九段新報

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詳しくは以下の記事をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/55214570.html

Wikipediaの出鱈目「ゲーマーゲート論争」記事を否定する その3(最終回)

 『Wikipediaの出鱈目「ゲーマーゲート論争」記事を否定する その1』『その2』からの続きです。たぶん最終回です。

 さて、今回は『その1』で予告していたように、Wikipediaの『ゲーマーゲート論争』の記事がエビデンスとして挙げていた論文のうち2本を実際に読みましたので、これが本当に以下のように引用されている通りの内容なのかを検証します。
 これらの調査では概ね以下のように結論付けられている。
・ポルノグラフィと性犯罪に因果関係は認められないか、影響があったとしても問題にならない数値である。
・ポルノグラフィの法的規制は実効をあげていない。
・「創作物の影響を受けて犯罪を行った」のではなく「罪を逃れようとして他に責任をなすりつけようとしている」。
・暴力的なメディアなど、わかりやすくマイナーなものに原因を求めるのは、社会的、行動学的、経済的、生物学、精神的健康要因の分野で明らかになっている、もっと重要な若者の暴力の原因を無視することとなる。
・必要なのは大規模な性教育の実施や教育である。
・読みたいものを読み、見たいものを見るという個人の自由は何人も干渉することができない。自由を制限するポルノグラフィーの法的規制は、国法であろうと州法であろうと直ちに廃止されなければならない。
 その後も調査研究は続いている。2000年代ではデンマーク国法務省の調査[51][52][53]、アメリカの暴力的なメディアに関する長期調査[54][55][56]、オックスフォード大学の調査[55]、イギリスに拠点を置く研究者のグループが行った長期調査研究[57][55][58]、イギリスカーディフ大学の研究[59]、朝日小学生新聞の「子どもとゲーム」実態調査リポート[60][61][62]、ヨーク大学の論文[63][64]などがある。いずれも前述の結論と同じようなものとなっている。
 ゲーマーゲート論争

アメリカの暴力的なメディアに関する長期調査

 まず1本目。書誌情報を正確に書くと以下のようになります。

 Ferguson, C. J. (2014). Does Media Violence Predict Societal Violence? It Depends on What You Look at and When. Journal of Communication, 65, E1-E22.

 内容をざっくり説明すると、20世紀の映画と21世紀のゲームについて、その暴力度合いと社会での犯罪の蔓延度合いに関連があるかどうかを見るという研究です。

 説明から察せられるように、あくまで相関関係を検討しているにすぎず、これだけを根拠に「表現が原因で犯罪が起こることはない」などと因果関係を論じるのは不適切です。よって、因果関係を論じたとするWikipediaの記述は誤りです。以上。

 と終えてしまってもいいのですが、せっかく読んだのでもう少し解説しましょう。

 この研究は2つの部分に分かれています。まず前半が映画と犯罪の関連を検討した研究です。映画は1920年から2005年までの興行収入トップ5を選び、その映画にどれくらい暴力シーンがあるかを調べています。犯罪は殺人率を使用しており、表現と犯罪の関係に影響しそうな要因として警察官の数、24歳以下の若者の人口、人口密度、年収の中央値、GDPの影響を取り除く分析をしています。

 その結果、共変量を一切調整しないと相関係数はr =.33、心理学者の感覚だと結構大きな相関ですが有意ではありません。共変量を考慮しても有意にはなりませんでした。
 ちなみに、映画の暴力性をシーンの長さだけではなくそのシーンの写実性などから評価した尺度を使った分析もやっていますが、結果は同様です。

そりゃ相関はあるだろうけど

 研究の後半は、ゲームの暴力性と若者の犯罪の関係を検討するものです。ゲームの暴力性はレーティングから判断したようです。
スクリーンショット (6)

 その2つの関係をグラフにしたのが上の図です。見事!相関あり!

 ではあるんですが、まぁ、そうだよなって感じです。そもそも近年のトレンドとして世界的に犯罪が減少しています。一方、ゲームの売り上げは増加しています。減ってるものと増えているものを重ねたら相関はあるに決まっています。でもここに因果関係があるという話にはなりません。犯罪減少は十中八九ゲームと無関係に起きているでしょう。

 そもそも、この手の研究は今までにも腐るほどあり、相関関係ではなく因果関係的なメカニズムの議論も盛んにおこなわれているんですけど、いまさらこのような研究を出版することに何の意義があるのかは結構疑問です。AとBに関係があるかはわからない、みたいな状態ならまず相関関係を確かめるという研究は有意義ですけど、ゲームと犯罪という話題でいまさらやる意味って……。

イギリスに拠点を置く研究者のグループが行った長期調査研究

 2つ目です。書誌情報は以下の通り。

 Etchells, P. J.,Gage, S. H.,Rutherford, A. D., & Munafò, M. R. (2016). Prospective Investigation of Video Game Use in Children and Subsequent Conduct Disorder and Depression Using Data from the Avon Longitudinal Study of Parents and Children. PLOS ONE.

 この調査はすでに産経新聞の記事『問題は「種類」でなく「長さ」…暴力的なゲームは攻撃的な子どもを作るのか 英国の長期調査』で解説がありますが、91年から92年に生まれた子供を対象に、8歳の時にプレイしているゲームの種類を、15歳の時に行動障害とうつ病の状態を調査して関連を確かめたというものです。

 その結果、プレイしているゲームの種類を「ゲームをしていない」「パズルゲームをしている」「シューティングゲームをしている」に分けて分析したところ、ゲームの種類が薄っすら影響していました。1本目の論文同様、ほかにも影響しそうな要因を統制すると、シューティングゲームをプレイする子供は行動障害のリスクが19%上昇するようです。ちなみに、うつ病との関連はありませんでした。

 あれ?見出しと違くね?という感じですが、これは別の調査の結果とごっちゃになっているからです。なんて不正確な。

 リスクが19%上がるという弱い影響があるという結果は、心理学のほかの先行研究が示している「悪影響はありそうだよね」という結果と感覚的に合致するところでもあります。あるにはあるが、滅茶苦茶あるってわけでもない感じです。

 行動障害というのは自傷他害に繋がる行動上の問題であり、犯罪や非行とはイコールではありませんが形態によってはそれらに繋がりやすいものです。行動障害をどう解釈するかはさておくとしても、この研究の結果は「問題の種類によってはゲームがひとつの原因になりうる」ことを示すものであり、ゲームに悪影響はないと主張できる類のものではありません。

引用が適当すぎる

 これらの調査では概ね以下のように結論付けられている。
・ポルノグラフィと性犯罪に因果関係は認められないか、影響があったとしても問題にならない数値である。
・ポルノグラフィの法的規制は実効をあげていない。
・「創作物の影響を受けて犯罪を行った」のではなく「罪を逃れようとして他に責任をなすりつけようとしている」。
・暴力的なメディアなど、わかりやすくマイナーなものに原因を求めるのは、社会的、行動学的、経済的、生物学、精神的健康要因の分野で明らかになっている、もっと重要な若者の暴力の原因を無視することとなる。
・必要なのは大規模な性教育の実施や教育である。
・読みたいものを読み、見たいものを見るという個人の自由は何人も干渉することができない。自由を制限するポルノグラフィーの法的規制は、国法であろうと州法であろうと直ちに廃止されなければならない。
 その後も調査研究は続いている。2000年代ではデンマーク国法務省の調査[51][52][53]、アメリカの暴力的なメディアに関する長期調査[54][55][56]、オックスフォード大学の調査[55]、イギリスに拠点を置く研究者のグループが行った長期調査研究[57][55][58]、イギリスカーディフ大学の研究[59]、朝日小学生新聞の「子どもとゲーム」実態調査リポート[60][61][62]、ヨーク大学の論文[63][64]などがある。いずれも前述の結論と同じようなものとなっている。
 さて、2つの研究がともにゲームの悪影響を否定する論文ではないことを示したところで、Wikipediaの記述をもう一度引用しました。最後に、この引用の適当さを指摘して終わりましょう。

 引用部分の後半では、様々な論文を列挙して『いずれも前述の結論と同じようなものとなっている』と締めています。これを素直に読めば、上で箇条書きされている結論の一部ないしは全てが、列挙された論文にも含まれるだろうと思うはずです。

 しかしながら、実際にはそうはなっていません。
 例えば今回検証した2本の論文ですが、これらはゲームや映画を取り上げたものでありポルノとは一切関係ありませんから、上2つの内容は無関係です。また『罪を逃れようとして』云々も関係なく、性教育も論点ではなく、『自由を制限する』云々という話でもありません。『わかりやすくマイナーなものに原因を求めるのは』云々はもしかすると論文で著者が言及しているのかもしれませんが、少なくともこの研究結果から言えることではありません。

 つまり、Wikipediaの記事は「この論文はこう書いている」と言いつつ全然無関係な論文を引用するという出鱈目をやっているというわけです。これは『メンタリストDaiGo『今晩ヤれる相手の見抜き方』の大嘘』と全く同じ手法であり、心理学論文を自分の都合のいいように牽強付会で利用する行為が蔓延していることがよくわかると言えるでしょう。

 心理学の知見では、すでにゲームなどの暴力メディアには一定の悪影響があることが分かっています。もちろんそれは、ゲームをやったら全員が犯罪者になるようなものではありませんが、悪影響には違いありません。しかし、悪影響があるなら規制しなければいけないかというと、当然そうではありません。

 これらの悪影響にどう立ち向かうかはこれからの議論次第ですが、少なくとも最低限事実関係は抑えなければいけません。

メンタリストDaiGo『今晩ヤれる相手の見抜き方』の大嘘


 これの件です。
 DaiGoがしっかり参考文献を示すのは珍しいので、やはり珍しく論文通りのことを喋っているのかと思いきや想像以上に出鱈目でした。いやはや、文献示してこうも適当喋れるのはいい度胸ですな。

 この動画の誤魔化しや出鱈目は、ある意味「心理学系デマ」にありがちな手法満載なので取り上げておきましょう。 

 ちなみに、引用されている論文は以下のものです。
 Kennair, L. E. O., Wyckoff, J. P., Asao, K., Buss, D. M., & Bendixen, M. (2018). Why do women regret casual sex more than men do? Personality and Individual Differences, 127, 61-67.

そもそも「ヤれるかどうか」ではなく

 まずは動画タイトルにもなっているところから。この動画は『今晩ヤれる相手の見抜き方』となっていますが、そもそもここが大きな間違いです。

 というのも、この研究の従属変数、つまり因果関係の最終的な「結果」に当たる部分はあくまで「カジュアルセックスをした後に後悔するかどうか」だからです。

 つまり、この研究は「いろいろな要因がセックス後の後悔を予測するかどうか」、例えば「セックスした後の満足が高ければ後悔しにくい」みたいな話に焦点が当てられたものです。平たく言えば「ヤった後」の話がメインであって、「ヤれるかどうか」は一切検討していません。

 このことは、実はタイトルにすでに書いてあります。この論文のタイトルは"Why do women regret casual sex more than men do?(なぜ女性は男性よりカジュアルセックスで後悔するのか)"であり、題名で主要な着眼点が「後悔」であるとはっきりさせています。これはよいタイトル。

 また、方法を読んでも、そもそもカジュアルセックスをしたことがない人は分析から除外されているようなので、ここからも「ヤれるかどうか」とは無関係だとわかります。分析に使用されたデータはすべて「ヤったことある人」のデータだということです。

 DaiGoは視聴者が英語のタイトルすら読まないと小馬鹿にしているのでしょうが、そうは問屋が卸しません。

「ワンナイトラブ」ですらもなく……

 ちょっと細かい話ですが、この論文を「ワンナイトラブ」に関するものだとする解釈も不正確です。この論文では性行動を尋ねるとき、ほぼ必ず題名にもある"casual sex"の語を使っています。

 この"casual sex"の操作的定義ははっきり書いていないように見える(ざっと読んだだけだから見落としてるかも)のですが、1ページ目右段5行目から6行目に"casual sex with a partner who is uninterested in committing to a long-term relationship(長期的な関係に関心のないパートナーとのカジュアルなセックス)"という記述があることから、「結婚を前提としていない相手とのセックス」ぐらいの概念ではないかと予想されます。

 つまり、「ワンナイトラブ」という語から予想される、「一夜限りのセックス」よりは幅広い範囲を扱っているとみるべきでしょう。例えば、特定のセックスパートナーがいるが結婚は考えていない場合、恋人とも言えないが複数回セックスしたことがあるような間柄も含みえます。

 研究の都合を考えれば、本当の意味での「ワンナイトラブ」、1回セックスしてそれっきりという性行動を取る人はそもそもそこまで多くなく、"casual sex"の定義を狭くすればするほどサンプルが集まりにくくなってしまうという都合もあるのでしょう。そこの厳密さに研究上意味があるようにも思えませんし。

 これは非常に細かい、重箱の隅をつつくような話に見えますが、存外重要です。「ワンナイトラブ」のような俗語は人によって解釈に幅があり、研究者間でのばらつきは議論の混乱を招き、回答者間のばらつきはデータの信頼性の毀損につながります。"casual sex"を「初対面の人とその夜だけセックスして別れること」だと思っている人と、「遊びで友人と(場合によっては複数回)セックスすること」だと思っている人では回答が異なるでしょう。

 こういう用語の扱いが粗雑だと心理学の研究はできません。

「罪悪感を感じにくい」とワンナイトラブしやすい?

