九段新報

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【記事評・下】「家族という病」を治す<七人の提言>(文藝春秋2019年8月号)

 前回『【記事評・上】「家族という病」を治す<七人の提言>(文藝春秋2019年8月号)』からの続きです。今回は引きこもり支援の専門家として活動している斎藤環氏と、ゲーム依存の専門家である樋口進氏の記事を取り上げます。

 前回取り上げた素人5人衆のページもこの人たちに割り当てればよかったんじゃないですかね。

 斎藤環『ひきこもりの「家庭内暴力」は止められる』
 斎藤氏の記事は、長年引きこもり支援にかかわってきた立場から、川崎の事例や元農水次官の事例と典型的なケースとの類似点、乖離点を論じており、非常に参考になります。

 例えば、川崎の事例では、引きこもりといいつつも外出することが多く、また引きこもりにみられやすい家庭内暴力も見られなかったことを指摘しています。氏の指摘では、家庭内暴力は「期待通り、思い通りにならない」フラストレーションから生じるものですが、川崎の事例のように家庭にいる家族が父母ではなく叔父叔母であると、父母よりも距離が遠いためにそもそも思い通りになることを期待せず、暴力に向かいにくかったのではないかと推測しています。逆に、そのことが外への暴力へ繋がった可能性もあるようですが。

 氏は、引きこもりが危険な存在であると言わないと同時に、まったく危険ではないと言うつもりもないとドライに論じます。そして、家庭内暴力に対しては毅然と対処し、場合によって警察に介入してもらうことも大切で、それがむしろ暴力を繰り返してしまう引きこもり当事者にとってもいいのだと指摘します。

 かつても、引きこもりという特性が注目された事件がありました。しかしそのような事例を見ても、また今回の事例を見ても、単に引きこもりである以上に特殊な環境を加害者が取り巻いていることが往々にしてあります。氏が主張するように、わかりやすい特徴に飛びつくのではなく、引きこもり対策は対策としてしっかりと考えていく必要があるでしょう。

 樋口進 我が子を「ゲーム依存」にしないために
 樋口氏の記事は少し毛色が違い、ゲーム依存について集中的に述べた文章になっています。これは元農水次官によって殺害された被害者がインターネットゲームに依存していたためでしょう。

 ゲーム依存は社会問題になりつつも、実態はまだよくわかっていない状態です。
 ゲーム依存がほかの依存症と違うのは、未成年者が7割ほどを占める低年齢化がみられることです。タバコやアルコールも使用開始年齢が低いと依存になりやすいと言いますが、年齢による制約の少ないゲームではその影響がもろに出るのでしょう。

 依存症は基本的に、脳内で快楽を司る報酬系がおかしくなることで起こります。ゲームなどの刺激を受け続けることで、報酬系が従来の刺激で満足しなくなり、もっと強い刺激を常に欲するようになるのです。

 言い方は悪くなりますが、ゲームというのはできるだけプレイヤーを依存させるように作られています。特に買い切り型ではないソーシャルゲームは、コンスタントにプレイヤーからなされる課金が基本的な収益であるため、できるだけ常にプレイしてもらおうとします。その結果が連続ログインボーナスや期間限定イベントといった施策に繋がっているのです。

 ゲーム依存の大きな特徴は、生活の優先順位の第一位がゲームになってしまうことです。現実社会でのトラブルからゲームにのめりこみ、ゲームにのめりこんだからまた現実社会でトラブルを起こすという悪循環が起こりえます。

 しかしながら、ゲーム依存はそれ自体が問題として認識されにくい面もあるのかもしれません。かつてテレビがゲーム依存を報じたときも、ネットの反応は「じゃあ仕事に依存してる人もいるだろ!」という屁理屈めいたものでした。自ら依存しているのと、周囲の環境から強いられているのは全く違う話なんですがね。

 ゲームをすべての悪者にするのは極端ですが、同時に、ネットにはびこるゲーム無謬論のような見方もまた極端です。ゲームにも悪い面は確かにあるので、それをしっかりと認めてうまく付き合っている必要があるでしょう。

 幸い、ゲーム依存は現実社会への価値を見つめなおし、ゲームより優先させるべきものをはっきりさせることで徐々に緩和させることができるようです。子供相手であれば、ゲーム時間を明確に決めるといったルールを定め、子供とよく話し合うことが肝心なようです。

 また、ゲーム依存の悪影響を鑑みれば、いずれタバコやアルコールと同じような規制も必要になってくるかもしれません。もちろん、規制はないほうがいいわけですから、まずはゲーム会社の自主規制によって、ゲーム依存を防いでいく必要があります。


【記事評・上】「家族という病」を治す<七人の提言>(文藝春秋2019年8月号)

 今回の記事評で取り上げるのは『文藝春秋』の8月号の特集です。
 この特集では、川崎での殺傷事件、そして連鎖するように発生した元農水次官の息子殺害事件についてのものです。

 まず突っ込みを入れたいのは、<七人の提言>と識者が何かを書いているような雰囲気を醸し出しつつ、実際には引きこもり支援をしている斎藤環氏とゲーム依存を専門としている樋口進氏を除けば素人もいいところです。まぁ、強いて言うなら特集の発端となったらしき、「一人で死ね」と発言した橋下徹氏は当事者だとしても7人のうち4人(佐藤優・古市憲寿・橘玲・三浦瑠璃)は犯罪についても引きこもりについても素人という有様です。

 この惨状はかつて、『川崎事件における週刊新潮の実名報道には正当性もない その1』『その2』で触れた週刊新潮による少年犯罪報道を彷彿とさせるものです。あのときは9名中甘く見積もっても6名が素人というざまで、いい加減それっぽいことを言うだけの素人に重大な問題を語らせるという報道の在り方を見直す必要があります。

 今回の記事評では、素人サイドの記事を上で、専門家サイドの記事を下で論じていきましょう。一緒に語るなんて専門家に対して無礼でしょうから。

 橋下徹『僕は元農水次官を責められない』
 特集の最初はこれです。氏はそもそも「一人で死ね」という発言が批判されていたわけですが、氏自身はなぜどうして批判されたのかあまり理解していないような議論運びになっています。
 報道の通り、5月28日(火)朝方、川崎市で多くの子どもが刺殺、刺傷される事件が発生した。
 現時点では被害状況の一部しか判明していないため、事実関係は明らかではないが、犯人らしき人物が亡くなったことも報道されている。
 それを受けてネット上では早速、犯人らしき人物への非難が殺到しており、なかには「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの強い表現も多く見受けられる。
 まず緊急で記事を配信している理由は、これらの言説をネット上で流布しないでいただきたいからだ。
 次の凶行を生まないためでもある。
 秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。
 要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している場合がある。
 類似の事件をこれ以上発生させないためにも、困っていたり、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージの必要性を痛感している。
 「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」というメッセージを受け取った犯人と同様の想いを持つ人物は、これらの言葉から何を受け取るだろうか。
 やはり社会は何もしてくれないし、自分を責め続けるだけなのだろう、という想いを募らせるかもしれない。
 川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい-ヤフーニュース
 そもそも、一人で死ねという発言が批判されたのは、それがいままさに苦しんでいる人を追い詰めるだけだからという理路がありました。

