くまちゃんと一緒〜ナポリ人夫とのおバカ生活日記〜

説教警官くまとの結婚生活。イタリアの警官たちの実態も暴露(←やっぱオンナ好きやった。あ、知ってた?)

ナポリの歴史

ナポリの歴史・イタリアのギリシャ

みなさん、こんにちは。ぷーです (・∀・)つ


昨夜はとっても美味しい料理が出来ました(自画自賛)。
しかし写真は撮っていないので、それがホンマかどうかは誰にもわからない…

いえ、ホンマに美味しかったンやけど。
↑しつこい…



さて、昨日の続きで、ナポリとローマのこと。
そしてこれは今日でやっと終わりよん。


昨日も書いた通り、この魅力的な街ナポリは、美しい海、肥沃な大地に囲まれているだけでなく、才能溢れる文化人たちにも恵まれたところだったの。
例えば、

キケロ(イタリア語でチチェローネ Cicerone)、ホラティウス(オラーツィオ Orazio)、プリニウス(プリーニオ・イル・ヴェッキオ Plinio il Vecchio)らが、この地に安息を求めてやってきたことが知られているのね。

また、だーいぶん前にも書いたけど、ローマの偉大な詩人ウェルギリウス(ヴィルジーリオ Virgilio)にとっては、憧れの地だったようで、ここに思想思索の土壌をも見出し、ナポリから2度と離れたくなかったよう(亡くなったのは別の地)。


それにこの土地は、後世にも優れた文学者、思想家、詩人として伝えられる、シリウス・イタリクス(シーリオ・イターリコ Silio Italico)、ルキウス・ガイウス(ルーチョ・ガイオ Lucio Gaio)、パピニウス・スタティウス(パピーニオ・スターツィオ Papinio Stazio)、ルクレティウス・カールス(ルクレツィオ・カーロ Lucrezio Caro)らの祖国でもあったのら。


ナポリの街から数キロ離れたアテッラAtella (現在のアフラゴーラAfragola とアヴェルサAversa の中間に位置する)という町では、「アテッラのおとぎ話 Favole Atellane」という、面白可笑しいジャンルが生まれ、マッキウス・プラウトゥス(マッチョ・プラウト Maccio Plauto)はそこから発想を得て、後に芸術として完成させる彼の喜劇を書いていったということも知られています。
Mappa_campania




つまり、ナポリという土地は、文学的、精神的にも豊潤な世界が、様々に生まれ、生き、土に還っていったところでもあったわけ。

これを書くにあたって参考にしている本の著者は、上述を、

「古代ギリシャ人達が生まれ、生き、土に還ることを知っていたことと同じように」

と言っています。
沢山の人が生まれ、生き、そしてあの世へ旅立つかのように、沢山の文学が生まれたと言いたいのだと私は解釈しましたよ。


前々回からも含めて読んでもらうと分かると思うけど、物質的精神的に豊かに生きることが出来たナポリは、イタリア半島の裾の方に位置しながら、実はギリシャそのものだったんだわね。


こういう、一種の精神性土壌が溢れるナポリには、自分たちの「時間つぶしの場所」である、あの円形競技場は、余りにも粗野であるということから、ローマ人は、ナポリにその設置を考えもしなかったそうです。

その代わり、アウグストゥスはオリンピアの絢爛な競技大会を、5年ごとの催し物として、ナポリの土地に復活させたんだとさ。





んまああああ。


今では想像もできないくらい、この頃(紀元前から紀元すぐくらい)のナポリって、



エラく優美なイメージが伝わってくるんですけど…?q|゚Д゚|p



うーん。私たちが知る現在のナポリの土壌は、空気はまだないようね…。

さて、それはいつからどのように、ナニが切っ掛けで生まれてくるのか?



