九段新報

犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。

ヘイトスピーチ

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【書評】韓国への絶縁状―変見自在セレクション―

 今回取り上げるのはこれです。ツイートにある通り、基本見るところのないくそヘイト本でした。
 ただ興味深いのは、韓国中国への怨嗟が基本となっているのは一山いくらのヘイト本と同様としても、本書はアジア系以外のありとあらゆる民族に対する蔑視も含まれているという点です。「押しつけ憲法」の関係があるためアメリカ人嫌いが表に出ているのはまぁ普通としても、親でも殺されたのかオランダ人まで「オランダ人の祖先が韓国人でも驚かない」みたいなことを言っているのが不思議な感じではあります。
 まぁ、「日本スゴイ!日本以外スゴクナイ!」という態度だと言われればそれまでですが。

 週刊新潮はこんなレベルでも連載持てるんですね。この人の代わりに私に声をかけてくれればいいのに。少なくとも、ヘイトじゃないだけだいぶましなことは保証できます。

 ロス暴動と韓国系アメリカ人
 さて、本書がくそなのは新聞広告からすぐにわかることなのですが、興味を引く記述がありました。それはロス暴動に関する記述です。
 著者によれば、ロス暴動というのはロドニー・キングが警官に殺害された事件がきっかけとなっているけれど、実はもう1つのきっかけがあるそうです。それが通称「ラターシャ・ハーリンズ事件」というものです。

 ラターシャ・ハーリンズ事件の骨子はロドニー・キング事件とよく似ていて、黒人の少女を殺害した犯人が執行猶予付きの判決という不公正な判決を受けたために黒人の間で反発が強まったというものです。ただ違うのは、ロドニー・キング事件の加害者が白人警官であった一方、ラターシャ・ハーリンズ事件の加害者が韓国系の店主だったということです。

 著者は、韓国系の移民が黒人地区で商売をするときに先んじて商売をしていたユダヤ系や日系とは違って黒人を差別していたのだ。それ故に事件が起きて、ロス暴動以降アメリカで暴動が起きると決まって韓国系の商店が襲撃されるのだ。この例から見るように韓国人というのは激しやすく云々と述べます。
 後半部はただの著者の妄想にすぎませんが、ロス暴動を「世界中から疎まれる韓国人」という文脈で記述するのは、極右のウェブサイトなどでも典型的なようです。

 本書のような出鱈目だらけの文章の中で、ロス暴動に関する記述だけが真実であるということはまずないでしょう。そう思って調べてみると、案の定この記述の虚偽性を明らかにするものがいくつか出てきます。

 黒人VS韓国系というほど単純ではない
 今年、LA・コリアタウンはロス暴動20周年を迎える。1992年4月、ロサンゼルスで発生した暴動はコリアタウンにも襲いかかった。破壊される店舗、燃え上がる炎、飛び交う銃弾、泣き叫ぶ女性……
 修羅場と化した街の光景に世界が驚がくした。
 が、私は前述したように、「黒人がコリアタウンを襲撃した」という報道に強い違和感を覚えたため、9月に現地に飛び、暴動の真相が著しく歪曲(わいきょく)されていたことを知ったのだった(詳細は拙著『アメリカ・コリアタウン』参照。現在、電子出版化の準備中)。
 では、ロス暴動とは何だったのか。
 前年の91年3月、黒人青年のロドニー・キング氏が車のスピード違反で捕らわれたとき、4人の白人警官に激しい暴行を加えられた。偶然その模様を撮影したビデオがテレビで放映されるや、黒人の怒りが沸騰したが、辛うじて暴発するには至らなかった。
 しかし翌92年4月29日、陪審員が4人に対し無罪の評決を下したため、黒人の憤怒が爆発した。
 黒人集住地域であるサウスセントラルで暴動が起こると、たちまち全米に波及した。
 そして30日から黒人のコリアタウン襲撃という報道が世界を駆け巡ったのだが、真相とは大差があった。
 まずコリアタウンの位置を見ると、東側のダウンタウン、北側のハリウッド、南側のサウスセントラルに囲まれた中間点に存在する。ロス市警察は暴動発生後、ただちに東、北側の白人地域で防御態勢を固めたが、コリアタウンを放置した。そのため白人地域に行けなくなった黒人の怒りがコリアタウンに向けられてしまったのである。
 次に、「黒人が襲った」という報道にも誇張がある。実は、サウスセントラルには2組のギャング集団があり、彼らがコリアタウンの店舗のドアを破壊した。そこへ街に住むラティーノ(ラテン系民族)たちが入り込み略奪を行った。つまり破壊や放火を行った中心は黒人ギャングであり、また降って湧いたような「特別無料サービスデー」に喜々として商品を持ち去ったのはラティーノたちだったのである。
 当時、店主が銃を撃つシーンが繰り返し放映された。韓国人は主要メディアに「暴動を扇動するような放送はしないでくれ」と抗議したが、無視されてしまった。街を死守する覚悟で銃を手にした青年が証言する。
 「俺たちは相手に当たらないように威嚇しただけだ。もし本気で撃っていたら死体の山ができただろう」
 以上に垣間見たように、元々白人による黒人差別に起因した暴動は、あたかも「韓黒葛藤」に原因があるかのようにすり替えられたのだった。
 暴動が沈静化した5月2日、1人の女性の呼びかけをきっかけに平和集会が開かれた。参集した10万人もの人々は、米国社会や黒人、ラティーノを非難することなく、「我々は隣人と仲良く暮らしたいだけだ」と訴えた。
 街を行進しながら叫んだシュプレヒコールは「ウイ・ウォント・ピース」だった。
 ロス暴動の原因に対する識者の見解はほぼ4点に集約される。(1)持たざる者の貧困(2)作り出された「韓黒葛藤」(3)警察と市政府の怠慢と職務放棄(4)ゆがめられた報道。
 その結果、韓国人社会は甚大な被害を被った。しかしこの事件は在米韓国人のアイデンティティーを見つめ直す重要な転機となった。
 被害者たちを取材した私が最も感動したのは、「黒人を憎む」という人が一人もいないことだった。
 彼らは異口同音に語った。「黒人も白人による差別の犠牲者だ。これまで韓国人は白人側と思い込んでいたが、今後はマイノリティー側に立って手を結ばなければならない」と。
 ロス暴動という苛烈な体験を代償に、在米韓国人はようやく自分たちの在るべき姿を見出したのである。
 自分を見直す転機に ロス暴動、黒人も差別の被害者-毎日新聞
 自分を見直す転機にロス暴動黒人も差別の被害者 毎日新聞 が考えたロス暴動コリアタウン襲撃をご覧ください笑より
 1つは、毎日新聞に掲載されたという記事です。元の記事は削除されてしまっていますが、上掲のサイト(掲示板かな?)に恐らく全文が引用されていたので、こちらでも引用します。このサイトの存在が、ロス暴動を虚偽のストーリーで語るネトウヨの一例になっているのが皮肉ですが。

 長いので記事の要点を、ロス暴動の事実関係に絞ってまとめると、
・「黒人が韓国系商店を襲った」というのは事実ではない。実際に襲撃したのは黒人ギャングとそれに便乗したラテン系。
・「黒人の怒りが韓国系に向かった」のではなく、白人を中心とする警察がコリアンタウンを防衛しなかったため半ば誘導されるかたちとなった。
・「韓国系が銃で黒人を攻撃した」のではなく、威嚇射撃。そのようなイメージは報道によって形作られた。
 ということです。つまりロス暴動における「黒人VS韓国系」という構図は、白人への反感を回避したかった警察などの権力者ないしはマスメディアによる誘導によるものであるということです。そもそもラターシャ・ハーリンズ事件の2週間前にロドニー・キング事件があったわけで、白人が韓国系を「人の盾」に使ったというのが時系列的にも納得のいくところです。