 橋下氏は記事で、優先順位の問題だ、死ぬなというのはきれいごとで、仮に死ぬとしても人の命を奪うなという規範を押し出すほうが優先だと主張しています。これは実際に重要なことをきれいごとと切り捨てることで、さも自分の主張が現実的であるように見せる氏のいつもの手法でしょう。

 しかしこの主張は、そもそもこのような事件は自殺と他殺が密接に関連しているので、自殺しないように働きかければ他殺もしないという点があっさり見過ごされています。誰かを殺させないようにしたいのであればやはり「死ぬな」というほうが「現実的」な対策なのであり、「一人で死ね」は逆効果というべきでしょう。

 三浦瑠璃『「一人で死んでくれ」は被害者の心の叫びだ』
 順番が前後しますが、「一人で死ね」発言を肯定している点で三浦氏の記事も関連させておきましょう。

 氏は、この発言は自然な感情であり、感情が完璧である必要はない、怒りの表明は健全だと主張しています。
 なるほど、確かに「この事件にかかわった人」から「一人で死ね」という発言が出るのはやむを得ないことでしょう。そう思う気持ちは当然です。

 ですが氏が見落としているのは、そのような発言をした人は、橋下氏と三浦氏を含めて、その大半が事件と何ら関係のない人だということです。
 事件で被害にあった人が怒るのは当然ですが、直接関係のない人が怒りを表明し、あまつさえほかのだれかを追い詰めるような発言をすることに何かメリットがあるでしょうか。幸いにも事件から距離がある我々だからこそ、わかりやすい怒りに捉われずに、事件の背景にあるものを掬い上げ論じるべきですし、少なくとも「スカッとするような本音」のようなものに引き寄せられることは避けなければいけません。

 ちなみに、古市憲寿氏の記事はネットのどこかで見たような議論の寄せ集めで、このタイミングで公開される記事としてはあまりにも面白みが欠ける一方特に問題がある感じでもないので割愛します。

 橘玲『「リベラル社会」が男たちを追い詰める』
 さて、こちらは本ブログでは『言ってはいけない 残酷すぎる真実』など(悪い意味で)お馴染みの人です。タイトルですでに怪しい感じがしますが、案の定な仕上がりです。

 氏は記事の中で、引きこもりに男性が多い理由を「男女の性愛の非対称性」とぶち上げ、進化心理学からそれを解き明かそうとします。
 『進化心理学は疑似科学である 【書評・上】進化心理学から考えるホモサピエンス』『それは反証可能性がないことの反論にならないよね? 【書評・下】進化心理学から考えるホモサピエンス』で指摘したように、進化心理学は疑似科学なのでこの時点で読む価値はなくなっていますが、とりあえず突っ込みは入れておきましょう。

 氏は「①生物の最も合理的な性愛の形態は乱交である」→「②だが人間社会は一夫一妻制にして男性に女性を分配するようにした」→「③しかし現代の「リベラル」な社会はその制約を嫌い否定していった」という理論で、タイトルにあるような『「リベラル社会」が男たちを追い詰める』という主張を導いています。

 まず①の主張は進化心理学、つまり疑似科学によるものなのですでにその時点で理論が崩壊しています。②はまぁその通りだとしても、③もかなり怪しいものがあります。
 確かに自由を重んじる社会は不倫を批判するような「道徳的な制約」を嫌う傾向があります。しかしそれはあくまで、「個々人が良しとしているなら外野が口を出すことじゃないよね」という話であって、社会全体が一夫一妻制を否定しているわけでは断じてありません。むしろ、配偶者の意思をないがしろにするタイプの不貞には厳しくなっているといってもいいでしょう。

 氏は、このような性愛の競争からドロップアウトした男性が、日本では引きこもりになると主張しています。しかしこれは、引きこもりになってしまう様々な原因を恋愛に矮小化する危険な考え方といえるでしょう。この点はすでに『大量殺人の原因は「セックス不足」ではない 「キモくて金がないおっさん」論のまやかし』で指摘しています。

 例えば、引きこもりの原因の1つは対人関係での不適応でしょうが、この不適応が起こる背景の1つに「自分のセクシャリティ(同性愛やトランスジェンダーなど)を否定される」といったものがある人がいるだろうということは想像に難くないわけですが、こういう恋愛(異性愛が自明視されている)にすべてを矮小化する議論ではこういう人は救えません。

 佐藤優『メディアや世論にも病理がある』
 さて、最後はこの人です。Twitterでも書いてたんですけど、そもそもこの人誰なんでしょうか。まあいいや。

 さて、氏の主張は「メディアが大雑把な分析を垂れ流している」というもので、それ自体はうなずけるところもあるのですが、大問題があります。それは大雑把な分析の代表例として、大量殺人の動機としてよく知られる「拡大自殺」を「反証不可能な仮説」と断じていることです。

 氏は拡大自殺を「いかなる実験や観測によっても反証されえない」としていますが、これは大きな誤りです。例えば池田小で殺傷事件を起こした加害者はその言動から、多かれ少なかれ拡大自殺と呼べる動機があったことはわかります。またバージニア理工科大学での銃乱射事件など国外のケースでも、残された動画などから拡大自殺と呼べる動機が内包されていたことはわかります。

 もちろん、加害者死亡で終わった今回の事件にもそれが当てはまるのかはわかりませんし、加害者自身の言葉が本心を反映しているとは限りませんが、しかし「反証不可能」というのは明白な誤りというべきでしょう。

 七人識者を集めたと自賛しながら、実際はそれらしいことを言うだけの素人で大半を埋めるという数合わせはもうやめなければいけません。
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【記事評】痛みを手がかりに 日本と韓国のフェミニズム(文藝2019年秋季号)

 今回はフェミニズムに関する特集が話題の河出書房新社から『文藝』2019年秋季号に収録された記事の1つを取り上げます。文芸誌とあって特集も全体的にエッセイが中心なのですが、ライターの小川たまか氏の手による本記事は、エッセイでありつつも文学作品の中に登場する性暴力被害を概観することで、この分野におけるわかりやすい入門編のような文章にもなってます。

