ずっと書こうと思いつつ今に至る話題です。すっかり時節は外しました。
 自民党は、返済する必要がない給付型奨学金について、原則として高校時の成績が5段階評定で平均4以上であることを条件に、月3万円を給付する方向で文部科学省と調整を始めた。対象者は7万5千人程度になると見込んでおり、年300億円近くが必要になるとみている。具体的な制度案について、来週にも取りまとめる。
 給付型奨学金については、文科省が住民税の非課税世帯などの大学生らを対象に、一定の成績基準を設けることを検討。2018年度の入学生から導入する考えだが、自民党は前倒しして17年度からを主張している。
 高校成績「4」以上→月3万円 給付型奨学金の自民案-朝日新聞
 微々たる額でしかも給付される人数も限られているのでしょうから、焼け石に水もいいところでしょうが、少なくともいい方向に進んでいるのは事実なので、そこは素直に喜ぶべきでしょう。
 しかし気になるのが、給付の条件に成績が入っていることです。5段階評定が大学生の成績を測るのに不適当だという話はさておき、そもそも奨学金の条件に成績を持ち出すことは、奨学金の目的や性質上全く適当ではありません。以下、その理由を論じます。

 安定した学業を受けられなくなる
 条件に成績を持ち出す以上、どのような形であれ「成績が悪くなったから給付を打ち切る」というケースが多かれ少なかれ出てきます。自民党は怠学によって成績が落ちた人を対象から外すことを念頭に置いているのでしょうが、自民党の思惑とは異なり、成績の上昇降下は怠学によってのみもたらされるものではありません。心身の不調や私生活のトラブルでも生じるでしょうし、あるいは何もなくともある程度上下するものです。
 奨学金を受ける学生の多くは、それがなければ安定して大学に通えなくなるような状況にあると考えられます。もし成績がボーダーにあり、何らかの事情で成績が下がり給付が打ち切られるような可能性があるのであれば、大学進学を躊躇い、場合によっては諦めざるを得なくなるでしょう。

 低い人にこそ必要
 学業成績と親の収入には相関があることはすでに知られています。であれば、成績が十分高い人よりも低い人の方が奨学金を必要としている可能性が高いことは明らかです。成績によって受けられる人とそうでない人を切り分けることは、高収入世帯にばかり奨学金を集中させ再分配における公平性を崩すことにもなりかねません。
 財務省は、返す必要がない新たな「給付型奨学金」の導入に向け、19~22歳の子どもを養う親などの税負担を軽くする所得税の「特定扶養控除」を縮小する検討に入った。税収が増えた分は、親の収入が低くても大学などに進みたい若者の支援に充てる。
 国による給付型奨学金の創設は、安倍内閣が8月に閣議決定した経済対策に盛り込まれた。文部科学省は、生活保護・住民税非課税世帯など年収が低い世帯の学生を対象に、2018年度の入学生から利用できるよう、支給要件や給付額を詰めている。
 19~22歳扶養控除、縮小検討 給付型奨学金の財源に-朝日新聞
 特定扶養控除をなくし、成績を条件にした奨学金にするというのは、逆進的な差異分配とも言えるでしょう。自民党は金持ち優遇になるから給付額奨学金に乗り気になったんじゃないの?というのは流石にうがちすぎだとしても(文科省は収入に上限を設けることを考えてるようですし)、結果的にはそうなり得ます。
 また国家の成長戦略としても、突出した逸材を意図的に育てることは難しくても、能力の低い人を底上げするように育てることは比較的容易であること考えれば、成績の低い人にも大学進学の機会を与えることは理にかなっているはずです。

 権利だから
 そして最後に重要なのは、教育を受けるのは権利であることだということです。権利を保障されるのに条件が必要なのであれば、それは権利とは言わず、補償されているとも言いません。
 大学進学が教育を受ける権利の一環であるならば、それを保障する奨学金も本来無条件に与えられてしかるべきです。

 現実的な奨学金案
 親の収入にせよ学校の成績にせよ、なんらかの条件をもって対象をふるい落とさなければならないのは、単に財源が不足しているためと再分配が全くうまくいっていないためです。
 例えば、金持ちからごっそり税金を取り、低所得者からはあまりとらないようにすれば、奨学金にわざわざ所得の上限をつけずとも結果的に分配される額は同じになるはずですし、収入を証明する書類を準備しなくてよくなればより活用しやすい制度になり、確認する必要がなくなればそれに割いていた税金を奨学金そのものにまわすこともできます。
 もっとも、取られている税金の額を見た限り財源がないはずはないと思うんですがね。リニアを作ったりオスプレイを買ったりはするのに……。