九段新報

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犯罪学

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セックスワーカー支援の周りで蠢く怪しい人たち

 さて、前回『【書評】「身体を売る彼女たち」の事情―自立と依存の性風俗』を書いたとき、こういう終わり方をしたと思います。
 で、誰やねんこいつと思って調べるといろいろヒットしました。
 彼はNPO(NGO?)だいわピュアラブセーフティネットという組織の代表、だいわりゅう氏のようです。

 蠢くあれやそれや
 そもそも、単に読書メーターに登録したというだけのツイートにそんなリプをぶら下げてくる時点で心証マイナスからのスタートなわけですけど、調べてみると怪しげな要素がぽろぽろ出てきます。
 まずツイッターアカウントを見ると、当然ながら私以外にも坂爪氏の著書についてツイートしているアカウントへ同様のリプライを送りまくっています。なんという執念。たとえ坂爪氏に批判に値する要素があるとしても、突然やってきてこんなリプを送り付けてくる人間の言うことを鵜呑みにする人はまずいないでしょう。
 俺がなぜ神奈川県の教師を辞めてヤンキーや中学生、高校生、シングルマザー、モデル、キャバ嬢や風俗嬢、AV女優、児童養護施設の子どもたち、帰国子女を幸せにするNGOの代表になったのか?
 それはよく聞かれます。
 教育と夜の世界は全く相いれない世界でしょう?と。
 実際神奈川県で教師として3年間働いて思ったのは、教育の世界では昼のレールに乗る子しか助けになれないということです。
 俺がJKビジネスの女の子支援なんかをうたい昼の世界に連れ戻そうとする人たちに疑問を感じるのはその経験があるからです。
 なぜ神奈川県の教員を辞めてヤンキーや児童養護施設の子どもたち、シングルマザー、モデル、キャバ嬢、風俗嬢、AV女優、帰国子女を幸せにするNGO代表になったのか?
スクリーンショット (17)

 加えて、組織の名前がふわふわしている点も疑う要素の1つです。ブログ記事のタイトルなどではNGOとなっている一方、ブログ横の説明書きではNPOになっています。
 もちろん、NGOとNPOは定義上相反するものではありませんから、NGOかつNPOというのも存在しえますし、そもそもはっきり区別できるものではありませんけど、しかし組織の名称としてどっちを使うのか、あるいは両方使うのか正式なところを決めておかねばいろいろと不都合が出るはずです。自分の組織なんだからその辺はっきりさせようと思ったらすぐにでもできると思うんですがね。この点については尋ねてみているんですが、返事は返ってきていません。
 そして
『だいわりゅう、NPO法人裁判事件』
 いやぁ、世間を揺るがす大事件ですよねぇ。。。
 だいわりゅう評論家兼地雷風俗研究家の私には、まさに青天の霹靂です。
 皆さん気になりますよねぇ、、、
 え?最後の事件知らないんですか???
 ちょっとアレですよ、NPO法人裁判事件知らないなんて、正直遅れますよ!
 これ知らないと2016年は語れませんよ!!
 『いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府』の次に『フォローしても即ブロック(2016年)だいわりゅう』が歴史年表にでてきますよ!!!
 というわけで本日は、知らない人のために『だいわりゅう、NPO法人裁判事件』を事の発端からご紹介したいと思います。
 【悲報】だいわりゅう、訴えられたってよ~スカウトがNPO法人と裁判するまでの軌跡~-すすきのから愛とアレを込めて
 (※引用先は風俗関連のブログなので一応注意)で、極めつけはこの話題。NPO法人(こっちは法人なんだね)フローレンスの駒崎弘樹との訴訟バトルです。引用元のブログがあれですし、記事の筆者はだいわりゅう氏が大嫌いなようなので差し引いて読むべきですが、訴訟自体は事実のようですし、無理筋な批判で訴えられる羽目になったのも事実のようです。
 駒崎氏自体批判の多い人物ですし、私もそこまで好意的に見ていませんが、しかしこれは……。

 そしてブログのタグでフローレンスを調べてみると「お前どんだけ嫌いやねん」という記事一覧になります。そりゃ、私だって問題のある人物を記事で繰り返し批判することはありますが、無関係なドラマの登場人物になぞらえるところまではしないですよ。
 駒崎氏関連の記事を具体的に見てみると。
 なんと認定NPO法人フローレンス駒崎弘樹が悪質な養育費取り立てNPOの監事になっています。
 これはあまりにも酷すぎますね!
 これは以前も書きましたが養育費を払っていない父親の多くは払いたくても払えないという現状にあるのです。
 そこから無理に取ろうとすると困窮した父親が自殺したり、犯罪に走ったり、離婚した奥さんや子供が殺されたりする可能性もあるのです。
 だから明石市のやっているようなことは根本的に間違っているのです。
 駒崎弘樹が悪質な養育費取り立てビジネスの監事になっている。
 養育費取り立て事情をヤクザみたいだと言ったり……。
 (養育費を払わない父親は払えないんだ!と主張していますが特にエビデンスはない)
 休眠預金法案が通っていますので来年から休眠預金の700億円が毎年毎年、駒崎弘樹のフローレンスなどNPO法人へと流れ込みます。
 毎年毎年駒崎弘樹のフローレンスなどNPOに休眠預金700億が入るってとてつもない額ですよね!
 700億円を企業が稼ごうと思ったら相当の努力がいりますよね。
 それが毎年毎年、楽にNPOに国民の血税である税金700億円が流れ込んでいいのでしょうか。
 びっくりです。
 毎年毎年、駒崎弘樹のフローレンスなどNPOに休眠預金の700億円が流れ込みます。
 休眠口座の預金が大量にNPOへ流れるかのようにミスリードしたりともうやりたい放題。こっちがびっくりだよ。

 結局、彼が私に伝えたいことは何だったのか
 で、本題なんですが、彼が私にご注進したかったことというのは何だったのでしょうか。
 NPOを名乗る一般社団法人ホワイトハンズのやっている風俗嬢の法律相談の「風テラス」が新しいサイトを作ったということで見てみました。
 するとサイトの一番下のリンクに風俗求人サイトの「フェニックスジョブ」と「みっけ」という風俗求人サイトへのリンクがでかでかと貼られていました!!
 これは風俗の法律相談、生活相談を装い違法悪質風俗店へと誘導していることと同じです!!
 またリンク先の「フェニックスジョブ」や「みっけ」は私のNPOにも多数相談がある女の子への暴力が常態化してるようなヤクザ直営店やレイプが常態化していて妊娠被害が絶えない風俗店、未成年を雇用している違法店など悪質店が多数掲載されています。
 驚愕しました!!
 法律相談や生活相談を装って風俗店へと誘導する行為は完全にスカウト行為にあたり職安法違反であり違法にあたります!!
 一般社団法人ホワイトハンズ「風テラス」が悪徳スカウト、悪質違法風俗店に斡旋!これは酷い!!
 論点は2つ。1つは坂爪氏が代表を務めるホワイトハンズが自身のサイトに掲載している求人が、悪質な店へと繋がるものです。
 まぁしかし、サイトにリンクがあることだけをもって「誘導している!」というのはいささか言いすぎですし(わざわざ貼らなくても、という批判はよくわかるけど)、悪質店があるというのもあくまで氏の主張に過ぎないので割り引いてみておくべきでしょう。
 ホワイトハンズの坂爪真吾さんが今各所から批判の嵐にさらされています。
 障害者学会では研究者の方々からホワイトハンズが批判の嵐となりました。
 またセックスワーク当事者団体のSWASH代表の要由紀子さんや作家の松沢呉一さん、女性支援団体などからもホワイトハンズは許せないと批判されています。
 最も大きな要因はホワイトハンズの坂爪さんの当事者軽視です。
 風俗のことでもJKビジネスのことでも坂爪さんは全く何も知らないし何の知識もないのに当事者を無視してあたかも専門家ずらして話すので当事者たちに甚大な被害をもたらしてしまっているのです。
 当事者や業界を無視するホワイトハンズの坂爪さんが各所から批判の嵐に。
 興味深いのはもう1つの方で、これも認証の話とかは坂爪氏の著作を読んでいく中でぶつかったときにこそ検討すべきでしょうし、当事者軽視云々も話半分に見ておくべきでしょう。当人がその場にいたというわけでもなさそうですし。ただ。
スクリーンショット (18)

 傷害学会シンポジウム1テーマ「障害、介助、セックスワーク」
 「そもそも坂爪さんは造語しすぎ」この批判には笑ってしまいました。いや、わらいごとじゃないかもしれないんですけど。
 前回の記事公開告知でちらっと言ったんですが、坂爪氏の本を一冊読んでまず「女子高生の援助交際について語る宮台真司っぽいな」という印象を抱きました。
 その最大の原因が、氏が本書で主張していた「二次情報ではなく一次情報で判断しよう」ということです。二次情報というのはメディアを通して伝えられる性風俗の姿であり、一次情報というのは坂爪氏がしているように実際にその目で見た姿です。文脈を考える以上、少なくとも氏は自身の主張を一次情報に位置づけていると思うのですが、しかしぶっちゃけ、読者にとっては氏の著書もほかのメディアからの情報も、信用度に差はあれど二次情報にすぎません。自身の主張が一次情報であるという氏の認識をそのまま解釈するをおかしなことになります。

 しかし、要するに「俺が現場を知ってるんだ」とざっくり翻訳するといいたいことは見えてきます。『【書評】これが答えだ! 新世紀を生きるための108問108答』で論じましたが、宮台も自分が見た「リアル」によって立つというキャラ付けを取っていました。
 現場を知っているというのは何にも勝るような情報源のように見えますが、しかし裏を返すと「自分の見た現場しか知らない」ということでもあります。セックスワーカー一般について考えるのであれば、本来は「二次情報」にも依拠して幅広く見る必要があります。

 また宮台が造語作りすぎというのも論じました。当該書を見る限りでは坂爪氏にはそのような印象はありませんでしたが、そもそも一次情報/二次情報という独自の区別を使っている時点で兆候はあるのかもしれませんね。

 なぜ支援にかかわる男性たちがこういうメンドクサイ感じになるのかはわかりませんが、一因には性風俗という一般人がなかなか知りえない現場を知っているという優越感が悪い作用をしているのかもしれません。

【書評】「身体を売る彼女たち」の事情―自立と依存の性風俗

 今回は新しめのこの本です。著者の坂爪慎吾氏は一般社団法人ホワイトハンズの代表であり、風俗で働く女性への法律相談を行う事業「風テラス」を運営しています。本書はその風テラスでの相談などを背景として書かれたものになっています。

 風俗の驚くべき労働者「福祉」
 本書を見てまず驚いたのが、ある意味に皮肉なことに、一般の会社よりも行き届いた労働者への福祉です。風俗で働く人向けに住宅を提供し、子供を預ける託児所があり、労働時間が柔軟なので心身の調子にむらがあっても働きやすく、前歴を問わず身分証明もいらないので前科者やDV被害で身分証明書が手元にない状態の人でも働き始めることができ……これが風俗じゃなければホワイト企業だと世間に誉めそやされることでしょう。

 また働く女性たちのリスクを減らそうと、経営者が四苦八苦している様子も見られます。身バレ防止のためのマニュアルを作ったり、研修を行って厄介な客のいなし方を教えたり、こまめに交流を持つことで労働者を支えたりと、普通の企業ではまずあり得ないほど徹底して労働者に寄り添っています。

