2012年02月03日

元祇園社 梛神社(なぎじんじゃ)・隼神社(はやぶさじんじゃ)のおかぐら

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 四条通りから壬生寺に下がる壬生寺の参道の入り口に位置する鳥居一つに拝殿が二つもある不思議な神社があります。。。2月の節分の日には壬生寺に合わせて節分祭が行なわれていて、巫女さんによるおかぐら奉納とかとんど焼きが行なわれています。壬生寺に向かう前にここの焚き火で温まってから壬生寺への参道を流して行くのが正当なルートなんですyo。
 変わった神社なので由緒を調べました・・・かなり変わっていますne〜。
 そもそもこの神社では素戔嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命,誉田別尊などを配祀する。。。境内には梛神社・隼神社・田中神社・稲荷神社が並んであります。
 貞観十一年(八七六)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行ったが、 このときその神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるらしいです。 後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、 音楽を奏して神輿を八坂に送っりました。これがのちの祇園会の起源ともいわれている由緒正しき神社です。
 また、当社は八坂神社の古址にあたるので元祇園社とも呼ばれています。維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、 明治七年(一八七四)と昭和四年(一九二九)の復興を経て現在に至ったらしいです。
境内の隼神社は延喜の制度の大社で、大正七年(一九一八)蛸薬師坊城からこの地に移祀された。 梛神社とともに厄除け、疫病払いの神だそうです。
≪京都市案内板より≫
・梛神社
清和天皇貞観十一年京都に疫病盛に越る故に悪疫を薙はらい病を鎮めるために(素盞鳴尊) の神を播磨国広峰より勧請して四条の坊城へ神輿を入れ奉られる。 此の地に数万本の梛の木あり源某と言う人が此の地に居住し神霊を朱雀大路に近い梛の林中に祭祀尊を斎き奉る。
・隼神社
延喜式に據れば左京四条に坐す神一産隼神社と曰うとあり、 京中に坐す神三座の内にて貞観二年六月十五日朝廷より従五位下の神階を贈られ七年、 十年、十六年、級階を累進して従四位上に位す。 天慶三年九月四日従三位を給はる延喜の制に大社に列し四度官幣を受けたことは延喜式、 三代実録、日本記略等の正史に記載されてあります。往昔は壮厳な大社であることが明白であります。
 
地元の人は昨年古いお札をお納めし、今年も神劔鉾(みつるぎのほこ)をいただき、巫女さんにおかぐらを奉納していただき、ます。古いお札は境内の焚き火で焼いてもらい、それで十分にあったまってから壬生寺詣でで、長い参道の両脇に並んだ屋台を冷やかしていきます。焚き火は火の粉が散らない様に蚊帳みたいな網に囲まれていて安全です。
 

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