 さて、ここからはDaiGoが動画で語っている「ワンナイトラブに応じやすい2つの特徴」なるものを検証したい……のですが、正直何度聞いても彼が何を言ってるのかよくわかりません。そもそも論文が「ヤれるかどうか」の話ですらない時点で話の前提が崩れており、その崩れた前提のまま話を無理やり進めるので意味不明になるのは当然といえば当然です。

 実のところ、この辺の「わかりにくい論理展開」にこそ似非心理学の騙しの手口があるのです。それは後述します。

 この論文の話をしているという前提で進めますが、彼は「態度をはっきりしていると罪悪感を感じにくい、そういう人はワンナイトラブに応じやすい」と論じます。この辺の論理展開も聞いててわかりにくいんですけど。

 じゃあ論文は回答者に「カジュアルセックスへの態度」や「カジュアルセックスへの罪悪感」を聞いているかというと、驚くべきことに全く聞いていません。この論文は回答者が最後(もっとも最近)に経験したカジュアルセックスを念頭に、そのセックスについて

・そのセックスを後悔しているか
・身体的な満足を得られたか
・妊娠、性感染症、評判の低下の不安があるか
・嫌な思いをしたか
・相手の技量は十分だったか
・セックスへのプレッシャーを感じたか
・セックスの主導権をとったか

 といった変数を尋ねています。当然、この研究の主眼は「ヤった後」にあるわけなので、カジュアルセックスそれ自体への意識のようなものは尋ねていません。

 唯一、「カジュアルセックスへの罪悪感」に近い項目として、「嫌な思いをしたか」という変数の中にある項目で「そのセックスは間違い/不道徳だった」というものがあります。が、これは同じ変数の項目として扱われている「そのセックスは嫌だった」「そのセックスは不衛生だった」と合わせてあくまで感情的な不快感や嫌悪感を測定するものであり、カジュアルセックスに対する信念のようなものとは異なると思われます。

 つまりDaiGoは、引用文献を示しつつその文献と全く関係のないことを喋っているわけで、なんのこっちゃかさっぱりわかりません。

 もう1つのポイントは「自己の欲求が明確である」ことらしいのですが……もはや論文にかすってもいません。上述したように、そんなことは回答者に尋ねてすらいないからです。意味不明。

似非心理学の騙しの手口

 論文と関係ないことをくっちゃべるせいでさっぱりわからないDaiGoの論理展開ですが、実は2つ目のポイントのところまで聞くと彼の頭の中が少しわかります。

 彼の論理展開はおそらく
前提A:ワンナイトラブに後悔するとその後ワンナイトラブに応じにくくなる
前提B:ワンナイトラブに後悔しやすい性格がこの論文で分かっている
結論:「後悔しやすい性格」じゃない人は後悔したことがない可能性が高いので、応じやすいはず。

 という推論で成り立っています。そして動画では前提Bについて喋っているということなのでしょう。彼の論理展開が意味不明なのは、まずこの前提Bが論文に依拠しているはずなのに全然出鱈目だからです。

 似非心理学は、実在する論文を引用しつつその論文が言っていないことを混ぜ込みわかめ並みに混ぜ込んできます。さすがにここまで適当なのは初めてお目にかかりましたが、論文が扱う"casual sex"という概念を「ワンナイトラブ」に入れ替えて自分に都合のいい結論を引っ張る程度は当然のようにやります。

 似非心理学の騙しの手口というのは、実は前提Aにも存在します。
 実はこの動画では、前提Aが自明視されているものの、本当にそれが正しいかは一切証明されていません。まぁ素朴に考えれば正しいんでしょうけど、重要なのは証明されていない前提を自明のものとして扱う論理的不誠実さです。

 誤った前提から導かれる結論は当然誤りです。似非心理学は「○○大学の研究によれば~」という話に紙幅を割くことで前提Bに人々の注意を向け、前提Aが根拠なく自明視されているという過ちから目を逸らせようとします。

 こういうことを似非心理学はよくやるので、論文が引用されているからと言ってその主張を盲目的に信じてはいけません。

引用のルールもわかんねぇのか

 最後に1つ、DaiGoが心理学のド素人であることを示す点を指摘して終わりましょう。
 それは彼の文献引用のやり方です。

 DaiGoは動画概要欄でこの文献を"Bendixen, M. et al.(2018). Why do women regret casual sex more than men do?."と引用していますが、これは引用のルール上誤りです。論文の著者とタイトル、出版年だけで雑誌名や巻数がないという問題点がまずありますが、より重大な誤りがあります。

 それは著者を"Bendixen, M. et al."と省略している点です。正しく書くなら"Kennair, et al."とすべきです。
 何がそんなに重要なのでしょうか。

 心理学の論文は通常、著者を論文に貢献した順に並べます。つまり著者の最初に来る人が一番論文に貢献した人であり、これを「第一著者(First author)」と呼んで重視します。一方、DaiGoが省略しなかったのは最後の著者で、ここは一般にそのラボのボスや指導者が入る傾向があります。研究資金を獲得したり論文指導をしたという意味ではかなり重要なポジションですが、あくまで論文内の議論や研究実施に責任を負うのは第一著者です。

 まぁ、第一著者以外には明確なルールがないのでこの限りではありませんが。第一著者がラボのボスだったりすると、それ以下はアルファベット順になったりとか。

 分野によっては貢献に関係なく著者をアルファベット順に並べることもありますが、少なくともこの論文はそうなっていないので、心理学のルールに則っているとみるべきでしょう。

 なので、著者を省略して引用するならば第一著者を書いてそれ以外を省略、とすべきなのが通例です。彼がわざわざ最後の著者を残した理由はさっぱりわかりませんが、引用文献を探すのに支障が出そうな書き方なのは間違いありません。

 この辺の話は、心理学を専門とする学部4年生ならまず知っているだろう基礎的な事項です。つまりDaiGoは、学部生でも知っていることを知らないままメンタリストだとかドヤっていたわけです。恥ずかしい。

 やはり心理学を学ぶなら信頼できる著者の書籍にあたるべきで、メンタリストの言うことなんか真に受けちゃいけないわけですね。

Wikipediaの出鱈目「ゲーマーゲート論争」記事を否定する その1

 まぁ、そういう冗談はさておき、Wikipediaというアクセスしやすいサイトに堂々と出鱈目が掲載されているのはどう考えてもまずいので、きっちり細かいところまで批判しておこうと思います。

 本来であればWikipediaの編集画面に乗り込んで記事を作成した人たちをひとりひとりボコボコにするのが筋なんでしょうが、生憎私はウィキペデアンじゃないのでその辺の作法はわかりかねます。Wikipediaの記事それ自体の改善は、この記事を見た良心的で理性的なウィキペディアンの方にお任せしましょう。

 なお、この『ゲーマゲート論争』記事ですが、ソーシャルジャスティスウォーリアー(SJW)なるジャーゴンを大真面目に使っている時点で信頼性と中立性はお察しです。

 今回はこの記事のうち、「創作物の影響と科学的調査」の見出しの項を取り上げます。なお、特に言及がない限り引用はWikipediaの当該記事からのものです。

江口聡って誰だよ

 ジーン・マックウェラーの『レイプ《強姦》―異常社会の研究』は、1960年代の犯罪学の成果から、性犯罪の実態を広い読者層に知らせた。江口聡によれば、ジーン・マックウェラーの主張は「レイプは性欲が原因ではない」とは主張しておらず、性欲はもちろんかかわっているが他にも様々な原因がある、ぐらいである[46]。
 一方、「レイプの原因は性欲ではなく、男性グループの女性グループに対する支配である」という主張を一般的にし、表現規制論のベースとなったスーザン・ブラウンミラーの『レイプ・踏みにじられた意思』では、論拠とされた多くの事例は、出版年に近い年代のデータではなく、戦時レイプや古代〜近代の歴史的事象からとられていた[45][46][47]。スーザン・ブラウンミラーの主張は、1990年代に犯罪学・動物行動学・進化心理学から激しい批判を受け、アカデミックな領域ではすでに人気がない[46]。
・動物行動学者のランディ・ソーンヒル(Randy Thornhill)とクレイグ・パーマー(Craig T. Palmer)の共著『人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす』(ISBN 4862280064)/原題『A Natural History of Rape』(ISBN 0262700832)
・実験心理学者・認知心理学者のスティーブン・ピンカー(Steven Pinker)『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) 』(ISBN 4140910127)
 これらの本では、フェミニストやその他の従来の社会科学におけるレイプの動機・原因理論に対する反論が行われ、 『人はなぜレイプするのか』では反論が本の半分を占めた[46]。
 江口聡は「レイプの動機は性欲ではなく支配欲」などを何の留保もなしに言ってる人々は、1990年代以降のことはなにも勉強してないと思われるため、注意が必要であるとしている[48]。また、ポルノ消費と性暴力の増加を裏付ける科学的なデータは今のところ見つかっていないか、逆の相関があるとしている。たとえば、ポルノをよく見る人々は性暴力をふるう傾向がある、ポルノ消費が盛んな地域では性犯罪が多いなどの科学的データはなく、ポルノが手に入りやすい地域ほど性犯罪は少ないと見られている[41]。
 まず、この項の記述の前半部分は、江口聡なる人物の意見のみに依拠しています。そして、氏の主張にはほぼ根拠がありません。出典とされるサイトの記述にあたってみましょう。
 ともあれ、マッケラー先生の『強姦』はアミル先生の研究を参照して議論が進められていて、内容的には穏健っていうか今読んでもそんな違和感はないです 1) 。くりかえしますがマッケラー先生の主張は「レイプは性欲が原因ではない」とは主張しておらず、性欲はもちろんかかわっているけれども他にも様々な原因がある、ぐらいです。
(中略)
 でもこのブラウンミラー先生の立場は90年代ぐらいに犯罪学や動物行動学や進化心理学から激しい批判を受けて、少なくともアカデミックな領域ではもう人気がないと思います。
 ブラウンミラー先生たちのフェミニスト主流の立場の問題点をいちばん徹底的に批判しているのは、ソーンヒルとパーマー両先生の『ひとはなぜレイプをするのか』ですね。まあいろいろ批判はありますが、これ読まないで性暴力とかについて語るっていうのはもうありえないと思う。ちょっと長いので読むのたいへんっていうひとは、ピンカー先生の『人間の本性を考える』の下巻の「ジェンダー」の章を読むとよいと思う。
 ソーンヒル先生たちのフェミニスト理論への反駁をちょっとだけ見ておくとたとえばこんなことを言っている。
(1)「レイプ犯の大半にはセックスパートナーがいるのだから性欲が動機ではないとされるけど、別に一人で性的に満足するわけではない。パートナーいたってポルノ見たり浮気したりするわけですからね。
(中略)
(5) 「男性グループが女性グループを支配するためにおこなう」とされているものの、レイプ犯に対する社会的制裁は通常は非常に苛烈なもので、男性個人が男性グループのことを考えているとは信じられない。
 まあまだまだぞろぞろ、いろいろ説得的な反駁がおこなわれています。実はソーンヒル先生たちの本の半分は自分たちの理論(仮説)の提示ですが、半分はフェミニストやその他の従来の社会科学におけるレイプの動機・原因理論に対する反論で占められてるんですわ。これは科学的態度で、最初に読んだときはとても感服しました。
 まあ、あんまりうまくまとめられないし、正確な議論はできないんですが、もう「性欲ではなく支配欲」はぜんぜん無理そうですね。ブラウンミラー先生の側の理論は、根拠が薄弱なだけじゃなく、むしろ実証的な知見とぜんぜんあわないように見える。いまだに「レイプの動機は性欲ではなく支配欲」みたいなことを、「定説だ」とかなんの留保もなしに言ってる人々はあんまり信用できないです。っていうか、90年代以降のことはなにも勉強してないんだと思う。注意した方がよい。
 「レイプ神話」での性的動機 (4) ブラウンミラー先生の支配欲説と反論-江口某の不如意研究室
 というように、海外の研究者の主張を引用してはいますが、その主張自体にやはりエビデンスがありません。これは「こうだと思う(エビデンスなし)」→「海外の誰それがこう言っている(エビデンスなし)」→「日本の誰それがこう言っている(エビデンスなし)」という、エビデンスの特にない個人的見解がロンダリングされまくった結果、あたかも実証的な見解であるように扱われるようになっただけです。

 江口氏はあれやこれやと「レイプが性欲に基づいている根拠」を挙げていますが、彼自身が言う通り性暴力の原因には「性欲もある」し「支配欲もある」ので、「レイプが性欲に基づいている根拠」があることは「レイプが支配欲に基づかない根拠」には一切なりません。