 普段「マスゴミがー」と言い募るネトウヨたちが、ここではマスコミの「偏向報道」にころっと乗っかっているのが実にばからしいといえましょう。

 ラターシャ・ハーリンズ事件は「黒人を差別する韓国系の仕業」なのか
 このような指摘は、毎日新聞の記事だけではありません。『津田塾大学紀要』に掲載された池野みさお氏による『ロサンジェルス暴動とコリア系アメリカ : 人種と文学の視点から』でも、当時の韓国系アメリカ人有識者の記述などをもとにこの事実を裏付けています。以下の引用は、この論文からです。
 さらに、コリア系アメリカ人としての自らの意識の形成に、アフリカ系アメリカ人の公民権運動が関わっていることを主張する一方で、ロス市警や州政府がサウスセントラルで最初の暴動が起きたときの対応に失敗した際、怒りの真の根源を守るためにコリア系アメリカ人が人間の盾にされたのではないかとも述べている。(Newsweek 10)
 サウスセントラルで放火や略奪の被害にあったコリア系アメリカ人が警察や消防に連絡しても、助けは全く来ず、翌日はついにコリアタウンにも被害がおよぶ。しかし、コリアタウンもまた「無防備状態のまま棄ておかれ」たのに対し、ロス市警は「暴動が起きるとすぐに白人地域に対する警戒を強化」し、「ビバリーヒルズを襲撃した 60 余名の暴徒が 5 分後に逮捕されたという報道」もあった。
(中略)
 さきほど引用した『ニューズウィーク』のエッセイで、エレイン・キムは読者にコリア系や他のマイノリティに対する理解を求め、メディアや政府や警察の対応、人種差別的な白人支配階級を厳しく批判しているが、実はこの後、キムは白人読者からさらなる人種差別的なヘイトメールを何百も受け取るようになる(Kim, “Home” 222-23)。(中略)その中には、キムがアメリカ生まれであるにもかかわらず、コリアに送り返されるべき外国人であるかのような書き方をしたものも少なくなかったようだ。また、キムのような移民の子どもが、大学の教授にまでなってアメリカに感謝しないのは恩知らずだと主張する手紙や、アメリカにおける有色人種の文化の価値を真っ向から否定する手紙もあった。(33~36P)
 ちなみに興味深いことですが、当時の韓国系の識者へ送られたクレームの内容の多くが、現代でも聞かれるものでした。

 さて、本書の著者はロス暴動の引き金となったラターシャ・ハーリンズ事件を「黒人を差別する韓国系によるもの」というストーリーで語っていますが、それに関しても疑問が呈されます。同上の論文はこの事件に関して、以下のように記述しています。
 しかし、実際には、ラターシャ・ハーリンズはオレンジジュースを 1 本、外から見えるように背中のバックパックに入れ、手に 2 ドルつかんで(ジュースの代金は$1.79)まっすぐレジに向かったのである。店主の方は、ラターシャがバックパックにジュースを入れていたため、万引きを疑いバックパックごとラターシャから取ろうとした。疑われたラターシャは身に覚えがないため従姉妹から借りたバックパックを取られまいと店主を何度か殴る。店主の方も椅子を投げて応戦するが、最後にはレジの下にあった銃で威嚇するつもりが、改造銃であったため指をかけたとたんに発砲され(この銃は盗まれたことがあり、戻ってくる間にほんの少しふれただけで発砲するよう改造されていたことが証明されている)、銃を見て立ち去ろうとしたラターシャの後頭部にあたってしまったというのがほぼ真相のようである。(42P)
 一方、本書ではこの事件を「韓国人が激しやすいために、万引き程度で少女を射殺した」かのように述べています。
 確かに事件の背景には黒人蔑視もあったかもしれません。しかしそれを全ての原因であるかのように論じるのは、あまりも単純化したものの見方といえましょう。

 本書のロス暴動記述がいささかくだらないのは、よしんばロス暴動の事実が本書の主張通りであったとしても、著者がそこから導いた「礼儀正しい日本人、世界から嫌われる韓国人」という話には全然ならないというところです。
 そもそも、移民として異国へ移住したある民族の行為を、本国で暮らす民族の性質にまで一般化することが妥当だとは思われません。それを言えば、ある具体的行為から「民族性」なるものを導く議論そのものが妥当性を欠くわけですが、それを抜きにしても民族的ルーツが同じであっても背景に大きな違いがある集団を同一視して論じることはできないと考えるべきでしょう。

 それは「黒人を差別しなかった日系」の性質を日本人一般に援用する議論にも言えることです。これもそもそも、「黒人を差別しなかった日系」という事実それ自体が論証されていないのですが、それを抜きにしても、韓国系よりもさらに時代的隔たりがある「日系アメリカ人」を「日本人」と単純に同一視する考え方が妥当であるとは思われません。

 このようなものの見方は、国籍が違ってもほんの少し日本にルーツがあるだけで「日本人が!」と大騒ぎする一方、国籍があっても民族的ルーツが異なれば「日本人横綱」としては認めないような見方と同根です。

 本書におけるロス暴動の記述は、「韓国を貶めるために事実の歪曲もいとわない、(マスコミの報道を疑うという)自身の普段の主義と異なっても構わない、民族性は人間の本質である」という極右たちのものの見方を最大限反映したものと言えるでしょう。

 ちなみに、この記事で使った論文などはググったらすぐに見つかりました。20分もかかってないでしょうか。著者は産経新聞の記者で支局長まで務めたようですが、この程度のリサーチも怠る記者だったというわけですね。

 高山正之 (2019). 韓国への絶縁状―変見自在セレクション― 新潮社

それは本当に「正義の」暴走なのか 人権というグランドセオリーなき人々

 この件です。
 従来から「正義の暴走」なる言葉の使われ方、ひいてはその概念が意味するところについては違和感を持っていましたが、その違和感の正体を言葉にすることができないままでした。今回上掲ツイートを見て、「あぁそういうことか」と自分の中で腑に落ちるものがありました。

 「正義の暴走」はどのようなときに使われるのか
 正義の暴走はわざわざ「正義」と断っているところからも明らかなように、ただの悪事とは違いことを含意しています。具体的には目的は正しかったが行き過ぎたとか、本質は正しかったがやり方がまずかったというように、ともかくどこかには正しいものがあったんだということを含意しています。ただの殺人を正義の暴走とは言いません。
 そういう意味で、関東大震災時の朝鮮人虐殺を「正義の暴走」と表現することは、虐殺はだめだったが朝鮮人をなんら根拠なく疑い差別することは正しかったというようなことを含意しています。これは「正義の暴走」という言葉の典型的な誤った使い方でしょう(誤っているのに典型的というのもおかしな話だが)。

 「正義の暴走」とどっちもどっち論
 加えて、正義の暴走という言葉は「正義は行為者が善であることを認識しているがために、暴走しやすい」ということをいくぶんか嘲笑的に含意しています。
 しかしそもそも「正義」は暴走するものでしょうか。というか、暴走するようなものはそもそも正義でも何でもないでしょう。『「正義の暴走」なんて存在しない』でも論じましたが、「正義」という枠組みで語られる以上「してはいけない上限」は確固として存在していて、そこを踏み違えれば「暴走」というよりそもそも正義ではないのではないでしょうか。

 「正義の暴走」がもう1つ、嘲笑的に含意しているのは「正義なんてしょせん相対的さ、絶対的な正義なんてないさ」というもっともらしいようでいて単に薄っぺらい価値観です。
 しかし、絶対的かどうかはさておくにしても、現代社会で最上位に位置付けるべき価値観は確固として存在しています。それは「人権」です。中学校で習ったはずです。