ふうう。

てなわけで、今回までを「ナポリの歴史・序」としましょうかね。


そうそう。「ギリシャ人が来るまでのナポリはどうだったの?」と思われるかもしれませんが、ギリシャ人をして、ネアポリス→ナポリという現在に伝わる街の名前になったので、やはりナポリの始まりはギリシャ人上陸とともに、とされているようなの。
それ以前は紀元前も何百年だし、古代になっちゃうので、それはそれで別に考えるべきと思うし、そこまでは本読む時間も気力も無いっす ま、個人的には読んでみるかもしれんけど、ここで紹介するつもりは今のところ無いので、ご了承を。ほほほ。



ほんでは、「序」はこれにて。


またね 

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人気ブログランキングへ24日はイブの夕食会。うーーーん…。想像するだけでお腹いっぱい…。

ナポリの歴史・ナポリにギリシャを見たローマ人

みなさん、こんにちは。ぷーです (・∀・)つ


今晩(今21日の夕方)友達を招いて晩ご飯なので、その材料の買い出しに行ってきました。

スーパーで、1つしか開いていないレジに並んでいると(日本ではあり得ん)、隣のレジがちょうど開いたので、私の前に並んでいたオバアさんに、「どうぞ」と進めると、ササッと自分が一番にそこに行きたかった、私の後ろに並んでいた女性に、「何て突飛なことするのよ」と文句言われました。
え?私?
言い返さずに無視してました。
だって〜。すごくムカムカしたので、汚い言葉しか口から出ないと確信したので。
ま、黙ってて良かったです。ムカムカした気分もすぐに引いたので(熱し易く冷め易い)。



さて昨日の続き。

ナポリは、ローマの軍隊が行く道が、実は自分たちの文明文化をも運んでいき、結果自分たちに実りを齎す(もたらす)とわかっていたんだけど、じゃあ、ローマの方はどうだったのか?


ローマはもう、

完璧にこの、ナポリにあるギリシャの文化に魅了されていたの。

観念も精神も美学も、彼らは「ナポリ」という街の隅々にまで行き渡っているギリシャの世界に自分たちも融け込もうとしていったわさ。


ローマの上流階級の人たちは、ナポリの街やその周辺に別荘を持つことに憧れ、ギリシャ風の衣服を身に纏い、ギリシャの言葉で会話し、ギリシャの詩歌を朗誦し、ギリシャ音楽を聴き、ギリシャの芸術品を受注したのでした(ナポリにはギリシャの彫刻・絵画などを素晴らしい技術で模倣する流派がおり、彼らの作品はローマの支配全土、ヨーロッパからアフリカまで伝わっていった)。

例えば、

ローマ共和国の軍人で元老院議員だった、スキピオ・アフリカーヌス(イタリア語でシピオーネ・ラフリカーノ Scipione l'Africano)は、政治活動から隠遁し、カンパーニアのリテルヌムLiternumという土地に過ごし、骨を埋める。

共和政にも関わらず独裁体制をとったルキウス・コルネリウス・スッラ(ルーチョ・コルネーリオ・シッラ Lucio Cornelio Silla)は、クーマに別荘を建て、そこに落ち着いた。

ティべリウス・ユリウス・カエサル・アウグスティス(ティベーリオ・ジュリオ・チェーザレ・アウグストTiberio Giulio Caesar Augusto)はカプリ島に、

マルクス・ユニウス・ブルートゥス(マルコ・ユジュニオ・ブルート Marco Giunio Bruto)は、ニシダ島に別荘を建てたんだって(んでもって、ガイウス・カッシウス・ロンギーヌス<ガイオ・カッシオ・ロンジーノGaio Cassio Longino>と、そこでユリウス・カエサル<ジュリオ・チェーザレGiulio Cesare>に対する陰謀を企てたんだと)。




ナポリは、温暖な気候と美しい風景で、このようにローマの指導者達をも魅了し、他にもたくさんの旅行者の目指すユートピアのようなところだったんだけど、それだけではなく、実は文学的にも豊かな才能が集まった場所だったのよ。



………

目がチカチカしてきたので、このシメはまた明日に。

中途半端でわりいけど。


じゃ、またね〜 

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人気ブログランキングへ今日のメニュゥは、アーティチョークの酢漬け、オリーブ、ポテトサラダなどを前菜に、プリモはポルチーニのリゾット、セコンドはなんちゃってローストビーフ、付け合わせにブロッコリーのベーコン和え、グリーンサラダ……です。今から料理するわ〜。