 連続体としての性暴力
 とりわけ印象深いのが、筆者が性暴力の連続的な特徴を強調している点です。
 まだ読んだことのない私にとっては意外なことでしたが、韓国でベストセラーとなった『82年生まれ キム・ジヨン』の中では、性暴力被害が語られつつも、主人公のキム・ジヨン自身は「未遂」あるいは「被害を伝聞で聞く」までの被害しか経験していないそうです。

 とはいえ、じゃあ「決定的な被害にあわなくてよかったね」となるのかというと、そうではないと筆者は指摘します。未遂や周囲の人々の被害の経験というのは、確実に主人公自身の持っていた社会への信頼を削り取り、「被害にあわないように」と行動を制限することになります。性暴力被害が蔓延していると聞いて、夜遅くに出歩くのをやめるというのは典型的な例でしょう。

 筆者はまた、監督自身の拉致被害を題材にした『ら』という作品を取り上げ、そこで描かれるナンパ(このナンパ師が連続強姦犯なのだが)と、それを拒絶する女性(かすみ)の存在を指摘しています。作品を手掛けた水井真希監督はかつての筆者の取材に対し、「みんな気づいてないし、かすみ本人も気づいていないけれど、かすみだって本当は被害者」と述べています。そして筆者は藤岡敦子著『性暴力の理解と治療教育』を引用し、性行為は合意かレイプかの2択ではなく、圧力や強制といった黒よりのグレーに近いものを、断りにくいという女性の罪悪感に付け込んで行われるものもあると指摘します。

 私が『「共産党が性行為の原則違法化を!」という主張の誤りと無意味さと』のなかで共産党の提案する不同意性交罪について紹介し、ぶっちゃけ原則違法化でも問題ないんじゃないかと書いたときには随分叩かれましたが、しかしこのような背景を考えれば、明白な同意がないものをすべて違法にするくらいの立法はさほど荒唐無稽には思えません。

 ついでに、いささか我田引水的な議論運びを承知で関連付けるならば、小川氏が指摘している、周囲の被害や未遂が女性の信頼を失わせ行動を制限するという議論は、私がかつて『なぜ性表現は性的搾取に繋がるのかの覚え書き』で指摘した内容と繋がるものでしょう。
 つまり、性暴力ポルノというのはそれが合法的に販売され、消費されているという事実が一種の間接的被害として機能するだろうということです。であればこそ、ポルノ販売には明確なゾーニングが必要といえましょう。

 今回取り上げた記事は、4Pと短いものでありながら、文学作品と専門書を引用しつつ基礎をおさえたものになっているので、この記事を読み引用文献に当たるだけでも、性暴力被害についてしっかり知ることできるでしょう。おすすめです。


【記事評】賢い選択:真贋を見抜く (毎日新聞6月19・20・26日朝刊)

 今回はおかしなグラフで目を引いた毎日新聞の連載です。ネットでは有料会員限定になっていますが、紙面で読むことができます。

 上:同定された被害者効果
 「免疫力を高めればがんに打ち勝てる」などと、病を抱える人の気持ちにつけ込む宣伝や体験談がインターネットなどにあふれている。医師の発信だから信頼できると思えても、疑問符が付くものもある。確かな医療を賢く選ぶすべを紹介するシリーズ「賢い選択」の新企画では、情報の真贋(しんがん)をいかに見抜くかについて計3回解説する。
(中略)
 ●「失敗」にも意識を
 医学研究を患者や家族、消費者が読み解くのは難しい。そこで大野教授らは、2014年に「統合医療」情報発信サイトを開設し、情報を見極めるための10カ条を示している(http://www.ejim.ncgg.go.jp/public/hint/index.html)。例えば、「出来事の『分母』を意識しよう」の項では、「成功体験の裏には多数の失敗が隠されているのではないか」と疑うことを推奨。「成功確率」が紹介されている治療や健康食品を選ぶことの大切さを説いている。
 賢い選択 真贋を見抜く/上 克服談は「成功確率」で判断-毎日新聞

 上では「体験談」が人々へ強力な説得効果を持つことを指摘しています。誰だって、数字よりも顔のある誰かがどうした、という話のほうに興味を持ちますし、なんだか説得力があるように感じてしまいます。

 しかし記事が指摘しているように、体験談が必ずしも頼りになるとは限りません。その治療法でうまくいったのは体験談を提供している1人だけで、あとは死屍累々かもしれないのですから。重要なのは個々の体験よりも、治療がうまくいく確率です。

 このように、統計よりも個人に人が説得されてしまう効果は社会心理学ではよく知られており、「同定された被害者効果」と呼ばれます。有名なのはいわゆる「ロキアちゃん実験」で、大勢の子供が困っているという統計的な情報を与えるよりも、ロキアちゃんという1人の少女の苦境を伝えたほうが寄付金が集まるというものです。

 中:利益相反
 「医師にも、患者にも『目隠し』されていない臨床試験がたくさんある」。こう指摘するのは、NPO法人「臨床研究適正評価教育機構」の桑島巖理事長だ。
 「目隠しされていない」とはどういうことか。薬や健康食品に「効果がある」と証明するには、これらを使わなかった場合と比べる必要がある。その際、参加した医師や患者には本来、どの薬や健康食品を使っているか知られてはならない。試験の信頼性を落とす、いろいろなバイアス(偏り)が入り込むからだ。
(中略)
 もう一つ、試験のお金がどこから出ているかも、大切な視点だ。バイアスを排除して信頼性の高い試験をするには多額の資金が必要なため、薬などの製造元がスポンサーになることが少なくない。だが岡田氏は、そうした試験で「信頼を揺るがす報告が相次いでいる」と指摘する。
 製薬会社から資金提供を受けた試験と、そうでない試験を比較・分析すると、製薬会社から資金が提供された試験の方が、4倍もその会社に有利な結果が出たという報告もある。岡田氏は「試験の信頼性を見極めるには資金の提供元がどこかが重要。スポンサーに有利な試験の結果は割り引いて見た方がいい」と警告する。
 賢い選択 真贋を見抜く/中 「目隠し」臨床試験で正確に-毎日新聞
 中で扱われているのは利益相反の問題です。特に医学では、ある薬品の効果を検証する研究に、その薬を開発している会社が資金を提供するというようなマッチポンプが起こっています。
 心理学者からすれば、人は結構簡単に身内をひいきし、時には結果の解釈を歪めてしまうのは当然の話です。これは最小集団実験という著名な研究からもわかっています。

 最小集団実験とは、実験参加者をランダムに意味のないグループに分け、全く会ったことがない、ただ同じグループや違うグループに属するというだけの架空の人々に対して報酬を分配するという実験です。こういうことをすると、参加者は会ったこともない、今日作られたばかりで何の思い入れもないはずの同じグループの人をひいきするという結果が得られます。

