今回は最近出版された、ネット犯罪系のルポタージュです。
まぁ、ルポと銘打ってありますがひとつの犯罪を掘り下げたものではなく著者のいままでの取材を大雑把にまとめネット関連の犯罪を概観するようなもので、歴史の一覧には便利ですが1つ1つの事件を知るには表層的過ぎて役に立たないなという印象です。
JKビジネスで働く女子高校生の「リアリティ」を称揚しがちな男性著者
さて、本書で気になった点をいくつか。まずは、前半で記述されているJKビジネスについてです。
JKビジネスが買春の温床になるというのはよく聞く話ですが、著者は「JKビジネスを経験したが買春までいかなかった」事例を挙げて、必ずしもそうなるわけではないことを指摘します。
この手の語り方には既視感があります。かつて『「身体を売る彼女たち」の事情―自立と依存の性風俗』を書評したときに触れた坂爪慎吾氏であったり、あるいは「女子高校生の性事情を語るおじさん」の開祖であるところの宮台真司あたりの語り方を同じです。
しかし実際には、『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』で仁藤夢乃氏が指摘しているように、JKビジネスは明らかに買春の温床となっています。むろん、JKビジネスにかかわる女子高生は多く、探せば買春にかかわる前に辞めた人も見つかることはあるでしょうが、それを抜き出して拡大する分析が正しいとは思えません。
このような、主に男性著者によって語られる「JKビジネス=買春温床説への否定」と、仁藤氏のようなとりわけ女性の著者、活動家によって指摘される「JKビジネス=買春温床説」との乖離はどこから来るのでしょうか。
私の推測ですが、男性著者が都合のいい事例のピックアップを行っているという説明以外に考えられる理由がいくつかあります。
その1つが、「温床」という言葉の範囲です。おそらく男性著者の多くが、「温床」というとき、JKビジネスの場面で直に買春を持ち掛けられるような状況のみを想定して「温床」と呼んでいるのでしょう。ゆえに、JKビジネスをしながらそういう経験がなかったという事例を見つけると「温床とは限らない!」という反応になるのだろうと思われます。
一方、JKビジネスを問題視する側はより広い範囲で「温床」と言っているではなかろうかと思います。仁藤氏の著作を読めばわかるように、氏は「JKビジネスを踏み台にして(売り手も買い手も)性風俗につながる」ことまでひっくるめて温床と呼んでいるようです。JKビジネスの場面でそういう勧誘がなかったとしても、JKビジネスにかかわったことで買春への抵抗感が薄くなったり、JKビジネスの経営者からそういう仕事に勧誘されることもまた「温床」と呼ぶべきです。
加えて言えば、「買春」の範囲も双方で大きく食い違っているように見えます。
本書ではJKビジネスの事例、あるいはJKビジネス以前の性風俗の形態として、JKリフレ(女子高校生による手足のマッサージ)や覗き部屋を紹介しています。著者の書きぶりでは、これらの形態は買春とは距離のあるものとして区別されています。
確かに、狭義の意味ではこれらの行為は買春とは言えないでしょう。しかし、明らかに買春に「類似した」行為であることも確かです。これらを買春とは異なるもの、さほど問題のないものとして認識することは現実に対して不正確といえます。
まぁ、これらの類似行為まで買春と言ってしまうと用語に混乱が生じるのは確かですが、JKビジネスを問題する人々はこのような行為まで射程に入れて「温床」と言っているのだろうし、そちらのほうが分析として正確であると考えられます。
ネット規制の親玉:高市早苗
さて、気になった点のもう1つです。
いまやお馴染みとなった青少年へのネット規制、フィルタリングサービスなどですが、導入当初はいろいろともめたようです。
特にもめたのが、どんなサイトをブロックするかという問題です。2005年ごろ、自民党の内閣部会と青少年特別委員会は「青少年の健全な育成のためのインターネットの利用による青少年有害情報の閲覧の防止等に関する法律案」を審議していました。
ここで、総務大臣が指針を作るべきという考え方を打ち出したのが高市早苗氏でした。総務大臣がブロックするべきサイトを決定するというのは明確な国家介入であり、当時自民党内でも意見が分かれたようです。
高市氏といえば、総務大臣だった2016年に民放報道の電波停止を示唆する発言をしたことで批判された人物です。情報の流通に国家が介入することに抵抗を覚えない人物であることが、ここからもはっきりします。
結局、総務大臣の作った指針はあくまで「例示」ということになりました。ですが、スマートフォンの拡大によってフィルタリングは有名無実と化しているのが現実です。
ネットのツールというのは、知識として知っていても実際に使ってみないと、その「肌感覚」はわからないものです。それがネット犯罪の対策を困難なものにしているのは確かでしょう。
