みなさまはファンファーレと聞いて、どのような場面での音楽を連想されるだろう。オリンピックや高校野球などの各種スポーツ大会や記念式典での開幕を告げる音楽を思い出す方もいるだろうし、クラシック音楽の中で奏でられるいろいろなファンファーレを連想される方も多いだろう。もしかしたら「競馬!」という方もいらっしゃるかもしれない。トランペットを中心とした金管アンサンブルが輝かしい音色で吹奏するファンファーレには、聴くものを晴れやかな気持ちにさせ、心の高ぶりをもたらす。まさに音楽の力が為せるものといえよう。

この稿では、本日演奏するマーラーの交響曲第5番の冒頭部分を中心に、ファンファーレとは一体何なのかについて考えてみたい。

現在、私たちが普段耳にする有名なクラシック音楽のファンファーレの中では、17世紀のイタリアを代表する作曲家モンテヴェルディの歌劇《オルフェオ》の序奏に使用されているファンファーレが最も古いもののひとつであろう。NHK-FMをよく聴かれる方には、平日夜のクラシック番組の海外ライヴ特集の冒頭で毎回流れるファンファーレと言えばお判り頂けるだろう。これなどは「さあ、これからオペラが始まりますよ」という、いわば開幕宣言のようなもので、オペラ本編との音楽的関連性をもったロマン派の序曲や前奏曲とは明らかに違う性質のものだということが判る。実はこの旋律、同じモンテヴェルディの宗教曲「聖母マリアの夕べの祈り」のファンファーレとしても使用されており、いわば「使い回し」されている。まさしく聖と俗、両方の音楽にそのまま使われ、まさに「開幕宣言」の要素が強い事がうかがえる。

皆様もそういうイメージを持たれていると思うが、基本的にファンファーレは、明るく輝かしいものである。それは舞踏会の開幕(チャイコスキーのバレエ「白鳥の湖」)であったり、位の高い人物の登場(ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」)であったり、オリンピックをはじめとした式典、祝典や祭典の開始に際して演奏され、登場人物や式典の権威をより高めるものとしてそれを聴くものに強く印象付ける。開会を待ってそれまでざわついていた場を一瞬にして静まらせ、気持ちをひとつの方向に向かわせるファンファーレという音楽の持つ力は言葉よりもはるかに強い。

このように基本的には、明るく輝かしい性格をもつファンファーレであるが、これが逆向きに作用するとどうなるだろう。例えば、ベートーヴェンの第9交響曲の第4楽章の冒頭部分を思い出してほしい。世界が崩壊したような破壊的な音楽は、まるで雷が落ちたようにその場の空気を切り裂き、聴くものを一瞬にして不安のどん底に突き落とす-世に言う「恐怖のファンファーレ」と呼ばれているものである。おそらく初演当時の人々にとってはこの部分は大きな衝撃を与えたであろうと思われる。通常は、祝典的な輝きをもった音楽が逆のベクトルを持ってしまうと、こうした恐怖に満ちた響きに一瞬にして変わってしまうという、音楽の持つ不思議な力の一例であろう。

さて、本日お聴き頂くマーラーの交響曲第5番である。マーラーの交響曲は、どの作品もそれぞれ印象的な曲の始まり方を持っている。特に、この第5番の冒頭は、トランペット1本のファンファーレで始まる特異なものである。歴史的には、シューマンの1番やチャイコフスキーの4番も金管のファンファーレで始まるが、いずれも複数の楽器によって演奏される。それに対してマーラーの5番は、1本のトランペットで開始されるところがなんとも壮絶である。冒頭、ベートーヴェンの運命を思わせるような三連符がエネルギーを蓄積し、吹き上げるような短調の上向音形でその力を解放する。その頂点でオーケストラがその力を引き継ぎ、いきなり壮大なクライマックスを築く。そのあと、満を持して始まるのは、何と陰鬱な雰囲気に満ちた葬送行進曲なのである。このような巨大な規模を持つ交響曲が、いきなり葬送行進曲で開始されるということについては、ここで論じるテーマではないのでこれ以上の言及はしないが、いずれにしてもトランペットのファンファーレとこの葬送行進曲は強烈な対比を示している事は確かである。このトランペットのテーマは、メンデルスゾーンの結婚行進曲の冒頭部分をまるで裏返したような暗い曲調(短調)、そして、同じ交響曲第5番と言うことで、否が応でもベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の冒頭を思わせる。また偶然なのか、メンデルスゾーンのピアノ独奏のための無言歌「葬送行進曲」の中にこの音形の原型を見ることもできる。

さて、この原稿のためにいろいろと調べものをしていると下の絵画を見つけた。『新約聖書』の第8章から11章にかけて登場する終末を告げるラッパを吹く天使たちである。具体的にその内容を書いてみると、

一人目のラッパは火と雹(ひょう)を降らせ、地上の三分の一を滅ぼす。

二人目のラッパは海を干上がらせ、その三分の一を減らす。

三人目のラッパはニガヨモギの流星を落とし、地上の川の三分の一を毒で汚す。

四人目のラッパは暗闇を呼び寄せ、地上の昼の時間を三分の一にしてしまう。

五人目のラッパは地獄の蓋を開け、アバドン(滅ぼすもの)と僕の蝗(イナゴ)を呼び出す。

六人目のラッパはユーフラテス川畔に繋がれている「四人の御使い」を開放し、

地上の人間の三分の一を虐殺する。

七人目のラッパはキリスト教の神が世界を支配したことを告げ、キリスト教徒以外の

異教徒を滅ぼすべく様々な天変地異を巻き起こす。

 