 その主義主張や言動が人権に沿っているかどうかを考えれば、どちらが正しいのかは自ずとわかるはずです。微妙な場合もあるでしょうけど。

 人権というグランドセオリーなき人々
 しかし「人権を最上位に位置付けるべき」という、きわめて常識的で穏当なグランドセオリーはこの社会ではなかなか共有されていないのが事実でもあります。
 例えば『京都のヘイトデモカウンターへ行ってきた #0309nohate京都』で論じたカウンターに関して、京都新聞は以上のように報じていました。
 レイシストが「在日排斥を訴える」とまで正確に書いているにもかかわらず、彼らとカウンターとのやり取りは「衝突」というように両者がどっこいどっこいで、かつ両方ともよろしくない立場であるかのような表現を使っています。正確を期するなら「排外デモを市民が止めようとした」とかになるはずでしょう。
 また記事のツイートにこういういちゃもんもついていたのですが(事実ではないことは当該記事で指摘済み)、よしんば朝鮮学校が教育上・歴史上の都合から公園を占拠していた事実が「不法」にあたるのだとしても、それが朝鮮学校への襲撃という行動ととても釣り合うものではないことは「人権」を軸に考えれば明らかであるはずです。

 しかし実際には、こんな些細な非でも見つけ出せば即座に、重大な人権侵害とバランスをとる錘であるかのように扱われるのがいまの日本社会です。これは人々が物事を「人権」というグランドセオリーを軸に考えられていないことの証左です。

 「正義」と何かを取り違えていないか
 加えて、この前ちらほらと過去の記事を読み直して思い出したことがあるのですが、「正義の暴走」という言葉を好んで使う層は、そもそも「正義」の定義をかなり大雑把にとらえているのではなかろうかと思います。
 というのも、「正義の暴走」という言葉を上で論じたように「一部に正しいものがある」という意味ではなく、「あいつらは正しいと思ってやっていること」という程度の意味で使っていると思しき反応も散見されるからです。

 しかし正義かどうかは、その人が正しいと思っているかどうかとは関係がありません。例えばライフスペースという新興宗教団体は死人が生き返るという考え方が「正しい」と認識していましたが、それを「正義」と呼称することに肯定する人はあまりいないでしょう。
 『オタクが「ポリコレ」を理解する前にわかっておくべき前提』では「言葉はもっと厳密に使おう」と論じていますが、ここでも同じ問題が出ています。言葉は第一に意思疎通のツールであり、同じ単語に対する互いの認識が異なれば支障をきたします。

 ともあれ、「正義の暴走」を気にする前に「不正義の蔓延」を気にするべき現状なのは間違いありません。この日本で今現在「正義の暴走」を警戒するのは、真夏に凍死を心配するようなものでしょう。

京都のヘイトデモカウンターへ行ってきた #0309nohate京都

 9日午後3時半ごろ、京都市東山区祇園町北側の八坂神社近くから、在日コリアン排斥などを主張するデモが出発し、抗議する大勢の人たちが「ヘイトデモの中止を」と訴えた。京都市役所前(中京区)までの道中も抗議が続き、京都府警の警察官が間に入った。観光客や買い物客が行き交う一帯は騒然とした。
 京都・祇園で在日排斥デモに抗議行動 観光地が騒然-京都新聞
 時間的に余裕があったので、ここで報じられているヘイトデモのカウンターに行ってきました。今回はその報告めいた記事です。

 「朝鮮学校襲撃」とは
 そもそも、このデモで祝われている朝鮮学校襲撃とは何でしょうか。
 それは2009年12月4日に起こった。京都市南区上鳥羽勧進橋町にあった京都朝鮮第一初級学校校門前で、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)を名乗る男ら11人が「スパイ養成機関」「こらチョンコ」「叩き出せ」などの差別的な罵詈雑言を約1時間にわたってがなりたてた。グラウンドのない同校が、隣接する京都市の公園にサッカーゴールなどを設置して使用していることに因縁をつけた、言語道断の差別行為だった。
 初級学校は小学校にあたる。交流授業で来ていた滋賀朝鮮初級学校の生徒を含め、校内にいた子どもたちと教師150人ほどが、拡声器を使った怒号にさらされつづけた。
 駆けつけた警察は、暴言を止めさせようともせず、襲撃者たちがサッカーゴールを倒しても、スピーカーのコードを切っても傍観するのみ。目の前の犯罪行為を黙認し続けた。
 しかも、この悪夢は1度ですまなかった。翌年の1月14日には2度目の「街宣」が、3月28日には3度目の「街宣」が行われた。
 「3度目は学校から半径200メートル以内の街宣を禁止する仮処分決定(注1)が出た4日後でした。法的な手段をとってもなんの意味もないんじゃないかと思いました」と金志成さん。2度とも、人数、暴言ともにエスカレートするデモ隊に対して、警察は見ているだけだった。
 京都朝鮮学校襲撃事件と裁判がもたらしたもの (ジャーナリスト 中村 一成/京都朝鮮初級学校教員 金 志成)-一般社団法人市民セクター政策機構
 引用した記事が詳しいのですが、この事件は京都朝鮮第一初級学校がそばにあった勧進橋児童公園を運動場として利用していたことに差別主義者が「難癖」を付けたところから始まりました。これまで公園使用にはトラブルがなかったのですが、差別主義者はこれを「不法占拠」と断じ、設置してあったゴールポストを動かしたりスピーカーのコードを切るなどの不法行為を働き、さらに小学生にあたる年齢の児童の眼前で罵詈雑言をがなりたてるなどしました。この件に関しては参加者が侮辱罪や威力業務妨害罪などに問われて有罪判決が確定した、れっきとした犯罪行為です。

 今回のヘイトデモはそのような犯罪行為を「祝う」と銘打たれており、この時点で行動使用許可を出した京都市の姿勢が疑われます。

 ※追記
 すでに上掲ツイートでオチがついていますが、こういういちゃもんがあったので多少解説を加えておきます。
 まずカウンターはこれを禁じる法律がない以上違法ではありません。もちろん公道を許可なく占拠すれば道交法などに問われるでしょうが、それは別の話です。デモに届け出が必要だというのは警察行政による刷り込みです。

 襲撃事件に関して、朝鮮学校側も公園を不法占拠していたので非があるというのも誤りです。『京都の朝鮮学校が公園を50年間不法占拠していた?』に詳しいのですが簡単にまとめると、
・違法だと言われたのは2009年6月5日から同年12月4日の間、京都市の撤去要請に応じずに学校の設備を公園に設置していたこと。
・市の要請は工事によるもので、要請は着工の直前であり学校側の都合を一切無視したものだった。
・それ以前の公園利用には協定があり、違法ではない。
 の3点です。つまり違法とされた部分も市の一方的な都合によって作り上げられた状況だったということです。

 円山公園に集う
 予定では15時に八坂神社近くの円山公園に参加者が集うことになっていました。それに合わせてカウンターは早めに集合するとのことだったので、私は30分くらい前につこうかと思ったのですが公園が駅から遠く、意外と時間がかかってしまいました。
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 それでも到着。現場に着く前に赤いジャージを着た極右と思しき男性が警官に引っ立てられる姿を目にしました。
 まず目立ったのは警察の多さです。あまりにも警察が多いので通行人も何事かと怪訝な目で人込みを眺めていました。これだけ警備が多いので参加者もさぞ多いのかと身構えていたのですが……。

 いざ始まるが
 実際にふたを開けてみると、参加者はたったの4名というありさま。1人だけ拡声器をもって歩き、他は車に乗っていました。カウンターは少なくとも60名を超えるかという人数でした。警官に紛れてしまい参加者が見えない。
 それとデモが全然前に進みませんでした。カウンターが先回りしてルート上でシットインをしていたためです。
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 レイシストを囲んでの帰れコール。レイシストが何かを言うたびにカウンター数十人が罵倒するというありさまで、立場が逆なら心折れてるだろうなという状況でした。
 上の写真の奥にちらりと見えている赤い上着の男が、川東と呼ばれているレイシストらしいです。京都朝鮮学校襲撃事件の実行犯の一人で、執行猶予つきの有罪判決を受けた人物です。どういう活動であれ長年関わっていれば風格というか貫禄というものがたいてい出るものですが、彼には見かけにそのような印象がなかったのでTwitterで見るまではてっきり一山いくらのレイシストかと思っていました。

