九段新報

犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。

テロリズム

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明らかなヘイトクライムに「差別はダメ」とすらいえない本邦の首相

 これです。
 ニュージーランド南島のクライストチャーチで15日午後、2カ所のモスク(イスラム教の礼拝所)で銃撃事件があり、警察によると計49人が死亡し、20人以上が負傷した。
 ニュージーランドのマイク・ブッシュ警視総監は同日夜の記者会見で、20代後半の男性1人を殺人容疑で訴追したほか、男性2人と女性1人を逮捕したと明らかにした。警視総監は、逮捕された4人はいずれも、テロ対策当局に把握されていなかったと述べた。訴追した男性以外の3人は銃器を所持していたが、そのうち1人は事件と無関係のようだと判断したという。
 警視総監は、共犯者を積極的に追跡している事実はないが、他に共犯がいる可能性を「排除していない」と慎重な姿勢を示した。また、用意周到に準備された計画的犯行だと見ていると述べた。車両に搭載された複数の即席爆発装置(IED)を現場で発見したほか、2カ所のモスクで銃器を押収したという。
 オーストラリアのスコット・モリソン首相は、逮捕された容疑者の1人が「オーストラリア生まれの市民」で、28歳男性だと確認した。
 ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は同日夕の記者会見で、事件は「テロ攻撃としか呼びようがない」と述べ、銃撃犯を「暴力的な過激右派テロリスト」と呼んだ。さらにその上で、「このような極端で前代未聞の暴力行為はニュージーランドにあってはならない」と非難した。
 アーダーン首相は、「クライストチャーチは、被害者の人たちの地元でした。多くの人にとっては、生まれた場所ではなかったかもしれない。多くの人は、わざわざニュージーランドを選んだのです。積極的にここにやってきて、ここの一員になった。多くの人はここが安全だから、この地に来たのです。自分の文化や宗教を自由に実践できる場所なので」と説明した。
 首相はさらに、銃撃犯がニュージーランドを選んだのは、「ここが憎悪や分断にとって安全な場所だからではない」と強調。「私たちが選ばれたのは、まさに私たちが憎悪や分断を受け入れないからです」と述べ、ニュージーランドが攻撃されたのは「多様性と優しさと思いやり」のためで、「私たちの価値観を共有する人にとっての安住の地、避難先を必要とする人にとっての避難場所だからです。私たちのこういう価値観を、揺らがせることはできませんし、私たちの価値観が揺らぐことはありません。それは保証します」と力説した。
 ニュージーランドのモスク2カ所で銃撃、49人死亡 豪男性を訴追-BBC
 ニュージーランド、クライストチャーチの事件を受けてのツイートでした。
 確かに、この事件は白人至上主義を知らしめる、実現するという目的をもって行われた犯罪であり、テロと呼ぶに値するでしょう。しかし一方で、この事件に対し「テロとの戦い」という言葉を使用することは、この事件が「差別」を背景に発生したものであることを見落としています。

 ニュージーランド首相の対応
 この事件でまず着目すべきは、事件後の首相の対応でしょう。
 報道によれば、首相は事件直後から積極的に差別は許されないということ、移民を含めて国が市民を受け入れることを積極的に発信してきました。
 人種差別を背景としたテロは、その発生自体が「俺たちと同じ考えのやつがいた」と差別主義者を勢いづかせるのと同時に、被差別人種のために巻き添えを食らいたくないという断絶を引き起こし、差別を加速させる役割を果たします。そのような連鎖を断つために、市民のリーダーが差別は許されず、どのような人種でも受け入れることを表明することは重要です。
 ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相(37)は21日、第1子となる女の子を出産したと発表した。体重は3310グラム。
 選挙によって選ばれた国のトップが在任中に出産するのは、1990年のパキスタンの故ベナジル・ブット元首相以来、現代史上で2人目となる。
 アーダーン氏は出産予定日から4日後の21日未明にオークランドの病院に入院した。6週間の産休を取る予定で、期間中はウィンストン・ピーターズ副首相が代理を務める。
 ただ、産休中も閣僚会議の書類などに目を通して職務を続けるとしている。
 ニュージーランド首相が女の子を出産 産休は6週間-BBC
 ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は24日、ニューヨークで開かれた国連総会で演説を行った。この日は6月に生まれたばかりの娘のニーブちゃんを同行させ、国連に乳幼児を連れてきた初のケースとなった。
 アーダーン首相が演説を行っている間、パートナーのクラーク・ゲイフォードさんがニュージーランドの「ファースト・ベイビー」を抱いていた。
(中略)
 首相が国連の会議に出席している間は、ゲイフォードさんがファースト・ベイビーの世話をしていた。ファースト・ベイビーの呼称は、ニーブちゃんの国連身分証明書に書かれていたもの。
 ゲイフォードさんはツイッターに入館証の写真を投稿し、「ツイッターのみんながニーブの身分証明書が見たいと言うから、職員が手早く作ってくれた。きのう国連の会議室でニーブのおむつを換えていた時、日本代表団が入ってきた。あの人たちのびっくりした顔を、写真に撮れれば良かったんだけど。ニーブの21歳の誕生日に聞かせたい話だ」と話した。
 NZ首相、国連総会に赤ちゃん同行 おむつ交換に日本代表団びっくり-BBC
 ニュージーランドのアンダーソン首相は、就任当初から育児休暇を取得する、国連で子供のおむつを替えるなどその活動が話題を呼んでいる人物です。テロの衝撃がまだ醒めやまぬでしょうが、このような真の意味で「強い」リーダーがいる国であれば問題なく対処するだろうと思います。

 我が国の首相の悲惨な現状
 一方、一挙手一投足に問題があるのが安倍首相です。
 今回の事件が人種差別によるものであることを見落とす見識もそうですが、そもそもイスラモフォビア自体が、アメリカを始めとする好戦的な国家によって始まった「テロとの戦い」によって加速したものであることを考えれば、今回の事件への声明として「テロとの戦い」を持ち出すことはかえって逆効果であることは明白です。

 また、『度重なる在日コリアンへのヘイトクライムに政府は対処すべき』でも論じましたが、安倍首相は国外の重大事件にはいち早く声明を出す一方で、国内で発生したヘイトクライムに関しては沈黙を貫いてきました。差別主義者には、沈黙は肯定として捉えられるでしょう。ましてや在日コリアンを始めとするマイノリティへ積極的に差別的政策を行っている首相ではなおさらです(『京都のヘイトデモカウンターへ行ってきた #0309nohate京都』『差別主義者は無限の証明を要求する』参照)。

 しかも安倍首相の、きわめて選択的な配慮の心は、アメリカでの発生した銃乱射事件であるとか、今回のように「テロとの戦い」という文脈で利用できるような事件に限られているようで、要するに「アメリカにしっぽを振れるなら言及する」という態度に出ています。これでは差別と闘うことは到底無理でしょう。

 ことの軽重がわからない人々
 ニュージーランドで起きた銃乱射事件について、オーストラリアの国会議員がイスラム教徒に対する差別的な声明を発表し、これに抗議する少年から生卵を投げつけられる騒ぎがありました。
 ニュージーランドでの銃乱射事件から一夜明けた16日、オーストラリアの国会議員が、メディアのインタビューを受けていたところ、近づいてきた17歳の白人の少年から生卵をぶつけられる騒ぎとなりました。
 議員はすぐに平手打ちで返し、少年はその場で取り押さえられました。
 生卵をぶつけられたのはフレーザー・アニング上院議員で、銃乱射事件の直後には「事件の本当の原因はイスラム教の狂信者を受け入れたニュージーランドの移民政策にある。彼らこそが信仰の名のもとに人を殺している犯人だ」と、イスラム教徒に対する差別的な声明を出していました。
 この声明には世界中から厳しい批判が向けられていて、インターネット上では、少年が卵で攻撃したことには賛成できないが、議員の声明は放置できないとして、少年の行動に共感を示すコメントが多く投稿されています。
 NZ銃乱射事件で差別的発言の豪議員 生卵投げつけられる-NHKNWESWEB
 そのような無能な首相を支えるのは、ことの軽重がわからない人々です。かねてより差別的発言で知られ、今回の事件に対しても同様に差別的な発言をしていた議員に対して少年が生卵をぶつけた騒動に関して、議員と少年を「どっちもどっち」であるかのように扱う言説が、さすがに多数派でないにしてもよく見られました。
スクリーンショット (27)

