九段新報

犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。

犯罪捜査

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「膨大なカメラでリレー方式追跡/AIで顔認証」が歓迎ばかりもできないわけ

 この件です。
 ぼんやりと話には聞いていましたが、やっぱり「膨大なカメラでリレー方式で追跡」という方法でした。
 確かに、最新技術の発展は目覚ましいものがあります。これらの技術を利用すれば犯罪者をより迅速に逮捕できるでしょう。しかし、歓迎ばかりもしていられない事情もあります。

 リレーの途中で間違える可能性は?
 まず、このリレー方式って間違える可能性はないのか?という疑問が浮かびます。当然ながら、1回の試行での失敗率が低くとも、それを繰り返せば無視できない程度の失敗率へと膨らんでいきます。仮に防犯カメラに映った誰かを見誤る可能性を1%しかない、つまり99%正しく認識できるとしても、それを10回繰り返すと正しく認識出る確率は90%程度に落ち込みます。

 もちろん、犯罪捜査は監視カメラの映像だけで行うわけではありません。「適切な」捜査を行えば監視カメラの追跡で誤ってもそのことに気づくことができ、そして冤罪を防ぐことができます。
 しかし現在の警察にそのことを期待するのはいささか楽観的でしょう。
 東京都八王子市の40代男性も2016年、不鮮明な防犯カメラの映像などを根拠に、2年前の傷害事件で逮捕、起訴された。牛田喬允弁護士によると、警察の初動が遅れ、より鮮明な映像が映っていたかもしれない防犯カメラを押さえられなかった可能性があるという。
 男性側が、犯人が逃走に使ったタクシーを突き止め、ドライブレコーダーの映像を入手。別人が映っていたことが決め手になり、公訴棄却になった。牛田弁護士は、「少ししか残っていないのに、映像が過度に使われている」と問題提起する。
 今年3月、最高裁で逆転無罪判決を受けた、広島県のフリーアナウンサー・煙石博さんも防犯カメラの映像で冤罪被害を受けた1人だ。
 煙石さんは2012年、広島県内の銀行で他の客が置き忘れた封筒に入っていた6万6600円を盗んだとして、逮捕・起訴された。映像に煙石さんが封筒を手にしたシーンはなく、指紋も検出されなかったが、ほかに封筒に近づいた人がいなかったことから、一審・二審は有罪判決を下した。
 これに対し、最高裁は、映像から煙石さんが封筒に触れていないと認定した。封筒には最初からお金が入っていなかった可能性がある。「監視カメラの映像を都合よく使われた。映像は科学的に分析・解析して、公正中立に扱うことが大前提だ」(煙石さん)
 冤罪を生む「防犯カメラ」、憤る冤罪被害者「都合良く抜き出され、こじつけられた」-弁護士ドットコムNEWS
 防犯カメラの映像の中から都合のいいものだけを抜き出し、ほかにあった決定的な無罪の証拠を握りつぶすという捜査手法を警察や検察はたびたび行ってきていました。
 リレー方式で追跡するという方法は、労力がかかる分一度出した結論を訂正できず、冤罪へ突き進む恐れは従来の方法よりも強くなると考えていいでしょう。

 「AIで顔認証」も危ない
 また、引用した動画で紹介されている「AIによる認証」も危うい要素を持っています。というのも、AIの判断基準は複雑でわかりにくく、場合によっては作成者にも説明が不可能であり、なぜ映像の人を容疑者と同一人物であると認定したのかわからない可能性があるからです。
 極端な話、裁判で「容疑者が映像に映っていました……とAIが判断してます」という検察の証言が行われるかもしれないということです。その証言に反論しようにも、なぜそうAIが判断したかわからないとどこをどのように反論すればいいかもわかりにくくなります。

 また、高度に発展したAIの判断基準を、裁判官が正しく理解して判決を下せるかという疑問をあります。往々にして、裁判官は「検察の言っていることのほうが正しいだろう」というバイアスにとらわれていますから、AIのブラックボックス的な判断基準を鵜呑みにして、結果検察の無双状態、というのはあくまで最悪のシナリオですが、現状の司法制度だとわりと現実的な想定になってしまっています。

 所詮、あくまで防犯カメラもAIも道具にすぎず、適切な捜査が可能かは警察や検察のありように左右されます。いまのままではまず碌なことにならないだろうなと危惧しています。
 ハロウィーンの渋谷で大騒ぎをして、軽トラックを押し倒した男たち4人を逮捕。
 警視庁のエース部隊を投入してのスピード捜査には、あるメッセージがあった。
 「酒を飲んだノリでやってしまった」。
 5日朝に逮捕された、4人の男。
 警視庁の捜査員たちは、この事件を「2018クレイジーハロウィーン事件」と呼んでいた。
 スピード逮捕「逃げ得は許さん」 渋谷ハロウィーン事件-FNNPRIME
 っていうか、今回の逮捕劇、スピード逮捕ってはしゃいでいる記事があったのですが、なんで現行犯逮捕できなかったんでしょうね。警備で警察官も配置されていたでしょうに。衆人環視のもと堂々と発生した事件にもかかわらず1か月もかかっています。全然スピードじゃない。

【書評】証言台の子供たち [甲山事件]園児供述の構造

 今回の書評は目撃証言の供述分析を行った貴重な一冊。これ以降、証言の信頼性という概念が市民権を得るようになった気もするのですが、正確な犯罪捜査へはまだまだ時間がかかりそうです。

