今回は犯罪よりも心理学が話題の中心になっているこの本です。

 もう数年前の話になりますが、心理学の著名な研究の多くが直接的な追試に失敗したというニュースが駆け巡り、そこから端を発して「再現性問題」が大きな話題となりました。それくらいなら心理学から遠い人でもちらりと耳に挟んだことがあるかもしれません。

 そのような話題に火がついて以降、心理学者はその問題を解決する手段を模索していました。ただ、少なくとも国内の議論を概観する限りでは、やれベイズ統計だやれ事前登録だと散発的でわかりにくく、かつ実効性に乏しいやり取りが繰り返されているような印象です。
 事前登録制にしても、臨床心理学分野を除けば『パーソナリティ研究』が始めたくらいですし。

 本書はそのような、心理学研究の伝統的、方法論的問題が明らかになった過程、中心的な話題、そして解決方法を概観するのに便利な1冊になっています。

 インパクトファクターと競争的資金の大罪
 本書の内容は、理解に心理学研究の基礎知識を必要とする場合が多く、かつ心理学者でなければいまひとつピンとこないものが大半でしょう。なのでこの記事では、心理学者あるいは科学者ではない人にもわかりやすく、かつ関係しそうなものとして、インパクトファクターと競争的資金についてピックアップして紹介しましょう。

 インパクトファクターは、平たく言うと「その雑誌の論文がどれだけ引用されたか」を示す指標です。(ある年に論文が引用された延べ回数)/(その年から過去2年間に掲載された「引用可能な」論文の数)で算出されます。この数値は、論文誌が科学コミュニティでどの程度の影響力を持っているかの指標になると主張されています。

 しかし著者は、インパクトファクターがでたらめな指標であると指摘します。その理由はいくつかあります。まず、インパクトファクターはあくまで雑誌に掲載された論文すべての被引用数に基づいており、この値はごく少数の論文が極端に押し上げる傾向にあります。インパクトファクターの考案者ガーフィールドすら、雑誌の被引用数の80%を20%の論文が稼いでいる「80/20ルール」の存在を認めています。つまり、インパクトファクターは論文誌全体の実態を表現していない指標なのです。

 加えて、インパクトファクターは容易に操作できることも指摘されています。上の計算式で分母を「引用可能な」論文の数と書いたのがミソです。恣意的に引用可能な論文の数を少なくし、分母を小さくすることでインパクトファクターを3倍以上増加させることも可能だというのです。これでは指標の役割を果たしません。

 また、著者は指摘していませんが、コミュニティに属する研究者人口の差もインパクトファクターに大きな影響を与える可能性があるでしょう。極端な話、認知心理学者が社会心理学者の2倍いれば、書かれる論文の数も倍になり、被引用数も倍になるかもしれません。こうなると、同じ心理学でも認知心理学者がよく投稿する雑誌のインパクトファクターは高く、社会心理学者御用達の雑誌のものはそれより低くなります。

 問題は、このようなインパクトファクターが大学での人事考証の際に利用されているということです。論文の中身も読まず、もしかすると単に同じ分野の科学者が多いというだけの理由で上昇しているかもしれないインパクトファクターを頼りに、高い雑誌に出したからいい論文だろうとみなすのはあまりにも雑な考え方です。

 もう1つ、同じように人事の際に重要なものとして扱われるのが競争的獲得資金です。大学の人事ではたいてい、資金を外から獲得した人のほうが仕事をしたとみなされます。

 しかし著者は、これはインプットとアウトプットの混同だと指摘します。確かに資金を獲得できるのは、できないよりはいいことでしょう。しかし重要なのは、資金を使ってどんな研究をしたかであって、資金を獲得したことではありません。

 著者はこの説明に、2人の研究者の例を出します。2人は両方とも同じくらい価値のある研究を同じだけこなしました。違うのは、一方が資金を獲得していて、もう一方がそうではないことです。
 素朴に考えれば、研究者としての能力が高いのは後者の人でしょう。資金がないのに、資金があるのと同じくらいの仕事をしたわけですから。しかし大学は、なぜかインプットをアウトプットに合算して、前者の研究者にポストを与えてしまいます。

 競争的獲得資金がだれに与えられるかは、往々にして適当に決まっています。審査するのは研究者であっても畑違いの者だったり、下手すると研究者ですらない人だったりします。採否を決めるのは予想される研究の素晴らしさではなく話題性のような一過性で曖昧なもので、資金の獲得は半ばギャンブルのようなものであるといえるでしょう。こうなると、研究者として最も必要な素質は「運」ということになります。

 残念なのは、私のような若手の研究者には、著者の指摘するような問題を解決する力はほとんどないということです。出来ることといえばpハッキングのような不正に手を染めないようにするくらいで、ネガティブな結果も積極的に論文に載せようとしてもそもそも査読は回ってこないし、人事に口を挟む立場なんてはるかかなたです。

 頼むよお偉いさん。

 クリス・チェインバーズ (2019). 心理学の7つの大罪 真の科学であるために私たちがすべきこと みすず書房