九段新報

犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。

カルト

欲しいものリストを公開しています。
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詳しくは以下の記事をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/55214570.html

【書評】カルト宗教信じてました。

 今回はマンガです。九段新報の書評史上初だと思います。主題はタイトルにある通り、カルト宗教(エホバの証人)に子供のころから入信していた著者の体験談です。
 なお今回はkindle版を参照しています。例によって上掲リンクにあるカンパからいただいたギフト券で購入しています。

 エホバの証人とは?
 そもそもエホバの証人とはなんでしょうか。よく駅前で聖書のパンフレットを配っている人を見ると思うのですが、あれがそうです。
 エホバの証人で有名な教義の1つは「争いごと禁止」というもの。武道も禁止で、教義によって拒否した生徒が体育の単位を得られず……という騒動も記憶にあります。ただこの程度なら個々の主義主張の範疇を出ないものなので大した問題ではありません。

 エホバの証人の教義で大きな問題となっているのは、輸血の禁止です。本書でも著者の息子が大病を患った際、輸血をするかもしれないという事態になり随分と悩むこととなったようです。結局著者は輸血の同意書にサインしましたが、その後見舞いに来た信者たちから輸血を拒否するためのマニュアルのようなものまで渡される始末。実際には輸血はしないで済んだようですが、この出来事は著者がカルトを抜ける1つのきっかけになったようです。

 そしてさらに大きな問題は、子供への扱いです。長時間にわたる礼拝でぐずったりすれば容赦なくた叩き、炎天下や極寒の過酷な環境下での伝導にも連れまわすことが推奨されています。このため、エホバの子供を持つ信者の中では有効な体罰の方法が口コミで共有されるような状況にもあります。この問題に関してはカルト二世を追ったルポ『カルトの子 心を盗まれた家族』でも触れられていました。

 なぜ入信し、なぜ脱退したのか
 著者は小学生の時にエホバの証人に入信し、35歳の時に脱退しています。
 そもそもなぜ入信するに至ったのか。それは母親の入信がきっかけでした。元々母親は専業主婦で、外部との繋がりも希薄で夫との関係もこの頃はあまり良くなかったようです。そのような折に信者に出会い、自身も集会へ出るようになります。そこで周囲からの承認を得ることでカルトでの関係がかけがえのないものとなり、入信へ進むという過程を経ています。カルト入信者の典型的な事例と言えるでしょう。
 その後、母親は信者の勧めで家族のうち1人を信者へ勧誘することとします。そのとき白羽の矢が立ったのが著者だったということです。著者は英語の勉強という名目で信者の家へ送られ、そこでエホバ流の聖書を学ぶことで自然と入信することになります。

 幼いころからカルトが身近にあった著者が、ではなぜカルトから脱退するに至ったのでしょうか。それは前述の通り息子の大病がきっかけになっています。輸血を禁じる教義とのジレンマや、同じ病棟で入院するほかの子供たちの姿が著者の中にあった違和感を大きなものとし、それが脱退へと繋がることになったようです。
 また、著者の夫が「この世的」(エホバの証人の用語で「世俗的」くらいの意味)で、あっさり脱退を決めてしまえたのも大きかったでしょう。カルトの信者内で配偶者を決めるというのは、こういう1人が脱退を決意してももう片方が残るというかたちで脱退を阻害する方向へ働くのが常ですが、著者の場合むしろその逆の働きをしていたのが幸いでした。

 本書は幼いころから信者だった著者の体験が、漫画というビジュアルを含めてわかりやすく描かれている点で絶好の「カルト入門」といえるかもしれません。著者が経験したカルトはあくまでエホバの証人ですが、ここで使用された勧誘や相互監視、繋ぎ止めの技術はほかのカルトでも共通してみられるものです。これらの手法を知っておくことは、自分や家族がそれに晒されたときの抵抗力となるかもしれません。

 たもさん (2018). カルト宗教信じてました。 彩図社

【書評】マインド・コントロールの恐怖

 今回の書評はこちら。昔の本ですが、アメリカで統一教会の信者、それもアメリカ統一教会の副会長だった人の書いた本ということで興味深いです。

 アメリカと統一教会
 統一教会とは、現在の正式名称を世界平和統一家庭連合という韓国発祥のカルト教団です。日本では合同結婚式などが話題になり、『カルトの子 心を盗まれた家族』でも言及されていました。また保守政治家を中心に政治に食い込みつつ、韓国と深い関係があるにも関わらずなかなかネトウヨの批判の訴状に上がらないといった動きも見られます。
 アメリカにおいても、保守派の政治家とかかわりを持ち政治に食い込んでいるようです。そのような政治的活動の動機は主に反共思想らしく、なるほど現在の日本の保守政治家とも深く関係するわけだと思わせられます。アメリカでは1978年にフレーザー・レポートと呼ばれる報告書が提出され、統一教会の活動が検証されています。