 供述分析とは何か
 そもそも、本書で行われている供述分析とは何でしょうか。供述分析とは目撃者の証言や容疑者の自供の変遷を追いかけることでその証言がなされたときにどのような力が加わったのか、どのような理由があって供述が変遷したのかを明らかにする分析手法です。
 通常、人の記憶は実にあいまいで不確かなものであり、それゆえに供述が繰り返されると細部が、あるいは大きく変容することがあります。その変容の在り方を詳しく検討することで供述の信頼性を確かめるのです。
 本書では甲山事件の裁判で証言台に立った園児五名の証言を検討していますが、その変遷過程を辿ると奇妙な事実が浮かび上がります。
 この事件で園児たちに求められたのは、容疑者となった保育士が被害者を連れ出すという極めて日常的な一コマでした。園児たちはあとになってその場面が犯行の瞬間であったらしいと教えられたのであり、それ以前の認識ではさほど重要な場面であるとは思えないものでした。そのような場面を供述するので彼らの証言は当然大きく変遷を辿ります。
 例えば、目撃したはずの行動の順序が入れ替わっているという事実。行動の細部までを記憶している人間はまずいないので、そういった部分が変容しているのであれば理解できます。しかし人が自分の目で見た行動を証言として再構成するとき、あれをしてからこれをしたというその行動の流れの順序まで変容するとは考えられません。これは捜査員が意図的か非意図的かはともかくある種の予断をもって証言を聴取した傍証です。
 また当初はてんでばらばらと言うべきほどだった園児たちの供述は、3年の月日を経て見事と言わざるを得ない収斂を見せ容疑者の犯行を再構成します。しかし5人の園児の、3年前の目撃証言が一切の矛盾なく完璧に合致することはあり得ないでしょう。
 証言の変遷では、一旦思い出したはずのものを次の取り調べで否定するという奇妙なものも見られます。特に3年前の出来事を「思い出し」てからがひどく、思い出したはずのことがこんなに大きく変遷するだろうかと首を傾げざるを得ません。

 冤罪の構造
 検察は事件当時、一度は起訴を諦めますが3年後に新証言が登場してから起訴を行い、一審で負けた後も控訴するという無茶な法廷戦略をとり続けました。著者はこのような冤罪が起こる原因の一つとして「精神薄弱児」に対する認識の問題を挙げています。
 精神薄弱児という言い方は昔のものなのですが、本書を読む限りこれは今でいうところの知的障害児を指すのであろうと思われます。検察は証言が大きく変遷することに関しても、捜査員の誘導で記憶が歪められたり意図的な作話があったのではないかという指摘に関しても「精神薄弱児だから仕方ない/あり得ない」という論理で反論してします。
 著者はこれを完全否定し、精神薄弱児でも作話は可能であり、また供述の変遷も検察が言うように「その場の気分」だけが関連するランダムなものではないと指摘します。
 知的障害と一口に言ってもその容態は幅広く、甲山学園に限っても会話のできる者と出来ない者が混在していました。知的障害は知能検査によるIQが一定以下だとそう認定されるのですが、一般的な知能検査では動作性IQや言語性IQのように知能の種類によってIQを分ける場合が多く、要するに「会話は得意だけど計算がさっぱり」というような知的障害児が存在しうるのです。
 故に「知的障害児だから」という大雑把な論理で供述の矛盾を糊口しようとする検察の論理は認めることができません。著者は供述を「知的障害児である」という点にかかわらず分析し信用性を否定しました。その結果裁判では弁護側の主張が認められ無罪を勝ち取ることができたのです。

 浜田寿美男 (1986). 証言台の子供たち [甲山事件]園児供述の構造 日本評論社

【書評】現着 元捜一課長が語る捜査のすべて

 今回は「現場の捜査員が語る」系の一冊。まぁ捜査時の動きとか警視庁のシステムとかは興味深いですし、なかなか表に出てこないものなので資料としても優れているとは思うのですが、一方で行間からにじみ出る著者の思考形態もなかなか興味深いものがあります。

 被疑者への敵意がすごい
 本書を通読してまず感じるのが、著者の被疑者への敵愾心です。そりゃ、警察官なのだから犯人へは敵意も持つでしょうけど、推定無罪の原則とかどこに行ったのだろうという気もします。このような人々に取り調べを受けるのは確かにきついものがあるでしょう。
 特にその敵愾心がピークに達するのは、とある放火殺人事件の被疑者に対してでした。この被疑者、かつて警察のお粗末な捜査の末に10件もの殺人事件に問われ、無罪となった人物でした。なおそのことは『』にも紙幅を割かれて書かれていました。犯罪に関する著作を読んでいると時折こういう数奇なことが起こります。
 著者は被疑者のことを、支持者に取り囲まれていて厄介な人物として描写しています。結局のところ捜査員の慧眼と機転により決定的な証拠をつかみ有罪にしますが、そもそも支持者に取り囲まれるような状況にしたのは自分たちのずさんな捜査だったという視点がぽっかり抜けているようにも思えます(著者はその事件に直接かかわっていなかっただろうとはいえ)。

 非合理性への信奉
 もう一つ、目についたのは非合理的なものへの信奉でした。犯罪捜査という不安定な作業に従事する以上、何か神頼みのようなものをしたくなる気持ちはわからないではないですが、それが行き過ぎるとあらぬ方向へ転がりかねません。
 現場では著者も推理力を働かせますが、それがいささか雑というか、ミステリなら間違いなく無能警察のやるようなことを平気でやっているのも目立ちます。独身女性がお茶を出すとき茶托を使わないはずがないなど、そうかもしれないけど……と言わざるを得ません。むろん本書にはその山勘が成功した事例しか載っていませんが、それが外れてお宮入りした事件だって無数にあるのでしょう。
 警察の体育会系的な組織風土や旧態依然とした文化も多く出てきます。上司の飲みに付き合わされたなど、警察小説を書くには格好の題材かもしれませんが、捜査される側からすればこんな非合理的な集団に犯罪捜査を任せていいのだろうかと不安にも思います。