 あと(5)にある『レイプ犯に対する社会的制裁は通常は非常に苛烈』は全く事実に反し、この程度の認識の人間の語る性暴力議論に信頼性があるとは思えません。

 江口氏は性暴力の原因を支配欲とする「アカデミックな領域ではもう人気がないと思います」としますが、これもしょせん主観的な感想にすぎません。私の主観的な感想は、「もう人気がないなどとは思わない」です。

 とはいえ、ここで挙げられている『人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす』は気になりつつも「どうせ疑似科学だろ」と思って放置していたものなので、やはり一度しっかり読んだほうがよさそうです。

ま~たカチンスキー報告だよ

 創作物が人格に与える影響については、様々な分野で科学的研究が行われている。1960年代には、ポルノグラフィを取り締まるため、反社会的行動を誘発して有害であることを証明しなければならぬという世論が高まった。1970年代のアメリカでは、連邦議会で「わいせつ文書及びポルノグラフィーの流通の実態はもはや放置しえない段階に至っており、連邦政府はそうした文書や書物が国民、特に青少年にとって有害な影響を及ぼしているのかどうか、またそれらをより効果的に取り締まる方法があるのかということについて、早急に検討を始めるべきである」との決議案が採択され[49]、150万ドル(約15億円)の予算をかけるなど、数度にわたり大規模調査が行われた。この時の調査には以下がある。
・『猥褻とポルノに関する諮問委員会 報告書』/原題『United States. Commission on Obscenity and Pornography. (1970-1971). Technical report of the commission on obscenity and pornography 9 vols.』[49]
・通称『カチンスキーレポート』/原文『PORNOGRAPHY, SEX CRIME,AND PUBLIC POLICY[50]』
・『ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より』(ISBN 4844327089)/原本『Grand Theft Childhood: The Surprising Truth About Violent Video Games and What Parents Can Do』(ISBN 1451631707)
 はい出た!カチンスキーです。やはりポルノ無謬論者の拠り所はここしかないようです。
 カチンスキー報告に関しては、すでにこのブログでそのいい加減さを指摘しました。詳しくは『表現の自由戦士たちの「エビデンス」を読んでみた その1』『その2』『その3(最終回)』をご覧ください。

 簡単に結論を言うと、カチンスキーの研究の多くがあくまで相関関係を調べたものであり、下手をすると相関係数すら算出していないので、ポルノが原因となって性犯罪が増加するかどうかという因果関係を論じる根拠には一切ならないということです。

 ただし問題があります。この記事で引用されている論文は、これまで本ブログで扱ったどの論文ともタイトルが違うという点です。この論文の正式な書誌情報を心理学のルールに則って書くと以下のようになります。

 Kutchinsky, B. (1991). Pornography, sex crime, and public policy. In Gerull, S. A., and Halsted, B. (eds.), Sex Industry and Public Policy, Australian Institute of Criminology, Canberra, pp. 41-55. 

 しかし、いわゆるカチンスキー報告が91年の論文だとすると、私がこれまでに聞いてきた「70年の諮問委員会でカチンスキー報告が出た」という話と矛盾するんですが……これは表現の自由戦士たちのいい加減な伝言ゲームの中でどんどん話が歪んだためでしょう。

 調べてみたところ、国内の図書館に所蔵があるようなので、借りれるか試してみます。しかし、大学図書館2館にしかない英語の文献をこの記事の編集者が読んでいるとは到底考え難く、適当な記事編集であることがうかがえます。

 なお、ここで引用されているもう1つの書籍『ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より』は、大昔読んだきりになっているので改めて読んで内容を精査しようと思います。

その他の「エビデンス」:ほんとに読んだのかよ

 これらの調査では概ね以下のように結論付けられている。
・ポルノグラフィと性犯罪に因果関係は認められないか、影響があったとしても問題にならない数値である。
・ポルノグラフィの法的規制は実効をあげていない。
・「創作物の影響を受けて犯罪を行った」のではなく「罪を逃れようとして他に責任をなすりつけようとしている」。
・暴力的なメディアなど、わかりやすくマイナーなものに原因を求めるのは、社会的、行動学的、経済的、生物学、精神的健康要因の分野で明らかになっている、もっと重要な若者の暴力の原因を無視することとなる。
・必要なのは大規模な性教育の実施や教育である。
・読みたいものを読み、見たいものを見るという個人の自由は何人も干渉することができない。自由を制限するポルノグラフィーの法的規制は、国法であろうと州法であろうと直ちに廃止されなければならない。

 その後も調査研究は続いている。2000年代ではデンマーク国法務省の調査[51][52][53]、アメリカの暴力的なメディアに関する長期調査[54][55][56]、オックスフォード大学の調査[55]、イギリスに拠点を置く研究者のグループが行った長期調査研究[57][55][58]、イギリスカーディフ大学の研究[59]、朝日小学生新聞の「子どもとゲーム」実態調査リポート[60][61][62]、ヨーク大学の論文[63][64]などがある。いずれも前述の結論と同じようなものとなっている。
 残りを片付けましょう。
 まずデンマークの調査ですが、リンクが死んでいます。いろいろ探しましたが、なにせデンマーク語なのでなに書いてあるかさっぱりわかりません。
 唯一生きている日本語サイトに以下がありますが、その記述を見ると怪しいものがあります。
 2012年7月23日、デンマーク国法務省は「漫画やアニメなどの架空児童ポルノと、児童性犯罪の間に因果関係が無い」事を、調査結果として発表した。
(中略)
 上記研究の報告書の日本語訳が以下のものである。
(中略)
 この声明によると実写などと同等、またはほぼ同程度の写実的な描写がない架空児童ポルノの所持が、人々を児童に対する性的暴行に誘導する寄与因子となり得るという事を明らかにした学術研究はないとされている。
 さらにこの声明では、実際の児童のわいせつ画像の使用と児童性的虐待の関係性についての研究は、近年になるまで広範囲で行なわれてはこなかったと結論づけている。過去の研究では、実在する児童のわいせつ画像の使用が児童性的虐待の寄与因子となり得るハイリスクグループの存在を示しているが、このハイリスクグループ外の人々にとっては、実在する児童のわいせつ画像の使用自体が児童性的虐待につながる事は少ないであろうということを示している。
(中略)
 上記報告書にある「付録3」が以下の声明である。
 イエールン・ベック・イエッセン臨床心理学者・外部准教授、トルキル・セーレンセン教授・医師、エリス・クリステンセン警視・臨床准教授(訪問治療ネットワークのコーディネーター)が、デンマーク法務省に提出した声明、『架空児童ポルノに関する陳述の申出について』の日本語訳。
(中略)
 我々の知識によると、この質問に関連する科学研究は一切存在せず、これにより"児童ポルノ"と呼ばれる児童性的虐待の架空画像の消費行為のみが人々を児童性的虐待行為へと導く可能性があるとの証拠は存在しないと結論づけざるを得ません。児童性的虐待の(ノンフィクション)写真やフィルム材料の使用/誤用の調査がこの会議で発表されたため、この分野は今後の研究対象となり得ます。科学的にこの分野を調査する事への関心が高まっています。
 デンマーク法務省報告「漫画やアニメと児童性犯罪の因果関係は無い」-華氏451度へのカウントダウン
 要するにない、というのはあくまで「研究が実施されていない」という意味であり、ポルノに悪影響がないことが証明されたわけではないということです。つまり、この研究を「ポルノグラフィと性犯罪に因果関係は認められない」証拠として引用するWikipediaの記事は誤りです。

 『アメリカの暴力的なメディアに関する長期調査』に該当するのは"Does Media Violence Predict Societal Violence? It Depends on What You Look at and When"です。また詳細な検討はする予定ですが、アブストラクトを読む限り相関関係しか扱っておらず、因果関係を論じるには不適当です。

 『イギリスに拠点を置く研究者のグループが行った長期調査研究』に該当するのは"Prospective Investigation of Video Game Use in Children and Subsequent Conduct Disorder and Depression Using Data from the Avon Longitudinal Study of Parents and Children"です。これもアブストラクトを見る限り相関研究じゃないかと思われます。また後で読みますが。
 なお、一緒に引用されている産経記事によればゲームと暴力の関係は「弱いがある」らしいです。

 『イギリスカーディフ大学の研究』に至っては、その報道記事とアブストラクトを読む限り犯罪と一切関係がありません。まったく意味のない引用です。

 『ヨーク大学の論文』は引用されている報道を見る限り、単にプライミング効果による説明が排除されただけであり、ゲームと犯罪の関係すべてを否定したものではありません。これを因果関係すべての否定に使うのは不適切です。

 最後、『朝日小学生新聞の「子どもとゲーム」実態調査リポート』も調査結果は犯罪と全く関係がありません。本当に記事を読んだのか怪しくなるレベルです。

 こうしてみると、Wikipediaの記事があまりにも適当であることがよくわかるというものです。

ついでに:性犯罪の暗数と実態

 琉球大学大学院法務研究科教授の矢野恵美は、内閣府男女共同参画局が定期的に行う「男女間の暴力に関する調査[69]」や、「犯罪被害実態(暗数)調査[70](原題:International Crime Victims Survey/ICVS/国際犯罪被害者調査)[71][注釈 6]」における「性的な被害」等、警察に届けたかに関わらず、被害者に状況を聞くタイプの調査の結果にも目配りする必要があるとしている[65]。これらの調査では、2012年の日本の場合、被害を届け出る女性は18.5%である[72]。また、日本の暗数は海外に比べてことさら高いとはいえず、同程度であるとされている[69][70][71]。
(中略)
 経済協力開発機構(OECD)の犯罪統計「犯罪被害者数の対人口比」では、日本は他の先進国と比較しても珍しく、2017年までの15年間「犯罪率の低い国」という立ち位置を維持している[75]。また、イギリス警察が2009~2010年に10万人当たりの凶悪犯罪発生率を国別に分析した資料では、34ヶ国中、日本は殺人33位、強姦は34位と安全なほうに位置している[76]。
 一方、1990年代から児童ポルノの単純所持禁止などの法規制を行っている韓国やスウェーデンでは、性犯罪が増加の一途をたどっている。詳細は児童・青少年の性保護に関する法律、スウェーデン漫画判決を参照。
 ついでに、その次の項である「性犯罪の案数と実態」も取り上げます。ここは論理展開が滅茶苦茶で、編集者の思考能力が伺えるところです。

 まず、この項のはじめは暗数の話をしています。日本は暗数が多いというけどそうじゃないぞ、という話です。「ことさら」をどう評価するか次第ですが、日本の暗数が諸外国に比べて「滅茶苦茶多い」わけではなく、「ちょっと多いくらい」なのは事実です。

 もっとも、そもそも諸外国と日本では「性犯罪」の枠組みに入る行為が全然違うことは留意する必要があります。その法体系から日本人は性犯罪をかなり狭い範囲で捉える可能性があり、いわば「暗数の暗数」のようなものが生じうる恐れすらあることは忘れてはいけません。

 ただまぁ、ここまでは「日本安全万歳」寄りであることを除けばさほどおかしい記述でもありません。問題はここからです。

 Wikipediaの記事は最後の二段で、まず日本が安全だという話をします。そしてポルノの取り締まりが厳しいほかの国では性犯罪が増えていることを書きます。
 しかし、この話は全て認知件数ベースの話です。暗数の話はどこへ行ったんでしょうか。

 暗数をベースに考えるのであれば、認知件数の増減で一喜一憂する意味はありません。むしろ、認知件数の増加を暗数の低下と捉え喜ぶことすらできます。一方、認知件数をベースに考えるなら最初の暗数の話はいりません。

 ここの記述は、「日本は安全、海外は危険」という結論ありきで書かれているため、日本の安全を強調するときには認知件数だろうが暗数だろうが何でも使う一方で、海外の危険性を強調するときには見つけやすく結論に合致する認知件数だけを問題としています。これは論理的な態度とは言えません。

 このような記述からも、編集者が結論ありきで現実のエビデンスを歪めて記事を書いていることがよくわかります。さえぼー先生が見たら卒倒するのでは……。

青識亜論の「小児性暴力擁護」を成仏させる記事:『論点整理』の整理

 本稿は、「児童ポルノ法改正案」問題で規制反対派が行ってきた当時の理論武装を活用し、少女型ラブドール規制論に徹底反論するものである。当時の議論を熱心に追っていた人々にとってはいかにも既視感のある内容かもしれない。しかし、私たちは何度でも何度でも、規制論が墓から這い上がってくる限り、同じことを繰り返し述べ続ける必要があるのだ。
 これは、死せる規制論を再び黄泉へと送り返す鎮魂の文書である。
 論点整理:少女型ラブドール規制論
 これです。これ。存在しない亡霊をでっちあげて商売とか、水子供養商法みたいなもんですね。
 小児性暴力、つまり子供の権利侵害を維持するために1万字も書いたという後ろ暗い情念に震え上がるばかりです。まぁクソ記事なんですが、「論点整理」 という『正論』ばりの傲慢タイトルに騙される人が後を絶たないようなのできっちり潰しておくのが職業上の要請というものでしょう。