 単に同じ名前のグループだというだけでひいきするわけですから、研究資金の提供まで受けてしまえばどうなるかは明白です。しかし医学のような理系の研究者の中にいは、素朴に「自分はそんなひいきはしない」と信じ込んでいる手合いがいます。

 製薬会社がボールペンのようなつまらないものを医者に提供するのは、まさにこの効果を狙ってのことなのですが。

 下:有意の意味
 「有意差あり」――。健康食品などの宣伝に書かれた臨床試験のデータで、こんな用語を見たことはないだろうか。効果があるかのようにみえるが、一体どんな意味があるのだろう。
スクリーンショット (46)

 「『有意差あり』とは『偶然にできた差ではない』、つまり『必然』ということなんです」。臨床研究について詳しい島根大病院の大野智教授はこう解説する。
 例えば、サイコロを100回投じて「1」が30回出たとしよう。6通りあるサイコロの目は同じ確率で出るはずなので、通常なら16~17回出るはずだ。「1が出やすく細工されたサイコロだ」という人もいれば、「偶然だ。他の人が投じれば結果が変わる」という人もいるだろう。このように判断に迷う結果について、統計学の手法を使って計算し、「偶然でない」「必然の結果」とされた場合、初めて「有意差あり」となる。
 ●過大なアピール
 ただ有意差があっても、必ずしも良い影響をもたらすとは限らない。例えば、降圧剤によって血圧が下がった▽薬でがん腫瘍が小さくなった▽薬で不整脈をコントロールできた――などの効果が確認されても、患者の死亡率が下がったり、病状が改善して生活の質(QOL)が改善したりしなければ、本当の効果とはいいにくいだろう。
 賢い選択 真贋を見抜く/下 「有意差あり」うのみにしない-毎日新聞
 そして下が問題の、有意性の話です。グラフや要約がおかしいので変な印象ですが、サイコロの例はポピュラーな例えです。
 要するに、大差がつけばまだしも、微妙な差があった場合に「誤差のレベルだ」という主張と「誤差じゃない」という主張が水掛け論になりかねないので、予め「偶然である確率がこれくらいまでなら、必然的な結果だということにしよう」と決めておいて、その確率を計算するのが統計的仮説検定なのです。

 しかし気を付けなければならないのが、ツイートでも指摘したように、ここでいう偶然があくまで「誤差として生じる」という意味であり、必然が「誤差じゃない理由で生じる」という意味であるということです。

 記事で使われているニュアンスだと、あたかも必然が「因果関係」であるかのように読めますが、そうではありません。疑似相関のように、統計的に有意だったとしても、結果自体は偶然であるということはよくあります。

 また、奇妙なグラフも記事を読めば内容それ自体に誤りはないことがわかります。『「性差(有意差)がある」というのは何を意味し、何を意味しないのか』でも指摘した内容ですが、統計的な有意差があるというのはあくまで統計の上で意味のある差だという意味であり、実際的な意味があるかどうかまではわかりません。

 例えば、飲み続けると体重を減らす薬があったとしましょう。1か月飲み続けて1キロ体重が減ったというとき、この薬に意味があるでしょうか。1キロぐらいなら薬がなくとも変動しそうな値です。

 もちろん、差が大きければ大きいほど有意であるという結果は得られやすくなりますが、体感としては1000人も集めると些細な差でも有意になりがちです。こうやってサンプルサイズを少しずつ増やして有意な結果を得ようとする操作はPハッキングと呼ばれ、心理学では問題になっています。

 この記事の問題は、おそらく筆者が統計的仮説検定の基礎を全く理解しておらず、専門家がカジュアルに使ったであろう「偶然」「必然」という言葉を完全に誤解していると思しき点です。
 新聞記者なんですから、そこくらい理解してほしいものですが……。


【記事評】特集 公安警察の闇(週刊金曜日2019年5月17日(1232)号)

今回は週刊金曜日が興味深い特集『公安警察の闇』を組んでいたので、その一連の記事をまとめて取り上げます。

 公安警察というのは、先年のコナンの映画でも取り上げられた、警察組織の一部です。警察にはざっくりと刑事警察と公安警察の2つにわけることができ、一般的に刑事ドラマに出てきたり通報を受けて事件を捜査したりするのは刑事警察の方です。俗にいう「捜査一課」というのは、正確には「刑事部捜査第一課」と言うべきなのでしょう。

 ある元警備公安警察官の告白
 じゃあ事件を捜査する方じゃない警察、公安警察が何をしているのかというと、特集記事の1つ目で紹介されているように、主な業務は犯罪傾向のある組織の監視と情報収集……というのが「表向き」の建前です。

 実際には、公安警察が重大な組織犯罪を防げた実績はほとんどありません。まぁ、アメリカだって散々電話などを傍受したのにそれでテロを防げた事例が1件もないといわれているくらいですから、そもそも組織犯罪の未然防止が難しいというのはあるのですが、日本に関しては主たる原因は、単に公安の無能に由来するでしょう。

 彼らの無能さの最大の象徴は、監視団体だと称してずっと日本共産党を追いかけている点です。この点は『警察によれば共産党は危険()団体らしいぞ!』でも論じましたが、ネトウヨ以外からはいい物笑いの種です。ずっと追いかけていますが、彼らの「暴力革命」の証拠は未だに見つかってません。本当に暴力革命を目論むならそもそも公党になって政治家を国会に送り込むなんてまどろっこしい真似はしないので、当然です。

 左翼団体だって、調べれば共産党よりももっと危険な集団はいくらかいるだろうに、なぜ共産党に執着するのかはよくわかりません。『日本の公安警察』は、公安警察の発展がGHQの反共主義とともにあったことを指摘していますが、現状の公安の態度はもはやそれでは説明できないような気も。

 ちなみに、驚きだったのが、公安は組織の人間を引き抜く活動を捜査員に自腹を切らせてやっているということです。ただのブラック企業じゃん。

 労組の破壊を狙う「特高型弾圧」が始まった
 しかし、無能なだけならまだ笑って済ませればいいのでましです。昨今の公安の振る舞いは無能を超えて有害です。その最たる例が、生コンクリート製造とその関連企業の従業員によって組織される労働組合である全日建関西地区生コン支部への弾圧です。

 ニュースでこの組織の組合員が逮捕されたという話をちらっと聞いたことがある人も少なくはないでしょう。逮捕と聞くと我々は悪いことをしたのだろうと思いがちですが、実際にはそうではありません。
 記事によれば、従業員が営業の際、相手の会社に対して多少強い言葉を使った(しかも本当に行ったかも定かではない)ことを理由に何か月も後になって恐喝未遂で逮捕したり、企業の前でその企業のコンプライアンス体制を批判するビラを配ったりしたことを理由に威力業務妨害で逮捕したりしています。これらの行為に違法性がないことは判例などからも明らかです。

