さてさて。

いつも塩村文夏都議関連の記事ばっかり書いていますが、
今回は別の話題について書こうと思います。
他の話題に興味の方が、塩村都議の行状へ関心を持ってもらえれば幸いですしね。



みなさんご存知だとは思いますが、
昨年の都知事選や衆議院選挙に出馬をされた、
田母神俊雄氏の事務所で、政治資金横領疑惑が発覚しました。
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この件では「チャンネル桜」の水島社長側と田母神氏が
お互いに主張をしあうという展開となってしまっています。

私としては興味のある話なのですが、
なにぶん情報が錯綜しているので、現時点では部外者には事実を知る術がありません。

こんなとき私はこれまでも、
まずは関係者の経歴を詳細に洗う事で
情報を整理してきました。
そうすることで色々と事実が見えてくる事が多かったので。

とりあえず、田母神事務所を2015年3月1日付けで
辞表を提出したとされる、鈴木新氏と島本順光氏について
時系列に経歴を並べてみるつもりですが、
はじめにキーマンと見られる島本順光氏の経歴を整理してみましょう。



■島本順光(Shimamoto Nobuteru)
1946年10月22日生まれ 兵庫県神戸市出身。
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関西大学工学部管理工学科(現:総合情報学部)卒業
元航空自衛官・防衛大学校理工学研究科(大学院修士課程相当)航空工学履修
IHI会社研修(航空機エンジン)
航空自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了
技官としてT‐4開発、ペトリオット導入等に関わる。
二等空佐で退官



はい。事務所では「事務局長」の肩書きでしたので、
この方が実質的に田母神事務所を取り仕切っていた責任者であるのは明白です。


■島本順光氏秘書歴
89.7~07.7 田村秀昭参議 公設
 ※小沢一郎腹心、「ジェネラル」と呼ばれた防衛族
07.9~07.12 平山幸司参議 政策
 ※小沢派
08 佐藤公治参議 私設
 ※父の代から小沢腹心
09~10 室井邦彦参議 政策
 ※元小沢派、統一教会
11~12 佐藤公治参議 私設
12~ (民主→国民の生活→日本未来の党)青木愛代議士
13.4 維新・石井義哲候補(参院選比例選対)
13.12~ 田母神俊雄候補(選対・事務局長)



島本氏は航空自衛隊で研究開発職域に従事していました。
89年に政治家秘書へと転身をするために退職しますが、最高位は二等空佐でした。

89年7月の参議院選挙で田村秀昭氏が当選し、
島本氏も公設秘書として秘書生活をスタートする事となります。
田村秀昭(左写真・田村秀昭参議院議員)
なんでも、既に二年前から選挙の準備をしていた
田村氏の出馬に際して、島本氏は「お前も手伝ってくれ」と頼まれたそうで。
すぐに自衛隊の退職手続きに入り、退職の稟議が通ると同時に選挙活動に突入した様です。


田村秀昭氏は防衛大学校の第一期生であり、航空自衛隊に所属。
技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、
航空自衛隊幹部学校長と歴任をして階級は空将でした。

「ジェネラル」とあだ名される空将出身の制服組であり、
航空幕僚監部装備部長出身という経歴、そして政界では自民党竹下派(旧田中派)という
当時の最大主流派閥に所属をしていましたので、
当然ながら「防衛族」として強い影響力を持っていました

その「ジェネラル」の番頭を島本氏は長年務めていた、ここは一つのポイントでしょう。


田村参議は92年の竹下派分裂を受けて、陸上幕僚長出身の永野茂門氏などと一緒に
改革フォーラム21(羽田派)に参加、93年に新生党結党へと参加をします。

94年には野党合流によって新進党結成となり参加。そして97年には
新進党の分裂によって、小沢一郎氏の結党した自由党への参加をしています。
その後03年には自由党が民主党へと合流。田村参議も民主党の所属となります。


余談ですが、自由党時代の00年第42回衆議院選挙の北海道比例区を見てみると。
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…どうやら頭数の関係で名簿に載ったみたいですね。



