みなさん、こんにちは。ぷーですv( ̄∇ ̄)v


昨夜はこんな映画を観てきました。

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『HABEMUS PAPAM 』
Nanni Moretti ナンニ・モレッティ監督
Michel Piccoli ミシェル・ピッコリー主演


モレッティの映画、大好きなんだな〜。
なので、これは映画キチの夫くまに引きずられるまでもなく、ノリノリで観にいってきましたよ。
(あ、くまはモレッティの大ファンで、昔ナポリで偶然会って←すげえ偶然 握手してもらったことが自慢だそうです…)


てなわけで、以下、あらすじと感想ですが、ネタバレありなんで、お気をつけ下さいませ。




☆あらすじ☆

先の法王の崩御により、新たに、その畏れ多い、聖なる任務に就く者を選ぶべく、ヴァティカンはシスティーナ礼拝堂にて、法王選挙枢機卿会議が行われる。予想を裏切り、新法王にはメルヴィッレ枢機卿が選出される。躊躇いつつも、それを受け入れるメルビッレはしかし、サン・ピエトロ広場に向かうバルコニーにて、枢機卿が「Habemus Papam アベームス パーパム (新しい法王が決まったことを伝えるときの、バティカンの第一声)」と世界に向けて発したとき、その任務の恐るべき重大さに耐えられなくなったか、大声を上げ、新法王としての登場を待っていた控えの場から逃げ出す。
新法王を待つ世界中が、あり得ない場面に驚き、新法王には一体どの枢機卿が選出されたのかを推量している中、バティカンは、教理があるが故に生じるあらゆる困惑を伴いつつも、精神分析学者を召還する。自分たち枢機卿達の、言わば、押し付けた任務への拒絶を翻させ、セラピーにより受諾させる方向に持っていくためである。しかしセラピーといいつつ、メルビッレへの質問事項に制約は多く(拒絶を更に強固にさせたくないため)、十分なセラピーが出来ない(周りを枢機卿達が取り囲んでもいるので)。結局、この精神分析学者の次に仕事が出来るという(彼によると)、彼の別居中の妻(精神治療医)のもとへお忍びで向かうことになったメラビッレ。だが彼は診療の後、お付きの者達の隙をつき、姿をくらます。そして事態はさらなる混迷に向かうのだった。





一部のキリスト教原理主義な人々からは、「ヴァティカンを侮辱するような映画を見にいくな」と言う声も上がっていますが、これはむしろ、高級聖職者の如何にも人間臭い部分をあぶり出していて、主人公の描写などは、感動的ですらありました。

それにしても、予想していた通り、皮肉山盛りてんこ盛りっ( ´_ゝ`)ノ


コンクラーベ(法王選出枢機卿会議)での枢機卿達の描写では、パッと見は、枢機卿という高級聖職者の、およそ聖職者らしかぬ俗っぽさを描き出しているのですが、よくよく考えると、彼らの態度や考えは、ある程度の特権階級のいやらしさを見事に表現しています。

「神よ、どうか私を選ばないで」

と、殆ど全員が祈りだすところなどは、例えば、そこそこの権力を手に入れ、人から崇められる立場にあるが、面倒くさいことはごめん。責任は負いたくない、そういう心理がありありと描かれています。
そこに、例えばイタリアなら、現在の首相の反対勢力である左翼政党の議員達の、「文句はいうけど、具体策何も無し。でも給料貰えるからラッキー」というような態度に重ねられるし、日本なら、さしずめ民主党議員達の「議席は手に入れたから、後は国会でヤジ飛ばして終わり(責任は請け負わない)」てな態度にも見られるわけです。

また、このコンクラーベでは、「力のありすぎるヤツを選んで、そいつの言うなりになるのもイヤ。だから、大したことしそうも言いそうもないヤツに決めよう」という態度も描かれていて、全くどこぞの政党の党首選びに似たような感じ。



話の中には、幾人かのジャーナリストが登場しますが、そのうちの一人は、特にBruno Vespa ブルーノ・ヴェスパという、元国営第一放送のメインキャスター、現在ただの権力者のコバンザメといった、どうしようもない男が、ソフトに重ねられています(この役がTG1のジャーナリストではなく、TG2のそれとして描かれていたところに、モレッティの密かな配慮が伺えました。TG1にしたら、露骨過ぎるものね)。
これが中々笑えました。やはり、世界中の「ジャーナリスト」という仮面を被った、下品な詮索屋達を皮肉に皮肉に描いていましたよ。

この他印象深かった皮肉は、たくさんあるのですが、中でも、劇中のTVニュースの描写。これはえがった。
新法王が私たちの目の前に姿を現さないことに対してコメントする、ヴァティカン付きのジャーナリスト(じゃなかったかも。肩書きはわすれました〜)が、番組最中、言葉を無くします。
適当に言葉を重ね、そのうちの1つをメインキャスターに拾われ、質問されるのですが、答えられないのです。

生放送でも、専門家だから何でも言及出来る。

私たちTV見るときに、そんな先入観を少なからず持ってると思います。
そして、だから疑うコト無く、ハナから信じることが多いと思います。
そこに大きく警鈴を鳴らしている、そんなふうにこの場面を読み取りました。
プロパガンダに毒されている現実に、目を覚ませといわれているように思っちゃいましたよ。



さて、3日の逃避行を続けたメルヴィッレは、最後はヴァティカンに連れ戻されます。

逃亡の間、新法王メルヴィッレは、重大な任務に就くために自らの心を鼓舞せず、ひたすらに自分と向き合います。その結果、信仰によって自らをある方向に導くのとは別に、もっと、一人間として根幹的な何かから導かれるということが、全ての人に必要であるということに気づきます。
それが、先生であったり、社長であったり、一国の元首であったり、また、一宗教の代表者であったりするわけです。
メルヴィッレは、自分も導かれる者であり、人々を導く立場には就けないと悟ります。
そうして、新法王として最初の演説で、自分にその徳はないと、民衆を前に告白し、法王のバルコニーを後にするのでした。

この最後の場面は、感動的でした。

メルヴィッレを、「重要な任務に就くことの出来ない臆病者」と見る人もいるでしょう。
私は、彼の、自分の「法王の任に就く勇気の無い男」としての弱さを、民衆に告白する強さを賞讃するのではなく、人はみな、迷える子羊で、みな、差し伸べられる手が、前へと導いてくれる手が必要であることに気づいた、そのときの心中晴れ晴れとした様子に、心がギュッとなったのです。
あることへの悟りを開いた人の、清々しい姿は、本当に美しい。
そんなふうに思いました。









なーんてね。

まあなんですか。
小難しく、モレッティの裏の意図まで探らんでも、面白おかしく観ることの出来る映画だったと思います。
こういうテンポがキライな人には、少し辛いかもしれないけど。

他にもいろいろコメントしてみたい場面があったんだけど、別に映画評論が目的でもないし、長くなりすぎるし、まとめられんし、てことで、「こんな感じでこの映画観てきたで」と軽く取ってくだせえ。

もちろん、私の一個人の感想ですんで、そこんとこヨロシク。



ほな寝るわ。

またね〜 (☆゚∀゚)



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人気ブログランキングへMichel Piccoli が素晴らしかったです(先のPapaが病気になりだした頃に似てるように思えました。くまはGiovanni23°に似てるっつってたけど、そこまではわからんわい)。