 労働組合関係者を逮捕した理由は、組合活動の弾圧にほかなりません。記事では、捜査員が逮捕した容疑者に対して、逮捕容疑に関する取り調べをろくに行わず、労働組合からの脱退を執拗に要求し、中には家族を脅したりする事例もあることが紹介されています。
 国を守るはずの公安警察が、実際には資本家の先兵のようなかたちで動いている実態が明らかになっています。

 官邸を牛耳る杉田・北村の「公安人脈」
 警視庁での証拠保全手続が実施された公安の集団暴行事件
 新潟知事選挙で尾行や逮捕 原発反対派への圧力か

 残り3つの記事、1つ目は公安警察の「強さ」の理由を探っています。官邸の都合のいいように情報を流したりといった操作に、公安出身の官僚である杉田和博内閣官房副長官と北村滋内閣情報官が関わっているという疑惑ですが、インタビューを受けたライターの森功氏は、安倍首相は政策に全く明るくないので、首相の指示ではないだろうとばっさり。であれば、部下の「忖度」でしょうか。言わずとも都合のいい動きをするというのはほとんどやくざの世界です。

 2つ目では、公安警察の捜査官が、学生団体の主催する集会の会場に入ろうとした学生に対して暴行を働いたという国家公務員暴行陵虐事件を紹介しています。事件があったのは2016年ですが、地検は19年の3月にこれを不起訴としました。暴行の現場を録画したビデオが残っているにも関わらずです。しかも警視庁は証拠を一切法廷へ提出せず、東京地裁が警視庁内での証拠保全手続きを行うという前代未聞の事態に発展しました。

 最後の記事では、ある候補を応援していた関係者がかなり以前の罪状で逮捕され、選挙が終わったとたんに不起訴になるという不可解な事例を紹介しています。逮捕という「印象操作」が目的だったのは明白でしょう。

 このような公安の暴走は、それぞれで本来公安の活動を批判的に検討すべき役割のものたちがその役割を果たせていないことに由来します。裁判所は明らかに無理のある逮捕令状も簡単に認めてしまい、また公安のいちゃもんに近い起訴罪状も有罪にしてしまう事例があります。またマスコミも、単に逮捕したということだけを垂れ流す機械に終始しており、そこに批判的な報道をしようというマスメディアに求められる姿勢は全く見られません。

 本来、公安に限らず、権力組織の活動は市民の目によって厳しく監視されるべきです。

【記事評】裁判員10年 見えた課題(朝日新聞朝刊2019年5月10日~14日)

 1歳8カ月の女の子の上半身には複数のあざが残っていた。体重は、標準を大きく下回る6・2キロ。写真を見た裁判員の男性は心に決めた。「最大のよりどころであるはずの親からの虐待は殺人に近い。社会に警告を与えないといけない」
 大阪地裁で2012年にあった傷害致死事件の裁判。無罪を主張する両親に、この裁判ログイン前の続き員らが出した結論は懲役15年だった。検察が求めた懲役10年の1・5倍という異例の重さ。判決理由には「児童虐待が大きな問題と認識されている社会情勢も考慮すべきだ」と盛り込んだ。
 裁判員の怒りが込められた判決は二審でも維持されたが、2年後に上告審で破られた。最高裁は「他の裁判との公平性」を重視し、一審について「これまでの量刑の傾向から踏み出す具体的な根拠が示されていない」と判断。両親の刑をそれぞれ懲役10年と8年に下げた。最高裁が自ら、裁判員裁判の結論を見直したのは初めてだった。
 (裁判員10年 見えた課題:1)市民感覚、揺らぐ量刑判断-朝日新聞
 今回は朝日新聞に掲載された、裁判員裁判についての連載記事です。引用部の外に、『(裁判員10年 見えた課題:2)死刑の判断、良かったのか 「対象事件除外を」、回答は少数』『(裁判員10年 見えた課題:3)長期化、「大丈夫」と思っても 負担減と審理の充実、両立模索』『(裁判員10年 見えた課題:4)審理参加、「無断欠勤」扱い 辞退率上昇、企業側に不備も』『(裁判員10年 見えた課題:5)経験共有、守秘義務の壁 過度な自粛「社会的な損失」』があります。

 死刑に「市民感覚」を持ち込むべきか
 この連載での論点は主に2つです。1つは市民感覚を量刑のどこまでに反映させるべきかという点です。

 とりわけ、死刑判決について、この問題が取り沙汰されています。私は元来死刑廃止論者なのであまりはっきり考えたことはないのですが、裁判員裁判では1人殺でも死刑判決を下される場合が少なくありません。
 その基準が妥当であるかどうかの結論は、容易には出ないでしょう。私のような死刑廃止論者からすればどんな犯罪であっても死刑は妥当ではないということになりますが、一方で平均的な感覚からすれば、1人殺でも死刑が妥当であるということになりえます。

 ただ、死刑判決はそれ以外の量刑と質的な差があります。命を奪うという選択を、専門訓練を積んでいない裁判員に課すべきかは疑問が残ります。

 また、判決が上級審で覆るということに不満を持っている裁判員も一定数いるようです。裁判の仕組みを考える以上、判決が覆がえ得ること自体はやむをえませんが、ある程度下級審での判断を尊重すべきなのは事実でしょう。ですが、刑事裁判の原則を考えれば、被告に有利な方向で判決が変わることは否定されるべきではありません。

 裁判員の負担
 2つ目の論点は、裁判員の負担の重さです。裁判員裁判は公判前整理手続きなどを利用して審理期間の短縮を試みてきましたが、それによって本来争うべき論点が置いてきぼりになってしまうという問題が生じています。裁判員の負担軽減の美名のもと、裁判自体が軽んじられては本末転倒でしょう。

 また、仕事で休めない、あるいは仕事を休んだことで職場にいづらくなるという証言も報じられています。
 裁判員は、正当な理由なく拒否した場合罰則すらあり得ます。しかし、裁判員の候補者自体に罰則を科すのであれば、候補となった労働者を休ませない使用者に罰則を科すほうが合理的というものでしょう。
 裁判員の負担は、労働環境の悪化が巡り巡って市民の政治・司法参加を妨げている好例といえます。