 これは、風俗がなんだかんだ言っても「リスクが高く」「働くハードルも高い」ために、普通の会社よりも必死に労働者を集めて繋ぎとめる工夫をしなければいけないことの証左でもありましょう。裏を返せば、一般の企業が手厚い労働者福祉に乗り出せば、彼女たちは風俗で働く必要はなかったかもしれません。

 風俗に負ける公共福祉
 もう1つ、この問題を考えるうえでポイントなのが、客観的に考えても風俗>生活保護などの公共福祉となってしまっている現状です。
 生活保護はやはり利用のためのハードルが高く、車は持てない、貯金もあるとまずいと、本当にやばくなるまで認めてもらえないことが常態化しています。ここに行政の水際作戦、扶養家族への照会、資格のない非正規職員による性風俗への偏見が加われば、誰も生活保護を利用しようとは思わないでしょう。

 DV被害から逃げてきたというような場合、世帯収入それ自体はたっぷりある(ただし生活費としてまわしてもらえないor逃げてきたからそのお金は使えない)みたいなことも往々にして起こりますが、この場合生活保護を利用するのは制度上難しいでしょう。そもそもDV被害の負担が大きく、公の制度を使うという発想までたどり着く余裕がないということもあります。

 「JKビジネスダメ」は搾取モデルから成り立つか
 本書は性風俗で働く人たちの実情を理解するのに役立ちますが、しかし、著者の「性風俗批判」観にはいささか疑問があります。
 例えば、政府がやりがちなJKビジネス対策の代表例に「有名なモデルなどを起用して、女子高生にJKビジネスはだめだと呼びかける広告」があります。それが効果皆無だろうという点では著者と意見と一致するわけですが、しかし著者がこれを「JKビジネス=性的搾取というモデルによるもの」とみなしているのには違和感があります。

 もし仮に、JKビジネスが性的搾取であり、そこで働いている女子高生が被害者であるという認識であれば、そもそもこのような広告は成り立ちません。搾取モデルに基づけば、悪いのはそこで働かせている大人や女子高生を買う大人なのですから、批判は女子高生自身ではなくそちらへ向くはずです。
 このような広告はむしろ、女子高生を被害者だと認識できず、単に性道徳の問題であるとみなしている保守的な見方から導かれているものだと理解するのが妥当でしょう。

 このような認識の齟齬は、おそらくJKビジネスへの批判を行っているアクターにいくつかの種類があることを著者が認識できていないことが原因でしょう。批判のアクターには、大きく分けて「保守・右派」タイプと「左派・リベラル」タイプがあります。JKビジネスを搾取として認識するのは明らかに後者のタイプですが、政権与党であり政府の対策を主導する側、そして国民からの支持が大きく世論をより反映しているのは前者です。
 表現の自由戦士がフェミニストの批判者とPTAから来る批判を混同する、みたいな現象がここでも起きているわけですね。

 著者の「搾取」観があくまで労働者と使用者の間にしか搾取関係を想定していないことも一因です。性的搾取というとき、少なくともフェミニズム系の論者なら社会的背景からもたらされる搾取も想定していると思います。「公助が機能していなくて性風俗で働くしかない」というのはまさに社会的な搾取というわけですが。

 それは本当に「自由意志」なのか
 もう1つ、本書で感じた違和感を端的に言うと「人間の自由意志過大評価しすぎじゃない?」ということです。
 著者は女性たちが性風俗で働くことを、彼女たちの意志であるとしてその選択を尊重することを強調しています。その人たちにはいろいろな背景があって、最終的にそこにいることを選んだわけですから、選択を尊重するのは間違いではないのですが、しかしその背景を無視して、いささか自由意志の力を信じすぎているのではないかという気がします。

 例えば、上述したように性風俗で働く女性の多くは、生活保護を受けられないだとか、昼の仕事では働けない事情があります。そのような事情がある中で性風俗で働くことを選んだことを、果たして彼女たちが自分で選択した決断だといっていいのでしょうか。
 性風俗で働くことを自身で選んだと、何の保留もなく断言するには、ほかにもいろいろな選択肢があって選ぶことができたけどやはりこれを選んだのだと言えるような状況がなければなりません。選択肢が1つしかなく否応なく選んだというのは、自分で選んだというべきではないでしょう。

 なぜ著者が、というよりセックスワーカーに寄り添う支援者(印象ではメディアに登場する頻度の高い男性に多い)がセックスワーカーたちの自由意志を「過度に」強調するのかというと、おそらく「風俗で働く女性=被害者」という「世間」の見方へのアンチテーゼという側面があるからでしょう。そのように、一般的に言われていることを否定するほうがメディア受けがいいとも言えます。
 しかし、先ほども書いたように、そもそもこの搾取モデルは「左派・リベラル」が共有する傾向にあるものであり、対策を主導する政府、また世間一般が共有しているのかは怪しいものがあります。むしろ彼らは、セックスワーカーが直面する問題を「それを選んだ彼女たちの自己責任」とみなす場合が多く、著者のようにセックスワーカーの自由意志を強調する議論はむしろ都合がいい、ということにすらなりえます。

 性風俗の健全化、そこで働く労働者たちの安全の確保のためには、著者が主張するような労働現場としての明確化は確かに必要でしょう。グレーで運用されるような状況では労働者の権利は守られません。
 しかしより優先順位として高いのは、生活保護のような公共の福祉をセーフティネットとしてきちんと機能させることでしょう。ありていに言えば、昼の仕事ですらブラックが蔓延する社会的背景の中で夜の仕事を健全化するのはまず無理ということです。
 困難に直面したとき、支援が速やかに受けられて、考える時間や休む時間がきちんと与えられる。そうした状況で自ら選んで初めて、自分の意志だということができるでしょう。

 怪しい影が
 ちなみに、読書メーターに登録したツイートにこんなリプがぶら下がってました。本書の著者を含め、性風俗支援に蠢く怪しげな有象無象に関しては次回以降の記事で取り上げる予定です。

 坂爪真吾 (2018). 「身体を売る彼女たち」の事情―自立と依存の性風俗 筑摩書房

【書評】これが答えだ! 新世紀を生きるための108問108答

 今回はこれ。宮台真司の著作の1つです。宮台の話題はわりと継続的に追っているつもりで、過去にも『【書評】<性の自己決定>原論 援助交際・売買春・子どもの性』『【書評】「脱社会化」と少年犯罪』といった記事も書いています。本書は著者が「宮台入門」を自称するものであることからもわかるように、氏の主張を全体的に概観できるようになっています。

 酒鬼薔薇事件と援助交際
 宮台がメディアに登場した契機となったイベントは、神戸連続児童殺傷事件、通称酒鬼薔薇事件と、女子高生の援助交際問題でしょう。双方とも、本書に登場します。

 酒鬼薔薇事件に関しては、上掲の書評で私が論じているように、「脱社会化」という独自の言葉を使用して「社会からはみ出した存在が承認を求めたことによる犯行」と結論しています。宮台によれば、犯人は社会からはみ出しているので反社会ではなく脱社会というべきで、他人からの承認ではなく自分が必要とするもの(この事件では「バイオモドキ神」)からの承認があればそれでいいと考えているそうです。
 しかし事件やその後における犯人のふるまいを見る限り、明らかに他者からの承認を求めている節がありますし(でなければあのような文章を送り付けることはしない)、単に事実認識から誤っているのではなかろうかと思います。
 また酒鬼薔薇を契機に、現在の学校がどうのこうのと論じていますが、連続殺人犯という社会での外れ値をきっかけに社会一般について論じる無謀を犯しています。犯罪者とそうでない市民は連続的につながっているものとはいえ、極端な犯罪者の言動をそのまま一般社会を論じるのに使うのは妥当性に欠けるといえましょう。

 援助交際に関しては、自分の体を売る女子高生は「主体的に」そうしているのであり、彼女たちが承認を得られるようにしないとどのような規制をしても無駄であろうといったことを論じています。
 もちろん、そういう側面はあるでしょうが、しかし援助交際をする女子高生の行動決定を主体的なものとして描くのは違和感があります。おそらくは道徳観から語られる援助交際規制論、また児童買春という「被害者としての女子高生像」を否定することで「わかってる感」を出すのが目的なのでしょうが、援助交際でしか承認を得られないという状況に追い込まれた女子高生がそうするのは主体的な決定とはとても言えないでしょう。

 宮台のトリック
 本書は宮台が書き散らしてきた主張の総まとめですが、これだけ一気に概観すると彼がどのようにして大衆の歓心をかい、社会について説得力のあることを言っている人だという誤った認識を得たに至ったかが何となくわかってきます。
 彼の議論の手法の第一は、議論に該当する誰かとの個人的なエピソードをエビデンスに持ってくるということです。援助交際ではよく「実際に援助交際している誰かからもらった手紙」とかが登場します。心理学だったら「N=1かよwwww」で一蹴されるところですが、しかし学問の文脈でなければ個人的なエピソードのほうが統計よりも説得力を感じるという傾向が人間にはあります。しかも厄介なことに、N=1だったとして少なくとも1人は宮台の取り上げたような人が存在するのは事実です。

 パーソナルな関係を強調するというのは、例えば宮台が別の学者の主張を引用するときに、わざわざ「我が師」とかそういう個人的な関係に言及するという方式で見られます。別に、その人が著者の師匠筋にあたろうがどうだろうが議論には一切関係ないのですが、もう彼はそうやってパーソナルな関係に言及することが常態化しているのでしょう。

 狭い範囲のものを無批判に大きな範囲へ適用するというのは、それこそ宮台が酒鬼薔薇に適用していた論法です。このようなことが起こるのは、宮台が「社会学者」であることと関係があるのでしょう。分野によりますが、社会学はその社会のものごとを記述するのが主な仕事です。裏を返せばそこで記述された社会の特徴をほかの社会へ当てはめる際には十分気を付ける必要があるのですが、メディアに登場する社会学者の多くはあまりにも粗雑にその愚を犯しています。
 社会学者として「現場を知っている」と、社会そのものをリアルに知っているという感じがしてしまうのでしょうか。

 もう1つの手法は、「脱社会化」「まったり」「島社会化」などという、独自の用語を多数使うというものです。たいていの場合、その明確な定義ははぐらかされたまま議論が進みます。そしてよくよく見ると、その多くはわざわざ独自の用語を作るまでもなく、既存の知識で説明可能だったりします。
 こうやって無数に独自の用語を作ることで、あたかもキャッチーな概念を自身で創造したかのように見せるとともに、いままでの知見との断絶を作ることで読者を囲い込み批判を回避するという効果もあるのでしょう。本来、過去の知見をレビューして学び、現在述べられていることを批判検討するのは研究の基礎ですが、それがしにくくなるわけですから厄介なことこの上ないというわけです。

