2007年02月

2007年02月16日

「自由社会を守れ」で述べたことは、読み返してみるとけっこう支離滅裂であるが、結局私は「学校教育で何が変わるの?」と言いたいのだ。いや、こう言うと誤解を生むか。

私は教育基本法改悪には反対だし、子ども達にはなるべく余計なストレスのない環境がいいと思っている。また、入学式・卒業式の日の丸君が代をめぐる軋轢を目撃することを通じて、かけがえのない教育的体験をしてほしいと願う。

でも、学校なんてしょせん生活時間の半分位かそれ以下の拘束である。ちなみに私が経営している保育園には、一日10〜13時間を過ごす子どもがザラにいる。単純に考えて学校より保育園の方がよっぽど子どもの生育に影響がある。こんなことを言ったら「政府から保育園に補助金を出すかわりに、保育園でも君が代やれ」なんてヤラれそうであるが。

かつて士別の北隣にある名寄短大で赤い怪気炎を吐いていた「教育学者の」藤岡信勝センセイに代表されるウヨ教育者も、教育熱心・学級経営熱心タイプな日教組のセンセイも、少し頭を冷ませといいたい。

学校教育は、それで日本の将来が100%決まっちゃうような「魔法の杖」じゃないんですよ?(60%位決まりそうだが)。
そこはあくまで学修の場で、あくまで子ども達に試行錯誤を許す場で、いわばあくまで「実験」の場ですよ。もし私が校長で、自由に裁量できるとすればこんな風に実験してみるな。

   ☆2007年度・・・・軍隊式規律。現役将校または在郷軍人による
            ゼロ・トーレランスな風紀指導。
            教育勅語・皇居遙拝は当然。
            07年度校歌『出征兵士を送る歌』

   ★2008年度・・・・制服廃止。リベラルかつ反体制的活動を奨励。
            セクシュアリティについて考える機会を設け、ジェンダーフリー、
            アンチレイシズム、等々徹底的に仕込む。
            08年度校歌『インターナショナル』

   ☆2009年度・・・・前年度出現した左翼分子生徒を徹底的に弾圧(のマネ)。
            反共・排外主義に基づく教育。
            イベント:校内軍事クーデター(これが春の始業式代わり)
            ゼロトーレランス・皇居遙拝等の復活は当然。
            09年度校歌『日本陸軍』

   ★2010年度・・・・始業式でプロレタリア革命。制服廃止。
            前年度右翼生徒に対する人民裁判開廷。
            学校を左翼的落書きだらけにして演出。
            10年度校歌『赤旗の歌』『東方紅』

まぁ笑って下さい。でも子どもって、こういう実験的環境でこそ伸びるのは本当だ。

  *念のため言っておくが、自分の保育園でこんなことしてないよ。
   ただ、制度や環境が絶対的なものであるのかどうか、
   子どもが自分で考えてみること、行動して変えてみることは
   何より大事な「教育」でしょうがー!

「教育熱心」な自分を相対化できてない左右の大人たちによって、いかに今まで学校がつまらなかったか、よ〜く考えてみて下さい。そしてこのたびの「教育改革」によってますますツマらなくなるわけだね....

(21:31)

2007年02月04日

 最近、植木等主演(古澤憲吾監督)の東宝映画「無責任シリーズ」DVDを借りてきて観ている。どの作品でも植木はスーダラ社員ではあるが、出世のために極端な手段を使い、社長や会長といった企業トップに取り入り、入社から2,3日の内にものすごい出世をしたり、クビになったりする。
 『日本一のゴマすり男』では、自動車会社社長の娘のカケ落ちを手伝ったかどでクビを申し渡されるが、その時の抗弁がふるっている。
 「私が娘さんの駆け落ちを手伝ったのは(公休の)日曜日。」
 「そんな日に何をしようと個人の自由だ。」
 植木はこの映画前半部で、上司の引っ越し手伝いや海釣りの同伴を日曜日にやっているが、最後に来て「公休日=個人の自由」を主張している。

 エライ。まさにこの精神が日本社会にいきずいている内は、戦後民主主義も安定期にあったのだ。

 実は、安倍首相がこの間克服しなければならないと演説した「戦後のレジーム=戦後民主主義」というものは、学校教育と企業教育との二本立てに支えられた体制であったことに注意しなければならない。両者は一見対極にあったが、戦後民主主義を相補的に支えていた!

 学校では「個人の自由」を教えられる。ネット右翼が忌み嫌う日教組の教師であろうとなかろうと、個人の尊厳は教育の目的であり内容であったわけである。
 (ちなみに日教組=共産党とか思ってる低レベルの人間はこのブログを読まなくて結構)

 一転して、学校を出て大手の企業に就職してしまえば、かつて世界でもこんなに質量とも充実したものはなかったであろう「企業内教育」に呑み込まれたものである。そこでは徹底して会社中心・財界中心の世界観が叩き込まれたわけだ。また場合によっては、企業内教育よりも労働組合内教育の方がエグかった場合がある。トヨタや紡績会社などの労組が設立した「富士政治大学校」では、労組幹部の卵たちに「共産!」「撲滅!」と号令をかけてランニングさせたものである。

 企業内教育は、給料や出世と引き替えに行われた。これが重要だ。学校教育は、反発しようが不登校になろうが一応自由だが、企業教育は強制力が強かったのである。

 現在の企業は短期的業績を求められるようになっているから、社員教育をなるべく切り捨て、総人件費を減らすことで黒字を生み出していると言われる。事実その通りで、末端の作業員など派遣・請負でまかない、教育の対象ですらない。
 安倍政権が目指す教育改革とは、かつて企業内教育の対象となっていた層を、出世も結婚も望みのない最下層として「美しいニッポン」から切り離し、でもそうしたら彼らが不穏分子化しかねないから国家中心の世界観を「学校教育において」植え付けようとするものにほかならない。

 この「改革」は危険とかどうとか言う前に、上手くいかないのではないか。

 思い出して欲しい。給料をもらいながら受ける教育こそ、最も効果があるのである。学校教育をやたら国家統制的にしても、大量の反体制分子を生み出すだけではないのか。教育再生会議は、日の丸君が代を積極的に推進する生徒に給料払うことにしたらいいよ(アホ)。

 共産党(ニセ左翼)含めた左翼勢力は「自由社会を守れ」というスローガンを採用すべきだと前回提言したが、教育面ではかつての「企業内教育」に着目し、擁護していく面が多いはずである。


 


(15:15)