 あいまいで厳しい守秘義務
 裁判員の負担は、その厳しくあいまいな守秘義務にも由来します。審理の内容を話せないということは、軽々に他人に経験を吐露し、ストレスを軽減できないということでもあります。
 裁判の公平性を担保するのであれば、審理の内容は守秘するのではなく、むしろある程度は公にするという選択肢が取られてしかるべきです。もちろん、裁判員のプライバシーや安全を確保するために、具体的にだれが何を言ったかまでを明らかにはすべきではないでしょうが。大筋の内容くらいは議論の俎上に載せられるように、守秘義務を緩和すべきです。
 去年からスタートした裁判員制度。
 最高裁判所によると1年間で、およそ5900人に1人が裁判員に選ばれています。
 裁判員が担当する裁判は、放火や殺人など重大な事件であり、
 精神的な負担が予想されます。
 そこで、裁判員経験者へのメンタルケアの現状を永井ディレクターが取材しました。
(中略)
 裁判員のメンタルケアは、無料のカウンセリングを5回まで受けられます。
 このケアについて、大城さんは
 『 5回の回数制限では少ないのでは?と専門家からきいたことはあります。
 裁判所だけが裁判員の心のケアをするのではなく、市民の中で
 裁判員経験者同士が、交流する機会を作ったり、実際に法廷を見たり、
 裁判員経験者の話をきいて、裁判員になる前に心の準備をするなど、
 市民社会全体で裁判員制度の事を考えていくことが大切です。』
 と話しました。
 「裁判員に対するメンタルケアの現状」-人権TODAY
 同時に、裁判員の負担を軽減するために、カウンセリングを紹介するといった対応をより充実させるべきでしょう。無料で受けられるカウンセリングの回数制限が厳しすぎるという指摘はすでに何度もされています。

【記事評】追跡:狙われる弱さ(毎日新聞朝刊2019年5月5日・6日)

 暴力は最も弱い人に向けられる。しかも性暴力は見えにくい。知的障害や発達障害を持つ女性は、障害の特性につけ込まれて男性の性的な欲求のはけ口にされたり、風俗産業の食い物にされたりする上、被害をうまく訴えられず認められないこともある。最も弱いゆえに狙われる障害者の性暴力被害の実態と課題を、2回に分けて報告する。【上東麻子、塩田彩、坂根真理】
 追跡 狙われる弱さ/上 障害者、性暴力の標的 いじめ、孤立…居場所なく風俗へ-毎日新聞
 軽度の知的障害がある吉田えみさん(23)=仮名・神奈川県在住=は、特別支援学校高等部に通っていた時、男性教諭(当時20代)から性的な被害に遭った。
 男性教諭は「背が高くてかっこいい先生」。バレンタインデーにチョコを贈ったのを機に手紙のやりとりが始まった。部活の帰りに男性教諭に「送っていくよ」と言われ車に乗せられた。「家に来ない?」。誘われるままについて行くと関係を持たされた。関係は数カ月間続いたが、ある時男性教諭のアパートに2人で入るところを知人に見られ、発覚した。
 追跡 狙われる弱さ/下 性被害、立証の壁 障害者、難しい日時記憶 誘導されやすく-毎日新聞
 今回は毎日新聞に2日間掲載された記事です。現状は有料配信ですけど、こういう上質な記事が有料なのは当然な反面残念な気がします。有料である分その記事を読む人は減ってしまいますから。

 性風俗に絡めとられる障害者
 特集の前半では、発達障害者や知的障害者が性風俗へ絡めとられていく実態を論じています。このような困難がある人々は、コミュニケーションにおいて「断る」ということを極端に苦手としている場合があり、そのような人がスカウトに声を掛けられると唯々諾々としたがってしまう場合があるようです。記事では、数字が極端に苦手で預金通帳の管理がままならない女性が、スカウトに搾取されている様も明らかにしています。

 もう1つ、発達障害のような困難のある人は就職してもミスが多く、なかなか人に認めてもらえないと自己肯定感が低い場合が往々にしてあります。そのようなときに性風俗に勧誘され、表面上でも「あなたが必要だ」と言われれば満たされるような気分になると当事者が語っています。

 紙面の記事では、事情があって家にいられない子供を支援する活動をしている一般社団法人Colaboの代表、仁藤夢乃氏にも取材をしています。氏によれば、支援に繋がる子供の決して少なくない数が、何らかの障害による困難を抱えているようです。
 もっとも、氏がその著書『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』で論じたように、低い自己肯定感を性風俗で補ってしまうというのは障害の有無にかかわらないのでしょうけど。

 また、障害者の性風俗という話題は山本譲司氏の『累犯障害者 獄の中の不条理』でも取り上げられていたように、支援者の間ではすでに知れ渡り問題視されていたことが伺えます。

 狙われる弱者
 特集の下では、性犯罪被害者となる障害者を取り上げていました。障害者は断るのが苦手であったり、平均的な子供以上に権威へ従属しがちであったり、あるいは自分がされている行為の意味が理解できていなかったりということから性犯罪者の標的とされる場合が往々にしてあります。

 障害者が被害者となった場合に厄介なのは、被害者の証言が曖昧であり信用されにくく、それによって加害者が無罪となってしまうことがあるという点です。とりわけ、知的障害者は日時の特定が苦手で、いつそれをされたのか判然としない場合も少なくありません。常習的に繰り返されていればなおさらでしょう。

 また権威への従属は、加害者たる教員だけではなく、被害を明らかにしようとする支援者に対しても起こってしまいます。つまり性犯罪被害を聞き取るうえで証言が歪んだり、極端な場合には本来なかった被害があるように誘導されることもなくはないと疑われるのです。証言の誘導が疑われれば、その証言は信用されません。捜査官の多くは、誘導とならない聴取の方法を学んでいますが、学校のような場所で、ある種突発的に被害を知ることになる教員の大半は司法面接の手法を知りません。

 また、そもそも日本の強制性交罪には未だに暴行脅迫要件があるので、障害者を騙し、誘導する形で性交に及んだ場合に処罰しにくいという事情もあるでしょう。抗拒不能が認められれば話は別かもしれませんが、ハードルが高いのは事実です。紙面では、海外における障害者への加害を処罰する法律を紹介しています。

 性教育の重要さ
 紙面では、性教育の重要さにも触れています。性犯罪被害は、性交を強いられるという「古典的な」ものだけではなく、裸の自撮りを送ってしまうといったある種現代的なものもありますし、また性的な知識がなければ、加害者になってしまうことも十分に懸念されます。

 紙面では養護学校で行われている性教育についても簡単に触れています。そのような記事を見るとやはり思い出さずにはいられないのは、七生養護学校事件です。
 これは七生養護学校が、そこに通う児童のために行っていた先進的な性教育を、東京都の教育委員会と都議が不当に介入し潰してしまったという事件です。当時の都知事だった石原慎太郎もこれを追認していますが、何より重要なのが、この事件に乗じて「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を発足させ、性教育発展の遅滞を招いたのが安倍晋三(と山谷えり子)であったことです。この論点に関して、このことを書かないでおくのは記事を不完全なものとしていると言わざるを得ないでしょう。