 単純な誤りの数々
 さて、108問も幅広いことについて書いているといろいろ誤りも出てきます。これだけ広い論点で専門家になれる人間はいないので当然といえば当然でしょう。
 その典型が、メディア悪影響の否定論です。メディアが長期的に悪影響をもたらすことは証明されていないと幾度か述べています。
 一方、宮台教授は『有害図書の世界』(メディアワークス、1998年)のインタビューで限定効果論について、「暴力的なメディアを例にとると、メディアに接触した当初は模倣行動が起こる。カンフー映画を見たあとに駅のロッカーを「アチョー」と蹴ってしまうような現象ですね。(中略)ところが、せいぜい一過性のものなんですよね」「つまりクリッパーのいってることは、短期的影響があることは間違いないが、長期的影響は認められないということなんです」と説明している。
 だが、『マス・コミュニケーション効果研究の展開[改訂新版]』(北樹出版、2003年)によると、クラッパーの「限定効果論」は、論拠となった実証的研究が「短期的な態度変化への影響の問題に限定されていた。「説得的コミュニケーション」研究では刺激提示直後とか数週間後の反応を測定するものであったし、「コミュニケーションの流れ」研究もせいぜい半年程度のパネル調査でしかない」ので、短期的態度変化への影響に限定された仮説として、理解されなければならないという。
 そして「確かに、テレビ番組をみて非行に走る少年はきわめて限られた数だろうし、「暴力番組」をみたからといって、それがただちに犯罪を犯す動機になるとはいえない」ものの、「もしかして、長期的、累積的影響が関係しているかもしれないこうした問題には適用してはならないはずである」という(45~46頁)。つまり「限定効果論」には適用限界があるのである。それにもかかわらず、宮台教授は長期的影響にまで「限定効果論」を適用。独自の解釈を披露しているのである。
 検証・宮台真司が広めたメディア悪影響否定論
 確かに、なかなか長期的な影響を検討するのは難しいこともあって、十分検証されているといい難いところもありますが、少なくとも宮台が論じている限定効果論はこの議論には使えません。限定効果論もまた短期的な効果に関する理論に過ぎないからです。

 また死刑に関しては「死刑以外に被害者遺族を慰める方法を考えろ」といいますが、死刑はそもそも被害者遺族を慰めるものではないという点が無視されています。また近代に入って死刑が密室で行われるようになった理由として、死刑は一種の祭りだが死刑のたびに仕事場から抜け出してみんなが見に来ると社会が回らないからと独自の理論を述べていますがもちろん根拠はありません。死刑の密室化は近代国家が暴力を独占する過程で起こったものと解釈するのが妥当でしょう。

 カウンセラーに関して、自分が必要とされたいだけの人しかいない、お洒落で明るい子なんていないとまで言っていますが、これはもうただの偏見でしょう。当然人によります。またカウンセラーの中にも、自分の問題を他者のカウンセリングに持ち込んでしまう(自分がカウンセラーに救われたから、私もそんな人になりたいみたいな)ような人はいないわけではないですが、そういう態度は臨床心理の訓練でたいていは正されるものです。

 宮台個人の強調という奇妙さ
 本書で一層奇妙に感じるのは、宮台個人についての言及が多くみられることです。宮台がどんな恋愛遍歴を経たのかとか、ぶっちゃけどうでもいいと思うのですが、当時の論壇シーンではそうではなかったのでしょうか。西田幾多郎のような著名な哲学者なら、まだ個人に寄った議論がされることもあるのでしょうが、それでも西田哲学の研究者だって西田幾多郎の個人的な恋愛遍歴には興味ないと思いますが……。
 これもまた、個と全体が無批判に混ざり合ってわけがわからなくなるメディアによく出る社会学者にありがちな態度なのでしょうか。

 宮台真司 (2002). これが答えだ! 新世紀を生きるための108問108答 朝日新聞社

「膨大なカメラでリレー方式追跡/AIで顔認証」が歓迎ばかりもできないわけ

 この件です。
 ぼんやりと話には聞いていましたが、やっぱり「膨大なカメラでリレー方式で追跡」という方法でした。
 確かに、最新技術の発展は目覚ましいものがあります。これらの技術を利用すれば犯罪者をより迅速に逮捕できるでしょう。しかし、歓迎ばかりもしていられない事情もあります。

 リレーの途中で間違える可能性は?
 まず、このリレー方式って間違える可能性はないのか?という疑問が浮かびます。当然ながら、1回の試行での失敗率が低くとも、それを繰り返せば無視できない程度の失敗率へと膨らんでいきます。仮に防犯カメラに映った誰かを見誤る可能性を1%しかない、つまり99%正しく認識できるとしても、それを10回繰り返すと正しく認識出る確率は90%程度に落ち込みます。

 もちろん、犯罪捜査は監視カメラの映像だけで行うわけではありません。「適切な」捜査を行えば監視カメラの追跡で誤ってもそのことに気づくことができ、そして冤罪を防ぐことができます。
 しかし現在の警察にそのことを期待するのはいささか楽観的でしょう。
 東京都八王子市の40代男性も2016年、不鮮明な防犯カメラの映像などを根拠に、2年前の傷害事件で逮捕、起訴された。牛田喬允弁護士によると、警察の初動が遅れ、より鮮明な映像が映っていたかもしれない防犯カメラを押さえられなかった可能性があるという。
 男性側が、犯人が逃走に使ったタクシーを突き止め、ドライブレコーダーの映像を入手。別人が映っていたことが決め手になり、公訴棄却になった。牛田弁護士は、「少ししか残っていないのに、映像が過度に使われている」と問題提起する。
 今年3月、最高裁で逆転無罪判決を受けた、広島県のフリーアナウンサー・煙石博さんも防犯カメラの映像で冤罪被害を受けた1人だ。
 煙石さんは2012年、広島県内の銀行で他の客が置き忘れた封筒に入っていた6万6600円を盗んだとして、逮捕・起訴された。映像に煙石さんが封筒を手にしたシーンはなく、指紋も検出されなかったが、ほかに封筒に近づいた人がいなかったことから、一審・二審は有罪判決を下した。
 これに対し、最高裁は、映像から煙石さんが封筒に触れていないと認定した。封筒には最初からお金が入っていなかった可能性がある。「監視カメラの映像を都合よく使われた。映像は科学的に分析・解析して、公正中立に扱うことが大前提だ」(煙石さん)
 冤罪を生む「防犯カメラ」、憤る冤罪被害者「都合良く抜き出され、こじつけられた」-弁護士ドットコムNEWS
 防犯カメラの映像の中から都合のいいものだけを抜き出し、ほかにあった決定的な無罪の証拠を握りつぶすという捜査手法を警察や検察はたびたび行ってきていました。
 リレー方式で追跡するという方法は、労力がかかる分一度出した結論を訂正できず、冤罪へ突き進む恐れは従来の方法よりも強くなると考えていいでしょう。

 「AIで顔認証」も危ない
 また、引用した動画で紹介されている「AIによる認証」も危うい要素を持っています。というのも、AIの判断基準は複雑でわかりにくく、場合によっては作成者にも説明が不可能であり、なぜ映像の人を容疑者と同一人物であると認定したのかわからない可能性があるからです。
 極端な話、裁判で「容疑者が映像に映っていました……とAIが判断してます」という検察の証言が行われるかもしれないということです。その証言に反論しようにも、なぜそうAIが判断したかわからないとどこをどのように反論すればいいかもわかりにくくなります。

 また、高度に発展したAIの判断基準を、裁判官が正しく理解して判決を下せるかという疑問をあります。往々にして、裁判官は「検察の言っていることのほうが正しいだろう」というバイアスにとらわれていますから、AIのブラックボックス的な判断基準を鵜呑みにして、結果検察の無双状態、というのはあくまで最悪のシナリオですが、現状の司法制度だとわりと現実的な想定になってしまっています。

 所詮、あくまで防犯カメラもAIも道具にすぎず、適切な捜査が可能かは警察や検察のありように左右されます。いまのままではまず碌なことにならないだろうなと危惧しています。
 ハロウィーンの渋谷で大騒ぎをして、軽トラックを押し倒した男たち4人を逮捕。
 警視庁のエース部隊を投入してのスピード捜査には、あるメッセージがあった。
 「酒を飲んだノリでやってしまった」。
 5日朝に逮捕された、4人の男。
 警視庁の捜査員たちは、この事件を「2018クレイジーハロウィーン事件」と呼んでいた。
 スピード逮捕「逃げ得は許さん」 渋谷ハロウィーン事件-FNNPRIME
 っていうか、今回の逮捕劇、スピード逮捕ってはしゃいでいる記事があったのですが、なんで現行犯逮捕できなかったんでしょうね。警備で警察官も配置されていたでしょうに。衆人環視のもと堂々と発生した事件にもかかわらず1か月もかかっています。全然スピードじゃない。

被告側代理人の弁護士の『伊藤詩織著 「Black Box」 が「妄想」である理由』が妄想である理由

 拝啓 伊藤詩織様
 テレビやウェブマガジンなどであなたの身に起きた出来事を知り、ご著書『ブラックボックス』やクーリエ・ジャポンの特集「性暴力はなぜ起こる」も拝読しました。堂々とお顔もお名前も出して闘っているあなたに、匿名でお手紙を出す失礼をどうかお許しください。
 Me too.
 私も性犯罪の被害者です。今から25年も前のことになりますが、ローマで日本人の女子大生6人がイラン人の男にレイプされるという事件があったのをご存じですか。私はその女子大生の一人です。事件当時、19歳になったばかりでした。
(中略)
 レイプに遭った後というのは、ショックのあまり、判断力が働かなくなってしまう。どうすればいいのか、何が何だかわからなくなってしまうのですよね。私たちもあなたと同じだったのです。右も左もわからない外国の街で、一刻も早く知っている人がいる場所にたどり着きたかった。それしか考えられなくなっていました。
 しかし、平常心でいることができる安全な高いところでしか考えたことのない人は、思いもよらないできごとに遭って混乱している人でも平常心で判断を下すことができるものと思っているのですね。
 だから、普通では考えられないような行動をとった私たちは批判されたのだと思います。そして、「安全な高いところでしか考えない人」が「混乱して正常な判断ができない人」の行動を批判するという構図は、現在でもまったく変わらないようです。
 少し前に、ネット上の伊藤詩織さんの記事を探していたときに、ある人のブログにこんな短い文章が上がっているのを見つけました。

「志桜里」と「詩織」
どっちも,「響き」がよろしくない。
どちらにも,ウソをつくでない!!,と言いたい。

 書いているのは弁護士です。「詩織」というのは伊藤詩織さんを指していることは容易に想像がつきました。ネット上では他人を誹謗中傷する書き込みが横行していることは承知していますが、弁護士がこんな論理的でないことを書くなんて、どうかしています。
 なんだ、これはと不快に思っていると、しばらくして“「BB(『ブラックボックス』のことです)が「妄想」である理由”と題した長文がアップされました。たとえば、こういう記述があります。

 まず,通常の強姦致傷の被害者は,真に強姦被害に遭遇すれば,ホテルの部屋を出た直後にフロントに直行し,ホテル従業員に対し泣く泣く強姦被害を訴え,その従業員は,即座に警察に通報したはずである。ところが,詩織は,ホテルにも強姦被害を訴えていないし

 強姦致傷の被害者はみな、フロントに直行して泣く泣く訴えると決めつけている。レイプされた人がどんなに恥ずかしい思いを抱え、ショックで、理屈に合った行動などとれないということをわかっていない。
 差出人は25年前の最も有名なレイプ事件の被害者 拝啓 伊藤詩織様-クーリエ・ジャポン
 TwitterでTLに、この記事が流れてきました。私は不勉強ながらこの事件を知りませんでしたが、事件の概要を読む限り、事件後の被害者の行動といい、被害者が海外へ一人で旅行する「進歩的な」女性だったことといい「いかにも被害者がバッシングされそうな事件だな」という印象を受けました。被害者の行動は、性犯罪に詳しければ被害者によくあるものだとわかりますが、詳しくなければ「実はレイプじゃないんでしょ?」とか言い出しかねないものではあります。