 ちなみに、現場にえらくいかついおじさんがいるなと思っていたらジャーナリストの安田浩一氏だったようです。
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 それでも15時半ごろにはシットインが排除され、デモがスタートしてしまいます。八坂神社のT字路は赤信号が長く、加えて街宣車がデモとは思えないスピードで走り去ってしまったこともあって。私はあっさり引き離されてしまいます。
 このあと、京都の町をふらふらと追っかけたのですが最後まで追いつけませんでした。足速い……逃げ足が速いというべきでしょうか。今後はあらかじめデモのルートを調べておく必要がありそうですね。

 警察による「官製ヘイト」
 さて、今回カウンターに参加しひしひしと感じたことは、まずレイシストとカウンターの人数差です。たった4人に下手すれば3桁単位の市民が圧をかけていたわけで、結局デモは行われてしまったとはいえ彼らは逃げるようにおざなりな街宣しかできませんでした。
 しかし話を聞くに、カウンター初期はこの人数差が逆だったわけでしょう。レイシストを圧倒するほどの勢力になるまで活動を形作ったカウンターの人々には頭が下がります。

 ですが、圧倒的人数差にもかかわらず、レイシストの側には余裕というか、自分が正しいと確信しているような自信が垣間見られ不気味な印象もありました。それには2つの原因があるのでしょう。
 1つは大量の警察官がレイシストを護衛していたということです。警察官は人種差別を公然と行うレイシストに背を向け、カウンターを押さえつけていました。まぁ護衛がなければリンチ待ったなしなのでやむを得ない面もあるのでしょうが、これでは警察官がヘイトデモの参加者のようです。

 上で引用した記事にもあるように、警察は従来より極右レイシストの犯罪行為を見逃すどころか積極的に黙認してきたきらいがあります。これではレイシストが自身の行いを公認されているとつけあがるのも当然です。京都市と京都の警察はヘイトスピーチ規制法にのっとって差別扇動が行われることが明白なデモに公道の使用許可を出さないといった対策が求められます。

 朝鮮学校差別をやめさせる
 もう1つの原因は、現在政府が行っている朝鮮学校ひいては在日コリアンに対する差別的な取り扱いです。とりわけ安倍政権は極右レイシストと親和性が高く、これがレイシストたちの「自信」につながってしまっているのは明らかです。

 『差別主義者は無限の証明を要求する』でも論じましたが、政府による補助金支給からの朝鮮学校の排除には正当性がありません。このような差別的な政策を公然と行うことがレイシストたちの朝鮮学校へのヘイトスピーチを正当化していることを政府はきちんと認識すべきです。また『度重なる在日コリアンへのヘイトクライムに政府は対処すべき』でも論じたように、在日コリアンへのヘイトクライムに対しても政府は差別が許されない旨を明確に表明すべきです。

MBSドキュメンタリー『映像'18 バッシング~その発信源の背後に何が』を見た

 放送前からネットの一部でバッシングされているドキュメンタリー番組がある。鋭い視点で斬り込むMBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’18」。16日深夜1時5分から放送される「バッシング~その発信源の背後に何が」(関西ローカル)ではバッシングのターゲットにされた大学教授、弁護士らを取材し、バッシングの背景に迫る。
 バッシングの背景迫った「映像18」16日深夜放送-日刊スポーツ
 この放送を録画してばっちり見ました。今回は簡単な感想を。
 本作は主にネット右翼、そして極右論壇による種々のバッシングの背景を追った作品になっています。まず科研費で杉田水脈議員にバッシングされた(『「科研費で政治活動」という批判の無意味さ』参照)大阪大学の牟田和恵教授が登場、次いで「国会パブリックビューイング」などの活動で知られる法政大学の上西充子教授、大量の懲戒請求を送り付けられた(『不誠実な者に味方するということのリスク』参照)佐々木亮弁護士、金英哲弁護士らの証言を追い、最後はバッシングの本丸である「余命三年時事日記」や青林堂などへ迫るという構成になっています。

 真実なんてどうでもいい極右たち
 この番組で印象的だったのは、バッシングの急先鋒となった極右たちの、真実に対するあまりにもいい加減な態度です。
 科研費バッシングの呼び水となり、番組でも青林堂の関係などたびたび名前が挙がっていた杉田水脈議員は、この問題についてMBSから取材を申し込まれていました。しかし「科研費に詳しくない」という理由で取材を断っています。じゃあなんで批判をしたんだろうか。

 また本ブログでもたびたび批判してきた(『月刊Hanada12月号山口手記のおためごかし』『杉田水脈の『LGBT発言』とその擁護が酷すぎる 前提確認&月刊Hanada編』参照)極右論壇誌『月刊Hanada』の編集長である花田紀凱氏にもインタビューをしています。『月刊Hanada』は杉田議員が『新潮45』でLGBTを差別する文章を書いた問題で、「朝日新聞が新潮社と連携して真っ先に批判した」などと書いていました。
 しかし番組が確認したところ、最初にこの問題を報じていたのは朝日新聞ではなく毎日新聞でした。この点を取材者が確認すると、花田氏は「でも毎日だと売れない」などとへらへら笑いながら言う始末。事実誤認に対する反省もなにもあったものではありませんでした。

 朗報:余命三年死んでなかった?
 もう1つ驚きだったのは、弁護士への大量懲戒請求を主導した『余命三年時事日記』の筆者が、実は全然余命三年でもなくぴんぴんしていたかもしれないということでした。というのも、番組中で筆者は記者に対し、ブログが「コピペ」であって「本人の体験がぜんぜんない」ことを明言しているからです。
 そもそもなんで「余命三年」なのに6年も続いているねんという点に関しては、筆者が途中で交代したからという「設定」なのですが、取材での発言を聞く限りどうもそこでしゃべっている人間が最初から全部書いていたのではなかろうかと思います。
 不運な死人はいなかったんや!よかったね。

 しかし私が震え上がったのは、取材に答えている筆者が「日本が在日コリアンに乗っ取られている」とマジで信じているらしいということです。たかだか60万人前後の少数民族に乗っ取られる国って一体。主語が「ナチス地下帝国」なら真っ先に精神病院行きでしょうが、これが「在日コリアン」になると本が出版できるという無情さ。

 最後に、番組は番組そのものへ向けられた大量のバッシングがTwitterにあり、その大半がbotではないかとテロップで述べて終わります。突然現れた捨てアカ臭い誰かの言うことなんて、巷にあふれていたって信じるわけがないと思うのですが、そうではない人もいるのでしょうか。

麻生副総理の「武装難民」発言がなぜ愚かで危険なのか

 国をきちんと守るのは当たり前だが、残念ながらそういった意識が、東京に限らず多くの方々に薄い。日本海側にいったらもっと真剣だ。それは難民が流れ着くかもしれないから。武装している難民かもしれない。そのなかに武器を持っているテロリストがいるかもしれない。パリを見ろと。みんな難民から入ってきてテロになった。パリであった銃殺・殺人事件はまさにそういった形と同じだ。それが朝鮮半島から流れ着いてくる(かもしれない)、日本海側に。そういった意識が日本海側の方にはみんなある。(東京都目黒区での街頭演説で)
 麻生副総理、また「武装難民」発言 「日本海側は真剣」-朝日新聞
 総選挙特集(?)最後はこれの件です。麻生副総理は以下のように先日も同様の発言をして批判されていました。
 麻生太郎副総理は23日、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った。
 麻生副総理「警察か防衛出動か射殺か」 武装難民対策-朝日新聞
 難民対応に真っ先に軍隊?
 すでに散々指摘されているように、難民対応に真っ先に軍隊を出動させるというのは極めて現実離れしている想定です。百歩譲って麻生の言う通り武装した難民が日本海側に流れ着いたとしましょう。法律で規制される武器を難民が所持している場合、現実的に考えれば警察が出動し武装解除を促すのが筋でしょう。仮に軍隊を出動させたとして、警告も威嚇もなく真っ先に射殺という発想が出てくるのはやはり異常だと言わざるを得ません。
 そもそもを考えれば、北朝鮮危機の結果大量の難民が武装して押し寄せるという想定がまず現実的ではありません。海を越える難民は限られてくるでしょう。また混乱の中を逃げてくる難民が自衛のために武装していたとして、責められることでもないでしょう。