 そのような組織風土は警察をまとめ上げ、結果として多くの事件解決に貢献した側面もあるのでしょう。しかし、それが同時に冤罪を生み続けるシステムの根幹をなしているような気もしないではありません。善悪表裏一体の組織ですが、捜査するときはせめてその悪い面が出ないようにしてほしいものです。

 久保正行 (2012). 現着 元捜一課長が語る捜査のすべて 新潮社

「強姦被害者が処女かどうかは捜査に必要な情報」という主張

 前回でも言及した、フリージャーナリストに対する準強姦事件に関することです。
 「捜査員のみなさんから、『処女ですか?』と質問されました。『なんのための質問ですか?』と聞いたら、『聞かなくてはいけないことになっている』と。捜査のガイドラインに載っているんだと思いますが、そうならとてもおかしいことだと思います」
 そう話すのは、元TBSのジャーナリスト山口敬之氏(51)から、レイプ被害を受けたと訴えているジャーナリストの詩織さん(28)。詩織さんは5月29日、山口氏が不起訴処分になったことを受け、検察審査会に不服申し立てをしたあと“実名・顔出し”の記者会見を行い、注目を集めた。
(中略)
 「捜査の過程では、被害者として耐えられないことがたくさんありました。所轄の高輪署では、男性警官がいる前で私が床に寝転がり、大きな人形を相手にレイプされたシーンを再現させられました。さらにそれを写真に撮られるんです。口頭で説明すれば状況はわかることなのに、なんでこんな屈辱的なことをしなくちゃいけないのか。ほんとうに苦しかった……」
 詩織さんの口からはまさに“セカンドレイプ”のような捜査の実態が語られた。8日、性犯罪に関する刑法の厳罰化に向けた法改正が衆議院で可決された。しかし詩織さんは「こういう捜査の方法から変えていかないと、被害者が警察に届け出できない。いくら性犯罪の法律が厳罰化されても救われない」と指摘する。
 とくに詩織さんのように知人からレイプ被害を受けたと訴えた場合、「合意があったのでは?」と被害を受けた側が疑われ、被害届を受理されるのすら難しいという現実がある。
 「処女ですか?」と聞かれ…詩織さんが語る“捜査中の屈辱”-女性自身
 強姦被害者が、残念ながらたいていの場合直面する困難の1つに、捜査を担当する警察官からのセカンドレイプがあります。ここでは主に、処女かどうか何度も尋ねられたことと、自身が事件の再現をさせられた点が指摘されています。
 再現の点に関しては後述するとして、ここで注目するのは被害者の処女性に関する部分です。

 捜査に必要?そのわけは
 この点、擁護の使用もないだろうと私は考えていたのですが、人によっては考えを異にするようです。
 彼らの主張によれば、強姦罪と強姦致死傷罪で量刑が違い、捜査方針も異なるから確認が必要だということです。
(強姦)
 第百七十七条
 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
(親告罪)
 第百八十条
 第百七十六条から第百七十八条までの罪及びこれらの罪の未遂罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
(強制わいせつ等致死傷)
第百八十一条
 第百七十六条若しくは第百七十八条第一項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2 第百七十七条若しくは第百七十八条第二項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、無期又は五年以上の懲役に処する。
 刑法から関係する条文を引用しました。強姦罪は同意を得ない性行為に対する罪、そこに傷害や殺人が加わると強姦致死傷となるというイメージでいいでしょう。親告罪ではない犯罪が組み合わさるから、セットになっている強姦に関しても非親告罪として扱われるといった感じでしょうか。確かに、条文を見る限り2つの罪ではその捜査方針が大きく異なり、故に傷を負ったかの確認は必要だという主張は正しいでしょう。
 しかし、それでもなお被害者に処女かどうかを尋ねることに正当性が保証されるとは考えられません。というのも、被害者が処女かどうかという情報は、それだけでは被害者が強姦された際に傷を負ったかについて何も語らないからです。
 このような捜査の背景として、強姦時に処女膜が破裂した場合強姦致傷となるという判決があるようです。しかし医学の常識として、処女であるからと言って必ずしも処女膜があるとは限りません。この場合、被害者が処女だったとしても強姦致死傷には当てはまらないということになるはずです。一方被害者が非処女であっても、被害の際に怪我を負えば強姦致死傷に当たる可能性があるはずです。
 要するに、警察官が本来尋ねるべきなのは被害の際に怪我を負ったかどうかであり、被害者が処女かを確認することではありません。というかこんなこと、被害者に聞くよりも先に被害者を治療した医師に尋ねたほうが確実だと思うんですがね。病院にかかっていた場合。
 ちなみに元検事の弁護士氏はこんなことも言っていましたが、後続のツイートのように意味はさっぱり分かりませんでした。

 再現に関して
 事件の再現に関しては、ある証言によると前は人形ではなく男性捜査員でやっていたようで、警察の前時代性を思わせる話だと思います。
 どうしても再現が必要ならば別の女性捜査員が行って、被害者は口述で説明するとか、今ならCGを使うとかいろいろできそうなので、その辺はきちんと強姦事件における事情聴取のあり方を見直すべきでしょう。

