食べ物のはなし

岐阜県中津川市のお肉屋さんが出会った食べ物の話です

かねじいの昔語り

田中さん (かねじいの昔語り 番外編)

先日、約50年間熊崎畜産で働いてくださった田中さんが亡くなった。

享年70歳。

私が生まれた頃から勤めてくださり、熊崎畜産の文字通り屋台骨となっていた人で、自分が社長になるタイミングで常務取締役になってもらった大変頼りにしている方だった。

65歳の定年後、再雇用で2年半働いていただいた。

退職して1年という突然の訃報だった。

葬式の帰り道、助手席の父がつぶやき始めた。

田中が最初にうちに来たのは工場を建てた時でなあ。

あいつはペンキ屋の小僧で来とった。まだ18やそこらじゃなかったかな。

現場で職人が肉をさばくところを面白そうに見とったんだがペンキの缶をまな板の上に置いとったもんで

「コラ!そんなところにペンキの缶置くな!」って叱ったら「すみませんすみません」って帰っていった。

そしたら何日かして「社長さん、僕も肉切りたい」って言ってきたから雇ってやった。

あいつは手先が器用で綺麗好きだもんで仕事は丁寧だし、なんせ愛想がいいもんでお客さんも増えていってな。 

朝も早くからよく働いてくれたなあ。

結婚するときには仲人をやってくれって言うもんでな。やったよ。

家を建てたときには「おかげで家を建てることができました。」って言ってくれてな。

そういうところはちゃんとしとったな、あいつは。

一度俺がベンツを買おうと思って田中と多治見のディーラーまで見に行ったことがあってな。

「社長、ありゃカッコイイで買いましょう!」なんて言ってたけどなんとなく踏ん切りがつかずに買えなくてな。

そしたら何年か後に田中が自分のベンツ買っちゃってよ(笑)ちょっと小さいやつだったけど。

「社長も早くベンツ買ってよ」なんて言ってたこともあったな。

かわいいヤツだった。。。


h_tanaka

ご冥福をお祈りいたします。



 

玉音放送 (かねじいの昔語り 再掲)

その日は朝から「今日は正午に特別な放送があるからラジオのある家に集まっているように」ってお達しがあってな。

おはぎの話したことあったやろ。(かねじいの昔語り その1)

あれからすぐ後の話やでな。

誰やったかな・・・たしか村役場の人が各戸を回って知らせたんじゃなかったかな。

家の「中の間」っていう部屋よ。おんし(お前)が子供の頃寝とった部屋のタンスの上にラジオが置いてあってな。

たしか近所の大人たちが7,8人集まってきてな。

ラジオの前に全員正座してしん・・・として待っててな。

雑音がかなり入って聞き取りにくかったけど、たしか「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ・・・」っていうくだりは聞き取れたな。

放送が終わったあともみんな状況がよく飲み込めなくてな。

そりゃそうよ。新聞は毎日「敵軍艦○○隻撃沈、空母○○隻大破」なんて勝ったニュースばかりだったし、たしかガダルカナルの戦いで初めて「玉砕」っていう言葉がでたんじゃなかったか?

広島に原爆が落ちたなんてのも知らされたのはしばらく後だったしな。

で、その日集まった人の一人が「バカなことよ・・・日本は戦争に負けたらしいじゃわ。」って言ってな。

みんなしょんぼりしておったな。

戦争に負けるなんて考えたことも無かったし、あの時は本当に意味がわからんかったなぁ。

近所の人で、息子が航空隊(海軍?)の人もおってな。
この近所の上空を飛行機が低空飛行していくと、

「アッ・・キットセガレガガイセンヒコウデキタンダ!」

なんて思ってハンカチ振ってた事もあってなぁ。

そんな人はきっと大勢おったやろうな。

みんな「自分のセガレ」だと信じてハンカチ振っておったんやろうな。

(初出 2010年 8月15日)

石原慎太郎という男 (かねじいの昔語り その21)

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この本読まんか?うん、面白かった。

石原慎太郎はやっぱりおもしろいな。

それにカッコイイ。

昔からカッコ良かったぞ。昔中津川に呼んだことあってな。

環境大臣(環境庁長官)の時よ。

当時中津川市は下水の最終処理場がなかなか決まらずにおってな。

環境大臣の石原慎太郎を呼んで講演してもらったわけだ。

梅信亭で飯食ってな。オレは当時JCの理事長だもんで石原慎太郎の隣に座ってな。反対側は市長よ。

ステーキ用の特にいい肉を選んで持って行ってな。

「私はソースは結構です。」なんて言って塩コショウかけて食ってたな。

まーカッコイイんだわ(笑)