 そんな統一教会のマインドコントロールの方法は、カルトの典型例である教え込みです。まず目的を隠すなり偽りなりして人を呼び寄せます。そして絶対に帰しません。時にはそうであることを教えず、泊りがけの研修に連れ去ることで教義を教え込みます。その過程で疑義を挟むことや個人で行動すること、自分で考えることを奪いちょっとずつカルトの信者を作り上げるのです。たいていの場合、このような勧誘に引き寄せられてしまう人は人生の困難に直面し、生き方などを悩む人、あるいはそもそもスピリチュアルに興味がある人なのでその分抵抗力が落ち、より容易にマインドコントロールにはまり込んでしまう危険性があります。

 カルトかな?と思ったら
 著者はカルトを脱退するためのカウンセリングを行っていますが、その団体がカルトかどうか、またカウンセリングを受けるかどうかは慎重に決めるといいます。相談される事例の中には、単に子供が気に入らない恋人と結婚したのでその人が洗脳をしているのではないかと疑った親も少なくない数含まれているようです。マインドコントロールという言葉が市民権を得たが故でしょうか。

 さて、私もそうでしたが、大学生のころにはよく「カルトに気を付けましょう」という呼びかけがされます。しかし実際には、どの集団がカルトでどれがカルトじゃないかは悩むところです。基本的に大学構内で通行人相手に無作為に行われるアンケートとか、聖書を勉強しましょうの会とかを避けていればいいわけですが、実際に聖書に興味がある人は困るでしょうし、カルトも勧誘の手法を進化させつつあるので装うサークルが変わってくるかもしれません。テニスサークルだと思ったらカルトだったという事例は少なくても、ボランティアサークルだと思ったら……という事例はかなりありえそうです。

 筆者は組織がカルトかどうかを見分けるポイントとして次の点を挙げています。
・リーダーはだれか。特に反社会的な経歴はないか。
・教義が制約なく明かされるか。不法行為を正当化するものか。
・勧誘時に嘘をつくか。やめる自由があるか。
 また本書の内容を総合すると、以下のことも区別に役立ちそうです。
・構成員が組織やリーダーへの不満を述べられるか。
・構成員が寝不足や栄養不足に晒されていないか。
・構成員が組織から離れ帰省などをするとき、いちいち許可が必要か。
・組織を辞めると不幸が起こるなどと脅されていないか。

 どうやって救うのか
 不運にも家族や親しい友人がカルトと思しき組織に入ってしまったときには、どうすればいいでしょう。著者はまず、専門家や知人といった外部の人の助けを乞うべきだと指摘します。問題を内側へ抱えようとするとたいていうまくいきません。
 またこの際絶対やってはいけないことは、カルトに入ってしまった人と敵対的な対決をすることです。信者にとって信者ではない部外者はみな、外の世界に汚染された人です。統一教会はサタンに支配されているとか言います。つまり部外者の言葉はすべて偽りであり、カルトという評価もまた偽りものであるので聞く耳を持ちません。

 脱カルトのために行うべきなのは、その人がカルトに入る前の良かった時代の生活を思い出させることです。多くの場合、カルトの生活は過酷なものなので、昔の生活のほうが幸せなのです。もっとも、家族との間に問題を抱え、カルトの生活のほうが幸せに見える事例などでは脱カルトに失敗しているようですが。
 また信者の多くは自分がカルトに入っているという自覚がないので、彼らの組織とは別のカルトの話をするとすんなり聞いてくれることも多いようです。そしてほかのカルトの話を聞くうちに、自分の組織との事例に気づくということもあります。

 脱カルトにはいろいろな方法がありますが、著者は強制的で法的にもリスクのあった脱洗脳しかなされていなかった時代に、強制ではない脱洗脳を開発したという功績があります。しかし著者はカルト問題は未だに大きな問題になっているにもかかわらず公的な対策は遅れていると指摘していますし、現在も残念ながら有効な指摘となっているでしょう。

 スティーヴン・ハッサン (1993). マインド・コントロールの恐怖 恒友出版

【書評】カルトの子 心を盗まれた家族

 今回の書評はカルト問題の、特に二世と呼ばれる子供たちについて取材したルポタージュです。
 二世というのは、ここでは親がカルトに入信し、その流れで自分も入信することになった子供や、親が入信した後に生まれた子供のことを指しています。
 また本書ではオウム真理教、エホバの証人、統一教会、ヤマギシ会、ライフスペースを取り上げそれぞれ章でわけています。