 特にニコニコニュースの『NZ銃乱射は「移民政策のせい」 発言の豪議員に生卵』では、上掲の通りよく見られます。「言論には言論を」という愚論に関しては、差別がそもそも言論ではなく、言葉を利用した暴力であって、これへ対抗するには言論だけでは不十分であることが共有されていないのでしょう。単に言葉による暴力は、被害が見えにくいためにいたずらに規制をすれば過剰な規制となってしまうために慎重であるべきなのであって、暴力犯であれば適切に処罰すべきという原則には違いないはずです。

 しかし『それは本当に「正義の」暴走なのか 人権というグランドセオリーなき人々』でも論じたように、人権というグランドセオリーを持たない人々にとっては、表面的な外見が似ていればそれは「どっちもどっち」になってしまうのです。安倍首相の声明にみられるように、今回の事件が「テロとの戦い」の一部だとみなしてしまうのも同様の背景があるのかもしれません。人種差別という視点を持たなければ、確かにあれとそれは同じに見えるでしょう。

 安倍首相の中では「人をたくさん殺したらテロで、それはいけないことだ(ただしマイノリティはノーカン)」位の雑な認識である可能性は案外馬鹿にできず……。

内閣府政府広報室のやばい意見集

 みんな覚えているかな?
 昨年9月、クラウドワークスというクラウドソーシングサイトで「共産党に票を入れる人は反日」というようなブログ記事を書けば一件につき800円の報酬をもらえる案件が募集されていることが判明して度肝を抜かれたよね。
(中略)
 これね、日本政府の公式ウェブサイトで日本国民の意見として公開されているんだよ。
 韓国のことを「反日を国是のようにする体質」とか言い出したかと思うと、「国内にいる在日と呼ばれる方々が嫌われるのも同じ理由」とか「かの民族」とか、差別的な言動が含まれているよね。
 こういうことを言う日本人がいるのは知っているけどさ、政府が公式ウェブサイトに公開していいようなもんじゃないよ。
 「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)」が2016年6月に施行されたわけだけど、その内容や目的を考えると明らかに不適切だよね。
 差別デマを拡散する内閣府のプロパガンダ装置-ロジ・レポート
 これの件です。
 排外主義というのは往々にして排斥したい対象を犯罪者のように扱うこととセットなので、犯罪がらみのものもあるかなぁと思って調べてみたらビンゴでした。
 なので今回は、引用元のブログが引用していないコメントを探りつつできれば犯罪学の視点から突っ込みを入れていきましょう。
 なおコメントは全て平成28年度の部分からとってきています。

 外国人差別と同居するコメント群
外国人の犯罪について 移民反対
 警察庁国際管理官が公表しておられる様に、外国人の犯罪に関し、余りにも検挙数が多すぎる。安易な観光客の受け入れは、犯罪の温床になりやすい。通称の使用禁止と実名の報道を求めます。背乗りなどを防ぐ為にもマイナンバーカードが海外に渡らない様に注意して下さい。
 (滋賀県 中村 隆宏 男性 40代 無職、その他)
 平成28年度分の意見等 > 危機管理・防災 > テロ対策 > 外国人の犯罪について 移民反対
 警視庁の統計によると、平成27年の時点で来日外国人の検挙人員は6千人ちょっと、一般刑法犯に占める割合はわずか2%未満です。これを多いと判断する基準では、外国人による犯罪は一生減少しないでしょう。
米国同様、犯罪歴のある外国人を強制送還すべき
 トランプ次期米国大統領が、犯罪歴のある移民を祖国に強制送還することを発表しました。こうした政策こそ日本は米国に倣って導入すべきです。日本では犯罪を犯した外国人を強制送還するどころか、日本人を殺害するような凶悪犯罪でも日本人容疑者に比べて刑が軽かったり、ペルー人による日本人6人殺人事件のように、心神耗弱だなんだと被害者にも日本の国益にも何の得にもならない理由をつけて裁判すら開始しない。その間の拘留費用は日本国民の税金という有様です。英国のEU離脱投票をはじめ、欧州でも今や自国第一主義、行き過ぎた人権主義や寛容な政策が招いた治安の悪化や社会不安に国民が憤慨し、自国民の保護を優先し、自国の利益に沿わない外国人には厳しく当たる政治家が選ばれる潮流となっています。日本にも不法滞在外国人や犯罪歴のある外国人が溢れ、国民が安全に暮らす権利という大切な日本人の人権が侵害される前に、彼らを追放すべきです。
 (東京都 女性 30代 専門・技術職)
 平成28年度分の意見等 > 危機管理・防災 > テロ対策 > 米国同様、犯罪歴のある外国人を強制送還すべき 
 外国人が日本人に比べて刑が軽いというエビデンスは特にないでしょう。法心理学の知見を援用すれば、むしろマイノリティは刑が重くなる危険性すらあるといえましょう。加害者の人権を守ることを「国益にならない」というのは、そりゃそうでしょうとしか……。
入国管理と国籍表記について
 最近、特定の国籍を有する者の犯罪が際立っているようですが、即刻、ビザ無し渡航を取り止めるべきですし、犯罪を犯した者は例外無しで遅滞なく国外退去させなければなりません。日本国政府は日本国民を守ってしかるべきではないでしょうか。また、国籍表記もできれば帰化三世まで、最低でも帰化一世は○○系日本人とすべきです。帰化したとはいえ、出生国を背負っているのですから、その尊厳は大切にしてあげなければなりません。いずれにしても外国人にばかり気遣いして、日本国民を不幸にする政治や行政であってはいけません。
 (千葉県 男性 50代 管理職)
 平成28年度分の意見等 > 危機管理・防災 > テロ対策 > 入国管理と国籍表記について 
 日本人を守れというその口で、同じ日本人となったはずの帰化人を差別する矛盾。この人は外国人にばかり気遣いして日本国民を不幸にしているらしい日本がある世界線からの来客です。
日本人へのヘイトスピーチを規制せよ
 日本人による対韓国朝鮮への合法デモが問題になってますが、妨害派の違法行為はメディアであまり取り上げられないようです。テレビ・新聞の情報を鵜呑みにされている人は真実を知らないかもしれません。私はデモに参加していますが、妨害派の発言やプラカードはデモ参加者への誹謗中傷ばかりで、挑発行為も多くみられます。また、デモ終了後もデモ参加者を恫喝する、さらに、デモ開始前にデモ主催者一人を大人数で取囲んで動けないようにして罵声をあびせすなど、やりたい放題です。こういった日本人へのヘイトスピーチを規制すべきです。
(東京都 男性 50代 販売・サービス・保安職)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 治安 > 日本人へのヘイトスピーチを規制せよ
 日本人へのヘイトスピーチなる用語を使用する人が例外なく不勉強であることを示すコメントです。既存メディアへの不信も加えてよくこんな短文に要素を詰め込めたものだと感心してしまいます。一般市民を装っていますが文章からわかるようにレイシストの一員です。
外国人犯罪は受け入れた組織の責任も明確にすべき
 外国人が殺人やテロなど重大な犯罪を犯した際には、国や企業など外国人を受け入れた組織の責任を明確にする法整備が必要です。ドイツでは「寛容な難民政策」により性犯罪や殺人、テロが発生し治安が大幅に悪化、一般市民は安心して街を歩けないほどの状況です。これは政府による自国民の生存権の侵害ですが、難民を歓迎する政府や企業、団体は誰も責任を取らず、ドイツ国民だけが苦難に喘いでいます。自国民の犯罪の場合、社会が人を育てたという考え方が通用しますが、外国人は違います。元々倫理観や善悪基準などが明らかに違う外国人を進んで受け入れたのは政府や企業であり、万が一国民の人権がそれによって危機に陥った場合は、自己責任でというのはあまりにも身勝手です。具体的には犯罪被害者となった国民への賠償は外国人を受け入れた企業や団体が行う。政府は速やかに情報公開を行い、外国人受け入れ政策の是非について国民に信を問うなど責任を取るべきです。
 (東京都 女性 30代 専門・技術職)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 治安 > 外国人犯罪は受け入れた組織の責任も明確にすべき
 ドイツが暗黒街であるかのような書きぶりですが実際には違います。詳しくは『ケルン集団暴行事件を考える』『続・ケルン集団暴行事件を考える』を参照してください。なるほど、社会的な責任を受け入れ団体に転嫁することで直接的にではなく間接的に外国人を差別するというのは名案です(褒めてはいない)。

