2012年06月

第3回 山頭火 

『朗善しんじゅの句碑めぐり)の

第3回目は 種田山頭火です~

山頭火は幼いころお母さんの自殺ということによって

心を痛めてしまいました。

しかも、その無残な姿を見てしまいます。それはショックだったでしょうね。

その後の人生に大きな影響を及ぼす出来事でした。


彼は放浪の俳人とも、自由律の俳人ともいわれ、

心の隙間を埋めるように俳句を詠みました。

山頭火の終の棲家である『一草庵』の庭には、山頭火を偲んで4基の句碑があります。
 

鉄鉢の中へも霰          山頭火
(てっぱつのなかへもあられ)


昭和7〈1932〉1月8日、福岡県遠賀郡芦屋町で托鉢(たくはつ)に出たときの句。 

『行乞記(ぎょうこつき)』にと記し、この句がある。

「今日はだいぶ寒かった。一作六日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、

雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは
行脚(あんぎゃ)らしすぎる。」



この日、6里(約24Km)を歩いたそうです。

没後、初めて建てられた(山頭火にとって2番目の)句碑で、

山頭火の鬚(あごひげ)が納められています。

鉄鉢というのは托鉢に出るときに、お金やお米などを入れてもらうための鉢の事です。

この句のように、厳しい辛い時には、鉄鉢と言い、気持ちの良い時には鉢の子と使い分けています。       

昭和16年3月21日建立

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拓本禁止と写真にあります。これは、句碑が古くて、

壊れかかっているので危ないからだそうです。

気を付けて下さいね!!。


春風の鉢の子一つ(はるかぜのはちのこひとつ) 



昭和8(1933)年3月19日、山口市小郡町での句。

『其中日記』に、句友3人が来庵、

「其中庵稀有の饗宴がはじまった。よい気持で草原に寝転んで話した、

雲のない青空、そして芽ぐつつある枯草。道に遊ぶ者の親しさを見よ。

夕方、それぞれに別れた、

私は元の一人となった、さみしかった。」と記し、この句がある。

       


 昭和48年3月21日建立

 
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濁れる水のなかれつゝ澄む
  

(にごれるみずのながれつつすむ)


 

死の1か月前、『山頭火句帳』の昭和15(1940)年9月8日の項に、

「濁れる水のながるるままに澄んでゆく」の句とともに記されている。
 

一草庵の前を流れる大川を詠んだ句ですが、

自分の人生を表した句でもあるようです。



20年近い流転孤独の生活の悩みと寂しさに、

濁れる水のようだと心の辛さを表現し、

自分の情けなさにをむち打ち続け、それでも、本来の自分を

取り戻そうと努めた山頭火の境涯が重なりますね。

少し小さな石の方に傾いている句碑が心を表現しているようでもあります。                                                                


平成2年10月10日建立


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一洵君に
 

おちついて死ねさうな草枯るる(おちついてしねそうなくさかるる)

 

 昭和14(1939)年12月15日、

高橋一洵が奔走して見つけたこの草庵に入った山頭火は、

日記に「私には分に過ぎたる栖家である」と記し、

その苦労に感謝し一洵にこの句を呈した。

「死ぬことは生まれることよりもむつかしいと、老来しみじみ感じ」た山頭火が、

一草庵を終の住処としたのは何かわかる気がする。

 

翌年3月には、改めて「おちついて死ねさうな草萌ゆる」と詠んでいる。      

 

平成6年10月10日建立





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このほかの山頭火の句です。


さて、どちらへ行かう風がふく

・また見ることもない山が遠ざかる 

・うしろすがたのしぐれてゆくか

・あるがまま雑草として芽を吹く

・捨てきれない荷物のおもさまへうしろ

・わかれてきた道がまつすぐ

・旅の法衣がかわくまで雑草の風

・どうしょうもない私が歩いてゐる

・なむあみだぶつなむあみだぶつみあかしまたたく

・からす啼いてわたしも一人

・分け入つても分け入つても青い山

・死ねない手がふる鈴をふる

・ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

・もりもりもりあがる雲へあゆむ (辞世の句)



自由にリズムをとりつつ俳句というとても短い句に自分の気持ちを託したんですね。


どうしようもない人間・・・ みんなどうしようもない部分をもっています。
 

どうしようもない部分と向き合った人が山頭火です。
 

生きているということはどういうことですか?
 