「下水道はローマ時代から整備されておるんですよ。この日本で今時下水道の無い街なんてのは街じゃないです。」 

なんて言ってたな。

今から38年も前の話だけどな。

この本も面白いぞ。読んでみい。

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五万石中津川店さん (かねじいの昔語り 番外編)

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そうか、あんた長吉っつぁの孫か。

長吉っつぁはええ男やった。わたしらまだ子供やったけどよ。

大きい人やったに。あんたはそんなに大きくないけどよ。

なんといっても肉は長吉っつぁのところしか買わんもん。本当やに。

今でもそうよ。

ずっとここで商売させてもらってよ。無尽でつかってくれる人がおるもんで。

美味しい肉やないとたるいでよ。

ずっと熊崎の肉使っとったで。本当やに。

そやけど娘が来いって言ってくれるもんでよ。恵那峡で五平餅と土産物売ったりしとるのよ。

まあ来いって言ってくれる時が来たら行っとかなあかんでよ。

ありがたいことやで。

2016-04-06-12-19-59
これか、そうよ。今日誕生日なのよ。

まあ恥ずかしいで「おっかー」なんて書いてあるもんでよ。

でもわざわざこんなもんくれるもんでやっぱり嬉しいて。

82よ。いや数えで82やで本当は81やに。

あんたのおばさんのユキちゃんと同級やでよ。

まあ娘が来いって言ってくれるもんでよ。今月で終わりよ。

いやいや、こちらこそお世話になりました。

550円ね。はい、ちょうどね。ありがとうございました。

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五万石中津川店さんは平成28年4月27日昼の営業をもって閉店するそうです。

長い間お世話になりました。

本当にありがとうございました。

長吉っつぁの孫 熊崎康司
 

ひぐっつぁん (かねじいの昔語り その20)

昨日、樋口さんのお葬式に父と参列した。

私が遊びに行くといつも

「おいどうやえ?忙しいかえ?

あかんなぁ。ほんっとに儲からんようになったなぁ。」

という挨拶で迎えてくれる方だった。

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樋口さんの昔の話はとても面白くて何年か前にボイスレコーダーを持って取材に行った事もあった。

オート三輪を32万円で買って一ヶ月で元が引けた話、税務署が入った時の話、Tハムが潰れた時の話、Kハムが潰れた時の話。。。

ほとんでここでは書けない内容ばかりだった。



帰りの車の中、父が独り言のように語り始めた。

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ワシとひぐっつぁんはいつも一緒におってな。業界の旅行の時もいつも隣の席に座ったな。 

酒は一滴も飲まんし、ちょっとすると「おらまぁ家に帰りたいよ」なんて言う人だった。

花札が好きでなぁ。唯一の趣味だったんじゃないか?ゴルフもやらんしな。

夜になると他の部屋に行って朝まで札めくっているような人だった。

オーストラリアに行った時は一緒にコンテナ一杯牛を買ってみた事もあったな。

昔話をすると「あの時のはあんまり儲からんかったなぁ」なんて言ってたな(笑)

カナダに行った時は大橋巨泉の店でカナダコイン(メープルリーフ金貨)を売っててそれをみんなで買おまいか、なんて言ってみんな沢山買ってたな。

ワシとひぐっつぁんは買わんかった。たしか13万円くらいだった。

ホテルに戻ってから二人で散歩に出かけたら「両替」って日本語で書いてある店があってな、覗いてみたらさっきと同じコインが8万円くらいで売っててな(笑)

こりゃぁいいっていうんで二人で買って帰った。

ひぐっつぁんに「オイ、みんなには黙っておけよ」って言ったのにしゃべっちまいやがってよ(笑)

いつも一緒におってくれてなぁ。いい人だった。。。

この前病院に見舞いに行った時にサイドテーブルにタバコが置いてあってな。

でもさすがに病院では吸えんだろうからな。

タバコとライターを棺に入れてきた。あの世で吸えるようにな。

ライターも無いと火が点けれんからな。



ああ、また友達がおらんくなっちまったなぁ。。。



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時折強い風の吹く、寒い一日だった。




ご冥福をお祈りいたします。
 
 

玉音放送 (かねじいの昔語り 再掲)

その日は朝から「今日は正午に特別な放送があるからラジオのある家に集まっているように」ってお達しがあってな。

おはぎの話したことあったやろ。(かねじいの昔語り その1)

あれからすぐ後の話やでな。

誰やったかな・・・たしか村役場の人が各戸を回って知らせたんじゃなかったかな。

家の「中の間」っていう部屋よ。おんし(お前)が子供の頃寝とった部屋のタンスの上にラジオが置いてあってな。

たしか近所の大人たちが7,8人集まってきてな。

ラジオの前に全員正座してしん・・・として待っててな。

雑音がかなり入って聞き取りにくかったけど、たしか「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ・・・」っていうくだりは聞き取れたな。

放送が終わったあともみんな状況がよく飲み込めなくてな。

そりゃそうよ。新聞は毎日「敵軍艦○○隻撃沈、空母○○隻大破」なんて勝ったニュースばかりだったし、たしかガダルカナルの戦いで初めて「玉砕」っていう言葉がでたんじゃなかったか?