ナポリの歴史・昨日の敵は今日の友

みなさん、こんにちは。ぷーです v( ̄∇ ̄)v


「まだまだ決定打がない。多くを望むのはまだ早い」

なんて言ってる我が夫くまですが、そんなクールなこと言ってる割には、日曜日のナポリの試合以来、ことあるごとにガッツポーズしています。
ホンマモンのサッカーファンは結構

鬱陶しいわね…


万が一にもナポリがセリエAで優勝すると、うちのベランダの白い柵を全てナポリの水色に、そして、デカデカとナポリチームの旗を翻すそうです。
「そんなことしたら、うちのアパートの魔女達(ややこしいオバハン連中)がうるさいよ」
と言いますと、
「関係あるかいっ、あんなウンコ垂れのオバハンら(←イタリア語から直訳。つまりイタリア語でこう言った)」
と、ホンマモンのサッカーファンは結構

理性も失いがちやわね…




さ。それでは昨日の続きに参りましょう。

ローマ人に何度もお友達申請されていたナポリの答えは(Facebookかっちゅうの)


NO


あらま。

どんな条件を出されても、NO、NO、NOOOOO!


と断り続けていたら、紀元前326年。バーン とローマが軍隊率いてやってきましたよ、とうとう。

彼らは、海側のパレポリス(古い街)と内陸のネアポリス(新しい街)の間を分断してその軍隊を配置。両の街の自国軍同士の連絡もままならない中、このパルテーノペを防御していたサムニウム人とノーラ人たちをローマ軍が一蹴。

ここまできたら、

もう嫌とは言えない…(T_T)



というわけで〜え。


ナポリはとうとうローマからの同盟の申し入れを受け入れることになったの

ところが、この同盟はナポリにとって不名誉な点は何も無く、政治体系、文化、言語はもちろん、彼らの通貨も保持することが出来たわけ。



このときから、ナポリとローマの間には、何世紀にも渡る、深く、公平で純粋な友好関係が生まれたの。
それはローマが不安定な時にも変わらずに。

紀元前280年にギリシャのピュロス王がローマに攻めてきたときも(ヘラクレアの戦い)、紀元前216年にカルタゴの将軍ハンニバルが南から進軍してきたときも(カンナエの戦い)、彼らからの同盟の提案を退けたし、紀元前90年ごろに、イタリア半島の多くの他の都市がローマに対して蜂起したときも、それには背を向けたのだ。じゃん。


その理由には、ナポリ市民にとってローマとの交誼は、やはりありがたいものであったのと、ナポリ市民は「ローマ帝国市民」になったのではないということが大きかったの。

それに、ローマの軍隊の威力も十二分にわかっていたし、そしてそれは実は、凄まじい破壊力があるというだけではなく、彼らの通る道が実は唯一の文明文化を運んでいく道であると、よく理解してたからなのだ。



それじゃ、ナポリをローマの植民地にせずに、純粋に友達付き合いを要求したローマにとって、ナポリってのは一体どんな街だったんでしょう?



それは明日〜


今朝起きるの早かったから眠いわ(5時半起床)…



ではまたねー 


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人気ブログランキングへせっかく健康的に玄米炊いたのに、食べ過ぎてまた腹が出た…

ナポリの歴史・最初の敵と2番目の敵

みなさん、こんにちは。ぷーです (・∀・)つ



段々とクリスマスに近づいています。



床にワックスかけてない…。
つや出ししてない…。(T_T)




てなことは一旦忘れて(いいのかな?)、ナポリの歴史の続きについて書きましょう。


前回の話ではギリシャ人たちの現ナポリの土地への上陸を書いたわね。



その生活の根をこの土地に下ろしたギリシャ人達は、際立った優秀な戦士達であったにも拘らず、戦のことなどどこへやら。
美しく魅力的な海の入り江のあるこの街で、人生を楽しく暮らすことを望んでいたの。
だって、このカンパーニアの土地は、肥沃。
ここから上がる農産物は豊富だし、海産物だって容易く手に入るし。
また、彼らの定着したパルテーノペの街は、ティレニア海のちょうど真ん中に位置し、商業も生活を潤すのにバッチリ。
この位置のお陰で、たくさんの旅行者たちもこの地を、この入り江を目指してやってきていたしね。