 とはいえ、この記事の主題はそこではありません。主題は記事の後半で言及されている、弁護士の文章がいかに酷いかという話です。まぁ『「志桜里」と「詩織」どっちも,「響き」がよろしくない』などと書く人間の文章がまっとうではないことなど言うまでもないのですが、弁護士という職業に就く人間が、事実に立脚しない主張を公で垂れ流すのであれば逐一誤りを指摘しておかねばなりません。

 実際に調べてみると、以下のようなブログを見つけました。
 先般,『「志桜里』と「詩織」』と題するブログにて,
 両「しおり」氏に向けて,「ウソをつくでない!」と投稿したところ,
「月光史郎」氏というブロガーから,
「Black  Box を読んだ上での感想だろうか?」との疑問が寄せられた。
「嘘の理由説明なし」とのことなので,説明しておきたい。
(中略)
 それとともに,賢明なる私のブログの読者は,既にお気づきのことと思うが,私は,単なるBBの一読者ではない。詩織が山口氏を訴えた裁判について,今般,山口敬之氏側から訴訟代理の委任を受けた弁護士である。
 以上から明らかな,伊藤詩織による悪質な名誉毀損行為の数々を踏まえ,現在,様々な法的手続を準備・検討中であるが,その準備の過程でも,詩織をめぐっては,いろいろな動きがみられた。
 伊藤詩織著 「Black Box」 が「妄想」である理由-北口雅章法律事務所
 記事後半にあるように、驚くべきことにこの弁護士は無関係な第三者ではなく、被告である山口敬之の訴訟代理人でした。よしんば記事の内容が全面的に真実であるというあり得ない前提をおいたとしても、被告の代理人が原告を中傷するような記事をブログにあげるのは倫理的にも法廷戦略的にも問題があるんじゃないかと思うのですが……。

 ここからは、記事で述べられている「妄想である理由」がいかに間違っているかという点に関して論じていきます。なお見出しと引用文は、特別なことわりのない限り上掲の弁護士のブログの記事からの引用です。

 1.第1に,詩織は,薬物「デートレイプドラッグ」を使用した「準強姦犯」被害を訴えていながら,詩織が「知覚」した事実は,「強姦そのもの」であり,既に供述内容全体が破綻している。
 具体的に説明すると,次のとおりである。
 詩織は,一方で,❶山口氏に対し「あの夜」,「意識がないまま強制的に性行為を行われ,肉体的にも精神的にも傷つけられました」とメールで訴え(BB106頁),❷詩織が主張する「デートレイプドラッグ」の作用である「記憶障害や吐き気の症状」が詩織氏自身の「性被害状況」と酷似していたことを述べ(BB66頁),❸幼馴染みの看護師の供述から「デートレイプドラッグ」の可能性があると読者に思わせ(BB68頁「幼馴染のS」,「たった数杯と二~三合のお酒で意識を失うことはあり得ない」),❹警察官に対しても「記憶障害」とその原因として,「デートレイプドラッグ」が考えられる旨の主張をしている(BB92頁)。これらの事情は,詩織が,当初の捜査段階で,「デートレイプドラッグ」を使用した準強姦被害を受けたという認識のもと,「準強姦」被害を訴えていたことを物語っている。
 ところが,その一方で,詩織がBBで叙述している経験事実は,「激しい痛みで目覚め」,「『痛い,痛い』と何度も訴えているのに」,「ありえない,あってはならない相手」が,性行為を止めなかったというのであり,「押しのけようと必死であったが,力では敵わなかった」,「(バスルームの鏡には)血も滲んで傷ついた自分の姿が映っていた」,「膝の関節がひどく痛んだ」というのである(以上につき,BB49~50頁)。しかも,整形外科医からは「凄い衝撃を受けて,膝がズレている。」などと診察された旨の記載がある(BB66頁)。もしこれが事実であるならば,山口氏には,「強姦致傷罪」が成立する。
 しかしながら,被害者が「意識のない」状態のもとで敢行され,かつ,犯行直後に血液検査・薬物検査を実施しなければ証跡の残らない「準強姦」と,被害者の「意識があり」,暴行・脅迫を手段とし,被害者の抵抗を抑圧して敢行される「強姦」とでは,犯罪類型が全く異なる。特に本件の場合,詩織の主張(妄想)によれば,山口氏の暴行により「右膝」等に傷害を受けたというのであるから,このことだけでも「準強姦の枠組」を完全に超えている。もし仮に,詩織がBBに書いていること,すなわち,「客観的・法律的には強姦致傷の事実」を真に「知覚し」,「詩織の認識として」警察に訴えていたならば,警察が山口氏を被疑者として強制捜査を開始しないわけがない。たとえ警察への被害申告が遅れ,告訴の時点で傷が治癒していたと仮定しても,(痕跡が残らない薬物とは異なり)傷害の事実(強姦「致傷」の事実)については,医師のカルテと,医師の供述によって容易に証明できるからである。この意味で,準強姦では検挙不能でも,強姦致傷では容易に検挙・立件できるはずである。それにもかかわらず,警察が山口氏を強姦致傷で検挙しなかったのは,何故か。実際には,強姦致傷の事実など詩織の「妄想」であって,詩織自身が,実は,当初,BBに記載された態様の強姦被害を警察・検察に訴えていなかったからに他ならないと考えられる(このことから,強姦致傷の事実については,後から詩織が「捏造」したことが強く疑われる)。ちなみに,BBによれば,担当警察官の「A氏」から詩織が聞いた話として,A氏が担当の「検察官に相談したところ,いきなり,『証拠がないので逮捕状は請求できない。…』と言われた」とあるが,これは「『準強姦罪の』証拠がない」という意味である。
 しょっぱなから何を言っているかいまひとつわかりにくいのですが、要するに
①伊藤氏の容疑が準強姦と強姦致傷で揺れ動いているという矛盾がある。
②伊藤氏が被害をありのままに訴えていれば警察が強姦致傷で捜査に動くはずだが、実際にはそうなっていない。
 の2点を根拠に、伊藤氏の主張が「妄想」とまで言い切っています。しかしそもそも、この2点がそれぞれ矛盾であるという主張それ自体が論理的整合性を欠いています。

 まず①について、私は法律の専門家でないので法としてどう裁かれるのかという点には詳しく立ち入りませんが、被害者の証言がいくつかの犯罪の類型を跨ぐことは必ずしも証言の信頼性を毀損することにはならないでしょう。仮にそれぞれの犯罪が互いに矛盾するというのであればまだしも、伊藤氏が受けた被害はそうではありません。
 伊藤氏が目覚める前までは準強姦であり、目覚めた後は強姦致傷とみなすのが妥当な状況だったと考えれば矛盾はありません。準強姦か強姦致傷かというのはあくまで、警察や検察がその犯罪をどう処理するかの問題であり、被害者にとっては単に被害そのものが純然たる事実として存在しているわけです。
 ①の議論は、自身が後付けで事実を「複数の罪種にまたがる」と評価し、かつ「それが本来あり得ない」という誤った前提を自明視するという二重の誤謬によってようやく「矛盾だ!」と組み立てているにすぎません。

 ②については、『警察に訴えていたならば,警察が山口氏を被疑者として強制捜査を開始しないわけがない』という根拠不明の前提が自明視されていますが、もちろんそれは正しくありません。日本に限らずですが、警察が性犯罪事件において驚くほどの冷淡さを発揮することは有名です。医師のカルテはあくまでケガをしたことを示すだけであって、それが強姦の過程でなされたことを示すものではないので「証拠がない」と警察が一蹴したというのは十分にありうることです。
 実際、『Black Box』のp73-74にかけて、原宿署の捜査員が被害の訴えを聞き「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」と述べた旨が書かれています。本書を本当に読んでいれば『警察に訴えていたならば,警察が山口氏を被疑者として強制捜査を開始しないわけがない』という前提を無邪気に信じることはまずないでしょう。

 なお、これはちなみにですが、伊藤氏は被害を訴えた当初は「準強姦」という点をはっきりと言っていました。これは飲酒によって酩酊したという状況から非難されることを恐れたためではなかろうか(仮に本当に酔いつぶれていたとしても加害者が免責されるわけではないが)と思うわけですが、どういう事情があれ、被害者がうまく被害を伝えられなかったことを被害者の責任にするのは誤った対処でしょう。

 2.第2に,仮に百歩譲って,詩織が,実際には,BBに記載された態様の強姦致傷の被害を「知覚し」,かつ,警察・検察でも,その旨の被害事実を申告していたと仮定しよう。それでも,詩織の「強姦被害」後の行動は,「通常の強姦被害者」のそれとは全く解離しており,大きく矛盾している。
 まず,通常の強姦致傷の被害者は,真に強姦被害に遭遇すれば,ホテルの部屋を出た直後にフロントに直行し,ホテル従業員に対し泣く泣く強姦被害を訴え,その従業員は,即座に警察に通報したはずである。ところが,詩織は,ホテルにも強姦被害を訴えていないし(BBには,その旨の記述がない。),詩織が警察に「準強姦」の被害申告をしたのは,「事件から五日が経過」した時点である(BB72頁)。
 その間,詩織は,「強姦」に起因する「膝の怪我を理由に会社を休んだ。」と述べているが(BB70頁),詩織は,「友人R宅」で,「親友のK」とRに対し「私は,『準強姦にあったかもしれない』と話した。」と述べている(BB71頁)。しかしながら,「レイプは魂の殺人である。」(BB254頁)と高言する詩織が,しかも, 「ありえない,あってはならない相手」から「性暴力」を受けている状況を「目の当たりに」「知覚」し,かつ,会社を休むほどの「膝の怪我」を訴えているにもかかわらず, 『(準強姦にあった)かもしれない』などと,「自らの性暴力被害の成否」について,「間の抜けた」「自信のない」発言をするわけがない。ここには,詩織がBBで描写している性暴力被害の内容(BB53頁では「(山口氏からの性暴力場面で)…この瞬間,『殺される』と思った。」とまで書かれている。)と,性被害の受けた後に詩織の友人達に述べた発言内容(『(準強姦にあった)かもしれない』)との間に,明らかな解離・矛盾が認められる。
 さらに,詩織は,「強姦被害」に遭った二日後,「強姦の加害者」であるはずの山口氏に向けて,「無事ワシントンへ戻られましたでしょうか? VISAのことについてどの様な対応を検討していただいているのか案を教えていただけると幸いです。」といった「親睦」のメールを送信している(BB70頁)。実は,このメールでは,「無事ワシントンへ戻られましたでしょうか?」の前には,「山口さん,お疲れ様です。」といった「詩織にとって不都合な」「枕詞」がついており,BBでは,このことを意図的に隠すべく,省略しているのであるが(山口氏の独占手記「私を訴えた伊藤詩織さんへ」Hanada-2017年12月号267頁参照),この点をひとまず措くとしても,「正常な神経」をもつ「強姦被害者」は,性暴力被害を受けた後は,性暴力の加害者に連絡し,交信しようなどとは100%思わないし,まして,「強姦の加害者」が上司にいる職場で働こうなどとは絶対に思わない。このように詩織が山口氏に対して「無事ワシントンへ戻られましたでしょうか?」などと山口氏の無事・安否を気遣う「親睦」メールを発信していること自体でも,詩織が「強姦被害者ではない」ことが如実に示されている。
 これに関してはザ・レイプ神話で、中傷するにしてももうちょっとオリジナリティとかなかったんかと呆れるほどであります。
 これはむしろ被害者の典型的反応です。現に当該書でも『私さえ普通に振る舞い、忘れてしまえば、すべてはそのまま元通りになるかもしれない』(p69)とあるように、被害から目を逸らすことで自分を保とうとする行動はよく見られるものです。
 また伊藤氏に関しては、被害を訴えれば、マスコミで高い地位にある加害者から逆に名誉毀損で裁判を起こされるといった攻撃を受ける可能性もあり(p60)、そのことへ恐怖で訴えにくかったという事情もあります。このような背景も、実は顔見知り同士での被害が多い性犯罪では典型的でしょう。