広島に原爆が落ちたなんてのも知らされたのはしばらく後だったしな。

で、その日集まった人の一人が
「バカなことよ・・・日本は戦争に負けたらしいじゃわ。」って言ってな。

みんなしょんぼりしておったな。

戦争に負けるなんて考えたことも無かったし、あの時は本当に意味がわからんかったなぁ。

近所の人で、息子が航空隊(海軍?)の人もおってな。
この近所の上空を飛行機が低空飛行していくと、

「アッ・・キットセガレガガイセンヒコウデキタンダ!」

なんて思ってハンカチ振ってた事もあってなぁ。

そんな人はきっと大勢おったやろうな。

みんな「自分のセガレ」だと信じてハンカチ振っておったんやろうな。

(初出 2010年8月15日 かねじいの昔語り その11)

ゆのう (かねじいの昔語り 番外編)

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なんじゃよ、今日はかねちゃんは休みか。あんたが代理か。

今日はかねちゃんと回れると思って楽しみにして来たになあ。

ん?わしか?わしゃ大正13年よ。90才。

え?ゴールドティー?そんなこと言わずにオレも仲間に入れてくれよ。同じとこからで。

じゃまにならんように頑張るで。(笑)

戦争?行ったさ。海軍よ。志願して行った。

どっちみち戦争には行かんならんもん。(笑)


海軍は食い物もいいしな。給料も良かった。

兄貴は陸軍でな。陸軍は靴下から褌からいろいろもっていかんならんもんでな。

わしも風呂敷に包んでいろいろ持って行ったけど入隊前に全部取り上げられてな。

千人針とかも。

そんで「ユノウ」を渡されてな。こんなでっかい袋よ。

え?どんな字か?そりゃあんた、「ユノウ」は「ユノウ」よ。(たぶん油嚢)

中身は長靴に褌、茶碗、箸、コップそんないろいろ身の回りのものよ。

全部新品でな。

それがな、金取られるんだわ。5円50銭。

バカなこと無いわなあ。兵隊に取られてオマケに金までとられるんやもん。 

払えん者は給料から天引きされるのよ。

昔は何かというとすぐ殴られてなあ。

こんな太い棒でケツをぶったたかれるのよ。

コンチクショーッ!て思ってなぁ。殺してやりたいくらい憎かった。

でもな20日よ。だいたい20日たつとそんな気も起こらんくなってな。

叩かれてない日は寝付きが悪くなるくらいのもんじゃった。 

(たぶん来月につづく) 

おはぎ (かねじいの昔語り 再掲)

あれは終戦間際の頃やから尋常小学校2年生の時だな。

 当時この家の裏山には陸軍の演習場があってなぁ。
 全国から兵隊さんが集まってきて、あの、ほれ、こっちからずぅっと行くと中央道渡る橋があるやろ。
あそこに兵舎があってあそこで兵隊さんたちが寝泊りしてたわけだ。 え?近い近い。すぐそこよ。起床ラッパの音とか聞こえてきたもんだ。

 そんで裏山の演習場に背嚢背負った兵隊さんがのぼって行ってな。8貫目っていうから32kgか?そんなリュックサックの上に毛布をこうきちっとたたんで括りつけて、さらに穴掘りのスコップも縛り付けて、手には銃も持って登って行く訳さ。
 重かったよなぁそりゃぁ。

 で、兵隊さんがそこで鉄砲を撃つ練習をしておったんだが、終戦間際になってくると鉄砲の弾も無くなってきたんやろな。タコつぼ掘りと言って地面にこんなくらい(両手を広げて1.5mくらいの幅をつくる)の穴を掘ってな。
 「塹壕」っていって、そこに隠れて敵の弾をよけて・・・というものなんだが、まぁ穴掘りの訓練をしていたんだろうな。