 恣意的な「武装難民」の概念
 このような批判に対し、麻生支持者たちからは「あくまで『武装難民』の話であり難民すべての話にすり替えるのはねつ造だ」(好意的に解釈すれば)という反論が登場しています。しかしこの反論こそが、この問題の焦点を浮き彫りにしているといえるでしょう。
 そもそも武装難民という言葉は、どのような難民を指すのでしょうか。別段具体的な定義のない、麻生による造語です。そのようなあいまいで恣意的な基準により、「射殺する難民」と「射殺しない難民」を峻別するというのは権力者の姿勢として問題のあるものです。これは自分の気に入らない者なら殺すし、気に入ったものなら殺さないと言っているのとほとんど変わりがありません。

 パリのテロは難民の仕業ではない
 また今回の発言は、麻生の現実認識能力に問題があることも示しています。
 パリで発生するテロの多くは、実際には難民によるものではありません。ホームグロウンと呼ばれる、移民の2世3世やその思想に感化された現地住民によるところが大きいのです。故に難民の入国を規制しても防ぐことができず、テロ対策が難航する理由になってもいます。
 極右や排外主義者は、わかりやすい理由であるが故にテロの原因を難民へ求めがちです。麻生発言もその延長線上にあるのですが、実際には事態はもっと複雑です。複雑な事態に対して単純明快な解決策を提示する、しかもその解決策が感情的にスカッとするような場合には警戒をするべきです。そのような対策は単に支持者がスカッとするだけで、実際には対策として効果がないばかりか、逆効果をもたらす可能性すらあるのです。事実、極右や排外主義の台頭による差別の横行もイスラム過激派を始めとするテロリズムの原因となっているのです。

九段新報プレゼンツ #総選挙に役立つ本

 衆議院総選挙が告示されたので、今回は特別編。来る総選挙に向けて役に立つ本をピックアップしていきます。ただし犯罪学ブログという立場上、そっち方面へ分野が偏ることになりますのでそこはあしからず。
 また取り上げた本の中には、今すぐ候補者選びに役立つというものは少ないかもしれません。しかし短期的に役立つ知識ばかりが知識ではなく、貯め込んでおき忘れたころに火を噴くようなものもまた知識です。そのような長期的な観点からも、書籍を選んでいきます。
 なおリンクは本ブログの書評記事に通じています。また取り上げるものはすべて私が読んだことのあるものに限ります。

 安倍政権が何に立脚しているか
 中村一成(2014). ルポ京都朝鮮学校襲撃事件 <ヘイトクライム>に抗して 岩波書店
 高 史明(2015). レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット 勁草書房
 まず挙げるのはレイシズム、とりわけ排外主義にかかわるものを取り上げた2冊です。
 いうまでもなく、安倍政権の根幹にある要素の1つが排外主義です。『差別主義者は無限の証明を要求する』でも取り上げましたが、朝鮮学校に対する補助金排除の政策が代表的です。まぁこれは自民党だけの問題ではないのですが、終戦後から長年政権を担当してきた自民党に最も大きな責任があることは間違いありません。
 そして長期政権がそのような姿勢をとるということは、それを支持する人々の思想を反映しているためであろうと考えられます。そのような排外主義の行き着く先、不寛容と差別を放置する社会が表出するほんの一部が表れているのがこの2冊です。
 気鋭の社会心理学者である高氏による著作は、インターネットとヘイトスピーチという密接にかかわる二者の分析へ先鞭をつけるものです。ネット上での選挙運動も盛んになった今だからこそ目を通すべき一冊でしょう。
 中村氏による著作は岩波ブックレットであり、手に取りやすく読みやすくなっています。在特会による朝鮮学校襲撃事件は、野蛮な側面のヘイトクライムが日本においてピークだった頃に発生した事件でした。カウンターが盛んになった現在ではこのように露骨な事件もなりを潜めつつありますが、一方で政権に就く権力者による丁寧な側面のヘイトスピーチはかえって目立つようになりました。麻生による「武装難民銃殺」が最たる例でしょう。排外主義の行き着く先を、気分が悪くなるほど精巧なタッチで描いています。
 なおヘイトスピーチに関しては以下の2冊も読みやすく参考になります。
 師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店
 安田浩一 (2012). ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて 講談社

 角田由紀子 (2013). 性と法律――変わったこと、変えたいこと 岩波書店
 牧野雅子 (2013). 刑事司法とジェンダー インパクト出版会
 安倍政権がもう1つ立脚するのは女性蔑視的な視点です。まぁこれだって自民党の責任だけじゃないんですけど(以下略)。これは非嫡出子に対する差別的な制度を裁判所に是正するように判決された際の反応であるとか、夫婦別姓制度に対する態度から推し測れるものです。また自民党の今回の公認候補の男女比率からもわかります。
 さて、そこで取り上げるのはとりわけ性犯罪を規制する法律について考察された角田氏の著作です。先ごろ改正された強姦罪が実は性的自由を保護法益とせずに、夫の妻に対する貞操権を保護していたのではないかという主張には説得力があります。
 制度上の性差別もさることながら、排外主義の項でも指摘したように意識の上での差別もその放置は社会に重大な問題を表出させます。その1つを取り上げたのが牧野氏による著作です。これは知人の逮捕を契機として、警察が容疑者と「協働」し「性欲が抑えられなかった故の性犯罪」というレイプ神話を再生産していく過程が描かれています。むろんそれは神話であって事実とは異なるのですが、性差別を是とする警察組織の中ではそれが事実とされてしまい、それが桶川ストーカー事件にみられるような様々な齟齬を生み出す一因となっているのです。
 ジェンダーに関して全く前知識がないという場合には、以下の著作が非常に役に立ちます。
 加藤秀一 (2017). はじめてのジェンダー論 有斐閣
 また社会的な性差別の別の側面を把握するためには以下の著作をお勧めします。
 仁藤夢乃(2014).女子高生の裏社会  「関係性の貧困」に生きる少女たち 光文社

 芹沢一也(2006). ホラーハウス社会 法を犯した「少年」と「異常者」たち 講談社
 芹沢一也(2005). 狂気と犯罪 なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか 講談社
 もう1つ、精神障害者に対する姿勢も取り上げておきましょう。なぜなら、理由はよくわかりませんが安倍首相と日本精神科病院協会が非常に懇意で、晋精会なんて講演会もあるくらいです。マジで理由はよくわかりませんが、日本精神科病院協会は世界の潮流に反し長期入院を推し進めるような方針をとり、悪名高き神喪失者等医療観察法を支持する組織です。故に、日本における精神障害者に対する政策の問題は自民党というよりも安倍首相にダイレクトに帰属される面があります。
 上掲2冊はこのような方針、政策の問題点を平易に理解することのできるものです。

