こういう経緯があり、バカだなぁと思っていたら。

 長文ブログを書いていました。いやバカでしょ。
 ここではなぜ「ポルノグラフィ福祉論」がバカなのかを丁寧に説明していきます。

 基本的に、ポルノグラフィ福祉論は誤った1つの前提に立脚し、さらに1つの大きな問題を無視しているためにバカな議論になっています。

 誤った前提:人には絶対に性愛が必要である
誰もはっきりと言わないので書くが、
ポルノグラフィは福祉としての側面がある。
(中略)
小難しい言い回しになったが、要するに福祉の基本原理というのは、
豊かな人生を送るための何かが不足している人に対して、
それを再分配してあげることなのだ、ということである。
これは、現代的な福祉国家の基礎となっている理念である。
ところで、私たちは多くの場合、他者からの承認を欲する。
それも、特に異性からの承認を不可欠不可避的に欲求する。
マズローの自己実現理論のピラミッドにおいて、
社会的欲求の重要な要素として「Love」が挙げられているのは有名な話だ。
そのような小難しい理論によらずとも、
私たちは自己の青春期の経験から、そのことを覚知しているはずだ。
誰しもが通常、性的に魅力的な異性から、
無条件の好意や信頼を向けられたいと思う。
そして、その究極の承認の形態として、セックスを欲求するのである。
(中略)
性愛は人格と不可分に結びついているから、社会的な再分配の実施とは、
再分配される性愛資源の所有者の人格権の著しい侵害に他ならないからである。
ならば、どうすればいいのか。
限りある愛と承認の分配を受けられない個人は、いかにして救済されるべきか。
フェミニストは決してこの問いに答えようとしない。
 ポルノグラフィは福祉である ~「性の商品化」礼賛論~-青識亜論の「論点整理」
 誤った前提というのはこの部分です。最後のところにある「究極の承認の形態として、セックスを欲求する」という部分、つまり人間の承認欲求の究極形態がセックスであり、かつそれが人間に不可欠であるという部分が決定的に誤りです。

 彼はマズローの自己実現理論を引用していますが、これは単にマズローの個人的な考え方であって本当に人間の欲求がそうなっていると証明されたわけではありません。まぁおおむねそうかもねという程度に受け入れられているという、心理学にありがちなやつです。

 もちろん、人間が生活するうえで多かれ少なかれ他者からの承認は必要です。孤独すぎると精神に悪影響があります。しかし、それが最終的にセックスの形をとらなければいけないわけではありません。ちゃんと人と関われればいわゆる「非モテ」でも問題ありません。ましてや、それがないと生きていけないなどということにはなりません。もし本当ならば「未婚」が原因で死人が出てもおかしくありませんが、実際にはそんな奴がいないことからも明らかです。孤独によって死ぬ人間は、セックス以前の承認が得られないから死ぬのです。

 だからまぁ、「キャバクラ福祉論」くらいなら頷いてもいいですよ。

 何かが福祉であるとする表現には、それが人間にとって不可欠であり、かつ不足している人が存在し、それは社会によって補われるべきであるという含意が存在します。しかし、性愛の不可欠性が欺瞞である以上、ポルノグラフィ福祉論は成立しません。

 セックス不可欠論は男社会による妄想である
 彼は「フェミニストは決してこの問いに答えようとしない」と宣っていますが、フェミニズムの入門書をいくらか読めばそれが嘘であることはすぐにわかります。

 フェミニストのこの問題に対する答えは明白です。「モテなくてもいいじゃん。死ぬわけじゃあるまいに」だから。もっとも、セックスに狂った彼らにとって、この答えは到底納得できるものではないでしょう。

 ではなぜ、彼ら男性はモテなければ死ぬなどという妄想にまで取りつかれるようになってしまったのか。それは男社会が、女性を所有することで男を一人前とみなす構造を作り上げたからにほかなりません。童貞を馬鹿にするのも非モテを男のやることです。こういうと「いや女性もばかにしてるぞ!」と反論されそうですが、よく見ると単に喋ってるのが女性というだけで、その内容はコンテンツを作っているメディアで働く男性の考えを反映していることがよくわかるはずです。
 この辺の話は男性学の入門書でもわかりそうな話ですが。

 無視された問題点:性の商品化がもたらすもの
性的消費だとか、大量消費社会だとか、馬鹿げた文句は放っておけばよろしい。
そうやって石を投げる者の誰が、飢えた人の心を満たすことができるのか。
彼らは何の解決策も持っていないのである。
今まさに飢えた人々の横で、ラッダイト運動にかまけるのは、ただの愚か者だ。
性の商品化は、性愛資源の分配を受けられない人々のための福祉であり、
それは彼らを救済する唯一のテクノロジーである。
私は全身全霊をもって、性の商品化を礼賛するものである。
(中略)
(追記 2019.9.7)
こうした性の商品化の過程においては、
商品化される対象の同意、特に女性の主体的な意志を反映せず、
暴力的に制作されたポルノ作品が存在することも残念ながら事実である。
言うまでもないことだが、そうした制作過程の暴力については、
いかなる意味でも擁護不可能であり、
全面的に反対であることははっきりと記しておく。
 ポルノグラフィは福祉である ~「性の商品化」礼賛論~-青識亜論の「論点整理」
 無視された問題点は、性の商品化がもたらす悪影響です。この論点はさらに2つに細分化できます。