まさにこの世の終わりを予言する恐ろしい話である。キリスト教世界にはそれほど親しんでいる人が多いとは言えない日本人にとっても怖気をふるうような話である。ましてや、キリスト教世界そのものの中で生活している西洋の人々にとっては、トランペットの響きは、何かそういった恐怖を呼び覚ますシグナルのように聴こえてしまうかもしれない。マーラーの5番の冒頭のトランペットの響きは、もしかしたら上記の聖書の内容を「心理的な借景」として用いた絶妙なファンファーレなのかもしれない。

(ペンネーム:くまぐす)

 

ディーリアス:組曲《フロリダ》

 

フロリダ。スペイン語で「花の饗宴」を意味するアメリカ最南端のこの土地に、ディーリアスが故郷のイギリスからやってきたのは1884年、彼が22歳の時だった。父親の命令で、イギリスから農場経営の勉強でフロリダにやってきたディーリアスであったが、肝心の勉強はそっちのけで、近くの町の音楽教師の影響もあって音楽三昧の生活を送り始める。たまに農場に帰ってきたかと思うと、農場労働者の黒人達が歌うのをずっと聴いていたりで、まったく役に立たなかった。あきらめた父親は、今度は彼をドイツのライプツィヒにやり、音楽の勉強をさせることにした。こうして18866月、ディーリアスはアメリカを離れることとなった。

 この作品は、アメリカを去り、ドイツ・ライプツィヒに着いたディーリアスが、かつて暮らしたフロリダの印象を音にしたもので、初演はライプツィヒの地下のビアホール。聴衆は、友人の作曲家グリーグとディーリアスの二人だけであった。オーケストラへの支払は、お金ではなくビールだったという。陽光降り注ぐフロリダを描いたこの作品の初演が、バッハゆかりの厳粛な雰囲気漂うドイツの大学町、ライプツィヒというのもなんとなく歴史の織り成す綾を感じさせる。

 組曲は、4つの曲で構成されており、それぞれ「朝」、「昼」、「夕方」、そして「夜」というようにフロリダの1日を描いている。以下、それぞれの曲を点描風に追ってみたい。

 

第1曲:夜明け~踊り

 朝もやを思わせる弦楽器のトレモロと夜明けを告げるオーボエのメロディーによってこの組曲は始まる。あたりは次第に明るさをまし、やがて南国の太陽が昇ってくる。早起きの小鳥たちがさえずりを始め、あちこちで生命のいとなみが輝き始める。そして、「踊り」(これはいのちの踊りであろうか)と題された、より生き生きとした音楽が続く。フロリダの一日が始まる。

第2曲:河畔にて

 作曲者は、ゆるやかな河の流れを見つめながら何を想っていたのだろうか。ゆっくりとたゆとう最初の主題が去ったあと、ヴィオラで奏でられる郷愁に満ちた主題は、一度聴いたら二度と忘れられない美しい旋律であり、その旋律が少しずつ楽器を重ねながら広がっていくさまもまた深く印象に残る。ディーリアスが遺した数々の美しい旋律の中でもひときわ輝く一項である。

第3曲:夕暮れ~農場のそばで

 夕暮れを表す翳りをおびたチェロの旋律は、次第にその輪郭をあいまいにして、南国の夕方のけだるい気分を表出する。しばらくすると、一日の仕事を終えた農場の労働者たちが、焚火を囲んで静かに踊り始める。踊りは次第に激しさを増し、ついには熱狂的なクライマックスを迎える。そして踊りの終わった後の農園には再び静寂が訪れ、漆黒の闇に包まれる。

第4曲:夜に

 再び、静寂が訪れた夜。第1曲冒頭のオーボエの旋律が帰ってくる。ホルンの吹奏に導かれて、あたりに夜の気配がたちこめる。そして第2曲の美しい旋律が奏され、今日一日の出来事が、まるで夢のようであったかのように、すべてが夜のしじまの中に溶け込んでいく。こうして南国の平和な一日がまるでおとぎ話の本を閉じるようなハープのアルペジオで終わる。

芦屋交響楽団第90回定期演奏会

2018114日(日)

会場:ザ・シンフォニーホール

指揮:松尾 葉子

曲目:

   コダーイ : ハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲

   バルトーク : 舞踏組曲

   ラフマニノフ : 交響曲第3 イ短調 作品44

 

 

データをみると約4年振りの芦屋交響楽団演奏会。

西宮のホールは、遠いんですよ。久しぶりにこのオケの

パワーを感じました。迷いの無い打楽器、安定した管楽器。

バリバリ弾く弦楽器。そして、瞬時のギアチェンジで

トップスピードに持っていくトルク。どんな曲でも出来そうです。

勿論、個々のメンバーは、裏で大変な努力をされているのでしょうけどね。

ラフマニノフの3番は、私自身以前に弾いた事があるのですが、

芦響で改めて聴いて、「こんなに難しい曲だったか」と改めて思いました。

ちゃんと弾いてたんだろうか、私。

 

そうそう、前プロで、コンミスさんの横で弾いていた小柄な女性。

メインのラフ3では、何故か欠場。???と思っていたら、

なんと最後に花束嬢として登場。うーん、判らん。。

 

アンコールは、パガニーニ・ラプソディーの第18変奏。

でも、ピアノが端っこにあって、変なバランス。

個人的にはヴォカリーズかなあと思っていましたが、

流石に芦響。最後まで油断なりません。次回は、

また西宮に帰るみたいです。早く、シンフォニーに

戻ってきて下さい。

 

↑このページのトップヘ