 子供に対する虐待の嵐
 本書を通読してまず感じたのは、親がカルトに入信するというのは虐待とイコールであるということです。
 虐待といっても色々ありますが、本書に登場する事例はそのすべてを網羅しているといっても過言ではありません。エホバの証人やヤマギシ会で行われていた過激な体罰(体罰に過激じゃないとかないと思いますが、ここに登場する事例はそうと表現するしかありません)は身体的・精神的暴力です。オウム真理教のそれは逆に子供への無関心で貫かれたネグレクトであり、決められた相手と結婚し言葉も通じない土地で過ごさなければいけない状況に追いやられた統一教会の二世たちの事例は性的虐待と表現することができるでしょう。
 大人がカルトに入信し、そこで被害を受けるのも見過ごせませんが、そのような事例は本人たちは「入信した自分が悪い」などと納得することもできるでしょう。しかし子供たちは自身の自由意志とは無関係に入信させられ、被害にあっているわけです。

 社会的規範と判断力の破壊
 多種多様なカルトによる子供たちに対する被害も、俯瞰してみると「社会的規範と判断力の破壊」と「愛情の剥奪」という2つの柱に貫かれていることがわかります。
 前者のうち、社会的規範の破壊というのは、カルトの閉鎖空間で育ち社会を知らずに成長してしまうこと、そしてカルト特有の規範を内在化し脱会した後もそれに縛られてしまうことを指します。
 本書に登場する事例では、世間の流行や娯楽の話題についていけずに疎外感を覚える人から、税金や給料の相場のことがわからないために職場でいいように搾取されていた事例、NHKが公共放送であることも分かっていなかった事例などが登場します。
 特に印象的なのは、エホバの証人から脱会した二世が、未だに輸血をされるといった教義に反する行為に強い拒否反応を示してしまう事例です。暴力的な手段によって内面に植え付けられたルールから脱するのは容易ではありません。こうして全ての判断が一旦でも「教義に反するか否か」になってしまうと、その判断力を取り戻すのも難しくなります。このような社会的な規範の破壊は、二世たちの自立する能力を奪い、その後の社会復帰に悪影響を及ぼします。

 愛情の剥奪
 古来より心理学では、子供の成長には母性愛と父性愛が必要であると言われてきました。これは両親が必要だよということではなく、愛情には「無条件の愛(母性愛)」と「条件つきの愛(父性愛)」が必要だということです。
 しかしカルトは、なぜだか大抵の場合子供を無条件に愛することを否定します。これを著者は「大人の夢を子供に押し付けている」と看破しています。確かに、エホバの証人は子供を楽園に連れていくために、統一教会は信者となり罪のなくなった自分の子供が同じ罪なき子と結婚すればさらに真っ白になり一族が救われるためにそれぞれ奔走してました。ヤマギシ会はわかりやすく「いい子を育てる」ために入信し、暴力をふるっていたわけです。このように「理想の子供」ありきで子育てをしようとすれば無条件の愛などという発想にはまず至りません。
 では条件つきの愛なら与えられるかというと、これもまず難しいという状況にあります。カルトの提示する条件があまりにも厳しく理不尽だからです。エホバの証人は長時間にわたる伝道を子供にも強いますし、ヤマギシ会の体罰はもはや理由らしい理由も見当たらない有様です。このような「守ることができないルール」を求められれば、人はそれを順守する努力をやめ無気力に陥ります。

 本書では脱会した二世たちのその後を追っていますが、その足取りは芳しくありません。うまくその後の人生を送っている者もいますが、問題を抱えていたり取材後連絡が途絶えてしまっているらしい二世も数多くいます。このような事例は無視できない数存在する一方で、カルトの二世という存在そのものは決して多くなく、国や行政が主導して対策をとるほどでもないとみなされているのも事実です。
 このような問題を解決するには、カルトの二世という枠組みでとらえるよりは、虐待被害者やその他生きにくさを感じている子供たちの1つのパターンとしてとらえるほうが良いのかもしれません。

え―き様の3分犯罪解説第1講投稿しました。

 というわけで初の動画投稿です。紆余曲折ありましたがこのかたちに落ち着きました。
 さて、動画冒頭にも書いたように、所々ネタが不謹慎だと捉えられる場所があるかもしれません。私は冗談なら何を言っても構わないとは思っておらず、きちんとやっちゃまずいと思ったネタは自重してます。それでも不適切だろうという指摘があればどんどんおっしゃって下さい。
 犯罪をある種笑いのネタにすることについて、どこまでならやっていいかは結構慎重に考えました。少なくとも動画にした部分は私が大丈夫だと判断したものです。犯罪を絶対に娯楽の種にするなという意見には首を縦に振りかねますが、限度というものはあるのでこれからも考え続けていくべきでしょうね。 

 さて、本題のラジニーシですが、教祖や教団のことは調べても要領を得ませんでした。それっぽいオカルト系のサイトは ヒットするんですが…….
 宗教テロといえばオウムみたく終末思想からの暴走というイメージが強いですが、ラジニーシのように理解できなくもない理由でテロを起こすパターンも存在するんですね。 

 
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』『生徒会の相談役』『車椅子探偵とデスゲームな高校』犯罪学ブログ『九段新報』など。質問はhttps://t.co/jBpEHGhrd9へ
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