よろしい、では「極左暴力集団」の定義を教えてくれ

 沖縄県の米軍基地周辺で展開されている反対運動について、警察庁の松本光弘警備局長は9日の参院内閣委員会で「反対運動を行っている者の一部には極左暴力集団も確認されていると承知している」と述べた。基地反対運動に過激派が関与している実態はこれまでも沖縄県警が指摘していたが、国レベルで認めたのは初めてとみられる。無所属の和田政宗氏に対する答弁。
 松本氏はまた、平成27年以降の検挙状況も説明。米軍北部訓練場(東村など)や名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺での抗議活動参加者による威力業務妨害事件が32件あり、41人を逮捕したことを明らかにした。委員会終了後、和田氏は自身のツイッターに「極左暴力集団とはテロや殺人を行ってきた過激派を指す。こうした集団が基地反対運動に入り込んでいる事は極めて恐ろしい」と投稿した。防衛省幹部は同日、「県外から沖縄に入った過激派が、反基地運動を先鋭化させている側面もある」と指摘した。
 沖縄の反基地運動に「極左暴力集団を確認」 警察庁幹部が参院で答弁 国レベルで認めたのは初めて-産経新聞
 この件です。この記事を見て「ええ、暴力集団が!コワイ!」と思った人は権力を信用しすぎなので気をつけてください。

 そもそも「極左暴力集団」って何よ
 北海道警察のHPにはこのように説明があります。
 過激派(極左暴力集団)とは、平和で自由な民主主義社会を暴力で破壊、転覆しようと企てている反社会的な集団です。過激派は、その成立の経緯や信奉する理論などから様々なセクトに分かれています。中でも革マル派は、表面上暴力性を隠して市民運動に参加したり、主要産業の労働組合などへの浸透を図り、組織の拡大に向けた様々な活動を行っています。
 過激派(極左暴力集団)とは?-北海道警察HP
 お察しの通り、法的にあるいは操作的に明確な定義があるわけではありません。一体何を持って「極左」なのか、どこまで行ったら「暴力集団」なのかは謎に包まれています。
 裏を返せば、何を持って極左暴力集団とするかは警察に一任されているということになります。極左暴力集団という用語自体警察内で使われるだけの用語なので、警察が「この集団は極左暴力集団だ!」と言えば活動実態はどうあれ極左暴力集団ということになってしまいます。

 本当に極左暴力集団いるの?
 よしんば極左暴力集団が極めて明確に定義されていたとしても、問題は残ります。国会答弁で警備局長が認めたとのことですが、この認識が正しいか証明するものは何もないのです。証拠を求められる裁判所ではないので、言うだけタダというわけです。質問をした和田氏は「極めて恐ろしい」などとカマトトぶって書いていますが、基地反対派に過激な人間がいると印象付けるためになされた質問であることは明白でしょう。国会答弁で述べたというだけで真実であるかのように扱うのは、真実に対してあまりにも粗雑な態度です。

 威力業務妨害にしたって
 また産経新聞は威力業務妨害による逮捕者なども並べていますが、これも意味がない数字です。威力業務妨害をどのような基準で現行犯逮捕するかもやはり警察の一存であり、逮捕者を多数出して過激な運動であるという印象をつけたければ手当たり次第に捕まえて逮捕者を水増しして、後で釈放すればいいだけの話です。逮捕というと明確な基準の元に運用されているかのような印象がありますが、実際にはかなり警察の恣意的な基準で使われているのです。

 県公安委員会が高江で反対する市民について「犯罪勢力」と表現していたことがわかりました。これは沖縄平和市民連絡会が県公安委員会に情報公開請求を行い明らかになりました。
 文書では警視庁と5つの県警から派遣されている警察官の人数や派遣期間が非開示として黒塗りにされていました。その理由として「犯罪を敢行しようとする勢力がこれに応じた措置をとり警備実施に支障を及ぼす恐れがある」などと書かれていました。
 県公安委資料 反対市民を「犯罪勢力」-琉球朝日放送
 警察は過去にも、基地反対運動を「犯罪勢力」と表現するなどしてきたようです。犯罪者を捜査・逮捕する権力集団である警察が、犯罪性のスティグマを自身の都合のいいように活用し、スティグマを付与した集団への偏見を煽り同時に犯罪者そのものへの偏見をも煽る行為は、慎まれなければなりません。

官憲の拳銃使用を無邪気に肯定し過ぎでは

 表題の通りです。
 29日午後7時20分ごろ、京都市北区衣笠東開キ町の路上で、食事用ナイフ(刃渡り約9センチ)を持った男を京都府警の警察官が発見。警告に従わずに男が刃物を持って立ち向かってきたため、北署地域課の30代の巡査部長が威嚇射撃を1回した後、4発を男の両太ももに命中させた。同区に住む男児(6)が近くに倒れており、頭部の3カ所を計10針縫うけがをしていた。
(中略)
 巡査部長は3~4メートルの距離から小西容疑者の左右の太ももに2回ずつ命中させた。小西容疑者はその後に刃物を投げ、警察官に取り押さえられたという。同署の横田政幸副署長は「現時点では適正な拳銃の使用だったと判断している」とコメントした。
 刃物男の太ももに4発 京都府警-毎日新聞
 こんな事件がありまして、拳銃使用という対応に対する反応として、あまりにも無邪気にほめたたえるようなものが多かったというのが印象です。
 拳銃使用とその批判という観点では、以前『拳銃使用について回る批判は仕方ないのでは』という記事を書いていたのですが、そこでは銃殺されたのが犬だったということもあって、「拳銃使用は適切だったとしてもそういう批判が出る方が健全」といった論調をとっていました。しかし、今回の事件ではそもそも拳銃の使用やその方法が適切だったのかというところに疑問があります。