 沖縄への蔑視
 広報室のコメントで犯罪関連のものを漁っていると、下手すると中国韓国への差別的視点よりも沖縄に対するそれのほうが強いのではないかという気すらしてきます。おそらく、デモをする権利への無理解と「国防に大切な基地へ反対するなんて!」という「義憤」がブーストをかけているのかもしれません。
大阪府警機動隊員の暴言問題について
 もちろん、差別的な暴言は許されざることですが、そのような暴言を吐くに至った経緯、そもそも大阪府警機動隊員がなぜ沖縄にいるのかといった観点では一切報道されていない。しかしながらいわゆる「基地反対派」の人たちの数々の脅迫暴行等の不法行為は有名です。沖縄の警察は見て見ぬふりをしているらしい。それ故に大阪から機動隊員を呼ばざるを得ないのではないか。日本は法治国家です。沖縄県警が不正な対応をしているのであれば、県警本部長等の責任者を更迭するなど、ぜひ綱紀粛正をはかって頂きたい。
 (東京都 男性 50代 販売・サービス・保安職)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > その他 > 大阪府警機動隊員の暴言問題について
 基地反対派の不法行為は有名らしいのですが、結構不起訴になっているような。あと国家権力である警察とあくまで一般市民(プロ市民だろ!とかそういう話ではなく)である反対派を同じ基準で扱う無茶も考えてほしいところですね。
全国の警察の協力で沖縄を浄化する
 沖縄では正義が通りにくい。暴力まがいや暴言などで脅かしながら基地移転に反対している一部の左翼思想者(議員も多く関わっている)と、日本の弱体化を狙う外国人(中国人・韓国人)が声を大にして基地反対運動を繰り広げているにもかからわず、その実態はメディアで報道されず、市民を守ろうとする機動隊が一言言い返しただけで、メディアは取り上げバッシングが始まる。今はネットが普及し、沖縄の実態が動画で可視化され始めているため、そのバッシングも弱くなったが、今まではもっと酷かった。左翼勢力が警官の家族にまで脅すなどということもあり、沖縄では警察も動けない。こんな卑怯で陰湿な県にしたのは誰か。勿論左翼と売国勢力だが、それを許してきたのは政府である。沖縄は非常にどす黒い。徹底的な洗い出しを全国の警察の力で行い、市民が住みやすい、意見を言いやすい県へと変わるべきであろう。
 (大阪府 女性 50代 専門・技術職)
 まるで沖縄県自体が暴力団であるかのような物言いです。これをそのまま掲載する意味を広報室は考えなかったのでしょうか。大阪府在住という情報で「お前が何を知ってんねん」感も満載。

 もうちょっと勉強してほしいコメント群
成人年齢を引き下げるのなら18歳の犯罪も成人と同じ
 来年に成人年齢20歳を18歳に引き下げる案がありますが、18歳の犯罪も成人と同等に扱うべきだと要望します。今年の参議院選挙から18歳も投票ができるようになりました。権利ばかり与え、罰則は少年法の規定のままになっていたらおかしいと思いますので、成人年齢の引き下げると同時に少年法の改正にも着手してもらいたいです。先日も河川敷で複数の少年らの暴行によって、一人の少年が亡くなる事件がありました。川崎市で起きた事件と同じで、あれから何も変わっていません。彼らには罪の意識が薄いように感じられます。厳罰化の方向にすべきだという国民の声は多数です。
 (愛知県 女性 30代 無職、その他)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 非行防止 > 成人年齢を引き下げるのなら18歳の犯罪も成人と同じ
 18歳成人にしたら犯罪もそのように扱うべきなのはその通りかもしれませんが、厳罰化したら何とかなるというのは大間違いです。暴行くらいの犯罪であれば少年犯罪として扱われるほうがはるかに大ごとで犯罪者にとっては厄介ですし、そもそも殺人事件は原則として逆送され、最高刑期などを除けば成人と同じように扱われます。あと犯罪に対する責任は権利の代償ではありません。
高齢者の運転免許返納制度
 年齢で一律に運転免許返納にすべきではないだろうか。能力に個人差があることは承知しているが、例えば家族が危険を感じても当時者に理解してもらうのは難しい。
 (兵庫県 女性 40代 専門・技術職)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 交通安全 > 高齢者の運転免許返納制度
高齢者の自動車運転
 高齢者による自動車事故が相次いでいます。やはり、高齢者の運転は制限すべきではないでしょうか。交通の問題がありますが、その結果、運転する高齢者より若い人、特に児童の怪我や死亡事故はゆるせません。一概に決めつけることはできませんが、車を持つ余裕があるなら、タクシーを利用するなどの金銭的な余裕もあると思います。人生の終盤に、自分より若い人を殺傷する事の意味を、もっと、啓蒙するべきと考えます。
 (京都府 男性 60代 管理職)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 交通安全 > 高齢者の自動車運転
高齢者免許
 高齢者の自動車事故が多発する中、先日87歳の高齢者男性が事故で児童の命を奪ってしまった。高齢者の寿命、運動能力は高くなっているが、認知症の割合も高くなっているので危険極まりない。来年の3月にこれらに対しての改正があるらしいが、認知症検査や運転能力でなく年齢で確実に免許を返還にしてもらいたい。運転する側からは迷惑だろうが、被害者の気持ちや今後事故を減らすほうに考えてもらいたい。
 (埼玉県 女性 40代 主婦・主夫)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 交通安全 > 高齢者免許
 犯罪とはちょっと違いますが、単純明快な規制を求める声が多いのも気にかかります。元来運転もその人の行動の自由の1つであり、それを年齢という理由だけで奪ってしまうのは問題があるでしょう。とりわけ、地方では交通機関が貧弱なままであり下手すると大げさでなく本当に生存権に関わりかねない提案です。
男=悪・犯罪者の広告はもうやめよう
 絵画等を用いた犯罪防止を呼び掛ける広告には、犯罪者を男性として描いているものがよくある。既に1年以上前だが、新聞掲載の政府広報ですら、児童ポルノ単純所持禁止(個人的には「単純所持」への罰則には反対だが)の加害者が男性として描かれていた。仮に男性の犯罪者が多いとしても、犯罪者の絵を男性として描くのは良くない。なぜなら男性=悪のイメージを植え付け、痴漢冤罪のように男性への冤罪を招いたり、うっかり女性トイレに間違って入ったり、善意で迷子の少女に声を掛けたりした男性まで捕まってしまうような騒ぎも聞いているから。こんな極端な事が起きるのは「男性=悪」の先入観が蔓延しているからではないか。そのため、特に犯罪防止広告に男性を加害者犯人として描くのをある程度規制するとか、あるいはそういう描き方をするのを自然にやめていく様な風潮を作ってほしい
 (福岡県 男性 30代 無職、その他)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 防犯 > 男=悪・犯罪者の広告はもうやめよう
 最近よく見る感じのあれです。でも犯罪者の大半は男なので、実際に即した描写なんですよね。むろん、ダーティーオールド仮説の世にステレオタイプな描写は逆効果なのでやめるべきですが。
暴力的精神疾患者と性犯罪の再犯者にチップを
 先日相模原市の重症養護施設で痛ましい殺人事件が起こりました。背筋が凍るような残虐な事件でした。新聞報道では異常な精神の持ち主で、精神鑑定で刑の可否が決まるでしょうといわれています。最近こうした犯罪が多いように思います。さらに事前に防止できなかったのか口惜しさがあります。性犯罪も同様に感じられます。米国ではこうした人物にはチップを挿入しているそうですが、社会が歪んで多様な人物がいる昨今は、こうした方法もいいのではないかと思います。法制化の方向で考えていただきたい。
 (兵庫県 刈谷 昌道 男性 70代以上 無職、その他)
 平成28年度分の意見等 > 警察関係 > 防犯 > 暴力的精神疾患者と性犯罪の再犯者にチップを
 おぉ、この時代にメーガン法の話を聞けるとは!って感じのコメントです。メーガン法については『【書評】性犯罪者から子どもを守る』『日本にメーガン法は必要か』を参照のこと。性犯罪者の中に精神障害者が加わるというのが世相を反映していて興味深いですね。