Mappa_campania

ギリシャの芸術〜彫刻、絵画、彫金、陶芸などによってその熟練した技術や高い芸術性を世界に知られ、受容され、賛美されてもいたわね。




こ〜んなに恵まれた生活を送っていて、「ネアポリス」の住民を、また戦に駆り立てるモノなんてないでしょう?




ないのよ。なかったのよ。

でも、自分たちが楽しく平和に過ごしているからって、いつまでもそれが続くとは限らない。
しかも、そんなに素晴らしい土地を他の者から狙われないはずがないっ。

実際、この美味しい生活をしている彼らを横目で虎視眈々と狙うお隣さんが2人(2つの人種といいますか)がいたのよ。







そのうちの1人は?

サムニウム人たち(古代イタリアの南部の住民)

カンパーニアの山々の地帯に在した好戦的な彼らは、海への突破口を欲していて、この美しい海辺の街をしばしば圧迫してきていたのだ。
それがとうとう、紀元前423年に攻撃を仕掛け、ネアポリス(ナポリ)はアテネに艦隊の出動を頼み応戦したものの、2年後にクーマを奪われ、そこから追い出された者たちは、ネアポリスの城壁の付近への逃走を余儀なくされたの。

origini



あら〜ん。お気の毒…。




じゃ、もう1人の隣人は〜?



有名なローマ人(じゃじゃーん)!


こちらは、芸術的に統制された軍隊を持っていて、ちょうどその頃、その覇権をイタリア南部に伸ばそうとしていたのよね。
そのためには、南方面への取っ掛かりにあるネアポリスを、自分たちの友人にするか、力でもって押さえるかしなければ駄目だったんだけど、取り敢えずローマ人達は、最初っから友好的に接することを試みるのね。

紀元前328年、ローマはネアポリスにとって、かなりおいしい条件での同盟を結ぶことを提案。


当時ナポリを仕切っていた2人の執政官コリラーオとニンフィオは、それに心惹かれたんだけど、ギリシャ出身の住民が大部分を占める、南部の他の街(サムニウムたちが牛耳る街以外の。ターラント、シラクーザ、ノーラなど)は、これに反対。


言わば、兄弟ともいえる彼らの反対を受け、コリラーオとニンフィオの率いるネアポリスは、一体ローマに何と答えたのでしょう?

それは




秘密




じゃなくて(おもんないわっ)…


次回に続きます。

え?
ヘンなとこで切んなって?


いや、今日は時間無いので、これで終わらせて頂きます。



じゃ、みなさんまたね〜

寒いから、お腹壊さんように(それは私)


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人気ブログランキングへそういや、たった今ナポリが勝ちました。あ〜、帰宅する夫がまたサッカーニュースに釘付けやわ〜(そして明日はYouTubeで更に何度もゴールチェック。TVでも見られるやろがっ)。

ナポリの歴史・パルテーノペ

みなさん、こんにちは。ぷーです v( ̄∇ ̄)v



さ〜ぶ〜い〜っ




ところで単なる思いつきで、また新しいコーナー作っちゃいます。
首絞めるだけ(。・ω・)ノ゙

今日は、その第1弾。
ナポリの歴史」の取っ掛かり。
つまりナポリの成り立ちの


始めの始めの始めちゃーん


について(誰や?)書いちゃいます。

今時そんなもん、どこでも読めるでしょうが、ま、自己満足のためってことで。

お暇な方はおつき合い下さいませ。にゃは。



Mappa_campania

ハイ。これ、ナポリのあるカンパーニア州。


ナポリってのは、今でこそ何だかゴミの代名詞みたいになっちゃって、そこそこのナポリ好きには(キライなとこも結構あるので、手放しに『好き』とは言えない私。でも北イタリアにいるヘンテコリンなイタリア人より、ナポリの良さをわかっているつもり)、ちょびっと哀しい今日この頃。

ナポリに住む人々、ナポレターノってのも「気を抜けば友達からも盗む」とかまでいわれる始末。


あら? 


