今回は書評。本書は元国会議員の山本譲司氏によって記されました。氏はもともと菅直人氏の秘書という経歴で民主党の衆議院議員を務めますが、二期目の再選を果たした同年に詐欺罪や政治資金規正法違反で逮捕、起訴され実刑判決を受けることとなります。
 その後、著者は服役生活で「寮内工場」という一般の作業に従事できない障碍者が集まる場所での指導補助、つまり刑務官の仕事のサポートを任されることになります。そうした経緯で著者は、受刑者として刑務所に繰り返し収容される累犯障碍者を知り、受刑生活を綴った『獄窓記』が賞を受賞したことをきっかけに累犯障害者問題が世間へ広く知られるきっかけの1つを作りました。

 聴覚障碍者の知能
 さて、本書では『【書評】自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』で触れたこともある通称「レッサーパンダ帽男事件」をはじめとする発達障害者の問題、権威的なものへ巻かれてしまう知的障害者の特徴につけこむ売春業者の事例など様々な障碍者問題が述べられています。その中でも本書が特に紙幅を割いているのが、聴覚障碍者による犯罪です。

 聴覚障碍者というのは、素朴に考えれば耳が聞こえないというある意味では「それだけ」であり、取り調べにおける誘導といった問題をはらむ発達障害者や知的障害者よりも、累犯障害者という論点では問題になりにくいのではないかと思っていました。しかし、実際にはそうではありません。
 著者が見聞きした事例では、被告が手話も筆談も理解せず訴訟能力がないとされたものもありましたが、そのような極端に思えるものでなくとも、例えば殺人事件の被告となった聴覚障碍者の裁判において、抽象的な概念を理解できていない、善悪の区別がついていないようにすら思われる事例というものが散見されていました。
 聴覚障碍者はあくまで耳が聞こえない、聞こえにくいというだけで、知能には困難がないはずです。ではなぜ、このような状況になってしまうのでしょうか。

 その原因は、当時のろう学校における教育にあると著者は指摘しています。
 本書が出版された2006年当時は、ろう学校の教育は手話ではなく口話、つまり聴者の真似をして聴覚障碍者でも声を出して喋ることが推奨され、授業もそのような方針に基づいて行われていました。しかし聴覚障碍者は耳が聞こえないから聴覚障碍者なのであって、当然自分の発した声を聞くことにも困難があります。つまり自身の発した刺激が正しいのかどうかを判断する基準を持たないまま口話を行わなければならない現実があり、非常に厳しいものがあります。
 私も酷い音痴で、中学校の頃の合唱コンクールではしきりに「音程が違う」などと言われたのですが、音程がわからないから音痴なのであってそのような指導をされても音が正しい音程に近づくことはありません。聴覚障碍者はあれが一生続くのかと思うと暗い気分になります。

 ろう学校は口話をすることによって「健常者の生活に溶け込む」ことを第一としており、授業も本来の内容を置いてけぼりにしてただの発音練習になっていると著者は指摘します。
 聴覚障碍者の教育については「9歳の壁」という言葉があり、これはどれだけ教えても9歳程度の知能しか身につかないということを意味しています。しかし授業の内容を理解することをおろそかにし、ただの発音練習ばかりを義務教育の9年間続けていれば当然そうなるでしょう。先に見た、抽象的な概念を理解できない聴覚障碍者はこのような教育によって人工的に作り出されたものだったのです。

 2019年現在、ろう学校の教育がどのようになっているか調べてみましたが、いまひとつ判然としません。本書が出版された当時よりはましになっていると信じたいのですが……。

 濃厚なデフコミュニティの落とし穴
 もう1つ、聴覚障碍者の犯罪で問題となるのはデフコミュニティという、聴覚障碍者同士のコミュニティのなかでお互いに被害者と加害者になってしまうということです。本書では聴覚障碍者ばかりで構成された暴力団が、聴覚障碍者をターゲットに強要や恫喝を行っていた事例を紹介しています。
 これは単に、聴覚障碍者が外部へ助けを求めにくいという問題をまず孕んでいるでしょう。電話で110することは聴覚障碍者にとって難しいことですし、警察署へ出向いても対応するものが手話を理解できなければ現状を伝えるのは困難です。

 それとは別に、デフコミュニティの濃密さが裏目に出るというパターンもあります。犯罪、とりわけ殺人は多くの場合知人間で起こるものであり、聴覚障碍者で完結しがちなコミュニティでは特にその傾向が強くなるのでしょう。そこへ、前述の知能の問題や、それと関連する、著者が本書で語っていたような「常識がないように見える」という問題が絡んでさらに話を複雑にしていきます。

 調べれば調べるほど、累犯障害者の問題は様々な論点が複雑に絡み合い、一朝一夕には解決しないであろうと予想させられます。しかし、少しずつでも前へ進めていくしかないでしょう。

 山本譲司 (2006). 累犯障害者 獄の中の不条理 新潮社