 徹底的にやるので、見出しは彼の記事から引用しましょう。なお、特に言及がない限り引用も彼の記事からです。

規制論① 少女型ラブドールは性犯罪を誘発する
 →反論 性犯罪を誘発する証拠はどこにもない

 だが、これは誤りである。
 「犯罪を模した表現物に接した人は、その犯罪を起こしやすくなる」という考え方は、「強力効果論」と呼ばれる単純なモデルで、現在では学術的に否定される傾向にある。
 はい、デマ~。
 心理学ではすでに、メディアやポルノといった「性行為の代替物」が悪影響を持つことが知られています。もちろん、児童型ラブドールを直接扱った研究はなく、今後も出てこないでしょうが、ほかの研究の結果を援用できるので問題ありません。

 この点に関しては『フィクションが現実となるとき 日常生活にひそむメディアの影響と心理』と『メディア・オーディエンスの社会心理学』という、国内で手に入れやすい本があるので読みましょう。ていうかこれくらい読まないで議論をするな。

 とはいえ、なぜ援用できるのかという議論については少々込み入った話になるので、これは別に記事を立てて議論する予定です。とりあえずいまは「写真や映像に悪影響があるのにラブドールにないわけないだろ」で十分です。

 ちなみに、彼のいう「強力効果論は否定された」はすさまじく大昔の話であって、いまはメディアの影響が無視できないほど存在するという「新強力効果論」が唱えられています。Wikipediaに書いてあるレベルなので、彼はそれすら読んでいない可能性があります。

規制論② 犯罪の原因にならないという証拠はない
 →反論 証拠がないことは規制理由にはならない

 確かに、実在児童への性被害増加は重大な社会問題であり、その解決のためであれば、あらゆる手を尽くしたいと考えるのはわかる。少女型ラブドールのように、関連しそうなものを積極的に規制しようというのも、児童の性的身体を何とか守りたいという考えから生じたものだろう。
 だが、これは容易に魔女裁判に至りうる危険な考えである。
 もしも、犯罪を防ぐために関連しそうなあらゆるものを規制しても良いというのであれば、テロを防ぐためにある種の宗教や思想を規制したり、安全保障のために特定人種を閉じ込めてしまえという発想を容易に合理化する。
 すでに「犯罪の原因となる証拠がある」ので、あまり意味のない論点です。『論点整理』が整理になっていないゆえんですね。

 ちなみに、ここで彼が使っている詭弁は「程度の違うものを並列する」というものですね。「確実な証拠はないが悪影響をもつものを控えめに(なにせ「児童型」だけ規制しろと言っているのだから)規制する」ことは「魔女裁判」と全然違います。細かい違いを無視して「魔女裁判」という言葉の持つ冤罪のイメージにフリーライドしています。

 さらに言うと、規制をするときに必ずしも「確実な証拠」が必要なわけでもありません。重要なのは証拠と規制の強さとのバランスです。穏当な規制なら蓋然性があるだけでも十分でしょう。もし悪影響の確実な証拠がなければ規制できないということになれば、規制ができるころにはとっくに手遅れになってしまうからです。

規制論③ 少女型ラブドールはヘイトスピーチである
 →反論 ラブドールは「憎悪扇動」ではない

 黒人の人形を殴って辱しめるデモンストレーションがあったとすれば、それがヘイトスピーチであることは論を待たないだろう。であるならば、少女を模した人形に疑似性交機能を持たせることは、児童性犯罪を扇動しているヘイトスピーチに当たるのではないか? 違いはなんなのか?
 一見すれば論理的で正当な主張をしているように見える。だが、この主張は、なにがヘイトスピーチに当たるのかを決めるのは、外形ではなく文脈である、ということが忘れ去られている。
(中略)
 では、ラブドールの場合はどうか。
 法務省の「ヘイトスピーチ」の定義を見てみよう。
 特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に, 日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの 一方的な内容の言動が,一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (前述「人権擁護に関する世論調査」より)。
 法務省ホームページ
 いうまでもなく、ラブドールそのものは、女性や児童に危害を加えるよう扇動しているわけではない。それは利用者の性欲を解消するために最も合理的で美学的なデザインがされているだけであって、特別な政治的メッセージが込められているわけではない。
(中略)
 また、「合法レイプ実現」「あなたの夢を実現」というメッセージを問題視するとしても、このメッセージから読解できるのは、生身の児童をレイプすることは「合法ではない=犯罪」であり、「生身の児童と性行為することは決して許されない(=夢)だから、人形で実現しよう」ということでしかない。
 これは、「犯罪をしてはいけない」という強い規範の裏返しなのであって、本物の少女をレイプせよと勧めるようなメッセージ性は全く込められていない。
 これは「勝手に定義を狭める」類の詭弁です。ここでの「ヘイトスピーチ」はあくまでレトリックとして、より広い意味で「憎悪扇動」として使われているところに、言論規制の側面があるので限定的な定義をしている法務省の定義を持ち出して「当たらない」と言っているわけです。意味がありません。

 まぁ、そもそも「児童との性行為を肯定する」時点で法務省定義の「危害を加えようとしたりする」に当たると思いますけど。彼の頭の中では「児童との性行為」がイコール「児童への危害」になっていないのかもしれません。

 また、「合法レイプ実現」を犯罪肯定のメッセージではないとしていますが、無理のある強弁です。「夢」という言葉は一般にポジティブな対象に使うものであり、犯罪を「夢」と表現している時点で肯定の意味合いがあります。

 加えて、このメッセージは『「犯罪をしてはいけない」という強い規範の裏返し』であるものの「合法非合法かかわらず児童と性行為をしてはいけない」規範の裏返しにはなっておらず、「合法ならやるぜ?」的な価値観こそまさに児童型ラブドールを危惧する人々の論点なわけですが、論点整理を称する彼の目には映っていないようです。

規制論④ 黒人を殴って楽しむ人形ならアウトのはず
 →反論 現実に販売されているし、何の問題もない

 「規制論③ヘイトスピーチ」と関係する論点として、殴って楽しむことが目的の黒人人形が売られていれば問題ではないか、という主張がある。一種の反転可能性テストであるが、現実には、黒人のイメージ写真を商品画像に付したパンチングダミー人形は販売されているし、特に倫理的な問題が存在するとも思えない。
 クソ野郎です。以上です。
 この一文だけで彼が信用ならないと判断すべきですね。もっとも画像のこれは、モデルが黒人だからというよりパンチングダミーがそもそも人型であるべきなのかという話になりそうですけど。スポーツ業界の皆さん、商品がレイシストの正当化に使われてますよ?

規制論⑤ 子どもが見たらトラウマになる
 →反論 アダルトショップで販売しているのだが……

 子どもが見ないようにゾーニングをし、アダルトショップ等で販売しているのであり、通常、児童がアクセスすることはできない。すでに十分に抑制された状況の下で販売されているのであって、これも詭弁である。
 などと偉そうに書いているが、大元のツイートを見ると……

 問題となったアダルトショップの議論から少し離れた話であることは明白ですね。「子どもが見たらトラウマになるで」というのはほとんど合いの手に近い発話です。少なくとも、例のアダルトショップを念頭に置いた発話であるとする前提は誤りです。

規制論⑥ ゾーニングが不十分である
 →反論 ゾーニングは「かくれんぼ」ではない

 そして、ゾーニングの重要なところは、単に見たくない人を守るだけではなく、欲しい人がちゃんとアクセスできるように経路が確保できている必要もある。
  欲しい人が「ラブドール」と検索したらちゃんと表示されるのはゾーニングのもう一つの側面なのであって、検索しても出ないようにせよというのは、もはやゾーニングではなく「排除」でしかない。
 これも大元のツイートを見ると議論の曲解がよくわかります。

 ね?ここで問題となっているのはあくまで「手軽に売られていること」であって「探そうと思えば見つかること」ではありません。
 あと検索したら年齢制限もモザイクもないって、普通にゾーニング失敗状態ですね。

 ちなみに、彼はゾーニングについて「欲しい人がちゃんとアクセスできるように経路が確保できている必要もある」という存在しない前提を付け加える詭弁もやっています。なんかもっともらしいように聞こえますが、刑事罰でがちがちに規制しなけれれば経路が全部潰れるなんてありえないので、「寿司はお米を使う必要がある」と言っているようなものです。小泉進次郎かな?

規制論⑦ 倫理や人道に反している
 →反論 自慰行為は非人道的行為ではない

 しかしながら、忘れてはならないのは、倫理に反しているのはあくまで、児童の性的身体を侵害する「行為」だということだ。
 どこかの誰かが自室で自慰行為をすることは、何の倫理にも反していない。誰の人権も侵害しない。人道に反することでもない。
 ここで問題視されているのは「自慰行為」ではなく、それにわざわざ児童型ラブドールを使用することです。そしてそれを使うことはそれ自体がある程度『児童の性的身体を侵害する「行為」』である側面を持ちます。終わり。

規制論⑧ 人形を犯すものはいつか人をも犯す
 →反論 ハイネの警句の趣旨はその逆だ

 思想信条を攻撃し、抑圧する社会では、いずれその持ち主の権利を奪い、生命をも奪うようになる。ハイネは、当時政治動乱のさなかにあったドイツにおいて、上記のような言葉を遺したのである。
(中略)
 ハイネのこの言葉は、私たちにどのような教訓を与えるのだろうか。
 間違っても、「人形でオナニーをする人は、きっと誰かをレイプする」などというような主張ではない。
 むしろ、全く逆だ。
 誰かの信条、思想、欲望、様々な「想い」を形にした表現物を弾圧し、他者の内心を裁こうとする社会においては、その想いの持ち主が同じ人間であり、尊重と尊厳の対象となるということが容易に忘れ去られてしまう。
 そのような社会の行き着く先は魔女裁判と魔女狩りの世界だ。
 表現の自由戦士が大好きな「ハイネの警句」を混ぜっ返した皮肉ですね。そういう経緯なのでハイネの警句の真意と離れるのは当然で、そこに問題はありません。あくまで皮肉なので。

 問題は、彼がまた「魔女狩り」という言葉を使っていることです。
 魔女狩りが問題なのは、証拠もなく(冤罪)、害のない人々を(不当な権利侵害)、殺した(極端な対処)のという点です。しかし今回の児童型ラブドール規制にはこれらの要素は一切ありません。なにせ児童型ラブドールの悪影響には証拠があり(冤罪じゃない)、児童との性行為を肯定するという人権侵害を(公共の福祉に沿った制限)、販売の制限などで対処しよう(穏当な手段)というものです。

 魔女狩りという言葉を使うことで、あたかもペドフィリアを焼き殺せ!と言っているかのようなイメージを植え付ける作戦ですが、ただのデマです。

 しかもここで問題となっているのは「内心」ではなく、児童型ラブドールを通じて小児性暴力を肯定ないしは矮小化しようとする「行為」です。誰にも害を与えないペドフィリアをどうこうするつもりもなければ、手段もありません(そんな奴がいるならの話だが)。

規制論⑨ ラブドール利用者が犯罪しそうで怖い
 →反論 単なる恐怖感情は規制の理由にはならない

 これはただの感想を一般的な論点であるかのように取り上げて、相手の主張が感情に基づくように見せかけ一般に愚かであるかのように印象付ける詭弁です。

 もちろん小児性暴力を肯定する奴なんてキモいし怖いに決まってるわけですが、児童型ラブドールを規制する根拠がそこにあるわけではありません。

 「論点整理」と言いつついらん論点を拡大させるのは、彼の目的が「整理」ではなく「相手に悪い印象を与えて議論ごっこで勝つため」だからです。

規制論⑩ 社会的に批判の対象となるべき
 →反論 性的嗜好を「原罪」として扱うな
規制論⑪ 小児性愛は治療せよ
 →反論 欲望それ自体は「病気」ではない

 ここは似てるのでまとめて。
 犯罪抑止論については「論点①・②」ですでに述べたが、本項ではさらに積極的に、そもそも「小児性愛は社会的批判の対象であるべき」なのか、ということを問いたい。
 性的指向にせよ嗜好にせよ、私たちは先天的ないし後天的にその性愛のかたちは決まっていく。誰をどのように愛するのかということは、私たちのパーソナリティであり、アイデンティティと強く深く結びついているものだ。
「あなたの性的嗜好は罪深いものだ」
 と社会的に扱われることは、どれほどその当事者を傷つけるか、考えたことがあるだろうか。
 確かに、もし現実に児童に手を出せば、それは許しがたい犯罪である。けれども、ラブドールやポルノの空想の世界で充足することについては、誰も傷つけないし、なにも悪いことをしているわけではないのだ。
 嫌悪を受けることは仕方がないことだろう。恐怖の対象となることもやむをえないことかもしれない。
 などと書いていますが、現実にペドフィリアは「罪深い」性的嗜好(not指向)です。現実に充足させたらどうあっても犯罪となり、相手への権利侵害になるわけですから。だからこそペドフィリアたちは苦悩するわけです。