エエとこないんかね?Σ( ̄ロ ̄|||)


いえいえ、エエとこ、人も場所もいっぱいあります。今現在も。
だけど、今見るナポリになったのは、それこそここに辿り着くまでの歴史ってのが、他の街、そこに住む人の気質が形成されるのと同じように、ナポリにもそれがあるんだわよ。


今日はだけど、それをいきなり説明するのではなく(わたいもそないにチャッチャと書けん)、まずは、ナポリの街の起源を掘り起こしますぞよ。



ナポリは西洋の中でもそりゃあ古い歴史を持つ街の一つ。
そういう街は、幾つもの神話めいたものや、逸話なんかが残っているけど、ナポリもいろいろとあるのだ。
そんな中、ぜーったいに出てくるある言葉。


パルテノペ partenope 
(パルテーノペとアクセントつけるのが正しいぞよ)


これは神話の中に出てくる人物で、最初の方は
SirenaPartenope
こんな感じで、顔が可愛らしい女の子、体が鳥であると伝えられてたところを、

中世も盛んな頃には、
partenope
こんな感じで(ってこの写真じゃわかりにくいか)、
上半身女性、下半身魚、いわゆる人魚と伝えられるようになったんだって。

いろんな神話・逸話にいろいろと残っているようだけど、一番知られているのは、ホメロスの「オデュッセイア」から。

ここでパルテーノペは、実は「リ・ガッリ Li Galli 」という小島に仲間と一緒に住み着き、島と海岸線の間を航行する船らの船員をその歌声で惑わすシレーンだということ。
オデュッセイアをご存知の方には釈迦に説法といったとこかも知れませんけど、オデュッセウスがその歌声を聴きたくて、しかし歌声に惑わされないよう自身を帆柱に縛り付けさせ(そでないと、歌声聴いたが最後、海に飛び込み〜〜)、他の乗組員には耳栓をし、無事、この入り江を突破出来たという話がありましたけど、その時のシレーンの一人(といっていいんだか、一羽といっていいんだか)。



上空から見た「リ・ガッリ」
ashx
ちなみにこの小島は、ポジターノ海岸の近く。
positano_map
「POSITANO」って下方に書いてあるでしょ。
にしてもエエ加減な地図やのーう。ALAMFIて何やねん(正しくはAMALFIアマルフィ)。

オデュッセウス他船員を誘惑出来なかったパルテーノペは、他のシレーン達と一緒にその身を海に投げるんだけど、何とその遺体が流れ着いたのが、
IMG_0787
この卵城がある、メガリデの小島だったのじゃ。
あ、卵城はまだ無いよ、この時点では。

この小島にその埋葬地を捜すのは容易なことでは無かったけれど、むかーしむかしには、1つの墓地があったのだとか。
こういう事実から、これより数世紀下った時代のナポレターノたちは、この逸話のパルテーノペの存在に、ある種の真実性を見出し、それを明らかにしようと躍起になったみたいだす。


しか〜し。


パルテーノペってのは、実は本当に実在したかもしれない生身の女性の名前 かもしれない説もあり。
(事実かどうかの確認は出来ないけれども、神話よりも確実に抽象性が薄い)


それがナポリの土地に移住してきたギリシャ人たちの中の軍指揮官、エウメーロ・ファレーヴォの美しい娘。
可哀想に、移住のための航海で、目的地ナポリ(当時はまだナポリっちゅう名前ではなかった)に着く一歩手前で嵐に襲われた際に、他の多くの乗員たちとともに亡くなってしまったそう。
美しく、みんなから好かれていた彼女への思慕と崇拝のため、彼らの新しい街を「パルテーノペ」と呼ぶことにした……