 差別にまみれたコメントを垂れ流す意味
 このようなコメント群は、一部は関係省庁の返答を加えられますが大多数がただ掲載されているだけの現状です。無知から生じる、現状に対する誤った認識をしているコメントをそのことを指摘しないまま掲載するのも誤った印象を再生産するだけで問題ですが、さらに問題なのは明らかに差別的なコメントをそのまま掲載していることでしょう。
 引用元のブログも指摘しているように、このコメントはただ掲載しているだけではなく、不適切であれば掲載しないと断ったうえで載せているものです。つまり政府広報室はこれらのコメントが不適切でないとお墨付きを与えたうえで垂れ流しているわけで、これでは差別思想に是認を与えるだけの役割しか果たしていないことになります。

 しかし不思議なことに、極端な意見は必ずと言っていいほど右側からのもので、「市民を弾圧する警察は糞だ!死ね!」みたいな方向性の極端なコメントは探した限りでは見られませんね。
 あと大量にある犯罪に対する誤解コメがそのまま放置なのも座りが悪いので、時間があるときに一斉に指摘していきたい気も。大変でしょうけど。

【書評】暴力の人類史 上

 本日はこちら。死ぬほど分厚い名著です。ようやく読む機会を得ました。死ぬほど分厚いので上下巻に分けてレビューします。

 結論:全ての暴力は減少している
 死ぬほど分厚い死ぬほど分厚いと言っていますが、本書の要点をまとめると結局のところここに落ち着きます。
 本書では稀有なことに、犯罪だけでなく戦争からテロリズム、拷問のような残虐な刑罰まですべての暴力といえる暴力を扱っています。そしてその全てで、時代による揺り戻しも多少はありつつ減少傾向を見せているのです。
 その理由は何でしょうか。本書では大きく5つの原因──リヴァイアサン・通商・女性化・コスモポリタニズム・理性のエスカレーターを取り上げています。早い話が、政府が誕生し暴力を独占すること、商業が栄え略奪ではなく商売によるプラスサムゲームのほうが利益が高いと考えられるようになったこと、暴力的な男性ではなく平穏でリスクを回避しようとする女性の権利が向上し政治に口を出せるようになったこと、印刷技術の発展と教育レベルの向上により人々が他者の視点に立つ共感性を涵養できたこと、知性の適用範囲が広がり暴力を解決すべき問題だと捉えられるようになったことが全ての理由なのです。
 このような見方は、日本国内に限ってもほかの研究が支持しているものです。『戦前の少年犯罪』が著名ですが日本においても昔へさかのぼればさかのぼるほど犯罪は苛烈で頻度も高いものでした。統計的には『現代日本の少年非行―その発生態様と関連要因に関する実証的研究』が現代において少年犯罪の増加など起きていないことを示しています。刑罰においても日本はいまだ死刑を維持する数少ない国の一つですが、江戸時代にはもっと残虐な刑罰が大量にあったことを考えればこれでもかなり進歩していると考えるべきでしょう。また戦前は多種多様なテロリズムが発生しそのたびに日本の政治はぐらついてきました。一方現代はオウム真理教によるサリン事件や相模原の事件などがありましたが、裏を返せばその程度ともいうことができます。

 テーブルマナーと暴力
 面白いことに、暴力の減少過程は当時のテーブルマナーの教本に反映されていると著者はいいます。実際、著者が引用しているマナーの記述を読むと、テーブルクロスでナイフを拭くなとかそもそもスプーンを使えとか三歳児の子供に向かって注意するような内容を著名な哲学者が大真面目に書いているのです。
 このようなマナーは、人の生理的な衛生感・嫌悪感と暴力性が分かちがたく結びついていることを示唆します。実際に心理学的な研究でも清潔な人より汚い人に対して人は冷酷に振舞うことが示唆されていますし、逆に手を洗っただけで罪悪感が軽くなるという研究もあるくらいです。中世のフランスが象徴的ですが、昔は今に比べれば衛生状況は最悪と言ってもいいくらいで、貴族ですらハイヒールはドレスの裾が地面に落ちた排泄物で汚れないようにするためにできたという逸話が出来上がるくらいなので社会の最下層にいる人々の衛生状態はお察しです。そのような生理的嫌悪が暴力的な対応を加速させたことは想像に難くありません。
 近代になりマナーが発展するにつれて、食卓には鞘から抜かなくてもよいナイフが登場しました(それまでは各々が帯刀していた短剣を使っていたらしいです。そりゃ刃傷沙汰も増えるわけです)。次第にナイフに対する暴力への嫌悪感から先が丸くなっていき、魚用のものは必要以上に切れないように切れ味をわざと悪くするといった工夫がなされるようになってきました。

 暴力が増えるプロセス:文明化の逆行
 本書で著者が指摘しているように、暴力の減少は常に一方通行だったわけではありません。60年代には欧米諸国で一旦暴力の増加傾向がみられることになります。ちなみにいま日本で一番暴力的だなんだと言われている団塊の世代は47年から49年生まれで、彼らがちょうどティーンエイジャーになるのが60年代なので傾向としては一致するかもしれません。
 著者はこの理由を脱文明化のプロセスで説明しています。文明化がいったん落ち着いた間欠にラジオが普及するようになり、彼らを指す呼び名も相まって世代としての団結力が高まり「世代そのものが別の国家」のようになりました。また政治腐敗が取り沙汰された時でもあり、権力や上流階級への不満といったものが爆発したためにそれに対する抵抗運動・カウンターカルチャーが盛んとなります。政治への批判だけならまだしも、カウンターカルチャーは際限なく広がり既存のもの全てへの反発の様相を呈していきます。この反抗のための反抗ともいえる状態が脱文明化を生み出し、暴力が一時的に増加したのではないかと著者は考察しています。
 なおこのような流れは日本にもあり、学生運動が盛んだった安保闘争はまさに1960年の出来事なのです。
 その後この世代の暴力への対応として学校での教育や取り締まりが厳しくなり、子供たちは再び文明化のプロセスに取り込まれていきます。その辺のプロセスも管理教育が強まった日本と共通するかもしれません。

 そのほかにも、アメリカ南部やイスラムにおいて暴力減少のトレンドに置いてきぼりを食らっているような現状に対する考察などがあります。個人的には統計を示せば十分だったような気もするのですが、具体的なエピソードがあるほうがやはりわかりやすいですし、それを示さないと統計を十分に読んでもらえないだろうという著者の懸念もわかるところです。

 スティーブン・ピンカー (2015). 暴力の人類史 上 青土社

【書評】アホでマヌケなアメリカ白人

 久々の書評、どころか久々の記事ですね。最近忙しい。
 本書はあの有名な映画監督マイケル・ムーアの著作です。彼の作品は『ボウリング・フォー・コロンバン』を見たことがありますが、ユニークにアメリカ社会の問題点を突く良作でした。
 で、本書はブッシュが大統領となった後に出版されたもので、基本的にブッシュ政権とそれを作り上げた白人たちへの恨み節で構成されています。
 じゃあなんでここの書評で?と思うかもしれませんが、それは本書にアメリカ政府やアメリカ国民の犯罪感に関してなかなか興味深いエピソードがいくつか載っていたからです。

 マッチと飛行機
 911以降、飛行機へ持ち込める手荷物が厳しく制限されるようになったことは周知の事実でしょう。その禁止品のリストには編み物用のかぎ針やコルク抜きも含まれています。へーテロリストって決行時刻まで編み物で時間をつぶすんですね。案外牧歌的だ。
 しかしムーアは、空港で乗客の幾人かが手荷物検査用のトレーへ紙マッチやオイルライターを入れ、ゲートの向こうでまた受け取るという光景を目にします。かぎ針がだめでライターはいいの?と思ったムーアはその理由を自分のイベントに参加していた客から知ることになるのです。
 その理由というのは、なんとなく想像がつくようにタバコ業界からの圧力でした。FAAが当初作成したリストにはちゃんとマッチの類が含まれていたのですが、飛行機から降りてすぐにタバコを吸いたい客に配慮した結果リストから外されることになったのでした。
 しかしかぎ針やコルク抜きとは異なり、マッチは実際にテロ未遂で利用された道具でした。自分の靴の中へ仕込んだプラスチック爆弾へ火をつけようとして手間取り警察に捕まった男がいたのです。ですが当然、その事件の後もマッチは持ち込みできる状態が続きました。

