今回は近年出版された、進化心理学の入門書です。著者は2名とも社会学者であり、社会学に進化心理学の観点を導入したパイオニアとして知られているようです。

 私がこの本を手に取ったのは、『東大教授がまたセクシャルマイノリティについて適当なことを書いた』で論じたように常々進化心理学の妥当性に疑問を抱いていたからです。今までにも進化心理学の著書はいくつか(『人が人を殺すとき 進化でその謎をとく』など)読みましたが、限られた分野のものであって全般的な知見を網羅したものではありませんでした。

 進化心理学は多くの前提を置いていますが、実際にはその前提が正しいということそれ自体は照明できていません。そういうわけで、入門書としての立場を押し出している本書を読めば、その疑問が氷解するのではないかと期待していました。

 そして読んでみると、確かに疑問は解決しました。そして、進化心理学はやはり疑似科学の域を出ないものであるという確信を強くしました。
 今回は書評記事ですが特別版ということで、上下編構成にしています。まず上では進化心理学がなぜ疑似科学なのかを論証し、下で犯罪に関連した個々の知見の妥当性を検討します。

 進化心理学の前提
 さて、進化心理学はいくつかの前提を置いているといいました。その前提について本書の内容をまとめると、以下のようになります。

・人間の本能は1万年前から変わっていない
・人は自分の遺伝子をできるだけ残すように動く
・人は遺伝子を残すための選択を「合理的に」する

 実際には最初の1つのみが明言されており、残りの2つは本書の内容に一貫して表れているというところなのですが、前提としていることには間違いないようです。しかしながら、この前提は満足に論証されていません。

 人間の本能は1万年前から変わっていない?
 唯一、明言されているこの前提は、以下のように説明されています。
 人間の体が進化によって変化するには数万年かかることがすでに分かっている。これは脳についても同じであろう。ゆえに、人の考え方もまた1万年前と変わりがないはずだ。

 しかしながら、仮に我々の脳の形状が1万年前と変わりなかったとしても、無意識の考え方もまた同じであるという証拠はどこにもありません。というか、どうやっても証明できないでしょう。1万年前の人々に調査できるわけもないですし。

 ですが一方で、1万年も経てば人の考え方が変わるという傍証はあります。心理学にはコホート効果という言葉があります。これは調査などで、回答者の世代が変わると結果が変わるような効果です。調査の回答の傾向は、その世代の特徴を反映することがあり、例えば大震災があった年代は地震に備える傾向があるけどそのあとの年代はそうじゃないみたいな結果が得られることがあります。
 一世代レベルでも人の考え方は変わることがあり、それが安定的な変化でないとしても、少なくとも人の考え方が1万年安定して不変であるという前提に疑義を挟むには充分であるといえるでしょう。

 人は自分の遺伝子をできるだけ残すように動く
 この前提については、果たして本当かという疑問があり、そしてやはり証明できるものではありません。まぁ、進化生物学では大前提のようですし、人間は動物と同じであるという本書のとる前提を信じ、これ自体は妥当であると仮定したとしても、重大な問題が残ります。

 それは、「自分の遺伝子をできるだけ残す」ためにどのように動くのかという、基本方針のようなものが知見によってばらばらになっているということです。
 たいていの場合、男性は子種を最大限ばらまいて子供の数を増やすことで、遺伝子が残る確率をあげようとするものであると説明されます。いつまでも男性が若い女性と不倫することなどはこの理屈で説明されています。

 しかし一方で、子供の数はほどほどにして、子育てにリソースをつぎ込むことでその子供が成長する確率をあげるという方法も考えられます。本書では、赤ちゃんが父親にと考えられる傾向にあることあげ、これは父親が子供が確かに自分の子であり、子供を捨てないようにする効果があると指摘していますが、この説明は裏を返せば、父親も一定程度子育てにリソースをつぎ込むことを前提としています。

 問題なのは、この2つの方略が、女性を獲得するリソースと子育てのリソースが競合するために両立しないという点です。子供を際限なく作ることが合理的なのであれば、子育てにリソースを割く男性はいないでしょう。一方、ある程度の人数に子育てのリソースを割くほうが妥当なのであれば、男はわざわざ若い女に粉をかける必要はないはずです。

 こう主張すると、「だいたいちょうどいい均衡点でその2つの戦略が釣り合うのだ」という反論が予想されます。それ自体は正しいかもしれません。しかし、それは相反するはずの2つの説明を、減少に合わせて都合よく選び取れるということでもあります。これではどちらに転んでも進化心理学の理論が正しいことになり、反証可能性がなくなります。