 それ以外にも通報をためらわせる要素は多く存在します。この点は杉田聡編著『逃げられない性犯罪被害者 無謀な最高裁判決』に詳しいです。
 少なくとも、もう21世紀も5分の1過ぎようとしているご時世なので「被害をすぐに訴えないのはおかしい!」なんて言わない程度の知識は身に着けてほしいですね。

 3.第3に,時間経過との関係でも,詩織がBBで描いた「性被害」には無理がある。
 BBによれば,詩織と山口氏が「恵比寿南の交差点付近」でタクシーに乗車したのは,「金曜日の午後十一時過ぎ」であるから(BB203頁),遅くとも同日十二時前にはホテルの部屋に到着したことが窺われる。もし仮に,山口氏が詩織の主張するとおり,「デートレイプドラッグ」を使用して,詩織を酩酊させ,意識不明の状態のもとで,「準強姦」を計画したと仮定しよう。通常は,ホテル到着後まもなくの時間帯,詩織の意識不明の状態に「犯行に及ぶ」のが通常であろう。ところが,詩織のストーリーによれば,山口氏は,詩織が「酩酊」と「睡眠」から覚めそうな「午前五時台」の時間帯(BB92頁),つまり,犯行が最も発覚しやすい時間帯を選んで「準強姦」に着手し,途中で,「痛み」で目を覚ました詩織を前に,「強姦」に転じて,犯行を継続させた,ということになる。このような「間の抜けた」「準強姦犯」など,およそ社会常識ないし一般感覚から外れている。
 ここまでくると「根拠は?」の一言で済ましてもよさそうな感じはします。午前5時が酩酊と睡眠から醒めやすいという話は初めて聞きましたが、そういう研究があるんでしょうか?
 よしんばこの時間が本当に目を覚ましやすい時間帯だったとしても、犯罪者が合理的に動くはずだという前提がそもそも正しくないので『このような「間の抜けた」「準強姦犯」など,およそ社会常識ないし一般感覚から外れている』という結論は導けません。

 この理屈が通るのであれば、犯行時にあほなミスを犯しておけば「こんな間抜けな犯罪者はいないから彼が真犯人ではない」という理由であらゆる刑罰から逃れられます。んなあほな。

 4.第4に,詩織がBBで描く「強姦」被害の状況も,社会常識ないし一般感覚からは解離した, 矛盾だらけで,非常に出来の悪い「創作」といわざるをえず,著作者(ゴーストライターを含む。)が「論理的な思考力」に問題を抱えているものと疑わざるを得ない。
 まず,詩織が「激しい痛みを感じたため」に「目を覚ました」ときの状況について,BBでは,次のとおり叙述されている(BB49頁以下)。「部屋のベッドの上で,何か重いものにのしかかられていた。」,「下腹部に感じた避けるような痛み」,「目の前に飛び込んできた光景で,…目覚めたばかりの,記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ,ありえない,あってはならない相手であった。」,「『痛い,痛い』と何度も訴えているのに,彼は行為を止めようとはしなかった。何度も言い続けたら,『痛いの?』と言って動きを止めた。」と。もし,ここに記載されている状況のもとで,目を覚ました強姦被害者は,100人が100人,『痛い,痛い』などとは訴えない。『キャーッ!!』,『ウァー!!』といった悲鳴なり悲痛な叫び声とともに,『止めてください!』と懇願するだろう(もちろん,あまりのショックと衝撃に「言葉を失う」被害者がいてもおかしくない。)。少なくとも,女性心理に関する,私の如上の考察を複数名の知人女性に確認したところ,彼女らも,私の考察の正しさを認めた。性暴力被害に直面するといった非常時に,『痛い,痛い』と何度も「間の抜けた」痛みを訴えるのは,詩織ぐらいなものではなかろうか。
 次に,BBによれば,詩織は,山口氏に「トイレに行きたい」と言って,「トイレに駆け込んで鍵をかけたが」,その後,「意を決して(バスルームの)ドアを開けると,すぐ前に山口氏が立っており,そのまま肩をつかまれて,再びベッドに引きずり倒された。」というが(BB50頁),その後の事実経過の叙述について,私は,これを頭に思い描くことができない。BBによれば,「体と頭は(ベッドに)押さえつけられ,覆い被されていた状態だったため,息ができなくなり,窒息しそうになった」というのであるから(BB51頁4行目),このとき山口氏は,背後から詩織の後頭部をベッドに押さえてつけていたことになり,詩織は「うつぶせ状態」のはずである。ところが,詩織は,この「うつぶせ状態」で,「必死に体を硬くし体を丸め,足を閉じて必死で抵抗し続けた。」と叙述しているのであるから(同頁8行目),このとき詩織は,「うつぶせ状態」で抵抗しているのか,「正常位」で抵抗しているのかがわからなくなる。が,それに続く一文では,「頭を押さえつけていた手が離れ,やっと呼吸ができた。」とあるので,終始,「うつぶせ状態」で「後頭部」をベットに押さえつけられていたのかな,と思って読み続けると,それ続く文章(同頁9行目以下)は,「『痛い。やめてください』(との発言に対し)山口氏は,『痛いの?』などと言いながら,無理やり膝をこじ開けようとした。」とあるから,ここでは「正常位」が前提の叙述になっている。
 要するに,BBの著作者が描く性暴力被害の状況は,詩織の「うつぶせ状態」と,「正常位」とが混在しているのであって,支離滅裂である。  
 これもまた、根拠不明な前提を自明視しています。叫び方なんて人それぞれでしょとしか。あるいは本へ書くという都合上、意味を持たない叫びはあげたけど記述はしなかったという話なだけかもしれませんし。
 なんでn=いくつか程度の「調査」で自信満々なんでしょうか。

 また「支離滅裂」と評されている被害の描写に関しては、単なる誤読でしょう。『必死に体を硬くし体を丸め,足を閉じて必死で抵抗し続けた。』『山口氏は,『痛いの?』などと言いながら,無理やり膝をこじ開けようとした。』という状況を仰向けを前提とした記述であると解釈していますが、しかしこれはうつぶせ、正確にはベッドへ正面を向くような形でも成立する行動です。あるいは『体と頭は(ベッドに)押さえつけられ,覆い被されていた状態だったため,息ができなくなり,窒息しそうになった』を、仰向けのまま顔を横向きに押さえつけられたと解しても成立するでしょう(加害者にキスを迫られたという状況からは、こっちのほうが妥当な気もする)。少なくとも、「支離滅裂」といえる状況ではありません。

 しかし重要な点はそこではなく、なぜ事細かな被害の描写のうちごく一部が理解しにくいというだけで、被害者の訴えの全容を疑ってかかったのかという点です。特にここは伊藤氏が『「殺される」と思った』と書いていることからわかるように、一連の被害の中で最も危機的だった状況です。そのような高度なストレス下での記憶に多少曖昧なところがあるのはむしろ普通でしょう。
 もし被害者の訴えに、ほんの少しでも矛盾があればその証言を信じないというのであれば、性犯罪で有罪になる人間はいなくなるでしょう。この弁護士はそれが目的かもしれませんが。

 5.第5に,詩織が,「(準)強姦」に起因して発生したと訴えている傷害被害は,❶「乳首」の傷害と,❷「右膝」の挫傷,及び❸「PTSD」であるが,いずれについても不可解である。
 各傷害の該当箇所を指摘しておくと,❶「乳首の傷害」:BB50頁「(バスルームの大きな鏡に)体のところどころが赤くなり,血も滲んで傷ついた自分の姿が映っていた。」,BB55頁「あざや出血している部分もあり,胸はシャワーもできないほど痛んだ」,BB108頁「乳首はかなり傷つきシャワーを当てられないほどでした。」,❷「右膝の挫傷」:BB65頁「右膝が激しく痛み,歩けないほどになっていた。」,66頁(整形外科医の発言)「凄い衝撃を受けて,膝がズレている。」,❸「PTSD」(心的外傷後ストレス障害):BB232頁「PTSDの診断」,BB233頁「PTSDの発作」,BB151頁「突然起きるPTSDの症状」である。
 まず,上記❶の「乳首の傷害」については,「準強姦」の場面で,「乳首」に「出血」を伴うような傷害を与える性暴力の加害者はいない。すなわち,被害者は酩酊等で意識を失っているのであるから,性暴力の加害者は,抵抗抑圧の目的で暴行・傷害を加える必要がないのであって,意識不明の女性を姦淫する際に,「乳首」に傷害を負わせたとすれば,それは,猟奇的な変態趣味ないし変質者の領域の問題である(詩織は,事件後の山口氏とのメール交信記録で,このような傷害被害を全く訴えていないし,そのような「変態趣味」の被害を訴えること自体が山口氏の人格を冒涜するものである。)。また,BBで叙述された詩織が翌朝目覚めてからの暴行でも,胸部に傷害を惹起するような態様のものは皆無である。したがって,上記❶の「乳首」の傷害は,明らかに詩織の創作・虚構だとわかる。
 次に,上記❷の「右膝の挫傷」についても,「足を閉じて必死に抵抗し続けた。」(BB51頁)というのであるから,右側に衝撃性の外力は加わらないはずである。また,「無理やり膝をこじ開けようとした。膝の関節がひどく痛んだ。」(BB同頁)の記述部分から,膝に外傷が生じたというのであれば,当該傷害は左右両側性に生ずるはずであって,「右膝」に限局した傷害が生じたという事態は,やはり矛盾がある。
 さらに,上記❸の「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」についても,心的外傷を受けた患者は,当該「事件」を想起させるものについては, 極力・全面的に「回避」行動をとるのが特徴である(「日本トラウマティック・ストレス学会」のホームページによれば,PTSDは,「出来事に関して思い出したり考えたりすることを極力避けようしたり、思い出させる人物、事物、状況や会話を回避します。」とされている[http://www.jstss.org/topics/01/参照])。
 ところが,詩織の場合,自らの体験談を自著BBで詳細に述べ,マスメディア等に頻回に出演などし,全国各地,全世界をまたにかけて,自らの体験談を公然と語っているのであって,本来の「性暴力被害」により「心的外傷(トラウマ)」を受けた性暴力被害者の行動とは,全く相容れない。
 これもまた、自明ではない前提を自明であるかのように扱う誤りです。順番に見ていきましょう。
 ①の乳首の傷に関しては、『「準強姦」の場面で,「乳首」に「出血」を伴うような傷害を与える性暴力の加害者はいない』という根拠のないことを述べています。これは以降で記述されている、性犯罪者の暴力は相手の抵抗を抑えるためだという誤った前提から導かれるものです。
 しかし性犯罪の原因の1つが、女性に対する支配欲を満たすことであることを考えれば、一連のレイプの一環として、被害者の抵抗と関係なく暴行を振るう加害者がいることは想像に難くありませんし、現にいます。ゆえに、準強姦なのに傷があるからおかしいなどという主張は成立しません。
 しかし「傷がないから合意があった」というタイプの弁護はベタですが、その逆は初めて見ますね。
 またこの傷害を『猟奇的な変態趣味ないし変質者の領域の問題』と述べていますが、女性に薬を盛って犯すような人にそういう猟奇趣味があっても別に驚かないんじゃないかなと思います。