 そもそも適切だったか
 毎日の報道では発砲の状況がよくわかりませんが、産経の報道ではもう少し詳しく書いてあります。
 「刃物を捨てなさい」
 現場近くの主婦(55)は警察官が男に呼びかける声を聞いたという。
 「誰かがけんかをしているような声が聞こえたので、窓を開けると、警察官がパトカーから急いで降りていた」
 主婦によると、警察官はドアを閉める間も惜しむように、ドアを開けたまま、男に刃物を捨てるよう指示した。自宅の窓越しだったが、主婦の目からも男が刃物を持っているのが確認できたという。
 だが、男は北に向かって逃走する。そして、銃声が響いた。
 「男が北の方へ逃げていった。それを警察官が追いかけて、その後、パン、パンと乾いた音が2~3回聞こえた。男がピストルを持っていたのだと思って、怖かった」
 【ナイフ男、母子襲撃】逃げる男、追う警官…夜の住宅街に「パン、パン」と発砲音-産経新聞
 つまり報道を総合すると、男が男児を攻撃→警官到着→男逃亡→警官威嚇射撃→男が警官に攻撃しようとする→発砲という流れだったのだろうと推測できます。
 この時点で、そもそも威嚇射撃が必要だったのかという疑問が生じます。男の逃亡というのが、今すぐ取り押さえないと他の人々に危害を加えかねない状況だったのでしょうか。

 もう1つの疑問は、発砲した拳銃の命中率が良すぎるという部分です。4発撃ち、両足に2発ずつ命中させています。単に命中率100%というだけでなく、均等に命中させてすらいます。報道によると、どうも男と警官の距離はかなり近かったようなのですが、それでも動いている人間に対する命中率としては驚異的です。
 これをネット上では「凄腕」などとはやし立てる反応が目立ったわけですが、私としてはもっと可能性のある推論が頭をよぎりました。それは、動けなくなった犯人に立て続けに発砲したのではないかというものです。
 無論これは根拠のない推論ではありません。例えば、FBI捜査官の銃撃戦における命中率が50%らしいのですが、銃撃戦でないことと日本の警官がFBI捜査官より銃撃に精通してはいないだろうことを勘案して、彼の命中率をやはり50%だと仮定すると、4発すべてが命中する可能性は6%ほどという極めて低い数字です。これを考えると、警官が6%の確率を引き当てる凄腕だったというよりは、4発のうち何発かは静止した的を狙ったから当たったのだと推測する方が自然でしょう。
 最大限好意的に解釈すると、慌てた警官がめくらめっぽうに撃ちまくった結果とも考えられるのですが、そうして発射された弾が両足にそれぞれ2発ずつ綺麗に命中する可能性は6%より低いことは明白であり、この可能性は極めて低いといえます。
 ちなみに、警察の使用する拳銃は1発で人の突進を止める威力はないのだとしたり顔で語る、軍オタを自称する人もいました。警察の使用する拳銃にはいくつか種類があるので一概には言えないのですが、例えば.38スペシャル弾を使用する拳銃であれば、1、2発で人の突進を止められないということはないでしょう。

 上掲の動画では.38スペシャル弾がポリタンクを粉砕しています。人間に置き換えた時にどの程度の威力になるかは想像するしかありませんが、4発撃ちこまなければならなかったということはないでしょう。

 なんでそんなに批判するの?
 ここまでの議論を、純粋に「警官カッコイイ!」と思った人は「なんでこの人はこんなに警官を批判したがっているの?」と思ったかもしれません。しかし、私がこの件を警官に厳しい視点で考えるのにも、わけがあります。
 警察は市民を守るもの、というのはあくまで表向きのイメージです。実際にはそうですし、大抵の市民は警察のそういった面にしか直面しないので、気にする人はあまりいないのですが、警察にはもう1つの側面があります。それは、市民を弾圧する側面です。これは、単に日本の警察の立場上の問題でもありますが、警察が市民を守るために他の市民を逮捕などで抑圧するという手段をとる以上、どこの国の警察でも必ず生じる問題でもあります。
 弾圧というと、精々活動家が逮捕されたりしているくらいで自分たちは関係ないという印象を持つかもしれません。それがまず誤りなのですが、それをさておくとしても我々とは無関係ではありません。というのも、我々はたとえ犯罪に手を染めていなくても、冤罪という形で簡単に警察に逮捕され得るからです。そして無理やり、時には身体的な暴力を使用して自白をとることが問題となっています。
 逮捕というのも、刑法に規定のある犯罪であり、暴力行為です。警察は、犯罪捜査目的のために、大目に見られているにすぎません。このような暴力行為の行使は、我々の生活を守ると同時に脅かすものにも容易になり得ます。それ故、警察のような公権力の暴力行使は、その適切性を厳しく監視されなくてはならないのです。
 拳銃使用にも、この議論は当てはまります。その使用が適切であるかどうかという問題は、即ち我々の権利が守られるかに関わってきます。拳銃使用が緩やかに認められれば、アメリカのように罪のない人々が銃殺され警官はお咎めなしという状況にもなり得るのです。
 だからこそ、警官が発砲したと報じられたとき我々がすべきなのは、それを安易に囃し立てるのではなく、それが適切な仕様だったのか疑ってかかることなのです。厳しい目による多角的な検証の結果、適切だというのであればそれはそれでいいのですから。 

産経新聞・貳阡貳拾年 第7部 犯罪新時代について 上

 ここ最近、産経新聞の特集『弐千弐拾年』において犯罪についての特集が組まれていますので、いくつかに分けて考察していきます。(続きは『産経新聞・貳阡貳拾年 第7部 犯罪新時代について 下』)
 このブログでは何かと産経を引き合いに出してはぼろくそに言っている気がしますが、(2)で見られるような高齢者犯罪、あるいは過去に特集があった累犯障碍者問題などは積極的に取材・報道しており、そこは評価できます。他の新聞は読んでないのでどうだかわかりませんが。

