今回は図書館で見つけた1冊です。京都アニメーションのスタジオで放火事件が発生してからすでに1年以上が経過していますが、本書はアニメ研究者による事件の総括ということで、京アニの背景などを含めてわかりやすいものになっていると思います。

 報道への警戒
 まず、京アニ事件において特徴的だったのは事件に関する報道についてであろうと思われます。報道の特異性は2点あげられるでしょう。

 1つ目は、事件直後に発言する専門家が少なかったことです。著者曰く、様々な事情からこの事件について発言することが躊躇われ、著者自身も直後は積極的に取材を受けなかったようです。その事情というのは、事件を語ろうとするとアニメ業界における京アニの立ち位置を総括しなければならない困難さであったり、発言が切り取られ「オタク叩き」に繋がりかねない懸念だったりでした。

 もっとも、Twitterでのオタクたちの「過剰反応」をよそに、報道それ自体は「犯人はアニメオタク」といった紋切り型のストーリーは少なかったようです。とはいえ、宮崎勤事件の経験やその後の報道の体勢を踏まえて(半ば被害妄想的であったとしても)報道への警戒感が広がっていたのは事実でしょう。

 もう1つの特異性は、実名報道についての議論が盛り上がったことです。このブログでも『犯罪報道に「物語」を求めすぎる病理』で取り上げましたが、報道各社は実名報道を求めネット上で批判されるといういつも通りの構図が展開されていました。

 私は基本的に実名報道に否定的な立場ですが、著者によれば、アニメファンにはスタッフロールに表示される製作者の細かい名前にこだわる文化があり、そのことが事件の死者の具体的な情報を求める態度となってネット上に偽の被害者リストが流布されるような事態になったという現状もあります。そのような混乱を収めるためにどこかのタイミングで実名報道はすべきだったというのが著者の主張であり、そうした理由であれば私も実名報道が必要だと思います。

 もっとも、報道の実名報道の論理はあくまで「事件の重大性を伝える」云々といった抽象論に終始しており、報道の意義を真剣に考えたとは思えない状態ではあります。

 「京アニクオリティ」の真相
 本書が特徴的なのは、京都アニメーションというスタジオが日本アニメ業界に与えた影響を平易にまとめているという点です。このような事件の理解に重要ながら犯罪という分野から外れる内容は調べるのが難しいので、まとまっていると実にありがたい情報です。

 ここに内容を要約するのは難しいのですが、私が注目したのは京都アニメーションの雇用体制です。一般に、アニメ制作会社は作品ごとにアニメーターを雇い制作する形態をとっています。つまりアニメーターの労働環境は「実質社員だけど形式的にはフリーランス」のような、ウーバーイーツ感のある状態になっています。このような形態が労働者の低賃金長時間労働といった問題を引き起こしています。

 一方、京アニはこのような契約社員の形もありつつ、多くのアニメーターを正社員として雇用し、充実した福利厚生のなかで守って育ててきた歴史があります。著者曰く家族のように社員を扱うことでアニメーターを育成し、その育成されたアニメーターが京アニの代名詞であるハイクオリティなアニメを作成するという好循環を生み出しています。

 京アニ事件で心配されたのは、火災による原画や絵コンテといった資料の消失です。しかし、著者は原画などはあくまで中間生成物であり、最終的な作品は上映されパッケージされるものであると指摘します。データ自体は残りましたし、恐らくこれから問題になってくるのは多くの優秀な人材を失ったことでしょう。

 コロナウイルスの蔓延もあり、アニメ業界は苦境に立たされています。優れた作品を作っただけではなく、アニメーターの育成や労働環境の充実にも力を入れていた京都アニメーションの復興を願ってやみません。

 津堅信之 (2020). 京アニ事件 平凡社