最近進路指導で色々考えさせられました。

現中3は、5人指導中です。うち3人は公立、2人は私立。
もともと4人公立だったのですが、うち1人に関しては、この子自身のメリット・デメリットについて考えたところ、どうも公立に行くよりも私立の方が将来的に良いのではないかと考えて、私なりの考えを述べて、勧めてみました。
とは言え、本人の希望が第一ですので、それでも公立に行きたいのなら、それもまた良いよね、という感じです。

勉強が好き(あるいは、将来的に好きになる兆しがある)という生徒の場合、多少無謀でもチャレンジしてみてほしいと思います。

ああ。です・ます調を続けているとなんだか味が出せそうにないのでやめよっと。

私は正直、勉強なんて、成績なんて、一つの指標に過ぎないと思う。
私は偶然勉強することができた(時間的にも、力量的にも)というだけで、かわりに、勉強に使った時間や力を他のことに使うことはできなかった。もちろん、勉強の他にも自分なりに楽しいことは色々あったと思う。けど、私が勉強している間にスポーツに特化したり、人付き合いに特化したり、家事に特化したり、趣味に特化したりしていた子が周りにはたくさんいたはず。
自分が一番、良い選択をしているなんて全然思わない。
結果的に今幸せだけれど、いろんな幸せがあるはずで、人が何で満足するかなんて、その人次第じゃん、と、思う。

もちろん勉強できたほうが何かと評価されやすい世の中ではある。
でも、勉強だけで人を判断するような人々に囲まれた人生なんて、私だったらイヤだ。

あの子、すっごく優しい。でも、勉強は出来ないのね。なんか、そこも可愛い。

みたいなことって、あると思うし、私の周りの私の好きな人々も、人をそういう風に見ることができる素敵な人が多い。(もちろん、それで生活できるのか?という問題はあるけど、今は、それは置いといて、まず心の中の話。)


と、私はそういう基本姿勢で進路指導に当たっているつもりなので、その子にとって勉強が向いて無さそう(「向いてない」は場合によっちゃ語弊あるかもだけどここではこのままにしよう…)であれば、まず、
「今の成績はこんな感じで、これからこのレベルに行きたいなら、このくらい勉強しなきゃいけない。それでも、やりたいかい?」
と、尋ねる。本人に。そして、もちろん保護者の方にも確認。
「やりたい。」と言う限りは止めない。私に止める権利などない、絶対。
でも、やりたくないという姿勢が観られた場合には、無理に勉強させない方向について、保護者の方にご提案する。

そんなこんなで、1人、公立から私立に転向した子が出た。

最近は毎日のように、「で、どこの私立がこの子にとって良さそうか…」ということばかり考えている。その子も、私も。たぶんもちろん、お家の方も。



そういう指導方針にのめり込んだ思考回路のまま、とある中2の子のお家で、「そろそろ進路目標を設定しておいたら?」ということになった。

そこで、その子のお母さんがおっしゃったことにハッとした。

「自分で決めた高い目標に向かって努力してほしい。その先でどんなに大変でも、自分で決めたことなら仕方ないから頑張ろうって思えるはず。だから、自分で、自分がダラけないように、目標を決めなさい。」

そうだ。確かに、この子の場合は、この言い方で叱咤激励するべき。

正直、現在の成績は最近私立に転向したあの中3の子と似たり寄ったり。
でも、”この学力層の子たちにはこういう進路指導をしよう”という考え方は危ない。

個人指導の良いところは、一人一人に対する態度を変えることができることだ。
あの子に、この子と同じ言葉をかけたら、あの子にとって大変なことになる。
逆もまたしかり。

集団に対して行う進路指導であれば、ある程度、学力層で区切った指導が必要だろう。
少人数の教室や、個人・集団を合わせたような塾の場合や、集団塾での個人面談の場合はどうするのか、私みたいな者には語ることは出来ない。だってやったことないから。

けど、私は個人指導に特化した、一人一人のための、家庭教師なんだ。
その一人と接するとき、いつも、その子の幸せを第一に考えて発言すること。こういうことをこれからも大切にしていきたい。そう思った。

あらためてこんなことを今更思うなんて、私は何て未熟者なんだろう、と、反省した次第です。

よーし、個人指導のエキスパートになるぞ。もっと、もっとだ!