 ②の膝の傷に関しては、その原因を伊藤氏の意識のあった時間帯にのみ求めている点がおかしいです。この傷がいつつけられたものかは定かではありませんが、伊藤氏の意識がない時間帯の行為、あるいはホテルへ引きずり込まれた際に受傷したという可能性もあるので、少なくとも一連の加害行為のごくわずかな時間だけを取り出して論ずるのは意味がありません。

 ③のPTSDに関しては、そのトラウマに関する物事を回避する特徴があるのは事実ですが、人によって当然程度というものがあるので、常に『極力・全面的』とは限りません。また同じような被害でも何がトラウマのトリガーになるかという点では人によってばらつきがあり、一見トラウマの原因を回避していないように見えても、当人はうまくかわしつつできる範囲で活動しているだけかもしれません。極力回避するといっても方法にもいろいろあるでしょうし。

 精神疾患はその様態が幅広いので、狭い知識と見識で一方的に「あるべき姿」を規定して、そこから外れた者を偽物だと決めつけるような態度は現に慎まなければなりません。

 たいていの場合、これだけ主張を列挙すれば1つくらい、一部くらい「まぐれ当たり」することもあるのですが、今回はそれすらなく完膚なきまでに誤っているというのが逆にすごいですね。

 繰り返される「社会常識ないし一般感覚」というワード
 興味深いのは、この記事において『およそ社会常識ないし一般感覚から外れている』という言い回しが複数回登場しているという点です。これは単に、根拠のない自説が自明であるかのように装っているだけですが、これは法廷における性犯罪への扱いを考えるうえで、非常に重要なキーワードになっています。

 実は先ごろ行われた、龍谷大学での研究会に参加し、そこで日本で初めてセクハラ裁判を戦った角田弁護士の話を聞きました(『【書評】性と法律――変わったこと、変えたいこと』も参照)。
 その模様は『第6回公開研究会「性暴力・セクシュアルハラスメントを考えるために――性暴力の顕在化・概念化・犯罪化」角田由紀子弁護士 講演』でみられますが、そこで挙げられた現状のセクハラ裁判の問題点の1つは、裁判官が経験則や一般通念でもって、「被害者も対処できたはずなのにそれをしなかった責任がある」と認定し、賠償金を下げてしまうということでした。
 また裁判官の通念や経験則が、心理学研究の知見を無視して勝手に性犯罪の理論を作り出しそれに基づいてあらぬ認定をしてしまう問題は、前掲書『逃げられない性犯罪被害者』も述べているところです。

 私は法学部の出身でもないので、法曹関係者の言う「一般通念や社会的常識」がどのような位置を占めているのかはわかりませんが、少なくとも性犯罪において彼らの考える「一般通念や社会的常識」は事実と異なり、にもかかわらず心理学研究の知見を上回るようです。
 過去の記事『「強姦被害者が処女かどうかは捜査に必要な情報」という主張』や『「セクシーな下着は性交する気持ちがあるという事実を推認する」という弁護士の主張』で述べたように、司法関係者の性犯罪の認識はかなり時代遅れです。本来法律、ひいては犯罪の専門家であるべき司法関係者がこのざまでは性犯罪の問題の解決は遠いでしょう。

名誉毀損の判決にはいくつか段階があることすら理解できない右派論壇

 極右雑誌として名高い『月刊Will』2019年1月号に、櫻井よしこ氏による『元朝日・植村隆との裁判 勝訴報告』と銘打たれた記事が掲載されています。今回はその件です。

 そもそも植村対桜井裁判とは何なのか
 記事そのものに触れる前に、この裁判がそもそもどのようなものだったのかを確認しておきましょう。
 桜井よしこ氏は右派論壇で有名なジャーナリスト。氏は戦時中の日本が行った従軍慰安婦問題に関して、これが朝日新聞の捏造であり、この捏造記事のために日本の名誉が傷つけられたと主張していました。
 『朝日新聞』は2014年8月5、6日に「慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という報道の点検記事を掲載しました。「吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」とし、また「慰安婦と挺身隊の混同がみられた」ことも認めました。
 この点検記事に対して、『読売新聞』や『産経新聞』などの全国紙や多くの週刊誌・月刊誌をはじめとするメディア、さらには政府自民党などの政治勢力が、〈吉田証言はウソ→強制連行はなかった→慰安婦問題は朝日によるねつ造→国際社会にウソを広めた〉という単純な図式で、『朝日新聞』攻撃と、日本軍「慰安婦」問題そのものがねつ造だという異常なまでのキャンペーンを展開しています。
 そもそも吉田証言が日本軍「慰安婦」問題の火付け役だったという認識がまちがいです。吉田さんの問題の著書『私の戦争犯罪』は一九八三年に出版されています。当時、中曽根内閣で、元日本軍将兵らの加害証言が出はじめていましたが、「慰安婦」問題は、とくに社会問題にはなりませんでした。「慰安婦」問題が大きな社会問題、さらには国際問題になったのは、1991年8月に韓国でさんが、元「慰安婦」として名乗り出たことでした。そして同年12月に金さんを含む三人の元「慰安婦」の女性たちが韓国人の元軍人・軍属たちとともに日本政府を相手取って賠償を要求する訴訟を起こしました。このことが多くの良心的な日本の人々に大きな衝撃を与えました。衝撃を受けた一人が吉見義明さんで、吉見さんは金さんの証言を聞いてから改めて防衛研究所図書館に通い関連文書を探し、それを1992年1月に発表しました。これによって「民間の業者」が勝手に連れて歩いただけだという日本政府の言い訳が完全に否定され、日本政府は日本軍の関与を認めざるを得なくなり、日本の国家としての責任が追及されるようになります。
(中略)
 日本軍「慰安婦」問題の研究も実質的にここからはじまりますが、その時に吉田清治証言をどう考えるのかが問題になります。この点は、信頼できる証言としては扱えないというのが研究者の共通の理解となりました。
 当然、吉見義明さんの『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)でも吉田証言はまったく使っていませんし、「河野談話」作成にあたって吉田証言には依拠しなかったことも明らかにされています。ですから、今回の『朝日新聞』の点検を理由に「河野談話」見直しを要求するのはまったくの筋違いと言えるでしょう。
 多くの元日本軍「慰安婦」の女性たちの証言、さらには元日本軍将兵の証言や戦記・回想録、日本軍や政府の数多くの公文書などにもとづいて研究が行なわれ、日本軍「慰安婦」制度の全体構造とそのなかでの女性たちの被害実態が解明されてきました。それらの成果はさまざまな出版物、講演会などで市民に広げられ、元日本軍「慰安婦」の方たちの日本政府を相手取った訴訟においても活用されてきました。
 3-5 『朝日新聞』の誤報で「慰安婦」問題がねつ造されたの?-FIHGT FOR JUSTICE
 しかし実際には、朝日新聞が誤って報じたのは吉田証言の真実性、そして慰安婦と当時の挺身隊の混同という程度の話であり、慰安婦の存在の証明そのものにさほど影響しない要素ばかりでした。そしてそのような誤りは朝日新聞に限らず、朝日批判の急先鋒だった産経新聞もばっちり行っていることがすでに明らかになっています。

 このような背景のなか、桜井氏は植村氏が作成にかかわった記事の中で、慰安婦と挺身隊を混同したことや、証言を聞いた元慰安婦の証言の食い違いを理由に記事を捏造であると繰り返し主張していました。そのため、植村氏は桜井氏のほか西岡力氏や記事を掲載した文藝春秋に対して名誉毀損の訴えを起こしていました。

 勝訴とは言うものの……
 対桜井の裁判自体は、被告の桜井氏の勝訴となり、植村氏は控訴をする構えとなっています。そこで桜井氏のWillに掲載された『勝訴報告』に繋がるというわけです。
 しかし勝訴といっても、その内実は桜井氏の主張をぼろくそに叩くものでした。現に『勝訴報告』の中でも「桜井氏に真実と信じるに足る理由があったと認定された」というような判決が引用されています。

 ここで振り返っておく必要があるのは、名誉毀損に違法性が生じる条件です。『【書評】名誉毀損 表現の自由をめぐる攻防』でまとめたように、名誉毀損では事実の公共性、目的の公益性、そして事実の真実性か真実と信じるに足る相当性の3つが認定されれば違法ではないということになります。
 この相当性というのは「間違ってるのはその通りだけど、これなら真実だと思ってもしょうがないよね」みたいな話で、例えば警察発表を報じたらその発表が間違ってたみたいなときに認定されます(科の判例ではこれでも認められないときはあるけど)。

 つまり「真実と信じるに足る理由があったと認定された」というのは、捏造という桜井氏の主張それ自体は間違っていたということを認定したのとほとんど同じ事です。ジャーナリストとしては「損害賠償を払わなくていいから助かった!」となっても、「私が正しいと証明されたんだ!」と胸を張れるような状況ではないことは確かです。
 櫻井氏が間違いを認めたのはこういうことだ。
 月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)、「朝日は日本の進路を誤らせる」との寄稿の中で、櫻井氏は「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」と書き、植村氏を非難した。しかし、訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。なぜ、訴状にないことを持ち出して、人身売買説を主張したのか。誤った記述を繰り返した真意は明かされなかったが、世論形成に大きな影響力をもつジャーナリスト櫻井氏は、植村氏の記事を否定し、意図的な虚偽報道つまり捏造と決めつけたのである。
 川上弁護士は、櫻井氏がWiLLの記事と同じ「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返したことを指摘。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じ間違いを重ねたことを、番組の発言起こしを証拠提出して明らかにした。これらの言説が、植村氏や朝日新聞の記事への不信感を植え付け、その結果、ピークに向かっていた植村バッシングに火をつけ、油を注いだ構図が浮かび上がった。
(中略)
 櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号。「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と櫻井氏は書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。
 この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。
 櫻井氏はこの点について「これを報じたハンギョレ新聞等を確認した」と述べている。たしかにハンギョレ新聞には「挺身隊」の語句は見当たらない。しかし、そのことだけをもって断定するのは牽強付会に過ぎるだろう。川上弁護士は、韓国3紙の記事反訳文をひとつずつ示し、櫻井氏の間違いを指摘した。櫻井氏は、間違いを認めた。櫻井氏の取材と執筆には基本的な確認作業が欠落していることが明らかになった。

櫻井氏の22年前の大ウソ
 川上弁護士は最後に、櫻井氏の大ウソ事件について質問した。
 1996年、横浜市教育委員会主催の講演会で櫻井氏は「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」という趣旨のことを語った。ところが、これは事実無根のウソだった。櫻井氏は後に、福島氏には謝罪の電話をし、福島氏は雑誌で経緯を明らかにしているという。
「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」
「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」
「まるっきりウソじゃないですか」
「朝日新聞が書いたこともまるっきりのウソでしょう」
 最後は重苦しい問答となった。こうして、70分に及んだ櫻井氏の尋問は終わった。櫻井弁護団からの補強尋問はなかった。裁判長からの補足質問もなかった。
 櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り-植村裁判を支える市民の会
 現に、裁判では桜井氏側の誤りが厳しく糾弾されています。
 桜井氏の勝訴は、裁判所が「でも真実だと信じるのは仕方なかったよね」と認定してくれたから、要は大目に見られたという程度のことでしかありません。あくまで氏の主張自体はダメダメだったことは明らかになったはずなのです。