 (1)司法取引・取り調べ可視化
 政府は今年3月、司法取引の導入▽取り調べの録音・録画(可視化)の義務化▽通信傍受の対象事件の拡大-などを盛り込んだ刑事訴訟法改正案を国会に提出した。衆院の審議で、論戦の的となったのが司法取引の導入だ。他人の犯罪を明かせば起訴見送りや求刑の軽減を受けられる制度だが、野党は「冤罪(えんざい)の温床になる」と反発。「司法取引には弁護士が関与する」との内容を盛り込むことで与野党はようやく折り合い、8月に可決された。
 しかし参院で民主党は、ヘイトスピーチ規制法案(人種差別撤廃施策推進法案)の審議を優先すべきだと主張。刑訴法改正案は審議入りできないまま閉会となり、継続審議となった。自民党と法務省は次期通常国会での成立を目指す。
 そもそも、司法取引の導入は、取り調べ可視化と“表裏一体”の関係にある。大阪地検特捜部の押収資料改竄(かいざん)事件を受けた検察改革で冤罪防止のため試験導入された可視化だが、カメラの前では容疑者が萎縮するなどし、供述が引き出しにくくなったとされる。
(中略)
  ただ、司法取引の本場・米国でも、冤罪を生むとの指摘は根強い。膨大な証拠をもとに詳細に事実認定を行い、真実に迫ろうとしてきた日本の“精密司法”。それが、司法取引の導入でどう変わるのか、必ずしも見通せてはいない。
 司法取引、取り調べに変革 可視化で増えた黙秘「引き換えに導入」-産経新聞
 特集の第1回は司法取引と取り調べの可視化についてです。
 記事では取り調べ可視化のために自供を引き出すことが難しくなるという懸念から司法取引を導入したいという検察側のストーリーを無批判に採用しています。しかし今回の刑事訴訟法改正法案が元々記事でも触れている大阪地検特捜部の改竄事件が背景にあるにもかかわらず、可視化されるのはごくごく一部の、全体から言えば数%程度の割合の事件だけであること一方で司法取引その他の捜査権限拡大策は何の制限もなくどんどん放り込まれた代物であるということに触れないというのは大問題です
 少なくとも可視化が一部の事件に限られることに触れないのはミスリードでしょう。
 つまり警察や検察は自身の問題点を解消するためであるという名目の法改正で、その改善を最小限にするだけでなく新たな権限という利得をもぎ取った格好になるわけです。盗人猛々しいとはまさにこのことでしょう。
 また、日本の検察の捜査を「精密司法」 であると前提することにも無理があります。本当に精密司法ならそもそも自白に頼る必要などなく、司法取引導入の理由も生まれてないでしょう。というか、数々の冤罪に違法捜査という刑事訴訟法改正の理由もなかったはずです。

 (2)受刑者の高齢化
 国内各地の刑務所で、高齢の受刑者の割合が増えている。法務省によると、昨年末時点で全国の刑務所が収容する受刑者5万2860人のうち60歳以上の受刑者は9736人。全収容者の18・4%を占め、5年前より2・1ポイント増えている。
 受刑者数も年々増加傾向だ。平成26年版犯罪白書では、25年に入所した65歳以上の受刑者は2228人で前年比約2%増で2年連続の増加。うち約34%が2~5度目、約39%が6度目以上の再犯者だ。
(中略)
 「高齢の女性は出所後の就職が困難なので、生活に困って再犯してしまう。今後、刑務官にも介護の資格が必須になるのでは」
 加速する受刑者の高齢化 刑務官に求められる介護資格-産経新聞
 2つ目では受刑者の高齢化問題について、多角的に触れられています。確かに受刑者が老人ばかりになれば刑務官に介護の専門知識も必要になるでしょう。
 この問題は早くから浜井浩一氏ら犯罪学者の間でも注目されてきました。塀の外では仕事にもつけず、かと言って中でも仕事をあてがうわけにもいかないほどに弱ってしまった老人をどうするか。刑務所は裁判所が懲役だと決定した人を拒否することが出来ません。故に、介護施設でもどこでもはじかれた人々の最後の砦になってしまうのです。