 ウサギを殴り殺し、黒人を撃ち殺す
 ムーアの名声を一気に高めた作品といえば『ロジャー&ミー』です。これはGM工場の大量解雇を題材にした作品だそうですが、この中にはあるシーンがあります。
 それは黒人の少女が肉として売るためにウサギを殴り殺すシーンです。このシーンは残酷だという反応をけっこう受けるようで、このシーンのために映画はR指定をされました。また学校の教材として映画を見せた教師の中にはこのシーンをわざわざカットしたという人もいるようなのです。
 しかしムーアによればそのシーンの2分後には、警官がおもちゃの銃を持った黒人の子供を射殺するシーンが入っているのです。もうお分かりのように、このシーンが残酷だという批判をされたことは一度もないようです。少なくとも本書を出版するまでは。
 ムーアはこの現象を、皆が黒人が殺されることに慣れてしまっているせいだと指摘しています。黒人は恐ろしく凶悪な犯罪を犯すものだとも思われています。しかし実際には、ビルへ爆弾を仕掛けたのも学校へ銃を抱えていったのもみな白人でした。だから彼はこう言います。アメリカの未来のために白人を殺せ!
 まあムーアも白人なので、主張が通れば彼も殺されてしまうのですが。その辺は彼もわかっているようですけど。

 マイケル・ムーア (2002). アホでマヌケなアメリカ白人 柏書房

ごみ箱なんてなくたってテロが起きるときには起こるから

 これらの話です。

 ごみ箱撤去=テロ対策は本当か?
 ごみ箱はテロ対策のために設置できないという主張が典型的になされていますが、これはそもそも疑わしい論理です。
 というのも、現在のテロのトレンドは車による暴走という極めて手軽な手段を用いることだからです。ごみ箱に爆弾を投げ込むにはまず爆弾を作成し、隠し持っていく必要がある一方、暴走はアクセルさえ踏めればいいわけですからこちらのほうが主流になるのは当然でしょう。ごみ箱爆弾の場合犯人が見つからないという懸念もあるでしょうが、監視カメラの設置が進むご時世に実際にそうなったら警察の無能を嘆くべきです。
 どうしてもテロが怖いなら駅にあるごみ箱のようにスケルトンにすれば済む話で、ごみ箱を設置しない理由にはなりません。
 ではどうしてごみ箱が一向に設置されないのかというと、おそらくコストの面とトラブル時の責任問題を回避するためでしょう。ごみ箱の運用にもお金がかかりますから、もっともらしい理由をつけて撤去しようとするインセンティブが役人にはあります。また日本社会は1つ問題があるとそのシステムの今までの利益を無視してリスクばかりに注目する癖があるので、一度撤去したものを設置したために何か問題が起きれば理不尽に責任が追及されることは目に見えています。

 ごみの持ち帰りと自己責任
 Twitterでこんなことを言いましたが、「ゴミくらい持って帰れ」という言説は小泉政権以降急速に日本を支配した「自己責任論」と親和性が高いとも思います。
 そもそも行政とは市民のニーズに答え街の運営を行う機関であり、ごみをキレイにしてほしいというニーズはまさに行政が対応すべき事案であるはずです。しかしこのようなニーズは口に出された瞬間、役所が突っぱねるよりも先に「自分でどうにかしろ」という「模範的市民」が口をはさんできます。
 このような「模範的市民」は多くの場合役所と関係がなく、ゆえにニーズが役所に殺到したところで損をする立場にはありません。どころか、このようなニーズが充足される場合その変化に便乗して得をする可能性すらあるのです。しかしなぜか彼らは、遠回しに自分の首も絞めかねない規範をぶち上げるのです。
 このような姿勢はほかの問題でも見られます。たいていの人は金持ちになる確率よりも貧乏になる確率のほうが圧倒的に高いのに累進課税を否定し生活保護を削れと叫ぶような、あるいは若者が自分の生活が苦しくなっているはず(これは『「従属変数」の定義をしないと議論にならないという話 安倍政権の経済政策の失敗を例に』で論じたように、賃金の減少が確固たる証拠になっています)なのにそうしている張本人であるはずの自民党を支持してしまうような現状があるのです。
 元来政府とは市民の生活を手助けするはずの組織のはずですが、昨今ではその手助けを求めるとかえって周囲から叩かれるという現状です。その原因はいろいろあるのでしょうけど、大きな要因の1つはその風潮を政府が促進したか、蔓延しているのを見て見ぬふりをしているのかはともかくセーフティーネットを形作る政府の仕事を放棄したことにあります。
 そのような姿勢が、ある種「ハロウィンの渋谷にごみ箱を設置しない」という対応に現れるのではないでしょうか。

九段新報プレゼンツ #総選挙に役立つ本

 衆議院総選挙が告示されたので、今回は特別編。来る総選挙に向けて役に立つ本をピックアップしていきます。ただし犯罪学ブログという立場上、そっち方面へ分野が偏ることになりますのでそこはあしからず。
 また取り上げた本の中には、今すぐ候補者選びに役立つというものは少ないかもしれません。しかし短期的に役立つ知識ばかりが知識ではなく、貯め込んでおき忘れたころに火を噴くようなものもまた知識です。そのような長期的な観点からも、書籍を選んでいきます。
 なおリンクは本ブログの書評記事に通じています。また取り上げるものはすべて私が読んだことのあるものに限ります。

 安倍政権が何に立脚しているか
 中村一成(2014). ルポ京都朝鮮学校襲撃事件 <ヘイトクライム>に抗して 岩波書店
 高 史明(2015). レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット 勁草書房
 まず挙げるのはレイシズム、とりわけ排外主義にかかわるものを取り上げた2冊です。
 いうまでもなく、安倍政権の根幹にある要素の1つが排外主義です。『差別主義者は無限の証明を要求する』でも取り上げましたが、朝鮮学校に対する補助金排除の政策が代表的です。まぁこれは自民党だけの問題ではないのですが、終戦後から長年政権を担当してきた自民党に最も大きな責任があることは間違いありません。
 そして長期政権がそのような姿勢をとるということは、それを支持する人々の思想を反映しているためであろうと考えられます。そのような排外主義の行き着く先、不寛容と差別を放置する社会が表出するほんの一部が表れているのがこの2冊です。
 気鋭の社会心理学者である高氏による著作は、インターネットとヘイトスピーチという密接にかかわる二者の分析へ先鞭をつけるものです。ネット上での選挙運動も盛んになった今だからこそ目を通すべき一冊でしょう。
 中村氏による著作は岩波ブックレットであり、手に取りやすく読みやすくなっています。在特会による朝鮮学校襲撃事件は、野蛮な側面のヘイトクライムが日本においてピークだった頃に発生した事件でした。カウンターが盛んになった現在ではこのように露骨な事件もなりを潜めつつありますが、一方で政権に就く権力者による丁寧な側面のヘイトスピーチはかえって目立つようになりました。麻生による「武装難民銃殺」が最たる例でしょう。排外主義の行き着く先を、気分が悪くなるほど精巧なタッチで描いています。
 なおヘイトスピーチに関しては以下の2冊も読みやすく参考になります。
 師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店
 安田浩一 (2012). ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて 講談社

 角田由紀子 (2013). 性と法律――変わったこと、変えたいこと 岩波書店
 牧野雅子 (2013). 刑事司法とジェンダー インパクト出版会
 安倍政権がもう1つ立脚するのは女性蔑視的な視点です。まぁこれだって自民党の責任だけじゃないんですけど(以下略)。これは非嫡出子に対する差別的な制度を裁判所に是正するように判決された際の反応であるとか、夫婦別姓制度に対する態度から推し測れるものです。また自民党の今回の公認候補の男女比率からもわかります。
 さて、そこで取り上げるのはとりわけ性犯罪を規制する法律について考察された角田氏の著作です。先ごろ改正された強姦罪が実は性的自由を保護法益とせずに、夫の妻に対する貞操権を保護していたのではないかという主張には説得力があります。
 制度上の性差別もさることながら、排外主義の項でも指摘したように意識の上での差別もその放置は社会に重大な問題を表出させます。その1つを取り上げたのが牧野氏による著作です。これは知人の逮捕を契機として、警察が容疑者と「協働」し「性欲が抑えられなかった故の性犯罪」というレイプ神話を再生産していく過程が描かれています。むろんそれは神話であって事実とは異なるのですが、性差別を是とする警察組織の中ではそれが事実とされてしまい、それが桶川ストーカー事件にみられるような様々な齟齬を生み出す一因となっているのです。
 ジェンダーに関して全く前知識がないという場合には、以下の著作が非常に役に立ちます。
 加藤秀一 (2017). はじめてのジェンダー論 有斐閣
 また社会的な性差別の別の側面を把握するためには以下の著作をお勧めします。
 仁藤夢乃(2014).女子高生の裏社会  「関係性の貧困」に生きる少女たち 光文社