 同性愛のようなセクシャルマイノリティとペドフィリアが違うのは、まさにこの「どうあっても肯定できない」点です。同性愛の弾圧は歴史の過ちですが、ペドフィリアが肯定できないのは未成年の権利を守るためにやむを得ないことです。

 彼は「ペドフィリア」であることと「子供に性暴力をふるうこと」を切り分けようとしています。確かに「子供に性暴力をふるうもの」が必ずペドフィリアというわけではありませんが、その逆は真でしょうか。そうは思えません。

 「性暴力」と言うと仰々しい響きですが、子供に対するそれに限って言えば「合意ある性行為」ですら「性暴力」です。そう考えれば、ペドフィリアは「必ず性暴力に近接している」というべきでしょう。ペドフィリア自身が暴力的であるかどうかとは関係ありません。極めて紳士的に関係を築いても暴力となり、そして権利侵害となり犯罪となるのがペドフィリアなのです。それが彼ら自身の苦痛なのです。

 このような状況では、ペドフィリアという特徴を抱える人は治療の対象です。精神疾患は基本的に、当人が困難を感じているか、自傷他害の恐れがある場合治療の対象となります。ペドフェリアは必ず後者に当たります。

 治療というとこれまた仰々しいですが、実際には「大人の女性に性愛を向けるようにしよう」というわけではなくて、性というものから離れて生きる術を身に着けるとか、定期的に専門医との面談を持って自分の様子をモニタリングするというのも十分な治療です。なのでペドフィリア治療を同性愛者に対する変容治療になぞらえるのは誤りです。治療を支援と言い換えてもいいでしょう。ペドフィリアはその定義上、必ず治療または支援の対象です。

 現代社会でペドフィリアを、それもその人の生き方だから、などという理由で治療しないというのは、自傷癖のある人を「それも生き方」などといって治療しないのと似た問題があります。常に自分で自分を傷つけてしまう状態がその人の健康かつ幸福に生きる権利を侵害している状態であるように、いつか犯罪を犯すかもしれない綱渡りの状態で生きさせるのもまた、その人の権利を侵害している状態です。これは当人の病識とは無関係に、客観的な評価から導けるものです。

 つまり、ペドフィリアという「状態」は他者の権利を侵害しかねないという意味はもとより、犯罪者となる可能性を持ったまま生きさせるという意味で、当人の権利侵害でもあるわけです。このような状態を「治療する」のは健康に生きる当人の権利でもあります。

 それを取り上げて、あたかもペドフィリアの権利を守るかのように装いながら子供を性的な対象にするという自分の性欲の肯定のために使う議論は醜悪というほかありません。

 総じて、彼の議論は「意見の相違」ではなく「事実誤認」のレベルで聞くに値しない低レベルなものです。とはいえ、放置するとこれが小児性暴力の肯定につながるので放置できないんですけどね……。

メンタリズムの正体:「心理学未満」のもの

 なんとなくDaiGo嫌いが再燃しているので、書いておこうと思います。
 ちなみに、本ブログのDaiGo嫌い具合については、このブログ内を検索していただければ一目瞭然だと思われます。一時期よく名前が登場していた長谷川豊や坂東忠信の記事数をそろそろ超えるのではないかと思います。

 ちなみに、今回は試験的に「いま風ブログ」っぽい見出しとかつけてみました。面倒ならすぐやめますけど。

「メンタリズム」とは元々なんなのか

 メンタリズムの正体を探るには、まず「メンタリズム」という言葉の元々の意味、つまりDaiGoがこれを心理学の僭称として使う前の意味から考える必要があります。
 哲学もしくは心理学の用語で、精神主義、唯心論、心理主義といった意味の語。
 あるいは、心理の意表を突くことで人を驚かせたり喜ばせたりするパフォーマンス術を「メンタリズム」と呼ぶこともある。こうしたパフォーマンスに長けた者は「メンタリスト」などとも呼ばれる。
 実用日本語表現辞典
 辞書にこんなことが書いてあるように、メンタリズムは元々「パフォーマンスの一種」として扱われていました。私が調べた範囲だと、マジックには人の心を操ったり見通したりするタイプの「メンタルマジック」というものがあり、これがメンタリズムと同義であるようです。

心理学は科学である

 次に考えるべきなのは、心理学とは何なのかです。
 このブログでも再三述べているように、心理学は科学の一種です。仮説を立て、人の心を観察し、その観察に基づいて考察し、そこから仮説を修正することを繰り返しながら、人の心がどのように動くかを明らかにする学問です。

 留意すべきなのは、心理学は自然科学というよりは社会科学や人文学に近い性質を持ち、自然科学に典型的にみられる厳密さからは少し距離があるということです。いわゆる「理系」の人からすれば、科学的な観察の中に「1サンプル研究」や「少数へのインタビュー調査」があること自体しっくりこないかもしれません。

 ですが、このような研究は、一般化可能性や科学的な厳密さを多少犠牲にすることで、従来の手法では知ることのできなかったものを観察するための営みであり、十分科学的です。なにより、一般化可能性や科学的な厳密さが犠牲になっているのはあくまで「多少」であり、インタビュー調査でもできる範囲で科学的な厳密さなどを保とうとされています。

 心理学は科学ですから、科学的な手続きからあまりにも逸脱する研究は批判されます。その典型は精神分析であり、ロールシャッハやクレペリン検査といった旧来の心理検査に根拠がないという批判はよくなされています。

 この辺の話はともあれ、重要なのは「心理学は科学の1つである」ということです。裏を返せば、科学でないものは心理学とは言い難いということです。

メンタリストが心を読んでるとは限らない

 で、元々の問題です。メンタリズムは何なのでしょうか。
 DaiGoのようなメンタリストは、メンタリズムを心理学の一種か、心理学を利用したものという説明を、あまり厳密な言葉の使い方をせずにします。少なくとも、心理学との関係をにおわせ、メンタリズムの背後に心理学があるかのようには装うようです。

 しかし、ここで断言しますが、メンタリズムは心理学と関係ありません。メンタリズムは心理学の知見を応用していると主張しますが、その応用方法は知見の誤解と曲解に基づいていることが多く、というかそもそもエビデンスがないこともしょっちゅうです。

 なにより、そもそもメンタリズムが「人の心を読んだり操ったりしている」とは限らないという重大な問題があります。

 メンタリストのパフォーマンスとして典型なのが、トランプの数字を当てるとかでしょうか。少し想像してみてください。あなたの前に著名なメンタリストがいて、以下のようなやり取りをします。

「このトランプの山札から好きなカードを選んでください。選んだら1枚とって、胸の前にあて、その数字とマークをじっくりと頭に思い浮かべます。思い浮かべましたか……そうですね、あなたの選んだカードは○○の○○ですね? 当たっていたでしょう?」

 この流れだと、いかにも心を読まれたような雰囲気がします。
 しかし、そうとは限りません。その証拠に、今度もまた同じ想像をしてみてください。
 ただし、目の前にいるのはメンタリストではありません。Mr.マリックです。

 どうですか?一気に「心を読まれた感」は薄れるでしょう。あの決め台詞が出たら、もうメンタリズムではなく超能力です。

 なぜこういうことが起こるのかというと、それは「心を読む過程」が我々の目に一切開示されておらず、どうやってカードを当てたのかという点についてはマジシャンの一方的な説明を鵜呑みにするほかないからです。彼がメンタリズムだといえばメンタリズムになり、超能力だといえば超能力になります。

 しかし、これは到底「科学」ではありません。ということは「心理学」でもありません。
 心理学的に「心を読んだ」と言いたいのであれば、トリックが入り込む余地を無くさなければなりません。そうしなければ、はっきりと「心を読んだからカードが分かった」とは言えなくなります。「ほかの可能性」が入り込む余地の高い考察は、論文でも上等な考察として扱われません。

でも心を読んでいるかもしれない?

 こう書くと、ある反論が予想されます。
 「それはあくまでお前の想像ではないか。トリックを使った証拠はない」と。

 もちろん想像ではなく妥当な推論ですが、トリックを使った証拠がないのは事実です。メンタリストはもしかすると本当に心を読んでいるかもしれませんし、その可能性は排除できません。

 しかし、別にそんな証拠はなくても、メンタリズムは心理学ではないと断言するのには問題ありません。メンタリズムが心を読んでいるという明確な証拠がないことをもって、それが心理学ではないと言えるからです。

 先ほども書いたように、心理学などの科学は観察によって新しい事実を明らかにします。つまり「これこれこうやると考えていることがこれくらいわかるぞ」と明らかにするのが心理学です。

 一方、メンタリズムのパフォーマンスは「なんやようわからんけどあいつが心読んでるって言ってるしそうなんだろうな」程度のものです。これは観察ですらありません。「なんかよくわからないけど、心を読んでいるかもしれないし、読んでいないかもしれない」では科学的な研究とは言えません。この時点で、メンタリズムは心理学ではないと断定していいでしょう。

 個人的には、実際に心を読んでいるかどうかは半々程度だろうと考えています。ある程度トリックで誘導して3択に持ち込むとかなら、よほど腕の悪いパフォーマーじゃなければ練習すれば当てられるのではなかろうかと思います。ですが簡単な掴みとか、逆に大規模すぎるパフォーマンスはトリックで心を読んでいる風に仕立てているのではなかろうかと思います。これはあくまで想像ですが。

メンタリズム(とDaiGo)の問題点

 メンタリズムは、心理学を毀損するという点で重大な問題をはらんでいると私は考えています。「心理学の入り口になるからいいじゃないか」とかそんな牧歌的なことを言うつもりは一切ありません。

 繰り返すように、心理学は科学です。科学という人間の英知によって目に見えないものを解き明かす過程こそ心理学のエッセンスであり、面白さであると考えています。そこを無視して「心を操る」だとか「心を読む」といった面白おかしいところだけピックアップするのは、心理学の面白さすら傷つける行為です。

 ましてや、科学や専門知への信頼が低下しているご時世です。耳障りのいい面白おかしいところだけが取り上げられることは、心理学への信頼性の毀損にも繋がりかねない振る舞いです。

 また、間接的ですが、心理学を「心を操る/読む」技術であると喧伝されることで、心を読んだり操ったりできるのが偉いんだという、わかりやすく言えば「ネオリベ的」な価値観が強化されることも問題です。社会には明らかに、心を操ったり読んだりすべきではない場面があり、そうするのは不誠実である場面が存在します。そのようなフェアネスを無視して、自らの欲望を叶える姑息な手段として心理学を扱うべきではありません。

 最後に、これはメンタリズムというよりDaiGo個人の問題ですが、パフォーマンスと心理学の収奪によって他者から得た信頼性を、明らかにおかしな主張の流布に悪用しているという問題があります。

 これはすでに、このブログで何度も取り上げてきました。『DaiGoの言う「オランダは売春合法化で治安改善」は実に怪しい』では単純なエビデンス軽視を、『N国は「心理学的」に見て本当に演説がうまいのか メンタリストの出鱈目を否定する』ではN国という反社会的な集団を持ち上げる危険性を、『「アンパンチで暴力的に?」という懸念は割と現実的だ』では親の懸念と専門家の指摘の軽視をそれぞれ批判しています。

 その中でも最悪なのが『「煽り運転手はサイコパス!」はかなり怪しい』です。ここで取り上げた動画の中で、DaiGoは会ったこともない人をサイコパス扱いしています。このような振る舞いは精神障害のスティグマ化を招き、心理学に関わっている者であれば絶対に避けなければならないものです。

 このような行為の積み重ねも、心理学という分野とそれが積み上げてきた知見の信頼性を毀損しかねない振る舞いです。

 DaiGoは、せめてすべての動画に「※メンタリズムはフィクションであり実在の心理学と無関係です」とテロップをつけておくべきでしょう。

ネット依存症14.2%はどこまで信頼できるか

 前回の記事からの続きです。

 前回、久里浜医療センターが香川県のゲーム規制条例の黒幕であるという説を否定するプロセスを明らかにしました。その際、センターの調査で、中高生にネット依存症の疑いがあるものが14.2%いるという結果が得られていることが明らかになりました。

 この「14.2%」という数字はどこまで信用できるのでしょうか。検証プロセスとともに、このあたりの真偽を確かめていきましょう。

 そもそも「14.2%」はどこから出てきたのか
 報道で多く利用されているこの数字ですが、まずどのようなところから出てきたのかを明らかにしておきましょう。

 前回の記事でも訪れた厚労省の研究成果データベース「飲酒や喫煙等の実態調査と生活習慣病予防のための減酒の効果的な介入方法の開発に関する研究」を見ると、ここに報告書が2つあることがわかります。どちらでもいいのですが、今回は「総括研究報告書」を見ましょう。