 (3)18歳の裁判員
 20歳か、18歳か-。平成28年夏の参院選から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることが決まり、未成年の飲酒や喫煙を禁じた法律のほか、少年法や民法についても、対象年齢の引き下げ論議がかまびすしい。
 平成21年に始まった裁判員裁判と選挙権年齢の関係は密接だ。裁判員は衆議院議員の選挙権がある有権者が対象で、候補者の名簿は、選挙人名簿に連動して作成される。選挙権と同じように裁判員の対象年齢も、いずれ引き下げが検討されるはずだ。
(中略)
 不思議なほど盛り上がらない裁判員の年齢引き下げ論議。その理由として、裁判員に求められる「格」を挙げる声も根強い。
 裁判員裁判を経験したある刑事裁判官は、「人の罪を判断するにはそれなりの社会経験が求められるのではないか」と指摘する。
 現在、学業への負担などを考慮して、学生は裁判員の選任を辞退できる。ただ、この裁判官は、「社会経験の浅い学生が裁判員の一翼を担うことへの違和感がある」と指摘。こうした意識が、裁判員年齢について「今のままでいいのでは」と突っ込んだ議論を避ける背景にあるという。
 別の裁判官は、「感覚的な意見で理屈が伴っているわけではない。引き下げるべきか、据え置くべきか、明確にするためにも近いうちに議論が必要」とみる。
 その時期はいつなのか。「少年法の対象年齢引き下げとセット」。司法関係者はこう口をそろえる。
 20歳未満を対象とする少年法の適用年齢引き下げの根拠に持ち出される「少年事件の凶悪化」は、数字上では浮かび上がらない。
 ただ、自民党の特命委員会が、少年法の適用年齢を18歳未満にするよう求める提言を今年9月、政府に提出。法務省が10月、少年法に関する省内勉強会を設置するなど、論議は始まりつつある。
 数々の少年事件を担当したベテラン裁判官は、「少年事件が減少傾向だとしても、凶悪事件が報道されると『悪化している』という印象になりやすい。これが適用年齢引き下げなどを求める声につながる」と指摘。「昔に比べ動機が理解できない」との声も多く、「漠然とした少年犯罪への不安」を厳罰化により取り除こうという構図だ。
 議論されない「裁判員年齢」 18歳が18歳を裁く日は来るか-産経新聞
 成人年齢引き下げに関わる裁判員制度の問題は確かに議論が盛り上がりません。私は元々裁判員裁判に反対なので何歳が対象だろうと関係がないのですが。
 しかしここで語られている、18歳が裁判員になることへの違和感は、本当に違和感としか表現しようのないほどに薄弱なものばかりです。
 社会経験が必要だという理由は選挙権の時にも聞かれましたが、別に年齢が高いからといって社会経験が豊富とは限らないでしょうし、逆もしかりです。そもそもどんな社会経験がどの程度必要かなどということは明確に線引きすることが出来ず、だからこそどんな人でも年齢が一定以上になれば自動的に与えられるのでしょう。
 保護される少年が裁くことへの違和感というのは、突き詰めれば裁かれる立場にもなりうる一般人が裁判員となる制度そのものへの違和感ということが出来るでしょう。
 裁判員に格を求めるというのはもう噴飯ものでしょう。格以外のものを求めたから、というか核を軽視したからこそ裁判員制度なんてものを始めたのであって、そんなものにこだわりたいのなら最初から始めなければよかっただけです。
 またこの記事で看過できないのは、少年犯罪の厳罰化への議論です。漠然とした不安を取り除くための刑罰などというものは刑事法の理論には皆目見当たりません。動機が理解できないというのも相手方の無理解と不勉強からくるもので、ようは自業自得です。それを棚に上げて牢屋に入る期間を長くするなどということが許されるはずもありません。厳罰化でも十中八九不安が取り除かれないであろうことは、それを漠然と表現していることからも明らかです。

 というわけで、評価した記事以外はやっぱり問題含みな記事でした。何回まで連載するかはわかりませんが、いくらかたまった下でも書こうと思います。 

警察と自衛隊の区別がついてないみんなー! SEALDsメンバー殺害予告への反応へ送る

 安保法制への反対運動で知られるSEALDsの奥田氏に殺害予告が送られた問題で、以下のように警察と自衛隊の区別がついていない方々の反応を死ぬほど目にした(SEALDs奥田愛基さんに殺害予告-togetter)ので今回はこの2つの組織の違いをお勉強しましょう。
 そもそも「酒を酌み交わす」云々はSEALDsの発言じゃないとか、あれは別に鉄砲構えて突撃する兵士相手に酒瓶構えて相対するみたいな話でもないとか、いろいろツッコミどころがありますがキリがなさそうなのでやめておきます。
 それにしても、安倍首相を始めとする安保法制賛成派の「友達の麻生さん例話」がこんな形で実を結びつつあるとは。

 警察と自衛隊の存在意義
 警察の任務は警察法という法律に規定があります。
(警察の責務)
第二条  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2  警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。
 つまり警察は、主に個人が相手となる犯罪行為を取り締まるのが任務です。では自衛隊はどうでしょう。自衛隊法に記述があります。
(自衛隊の任務)
第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2  自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一  我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
3  陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。
 自衛隊は主に外国からの侵略から日本を防衛するのが任務です。
 ここで問題になってくるのが、犯罪と侵略の違いです。犯罪はその国の刑法に触れることを主にそう呼称するとして、侵略は犯罪とはどう異なるのでしょうか。
 侵略の定義はない、などと寝言を言う人(主に我が国の首相とか)がいますが、国連では侵略の定義に関する決議でその定義がなされています。外務省定訳がないので和訳はWikipediaからの引用になりますが、以下の通りです。
 侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であ って、この定義に述べられているものをいう。
 侵略とは、国家が他の国家に対して行うものです。逆に言えば外国籍の個人がどれだけ大それた犯罪を日本国内で行おうがそれは侵略にはなり得ません。中国漁船の領海侵犯やシーシェパードの犯罪行為に対して、自衛隊ではなく警察組織に準じる海上保安庁が出動するのはこのためです。アメリカがテロとの戦争などと言って軍隊を出動させたことに批判があるのも、理由の1つは犯罪であるはずの貿易センタービル爆破を侵略行為と解釈した点にあります。

 安保法制を批判することと警察に頼ること
 2つの組織の役割の違いが分かれば、安保法制を批判することと殺害予告に対して警察の対応を求めることには矛盾がないことがわかるでしょう。
 警察への対応を求める態度は、国家が自衛権を発動することと全く異なるものです。前者は個人間で発生したルール違反を、国家に属する警察組織に介入してもらって解決することであるのに対し、後者は被害者が自力でそれを解決するようなものです。個人間の犯罪行為で侵略を例えるなら、警察には自国や同盟国の軍隊ではなく国連の治安維持軍などを持ってくる方が実態により近いでしょう。
 また、個人間での行為と、個人の集合体である国家間での行為には規模や影響力にあまりにも差があります。個人間でのレベルで容認できることが国家間のレベルでは容認できないという主張は当然あり得ます。