 そういうわけで、人は自分の遺伝子をできるだけ残すように動くという前提は、仮にそれが正しかったとしても重大な問題をはらんでいます。

 人は遺伝子を残すための選択を「合理的に」する
 最後の前提は明言されていませんが、この前提は正しくないと進化心理学の理屈がすべて意味のないものになってしまうので、はっきりとは明言しなくとも進化心理学者はこれを自明のものとして扱っています。

 例えば、進化心理学では若い女性の特徴になぜ魅力を感じるのかを、総じて「出産能力の高い女性を配偶者にするため」であると説明します。つまり、男性は女性の身体特徴から、出産能力の高さを合理的に推論できることが前提となっています。あるいは、女性の好みのうち出産能力の高さと結びつくものが残りやすかったということでもあるかもしれませんが、どちらにせよ以降の議論にあまり違いはありません。

 しかしその前提に反して、人の合理性には限界があることは、近年の社会心理学や行動経済学の研究から明らかです。つまり、男性は女性の特徴を見ても、必ずしも合理的に出産能力を推測できていない可能性はそれなりにあります。

 そのことを示す傍証もあります。例えば、進化心理学は若い女性を求めることが合理的であることを説明しますが、それは常に正しいとは限りません。若すぎれば出産のリスクはかえって上がり、子供がきちんと生まれない可能性があります。
 また、子供を産むということに関しては、若い女性よりもむしろすでに一度子供を産んだことのある女性のほうが可能性が高いと考えるほうが合理的でしょう。男性が既婚女性を好むことは、例えばポルノ市場において「人妻もの」が安定して人気であることからもうかがえます。まぁ、それは日本だけかもしれませんが、海外にも『チャタレイ夫人の恋人』とかあるので共通するものはあるかもしれません。
 少なくとも、男性に共通してみられる女性の好みが、子孫を残す面で必ずしも合理的とは限らないことは確かです。

 また、仮に出産能力の高さに関連しない特徴であっても、何らかの外的要因によってそれを好む男性が増えれば、その特徴を持つ女性の子供もまた増えるわけで、仮に出産能力がある程度低かったとしても、マスが増えたおかげでその特徴が次世代に伝わるということは十分起こりえます。そしてそのようなことが起これば、本来出産能力の高さと関係のない特徴が、関係あると誤って考えられ、それを好む特徴が安定してみられるようになるという可能性も十分あります。

 つまり、「遺伝子が残りやすいわけではないがなんかたまたま受け継がれちゃった」可能性を、進化心理学の理論では排除することができません。これもまた、進化心理学が反証可能性がないといわれるゆえんです。

 まぁ、そもそも著者は反証可能性の意味、ないしは批判されている要点を理解できていない可能性があるのですが、それは次回詳しくということで。

 「標準社会科学」という藁人形
 さて、著者は進化心理学が従来の社会科学とは違う前提に立って、人間の特徴を論証していると強調します。そして従来の社会科学を「標準社会科学」と呼び、それが『人間の本性は何も書かれていない書字版である』とか『人間の行動はほぼすべて環境と社会化によって形成される』と主張しています。

 しかしながら、少なくとも著者によって標準社会科学として扱われている心理学においては、このような前提は全く置かれていません。
 例えば、発達心理学の一分野では、生まれたばかりの赤ん坊を集めてきて、あれができるとかこれができないといった研究をするものがあります。また脳科学との関連で、特定の精神疾患に生得的な原因があることもわかっています。このような研究は、著者の主張する前提があればまず登場しない研究でしょう。
 第一、進化心理学の知見として紹介しているもののうち、赤ちゃんの社会性に関する研究はこのような心理学から生まれたものであるはずです。

 しかし著者は、標準社会科学を敵とみなし、我々進化心理学でなければわからないことがあるかのように論じます。この「真実を知っている我々と無知な奴ら」という構造こそが、優越感を得たい一定の層に受けがいいのでしょうが、実態は怪しい前提のもとにそれらしい話を作っているだけの疑似科学にすぎません。
 進化心理学が、いわゆるインテレクチュアル・ダークウェブと相性がいいゆえんですが、日本における信奉者の橘玲が本書へ表紙でコメントを寄せているところが象徴的といえましょう。

 次回は、本書の特に犯罪心理学と関連する部分へ突っ込みを入れておきます。

 アラン・S・ミラー, サトシ・カナザワ (2019). 進化心理学から考えるホモサピエンス パンローリング