今回はフェミニズムに関する特集が話題の河出書房新社から『文藝』2019年秋季号に収録された記事の1つを取り上げます。文芸誌とあって特集も全体的にエッセイが中心なのですが、ライターの小川たまか氏の手による本記事は、エッセイでありつつも文学作品の中に登場する性暴力被害を概観することで、この分野におけるわかりやすい入門編のような文章にもなってます。

 連続体としての性暴力
 とりわけ印象深いのが、筆者が性暴力の連続的な特徴を強調している点です。
 まだ読んだことのない私にとっては意外なことでしたが、韓国でベストセラーとなった『82年生まれ キム・ジヨン』の中では、性暴力被害が語られつつも、主人公のキム・ジヨン自身は「未遂」あるいは「被害を伝聞で聞く」までの被害しか経験していないそうです。

 とはいえ、じゃあ「決定的な被害にあわなくてよかったね」となるのかというと、そうではないと筆者は指摘します。未遂や周囲の人々の被害の経験というのは、確実に主人公自身の持っていた社会への信頼を削り取り、「被害にあわないように」と行動を制限することになります。性暴力被害が蔓延していると聞いて、夜遅くに出歩くのをやめるというのは典型的な例でしょう。

 筆者はまた、監督自身の拉致被害を題材にした『ら』という作品を取り上げ、そこで描かれるナンパ(このナンパ師が連続強姦犯なのだが)と、それを拒絶する女性(かすみ)の存在を指摘しています。作品を手掛けた水井真希監督はかつての筆者の取材に対し、「みんな気づいてないし、かすみ本人も気づいていないけれど、かすみだって本当は被害者」と述べています。そして筆者は藤岡敦子著『性暴力の理解と治療教育』を引用し、性行為は合意かレイプかの2択ではなく、圧力や強制といった黒よりのグレーに近いものを、断りにくいという女性の罪悪感に付け込んで行われるものもあると指摘します。

 私が『「共産党が性行為の原則違法化を!」という主張の誤りと無意味さと』のなかで共産党の提案する不同意性交罪について紹介し、ぶっちゃけ原則違法化でも問題ないんじゃないかと書いたときには随分叩かれましたが、しかしこのような背景を考えれば、明白な同意がないものをすべて違法にするくらいの立法はさほど荒唐無稽には思えません。

 ついでに、いささか我田引水的な議論運びを承知で関連付けるならば、小川氏が指摘している、周囲の被害や未遂が女性の信頼を失わせ行動を制限するという議論は、私がかつて『なぜ性表現は性的搾取に繋がるのかの覚え書き』で指摘した内容と繋がるものでしょう。
 つまり、性暴力ポルノというのはそれが合法的に販売され、消費されているという事実が一種の間接的被害として機能するだろうということです。であればこそ、ポルノ販売には明確なゾーニングが必要といえましょう。

 今回取り上げた記事は、4Pと短いものでありながら、文学作品と専門書を引用しつつ基礎をおさえたものになっているので、この記事を読み引用文献に当たるだけでも、性暴力被害についてしっかり知ることできるでしょう。おすすめです。