ちゅうことだそうです。



これがウソかマコトか。
ファレーヴォってな指揮官がいたのか。


ファレーヴォのナポリ上陸を記録するものは無いけれども、現ナポリ市街から目と鼻の先のイスキア島(当時はピテクーザPithecusaと呼ばれた)に、紀元前9世紀には古代ギリシャ人たちが上陸し、彼らの新しいコロニーを築いていたそう。ここから紀元8世紀には、対岸のクーマCumaに移動。そして紀元6世紀には、メガリデの小島にやってきたのだとか。
origini
その位置関係。


そして経済流通がメガリデから内陸のモンテ・エキアMonte Echia (現ピッツォファルコーネPizzofalcone の地域)まであったんだとか。

この後、好戦的なエトルリア人と幾度か闘うことがあったのだけど、やっと紀元470年に、街の中心をもっと東方に移すことにして、それをそれまであった海寄りの街「古い街〜パレポリスPalepolis」に対し、「新しい街〜ネアポリスNeapolis〜(古代ギリシャ人もそのままやね)と呼び(今のナポリの街の古いチェントロがその位置)、落ち着いたそう。

2つの新旧の街は、数キロほど離れていたけれども、市民意識はどちらともに同じ意識が保たれていたとか。


こうして、ナポリの街のながいながーい歴史が、第一歩を踏み出したわけよ。


ちなみに、街は最初の頃はどうやら共和制をとっていたらしく、政府は、2人のアルコン(ギリシャの高級執政官)を頂点に、「オルド・デクリオーヌムOrdo Decurionum」と呼ばれる高貴の人々から構成された議会より成り立っていたの。
一般市民は、ギリシャ氏族で、それぞれが政治的宗教的な組織で関連し合い、それが根本的な経済流通を促していたのじゃ。

当時存在していた氏族で現在知りえるのは、

アリステーイAristei、アルテーミジArtemisi、エルメーイErmei、エウベーイEubei、エウメリディEumelidi、エウノスティーディEunostidi、テオダーティTheodati、Kretondiクレトンディ、クメーイKumei、プラウクルチPlaucluci

という10つの氏族だけ。


都市としてみたときのネアポリス(当時のナポリね)は、本国ギリシャの都市機能と比べても何の遜色も無く、例えばアテネと変わらないものだったようで、けれどこの新しい土地に適応しつつ、寺院、宮廷、コンサート会場(笑)、劇場、競馬場などを置き、全ての市民がギリシャの文化を楽しめていたんだって。
もちろん、使用言語はギリシャ語(中世の初め頃まで使われていた)。
人々はギリシャの市民慣習で振る舞い、文化、芸術、音楽などを、ギリシャの気質と繊細さをもって、全く、ギリシャを謳歌していたんだわ。


それにも関わらず、イスキアに上陸したそのときから、この領域を「ポリス」として、いわゆる植民地とする考えは全く無かったようだと、研究者達は言ってるみたいね。



こんなふうに、ナポリってのは「マグナ・グレシア(偉大なるギリシャ)」の文明の生き証人だったのだ(この後に、ローマ帝国のローマ人達が入ってくるけど、それはまた今度)。










いや〜。パルテーノペだけについて書こう思てたのに…。
長文だったね。
読んでくれてありがとん。


そうそう。長文ついでに、
サッカーのナポリチームなんかは「スクアードラ・パルテノペーア」とか呼ばれたりするけど、ナポリの街に関することは、「ナポレターノ」「ナポレターナ」と言わずに、この「パルテーノペ」を形容詞の形にして使うと、それだけで「ああ、ナポリのものなのね」とわかっちゃうんですよー。



でも、「ナポリの始まり」を本で読んでみて、
だからお義父ちゃんは、あんなにナポレターノでいることに誉れを感じているようなのね〜、と少し納得しましただ。

ま、でもこの後いろんなとこから文字通り「征服」される歴史が続くんだな〜。
それはまた追々に。




ああ、最後に1つだけ。

紀元前にギリシャ人達がこの土地にやってきたのは、既に「肥沃な土地」として名を馳せていたからです。
そんな昔から…。
あああ、なのに、何で埋め立て地がーーーーー(T_T)




ではでは、終わります。


またねん 

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