 これの3ページ目、「(4)インターネットの過剰使用」と見出しの打たれた部分を読むと、中高生のインターネット利用についての情報が出てきます。しかし、実はここに14.2%という数字は出てきません。よく見てみると、中学生の病的利用者が12.4%、高校生が16%であり、これを平均すると14.2%になるのです。これで、数字の出所がわかりました。

 では、彼らはどのような基準で「病的利用者」とされているのでしょうか。報告書を読むと、YDQ5点以上となっています。問題は、このYDQが何なのか報告書には一切記述がないことです。どころか、研究方法のパートにはネット利用について尋ねると一切書かれていないのに、結果のところで突如として出てくるのです。役所に出す書類とはいえ、粗雑な仕事だと言わざるを得ません。

 あとでわかることですが、ここでYDQと略されている尺度はInternet Addiction Test、つまり正確にはIATと略すべきものです。これでは略語で調べても出てきません。このような問題があるので、尺度の名称は正確に利用すべきです。

 尺度を探す
 報告書にない以上、尺度の大元を探さなければいけません。幸い、同じサイトに刊行物の一覧があるので、それを手掛かりにしましょう。

 2つある英語論文のうち、"The association between alcohol use and problematic internet use: A large-scale nationwide cross-sectional study of adolescents in Japan"はネット依存に言及しています。その方法のパートを見ると、尺度の出典が見つかりました。

 尺度は"INTERNET ADDICTION: THE EMERGENCE OF A NEW CLINICAL DISORDER"からとられたようです。これには8項目の質問があり、はいかいいえで答えます。はいと答えると1点、5点以上で問題ありと判断されます。

 この8項目を日本語訳すると、おおよそこんな感じです。
1.インターネットに夢中になっていますか?(以前のネット利用について、あるいは次の利用について考えたりしますか)
2.満足するために時間をかけてネットを利用する必要があると感じていますか?
3.ネット利用を減らしたり、制限したり、やめたりする努力に失敗しましたか?
4.ネット利用をやめようとすると、イライラしたり気分が落ち込んだりしますか?
5.最初に思ったより長く利用することがありますか?
6.ネットのせいで重要な関係やキャリアを失う危険に晒されたことがありますか?
7.ネット利用の程度を隠すために、家族やカウンセラーに嘘をついたことがありますか?
8.問題から逃れたり、不快な気分を解消するためにネットを利用しましたか?

 この項目を見ると、いろいろ改善すべき点はあるものの、このうち5つを首肯する人には何らかの不適応があると考えることもさほど不自然であるとは思えません。この程度の問題を抱える人が若者の14.2%にいるというのは、むべなるかなといったところです。

 尺度はどこまで信頼できるか
 前回の記事は、この尺度をかなり否定的にみる論文『日本における「インターネット依存」調査のメタ分析』を引用していました。また、検索していると以下のような記事も見つかります。
 緊急でエントリを投稿します。本日2月6日10時30分より厚労省の主催で「ゲーム依存症対策関係者連絡会議」が行われる予定です。厚労省は当該会議の開催にあたって、事前に使用資料配布を行っているのですが、それを拝読して「こりゃ、エライことになりそうだ」と思ったので早朝に一人パジャマ姿でエントリをしたためております。
 当該会合では久里浜医療センターの樋口進センター長が2019年1月から3月に行った中高生のゲーム利用に関する全国調査の結果発表を行うこととなっています。そして、その資料の中には「中高生のゲーム依存95万人」だとか、「その比率が国際的に非常に高い」だとかを示唆する資料が沢山出て来ています。
(中略)
 今回、久里浜医療センターが行ったゲーム依存(正確にはゲーム障害)に関する全国調査には以下のような大きな問題があります。
1) 今回、久里浜医療センターが発表する「中高生のうち93万人が…」とされる数字はあくまで「依存が『疑われる』人」を抽出する為のスクリーニングテストによるものです。今回厚労省から事前公布されている樋口氏のプレゼン資料を見ると、その調査手法(抽出手法)としてyoungによるスクリーニング手法を使っていますが、当該調査手法は数あるスクリーニングの手法の中で最も「疑いのある者」を広範に抽出するものとして知られており、その中から実際に医師の診断の受けて「依存(障害)である」と判断される人はごく一部です。要は、同センターが発表する93万人という数字の中には「本当は依存ではない者」が大量に含まれており、社会的実体と乖離し過ぎている為、本来はこういった社会的傾向示す数字として利用されるのにはそぐわないものです。(本来は「医師の診断」とセットで医療的な目的をもって使われるもの)
(中略)
 その他、色々言いたいことはあるのですが、本日はまずもって厚労省会合が行われるにあたっての緊急のエントリとしてここまでとさせて頂きたいと思います。数字を「盛りに盛った」社会扇動的なオカシナ数字が、マスコミ内で踊らない事を心より祈念しております。
 厚労省研究班調査:国内中高生93万人にゲーム依存の疑い?!が報道される前に-ヤフーニュース
 しかしながら、私はこの尺度によって得られた数字が、いくつか問題がありつつも全く信頼できないものだとは考えていません。

 まず、上掲の引用記事で木曽氏が指摘する点ですが、確かにこの調査では実際の依存症患者よりも過大に割合が出るでしょう。そもそもそのための尺度なわけですから、当然です。
 しかしながら、「社会的実体と乖離し過ぎている」とか「数字を「盛りに盛った」社会扇動的なオカシナ数字」というほど乖離しているとも考えられません。尺度の中身を検討すると明らかなように、あの8項目のうち5項目を肯定する人は何らかの問題を抱えていると推察するに余りあるものです。

 むしろ、病理的診断が比較的厳格に下される傾向にある、つまり実際よりも過少に依存症に苦しむ人を評価する可能性がある点を考えれば、実際の診断から大量に落ちうることをもって「乖離し過ぎ」というのが妥当とは思えません。実態は、診断される者の割合とこの調査で病的だと理解される者の間にあると考えるべきでしょう。

 ちなみに、木曽氏は「国際カジノ研究所所長」の肩書からもわかるように、この手の行動嗜癖を過小評価することに利益のある立場です。実際、氏が「ギャンブル依存でも同じことをした」と批判している樋口氏の主張の変遷もざっと見ましたが、木曽氏の批判は「針小棒大」という印象しかありません。

 もう1つ、日本語論文の件ですが、まず指摘したいのはこの論文は題名に偽りありということです。少なくとも心理学では一般に、メタ分析といえばそれぞれの調査実験の効果量をまとめて再分析し、真の効果量などを推測する研究のことです。しかしこの論文は、単にほかの論文を集めてきて手法などを検討したにすぎません。レビュー論文というほうが実態に近いでしょう。

 それはさておくとして、この論文の批判の要点は、尺度がギャンブル依存症のものを流用しているが、それができる証拠がないということです。ある意味この1点のみといえましょう。

 確かに、ギャンブル依存症の基準をインターネット依存症に流用できるという証拠は心もとないものがあります。外形上同じであってもメカニズムは異なる可能性がありますし、尺度は古いためネット依存症の特徴であるメッセージアプリの利用やゲームをフォローできていません。改善の余地は十分にあります。

 しかしながら、両者とも同様の行動嗜癖であることを考えれば、同様の基準で一定のスクリーニングができると考えるのはやはり妥当でしょう。学習心理学的に考えれば、内面のメカニズムがどうあれ、行動への依存であれば外形上の共通項が十分揃えば同じ理屈が通用するはずです。

 何より、いちからネット依存の尺度を作って測定するよりも、多少の難点は織り込みつつすでに信頼されている尺度を流用するほうが、結果として信頼に足る測定になるかもしれません。とくに、IATは8項目と少なく平易であることが優れており、若年層に使用することを考えればその長所は捨てがたいものでもあります。8項目でそこそこ信頼できる尺度なら、とりあえずの利用には耐えうるでしょう。

 もちろん、前述のように改善点はあります。いい加減新しい尺度を作るべきです。しかし、古い尺度だからと言って全く信頼できないということにはなりません。

 重要なのは「どの程度」信頼できるか
 ここまで、調査と数字を検討してきました。大事なのは、単に信頼できるかどうかを考えるのではなく、どの程度信頼できそうなのかを考えることです。

 研究の信頼性をゼロイチで考えれば、あらゆる研究は最終的に信頼できない箱に入ります。完璧な研究はないからです。もしそうならないのであれば、単に自分で気づいていないバイアスで論文の内容を歪めているだけです。

 あらゆる研究には難点があります。しかし、そこを割り引いて考えれば有用な知見を得ることができます。
 今回の調査で言えば、まず間違いなく14.2%という数字は過大に出ているでしょう。しかし、実態からあまりにもかけ離れているというほどのものではありません。依存症の厳格な診断から少し離れ、ネット利用で不適応を起こしている者の実態を考えるのであれば、さほど不正確とは言えません。

 調査の数字はこのように、細かく見て限定的に信頼したりしなかったりすべきです。それをせずに全否定したりする振る舞いは、明らかにイデオロギーに駆動されていると考えるべきでしょう。

主張の真偽を検証する方法:「久里浜医療センター黒幕論」を例に

 久里浜医療センターは神奈川県にある医療施設で、多種多様な依存症治療で知られています。ネット上の反応では、このセンターが条例制定のために主導的な役割を果たし、さらにはあたかも「利権」のためにそれを行ったかのように書くものもありました。
 しかし、久里浜医療センターが主導的に条例制定にかかわったとする見方は、事実として疑わしいものがあります。
 条例の検討委員会は非公開かつ議事録もない状態であり(これ自体重大な問題です)、限られた情報から推測するしかありませんが、少なくともセンターの関係者が積極的に動いたとする証拠はありません。
 ゲーム規制:久里浜医療センター黒幕論が覆い隠すもの-広く表現の自由を守るオタク連合
 先日、私が発起人を務めている「広く表現の自由を守るオタク連合」の公式サイトで、以上のような記事をアップしました。香川県のゲーム規制条例に関する問題で、久里浜医療センターが事実に反して黒幕であるかのように論じられている問題です。

 その詳しい内容は上掲記事に譲るとして、今回はどのようなプロセスで検証の過程を辿ったのかを明らかにすることで、雑な議論を防ぐ役に立てようと思います。

 検証の過程をざっとまとめると、以下のようなプロセスを踏んでいます。
 STEP 1 「黒幕論」の実態を確かめる
 STEP 2 久里浜医療センターが実際に何をやった/言ったのかを確かめる
 STEP 3 久里浜医療センターの主張の根拠を検証する
 STEP 4 「黒幕論」を支える主張の根拠を検証する

 STEP 1 「黒幕論」の実態を確かめる
 まず、批判の俎上に挙げる主張の実態を確かめないことには話になりません。ネットの議論ではよくイメージだけで「○○がこう言ってる!」とやる人がいますが、最悪です。

 さて、実際に久里浜医療センターを悪しざまに言うツイートを検索すると、上のようなものが見つかります。とはいえ、めっちゃ多いわけでもないようです。
 「ゲーム障害」とか「ゲーム依存」を提唱し始めたのは、久里浜医療センターの樋口進院長。
 本も出してますね。
 久里浜医療センターは、日本で初めてネット依存を専門に取り扱う部門を作った病院というけっこう権威ある病院です。
 この院長にインタビューした記事がハフィントン・ポストにありました。
 WHO「ゲーム依存」疾病認定までの6年間、舞台裏の記録
 インタビューでは、WHOに「ゲーム依存」という病気を認めさせるまでの苦労が書かれています。
 現在使われているWHOの国際疾病分類第10版(ICD-10)が改訂されたのは30年近く前…当然古いので「ゲーム依存」「ネット依存」はありません。
 しかし。2019年に国際疾病分類は改訂され、2022年には第11版(ICD-11)が正式に発行されます。
 時代は大きく変わりネットやゲームが普及していることで「ゲーム依存」「ネット依存」もあるだろう…と思いきや、どちらも草稿の段階からありませんでした。
 これに大きなショックを受けた院長はWHOに「ゲーム依存を病名に入れるべきだ!」としつこく提案し、プロジェクトを始めさせることに成功します。
 ところがWHOには研究に着手できるだけの予算がありませんでした。
 なんとしてもゲーム依存を認めさせたい院長は、WHOに予算を提供し研究を進め、ついに「ゲーム依存(gaming disorder)」を認めさせました。チャンチャン。
 …おおよそ書いてある内容はこんな感じですが、ここで1つ
 この研究は果たして中立性があるのか?
 という疑問が出てきます。
 草稿からゲーム依存なんて考慮されてないわけで、WHOはこの問題を研究する予算をまったく組んでなかった可能性が大いにあります。
 もちろんこの”投資”が成功して「ゲーム依存」が正式に病気として認められたなら、病院としては患者が来るのでとても儲かります。
 なんせ久里浜医療センターって日本で初めてネット依存を専門に取り扱う部門を作った所なんだから、
 うちの子ネットやる時間多いから…とりあえず日本初の権威ある病院に見てもらおう…
 って金づるがじゃんじゃん来ますし、ケガやウイルス感染とか緊急性もない案件で病院はウハウハでございます。
 まぁ病院の利益という点についてはあくまで推測ですけどね。
 でも先ほどの喫煙による研究と同様に資金提供もあり、研究結果によっては利益に繋がるわけで…
 WHOにいくら渡した?
 という邪推が出来てしまいます。
 んなもんで、この研究は中立とは言いがたいものがあったりします。
 「ネット・ゲーム依存症」は病院の陰謀説! – 香川県の「ネット・ゲーム規制条例」について ♯2-NA-CHANET
 Twitterの外に目を向けて検索してみると以上のような記事もヒットします。とはいえ、こちらもすごく盛んという印象はありません。