 疑いの力を味方につける
 浜井浩一・芹沢一也. (2006) 犯罪不安社会 誰もが「不審者」? 光文社
 荻上チキ・浜井浩一 (2016).  新・犯罪論 「犯罪減少社会」でこれからすべきこと 現代人文社
 森達也(2015). 「テロに屈するな!」に屈するな 岩波書店
 民主主義国家において権力の監視は主権者たる国民へ課せられた義務であり、その行使は健全な政治を推し進める原動力でもあります。そのためには、政府や権力の一挙手一投足を批判的かつ懐疑的に見つめる必要があります。
 権力が民衆を騙そうとするとき、まず行うのは虚偽の流布による恐慌の誘発でしょうか。とりわけ犯罪という要素はこの目論見に都合よくつかわれる場合の多いものです。しかし浜井氏による2冊は犯罪がもはや民衆にとって脅威とは考えにくいことを端的に示しています。同時に、政府の行う政策がいかに根拠に基づかないか、そしてどのようにエビデンスベースの政策論議を進めていくべきかを考えるうえでも役に立ちます。
 政府が恐怖を煽ろうとするとき、かつての石原慎太郎の「三国人発言」のように犯罪を利用することもありますが、実際にはテロというより限定されたキーワードを利用する場合が多くあります。そのような欺瞞に対抗するヒントを森氏の著作は与えてくれるでしょう。実際に日本では、余計なことさえしなければテロの脅威はさほどでもないのですが、それでも緊急事態条項や強力な防護策が求められる現状もあります。それが本当に役に立つのかという視点も必要ですが、そもそも必要なのかという疑いにも立脚することを忘れるべきではありません。

 浅野健一 (2004). 新版犯罪報道の犯罪 新風舎
 ネットの一部の層では、マスコミが政府を嫌い偏向報道をしているということが「定説」と化していますが、実際には真逆の様相です。いまやマスコミの幹部が首相と会食し、政府の主張を批判抜きで垂れ流す状態です。というか、幹部と会食しておきながらばかすかバッシングされているのだとしたらどんだけ首相根回し下手なんだよという話になりますが。
 浅野氏の著作は、直接的ではないもののこうしたマスメディアが権力とねんごろになった結果の弊害を存分に描き出しています。警察権力と密接に結びつくことでスクープを得ようとする刑事記者の姿は、国会に張り付き議員のご機嫌を取って独自の情報を得ようとする政治部の記者に重なることでしょう。

 荻上チキ (2011). 検証 東日本大震災の流言・デマ 光文社
 ネットのデマという分野では、この一冊がダイレクトに響くでしょう。疑う力といっても、それが明後日の方向へ向かっては意味がありません。本書は東日本大震災に関するものですが荻上氏が指摘するようにデマはパターンを繰り返します。ゆえに事例が異なるデマでもその情報を理解することはデマへ対抗するワクチンとなるのです。

 坂井豊貴 (2013). 社会的選択理論への招待 : 投票と多数決の科学 日本評論社
 最後は、選挙の構造自体を疑おうというものです。小選挙区制が与党有利に働いているのではないかという指摘もありますが、ここではより大枠の仕組みへ疑問を投げかける一冊を提示します。
 一番だけへ票を投じるのではなく、順位を投じることでより細やかな民意を反映しようとするボルダルールを本書では提唱しています。詳しくは『多数決は意思決定手法の欠陥製品であるという話』で取り上げましたが、重要なのは選挙のルールの根幹すら疑うという徹底した懐疑主義的な姿勢です。口を開けて権力の言いなりになるのは簡単ですが、民主主義国家に生きる主権者であれば常に権力は批判的に見つめるものなのです。
 なお同内容の書籍(といってもこればかりは私も読んでいないのですが)に、以下のものがあります。こちらは新書なので入手も容易で読みやすいでしょう。
 坂井豊貴 (2013). 多数決を疑う――社会的選択理論とは何か 岩波書店

 というわけでざっと紹介しました。これらの本を読んでもすぐに選挙に役立つというわけでもありませんが、ここにある知見を下地とすることは必ず政治を論じるうえで役に立つはずです。

【書評】今や世界5位 「移民受け入れ大国」日本の末路: 「移民政策のトリレンマ」が自由と安全を破壊する

今回は三橋貴明という、知る人ぞ知るヘイト本生成者の著書です。基本ヘイト本というのは政治関連の棚に置かれることが多いのですが。やつのものは経済の棚に置かれていた分探しにくかったです。
 さて、本書のほとんどは経済について書かれたものですし、私は経済学者ではないのでその部分の批評は餅屋に任せましょう。私は、外国人犯罪について書かれた第2章後半のみを取り上げます。まぁ、ここのでたらめ具合がわかればほかの部分も信頼できねぇなと判断するに十分でしょうし。

 比べるとこ、そこ?
 まず氏は、来日外国人のデータは公開されているのに在日外国人のそれは公開されていないのは不可解だとぶち上げます。大体において背後に何らかの陰謀を感じされるような書き方がなされるのですが、あくまで警視庁のデータは業務統計なので、十中八九業務上必要を感じられなかったので計上していないというだけの話だと思います。来日外国人は窃盗団など特異な犯罪もありましょうが、在日外国人となるとそういうものもなさそうですし。
 その後氏の議論は、犯罪者の国別の割合へと移っていきます。まず来日外国人の割合を見て、ベトナム人と中国人が多いこと、それは外国人実習生の多さと関連するのだろうと述べています。ここまではまぁいいでしょう。
 しかし次に、三橋は何をトチ狂ったのか「来日外国人の犯罪者数」と「在留外国人の数」を使用し犯罪率を計算し、日本人よりも明らかに多いなどと言い始めます。これは統計に詳しくない者でも、真面目に読んでいるのであればおやと不信感を覚えるべきところです。
 法務省の在留外国人統計には、以下のように統計の対象が定義されています。
(2)統計の対象
 ア 在留外国人
   中長期在留者(注)及び特別永住者
 イ 総在留外国人
   在留外国人及び入管法の在留資格をもって我が国に在留する外国人のうち,次の(ア)から(エ)までのいずれかにあてはまる者
 (ア)「3月」以下の在留期間が決定された者
 (イ)「短期滞在」の在留資格が決定された者
 (ウ)「外交」又は「公用」の在留資格が決定された者
 (エ)(ア)から(ウ)までに準じるものとして法務省令で定める者(「特定活動」の在留資格が決定された,亜東関係協会の本邦の事務所若しくは駐日パレスチナ総代表部の職員又はその家族)
 (注)中長期在留者
 入管法上の在留資格をもって我が国に在留する外国人のうち,次の(ア)から(エ)までのいずれにもあてはまらない者です。また,次の(オ)及び(カ)に該当する者も中長期在留者にはあたりません。
 (ア)「3月」以下の在留期間が決定された者
 (イ)「短期滞在」の在留資格が決定された者
 (ウ)「外交」又は「公用」の在留資格が決定された者
 (エ)(ア)から(ウ)までに準じるものとして法務省令で定める者(「特定活動」の在留資格が決定された,亜東関係協会の本邦の事務所若しくは駐日パレスチナ総代表部の職員又はその家族)
 (オ)特別永住者
 (カ)在留資格を有しない人
 法務省在留外国人統計
 一方、警察の資料では以下のように定義されています。
 本資料中の「来日外国人」とは、我が国に存在する外国人のうち、いわゆる定着居住者(永住者、永住者の配偶者等及び特別永住者)、在日米軍関係者及び在留資格不明者を除いた外国人をいう。
 外国人犯罪の検挙状況 警視庁
 つまり、在留外国人は永住者を含む一方で来日外国人は永住者を含まないという定義の混乱が見られるわけです。しかも議論の流れでは、永住が前提とされている日本人と比較をしているわけで、状況の全く違う来日外国人の犯罪と比較することに意味はありません。
無題3

 三橋のように外国人犯罪が多いと主張したいのであれば、在日外国人による犯罪率を出すべきでしょう。しかし、『新・外国人の犯罪は多いのか検証してみた』で論証したようにそもそも日本人との犯罪率の差はほぼありません。ちなみに、数字を見ればわかる通り来日外国人の犯罪率はさらに低く、どうやって計算した結果日本人より高くなったのかは今となっては謎です。おそらく依拠する数字が違うのでしょうが……。あるいはこちらの計算が検挙人員に依拠するからでしょうか?