そして05年8月には、自民党を離党した亀井静香氏らが結成した国民新党に、
「党の安全保障政策への不満」を理由として田村参議は民主党を離党して
国民新党結党へ参加をする事となっています。
この田村参議の国民新党合流は、
小沢一郎氏が腹心の田村参議を送り込んだというのが定説となっています。


島本順光氏は田村参議の秘書ですから当然行動を共にしています。ですので、 
自民党→改革フォーラム21→新生党→新進党→自由党→民主党→国民新党、と
島本氏も所属する党が変遷していった訳です。
流れを見ればお分かり頂けるかと思いますが、決してあちこちを渡り歩いたのではなく、
ずっと一貫して旧田中派・竹下派の流れの「小沢派」だったという事です。

この「一貫して小沢派であった」こともポイントです。


そしてこの田村参議が、世間の話題となったのがあの「山田洋行」事件ですね。
この事件そのものについては概要を知れば十分だと思いますので
とりあえずWikiをご参照下さい。
参考
Wiki「山田洋行事件」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B4%8B%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6


07年10月には各マスコミで大きく疑惑が報道されたこの事件、
いくつか参考記事を抜粋します。


> 金丸氏らは1980年に防衛庁(当時)制服組のOBによる
>発言の場として「日本戦略研究センター」(以下、日戦研センター)を発足させた。
> 日戦研センターは、防衛商戦の“陰の司令塔”と異名をとるほど
>利権に食い込む。山田洋行は日戦研センターの法人会員であった。
>90年代の役員には、自衛隊制服組OBの参院議員である、
>元陸上幕僚長の永野茂門氏(98年引退)が理事長、
>防衛大学校1期卒業で航空自衛隊出身の田村秀昭氏(07年引退)が副理事長、
>伊藤忠顧問・瀬島龍三氏が顧問、にそれぞれ就いていた。

> 同じく防衛庁OBの宮崎元専務(93年から専務に就任)は
>田村議員と関係を深め、AWACS(空中警戒管制機)の
>エンジンのメーカーであるGE(ジェネラル・エレクトリック社)の
>代理店契約を山田洋行が取得することに成功した。
> 以前は極東貿易がGEの代理店であったが、田村議員との絡みで
>山田洋行に代理店が変わったともいわれた。
> 山田洋行は同業他社から羨望(せんぼう)が集まる中、
>小回りの利く営業により航空機商戦などでエンジンを中心に
>商権を次々と手中に収めていったのである。
> 防衛庁装備部長なども歴任した田村氏が初めて参院比例代表で自民党から出馬したが、
「真一会」という後援会をつくり、宮崎氏が幹事を務め物心両面で支援した。
>自民の比例名簿順位を上げることに成功し、当選を飾ったのである。
> 金丸氏が東京佐川急便事件を契機として政界を失脚した
>92年を前後して、日戦研センターを引き継いだのが、
>当時の小沢一郎元自民党幹事長(現民主党代表)である。
> つまり、山田洋行の政界とのパイプの源流には、
>「金丸―小沢ライン」が存在している。もちろん、
>「小沢ライン」は古くもはや時効と言ってもよいかもしれない。
> 日戦研センターの主導権が金丸氏から小沢氏に引き継がれ、
>その後、非自民連立の細川政権を発足するために小沢氏が自民党を離党し、
>新生党時代を経るや“開店休業”状態になった。
>ほどなくして日戦研センターは団体として清算し幕を閉じた。
> そうした状況下で永野氏らは99年にセンター顧問だった
>瀬島、田村両氏ら主要な人脈を呼び込んで
>「日本戦略研究フォーラム」(以下、日戦研フォーラム)を旗揚げした。

> 日戦研センターが制服組OBを糾合する組織だったのに対して、
>日戦研フォーラムは安保学者ら幅広い分野から人を集めている。
>運営を制服組OBが担っている点では両団体とも共通している。
小沢氏の側近・田村氏を軸にして山田洋行と密接なかかわりを
持ってきた点でも両団体は共通している。