生まれて、死んで、好きになって、子供が出来て、怒り、苦しむ、

そんな人間としての悲しみに真っ向から向き合った山頭火。

その人生はマネできないし、ほめれるものではないけれど、

人間の悲しい部分をわかってくれる俳人のような気がします。

みんな辛いときがあるんだよ!悲しいときがあるんだよ!

 


 

俳句で楽になれることもあるんですね。

ではまた次回!!
 

朗善しんじゅの句碑めぐり第2回目 一茶&樗堂 

じゃ、朗善自己紹介ねー。
わたしの特技はー、苗字がころころ変わること!( ´∀`)つ
趣味はスキーと俳句ねー。仕事は松山はいくガイドっす。
チェリストのニックと二人で、蜘蛛の巣庵に住んでます。
ハンバーガー&草引きつーイベントを考えてますんで、興味ある人は知らしてねー。

では早速いきます、朗善しんじゅの句碑めぐりー二回メー!おそいー。更新遅い朗善。おそすぎー。
しかたないんですー、ベルギー行ったり、道後で青鷺と過ごしたり、
更新のしかたわからんかったりー、まーつべこべあって、
でもやっと更新しますー。庚申庵ー。

さて今回はね。一茶と松山です。
あの小林一茶ってば、松山が大好きだったー!
いやーしょっちゅう来てましたねー彼は。来て何をしてたか。
それは俳句です。俳句をつくりー、温泉につかりー、句会をしてた。
仲良しの友達がいた。(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!その名も栗田樗堂。
古町の駅から歩いていける庚申庵のオーナーでした。
では二人の句碑をごしょーかい!

一つ目は一茶の句碑。

寝ころんで蝶泊らせる外湯かな 一茶

issakuhi


江戸時代の道後温泉。そこには牛馬乞食入り込みつって、
傷ついたアニマルやホームレスがフリーで入れる露天風呂があったって。
のびのび寝てる人のおなかにとまるチョウチョがまぶしいなー。
あっちのほうが楽しそーだなーと。一茶はいつも貧しいものや、
小動物の気持ちになっちゃう人なんで、ついこう詠んだ。と、朗善は思います。

この時代にタイムスリップしたくなるよねー。こんな句を読むと。
この句碑は、道後公園の入り口のところにあります。

次は、松山で一茶を迎えた樗堂の句碑。
庚申庵写真①

草の戸のふるき友也梅の花 樗堂

樗堂は52歳の時に、庚申庵を結びました。
俗世をちょっとだけ離れ、風流世界に生きる、素敵ですねー。気持ちわかる。
この庚申庵は、古町や宮田町の駅からすぐ、フジグランとか見えて超街中なんですが、
一歩入れば別世界ー。玄関にこの句碑があります。
草の戸とは庵のこと。ここの古い梅がぼくの友達だよー、と樗堂はいってます。
私も、道後公園の青鷺が親友なんでよくわかる。

その梅が散るころのこと。夜、庵の庭に入ると、月明かりに屋根瓦が白く輝いてる。うっそー雪っすか?!まじで?いやちがんだよ。よく見ると、梅の花びらが屋根に散ってるんです。
官能的でしょー。朗善の大ー好きな句です。

つやつやと梅ちる夜の瓦かな 樗堂

今お庭には古い木はありませんが、若い樹が植えられてあります。
子供の瞳のように清らかな花が一輪咲いてました。

庚申梅20120205134812


では第3回目。しんじゅさん、よろすぃーくーv( ̄∇ ̄)v
と、 

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