今回は『月刊創』4月号に掲載された、『DAYS JAPAN』の元発行人である広河氏の手記です。ちょっとタイミング的に遅くなってしまいましたが。
 なお、広河氏の問題についてはすでに『著名カメラマン広河隆一氏のセクハラ(性犯罪)について』『「人権とかどうでもいいけどたまたま向いている方向がそっちだった」という人に対して我々は何ができるのか』『「広河隆一の性犯罪を批判する左派がいない」ことにしたい層がいるっぽいので、とりあえず否定しておく』でも書いています。

 もはや同意の問題ではない
 まず目立ったのは、被害を訴え出た女性との性行為に同意があったこと、そして性行為にまで及んだのが被害者7名中2名であったことを主張して自身の加害のディスカウントを図ろうとしていることです。意図的であれそうでないのであれ、このような記述は本当に自身の行為が性暴力であったことを認識しているのか疑問を抱かせます。
 そもそも、性行為へ及んだのが2名だからと言って氏の罪が軽くなるわけではありません。もちろん被害が大きくなれば罪も重くなるわけですが、この問題に関しては1人の被害者が出た時点で加害者への評価は決しているので、その逆はあり得ません。

 特に問題なのは、自身の性行為に関して『「相手が合意し、明確な拒否がないけれど、心の底では嫌がっているかもしれない」と推し量る気持ちがなかったことは確か』などと、あくまで合意があったという前提で記述している点です。確かに広河氏の視点からは、合意はあったけど本当は嫌がっていたという風に映るでしょうが、しかし性暴力被害者の視点に立てば、それはそもそも合意ではないはずです。であればせめて「合意していないのに合意したと誤認した」と書くべきであって、合意があったという点になおも固執する姿勢からは氏の性暴力への理解の薄さが透けて見えます。

 加えて、この書き方ではまるで広河氏がその無神経さゆえに性暴力を働いたかのように読めますが、文春の記事によれば事実は異なります。
 「週刊文春」(1月3・10日号)でライターの田村栄治氏が報じた世界的フォトジャーナリスト・広河隆一氏(75)の性暴力告発記事。それを読んだ首都圏のある主婦から、新たな告発が寄せられた。
(中略)
 ほどなく、広河氏から海外取材に同行してほしいと言われたが、現地のホテルに行くと、部屋は一つしか用意されていなかった。
 そこで、広河氏にこう言われたという。
 「取材先の男性スタッフたちが、君を貸してほしいと言っている。僕らの滞在中、彼らは君を借りてセックスしたいそうだ。彼らにとって君は外国人だからね。君はどうするか。彼らとセックスするか。それとも僕と一つになるか。どっちか」
 そこからの2週間は悪夢のような日々だった。翔子さんは「2週間、毎晩レイプされた。逃げたくても、知らない国で誰にも助けを求められず、彼の言うことを聞くしかなかった」と振り返る。
 こうした証言を、広河氏はどう受け止めるのか。電話やメールで再三取材を申し入れ、代理人の弁護士を通じても催促したうえで6日間待ったが、氏からの回答はなかった。
 広河隆一氏に「2週間毎晩襲われた」新たな女性が性被害を告発-文春オンライン
 広河氏は意図的に、同意しなければならないような状況に被害者を追い込んでいます。それとも、このような言動も氏の無神経さゆえでしょうか。無神経さが相手を脅迫するレベルに達しているのであれば、危険すぎて社会生活はとてもではありませんが営めません。
 少なくとも文春が報じたような被害は、同意の有無を誤認したなどというものではありません。しかしこの手記では、広河氏はこの疑惑をなかったかのように扱っています。

