今回は上で公開しているアマゾンの欲しいものリストから送っていただいたものの書評です。同様のタイミングで食料品なども提供いただき、本当にありがたいです。犯罪学とは直接の関係はありませんが、希望していただいたものですし、フェミニズム関連の話題はこのブログでも取り上げてきたことなので、書評しましょう。

 なお、Twitter"クソ"社がアカウントを凍結しやがったおかげでKampa!は使えなくなりましたが、欲しいものリストは生きています。九段新報をぜひご支援ください。

 韓国の2つの女性差別
 解説で伊東順子氏が述べているように、本書には2種類の女性差別が登場します。

 1つはキム・ジヨン氏の母や祖母の世代が経験した、ある種古典的な女性差別です。女に教育はいらないと言われ、劣悪な環境で男兄弟の学費を稼ぐ日々。結婚すれば男児を望まれ、ついにはジヨン氏の「妹」となるはずだった子供は中絶されてしまいます。

 そのような差別は、ジヨン氏の世代に改善されつつあったとはいえ、残っていました。女子はおとなしくお淑やかであるべきという価値観から服装規定が厳しくなり、露出狂を捕まえた女子生徒は罰を受けます。弟がずっと優遇され、氏と姉がないがしろにされてきたというシーンも出てきます。私は男ばかりではあれ兄弟の多い家庭で育ったので、些細なことでもこのような兄弟間の差異がもたらすダメージの大きさのついてはよくわかっています。それが日常では参るでしょう。

 男子ばかりの学級委員長
 象徴的だと思ったのは、クラスの学級委員がほとんど男子ばかりであるというエピソードです。女子生徒のほうが優秀であり、そのことは教師も認めているのに、選ばれるのは男子。そのことを母に言うと、それでも女子生徒の学級委員は増えているといいます。その割合は40%。

 このようなエピソードは、私自身の経験ともダブるところです。ブログですでに書いたことがあるかもしれません。忘れもしない中学三年生の1学期、学級委員決めのときです。私は男子ですが、学級委員は男女1名ずつ出すことになっていました。立候補制をとりますが、男子の立候補が全く出ません。前期の学級委員は修学旅行から文化祭まで、とにかくやることが多く面倒この上ない仕事でした。結局籠城戦に耐えかねた私がやることになりましたが、問題はこの後です。

 2名の学級委員は、一方が学級委員長、もう一方が副学級委員長という立場になります。これはどのクラスでもたいてい、多数決で決められます。私のクラスはもう1人の女子が学級委員長になりました。経緯を考えれば当然の決定でしょう。

 その後、全クラスの学級委員が集まる委員会へ出ました。そこで驚いたのが、私のクラス以外すべて「男子が学級委員長、女子が副」という構成だったのです。多数決で決まるはずなのに!
 もしかすると、その経験が私の原点になったのかもしれません。

 韓国の現代的レイシズム
 もう1つ、ジヨン氏が直面し、決定的になったのは「新しい女性差別」とも言うべき物事です。
 ジヨン氏は子供をベビーカーへ乗せ、近所のカフェでコーヒーを飲んでいました。そこにサラリーマンの集団がいて、彼女のことをひそひそと話します。そこで飛び出してきた言葉が「ママ虫」でした。

 これは元来ネットスラングで、専業主婦を寄生虫のように扱う侮蔑の強い言葉です。専業主婦が夫の稼ぎに寄生する存在であるとか、ごくわずかな「セレブ主婦」が一般的であるかのように扱うといったありようはまさしく日本のそれと同じだといえましょう。差別の陳腐さは海を越え普遍というわけです。

 このような「男尊女卑はなくなったのに女性が優遇されている」という態度は、社会心理学の言うところの「現代的レイシズム」と呼ばれるものです(『【書評】レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット』参照)。実際には、ジヨン氏が就活で経験したように、男尊女卑は解決していないのですが。

 成長しない男たち
 本書のもう1つの注目点は、女性ではなく男性ではないか、というのが私の感想です。
 本書に登場するジヨン氏の夫、チョン・デヒョン氏を、伊東氏は解説で「妻に寄り添おうとしている」と評しています。しかし実際には、家事や育児のことをいつまでも「手伝う」と言っていたり、無遠慮な出産計画を押し付けてくる親族にだんまりだったりと、2016年当時の感覚からすればあまりにも遅れていると言わざるを得ません。寄り添いが失敗に終わるのは当然といえましょう。

 本書に登場する女性は、多かれ少なかれ自らの意思で歩み、少しずつ自分や周りを変えています。一方、男たちは、社会の変化に流されてある程度ましになることはあっても、成長することがありません。

 象徴的なのは、ジヨン氏の元の職場で起きた盗撮事件でしょう。普通ならそんなものを知った瞬間、男だって大騒ぎすると思うのですが、職場の男たちはポルノサイトで見つけた盗撮画像を共有し、公然の秘密としていました。発覚した後も、男性の中では若い感覚を持つと評されていた社長ですら男性社員を庇う始末です。

 極めつけは、本書の報告書を書いているという体で最後に登場する男性精神科医です。彼はジヨン氏の境遇に自分の妻の境遇を重ね、女性の権利の解放を望むようなことを書いています。にもかかわらず、同僚の女性カウンセラーが辞めるという話になって、辞められると困るから次は未婚の女性を雇わないと書いています。これを読んだ瞬間がっくり来た人も多いでしょうが、結構リアルを反映した描写ではないかと思います。

 キム・ジヨンの「バーナム効果」
 さて、本作の主人公キム・ジヨン氏の名前が、当時最も多い韓国人女性の名前から来ていることは周知のとおりです。それは、この物語が自分の物語だと感じてほしいという作者の意図に基づくものであり、心理学的に言えばバーナム効果を狙ったものであるともいえましょう。

 彼女のエピソード自体にも、そのような工夫の跡が見られます。ジヨン氏は小学校でのイジメや職場でのセクハラ、なにより塾に通っていた際に被害にあった付きまといなど、様々な被害にあっています。が、レイプという最終局面には至っていません。盗撮被害も運よく回避しています。それは、レイプというある種極端な被害を描いてしまうと、自分の物語だという共感が得られにくくなってしまう可能性があったからでしょう。

 一方で、そのような工夫は、レイプに至らずとも性暴力は重大な被害であり、積み重なって被害者の心身を蝕むことをありありと書くことにもつながっています。この辺のバランス感覚というのは、さすがの技術といえましょう。

 本書を読むと、本書がベストセラーになった理由がよくわかります。韓国の社会情勢を色濃く反映した分、外国人からすればとっつきにくい面があることは否めませんが、そこで描かれているキム・ジヨン氏の生涯は普遍のものであり、我々の心に深く訴えかけてくるものです。

 チョ・ナンジュ (2016). 82年生まれ キム・ジヨン 筑摩書房