渋井哲也 (2019). ルポ 平成ネット犯罪 筑摩書房
まぁ、ルポと銘打ってありますがひとつの犯罪を掘り下げたものではなく著者のいままでの取材を大雑把にまとめネット関連の犯罪を概観するようなもので、歴史の一覧には便利ですが1つ1つの事件を知るには表層的過ぎて役に立たないなという印象です。
JKビジネスで働く女子高校生の「リアリティ」を称揚しがちな男性著者
さて、本書で気になった点をいくつか。まずは、前半で記述されているJKビジネスについてです。
JKビジネスが買春の温床になるというのはよく聞く話ですが、著者は「JKビジネスを経験したが買春までいかなかった」事例を挙げて、必ずしもそうなるわけではないことを指摘します。
この手の語り方には既視感があります。かつて『「身体を売る彼女たち」の事情―自立と依存の性風俗』を書評したときに触れた坂爪慎吾氏であったり、あるいは「女子高校生の性事情を語るおじさん」の開祖であるところの宮台真司あたりの語り方を同じです。
しかし実際には、『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』で仁藤夢乃氏が指摘しているように、JKビジネスは明らかに買春の温床となっています。むろん、JKビジネスにかかわる女子高生は多く、探せば買春にかかわる前に辞めた人も見つかることはあるでしょうが、それを抜き出して拡大する分析が正しいとは思えません。
このような、主に男性著者によって語られる「JKビジネス=買春温床説への否定」と、仁藤氏のようなとりわけ女性の著者、活動家によって指摘される「JKビジネス=買春温床説」との乖離はどこから来るのでしょうか。
私の推測ですが、男性著者が都合のいい事例のピックアップを行っているという説明以外に考えられる理由がいくつかあります。
その1つが、「温床」という言葉の範囲です。おそらく男性著者の多くが、「温床」というとき、JKビジネスの場面で直に買春を持ち掛けられるような状況のみを想定して「温床」と呼んでいるのでしょう。ゆえに、JKビジネスをしながらそういう経験がなかったという事例を見つけると「温床とは限らない!」という反応になるのだろうと思われます。
一方、JKビジネスを問題視する側はより広い範囲で「温床」と言っているではなかろうかと思います。仁藤氏の著作を読めばわかるように、氏は「JKビジネスを踏み台にして(売り手も買い手も)性風俗につながる」ことまでひっくるめて温床と呼んでいるようです。JKビジネスの場面でそういう勧誘がなかったとしても、JKビジネスにかかわったことで買春への抵抗感が薄くなったり、JKビジネスの経営者からそういう仕事に勧誘されることもまた「温床」と呼ぶべきです。
加えて言えば、「買春」の範囲も双方で大きく食い違っているように見えます。
本書ではJKビジネスの事例、あるいはJKビジネス以前の性風俗の形態として、JKリフレ(女子高校生による手足のマッサージ)や覗き部屋を紹介しています。著者の書きぶりでは、これらの形態は買春とは距離のあるものとして区別されています。
確かに、狭義の意味ではこれらの行為は買春とは言えないでしょう。しかし、明らかに買春に「類似した」行為であることも確かです。これらを買春とは異なるもの、さほど問題のないものとして認識することは現実に対して不正確といえます。
まぁ、これらの類似行為まで買春と言ってしまうと用語に混乱が生じるのは確かですが、JKビジネスを問題する人々はこのような行為まで射程に入れて「温床」と言っているのだろうし、そちらのほうが分析として正確であると考えられます。
ネット規制の親玉:高市早苗
さて、気になった点のもう1つです。
いまやお馴染みとなった青少年へのネット規制、フィルタリングサービスなどですが、導入当初はいろいろともめたようです。
特にもめたのが、どんなサイトをブロックするかという問題です。2005年ごろ、自民党の内閣部会と青少年特別委員会は「青少年の健全な育成のためのインターネットの利用による青少年有害情報の閲覧の防止等に関する法律案」を審議していました。
ここで、総務大臣が指針を作るべきという考え方を打ち出したのが高市早苗氏でした。総務大臣がブロックするべきサイトを決定するというのは明確な国家介入であり、当時自民党内でも意見が分かれたようです。
高市氏といえば、総務大臣だった2016年に民放報道の電波停止を示唆する発言をしたことで批判された人物です。情報の流通に国家が介入することに抵抗を覚えない人物であることが、ここからもはっきりします。
結局、総務大臣の作った指針はあくまで「例示」ということになりました。ですが、スマートフォンの拡大によってフィルタリングは有名無実と化しているのが現実です。
ネットのツールというのは、知識として知っていても実際に使ってみないと、その「肌感覚」はわからないものです。それがネット犯罪の対策を困難なものにしているのは確かでしょう。
渋井哲也 (2019). ルポ 平成ネット犯罪 筑摩書房