 そんでそれを兄貴と一緒に見に行ってな。 
見ておったらなんか気の毒になっちゃってな。
 兄貴にこう言ったのよ。

 カネ「オイ、ヘイタイサンニ、オハギヲモッテイコウ。」
 兄「ウン、ソウダソウダ、ソレガイイ。」

 そんで家に戻ってお袋に頼んでさ、

 カネ「オカサン、ヘイタイサンニオハギモッテイキタイ」

 って言ったら拵えてくれてな。
 まぁ当時は砂糖が無いんだが親父が獣医師だった関係でブドウ糖があったんで、それを使って当時としてはすごいゴチソウが作れたわけだ。(笑)
 そんでそれを持って兄弟二人で山を登っていってな。
 一番近くで穴掘りしてる兵隊さんに向かって小声で

 カネ「ヘイタイサン、ヘイタンサン、オハギモッテキタヨ。」

 木の陰にしゃがみながら、重箱に入ったおはぎをこう、見せてな。 
すると気付いた兵隊さんが周りの仲間に耳打ちしてな。
 コソコソッと4・5人が、見つからんようによつんばいで来てな。そんで食うわけさ。そりゃもう、 「むさぼり食う」っていうのはあのことだな。
 泥だらけの手で、両手に一個ずつ掴んでもう一心不乱にガツガツ食うのよ。 そんであっという間に平らげてな。 
泣きながら両手をあわせて拝むわけよ。「ありがとう。ありがとう。」って小声でな。
 涙ボロボロこぼしながらこんな子供に頭下げて拝むのよ。

 それっきり会わなかったから、あの時の兵隊さんはロクに訓練受けずに戦地に送られたんだろうな。 
遠くの国で死んじゃったんだろうな。

最後のおはぎになったと思うけどなぁ・・・

どんな気持ちだったろうなぁ・・・

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(初出 2009年7月15日 かねじいの昔語り その1)

予納金 (かねじいの昔語り その19)

鳥取の市場に子牛を買いに行くときは全部現金でな。

最初に金を預けるのさ。「予納金」って言ってな。100万円とかあずけるのさ。

1万円札が無いころの100万円だからな。

千円札が100枚で10万円の束。それを10個。今の1千万円の大きさだな。

それを腹巻に入れてな。

多いときは200万円持っていったこともあったな。

子牛は一頭5万円くらいだったかな。

で、子牛を競り落としていくと当然予納金が減ってくるわけだ。

いよいよ「次に買うには追い金いれてください」て時になると市場の人がこんな小さな紙を持ってきてな。

そんな時代だったな。

ある時、夏だったが暑くて汽車の中で腹巻から10万円のズク(札束)が座席の上にこぼれ落ちててな。

こりゃいかん、と思ってそれからは銀行の送金小切手にしてもらった。

向かいの座席の人は気づいてたろうが、どう思っただろうな(笑)

当時はその金をつくるのに苦労したなあ・・・・25歳くらいの頃かな。

相場が高くて子牛が買えずに10日くらい泊まった事もあったな。

夜やることが無いからパチンコ屋に行ったらものすごい出てな。

景品をもらったが換金所の場所が何度説明されてもわからなくてな。

「もういいから全部菓子に変えてくれ」って言ったら「お前さん菓子屋か。」なんて言われてな。

ダンボールに何箱も菓子を貰って牛と一緒に汽車で送ってもらった(笑)

次の時行ったら店員が近づいてきてそっと千円札握らされて「もう来ないでくれ」なんて言われてな。(笑)

何と間違えたんだろうな(笑)

春の雪 (かねじいの昔語り その18)

今日は寒かったなあ。長野では雪が降ったらしいな。

昔、3月15日に30cmの大雪が降ったことがあってな。
 
親父が兵隊に取られて出征していく時でな。それで覚えとるのよ。

近所の森(仮名)さんと、二人な。

「報国婦人会」だったかな。肩からこう、タスキをかけてな。

近所の者がみんなで軍歌歌いながら日の丸の小旗を振ってナ。

「カッテークールゾトイッサマッシクー」

とか歌ってな。坂本の駅までみんなで歩いて見送りに行くわけだ。

駅に着くと親父がちょっと高い台に立たされて、そこで中井(仮名)中尉から訓示を貰うのさ。

どんな内容か?子どもだったから覚えてないが、まあ「お国のために働けるのだから幸せである」とか、そんな内容だったと思うがな。

で、汽車に乗った二人を万歳三唱で送るわけさ。

当時はすごい数の人が見送りに来てたな。坂本の駅前の広場が人で一杯だったな。

あの大雪の中をなあ。。。

まあそういうわけで「3月15日に30cmの大雪が降った」ということを覚えてるわけさ。

これは間違いようがないな。うん。


 
プロフィール

kumatiku

飛騨牛販売指定店の肉のくまざきです。
お肉を中心に食べ物のはなしを書いています。

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