参考
社民党全国連合「「山田洋行」の内紛を追う -下- 人脈の源流は「金丸―小沢」ライン」

http://www5.sdp.or.jp/central/shinpou/yamada/yamada03.html

…まさか私が社民党のソースを引っ張る羽目になるとは思いませんでしたがw
「社会新報2007.11.7号」に掲載された記事だそうですよ。

田村参義が選挙に際して「真一会」という後援会の支援を受け、
山田洋行専務の宮崎元伸氏から物心面で支援を受け自民党から出馬し初当選した

という事はひとつのポイントですかね。
宮崎元伸
島本氏はその秘書ですので、
当然このあたりについてはある程度知っている訳で。


>装備品調達のA級指定業者の内紛は、
>装備品の安定供給に支障を及ぼすだけではない。
>国家機密にも関わる防衛利権の闇が暴かれる可能性を秘めている。
>かつて山田洋行絡みの案件が衆議院予算委員会で厳しく追及されたことがあった。
>1993年の細川護煕政権当時で、質問に立ったのは自民党の野中広務、
>のちの官房長官である。当時一機およそ550億円で購入が決定していた
>AWACS(早期空中警戒機)購入の経過について、
>執拗に当時の防衛庁長官中西啓介(故人)を責め立てた。

>AWACSのエンジンの補給部品代理店が、実績のあった極東貿易から
>山田洋行へと“逆転”したからだ。野中の矛先は、
航空自衛隊出身で装備畑に絶大な影響力を誇っていた
参議院議員田村秀昭(現国民新党)にも向いた。
田村が小沢一郎(当時の新生党代表幹事、
現民主党代表)の側近だったからである。

参考
FACTA「防衛省震撼『山田洋行』の闇」

http://facta.co.jp/article/200706020.html

田村参義が防衛族として自衛隊の装備畑に絶大な影響力を持っていたことが
改めてこの記事で分かります。そしてその番頭的秘書だった島本氏も(以下略


元々航空自衛隊員だった宮崎氏は、航空自衛隊の先輩であり、
航空自衛隊の装備品調達に絶大な影響力を誇った、ジェネラルこと田村秀昭
(ウェブサイトは閉鎖中)前参議院議員(国民新党)のつてを頼り、
山田洋行をA級の防衛商社に育て上げた。
(中略)
>また郵政選挙の際に、人数が足りず政党要件を満たすか微妙だった国民新党に、
綿貫代表と当選同期でしかも大学の先輩後輩のよしみである小沢氏によって
>国民新党に送り込まれたのが、田村氏である。

>宮崎氏の山田洋行は田村氏の選挙資金などの面倒を見、
>一方で防衛庁から主に随意契約で受注し、利益とランクを上げていった。
>守屋前次官は、航空機課長を皮切りに航空機分野に影響力を発揮し始めた
>カウンターパートであった。問題になっていたGEのエンジンの輸入代理店の座は、
>山田洋行が格上の三井物産から奪ったものでもある。こんな芸当は、
>このトライアングルが無ければできなかったのではないか?仮にGEの商談で
>この問題を掘り下げた場合、ジェネラルも天皇とともに国会に呼ばれる可能性がある。
>小沢代表の元側近とあればなおさらだ。裏で野中-古賀ラインが動くのだろう。
>民主党と国民新党には実質的なダメージは無いが、手打ちの材料にされる懸念がある。

参考
thethe「ゲッコー守屋の未来図」

http://mrta1975.cocolog-nifty.com/thethe/2007/10/post_9100.html


はい。田村参議は間違いなく、ずっと小沢一郎氏の傘下であったという事です。
小沢氏が野党を渡り歩き、田村参義もそれに随行することで
晩年は防衛族としての影響力は落ちてきていた、とは言われますが、
当選から18年の間、長年にわたり装備畑出身の力を期待されたことは確かでしょう。
そしてその番頭であった島本氏も(以下略