 芹沢一也(2006). ホラーハウス社会 法を犯した「少年」と「異常者」たち 講談社
 芹沢一也(2005). 狂気と犯罪 なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか 講談社
 もう1つ、精神障害者に対する姿勢も取り上げておきましょう。なぜなら、理由はよくわかりませんが安倍首相と日本精神科病院協会が非常に懇意で、晋精会なんて講演会もあるくらいです。マジで理由はよくわかりませんが、日本精神科病院協会は世界の潮流に反し長期入院を推し進めるような方針をとり、悪名高き神喪失者等医療観察法を支持する組織です。故に、日本における精神障害者に対する政策の問題は自民党というよりも安倍首相にダイレクトに帰属される面があります。
 上掲2冊はこのような方針、政策の問題点を平易に理解することのできるものです。

 疑いの力を味方につける
 浜井浩一・芹沢一也. (2006) 犯罪不安社会 誰もが「不審者」? 光文社
 荻上チキ・浜井浩一 (2016).  新・犯罪論 「犯罪減少社会」でこれからすべきこと 現代人文社
 森達也(2015). 「テロに屈するな!」に屈するな 岩波書店
 民主主義国家において権力の監視は主権者たる国民へ課せられた義務であり、その行使は健全な政治を推し進める原動力でもあります。そのためには、政府や権力の一挙手一投足を批判的かつ懐疑的に見つめる必要があります。
 権力が民衆を騙そうとするとき、まず行うのは虚偽の流布による恐慌の誘発でしょうか。とりわけ犯罪という要素はこの目論見に都合よくつかわれる場合の多いものです。しかし浜井氏による2冊は犯罪がもはや民衆にとって脅威とは考えにくいことを端的に示しています。同時に、政府の行う政策がいかに根拠に基づかないか、そしてどのようにエビデンスベースの政策論議を進めていくべきかを考えるうえでも役に立ちます。
 政府が恐怖を煽ろうとするとき、かつての石原慎太郎の「三国人発言」のように犯罪を利用することもありますが、実際にはテロというより限定されたキーワードを利用する場合が多くあります。そのような欺瞞に対抗するヒントを森氏の著作は与えてくれるでしょう。実際に日本では、余計なことさえしなければテロの脅威はさほどでもないのですが、それでも緊急事態条項や強力な防護策が求められる現状もあります。それが本当に役に立つのかという視点も必要ですが、そもそも必要なのかという疑いにも立脚することを忘れるべきではありません。

 浅野健一 (2004). 新版犯罪報道の犯罪 新風舎
 ネットの一部の層では、マスコミが政府を嫌い偏向報道をしているということが「定説」と化していますが、実際には真逆の様相です。いまやマスコミの幹部が首相と会食し、政府の主張を批判抜きで垂れ流す状態です。というか、幹部と会食しておきながらばかすかバッシングされているのだとしたらどんだけ首相根回し下手なんだよという話になりますが。
 浅野氏の著作は、直接的ではないもののこうしたマスメディアが権力とねんごろになった結果の弊害を存分に描き出しています。警察権力と密接に結びつくことでスクープを得ようとする刑事記者の姿は、国会に張り付き議員のご機嫌を取って独自の情報を得ようとする政治部の記者に重なることでしょう。

 荻上チキ (2011). 検証 東日本大震災の流言・デマ 光文社
 ネットのデマという分野では、この一冊がダイレクトに響くでしょう。疑う力といっても、それが明後日の方向へ向かっては意味がありません。本書は東日本大震災に関するものですが荻上氏が指摘するようにデマはパターンを繰り返します。ゆえに事例が異なるデマでもその情報を理解することはデマへ対抗するワクチンとなるのです。

 坂井豊貴 (2013). 社会的選択理論への招待 : 投票と多数決の科学 日本評論社
 最後は、選挙の構造自体を疑おうというものです。小選挙区制が与党有利に働いているのではないかという指摘もありますが、ここではより大枠の仕組みへ疑問を投げかける一冊を提示します。
 一番だけへ票を投じるのではなく、順位を投じることでより細やかな民意を反映しようとするボルダルールを本書では提唱しています。詳しくは『多数決は意思決定手法の欠陥製品であるという話』で取り上げましたが、重要なのは選挙のルールの根幹すら疑うという徹底した懐疑主義的な姿勢です。口を開けて権力の言いなりになるのは簡単ですが、民主主義国家に生きる主権者であれば常に権力は批判的に見つめるものなのです。
 なお同内容の書籍(といってもこればかりは私も読んでいないのですが)に、以下のものがあります。こちらは新書なので入手も容易で読みやすいでしょう。
 坂井豊貴 (2013). 多数決を疑う――社会的選択理論とは何か 岩波書店

 というわけでざっと紹介しました。これらの本を読んでもすぐに選挙に役立つというわけでもありませんが、ここにある知見を下地とすることは必ず政治を論じるうえで役に立つはずです。

シーシェパードの活動停止はテロ等準備罪に関係あるか?

 捕鯨に反対するシーシェパードは8月28日、公式HPにて日本での妨害活動を停止すると発表した。決め手になったのはテロ等準備罪が成立したことだった。
 創始者のポール・ワトソンが撤退を発表。
 シーシェパードが公式HPに掲載したお知らせ「The Whale Wars Continue」ではこれまでの活動を自賛しつつも、日本政府に対抗できなくなったと事情を説明している。正義のために戦い続ける意思はあるが有効な方法が見つからないのだという。
 以下、ポール・ワトソンが記した文章の簡単なまとめ。
・シーシェパードはこれまで12年間、捕鯨の抗議活動で目覚ましい成果をあげてきた
・だが最近の日本は衛星で我々の船をリアルタイムで監視し、技術面で勝てなくなってきた
・追いかけても逃げられるだけだし、徹底して避けられている
・さらに今年、テロ等準備罪が成立させられ我々は攻撃する立場から攻撃される立場になってしまった
・資源が限られているシーシェパードとしてはもう今年は日本に対して抗議活動をしない
・何かいいアイデアがあればいいのだが…
 テロ等準備罪でしょっぴかれるのを恐れて撤退するとは、まさにテロリストだったということか。
 シーシェパードが撤退を発表「テロ等準備罪のせいで日本で活動できなくなりました」-netgeek
 これのことです。しかしリンク先にあるシーシェパードのHPを読む限りでは、シーシェパードの活動に大きな影響を与えたのは日本の防衛システムの高度化であり、テロ等準備罪に関しては一言触れられているだけなので具体的にどのような影響があったのかは不明です。
 テロ等準備罪に賛同していた皆さんはこの記事を契機に「反対派ざまぁプギャー」的な盛り上がりを見せていますが、テロ等準備罪の内容を鑑みるにこの法律が本当にシーシェパード対策に役立ったかはいささか怪しいものがあります。