 今更そのレベルかよ
 手記によれば、氏は報道のあと様々なセクハラ問題に関する書籍を読み、性暴力について学んだそうです。その中には、本ブログで書評をした『部長、その恋愛はセクハラです!』や『壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか』も含まれていました。
 これが普通の中年男性でも、このご時世にずいぶん遅れているなという印象ですが、しかし氏は「普通の中年男性」ではありません。何十年も性暴力について報じてきたジャーナリストです。その報道実践を通して、氏は実際のところ新書一冊分の知識もまともに身に着けていなかったのです。いったい今まで何を目にして、何を報じてきたんだという気分になります。

 そして何冊も本を読み、『壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか』のような名著を読んでもなお氏の「勘違い」は止められないようです。氏は女性に直接謝罪したいと考え、『私が向き合わなければならないのは、そこで紹介されている一人ひとりの女性なのだと』というように書いていますが、勘違いも甚だしい。氏が本当に向き合うべきなのは、何十年も性暴力を取材してきたのにそれが自身の生き方にはなんら影響しなかった、そして報道があってもその本質に変わりがないという自分自身のありようです。
 幸い、氏に助言している弁護士2名がかなりまっとうに、謝罪することはストップさせたようですが。

 この手記に意義はあるか
 さて、この手記は実は4月号で終わりではありません。5月号に続くようです。4月号掲載分だけですでに広河氏の無見識が十全に露呈しており、これ以上公開する意味があるようには思えません。

 そうはいっても、私はこうした性暴力加害者の書いたものを公開することには一定の意味があるとは思っています。というのも、加害者の内面を知ることは、なぜこの問題が起こったのかということを考察するのに役立つからです。実際、この手記も「あぁいまだこの認識なら性暴力もしますわ」ということを理解させてくれました。

 しかしこのような手記は、あくまで加害者の原因を探るためのものであり、加害者に好き勝手に放言させるものではないというバランス感覚で掲載されるものです。手記が被害者への中傷になっていれば掲載を控えるべきでしょうし、被害者の主張と大きく食い違えばその旨を編集部が注釈しておくべきです。なおかつ、被害者の視点に立った記事を同時に掲載するなどして、加害者の言い分ばかりが報道されないようにもすべきです。

 しかし『月刊創』はこの手記の掲載に関して、これらの配慮を欠いていたといわざるを得ません。その結果、上で指摘したように文春報道を無視した都合のいいピックアップを加害者に許していますし、挙句編集長は以下のように、
 月刊『創』は世の中でバッシングされている人たちの手記を載せることが多い。別に弁護するということではなく、世論が一色になっている時に違った声や異論に目を向け、考えるための素材にしてほしいと思うからだ。「敢えて火中の栗を拾う」のも時として必要と考えている。特に何かの事件について議論する時に当事者の生の声を聞くことは必要だ。
 7日発売の『創』4月号に『DAYS JAPAN』元編集長兼発行人の広河隆一さんの手記を載せたのもその一例かもしれない。何せ、女性の敵どころか、人類の敵といった言われ方で袋叩きにあっている最中だ。事件後、まとまった形で本人が発言するのは初めてだし、弁護士も最初、逆に炎上してしまうことを心配したようだ。私も本人から相談を受けた時は、その影響についてちょっと考えた。でも編集者としてやるべき仕事と考えて、『創』の誌面をさくことにした。
 「性暴力」で激しい告発を受けた『DAYS JAPAN』広河隆一さんの手記の中身-ヤフーニュース
 まるで広河氏への批判が「バッシング」(=不当な非難)であったかのように書いています。もちろん実態は違うわけで、編集長の篠田氏にはこの区別がついていないのではないかと疑わせられます。

 そもそも「特に何かの事件について議論する時に当事者の生の声を聞くことは必要だ」というのであれば、加害者側だけの手記を掲載する姿勢は矛盾があります。
 性暴力問題が生じたとき、被害女性側ではなく、加害男性側の主張こそ何か深遠な社会の本質を貫くようなことを述べているかのように扱う風潮はやめにしなければなりません。実際のところ、手記で露呈したように、ただの不勉強時代錯誤おじさんなだけなのですから。