 「相当性」を理解できない右派論壇
 ジャーナリストという職業についているにもかかわらず、名誉毀損裁判にまつわる重要な概念である相当性を理解せず、この勝訴を自身の主張が認められたかのように扱ってしまうという桜井氏の在り方は一見異様です。しかしこれは右派論壇の伝統でもあります。
 安倍総理が2月27日予算委員会で「私は菅直人元総理から名誉毀損で訴えられたが、地裁、高裁、最高裁でも完全勝利した。完全に勝利したんですよ」と言及したメルマガ訴訟ついて、どのような内容の勝訴だったのか、地裁、高裁、最高裁の各判決文を入手しましたので、PDFで公開します。
 安倍総理のメルマガ訴訟、菅元総理に「完全勝利」?〜荻上チキが判決文を読む【音声配信&判決文の全文をPDF掲載】
 というのも、かつて安倍晋三首相も野党時代にメールマガジンで、当時の首相だった菅直人氏が東日本大震災の対応において東電に原発への海水注入を止める命令を下したというデマを流布した件で名誉毀損だと訴えられた裁判において、判決では「相当性」を認められただけで事実認定に関しては否定されたにもかかわらず「完全に勝利」などと主張しているからです(詳しくはリンク先の音声配信解説を参照)。
 大ボスの振る舞いがこのザマなので、桜井氏の振る舞いもある意味ではやむを得ないでしょう。

 言論人は言論で戦うべきか
 さて、桜井氏はこの『勝訴報告』記事の中で「もう法廷での戦いはやめて、言論人なら言論で」という趣旨のことを述べています。
 確かに、原則的にはそうでしょう。しかし本件に関しては2つの点であてはまりません。
 この週刊文春の記事で、日本の大学教授として若者たちを教育したいという私の夢は実現を目前にして、打ち砕かれました。そして、激しい「植村捏造バッシング」が巻きおこったのです。「慰安婦捏造の元朝日記者」「反日捏造工作員」「売国奴」「日本の敵 植村家 死ね」など、ネットに無数の誹謗中傷、脅し文句を書き込まれました。自宅の電話や携帯電話にかかってくる嫌がらせの電話に怯え、週刊誌記者たちによるプライバシー侵害にもさらされました。私自身への殺害予告だけでなく、「娘を殺す」という脅迫状まで送られてきました。殺害予告をした犯人は捕まっておらず、恐怖は続いています。いまでも札幌の自宅に戻ると、郵便配達のピンポンの音にもビクビクしてしまいます。週刊文春の記事によって、私たち家族が自由に平穏に暮らす権利を奪われたのです。そして、家族はバラバラの生活を余儀なくされました。私は日本の大学での職を失い、一年契約の客員教授として韓国で働いています。
 神戸松蔭との契約が解消になった後、週刊文春は、私が札幌の北星学園大学の非常勤講師をしていることについても、書き立てました。このため、北星にも、植村をやめさせないなら爆破するとか学生を殺すなどという脅迫状が来たり、抗議の電話やメールが殺到したりしました。このため、北星は2年間で約5千万円の警備関連費用を使うことを強いられました。学生たちや教職員も深い精神的な苦痛を受けました。北星も「植村捏造バッシング」の被害者になったのです。
 「植村捏造バッシング」は様々な被害をもたらした巨大な言論弾圧、人権侵害事件だ-植村裁判を支える市民の会
 1つは、言論とは全く関係のない側面で原告の植村氏やその関係者に被害が生じているということです。この被害の主因となったのは明らかに、桜井氏をはじめとする右派論壇による事実に基づかないバッシングであり、この被害を賠償することを求めるには言論ではなく法廷へ持ち込む必要があります。

 もう1つは、言論で戦えるのはあくまで言論を理解できる相手に限られるということです。きっちりと議論のできる相手を無視して法廷論争へ持ち込めば批判も当然でしょうが、桜井氏はそういう相手ではありません。本件の判決の曲解もさることながら、すでに法廷で否定された「事実」を繰り返し流布する相手には言論で対抗する術はありません。
 平たく言えば、すでにゲームのルールが違うのです。

 法律として名誉毀損であり弁償が必要かどうかという判断と、事実そのものの判断がどうかという話は別物であるということをまずは把握しなければなりません。現状の法律に関してそれすらできていない右派論壇が、戦時中のことに関して正確に論じられるかどうか、その答えは明らかです。

【書評】高齢者の犯罪心理学

 今回の書評は、高齢者の犯罪という問題を総ざらいするかのように分厚い内容の1冊。とはいっても紙幅的にはさほど分厚くないので読みやすくはあるんじゃないでしょうか。ただ話題が多岐にわたるので専門外な話はいささか理解が追いつかない面も。

 高齢者犯罪は本当に増えているのか
 まずこの手の本のお約束として、「高齢者犯罪の増加」という通俗的なドグマの真偽が検討されています。
 現状、検挙人員における高齢者の割合は増加の一途を辿っているのは事実です。しかし人口の増加以上に増えているのか、あるいは増えていたとしてもほかの年代より多いのかというのはまた別の話です。
 10万人当たりの数字で検討すると、高齢者の検挙人員は平成19年をピークに横ばい状態となっています。また犯罪ごとに特徴があり、高齢者の検挙人員の大半が窃盗であること、性犯罪で検挙される高齢者が(元々少なかったということもあって)急増傾向にあること、ストーカーで検挙される高齢者も2000名程度いる一方で被害にあう高齢者は1000名程度であることなどが分かっています。

 高齢者犯罪の原因は何か
 では、なぜ高齢者犯罪が増えているのでしょうか。これも罪種ごとの特徴がありますが、総合的な原因として議論できるものの1つにコホート説があります。これは「年代的に犯罪率の高かった人たちが高齢者になったために高齢者犯罪が増えた」という身も蓋もない説です。

 また脳機能に原因を求める説明もあります。加齢によって脳、とりわけセルフコントロールや計画性を司る前頭葉の萎縮が起こると、衝動性が増加し犯罪へ導かれやすくなるというわけです。ただしパーソナリティの観点からは、若者よりも高齢者で協調性が高いという知見もあり、加齢による影響が犯罪の観点からネガティブなものばかりではないことは留意すべきでしょう。脳機能に関しては、認知症の症状と結びつくことのほうが原因として大きいかもしれません。

 それと、高齢者をとりまく社会的要因も無視できません。とりわけ離職や家族との死別・離別、外へ出なくなったことによる地域社会からの隔絶といった要因で生じる孤独感は加齢による変化といったほかの要因と結びついて犯罪の原因となる可能性があります。本書では高齢者が引き起こした食品への異物混入事件の原因として挙げられています。
 またシンプルな困窮も原因になります。一般に高齢者は金を持っていると思われがちですが、大半はわずかな年金で暮らす貧困層です。困窮そのものも去ることながら、実際の資産状況はさておき限られた資産を食いつぶす一方の生活というのはストレスになるもので、それが犯罪の遠因となることは十分考えられるでしょう。

 さて、多岐にわたる本書の内容をまとめるとキリがないのでこの程度にしますが、高齢者犯罪を論じるうえで必須の1冊になるでしょう。それぞれの犯罪には当然ながら特徴があり、高齢者犯罪と1つにくくって論じることが必ずしも適切でない場合もあるでしょう。そのような議論の基盤になる知見であるはずです。

 越智啓太 (編) (2018). 高齢者の犯罪心理学 誠信書房

【書評】偏見や差別はなぜ起こる? 心理メカニズムの解明と現象の分析

 今回はちょっと軽めに。本書は差別や偏見を社会心理学的な視点から扱うものであり、この分野を0から学ぶ人にとっては非常に優れた1冊となっています。
 まぁ裏を返せば犯罪についての話題はあまりないのですが、しかし1章割かれているのでちょっと内容を見ておきましょう。

 被疑者と裁判を起こす人への印象
 犯罪の章の内容としては、まず犯罪者への処遇や犯罪生起のイメージの偏りが挙げられています。実はそんなに凶悪な犯罪が発生していないとか、無期懲役になると10年で出れるというのは実態とかけ離れているとかそういう話で、知っている人からすれば今更というものではあるでしょう。

 そんな中で興味深かったのは、取り調べを受けた被疑者への印象、そして裁判を起こす人への印象を尋ねた研究です。
 前者について、本書で紹介されている研究では実験参加者に「取り調べを受けて無実だった人」「取り調べを受けて否認した人」「罪は否認したが有罪になった人」の3種類の人に対して悪人としての根深さを尋ねました。その結果、無実の人が一番良い評価だった一方、ほかの2人に対する評価には差がありませんでした。
 刑事裁判では推定無罪の原則があり、これに則れば取り調べを受けているが否認しており、まだ裁判で判決を受けていない人は無罪である人と同じように扱われなければなりません。しかし人が受ける印象においては、取り調べを受けたというだけで有罪であるのと同じように扱われてしまうのです。

 また実験参加者に、ある犯罪について様々な立場の人に対して隣人として相応しいかを評価させた研究では、犯人として報道されたが被疑者として取り調べを受けなかった人は、有罪となった犯人と同じ程度に隣人として相応しくないと評価されたという知見もあります。
 おそらく、取り調べを受けたり報じられたりという事実が簡便に(ヒューリスティック的に)認識され、その人への評価が悪くなったのでしょう。

 後者に関しては、同じ医療過誤によって損害を受けた人で裁判を起こした人と起こさなかった人に対して、それぞれどの程度攻撃的だと思うか尋ねた研究があり、この実験では裁判を起こした人のほうがそうしなかった人よりも攻撃的だと評価されていました。
 裁判を起こした人への評価はその民事裁判そのものをどう評価するにもよるでしょうが、実験で想定された状況はおおむねどのような人が見ても正当な損害賠償と考えられるだろうものでした。このことから、裁判を起こしたという事実だけでその人は攻撃的だとみなされる可能性があることが示唆されます。

 本書は犯罪について以外にも、人種、年齢、性別、セクシャルマイノリティ、障害、原発に関する話題に関してもフォローしています。差別問題を論じるうえでは必読の1冊になるでしょう。

 北村英哉・唐沢 穣 (2018). 偏見や差別はなぜ起こる? 心理メカニズムの解明と現象の分析 ちとせプレス

『声かけ写真展』を徹底的に叩き潰すべきこれだけの理由

 2016年5月に東京都世田谷区のIID 世田谷ものづくり学校で開催され、「子どもの人権侵害」などの批判を受けて同施設が謝罪した「声かけ写真展」について、主催者が大阪で再度開催を目指していることを公表した。
 主催者側の公式サイトでの説明によると「声かけ写真」とは街角などで女子小中学生に声をかけて撮影されたもので、「20世紀に趣味写真の一ジャンルであった」と主張している。
 しかし実際に展示された写真の中にはブルマや水着姿の少女などが収められており、写真販売も行われていた。子どもには撮影許可を得たとしているが、同意と見なせるのかについての疑問の声や「アートという名の人権侵害」ではなどと批判の声が挙がっていた。そうした声を受けて世田谷では開催期間終了後に、施設が謝罪した。
 主催者側は現在、グッズ販売サイトSUZURIで支援金付きグッズを販売し、開催の資金を募っている。また、10月6日から別のクラウドファウンディングサイトCAMP FIREを利用し8万5000円を集めていたが、サイトの判断によって公開後に取り下げられたと公表している。
 少女の性的搾取と批判された「声かけ写真展」、大阪で再度開催の動き-ハフィントンポスト
 この件です。
 いや、何年か前に炎上した記憶があるので、まさか復活するとはという感じです。
 声かけ写真展はすでにネット上で批判されていますが、あえてきつい言葉を使うなら徹底的に叩き潰し復活の兆しも見せられない状態にまで追い込む必要があります。その理由を以下にまとめました。