 とはいえ、調べていくと「久里浜医療センター黒幕論」が主に
・久里浜医療センターは利権のため主導的に条例を推進している
・ゲーム依存の問題は実在が怪しい
 の2点から成り立っていることがわかります。

 STEP 2 久里浜医療センターが実際に何をやった/言ったのかを確かめる
 次に、彼らの主張の支柱である2点が正しいのかを検証します。このとき気を付けるべきなのは、必ず「久里浜医療センターが実際に行ったりやったりしたこと」をベースに検討することです。伝聞で理解しようとすると、その伝聞を伝えようとする人の考えで歪んだ情報しか入ってきません。

 県議会の検討委員会は非公開で議事録もないため、ここでのセンターの動きは判然としません。唯一の手掛かりは共産党の秋山時貞県議がねとらぼのインタビューに答えた『「ゲームは平日60分まで」はどのようにして決まったのか 香川県「ゲーム規制」条例案、検討委の1人にこれまでの経緯を聞いた』だけですが、これで十分でしょう。条例反対派の県議から見て、センターがさほど主導的な役割を果たしていないと映るのであれば、それは事実に近いと推測できます。

 もう1つ、ゲーム依存症について久里浜医療センターの主張を検証していきます。

 まずさっくり手に入るのはダイヤモンドの記事です。が、Twitterで書いたように特に問題がある記述には見えません。ゲーム依存症を懸念する立場ですが、ことさら煽るような書き方ではありません。

 センターの調査が行われているらしいことは、この検討の過程で見た種々の主張や山田太郎の動画で分かっていました。なので検索すると、まず依存症対策全国センターの資料ページに、ゲーム使用状況等に関する全国調査というものがあります。山田太郎の動画で出てきた資料はこれですが、久里浜医療センターのものではないのでいまは割愛。

 検索を続けると、以下のような記述のサイトが見つかります。
 hylom 曰く、
 2月6日に厚生労働省が開催した「ゲーム依存症対策関係者連絡会議」で使われた資料によると、2017年時点でネット依存が疑われる中高生割合は14.2%にのぼるという(ITmedia NEWSの記事、 発表スライド: PDF)。
 この資料は依存症の治療を研究・提供している国立病院機構久里浜医療センターが作成したもの。同センターは2011年よりインターネット依存症治療部門を設置しており、2008年に実施した調査結果から日本における成人のネット嗜癖(依存)傾向者を270万人と推計している。
 なお、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類第11版(ICD-11)ではゲーミング障害(gaming disorder)が行動障害の一つに分類されているが、ネット依存については含まれていない。
 中高生のネット依存に関する数字の元になったのは「飲酒や喫煙等の実態調査と生活習慣病予防のための減酒の効果的な介入方法の開発に関する研究」とみられる。
 スラド
 検索をするとわかりますが、久里浜医療センターの主要な主張として、中高生にゲーム依存症の疑いがある人が14.2%いるというものがあります。ただし気を付けるべきなのは、報道では「疑い」であることが述べられているということです。抜け落ちがちですが。

 ちなみに、センターの主張として「ゲーム時間を制限すると依存症対策に効果がある」と読めるものは特に見つかりません。前述の全国調査の報告書も実態としてゲーム時間が長いと問題を抱えるものが多いと傾向を述べるにとどまっており、この辺は規制を進めたい県議が積極的に曲解したと理解すべきでしょう。

 STEP 3 久里浜医療センターの主張の根拠を検証する
 ここで重要なのは、14.2%という数字を見たときに、そのまま反応するのではなく、どのような根拠で登場した数字なのかを知ることです。人間は割合の理解が苦手な生き物なので、「そんなに多いはずない!」と思っても実は結構正確だったみたいなことはよく起こります。

 さて、上掲の記事はご丁寧にも、数字のもとと考えられる調査へのリンク付き。ラッキーです。リンク大事。
 実際にリンクを踏むと、厚生労働省科学研究成果データベースというサイトに行きつきます。おそらく厚労省の助成を得た研究の成果なのでしょう。このサイトが見つからなかった場合、少なくともゲーム依存症14.2%という数字の検証はもっと手間だったと思われます。

 もし都合よくこのようなサイトが見つからなければ、グーグルスカラーで検索するほかないでしょう。ただ、無数にある、かつダウンロードできないものも多いところからお目当ての論文を探すのは、専門家でなければ困難です。

 厚労省のサイトには研究に関連する刊行物の一覧があります。そこには英語論文が2本示されており。そのうち1つがあたりです。その論文では調査回答者を依存症の疑いがあるものとそうではないものに切り分けた根拠が書かれていますが、尺度が別の論文からの引用なのでさらにそれを遡ります。すると見つかりました。

 ここまでいって、ようやく久里浜医療センターの調査の妥当性が確かめられます。この辺の話はさらに込み入るので、中身自体は別の記事で書こうと思います。

 STEP 4 「黒幕論」を支える主張の根拠を検証する
 ところで、久里浜医療センターの主張をあれこれ細かく検討したのですから、「黒幕論」のほうの主張も検討しなければフェアではありません。すでに「黒幕論」が誤りであることは、センターが主導的に条例を推進したという点では明らかです。

 ここではもう1つの、ゲーム依存症についての考え方を洗っておきましょう。
 まず「『ネット・ゲーム依存』についてちゃんと調べたのか?」という疑問があります。
 「インターネット依存について書かれた論文」を複数調査したメタ分析が日本にも論文として上がっていました。
 日本における「インターネット依存」調査のメタ分析
 これによると
・ネット依存かどうか判定するテストは、ギャンブル・アルコール依存のテストから項目を転用したもので根拠に乏しい
・利用時間が長いとかによる定義や根拠なし
・調査対象が若者に偏っており、非若者層を対象とした調査がごく一部しかない
 という調査内容が書かれています。
 さらに「『ゲーム依存』は病気なのか?」という点についても疑問が大いに残ってます。
 米国科学アカデミーが発行する学術雑誌プロナスにも「ゲームに熱中する若者に『中毒者』呼ばわりはどうなのよ?」って論文があります。
 News Feature: Is video game addiction really an addiction?
 文中では何かに熱中し続けることを中毒と認定することを批判しております。
 この論文内に「うつ病で一日中ベッドにいるからって『ベッド中毒』とは言わないでしょう」と、ステッソン大学のクリス・ファーガソン教授の言葉がありますが、本当にその通りだなあって。
 WHOよりアップデートの間隔が短く、かつ2013年に改定が進んでいるアメリカ精神医学会(DSM)でも「証拠不十分」と、ゲーム障害の認定を却下したことが描かれています。
 さらにさらに「『ゲーム障害』の認定はかえって害だからWHOは『ゲーム障害』をICD-11から削除しろ」という論文も出ています。
 Scholars’ open debate paper on the World Health Organization ICD-11 Gaming Disorder proposal | Journal of Behavioral Addictions
 これを書いたのはコペンハーゲン大学、オックスフォード大学、ミュンスター大学、ストックホルム大学、シドニー大学…など世界最高峰の研究機関に在籍する学者達です。
・ゲーム依存についての内容が、ギャンブルや薬物使用の内容に依存しすぎ
・サンプル数が少なく研究不足
・「ゲームが危険」と親が認識してしまい、健全に遊んでる子供との関係が悪化し、永続的な子供への虐待の可能性あり
・ゲーム障害の治療と称した「軍隊式キャンプ」に参加させられる子供がすでに居て、子供の権利をいくつも侵害している。
・WHOは子供の権利を守るためにも、この研究不足なゲーム依存の病気認定を撤回せよ!
 とけっこうボロクソに書かれています。
 このようにゲーム障害を病気認定するだけの証拠が不十分という問題点が日本国内外からも出てるわけで、WHOになんか働きかけてないか?って思うわけですよ。
 『ゲーム障害』という病気を認定した場合の問題点もポンポン出てくるわけで、やっぱり病気扱いするのはマズいですよねぇこれ。
 「ネット・ゲーム依存症」は病院の陰謀説! – 香川県の「ネット・ゲーム規制条例」について ♯2-NA-CHANET
 さっき引用した記事は、こんなことを書いていました。一番上の日本語論文は後で検討することにして、さっくりと後2つの英語論文を否定しておきましょう。

 英語論文を引用すると誰もしっかり読まないと思うのか、適当なことを言うのが表現の自由戦士界の常套手段です。しかし、このような手口は簡単に見破ることができます。
 なにせ、全文をGoogle翻訳にぶち込めばいい話ですから。
 もちろんあまり褒められた手段ではありませんが、大意を掴むには十分です。そして、それだけで彼らの適当な引用を否定するには十分だったりします。

 まず前者の記事ですが、確かにゲーム依存症を批判的に検討しています。しかしその論調は「『ゲーム依存』は病気なのか?」「ゲームに熱中する若者に『中毒者』呼ばわりはどうなのよ?」とまとめられるものではありません。
 ゲーム依存症は行動嗜癖、つまり物質ではなく行為に依存するものです。そのメカニズムは物質依存とは違い、また異常と正常を分けるのは程度ですが、そのポイントが曖昧であることも事実です。そのような観点から批判しているのであって、ゲーム依存症という病気はないという話をしているわけではありません。ゲームが問題を引き起こす事例があることも言及しています。

 後者の記事は、正直訳すまでもありませんでした。ゲーム依存症を診断に加えることの問題がいくつか挙げられていますが、そこにエビデンスはありません。何も引用文献がないのです。つまりこの問題はあくまで著者の推測、想像の域を出ておらず、そもそも実際にそのような問題が生じているという根拠すら提出されていません。ちなみに言えば、ゲーム依存症を診断に加えると問題が生じるということは、ゲーム依存症がないという話とは全く違いますが、ブログ記事の筆者はその辺の区別も曖昧のようです。

 長くなりましたが、このようなプロセスを踏んで真偽を明らかにするのは、実はさほど時間のかかるものではありません。慣れれば30分でできます。興味のないことに手間暇をかけたくないという人の気持ちは理解できますが、熱意をもってこの問題に取り組んでいる人の中にも、この程度の検討をしていない人が目立つのは極めて不思議なことです。

犯罪学者が #新大学生に勧めたい10冊

 今回は書評特別編。Twitterでハッシュタグが流行っていたので、乗っかろうという次第です。
 10冊という枠ですが、今回は以下の分類で行きましょう。また、その1冊を読んだ後におすすめのものもあれば挙げておきます。なお、書名にリンクがある場合は、本ブログに書評記事があります。

・犯罪を知るための4冊
・心理学を知るための3冊
・他分野を知るための3冊

 ではスタート。

 犯罪を知るための4冊
1.越智啓太 (2013). ケースで学ぶ犯罪心理学 北大路書房

 大学の講義で使用されることを想定して書かれたという1冊です。犯罪心理学の幅広い分野について、事例を交えながら基礎的な知識を学ぶことができます。特に事例を交えながらというのがポイントで、こういう知見は社会とのつながり抜きに理解しにくく、また繋がりがなければ意味のないものだからです。本書は薄く、内容も平易なので、最初の1冊に最適でしょう。

2.仁藤夢乃 (2014). 女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち 光文社
 大学で知識を学ぶことの1つの大きな意義は、無知ゆえの誤解を回避することです。この誤解が最も生じやすいといえるのが、性差別問題、犯罪心理学でいうならば性犯罪の問題でしょう。
 性犯罪の問題を扱った良著はそれこそ山のようにありますが、最初の1冊として、現在も社会問題となっている「JKビジネス」の実態を知るという意味も込めて本書を読むべきです。この1冊を読めば、少なくともヤフーニュースのコメント欄にくだらないコメントを残す状態からは卒業できるでしょう。
 次の1冊:角田由紀子 (2013). 性と法律――変わったこと、変えたいこと 岩波書店 

3.荻上チキ・浜井浩一 (2015). 新・犯罪論 ―「犯罪減少社会」でこれからすべきこと 現代人文社
 犯罪心理学における大きな誤解の1つは、犯罪が増加しているとか、治安が悪くなっているというものです。この手の主張は統計に当たればすぐにわかるのですが、その統計に当たるというのが実際は難しいところです。本書は犯罪統計の基本的な知識をフォローしつつ、そのあたりの議論を理解する第一歩として有用でしょう。
 次の1冊:河合幹雄 (2004). 安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学 岩波書店

