出てくるシーンも絶対に使わない。これは『龍が如く』というゲームの作品性を守るためには、譲れない部分です。いま、7作目の公開を控えていますが、シリーズを通して一度も許したことはないです。
 すべてが自由だと、強いメッセージを保ったゲームではなくなってしまうんです。クリエーターによって考え方はいろいろあるかもしれませんが、ゲームというのはプレイヤーに決められた設定、役割、そしてルールがあって初めて成り立つものだと私は信じています。
 【名越稔洋氏×武田隆氏対談】(後編)『龍が如く』誕生秘話 “不自由さ”を残したことで生まれた大ヒットゲーム-ダイアモンドオンライン
 もちろん、作品のポリシーによってはこの限りではないでしょうが。例えば薬物の危険性を訴える作品に薬物使用で捕まった芸能人が出演していれば、シャレになりません。

 なぜテレビは過剰な自粛に走るのか
 ではなぜ、テレビなどは時に不必要な自粛に走るのでしょうか。
 それはメディアが表現において、それを下支えする理屈を持っていないからです。
 こういう理由でこの作品を放送する。こういう理由があればそのまま放送するのはまずいから、この場合はシーンをカットするけど、この場合はテロップで注釈してそのまま流す、というように、その行為に明確な理論が伴っていれば、仮にそのことでクレームがついたとしても、その理論を主張することでクレームを突っぱねることができます。むろん、どこまでの処置が適切かは明確な基準がなく、故にどのような処置をしてもクレームはつくのですが、そういう問題であるがゆえにむしろ、その表現を下支えする理論は重要です。

 しかしいまのメディアには、そのような理論が不足しています。そのため、視聴者の反応をうかがいながら「クレーム回避」という一点だけで反応せざるを得ないのです。

 対照的だったのが、先ほどもちらりと取り上げたボクシング協会元会長の山根明氏の出演です。これは引用した記事で批判した通り、パワハラが大した問題ではないかのようなメッセージを送りかねない問題ある行為ですが、テレビは年末年始にこぞって彼を出演させました。
 犯罪者の出演へ過剰なまでに反応するテレビが、一方でこのような愚行を演じたのも、やはりクレームがつくかどうかだけを気にする体質ゆえでしょう。当時の世論はこの問題を、パワハラというよりは山根氏の面白い性格を楽しむエンタメくらいにしか考えておらず、故にその認識に迎合するような演出であればクレームがつかないと制作側が考えたのでしょう。それがどのようなメッセージを発することになるか考えもせず。

 メディアやマスコミも表現者である以上、その背景には表現を支える理論が必要なはずです。