 安倍自民党が政権に居座っている限り、この問題を行政主導で解決するのは無理でしょう。

【記事評】『DAYS JAPAN』最終号を考える(週刊金曜日2019年4月12日 (1228)号)

 遅ればせながら、週刊金曜日4月12日号の特集を今回は取り上げます。特集には渡部睦美氏の『扱われなかったパワハラと劣悪な労働環境の問題』、角田由紀子氏の『加害の事実認定なしのまま、なぜ「報告」できるのか』、乗松聡子『広河氏の言いたい放題を許した最終号の責任』の3つの記事が含まれますので、今回はその3つを一挙に論じていきます。

 扱われなかったパワハラと劣悪な労働環境の問題
 渡部氏は詳細な調査によって、『DAYS JAPAN』最終号の検証が骨抜きにされた過程を明らかにしています。それによると、そもそも『DAYS JAPAN』の休刊は、広河氏のパワハラと劣悪な労働環境に反発した社員による労働争議が明るみに出る前に、それをもみ消そうと決定されたものではないかということです。

 しかし、その労働環境の問題が明らかになるよりも先に、広河氏の性暴力が暴かれました。それを受けて、元々次期編集長になる予定で入社していたジョー横溝氏が最終号までの編集長となることが決まりました。それが2月号の「決意」に繋がったわけです。ですがジョー氏の編集長権限を無視するかたちで、役員が表紙から「性暴力」の言葉を削ろうとしたり一方的に最終号の発売を延期するなどの騒動があったために、結局ジョー氏は編集長を辞任しました。
 一連の流れからわかるのは、会社そのものの問題が広河氏の性暴力問題を助長したにもかかわらず、その責任を隠ぺいすることに躍起になっている『DAYS JAPAN』の姿勢です。

 加えて、この記事では広河氏が自身の権力を自覚して暴力をふるっていたことが示唆されています。私は『著名カメラマン広河隆一氏のセクハラ(性犯罪)について』などで、氏が権力に無自覚だったというナイーブさを批判しましたが、どうやらそれは言い訳に過ぎなかったようです。もっとも、どちらにしてもその態度は批判を免れませんが。

 加害の事実認定なしのまま、なぜ「報告」できるのか
 角田氏は『DAYS JAPAN』による報告が、加害の事実認定なしに行われた奇妙さを指摘しています。確かに、どこからどこまでが事実で、どこそこまでは事実じゃないかもしれないという範囲すらも示せていないまま「報告」をしても、なんのことかさっぱりわかりません。
 また「合意」とは何かもはっきり確認できていないまま、広河氏による「合意だと思った」という抗弁を取り上げているおかしさも指摘しています。『【記事評】『DAYS JAPAN』元発行人手記 「性暴力」について謝罪し30年遅れで学ぶ(月刊創2019年4月号)』でも指摘した、週刊文春が報じた被害の容態は、もはや合意があったと誤解できる域を超えています。合意の定義をあいまいにし、事実認定をしないという態度は、広河氏の「合意があったと思った」という抗弁に著しく不利なこのような事例を黙殺するためであったと考えられてもやむを得ないでしょう。

 角田氏は広河氏の認識する「人権」の中に女性の人権が含まれていなかったとも指摘しています。人権を意識しながらその中に含まれない属性が存在するというのは、私からすればいささか以上に奇妙でよじれた認識なのですが、そう考えれば「人権活動家」だった氏の行為にもある程度説明がつくのは事実です。『「人権とかどうでもいいけどたまたま向いている方向がそっちだった」という人に対して我々は何ができるのか』でも論じたようなことは、「自分に従わない人間に人権はない」くらいの認識だったと考えれば説明可能かもしれません。

 広河氏の言いたい放題を許した最終号の責任
 乗松氏は、検証委員会の委員長が「職場のハラスメント研究所」代表の金子雅臣氏であることから、最終号も被害者の救済を二の次にして、加害者個人の責任追及を避け構造の問題に飛ばす路線になったことが当然の帰結と指摘します。

 金子氏は『世界』3月号において、作家の北原みのり氏との対談でも「加害者に語らせること」の重要性を述べています。確かに加害者がどう考えていたかは1つのキーファクターですし、セクハラには構造の問題もあるでしょう。しかしそれは、加害者個別の責任を免責するためではなく、ハラスメントの原因を認識し新たな被害を防ぐためにあるはずです。その点を金子氏は勘違いしているのではないでしょうか。

 また乗松氏は、検証委員会が被害者の言い分を満足に聞かず、被害者の思いの代弁を試みる部分が多数あることを批判します。週刊文春で被害を告発した8名のうち、検証委員会から連絡があったのはこの時点で2名だけという杜撰な状態の中、「検証」を試みていたことがよくわかります。

 すでに繰り返し指摘されていることですが、『DAYS JAPAN』の検証は検証の体をなしておらず、会社の責任も広河氏の責任も追及できていないがゆえに、金子氏が志向したであろう「構造の問題を明らかにして再発防止」という機能すら満足に果たせていないと考えられます。この問題に関しては、かつての従業員が組織を結成して更なる追及が行われるようですから、引き続き追いかけたいと思います。

【記事評】『DAYS JAPAN』広河隆一さんの性暴力問題を考える(月刊創2019年5・6月号)

 今回は月刊創の5・6月号に掲載されたもので、『【記事評】『DAYS JAPAN』元発行人手記 「性暴力」について謝罪し30年遅れで学ぶ(月刊創2019年4月号)』で取り上げた記事の続きとなるものです。とはいっても、前回予告されていた手記の続きは広河氏側の要望で掲載されていません。あれだけ批判されれば当然だと思いますが。

 これは「バランス」の問題
 記事中で取り上げられている、早稲田大学で行われたこの問題を議論する集会において、この問題をはじめに告発したジャーナリストの田村栄治氏のコメントが引用されています。それは「私は『創』が手記を載せたことは意味があると思っています。考察の素材として資料的価値はある(中略)ただ出し方が不十分だったとは思います。どういう考えでそれを載せるのか、解説をもう少し書いてほしかった」というものでした。
 前回の記事で私が指摘したように、広河氏の手記を掲載することには一定の意義があります。しかしそれは、あくまで被害者が軽視されないという前提の上での話であるはずです。

 とりわけ性犯罪やセクハラ事件は、加害者の方が強い権力を持っているという状況下で発生します。そのとき、被害者の訴えは無視され加害者の訴えばかりが重視されるということも往々にして起こります。「加害者がなぜ加害に至ったのか」という検討が、その構造に加担するかたちになってはなりません。