4.廣井亮一 (2001). 非行少年 家裁調査官のケースファイル 宝島社
 誤解が生じやすい分野、最後の1つは少年犯罪です。少年犯罪の実情を知るために役立つ、良質なルポは数多く存在しますが、本書は家庭裁判所の調査官の立場から書かれており、その辺の仕組みをうかがい知ることもできる点が優れています。
 次の1冊:岡部健(2013). 現代日本の少年非行―その発生態様と関連要因に関する実証的研究 現代人文社

 心理学を知るための3冊
5.スコット・D・リリエンフェルド他 (2017).本当は間違っている心理学の話 50の俗説の正体を暴く 化学同人

 心理学を学ぶ方法は多くありますが、誤解を解くところから学ぶのは1つの手でしょう。DaiGoを真に受けるとか勘弁してほしいので。本書は50もの俗説が扱われていますから、まさしく幅広く心理学を学ぶのに最適でしょう。1つは信じ込んでいた俗説が出てくるはず。
 次の1冊:サリー・サテル他 (2015). その〈脳科学〉にご用心 脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店

6.高 史明(2015). レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット 勁草書房
 心理学を知るうえで、極めて本格的な学術書にチャレンジするのもいいでしょう。とはいえ本書は、Twitterにおけるヘイトスピーチという、ネットを使うものにとってはなじみある問題を扱っています。調査方法はいささか心理学の下手な手法からは離れてしまうところもありますが、それもかえって面白いかもしれません。

7.ポーラ・カプラン, ジェレミー・カプラン (2010). 認知や行動に性差はあるのか 科学的研究を批判的に読み解く 北大路書房
 心理学にありがちなのが、ある変数をとって性差を見て云々するというものです。性別によって差があるというお話は万人が好むところですので、みんなやりがちです。みんなやりがちなところに「それってどうなの?」と泥をひっかぶせるのがいい心理学者です(断言)。
 本書は性差について批判的に検討したものですが、本書の方法はほかのあらゆる研究を批判検討する際にも役立つものです。学んでおけば一段上の研究ができるようになります。

 他分野を知るための3冊
8.前田健太郎 (2019). 女性のいない民主主義 岩波書店
 他分野……といっても結局犯罪学に近い何かにはなりがちですが、大学生の教養として知っておくべきものがいくつかあります。本書は政治学とフェミニズムを扱っており、書評でも言及しましたが、政治学の基礎知識を学びつつ、その基礎がいかに偏ったものだったか批判的な視点を提供してくれるという点で優れた1冊です。ぜひ読むべきです。
 次の1冊:加藤秀一 (2017). 初めてのジェンダー論 有斐閣

9.西内 啓 (2013). 統計学が最強の学問である データ社会を生き抜くための武器と教養 ダイヤモンド社
 私は犯罪学が最強だと思っているので題名に異論は挟みますが、それはさておき本書が統計学の良質な入門書であることは事実です。ほとんど数式を使わず、統計の考え方をインストールできる書籍は少ないでしょう。統計の講義が始まる前にこの1冊を読んでおくだけで、理解度が大きく変わるはずです。

10.北村紗衣 (2019). お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門 書肆侃侃房
 本書はフェミニズムでかつ批評の本です。私がカクヨムで『性暴力表現を公から追放する論理』を記したときに思ったのですが、社会の人は想像以上に「論理で主張を組み立てる」という振る舞いが理解できず、また自分でもできていません。批評はテクストを手掛かりに、ある種貧弱とも言われかねない証拠から論理によって自説を展開していく振る舞いなので、良質な批評を読むことでこの作法を学ぶことは重要です。本書冒頭にある批評そのものについての解説だけでも読むべきでしょう。

だから相関関係しか見てない研究一本だけで「ゲームに悪影響はない!」と断言するんじゃない

 米国ヴィラノヴァ大学とラトガース大学より、ゲームと暴力事件の発生率に関する研究結果が発表されました。
 “Violent Video Games and Real-World Violence: Rhetoric Versus Data”と名付けられたこの研究結果では、2007年から2011年のゲームの販売本数と殺人/暴力事件の発生件数が集計されており、データ群の時期などを比較してゲームと犯罪率の関係性について報告しています。
 共同著者のPatrick Markey氏は調査結果を挙げながら、ゲーム販売本数が急上昇している時期に対して、同時期に発生した殺人/暴力事件の件数が比較的少ない例について触れています。このことから、ビッグタイトルが発売することにより犯罪率が減少しているのではと言った推察も導かれている模様です。
 また、『Grand Theft Auto』や『Call of Duty』シリーズのリリースと犯罪発生率には一定の関係性も見られており、両シリーズ発売後には最大三ヶ月ほど犯罪率が低下する傾向にあることも伝えられています。
 ゲームと暴力事件発生率の関係性とは?米大学が研究結果を発表-Game Spark

 これらの件です。
 相関研究だけで因果関係を論じる愚についてはいまさら論じるまでもないでしょう。その点については『「ポルノ利用と性犯罪発生件数には相関がある!」はなぜ無意味なのか』や『心理学にも統計学にも明るくない人が心理学の論文を読むうえで気を付けるべきこと』をご覧ください。
 今回は心理学者らしく、 論文それ自体にあたってみました。

 Violent Video Games and Real-World Violence: Rhetoric Versus Data
 この研究はざっくりいうと、ゲームの売り上げと暴力犯罪の発生件数の相関を見ているものです。論文はこちらから。
 本当に相関関係しかみていません。なので、社会全体のゲーム売り上げと犯罪発生率に、有意な負の相関があることが示されていますが、別に犯罪発生率の低下の原因がゲーム売り上げであるとまでは言い切れません。

 しかし、この論文、あほが騒ぐのに使っているので心証が悪くなりがちですが、分析としては結構面白いことをしています。

 その1つ目は、自己相関を見ているということでしょう。ざっくりいうと、「2000年の犯罪発生件数とゲーム売り上げの相関」だけでなく、「2000年のゲーム売り上げと2001年の犯罪発生件数の相関」を見たりしているということです。

 私は統計にそこまで明るくないのですが、これをやると大きなトレンドとして存在する「犯罪発生件数が年々低下している」効果を消して関連を見ることができるようです。仮説的にも、ゲーム売り上げの効果は遅れて現れるはずなので妥当な分析でしょう。実際に、自己相関を見ると大半は非有意ですが、2か月後には有意な負の相関がみられています。

 もう1つ面白いのは、ゲームプレイ行動の指標として、ネットで攻略サイトが検索された頻度を利用しているということです。ゲームなりポルノなりの影響を検討する研究のネックのひとつは、購入≠使用ではないということです。買っても積むことはありますし、逆に買わずに借りることもあります。しかし、攻略サイトの検索はほぼイコールでプレイに直結するはずです。これは非常にうまい手です。はっきり言って感心しました。

 ちなみに使用されたのはグラセフのようです。オープンワールドゲームのマップ検索件数を利用するとは、やりおる……。

 とはいえ、相関研究の域を出ないこともやはり確かです。

 なぜ負の相関が?
 論文著者は、負の相関の理由をゲームの犯罪抑止効果に求めますが、私の考えでは、単にゲームに熱中している人間は犯罪をする暇がないだけだろうと思います。それを抑止効果と呼ぶかどうかは判断が分かれるでしょうね。

 また、有意な相関がないことは、その2つに関連がないことを意味しません。これは統計的仮説検定の特性ですが、そんなややこしいことを考えずとも、「悪影響はあるが社会にある要因が中和している」可能性に思い至ればわかりやすいと思います。社会的な統計に表れる程度の悪影響がないことは喜ばしいことですが、それを「悪影響がない」と表現するのは端的に言って誤りでしょう。

 そもそも、心理学研究とは相反する結果が出た研究が存在することも珍しくありません。自説に都合がいい研究が1つあるからといって即座に結論に飛びつくのは早計もいいところでしょう。
 お前のことだぞおぎの!

【書評】学校に入り込むニセ科学

 今回はニセ科学批判者として有名な左巻健男氏による1冊です。内容としてはほぼ犯罪に関係しないのですが、本ブログでも『都知事候補たちのトンデモ心理学』などで批判してきた「親学」に関する内容もあるので軽く触れておきましょう。

 ニセ科学教育に跋扈するTOSS
 さて、本書は学校に潜むニセ科学教育を批判するという内容になっていますが、実際のところほぼ全編を通してTOSS批判になってしまっています。

 TOSSというのは向山洋一が設立した教育団体です。当初は教育方法の法則化を掲げ、全国から優秀な教育方法を募り共有する運動を行っていました。ですが、この向山というのが生粋のカルティストであり、TOSSはあっという間にニセ科学を学校に浸透させる「元凶」に成り下がったようです。

 その手広さたるや、呆れてものも言えないくらいです。
 なにせ、水からの伝言もTOSS、EM菌もTOSS、もちろん親学もTOSS、江戸しぐさもTOSS、原発安全神話もTOSS、挙句は「伝統的な日本食でガンを防ぐ」とか「白砂糖は危険」もTOSSという、これでは教育団体なのかニセ科学コレクターなのかわからないという有様になっています。

 なかなか不思議なのは、元来左派系の思想と相性がいい(週刊金曜日にその手の話題が毎回載っているくらいなので)はずの「白砂糖系」食品ニセ科学が、右翼と近い距離にあるTOSSで肯定的に取り上げられている点です。ネトウヨの振る舞いを見ても、食べ物に頓着しないことこそ美徳みたいな感じがあるのに……。

 もちろんゲーム脳だって
 一時期流行って今やすっかりニセ科学の代表例となったゲーム脳だって、しっかりフォローしています。そう、TOSSならね。提唱者の森昭雄が作成した不確かな機材によって測定された脳波の画像を子供に提示し、最終的にゲームをやりすぎないようにしようと思わせる授業構成になっています。

 もちろんゲームのやりすぎに悪影響はないといえないでしょう。しかし、そのような主張は適切な科学的エビデンスに基づいて行われるべきであり、なんだかよくわからないビジュアルで子供を騙すように行われるべきではありません。

 筆者も経験したEM菌
 このブログを読んでいる人には、いや自分はこんな経験はなかった、TOSSといってもさほど有力な団体じゃないんでしょ?と思う人がいるかもしれません。
 しかし、著者によればTOSSの会員は現在1万人超であり、日本最大の教育団体となっているようです。

 そして実際に、私も小学生のころEM菌教育に直面したことがあります。
 幸いにも?私の学校でEM菌を扱うことはなかったと記憶しています。しかし、近隣の別の小学校がEM菌を扱っており、環境教育の一環として勉強した内容を話し合おうという授業が行われていました。私たちの学校の内容はミミズだったので、よかったですね。

 ですがEM菌教育はその後も続いたようで、川の浄化のためにEM菌を投げ入れたみたいな話を聞いたような記憶もうっすらあります。いやぁ、くわばらくわばら。

 あなた自身は経験なくとも、あなたのそばの小学校はこの瞬間にもEM団子を川に投げてるかもしれませんよ?

 まぁ、EM菌はなんだかよくわからない雑菌の塊なので、川に投げたところで大した問題は起きないと予想されますが、一方で行われている「EM菌でプールをきれいに」とか「EM菌を加湿器で教室にまく」とかはダイレクトに児童生徒に悪影響が出そうなのですぐにやめていただきたい所存です。なにせ、よくわからない菌の塊ですからね。そんなものをプールに入れたり教室にまくなんて正気の沙汰ではありません。

 諸悪の根源は
 ちらりと書きましたが、TOSSは右翼との距離の近い団体です。まぁ、右翼肝いりの親学を肯定する時点で察せられますが。TOSSはかつて文科相だった下村博文氏が代表を務めていた自民党東京都第11選挙区支部に献金を出していました。TOSSはNPO法人であり、NPO法人は特定の公職にあるものを支持してはいけないというルールがあるので、特定非営利活動促進法違反です。

 ちなみに、私は本書を読む前からTOSS及び向山のことは知っていました。向山に関しては顔まで知っていました。なぜかというと、産経新聞に定期的にコラムを書いていたからです。このことからも右翼との近さがわかります。

 親学、産経、そして下村に繋がっているということは、当然安倍晋三とも近いということです。実際、TOSSのセミナーには安倍首相や山谷えり子からの応援メッセージが寄せられています。

 安倍山谷コンビは、『清く美しい家庭はどうか知らないが性犯罪者は待ってくれないよ?』でも取り上げたように、バックラッシュが盛んな時期に日本の性教育を潰して回った張本人です。
 結局のところ、そこにつながるわけですね。

 左巻健男 (2019). 学校に入り込むニセ科学 平凡社

犯罪心理学者(途上)、アマ小説家。カクヨム『アラフォー刑事と犯罪学者』『生徒会の相談役』『車椅子探偵とデスゲームな高校』犯罪学ブログ『九段新報』など。質問はhttps://t.co/jBpEHGhrd9へ
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