 被写体の明確な肖像権侵害
 まず最初の利用として、被写体の肖像権を明らかに侵害していることが挙げられます。
 主催者は公式ページ(記事執筆時には閲覧できず)で、被写体に同意を得たと説明していますが、未成年、しかも小学生くらいの子供の口で交わされた同意を果たして同意とみなすべきかには大きな疑問が残ります。心理学実験なら間違いなく親の同意が必要とだと倫理審査委員会に突き返されるところです。
 また「親権は同意とみなさない」という文意不明瞭な一文がありますが、これは親の意志よりも子供の意志を優先するということでしょうか。であれば、本来の同意の在り方の真逆を言っているというべきでしょう。
 なお、掲示板のコーナーには、より多くの写真が貼り出されており、一枚100円で焼き増しプリントをしてもらうことができる(別途送料250円が必要)。
(中略)
 今回の展示会を主催した、株式会社土の福田信哉代表と、キュレーターの器具田こする教授にお話を伺うことができた。
-今回の展示会開催に当たっての経緯を教えて下さい。
 昨年の年末ぐらいに、「かつて撮られた市井の女の子の写真を今の人たちに見てもらう機会を作りたい」というところから始まりました。
 そこで、当時からそのような写真を発表していた方の作品を提供してもらい、今回の開催となりました。
-「声かけ写真」の魅力というのは何でしょうか?
 モデルやアイドル、女優といった撮られるプロの人とは違い、間にメディアが介在していない素の姿が見られるところですね。私たちは『モロ少女』、略して『MoRoS(モロス)』と呼んでいます。“本物の少女”や“スレていない少女”という意味合いです。ある意味“野生の少女”と言ってもいいでしょう。
(中略)
-現在は、『声かけ事案』などに発展しかねないことから、この文化は衰退していますよね。その点についてはどのようにお考えですか?
 いろいろな点で難しい時代になったと感じています。『声かけ』という言葉だけで、悪い意味にとる方もいらっしゃいますし。
 しかし、だからといってかつて撮られた写真が悪いものになるわけではないんです。
 その偏見を無くし、作品を残すということをしたかった。
 たとえ否定的な意見があったとしても、何もしないよりは行動を起こしたいと思いました。
-今後はどのような活動をしていきたいと考えていらっしゃいますか?
 グッズを作りたいですね。マグカップとかペナントとかシールとか(笑)、ノスタルジーを感じるものがいいです。
 古きよき時代の少女の姿がここにある 世田谷で『声かけ写真展』開催中-ガジェット通信
 よしんば同意を得ているという主催者側の主張を鵜呑みにするとしても問題はなくなりません。というのも、上掲記事で主催者も述べているように、写真は焼き増しされて販売され、しかもグッズを作るという計画もあるようです。子供相手にどこまでの利用なら許可して~などという細かい同意が実行できるとは到底思えないので、写真を撮るという同意だけでここまでしていると断言していいでしょう。これは明確な肖像権の侵害です。

 しかもネットによる拡散が容易なデータ形式による配布も行われていたという情報もあり、あいまいな同意で撮影された写真がネット上に拡散して収拾がつかなくなるという被害につながる恐れもあります。

 性的搾取の意味合いが強い
 このような写真あるいは写真展は、ハフィントンポストの言うように「性的搾取」に当たる言っていいでしょう。
 主催者は批判回避のためか「古き良き昭和のノスタルジー」云々ということを繰り返しますが、それはあくまで表向きの話であり、本来の目的が小児性愛的な欲求の充足にあることは明白です。

 昭和という時代に、道行く市井の人たちの何気ない一瞬を切り取った写真文化が確かにあるというのであれば、そこに写る被写体は年齢も性別もばらばらであるはずです。しかし、すでに説明文で馬脚を露している、あるいはそもそも隠す気がないように、被写体は常に「学齢期」の「少女」に限られています。中年でもなければ少年でもないのです。ついでに言えば、撮影者も「おじさん」に限定されています。

 ここからわかるのは、声かけ写真展が標榜するノスタルジーはあくまで、中年男性が一方的に自身の欲望の充足のために少女の権利を蔑ろにするという関係性によって成立するもので、人権思想によって立てば本来肯定されるはずのないものだということです。ここで撮影者や写真展の観覧者が昭和の時代へ思いをはせるとき、怪しげな大人に写真を撮られて恐ろしい思いをした少女の姿は捨て置かれ、自身の都合のいい眼とレンズを通した幻想にすぎません。
 主催者は「野生の少女」がどうたらと気持ちの悪いことを述べていますが、写真に写る少女がどのみちアイドルのような「プロの人」と同じように幻想によって歪められた存在であることに気づかず、そもそも被写体となった被害者にとってそんな少女論のような話はどうでもいいのです。

 犯罪者予備軍を団結させる
 さて、このような写真展を潰すべき理由は、単にそれが直接に加害であるからだけではなく、将来の被害をも招きうるものだからです。
 この写真展は「同好の士」、つまり被写体の人権に無頓着で撮影を実行する程度には危険な小児性愛者への誘蛾灯となり、同時にそのような行為を肯定する機能を有しています。

 小児性愛を犯罪ではなく性的指向に含めるべきという主張もありますが、私はそのような立場はとってませんし(『同性愛や両性愛と小児性愛は同列に語りえるか』参照)、その議論へどのような結論を下すにせよ被写体の権利を無視して写真撮影をしている時点で「無害な性的指向」と呼べるものではないのは事実です。

 本来同意が必要な撮影、そして撮影した写真の展示や配布といった行為を、同意に無頓着なまま行ってしまうという人権意識の低さ、そして実行力の高さは容易にそれ以上の犯罪へつながる恐れもあります。『男が痴漢になる理由』で著者が指摘していたように、痴漢のような性犯罪者というのはネット上で集まり、個々の経験を開示することで承認を得ると同時に、そこで承認を得たいという思いがさらに過激な犯行へ走らせるというシステムの下で動いています。

 要は声かけ写真展というのは、このシステムをネットから表の社会に進出させたものであり、ネットで水面下で動いているうちはまだ悪いことだという申し訳程度にせよ自覚があったところ、表社会で承認されるともうその申し訳程度の歯止めすらなくなるというわけなので危険極まりないのは言うまでもないでしょう。
 彼らが仲間内のグループで動いているというのは、本来外向けに作られるはずの公式サイトにおいて、SJWという正式名称自体はある程度知られていても略語はさほどでもないという言葉を何の保留もなく使うところからも明らかです。まぁ仮に正式名称だったとしても「social justice warriorの妨害によってクラウドファンディングが消された」って、その言葉の意味するところを了解している人たち以外には何の説明にもなっていないんですが。

 一層気味が悪いのが、一度炎上したこの写真展が2年の時を経て、ほとぼりが冷めるのを待っていましたとばかりに復活したところでしょう。今回は二度と復活しない程度にはしっかり批判して、このような写真展が許されないという社会的合意を作っていかなければなりません。

【書評】月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う

 今回は、以前カンパで頂いたアマゾンギフト券で購入した一冊です。カンパの詳細についてはブログ上部をご覧ください。

 女性犯罪の原因は月経にあり?
 本書で取り扱われているのは、女性犯罪の原因は月経であるという俗説です。あくまで俗説ですが、旧来よりヒステリーなどに関連する学説として、女性の子宮が精神の不安定さに関連すると考えられていたので、犯罪と結びつくのはある意味では時代的な必然といえるでしょう。

 もっとも、問題なのはその学説が、当時の技術的限界を差し引いてもいい加減な論証の上に成り立っていたという点です。例えば、犯罪心理学の祖としてその名前がよくあがるロンブローゾは、万引きや公務執行妨害を犯した女性の多くが月経中であったことを具体的な数字を挙げて論じていますが、これはあくまで女性自身が自己申告したものを、さらに伝聞で聞いただけの信頼性に欠けるデータでした。
 しかも場合によっては、女性が犯罪を犯しやすい時期が月経中になったり月経前になったり、あるいは無月経だったりとばらついて理論として訳が分からないような状態になってしまっています。要するに月経と何らかの関係があれば犯罪につながると言っているようなもので、これでは理論と到底呼べるような代物ではありません。

 しかし残念ながら、これほど粗が目立つ理論は例外的な犯罪学者を除いて、多くの学者に受け入れられてきました。例えばロンブローゾの著作を翻訳した寺田精一、また『【書評】殺人論』でも取り上げた小酒井不木もその一人でした。

 女性犯罪論 その時代的背景
 ではなぜ、このように冷静に考えればどうにもおかしいと思われる理論があっさりと受け入れられたのでしょうか。著者はその原因の1つに時代的な背景をあげます。
 女性犯罪論が盛んに論じられた当時、つまり戦前から戦後まもなくくらいの時代にかけては、女性に対して健康な国民を生んで富国強兵に貢献する母体としての役割が期待され、押し付けられた時代でした。

 そのような背景、というより願望のために、為政者たちは女性を男性と同等に扱わず、男性の下へ押し込めるような理屈を、意図的かどうかはともかく必要としていました。その点、女性が月経によって不安定になるという理屈は実に都合がよかったわけです。そのような側面を最大限強調するために、月経と犯罪との関連が特に使われていったようです。

 要するに、自身の願望を押し通すために科学を装った主張を、多少どころではない齟齬を無視して利用したということなのでしょう。

 月経原因説は過去の遺物か
 さて、これらの話はせいぜい戦後まもなくの、1930年代そこらまでの話がメインです。しかし月経を犯罪の原因とする議論は過去の遺物となったわけではありません。
 例えば、74年に発生した甲山事件。幼児が排水溝で見つかり勤務していた保育士が逮捕された冤罪事件ですが、ここでは月経原因説に基づいて女性の容疑者に月経について尋ねたといいます。また本書には70年代から80年代にかけて出版された、月経原因説をとる書籍も多数指摘されています。

 極めつけは、本書の前書きで指摘されている、2003年に出版された刑事政策の教科書です。ここには現代に生きる月経原因説を見ることができます。まぁ、杉田聡『』でも指摘されていたことですが、法学や政策といった本来犯罪を専門的に扱うはずの分野の専門家(多くは男性)が、犯罪現象そのものに対して恐るべき無知を発揮するということは往々にして起こります。

 さすがに、2018年になってこのような議論を見かけることは、私の記憶ではありませんが……もしかしたら探せばまたぽろっと出てくるかもしれませんね。

 田中ひかる (2006). 月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う 批評社
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家、動画投稿者。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』ニコニコ動画『えーき様の3分犯罪解説』犯罪学ブログ『九段新報』など。TRPGシナリオなどにも手を出す。
E-mailアドレス
kudan9newbridge@gmail.com
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