 伝統芸能:母数がわからない
 議論の核心であるはずの在日外国人の犯罪については、三橋はどこかで見たことのある下手を打っています。それは「在日外国人の犯罪では在日韓国・朝鮮人が一番多い!」というものです。これに対しては一言で話が済みます。元々日本に多いから。以上。
 どこかで見た議論であるのは当然で、本書でも明確に述べられているようにこのデータは坂東忠信が青林堂から出している『在日特権と犯罪』に依拠するからです。リンク先ではそのデマを叩いていますが、これもまた資源の無駄遣いといえるデマ本です。著者と出版社とタイトルで察するべきです。また同様の内容に関しては『中国人が多いなら中国人犯罪者も多いのは当然』『JAPANISM29号・坂東記事を批判する(続・中国人が多いなら中国人犯罪者も多いのは当然)』の方が詳しいかもしれません。
 しかし奇怪なのは、三橋は来日外国人の犯罪に対しては「実習生が多いから」と、おそらく妥当であろう推測をしているにもかかわらず、在日外国人の犯罪となるとそれがスコンと抜けてしまうことです。ベトナム人へヘイトをばらまく気はないので理由を真面目に考えたが、在日コリアンにはヘイトをばらまきたいので飛びついたということでしょう。
 ちなみに、三橋は外国人犯罪のせいで日本の治安がやばいということを言いたげな書き方をしていますが、そのような事実もありません。というか外国人犯罪の割合の少なさは三橋の出したデータでわかることなので、彼はそんなことを書いていて自分で疑問に思わないのでしょうか。

 なぜ特別永住者は強制退去にならないのか
 三橋の議論は、在日コリアンが犯罪を犯しても強制退去にならないのはおかしい、在日特権だという実に月並みなネトウヨの議論で幕を閉じます。しかしこれは、そもそもなぜ在日コリアンに特別永住権が存在するのかという歴史的経緯を無視した議論になっています。
 この点に関しては反「嫌韓」FQA(仮)がわかりやすく解説しているので、必要な部分を引用しましょう。
 終戦後日本政府は朝鮮人・台湾人について、講和条約を結ぶまでは「日本国籍を保持するもの」とする、と規定していました。しかし1945年12月に改正された選挙法には「戸籍法の適用を受けない者(朝鮮人・台湾人)の選挙権および被選挙権は当面の間停止する」という条項が加えられました。翌年の1946年には女性にも参政権が認められた戦後初の普通選挙が実施されましたが、この選挙から朝鮮人・台湾人は排除されました。
 1947年には外国人登録令が施行され、朝鮮人は「日本国籍を保持しているが、当分の間、外国人とみなす」とされました。これにより外国人登録していない朝鮮人が日本に入国することは禁じられ(そのため一旦朝鮮半島に帰った朝鮮人―繰り返しになりますがこの時点では「日本国籍を保持」しています―が再び日本に入国するためには密航という手段を取らざるを得なかったのです)、違反者は退去強制処分も含めた刑罰が科されることになりました。
(中略)
 そして1952年にサンフランシスコ講和条約発効に伴い、在日朝鮮人は正式に日本国籍から「離脱」し(させられ)ました。これにより、在日朝鮮人は日本における法的地位がいっそう不安定になったばかりか、日本国籍保持者として保障されるべき権利も喪失します。たとえば日本人の戦没者遺族や戦傷病者に支給される給付金や恩給には「国籍条項」があり、旧植民地出身者には適用されませんでした。こうした例には枚挙に暇がありません。
 特別永住は在日特権だ?-反「嫌韓」FQA(仮)
 在日コリアンは元来日本人として扱われていたわけで、日本人が強制退去にならないのと同じように彼らも強制退去にならないというだけの話なのです。
 裏を返せば、そもそも日本政府が最初の段階で国籍選択権をばしっと与えていれば特別永住者という存在は生まれることはなかったでしょう。犯罪を犯しても強制退去にならない外国人が憎ければ、半端な政策をした政府にまずは恨み言を言うべきであり在日コリアンへそれを向けるのは筋違いです。もっとも、その場合でも永住権のある外国人を強制退去させていいのかという議論にはなるでしょうが。

 かくして、坂東のデマが坂東と三橋のデマになり、いずれネトウヨ界では有名な「いろいろな資料で裏付けされた」デマとなるのでしょう。ネトウヨの中ではデマは主張と読み替えられます。これが有名な言論ロンダリングというものです。

「逮捕者のうち4人は韓国籍」だったらどうした

 はい。また産経です。
 警察庁の白川靖浩官房審議官は21日の参院沖縄北方特別委員会で、沖縄県での米軍基地反対運動に関連して平成27年以降に沖縄県警が威力業務妨害などの容疑で41人を逮捕し、このうち4人が韓国籍だったと明らかにした。「逮捕した4人の国籍はいずれも韓国だ」と述べた。自民党の山田宏氏の質問に答えた。
 米軍基地反対運動をめぐっては、東村などの米軍北部訓練場や名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺での抗議活動参加者による威力業務妨害事件が相次いで発生している。
 沖縄の米軍基地反対運動 「逮捕者のうち4人は韓国籍」と警察庁-産経新聞
 なぜこの記事が産経及びその読者にとってニュースバリューがあるように見えたのか、いくつか可能性があります。
 ちなみに、「威力業務妨害事件が相次いで発生している」とありますが、『よろしい、では「極左暴力集団」の定義を教えてくれ』でも指摘したように社会運動の参加者を微罪逮捕するのは警察の常道なので、その結果本来存在しえない事件が相次いでいるように見えることは普通にあります。「抗議活動コワイ!」と思うのは警察発表なんかを真に受けるお人よしだけです。

 韓国籍4人逮捕=反対派は韓国人と思っているのかもしれない
 一番可能性のあるのがこの考え方です。沖縄の基地反対派は中韓の工作員だ!式のデマは人気がありますから。当然ながら、逮捕者の中に4人の韓国人がいることは、抗議活動の参加者にどのくらい外国人がいるかの情報にはなりません。この4人で全員である可能性だってあるわけですし。
 「外国人がなんで日本で政治活動を!」という反応も極めて典型的に見られるわけですが、外国人でも自分の住むところに基地があり、それを問題だと考えれば反対運動に参加することは当然あるでしょう。そして、それを阻む法的根拠は何もありません。

 質疑の発端はネトウヨ議員だった

 これが記事の大元になった質疑の動画のようです。冒頭で反基地運動を「極左暴力集団に主導されている」と発言するなど、それだけで議員の首が3回飛んでおつりがくるようなことになっていますが、圧巻はその後です。
 反基地運動でハングルの横断幕が見られたことから始まり、運動に韓国籍の人間が参加していることを「異様」と断じています。言及があるように韓国にも米軍基地があり、それに反対する人もいるわけですが、山田議員には「同じ問題を抱えた者同士が国境を越えて連帯する」ことを想像するだけの力がないのか、単にネトウヨ支持者向けにかまととをしているのか。どちらにせよ碌でもないことです。

 反対運動へのスティグマを止めろ
 反対運動を極左暴力集団だの外国人が主導しているだの言いたい放題言うことは、溜飲は下がるのでしょうが火に油を注ぐだけです。本当に基地を必要だと思うのであれば、反発する人々と対話し理解を得ることこそが重要であるにもかかわらず、やっていることはその真逆です。
 何より反対運動の背後に何らかの組織が関わっているという考え方こそ、自民党の沖縄への蔑視を明らかにしています。反対運動に黒幕を設定するということは、沖縄県民が自発的に運動を行うことはあり得ないと見下しているということだからです。

【書評】在日特権と犯罪

 前回『坂東忠信がまたデマ本を出すようなので彼の過去のデマを蒸し返す』で予告したように、本日立ち読みしてきました。感想としては、わざわざ立ち読みしてきたのが既に過剰な労力だったなという印象です。既に過去の記事で指摘している内容に、2chまとめでいつでもただで読めるネトウヨの妄想を足して1冊の分量にした感じの本です。
 なのでわざわざ1つ新しい記事を立てるのもどうかと思ったのですが、一応やっておきます。デマに関する詳しい検証は上掲のリンク先の記事をご覧ください。