 公海上の犯罪をどう計画段階で取り締まるのか
 シーシェパードの活動の中心は、捕鯨の妨害です。その活動の大半は、クジラを獲ることのできる公海上で行われます。
 さて、シーシェパードは周知のとおりオーストラリアや欧米との関係の深い団体であり、活動拠点もそこにあります。少なくとも日本を根拠地としては活動していません。つまり彼らが捕鯨妨害を行う場合、基本的には日本国外にある拠点で計画し公海へ出て実行という形になると思われます。この流れで分かる通り、普通に考えればシーシェパードの活動に対してテロ等準備罪は本来出る幕がありません。テロ等準備罪は日本国内でのみ有効な法律であり、公海上の犯罪は基本的にはその船が所属する国の法律に基づきますが、シーシェパードが日本の船に接触するということはつまり犯罪行為が「実行」されているということであり、計画段階で取り締まる法律は役立たずです。
 つまりシーシェパードの活動の大半に関してはテロ等準備罪は無力なのです。
 唯一例外があるとすれば、『ザ・コーヴ』で話題になったように日本の漁村で行われているイルカ漁への妨害ですが、それはシーシェパードの活動としてはごく狭い範囲のものなので、日本に対する妨害行為停止の大きな要因とはなりえないでしょう。
 また大穴として、テロ等準備罪成立の口実とされていた国連越境組織犯罪防止条約が関係しているという説もありますが私は国際法は専門ではないのでよくわかりません。もっとも、かねてよりテロ等準備罪が条約締結に不要であるというのが法学者の主流意見であったので、パレルモ条約が関係していたとしてもテロ等準備罪を擁護する理由にはなりえませんが。

 シーシェパードは日本を愛する普通の日本人の皆さんにはとても評判の悪い組織でしたが、自分の擁護したい法律の補強材料になるとみるやHPにちらっと書かれている一言を針小棒大に解釈してころっと信じてしまうというのは、シーシェパードもなかなか皮肉の効いた撤退をするものだなと感心しています。向こうは絶対にそんなつもりはないでしょうけど。
 私は十中八九、テロ等準備罪への言及はシーシェパードが日本の法律をよく知らなかったか、支持者向けの言い訳の1つとしてとりあえず書いといたかのどちらかではないかと思っています。

白人の犯罪は「テロ」と呼ばないけど、モロッコ人の犯罪はテロというのな

 今月19日、アメリカで白人至上主義を掲げるデモ隊とそのカウンターが衝突する事件がありました。
 アメリカ・バージニア州で、白人至上主義者が行うデモと、それに抗議する人々との衝突が起きた。群衆に車が突っ込むなど、これまでに1人が死亡、35人がケガをしている。
 NBCテレビなどによると、11日夜からバージニア州シャーロッツビルで、白人至上主義を訴える人々のデモと、デモに抗議する人々が衝突した。
 12日午後には抗議する人々に車が突っ込んで32歳の女性が死亡するなど、一連の衝突で1人が死亡、35人がケガをしている。警察は、車を運転していた20歳の男を殺人などの容疑で逮捕した。
 白人至上主義者のデモで衝突36人死傷 米-日テレNEWS24
 一方、21日にはスペインで自動車の暴走により多数の死傷者が出る事件が起こりました。
 スペイン北東部バルセロナなどで起きた連続テロ事件で地元警察は21日、バンを暴走させて13人の犠牲者を出して逃走していた容疑者を射殺し、犯行グループ12人の摘発を終えたと宣言した。容疑者らは、より大きなテロを計画していたといい、過激派組織「イスラム国」(IS)とのつながりをはじめ、背景や動機の解明はこれからだ。
 射殺されたのは、モロッコ人のユネス・アブーヤアクーブ容疑者(22)。バルセロナから逃走する際、盗難車で警察の検問を突破。その車の持ち主を殺害したうえ、4日間にわたって逃亡を続けてきたとされる。
 スペインテロ、全容疑者を摘発 逃走の22歳は射殺-朝日新聞
 行為はほぼ一緒なのに
 期せずして、双方の事件は両方とも自動車の暴走という手口によってなされていました。ここで気になるのは、それぞれの事件の報じられ方です。
 海外の報道を詳らかにしていないのでそこはわかりませんが、国内の報道に限れば前者を「デモ隊の衝突」と評し、後者を「テロ」と評する報道が大半でした。
 しかし報道にあるように、手口に差異はありません。また前者は白人至上主義という思想が絡み、後者はイスラム過激派や増大する旅行客への反感といった思想が絡んでいました。つまり特定の思想を背景にした犯罪であるという点も共通しています。
 にもかかわらず、報道における表現がここまで異なるのはどうしてでしょうか。テロの定義自体は多岐にわたり、報道においてそのような定義がいちいち顧みられてはいないでしょうが、それにしても本質的には同様の事件に対する報道のスタンスがあまりにも違いすぎではないでしょうか。

 「テロ」は犯罪者へのスティグマである
 私見では、おそらく「テロ」という表現がその犯罪や犯罪者へのスティグマとして機能しているせいではないかと思っています。もともとネガティブな表現である犯罪にさらにスティグマを貼るというのも妙な話ですが、要するに特定の犯罪を「テロ」と表現することで特定の評価を断定的に与える行いが報道においてなされているのではないかと思います。
 テロという表現が犯罪に与える評価は、主に「背景にある思想が報道を受容する人々の大多数に受け入れられないこと」と「犯人と属性を共有する人々を危険視すること」ではないかと思います。少なくとも日本においてはイスラム過激派の思想は到底受け入れられるものではありません。またテロ報道に通底しているのは、「得体のしれない外国人に警戒しろ」というメッセージです。海外では思想に影響を受けた本国人によるテロも起こっているにもかかわらず、圧倒的多数の日本人よりも先にごく少数しかいない外国人へ警戒の目を向けるような報道がまかり通っています。
 翻って、日本においてもテロと表現すべきところを一切そう表現しなかった事件があります。昨年7月に発生した相模原の障碍者施設での大量殺人です(『相模原の大量殺人について』参照)。この犯人は「障碍者は社会に不要」という信念を背景に犯行に及んでおり、テロと表現するのが適当でしたが報道では全くと言っていいほどそう表現されませんでした。これは、日本人による犯行を「テロ」と表現してしまうと「テロは外国人が起こす、外国人に気をつけろ」という今まで自分たちが信じ込んできていたメッセージと相反するからではないでしょうか。また彼の思想に少なくない人が共感していたという背景も無関係ではないでしょう。

 もっとも、マスコミはテロかどうか明らかでない段階からテロという言葉を使用している節もあり、単に言葉の選び方がいい加減という可能性もあります。ボストンの事件での報じ方を見る限り、爆発すればテロだと思っている人も多そうなので、いずれ不発弾が爆発してもテロと言い出しかねません。
 しかしそのいい加減な言葉選びこそが、人々の思考を規定する要因ともなります。不特定多数に言葉を届ける役割の重大さを再考してほしいですし、我々も報道から受ける影響に無自覚でいることはできません。

ブルキニ禁止はISの思うつぼ

 少し前になるのですが、フランスでブルキニという、女性のイスラム教徒の着る水着が着用禁止になったというニュースがありました。
 フランスの2つのリゾート地で、身体をまるごと覆い隠すタイプの水着「ブルキニ」を公共のビーチで着用することが禁止された。
 ブルキニは、ビーチで肌を人目にさらしたくないイスラム教徒の女性向けに売り出されている水着だ。フランス南部カンヌのダヴィッド・リスナール市長は7月28日〜8月31日にかけて、ブルキニの着用禁止を宣言した。しかし、この水着はウェットスーツと見た目が変わらない。
 そして南仏のヴィルヌーヴ=ルべやコルシカ島のシスコでも同様の禁止令が出された。
 カンヌの公共のビーチでブルキニを着る女性は、今後は別の水着に着替えるか退場を迫られる。NPRによると、違反すれば38ユーロ (約4300円) の罰金となる。禁止令はこの8月末まで適用されるが、その後延長されるかどうかは未定だ。
(中略)
 カンヌのリスナール市長は、「この規則は女性に恩恵をもたらすように定められた」と述べた。
 ニューヨーク・タイムズによると、リスナール市長は「ブルキニを着て泳ぐ女性は、人々の注目を集めて公共の秩序を乱す」と語った。「こうした女性を注目を集めないように保護する対応をとるために、私は決めたのです」
 この言い分では、リスナール市長はまるで女性差別主義者の考え方を認めたも同然だ。なぜなら、この考え方に従えば、女性を「保護する」最善の方法は、女性に嫌がらせし傷つけるのを防ぐ方策を立てることではなく、女性がしていいこととしてはならないことを法律で縛ることだからだ。
 そして、もしリスナール市長が本当に「人目を惹き、公共の秩序を乱すこと」を心配しているのであれば、カンヌでセレブたちが人前に現われるのも禁止すべきではないだろうか。
 フランス南部でイスラム教徒用の水着「ブルキニ」禁止、これって性差別じゃないの?-ハフィントンポスト
 禁止の口実はテロ対策ですが、いろいろとおかしなところがあります。