この「山田洋行事件」が世間に発覚する直前の
07年7月の参議院選挙には、田村参議は出馬をせず、政界を引退する事となります。
山田洋行事件の発覚を察知してなのかもしれませんが、すでにこのとき74歳で
翌年には胃がんで亡くなっていますので、健康上の問題でも全くおかしくありません。

まあ、田村参議が議員で無くなれば、島本順光氏も当然、秘書の職を失職します。
しかし自民党旧田中派からの流れを汲む小沢派は、秘書には手厚い派閥ですので、
島本氏も小沢氏の秘書からの話で、07年9月には平山幸司参議院議員の政策秘書となります。

平山参議は建設省(現国交省)出身で小沢一郎政治塾三期生。
ちょうど07年7月の参議院選挙で青森選挙区から初当選をした議員です。
その後、国民の生活が第一、生活の党と行動を共にしている事からも分かりますが
07年当時はピカピカの小沢派新人議員でした。
平山幸司(左写真・平山幸司参議院議員)

しかし島本氏は、せっかくの政策秘書の職を、
わずか4ヶ月後の07年12月には退職
をする事となります。
おりしも山田洋行事件の報道や追求が過熱した頃でしたので、
その影響を考えての行動なのでしょうか。
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島本氏の著書によると、その後は1年ほど、
佐藤公治参議院議員のところに「ボランティアで行っていました」とあります。
計算するとおよそ08年頃だと思われます。

同期当選の小沢一郎の盟友として知られ「小沢総理」実現を生涯の目標とした、
佐藤守良代議士は佐藤公治参議の父親にあたります。
ですので親子二代に渡っての小沢派である二世議員ということになります。
佐藤公治(左写真・佐藤公治参議院議員)

08年ごろには佐藤参議は、二期務めた衆議院を落選して参議院へと鞍替えし、
07年の選挙で自由党から当選して参議院の一期目でした。

その後の佐藤参議は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党と、
小沢一郎氏と行動を共にしてますので一貫しての小沢派議員です。

13年7月の自身の参議院選挙ではこんな光景もありましたしね。
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また、生活の党は14年12月末には
「生活の党と山本太郎となかまたち」という素敵な名前になりましたがw
こちらは総務省のリリースです。

参考
総務省「報道資料 政治資金規正法に基づく政治団体の届出」

http://www.soumu.go.jp/main_content/000329805.pdf
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佐藤参議、落選後はなかまたちの会計責任者になってました…

まあ、こちらでは、山田洋行事件の影響もあってでしょうが、
島本氏は公設秘書として働くことはできなかったのでしょう。
本来ならばそのキャリアからも筆頭格の秘書になるはずなのですが。
「ボランティア」と島本氏は書いていますが、
私設秘書として机を置かせてもらってる状態を称してそう言っているのかと。



そしてその後、島本氏は室井邦彦参議院議員の公設秘書となります。
1年半くらい、との事ですので、計算すると
およそ09年から10年頃前後と見られます。


室井邦彦参議は尼崎市議、兵庫県議を経て
党籍が自民党→自由党と移り、03年の民由合併で民主党に所属。
03年には民主党から衆院選に当選。05年の総選挙で敗れ落選すると
その後の07年の参議院選挙で民主党比例区で当選。
ちょうどこのころは民主党小沢派の参議院議員でした。
室井邦彦(左写真・室井邦彦参議院議員)

この室井参議は奥さんも代議士で、夫婦共に
統一協会の熱心な信者である事が知られています。
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参考
しんぶん赤旗「統一協会、民主に接近」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-01-05/2010010501_04_1.html

室井参議は13年5月に民主党を離党し参議院議員を辞職。
議員辞職後、日本維新の会に入党して
13年7月の参議院選挙で比例区当選をしています。
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…まあ、民主党離党の理由が、主義主張の違いなのか、
単に当時沈没しかけていた民主党では当選できないからなのか、は知りませんw
まあ分かるのは、この時に小沢派は離脱したという事ですね。




この後も当然経歴は続きますが、
記事が長くなるので一端ここで切って、続きはその2へ。