 まあそもそも、SEALDsは別に自衛隊の廃止まで訴えていないでしょうし(むしろ九条改正を訴える人もいたはずなくらいで)、平和主義者が自衛権の放棄まで主張することは稀ですので、自衛権の行使容認と警察に頼ることは矛盾しませんがね。
 首相のポスターへの落書きまで捜査してくれる仕事熱心な日本の警察のことですから、すぐに犯人が逮捕されると期待しています。

犬に拳銃13発ブチコミメンの続報

 拳銃使用について回る批判は仕方ないのではの続きです。
 14日未明に松戸市の住宅地で大型犬が女性ら3人にかみつき、警察官が犬を射殺した事件で松戸署は17日、発射した弾丸13発のうち犬に命中したのは6発だったと発表した。まだ2発が見つかっておらず、同署で捜している。
 同署が松戸健康福祉センター(松戸保健所)に依頼した犬の死体の調査によると6発は左顔面や左肩、左後ろ足へ命中し、心臓を貫通したものが致命傷になったとみられる。
 弾丸のうち、1発は犬の頭蓋骨から、10発は周囲の路上や住宅敷地内、駐車場、ブロック塀でそれぞれ発見された。最も遠いところでは、現場から390メートル離れた路上で周辺住民が見つけ、同署に通報した。弾痕などのあった住宅などへの補償等については「今後適正に対応したい」(同署)としている。
 犬は紀州犬の7歳の雄で、飼い主の71歳の夫婦は昨年ごろから敷地内の屋外で首輪を付け、約7メートルの鉄製ワイヤをエアコン室外機の支柱につないでいた。首輪は連結部のフックが破損して外れたとみられる。
 同署は今後、残る2発の発見に努めるとともに、過失傷害や犬の飼育に関する県条例違反を視野に捜査を続けるとしている。
  6発命中、10カ所に弾痕 松戸署、犬射殺で調査結果-千葉日報
 やっぱり撃った弾は全部どこに行ったか確認するんですね。当然か。
 それと、命中率は6/13でした。犬によくそれだけ当てられたもんだと評価すべきなのか、外しすぎだと評価すべきなのかはわかりませんが。それを言うならそもそも拳銃なんか抜くなよという話にもなりますが。
 この事件の反応として、警察は拳銃訓練の時間が短いというものがありましたので調べておきました。
 以下未確認の情報だらけなんですが、警察官は1年に50発程度の実弾を撃つ訓練を年に1回行うようです。どこかの刑事ドラマで射撃訓練をしながら会話するシーンがあったんですが、ありえないんですね。
 ただ訓練がこれだけかと言えばそうでもないようで、レーザーを発射する摸擬拳銃を利用する訓練施設を備えた地方もあるようです。ちなみにこの情報は「摸擬拳銃と間違えて実弾を撃った」というニュースで知りました。警察ェ……。
 射撃訓練時間の国際比較は出てきませんでしたが、日本の1年の訓練弾数を「アメリカの1日分」と評している人はいました。警察官人口を考えればあり得ない数字だとは思いますが、アメリカだからなぁ。もしかしたらアメリカの弾数にはサブマシンガンのものも含まれてるかもしれませんね。

拳銃使用について回る批判は仕方ないのでは

 14日午前2時ごろ、千葉県松戸市稔台で「女性が犬にかまれた」と110番があった。県警松戸署員が駆けつけると、飼い主の男性(71)が犬に襲われており、警察官3人が拳銃を計13発発砲し、犬を射殺した。通行人の女性(23)と飼い主が腕などを犬にかまれて軽傷を負った。
 同署によると、紀州犬の雄(7歳)で体長122センチ、体高58センチ。飼い主に警察官が「離れてください。拳銃を使います」と呼びかけ、飼い主が自力で振り払うと、犬が警察官に向かってきたため、発砲したという。飼い主は13日午後11時過ぎから、行方が分からなくなっていた犬を捜していたという。
 千葉県警:人襲った犬に拳銃13発射殺…「使用は適正」-毎日新聞
 犬ってのは元来猛獣ですから、しつけや管理には気を付けてほしいですね。
 それはともかく、警官が拳銃を使用したことに対する批判と、その批判に対する反応を見ました。反応の主な内容としては、犬に対する射撃は適切で、批判は的外れだというものでした。

 今回の犬に対する射撃は適切だったと思いますが、同時に警官が拳銃を使用したことに対する批判がある程度登場するのもまた健全な反応であるような気がします。対象が何であれ、警官が支給されている実力行使手段の中で特に強力なものを使用したわけであり、その使用が適切であるか常に監視されるのは、捜査手法の適切さが常に問われるのと同様に当然です。その批判が多少プロレス的なポーズであっても、拳銃使用の適切さを問う姿勢は必要です。
 むしろ、対象が犬であろうと、拳銃使用が当然視され特に批判の声が上がらないという状態の方がまずいといえます。警官が銃を撃ったんだから相手が悪かったんだろうという忖度は論外ですし、警官の銃撃で命を守られるよりも奪われる確率の方が高くなりそうな小市民が官吏の暴力行使を無条件に擁護するというのは中々グロテスクな状態かもしれません。
 拳銃に限った話ではないのですが、官吏による暴力的な手段の使用は非常時の最終手段であるべきで、常用されるべき性質のものではありません。拳銃をバンバカうつとアメリカのようになるわけで、それは警官の恣意的な判断で撃ち殺される前時代への逆行を意味するでしょう。
犯罪心理学者(途上)、アマ小説家、動画投稿者。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』ニコニコ動画『えーき様の3分犯罪解説』犯罪学ブログ『九段新報』など。TRPGシナリオなどにも手を出す。
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