人の生活 親の生活は
父 母は 自分で働く生活に
毎日の忙しさに酔いしれています.........
父も母に変わり
子供が楽しくて そして親は
また生活に酔いしれています.......
忙しさの中父も母も
一人の人間になった時……
子供の寝顔を見つめれば
自分もこんな寝顔をしてるのかなーー?
自分はこんな寝顔の人間でいなければ
そんなセンチな 人心……



1996年のたわごとです、お恥ずかしい

ー愛の天体望遠鏡ー
愛は自分で気が付きにくいけれど・・
あしもとに星の数だけ落ちている・・
あしもとの星に気が付く
愛の天体望遠鏡をみんな持っている・・...
みんな持っているのに使わない・・
ほこりをかぶして しまっておくのは
もったいないなーーー

     1996/02/11  masahisa yokonoyokono

熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。熊野三山は、天皇から貴族、庶民に至るまであらゆる階層の人々の信仰を集め、皇室で参拝したのは、908年(延喜7年)の宇多法皇の熊野御幸が最初と言われる[1][2]。熊野御幸とは、上皇の熊野詣のことで、1281年(弘安4年)の亀山上皇の熊野御幸まで、その期間は374年間、94回行われた[2]。
熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野御幸からと言われている。白河上皇はその後あわせて9回の熊野御幸を行った。これにより京都の貴族の間に熊野詣が行われるようになった。その後、後白河上皇も33回の熊野御幸を行っている。源氏や平氏にも信仰され、平安・鎌倉時代の僧侶であった一遍や文覚も参詣した[1]。
室町時代になると、貴族のほかに武士や庶民の間でも熊野詣が盛んになり、「蟻の熊野詣」とまでいわれるほど、凄まじいほどの参拝者の大群であったといい[1]、熊野三山の繁栄も頂点に達し、熊野参詣道も広域道路として整備された[2]。
江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は、広く庶...民が行うようになったといわれている。一時は、熊野付近の旅籠に1日で800人の宿泊が記録されたこともあったようだ[要出典]。
1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」により熊野古道周辺の神社の数は激減。熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。
熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけた。

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写真を続けているうちに一体、僕は何処にいるのだろうと錯覚を起こす、僕の場合は東京の街ではなく、きれいな水と空気そして土と木々たち花ももちろん、もう日本の国のレガシーにするのなら今わずかに残る自然を守るしかないと思います、この前熊野で写真を撮っていた時に中日新聞の人と出会い少し話をしました、こんな出会いもカメラの種類より外に出なければないことですよね、僕はこんな出会いが好きなんですよ、旅の出会い?ですかね。

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