 今回、『創』はこの記事とはほかに、被害を経験した活動家の記事も掲載しています。直接同じ事件ではありませんが、被害者の声をきちんと拾い上げる紙面構成になっており、前回の反省が生かされた格好なのではないかと思います。

 治療も大事だけど……
 もう1つ、記事では「被害者と加害者の対話」をテーマとしたシンポジウムを取り上げていました。これに限らず、性犯罪の原因を「認知のゆがみ」に求め、治療を進めていく活動は盛んであり、代表例は『男が痴漢になる理由』で述べられているようなことでしょう。

 確かに、加害者の治療は再犯防止の観点から重要です。単に厳罰を科せば加害者が構成するというわけではありません。

 しかし、上掲ツイートが指摘しているように、現状ではそもそも「加害者が裁かれない」という状態です。そこへ「治療」を強調し、それでもって問題解決とするのは果たして妥当なことなのでしょうか。
 厳罰が再犯を防がないのはその通りだとして、一方で妥当な刑罰もなしに済ませてしまうことは、それはそれで、その行為が悪いことだという本来自明の事実がないがしろにされるのではないでしょうか。とりわけ性犯罪やDVのような、社会的にもその行為の重大さが軽視されがちな犯罪に関しては、まずそれが「犯罪行為である」というコンセンサスを作るところから始めなければならないのに、治療ばかりが強調されるのはアンバランスと言わざるを得ません。

 加害者治療が真に社会的な効果を持つのは、被害者がきちんと補償され、リスペクトされ、その行為が悪質な行為であることが社会に合意されているという前提が満たされた時です。その前提を無視した治療は、結局歪んだかたちにしかならず、どこかでしっぺ返しやしわ寄せのようなものに直面することとなるのではないかと思います。

【記事評】なぜ社会の分断が進むのか(Voice2019年4月号)

 約1か月ぶりになる書評はPHP出版の『Voice』からです。4月号の特集が『日韓確執の深層』であり、三浦瑠璃が寄稿しているところからもわかるように、『正論』よりまし程度の極右雑誌の一派です。
 さて、そんな雑誌のインタビューを受けているのは著名な社会心理学者のジョナサン・ハイトです。氏は『社会はなぜ右と左にわかれるのか』が有名です。そういう著名な学者だと思って読んでみると、記事の調子が徐々におかしくなり……。

 ジョナサン・ハイト極右説
 アメリカの学者というのは多くがリベラリストであるという印象ですが、当然例外もあります。記事を読む限りジョナサン・ハイトもそうではないかという気がします。
 記事の冒頭、なぜドナルド・トランプが大統領になってヒラリー・クリントンが敗北したのかという理由を述べる段で、氏はヒラリーが「病的な嘘つき」で「(夫のおかげで政治家の地位になったのであって)実力で政界にいたわけではない」と述べています。
 確かにヒラリーは日和見的に態度を変節させるところがあるのも事実ですが(これは最近見たマイケル・ムーアの『シッコ』でも指摘されていました)、しかしトランプを無視して(ヒラリーに限らず)ほかの政治家を「病的な嘘つき」と表現するのはフェアではありません。加えて、かつて国民皆保険の導入を目論見、結果として頓挫したとはいえ保険業界や医師業界を恐慌にまで陥れた「業績」のある彼女の政治家としての手腕を過小評価するむきにも同意できません。

 というかそもそも、氏の語る「ブッシュ再選当時は左派だったけどいまは中道になった」とか、「リベラルが負け続ける理由を書いたけどまだ理解していない」という経歴が、日本でも見られる典型的な「左派がダメな理由を冷静に論じられるリベラリストの俺論客(実際にはただの右翼)」と同じなので、つまりそういうことではないかと思います。

 左派は忠誠/権威/神聖を無視したから負けたのか
 さて、ハイトはその著書で、道徳には6つの基盤があることを指摘しています。その6つというのが
 ケア/危害
 自由/抑圧
 公正/欺瞞
 忠誠/背信
 権威/転覆
 神聖/堕落
 です。左が道徳で、右がそれに反する概念です。そしてハイトは、左派が前者3つを重視している一方で、右派が6つすべてを重視していることを明らかにしました。

 しかしこの記事では、ハイトはそこからさらに進んで、左派が負けた理由を、左派が重視していない3つの道徳に求めています。後者3つの道徳を重視しないから左派は負けたと述べています。しかし私の記憶では、著書ではあくまで重視する道徳が違うということを述べているのにとどまり、敗因の分析には至っていません。おそらくそこの議論はあくまでハイトの推測、憶測にすぎないのでしょう。

 加えて、仮にハイトの主張が正しかったとして、じゃあ左派も残り3つの道徳を重視しよう!ということになるかというと、そうは問屋が卸しません。右派の重視する残り3つの道徳は、「権威」と「神聖」への「忠誠」ということで左派の重んじる「自由」とは相いれないものだからです。
 またそもそも、右派が後者3つで勝利したとすれば、それは単にこの3つが、社会心理学的に集団心理を煽りやすいだけではないかとも思います。

 恨みの道徳?
 ハイトはこの道徳に加えて、最近左派では新たな道徳―恨みの道徳が発生していると指摘しています。
 恨みの道徳というのは、いくつかの集団や属性が「パワフルである→だから悪い」し、ほかのグループは「弱い→だから善である」という認識をしているという道徳です。しかし実際には、左派でそのような認識をしている人間はまれでしょうし、むしろこれは右派や、ハイトが自身をそういうような「ストレートの白人男性」がマイノリティを見るときの認識そのものです。あまりにも薄い認識と言わざるを得ません。

 ハイトは記事後半部で、格差の是正や教育の無償化を主張する急進左派を指して「これに対して私はリベラルという言葉を使いません」といい、「自由と繁栄をもたらしたリベラルの伝統の敵」とまで言っています。これもまた、アメリカ保守派の典型的な、浅い認識であると言えるでしょう。

 ハイトの記事からわかるのは、いかに著名な社会心理学者といえども、社会に対する認識について基本的な事実を抑えていない場合もあり、心理学の知見をオブラートとして単に自分の思い込みを垂れ流すだけとなっていることもあるということです。心理学者が社会を語り分析するためには、常に社会のありようをありのままに見つめ、自分の中にある思い込みや偏見を点検する必要があります。

 この記事は、自戒として取っておきましょう。
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』『生徒会の相談役』『車椅子探偵とデスゲームな高校』犯罪学ブログ『九段新報』など。質問はhttps://t.co/jBpEHGhrd9へ
E-mailアドレス
kudan9newbridge@gmail.com
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