医療が発達し高齢化が進む現代において「安楽死」の問題は避けては通れないものでしょう。しかし我々はこの問題を考えるさい、病気で寝たきりになったパターンなど「体の不調による苦痛」から逃れる場合を想定しがちです。恐らくこの記事のような状況を想定したことのある人は稀でしょう。
 【ブリュッセルAFP=時事】強姦(ごうかん)殺人などを繰り返し、ベルギーの刑務所に30年にわたり収監されている男が「耐え難い精神的苦痛」を理由に安楽死を要求、認められたことが15日、明らかになった。男は数日中に安楽死のため病院へ移送される。男の弁護士がテレビ番組で語った。
 弁護士によると、男は自らを社会の脅威だとして早期仮釈放を辞退していたが、収監環境は非人道的だとも主張。男自身が録画映像で「過去にどんなことをしたとしても私は人間だ。だから安楽死させてくれ」と番組を通じ訴えた。
 ベルギーでは2002年、オランダに次いで世界で2番目に安楽死が合法化されており、13年には約1800人が選択した。
強姦殺人犯の安楽死認める=30年の収監の末―ベルギー 時事通信 9月16日(火)6時2分配信
  この記事に対する反応としては「被害者に苦しみを与えておいて自分だけ逃げるのか」といった類の反応が目立つように感じられました。
 果たして刑罰を受けている受刑者は安楽死を認められるべきなのでしょうか。これは応報刑論の立場をとるか目的刑論の立場をとるかで考えが変わるでしょうし、刑が有期か無期かでも変わると考えられるので、4つのパターンで考察してみたいと思います。

 応報刑論の立場をとる場合
 先程4つのパターンと言いましたが、応報刑論の立場をとる場合には刑が有期でも無期でも変わらなさそうなので3パターンという方が正確かもしれません。
 というのも応報刑論というのは簡単に言えば「罰は罪に対する報復である」という立場なので、その罰から途中で降りることを許すとは思えないからです。もし死がふさわしい罰であれば最初からそれを与えるべきとも考えるでしょうし。
 そういう考え方なら、上述の「被害者に苦しみを与えておいて自分だけ逃げるのか」のような反応が出るのも当たり前かもしれません。

 目的刑論+有期刑の場合
 この場合もあまり意見が分かれることはないと思います。目的刑論というのは何らかの目的を達成するために刑罰を利用する考え方のことで、その目的の1つに「犯罪者が再び社会で罪を犯すことなく暮らすことが出来るように更生させる」というのがあるからです。目的の妥当性自体は問題ないでしょう。すべての犯罪者を刑務所に閉じ込めておくことが現実的でない以上、更生は必要不可欠なので。
 で、安楽死というのはこの目的に明確に反します。刑の目的のために受刑者を苦しめてでも社会にほっぽり出すのかという話ではなくて、受刑者が死にたいと思う要因を解決できない状況が目的に反するということです。
 これは安楽死問題一般に言えることなんですが、死にたいと思う以上何らかの理由があるはずです。例えば受刑者が「刑務所の待遇が酷いから死にたい」というのであれば刑務所に問題がありますし、「社会に出ても生きていける気がしない」というのであればそうした社会のありように問題があると考えられます。受刑者の心の問題で死にたいと考えるならそういった問題を解決できない支援状態に問題があるのです。そして、受刑者が死にたいと考える程の状況は他の受刑者の更生の妨げになる蓋然性が高いのです。
 こうした状態を放っておいて「いいですよ死んでください」となれば間違いなく問題の解決が遅れます。どころか、受刑者の生きるための諸権利が著しく侵害されている状態を「受刑者が犯罪を犯して刑務所に入れられて、自分で死を選んだ」と責任転嫁される恐れもあります。受刑者の更生を考えるなら、安楽死は認めるべきではないでしょう。

 目的刑論+無期刑の場合
 最大の問題は目的刑論の立場をとり、かつ受刑者が無期の懲役に服している場合でしょう。
 この場合刑罰の目的から「更生」が外されていると考えるのが妥当でしょう。一応日本の無期懲役には仮釈放があるのですが、他の刑罰に比べて厳しい条件が課せられていますし、刑を与える段階でも一般社会に戻ることが想定されているとは考えられないので、目的から「更生」が外されているという考えは妥当だと思われます。
 では刑罰の「更生」以外の目的は何でしょうか。1つは「犯罪者の隔離」でしょう。1度罪を犯した者が再び罪を犯さないように社会から隔離する必要はあります。この目的を念頭に置くと、安楽死されても構わないということになりそうです。それどころか、人1人養う金が浮いて合理的とすら捉えられるかもしれません。
 しかし、果たしてそれでいいのでしょうか。前述した通り死にたいと考える程の状況が刑務所にあるならばそれは有期無期の区別に関わらず問題があります。死にたいほどの状況というのは、なにも暑さ寒さや、ひもじささだけからくるものではないでしょう。あまりにも娯楽がないような状態で過ごせば死にたくなるのも想像に難くないでしょう。安楽死を認めることは有期刑の場合と同様にこうした問題の解決を遅らせることになりえます。それは目的以前に人権の問題です。「必要以上に受刑者の人権が制限されている」状態は目的に関わりなく解決すべき問題です。

 死刑廃止論との兼ね合い
 最後に、あの記事への反応の中に「死刑廃止派はどう考えるか」という疑問が見られたので、死刑廃止論者として自分の考えを述べておきます。
 死刑廃止論には「仮釈放のない無期刑は死刑と同じくらい人権を侵害している」という考え方があります。安楽死を望むような状態での刑務所暮らしは当然「仮釈放のない無期刑」と同程度に人権を侵害していると考えるべきでしょう。であれば我々がすべきは死ぬ権利を認めることではなくて、死にたいと思わせる原因を突き止め解決することでしょう。
 これは補足ですが、私は安楽死問題を「死ぬ権利の問題」とはとらえていません。死にたいと思うということはどこかでその人の生きる権利が侵害されていると考えるべきだと思っています。理論上は人には死ぬ権利があるが、それを行使しようと考えるときは生きる権利を侵害されている時なので、実際は生きる権利が充足されているなら死ぬ権利を行使することはないと考えています。受刑者の問題に限らず、死ぬ権利が問題になるときはまず生きる権利が十分満たされているか考えるべきでしょう。