道場に出かけようと、簡単な夕食を済ませるべく、準備をしていたら・・・
耳鳴りがしたかと思うと、くらくら。

もちろん、暑かったので熱中症かと思って、
いただいた梅干しを2個食べて、
飲み物を必死で飲み・・・とやってもなかなか改善せず。

だんな様にも手伝ってもらって、夕食の準備を。
まだ、耳鳴りは収まらず。
食欲はなかったのですが、食べなきゃね!

★被っている時は、食べたくなくても食べれば食べれます。

体力勝負なので、頑張って食べましょう!
本当に体調が悪い時には、いくら頑張っても食べられません。
また、食べた後、腹痛が起こることもありますが、
それでも栄養はいくらかでも吸収されていますので、
食べれたら、恐れずに食べましょう。

頑張ったら食べれた私。それでも耳鳴りが止まりません。

空手休む?
と聞かれましたが、この時点で食べられたってことは、
被りの可能性が高いと思って、行くだけ行く!

時間に間に合わなくても、少しでも血流を良くしたら、
改善されるかもしれないし、だめなら見学と出発。
けれども道場に到着しても、耳鳴りは収まらず、
師範にも説明して、練習に参加しました。
最初の頃は、自分の声さえうるさくて、
暑いし、頭はぼ~っとしたままだし・・・
と、気がつくと少しずつ、耳鳴りが止まっているのに気が付きました。

でもって、今日は少しだけ短かった2時間の練習。
スパーリングまでやり切りました。
でもって、耳鳴りも収まりました。

どうやら、どっかでドン被りしたようで。
なかなかしつこくて、大変でしたが、
被りの症状の特徴は、被りが取れると、
あ~~んなに気分が悪かったのに、ケロっと治ること。

実はご飯を食べた後、眠たくて、眠たくて。
で、これも被りの特徴。
でもって、
★ そのまま眠ってもまず治りません。
眠るなら、被りをしっかり落とした後に。

どこでどうやって被ったか、いまだわかりませんが、
これまたあんまり追及すると、またまた被るので、
治ったからよし!ということで。

★どこで被ったか、わかったら祓いやすい時もありますが、
わからない時には、追及しすぎないこと。
またまた、その途中で被ります。

体調の変化は、被りだけが原因で起こることも、
そうでないこともありますので、簡単には言えませんが、
まあ、病院に行っても、異常が見つかることはあまりありません。

ですから、被りをためたまま、我慢している間に、
本当に病気になってしまったケースをこのところ、いくつか耳にしました。

「本当のところ、感覚を磨くことより、浄化の仕方を知っていることの方が、
ずっと大事なんだ」

いや~、たまたま被るってこと、不本意ながらあるんですが、
道場があってよかった、空手で汗を流したら、
すっきり治ってよかったよかった。
ありがたい治療法です。
何しろ、薬を飲んでも、眠っても、浄化しない限り、治りませんものね。

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自分でもあることですが、日常と修行。
分離しやすいものです。
修行で「わかったこと」「体得したと思っていたこと」を
日常で活かせるまでになるには、もういくつかの段階があるのでしょう。

修行として、何日も、何年も行を続けている人というのはそれだけですごい!
修行として、普通じゃ考えられないような苦行を修めているのはそれだけですごい!
素直にそう思います。

いわゆる修行という形でなくとも、
毎日、ちゃんと仕事にでかけるのも修行、
毎日、ちゃんとやるべきことをこなすのも修行。
日常の中にもたくさんの修行があって、
それと気が付かない間に「修め」ていることだってありますものね。

私にとっては、翻訳のお仕事は集中力、最後まで気を抜かない修行
でありながら、とても大事なことを学べるお得な修行。
自分が「仕事」としてやっているもの、目の前にあるものに、
学べることは沢山あって、それと気づけるときもあれば、
こなすだけで精いっぱいのこともあります、あります。

やらなくてはならないことをこなす修行を苦行にできるだけしないような工夫とか、
あえて、非日常空間を作って、修行を体にしみこませる工夫とか。
修行を「修める」には、自分なりの工夫が必要。

今日は、新たな滝行の場所を探して、お弟子さんたちが、
いくつかの瀧をめぐってきたようで。
こっちの方向とか良い滝があればいいですね~と、
私が言った関係上もあって、一日中気にはなっていましたが、
残念ながら、「入りたい」と思うような瀧との出合いは、今回なかったようで。

暑かった都心と比べて、山の方は涼しかったそうですし、
そばやこんにゃくなどなど、おいしいものも食べてきたようなので、
良かったとは言え、まだまだ、次の滝行の場所探しは続くようです。
で、この探す作業も修行なんでしょうね。

これをやったから、これを修めたから、すなわち修行・・・
って行かない部分もあって、何をやっていても、
意識が「そこ」に至ることが大事なのでしょう。

心を開放して、日常の中でもその状態でいられるよう。
心を開放して、いつでも自分らしくいられるよう。
楽しく修行ができて、そこで「あ!」っという気付きがあれば、
最高ですよね!

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ちょっと物事が見えたり、見えないものが見えたりすると、
何だろう・・・と気になって仕方がないもの。

見えたり、聞こえたり、匂ったり。
本能的に感じているものだと、コントロールはかなり難しいです。
そして、残念なことに、気持ちよくなることより、
気持ち悪いことの方が気になるし、忘れにくい。

気になるのはわかりますし、感じてしまうことは仕方がない。
けれども、そんな自分を好きでいたいならそれで結構。
多分・・・体調が崩れてしまって、悲鳴を上げるまで、
気にするって癖が抜けません。
そして、体調が悪くなっても、癖を抜かない限り、
楽になっては、気分が悪くなり、そして少し回復しては、
また何かが気になって、がっつり被るの連続。

感じる感覚が閉じられないなら、感じる感覚で、
気持ちよくなるものを感じましょう。
こんなことを感じるんです、こんな風に見えるんです。
そんなお話をお聞きすると、体調を崩すに至るまで、
気が付かないことも多いんだろうとは察します。

けれども、せっかくの人生。
被ってしまう嫌なものではなく、元気になるもの、
すっきりするもの、わくわくするものを見ながら、感じながら
生きていきたいと思うのであれば、
嫌なものは見ない、感じない、感じたら捨てる。
何より、そう自分を訓練することが大事です。

そう考えると、一番の敵は「自分」
一番気にする対象は、相手ではなく「自分」

では人のことなど心配しなくていいのだろうか?
無関心で済まされるのか?
などと思われるかもしれませんが、
あれも、これも不安に思っている自分が心配したところで、
解決するものは、残念ながら、ほとんどありません。
関心をしっかり持ったところで、何も変わらない現実に
打ちのめされるのが現実です。

だから、まずは自分が「幸せ」でいること。
自分で自分の進んでいる道筋をしっかり持っていること。
それが、心配したり、心を寄せる人たちへの
手助けになれる自分を作りだしていきます。


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