上のような流れがあって、図書館で紙面を読みました。そして、あまりの低レベルにずっこける羽目になりましたね。

 「社会的背景」を理解できない生物学者って
 まずは記事の前段。筆者は何とかジェンダーギャップ指数にケチをつけようとがんばって理屈を考え、出てきたものが「『健康』の分野に出生率と健康寿命の男女比がある」というものでした。氏によれば、人間は元々、生物学的に男が生まれやすくて死にやすい、だからギャップがあるから是正すべきというものではないそうです。ジェンダーギャップ指数にこのような数値があることを「あまりにあきれた」とまで書いています。

 しかし、呆れるべきなのは筆者の見識不足でしょう。ここで言う男女比は生物として元々存在しているわずかな差ではなく、社会的な要因によって作り出されたものを指すことは明白です。

 これは大昔に私が本で読んだ話ですが、かつてのインドでは、嫁入りに費用がかかるため、またいずれ外へ出て行ってしまうために女児は有難がられない存在でした。そこでインドの貧しい家庭では、生まれたばかりの女児にカレーを食べさせて殺してしまうというのです。香辛料の辛さと高温で火傷を負った赤子は呼吸が出来なくなって死ぬわけですが、家族はそれを事故死として届け出るようです。

 これは昔に読んだある種極端な事例で、いまはある程度改善されていると信じたいものですが、ともかくこの事例からわかるのは、女児を軽んじる社会的風潮があれば、女児の出生率や健康寿命は男児に比べて極端に低くなるということです。そのような背景から、ジェンダーギャップ指数にこれらの数字が含まれるのでしょう。このような背景は常識的に理解しておくべきところです。

 ちなみに、その手前ではスウェーデンの国会議員の女性率を取り上げ、自然に40%を達成していれば賞賛されるが、実際はクォーター制で割り当てているだけとケチをつけています。

 しかし、人間にはどうあれ偏見があり、自然に放置してもそれが解消されないのであれば、積極的な制度整備によってこの問題を解決するのは当然でしょう。そのような是正を一切否定し、自然に解決されなければ意味がないとするのはまったく無意味な態度です。

 「統計的な」犯罪件数で社会を論じる愚
 もう1つ呆れるのが、筆者がスウェーデンにおける犯罪件数を引き合いに出していることです。筆者によれば、同時期の日本に比べ同国の犯罪発生率は17倍で、この原因はスウェーデンの女性が平等主義的で独立の願望が強く、情緒的に荒れているからだそうです。いやはや。

 ツッコミどころが無数にありますが、まず1つ目。国ごとの犯罪発生件数を、とりわけ日本をベースにして素朴に比較することにほとんど意味はありません。

 というのも、日本の治安は(少なくとも統計上は)世界一よいのだから、どんな国でも日本と比較すれば危険極まりない国になってしまうからです。これでは比較が用を成しません。

 また、国によって犯罪を取り巻く事情、特にどの程度の犯罪を届け出るかという認識は大きく異なるので、警察に届けられた犯罪件数が実際の治安を反映しているとは限りません。単にスウェーデンの方が日本に比べ、積極的に犯罪を認知しているだけという可能性もあります。

 ツッコミどころの2つ目として、犯罪の多さの説明として引き合いに出された「平等主義的で独立の願望が強く」と「情緒的に荒れている」の間に論理的なつながりが全くないことを挙げておきましょう。

 仮に、筆者が言うように「個人主義や合理的な思考」が叩き込まれているのであれば、その行動様式はむしろ犯罪者のそれと正反対になるはずです。しかしどうも、極右論壇は個人主義を「わがまま」の類義語程度にしか理解しておらず、それゆえこのようなおかしな主張が出来上がってしまうのでしょう。

 伝統はいいものだ?
 最後に筆者は、男女平等を謡うスウェーデンは離婚が増加し家庭が崩壊している。人間が良かれと思って始めたものは共産主義でも北欧のような福祉国家でも破綻する。伝統のように自然と出来上がったものこそよいとまとめています。

 これまた、酷い認識と言わずにはおれません。

 第一に、離婚が増加することをすなわち不幸と考えるのは妥当ではないでしょう。離婚が多いというのは裏を返せば、相性の悪いパートナーと無理して一緒にいないことでもあります。片親家庭における子育ての様々な不利はよく知られるところですが、面前DVなど両親が健在の家庭でも不和が起これば不利益は生じます。このことを無視して離婚=不幸とするのは短絡的でしょう。

 第二に、伝統が「自然とそうなった」もので作られたものではないというのが噴飯ものです。少なくとも日本においては、伝統と呼ばれる形式はいずれも多かれ少なかれ人の手が加わり、伝統であると規定されたものにすぎません。どの時点の歴史を伝統をするかによって、伝統の中身は千差万別あらゆる形をとります。
 江戸時代から明治の初期にかけての農村を基準にとれば、子供は社会で育てたりほかの子供が育てたりと、あまり母親が養育にかかわらないことこそ「伝統」と強弁することも可能ですが、「伝統」が大好きな人たちはこれに頷かないでしょう。

 また、共産主義の失敗を言い募る人々に共通することですが、彼らは共産主義の失敗には厳しい一方、資本主義が生み出した数々の貧困による飢餓と死には極めて甘い態度をとっています。
 というか、共産主義が生み出した死としてあげられるものの大半は、共産主義という経済システムによるものというよりは、共産主義を主導する政府によって引き起こされた経済とは離れた位置にある失策によるんですけどね。一方、資本主義が生み出した、というか生み出し続けている貧困は紛れもなく資本主義それ自体を原因としています。

 ともあれ、このコラムは生物学者が書いたとは思えないほど多岐にわたる不見識に彩られたものでした。生物学者だからと言って、学部一年生の教養教育の時間に寝ていてはお話になりませんね。
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