 ネトウヨには母集団の数を考えないというルールがあるらしい
 もう見出しでオチていますが。つまりはそういうことです。本書のでなされている主張は「中国人や韓国人の犯罪者が多いからこの民族は危ない」というものです。日本にいる外国人の中で一番多いのは中国人や韓国人なので、当然そうなります。民族性として犯罪性があるという根拠には一切なりません。
 もしこのような主張が通るなら、検挙人員の95%以上を占める日本人は他の外国人と比較にならないほど危険という話になります。
 また、罪種によってはベトナムとかペルーとか、中国韓国の比にならないほど検挙人員の多い国籍とかも出てくるのですが、決して彼らが危険だという主張はなされません。著者もさらりと流している程度です。彼らの主張が結論ありきで構成されていることがよくわかります。

 犯罪率高=民族的犯罪性の存在証明ではない
 『新・外国人の犯罪は多いのか検証してみた』で計算したことがあるように、日本人と外国人の犯罪率を計算すれば、一応は日本人よりも犯罪率は高くなります。しかし、著者がそうしているようにこれだけをもって特定の民族に犯罪性があるかのような主張をするのは誤りです。なぜなら、このデータは犯罪率と民族性との因果関係を証明するものではないからです。
 犯罪率に影響を与える要因は無数にあります。例えば収入がそれです。外国人の収入が日本人より低ければ、それが犯罪率の上昇に影響しているといえます。また、故郷から離れ言葉の違う日本にやってきた外国人は、ソーシャルキャピタルの欠乏に陥る可能性も日本人より高いでしょう。これも犯罪率を上げると考えられます。もっと言えば、日本人なら軽い説教で済む程度の事件でも、外国人は偏見の眼に晒され検挙されやすいという原因も挙げられます。警察内部にそのような偏見があることは、元警察官の著者が存分に証明してくれています。

 在日特権?
 本書では、タイトル通り一応在日特権について触れられています。在日特権というのはネトウヨの中で最も有名なデマですが、それをさもネトウヨが暴いた真実みたいに書いてしまうあたり著者の頭の緩さが見て取れます。バカボンでも外れたネジは1本だけだったというのに。
 そんな失笑ものの在日特権の中に、在日は強制送還がないというものがあります。これは在日コリアンの歴史的経緯を考えれば当然です。在日コリアンの特別永住権は、勧告を併合した後一応は同じ日本人という扱いだった朝鮮人の日本国籍を、戦後日本政府が一方的に奪ったところに端を発しています。特別永住権に文句があるならば、このような失策を行った日本政府をまずは責めるのが筋です。
 在日コリアンのルーツの1つは確かに朝鮮ですが、生活の基盤は寧ろ日本の方に強くある場合が多いです。これは2世3世になってくるとより顕著になるでしょう。雑に例えるならば祖父母が熊本出身の東京っ子みたいなものです。送還しようにも、他の来日在日外国人と同じように母国を考えれば、それは南北朝鮮よりも日本と表現するほうが正確になります。
 もっと簡単に考えるならば、日本人に強制送還がないのと同じだと表現すべきかもしれません。正確ではないかもしれませんが。

 刑務所に外国人が多いわけ
 刑務所に外国人が多いという話もしています。無論、これも外国人に犯罪者が多いとかそういう話とは異なります。上述のように、外国人への偏見の眼が、彼らの更生可能性を低く見積もらせ有期刑となる確率を押し上げている可能性もありますし、執行猶予の決め手となりやすい身元引受人のような社会とのつながりが不足している可能性もあります。
 しかし著者は、刑務所に入れられることがむしろ外国人を優遇しているかのように書いています。自分の生活が囚人以下になっても、政府ではなく刑務所に文句を言ってくれるなんて、政府にとってはこの上なく便利な「臣民」でしょう。

 本書は、大学生のレポート以下というか、利口な中学生ならもっとまともな文章を書けるというレベルのものです。これでお金になるのですから、本当にネトウヨ相手のビジネスはちょろいし、楽でいいなぁと思います。お金に困っていることですし、私もネトウヨに受けるブログでも初めて儲けましょうかね。 

 ちなみにさっき調べたら『燃えろ国論 燃やすな日本「在日特権と犯罪」発売!』というタイトルで著者がブログ記事を書いていました。この記事には図表もあるのですが、はっきり言ってこの図表が本書にある資料の8割だと思って構いません。やはり立ち読みですら過剰な労力でした。
 国論を燃やすより、本書を燃やして芋でも焼いた方が有益です。

 坂東忠信(2016).在日特権と犯罪 青林堂 

「暴力装置」の意味が変わりつつある警察

 沖縄・高江のヘリパット建設現場における反対運動で、現地の警備に派遣された大阪府警の機動隊員が反対運動をしている住民に対して「土人」「シナ人」と発言したことが問題になっているはずです。はずというのは、どうにも問題の重大さに比べて、特に大阪府知事や沖縄北方相といった、この問題と直に関係のある責任者の反応が鈍いというか、頓珍漢に見えるからです。

 「土人」がダメな理由を説明する必要が?
 こういった問題が表面化した時の恒例なのですが、無理筋な擁護がやはりみられます。代表的なものは「反対派も悪い」というものです。ネットでは基地反対派に対するデマがことあるごとに流されているので、ここでいうところの「基地反対派がこんなことを!」の全てが事実であるとは到底考えられないのですが、百歩譲って全てが事実であったとしてこの発言が正当性を持つことにはやはりなりません。
 どのような状況であれ言うべきでないことがあるということや、相手が悪いということは自分の正しさを担保しないということを今更いちいち説明する必要があるのでしょうか。この程度のことも共通見解として共有できないほど、日本人というのは程度が低い国民だったのでしょうか。

 なぜ「土人」発言がなされたのか
 一応、機動隊員は何らかの処分を受けたようですが、しかし例の隊員個人を処分して終いにすることは、ただのトカゲの尻尾切りであり、問題の解決にはつながりません。
 このような発言がなされた背景に、組織やそれを指揮する権力者にそのような発言を肯定するような姿勢があったことは論を待ちません。権力者にそそのかされ致死量の電流を与えることになったミルグラム実験を持ち出すまでもないでしょう。違いがあるとすれば、この隊員には良心の呵責はなかっただろうなということです。
 権力者が明確に今回の発言を否定しないことは、機動隊の差別的な姿勢に拍車をかけることになるでしょう。そういう意味で、松井府知事や鶴保沖縄相の寝ぼけた発言は政治家として最悪の判断だったと言えるでしょう。それ以前に人としての姿勢に疑義が挟まれるべき発言ですが。
 などというジャーナリストもいましたが、ただでさえ暴力的な集団の匿名性を高めれば余計に暴力的になるのは目に見えています。アメリカで発生しているピエロ事件と同じメカニズムです。

 暴力装置の意味が変わる
 本来、警察や軍隊を指す「暴力装置」は、秩序維持のために制度化された暴力を行使する集団とその構成員といった意味でした。
 しかし現在の警察は、ただ単に「制度を飛び越えて暴力行為を働くが警察であるという理由で黙認されている」集団といった意味で暴力装置と化しています。
 機動隊員への擁護の中に、反対派を引き合いに出すものがあるということはすでに書きましたが、一般市民と制度に支えられて暴力行為を働く機動隊員とで求められる厳格さに差異があるのは当然であり、そういう意味でも「わかっていない」擁護であるといえます。

 今回の問題を解決するには、もはや今回の問題を解決するだけでは足りません。ようするに、今回の問題は結局ただ単に日本における差別意識とその対策への遅れが噴出しただけなので、この大元を解決する必要があります。とりあえず、府知事と沖縄相のクビを切るところからですかね。 
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』『生徒会の相談役』『車椅子探偵とデスゲームな高校』犯罪学ブログ『九段新報』など。質問はhttps://t.co/jBpEHGhrd9へ
E-mailアドレス
kudan9newbridge@gmail.com
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