こういうツイートを見ました。検索してみると、どうもミソジニスト界隈では「負の性欲」なる言葉はポピュラーなようです。

 学術用語ではない
 『その言葉は本当に存在するのか、簡単に調べる方法 共感性羞恥とやらを参考に』で論じたことがありますが、まず、こういう珍奇な言葉を見つけたらグーグルスカラーとサイニーで検索してみましょう。
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 「負の性欲」をフレーズ検索してみましたが、ヒットしません。少なくとも日本で一般に使用されている学術用語でないことは事実です。

 存在すら怪しい

 「負の性欲」というのは、今は亡きツイッタラー「リョーマ」さんによって提唱された概念である。これは男性が女性に対して持つ「セックスしたい!」というプラスへの執着とは反対に、女性は「この男性とセックスしたくない!」というマイナスの執着を持っているが、どちらもそれは「性欲」に基づく反応ないし感情であり、男性側の異性を求める性欲とは反対に、女性側は謂わば異性を拒否する「負の方向に発露される性欲」を持つというような意味だ。これに近い既存の概念としては「ベイトマンの原理」というのがある。これは生物学において、ほぼ常にメスの方がオスよりも妊娠や出産など繁殖に大きなエネルギーを費やすので、その為に殆どの種でメスはオスにとって希少価値を持つので、オスはメスを争って互いに競争しメスはどのオスと繁殖するか慎重に選好する。。。という理論だ。
 「魅力のない男性に対して嫌悪ないし排除を示す」女性は発情してる?~負の性欲という概念~-note
 上に示したのが、負の性欲の理論的な説明らしい何かです。

 どのような説明にせよ、「人間は昔から子孫繁栄のために最適な行動をとる方向へ進化した」「その傾向はいま現在の人類にもある」という進化心理学的前提をおいています。
 しかしながら、この前提は今日に至るまで証明されたことがありません(『進化心理学は疑似科学である 【書評・上】進化心理学から考えるホモサピエンス』『それは反証可能性がないことの反論にならないよね? 【書評・下】進化心理学から考えるホモサピエンス』)。っていうか、証明のしようがないでしょうね。百歩譲って、前者は結果論的にその通りだろうと考えられたとしても、後者が正しいという根拠はありません。

 進化心理学の説明はたいてい、あくまでそれっぽく聞こえるだけのお話にすぎません。反証可能性がない以上、仮説ですらありません。
 負の性欲は証明されていない妄想。これで今回の記事は終わりです。

 「負の性欲」がもたらすものは何か
 ……ではさすがに短いので、この珍奇な言葉がもたらすものについても論じておきましょう。

 新奇な言葉による議論の蓄積の破壊
 まず、「負の性欲」という言葉は聞きなれない言葉です。一方、その言葉がさす内容は従来のフェミニズムが論じてきた、女性への大小の加害への忌避感、嫌悪感です。
 であれば、別に「負の性欲」なる実態を反映しない、実在の怪しい概念を持ち出さずとも、性暴力への嫌悪感などと表現すれば済む話です。なぜそうしないのでしょう。

 理由は大きく2つあります。まず、珍奇な言葉を新たに持ち出すことで、従来の議論を無視しようという機能です。従来通りのネーミングで女性の嫌悪感を扱おうと思えば、フェミニズムが論じてきた言説を参照せざるを得ません。概念が理解できなければ文字通りお話にならないからです。

 しかし、ミソジニストに典型的なネット詭弁家は、とにかくこのような知的に地味な作業、自己研鑽を嫌います。なので、この努力を怠けるために、新しいラベルを従来の概念に張り付け、まるで新しいものであるかのように扱うのです。

 新しいものであれば、当然議論の蓄積などありません。33-4のスコアボードを破壊して0-0から始めるようなものです。不誠実といえましょう。

 もう1つの理由は、後述するような、概念上妥当ではない解釈や詭弁を導入し、議論を自身の都合のいい展開へ持ち込むためです。

 明らかに違うものの同列化
 「負の性欲」という言葉で重要なのは、「性欲」というラベルが貼られていることです。性欲というのは一般に、異性(に限らないんですけど、進化心理学はなぜか同性愛者をほぼ無視しているので)とセックスしたいという欲求です。ちなみに、進化心理学は性欲を生殖欲求とほぼ同義として扱っていますが、性欲は男ならセックスでなくても自慰すればあっさり満たされる欲求なのでガバガバ理論にもほどがあると思います。進化っていうならちゃんと生殖に欲求を持てるようになっておきなさいよ。

 ともあれ、ここで重要なのは、性欲(この議論では「正の性欲」と呼ばれる)と、加害を避けたいという安全への欲求が同列の「性欲」であると語られていることです。

 それぞれの中身を検討すれば、同列であるはずがないことは明らかです。性欲は内から湧き上がる欲求であり、別段誰かに何かをされなくても多かれ少なかれあるものですが、性暴力を避けたいという欲求は性暴力の危険がなければそもそも存在しえないものです。

 加えて、「負の性欲」は異性への嫌悪感も含むものと説明されていますが、これは単なる感情的反応なのでもはや欲求でも何でもないでしょう。同じ嫌悪感でも人間以外へのそれは性欲と言われないでしょうし。そもそも、嫌悪感と安全への欲求が同じ箱の中に入るというのは理論の立て付けとして杜撰です。

 しかし、中身を一切気にしない、セクシスト=知的怠業者は、新聞の見出しだけを見るように、概念のラベルだけを見ます。だから「性欲」とラベリングされていれば勝手に同列なものと思い込むわけです。あほでしょ。

 女性の安全という、フェミニズムが長年論じてきた議論を一切無視し、白紙の状態から議論を始めることで、このような詐術が可能になるわけです。

 性犯罪の責任を擦り付け
 最後に、「負の性欲」という言葉が性暴力の責任を免責し、かつ、女性へ責任転嫁する機能を有することを指摘しておきます。

 「負の性欲」概念の問題は、性暴力への忌避や嫌悪を「性欲」という言葉だけで説明しようとするところにあります。
 当然ながら、性暴力への忌避それ自体は「性欲」と関係ありません。同時に、性暴力も「性欲」だけが原因でなく、支配欲や暴力的欲求からくるものであることは指摘されつくしています。

 しかし、「負の性欲」概念を性暴力への説明に導入することで、「性欲」へ過剰に注目を集めることができます。こうすることで、従来の「性暴力は性欲だから仕方がない」というレイプ神話的免責を使いやすくフィールドを整えることができます。

 一方、女性の性暴力への忌避を「負の性欲」とネーミングすることで、「女性がそう思うから性行動は性暴力になるんだ」という、これまたレイプ神話的な見方を強調することもできます。もちろん、性暴力は女性の認識が第一になるところですが、しかし「客観的にみて明らかにまずいだろこれ」「女性が100人いたら99人は暴力っていうだろ」という行為は純然として存在するはずです。

 性暴力か否かという判定の責任を女性へ完全に押し付けることは、「何が性暴力かどうかわからない」という男性の寝言を「女性がそう思ったから性暴力になったのであって、そんなつもりはなかった」という言い訳に変化させます。

 性暴力をあくまで「性欲」概念で理解しようとする試みは、下半身でしかものを考えていないセクシストの振る舞いといえましょう。真っ当な常識があればこんな言葉を使わずとも、性暴力は暴力であるとして従来通り論じればいいのです。