 1つは、現に性的な商品を作るうえで女性への人権侵害が相当生じているという点です。彼は追記で言い訳のように、暴力的な過程で作られたポルノを否定しています。が、この書き方ではそのようにして作られるポルノが稀である、精々一部の不心得者による愚行であるという認識のようになっています。

 実際には、かつてなされたAV出演強要問題のように、ポルノ作成の現場における女性への権利侵害は「一部」ではなく「大量に」存在すると考えるべきでしょう。そのような純然たる状況を無視して、あるいはちょっとだけ言及する程度で、性の商品化を肯定することはこのような人権侵害を軽視し、また促進する効果しかありません。

 百歩譲って、ポルノグラフィが福祉であり、社会に不可欠であるというのであれば、介護士の賃上げを訴えるように、ポルノ女優の権利向上を訴えるのが筋というものです。が、彼の言動を見る限り言い訳のように言及する以外はとくにそのような発言は見られませんね。

 商品化された性が氾濫する意味
 もう1つの点は、商品化された性が氾濫した結果社会へ生じる問題点です。この問題は、仮にポルノの作成現場で人権侵害が一切起こらなくとも生じるものです。

 商品化された性、とりわけ女性が社会に氾濫することは、女性を人格ある人ではなく商品のように扱ってよいというメッセージを社会へ放つことにつながります。

 もちろん、商品として提供された女性は(そこに権利侵害がない限り)当人がそのことを了承し、報酬を得て仕事をしている人です。が、人間は結構馬鹿なので、残念ながら「目の前の女優を商品として消費する」ことは容易に「そうではないほかの女性も商品として消費する」ことにつながります。

 こういうと「そんな影響があると証明されていない」と論じるのが彼の常套手段ですが、しかし閣僚がセクハラを理解できず(『麻生太郎のセクハラ擁護発言は「ネットの議論」の本質をついている』)、弁護士や裁判官までもがレイプ神話を信じ込み(『被告側代理人の弁護士の『伊藤詩織著 「Black Box」 が「妄想」である理由』が妄想である理由』『無罪判決批判に「ヒステリックな」反応をする弁護士たち』『【書評】逃げられない性犯罪被害者 無謀な最高裁判決』)、雑誌は性犯罪被害者を叩く(『【記事評】性被害者を侮辱した「伊藤詩織」の正体(月刊Hanada2019年10月号)』)この社会において、女性の商品化が悪影響を及ぼさないとする主張はもはや根拠なき強弁と言って差し支えないでしょう。

 ちなみに、社会全体が是とすることを個人も是と認識するという点については、古くは社会的学習理論から根拠づけることも可能です。当然ながら、ポルノを見て即レイプに走るような極端な人はまずいないでしょうが、しかし路上で暴言を浴びせるといった「より穏当な(皮肉的な表現)」嫌がらせに走ったり、職場でのハラスメントといった「より穏当な」差別へ走る人間は大勢います。このような行為の背景には、女性をもののように扱う社会の風潮があります。

 彼は性、というか女性を水や食べ物のように商品として扱えるかのように論じていますが、実際には性質が大きく異なり、到底同列に扱えないものです。水には人格も人権もありませんが、女性にはあります。人を人格なき物体であるかのように扱うことには副作用が大きいのです。

 ではどうすべきか
 ではどうすべきでしょうか。私はポルノは悪徳だと思いますが、だからと言って全て燃やせとも思いません。
 やるべきことは3つです。

 1つは、ポルノの売り場を区切り、明確に「大人向け」であることをはっきりさせることです。性の商品化がもたらす悪影響の根源は、大っぴらに流通すること、それによって性の商品化が社会的に是認されているかのような状況が作られてしまうことです。裏を返せば、大っぴらでなければこの悪影響は減じることができます。

 もう1つは、ポルノ製造過程における人権侵害を徹底的になくすことです。製造過程で権利がい侵害されているものが認められるべきではありません。配信期間を区切り永遠にネットに残らないようにするなどの対策も必要でしょう。

 そして最後に、ポルノに関係あるかどうかにかかわらず、すべての女性への権利侵害に反対することです。これは性表現を扱いたい人にとっても利益のあることです。人がじゃんじゃん死ぬミステリが無制限に流通できるのは、殺人が悪いことだとみんな分かっているからです。これが「ちょっとくらいいよね」と思われていたらミステリも規制しなければならないでしょう。
 つまり、現実にある女性差別へ徹底的に反対し、社会全体の人権擁護の機運を高めることは、逆説的に性表現が表に出ても問題ない社会を作ることにもつながるわけです。もし女性差別が絶対に許されない社会であれば、ポルノで少々過激なことをやっても「作り物だからね」でスルーされるかもしれません。

 ともあれ、このような対策に乗り出さずに、性の商品化を無批判に礼賛することは無責任と言わざるを得ません。
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

女性学・男性学(第3版) [ 伊藤 公雄 ]
価格:2160円(税込、送料無料) (2019/9/8時点)