 なぜ着用禁止なのか
 市長の言うように、仮にブルキニを着用することが人々の注目を集め秩序を乱すのであれば、それは誰が悪いのでしょうか。ブルキニを着用した女性ではなく、彼女たちに注目し反応する周囲の人物であることは言うまでもありません。もしトラブルを避けたいのであれば、取り締まるべきはブルキニではなくそのような人物であることは明白です。
 このようにトラブルの原因ではなく、目立ってかつ要請にしやすい対象に行動の自粛を促すことによって回避を試みる事例は珍しくありません。「女性の夜の一人歩きはやめましょう」というのもそのような例です。確かに女性の一人歩きは犯罪被害のリスクを上昇させるかもしれませんが、それはそもそも女性を襲う犯罪者が存在するのが原因であり、社会の役目はこのような犯罪者に対処することです。女性に一人歩きを自粛することは、短期的な処置としてはあり得るかもしれませんが、根本的な問題解決にはなりませんし、そのような対策で満足して原因を取り除かない姿勢にも問題があります。
 まさに記事が指摘するように『女性を「保護する」最善の方法は、女性に嫌がらせし傷つけるのを防ぐ方策を立てることではなく、女性がしていいこととしてはならないことを法律で縛ることだから』という女性差別主義の考えを体現したものと言えるでしょう。
 なお、これはあくまで公共の場で宗教的なシンボルを身に着けるべきではないという政策の背景にある「ライシテ」の延長であり、女性差別やイスラム差別とは無関係であるという主張もあるようですが、そもそもライシテが現在ではイスラム教徒を差別する体のいい道具になっていることから目を背けることはできないでしょう。確かに「公共の場で宗教的なシンボルを身に着けるべきではない」というのは、文言だけ見ると宗教による区別のない規定ですが、そもそもパッと見でわかりやすいシンボルを身に着ける必要があるのがイスラム教徒のような一部の宗教の教徒に限られており、彼らにだけ特異的な不利益が降りかかることが明白です。

 ISの思うつぼ
 市長は、イスラム教徒とイスラモフォビアの衝突、ひいてはISによるテロなどを警戒してこのような法律を作ったのかもしれませんが、このような規定はむしろISの思うつぼと言えるでしょう。
 この規定は、イスラム教徒を海水浴場から排除する方向に働きます。そのような法律があるということ自体、ISにとっては実に都合のいいテロの口実です。
 また、このような種々の規定によってイスラム教徒が社会から疎外されれば、イスラム教徒の中の欧米諸国に対する不満は高まり、ISに合流しようとする者が増加する可能性があることは想像に難くありません。本来であれば、社会との繋がりをつくりこのような組織にからめとられる可能性を減らすべきところを、全く逆の政策を行ってしまっています。

 最後に、この件に対するカナダのドルトー首相の反応を引用します。
 【オタワAFP=時事】フランスの一部自治体が、肌の露出を抑えたイスラム教徒女性向け水着「ブルキニ」の着用を禁止した問題で、カナダのトルドー首相は22日、同国では禁止しない方針を示し、「個人の権利と選択の尊重」を呼び掛けた。閣議後、記者団に語った。
 トルドー氏は対話の重要性を強調。「受容、寛容さ、友好、理解がわれわれの目指すものだ」と述べた。
 フランスでは、86人が死亡した7月14日の南部ニースのトラック突入テロを受け、公共の秩序を乱すとして、同市を含め15自治体がブルキニの着用を禁止。カナダ東部のフランス語圏ケベック州選出の国会議員らも着用禁止を求めていた。
 ブルキニ、カナダは禁止せず=首相「個人の権利尊重」呼び掛け-時事ドットコムニュース
 流石カナダとしか言いようがありません。しかし、こんな単純なことにたどり着くのが非常に大変なのですが。

テロリズムが(少なくとも日本では)怖くないわけ

 選挙のおかげですっかり忘却の彼方かもしれませんが、バングラでのテロからしばしの時間が経ちました。
 幸いにも(?)、今回のテロをきっかけにして日本でも対策をどうこうという声はあまり聞こえませんが、東京オリンピックを一応控えているわけで、今後どのような主張が飛び出すかはわかりません。

 ローンウルフが怖くない訳
 バングラテロの数日前に発売されたニューズウィーク日本版には、見出しにあるようなタイトルの記事が掲載されました。これは、アメリカでの銃乱射事件を受けた記事でしたが、内容は多くのローンウルフ型のテロリズムに共通するものになっています。
 記事の内容を簡単に要約すると、
 ・ローンウルフたちを過激派は統制しきれているわけではない。
 ・彼らのテロは短期的には注目を集められるが、無関係な市民をも巻き込み闘争の正当性を毀損するので長期的にはマイナスである。 
 ・このようなテロは、組織が衰退している時に起こりやすい。
 ・犠牲になる人数はたかが知れている。
 というものです。
 このような見方に、日本における状況を加えれば、日本におけるローンウルフ型のテロは恐れるに足らないと結論できるでしょう。

 防げないが……
 確かに、ソフトターゲットに対するテロを防ぐことは困難です。また、事前にテロリストを発見することも困難です。FBIにもできないことが日本の警察にできるとは到底思えません。
 しかしこのようなテロは、上述のように被害や影響力もまた限定的です。特に日本では、アメリカや中東とは違い重火器が厳しく規制され、入手も困難です。このような状況では、一度に多くの人に損害を与えることもまた難しくなります。
 唯一考えられる手段は、爆発物を作成することですが、これもさほど成功率が高いとはいえません。地下鉄サリン事件ですら、サリンの入った袋を破りそこなった事例はいくつかありますから、肝心のところで爆弾も不発という事態に陥る可能性は低くないでしょう。

 対策は日常を堅持すること
 このようなテロは、防ぐことに躍起になっても意味がありません。むしろ、防ごうとして自由を売り払うことの方が、社会にとっては損失です。
 例えば、新幹線はテロのターゲットとして最適なインフラですが、だからといって乗客に荷物検査を義務付けることはその人数からいって不可能ですし、何かのきっかけで検査を課せば、そのきっかけが人々の中に必ず印象となって残るでしょう。それこそが、テロリストの一番の狙いなのです。
 また、多くの権力者は、脅威を煽ることで市民の自由を奪い、テロリストである可能性のある者とそうではない者を恣意的に切り分け、社会を分断します。そのような分断は、むしろ地元で育つようなホームグロウンテロリストを生み出す土壌になり得ます。
 しいて何らかの対策を打ち出すとすれば、私はこのブログで再三言っていることですが、被害者への補償を手厚くすることです。効果のなさそうな対策に金を出すよりは、そちらの方が費用対効果は大きいでしょう。

 付記:事実の共有に名前が必要?
 バングラデシュのテロで、政府は犠牲者の氏名や年齢といった重要な「事実」を国民に公表していない。報じられているのは、全て報道機関の独自取材によるものだ。
 非道なテロで命を奪われたわれわれの同胞は、発表された「男性5人、女性2人」という数字だけの存在ではない。身元が伏せられたままでは、誰がなぜ惨劇の犠牲になったのかという経緯はおろか、本当に日本人が殺されたのかということさえ検証できない。国民全体が危機感を共有すべき事態に、全てを政府に任せろということだろうか。
 被害者名非公表 国民が危機感を共有すべき事態に全てを政府に任せろというのか? 社会部長・三笠博志-産経新聞
 また産経新聞ですが、ある意味ではこの新聞や多くのマスコミがどのような態度で実名報道をしているかを示す貴重な記事とも言えます。
 果たして身元の情報が、どれだけテロの犠牲になって理由の解明に必要なのでしょうか。少なくとも今回の事件に関しては、たまたま居合わせたレストランで被害に遭ってしまったという以上の理由は見受けられず、実名はプライバシーを報じる意味が見い出せません。
 仮に、被害者の身元情報やバングラにわたる経緯が必要だったとして、実名まで添えて紙面に記載する理由はやはりありません。 
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』『生徒会の相談役』『車椅子探偵とデスゲームな高校』犯罪学ブログ『九段新報』など。質問はhttps://t.co/jBpEHGhrd9へ
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