2009年11月
2009年11月30日
第2回 認知症ライフパートナー検定試験
今期(12月末)でNPO不動産女性会議理事長を下りるご挨拶のため、久しぶりに渡辺光子先生をお訪ねしました。
渡辺先生は福祉住環境コーデナー制度の創設者で、更に、認知症高齢者の介護にあたる人たちを認知症ライフパートナーと位置づけ、ライフパートナー検定試験制度スタートさせています。8月の第1回試験に続き、12月に第2回試験が実施されます。
写真はその検定試験基礎検定の公式テキストです。
内容は「認知症とは」から「認知症ケアに関する社会資源」まで。特に「認知症ケアに取り入れるアクテビティ」については詳しく説明されています。認知症介護を仕事とする人の教科書ですが、基礎編は身近に認知症の心配のある方がいる人にとって役立つ情報が満載されています。
渡辺先生は福祉住環境コーデナー制度の創設者で、更に、認知症高齢者の介護にあたる人たちを認知症ライフパートナーと位置づけ、ライフパートナー検定試験制度スタートさせています。8月の第1回試験に続き、12月に第2回試験が実施されます。
写真はその検定試験基礎検定の公式テキストです。
内容は「認知症とは」から「認知症ケアに関する社会資源」まで。特に「認知症ケアに取り入れるアクテビティ」については詳しく説明されています。認知症介護を仕事とする人の教科書ですが、基礎編は身近に認知症の心配のある方がいる人にとって役立つ情報が満載されています。
2009年11月27日
キューバ大使館に行ってきました
今年の年末、年始はキューバで過ごすことになり、ツーリストカードを貰いにキューバ大使館に行ってきました。赤羽橋からすぐ近くで分かりやすそうだったので地図を印刷せずに出かけたところ、ちょっと迷ってしまいました。「大使館らしい建物」がなかったのです。
左がキューバ大使館、右がビザ、ツーリストカードの申請をする領事部、大使館の3軒先です。今のキューバの経済力で東京に大使館を開設するということはこういうことなのでしょう。
アメリカのキューバに対する経済封鎖は1962年以来続いています。国連では18年連続、「米国の対キューバ経済封鎖解除決議」をしています。今年の決議で「経済封鎖解除に反対」しているのはアメリカ、イスラエル、パラオだけです。
2009年11月23日
2009年11月20日
2009年11月18日
居住福祉サミット in 山古志−2
ドキメンタリー映画「1000年の山古志」の上映に続いて、元山古志村村長の講演「帰ろう!山古志へ」です。
・地震発生翌日に全村避難を決断した
・帰るのを諦めてしまうか、帰ろうと思うかをかけ、ヘリコプターで上空から被災した村を見せた。
・最短でも7年、10年はかかるといわれた帰村を「2年で帰ろう!」と宣言した(高齢者が多く、避難所生活が7年も続くと言われたら「帰ろう!」という意欲を持てなくなる。)
・国の直轄事業で新しい道路を1年少しで完成させた。土地所有者と国が個別交渉したのでは時間がかかるので全村民から委任状を貰った
・長岡市と合併したことにより財政規模が大きくなったetc.
地震前と復興後の世帯数と人口です。村を離れた人も多くは農作業や養鯉に山古志に通っているそうです。
2回の昼食にいただいた1食1,000円の古志弁当です。容器は行政で用意し、中は何軒かそれぞれ自前の献立で競い合っているようですが、どちらのお店のお弁当もとてもおいしかった。。。。
レセプションのテーブルで隣席だった方は地震前から民宿を経営されており農業体験などできる農業民宿だそうです。
・地震発生翌日に全村避難を決断した
・帰るのを諦めてしまうか、帰ろうと思うかをかけ、ヘリコプターで上空から被災した村を見せた。
・最短でも7年、10年はかかるといわれた帰村を「2年で帰ろう!」と宣言した(高齢者が多く、避難所生活が7年も続くと言われたら「帰ろう!」という意欲を持てなくなる。)
・国の直轄事業で新しい道路を1年少しで完成させた。土地所有者と国が個別交渉したのでは時間がかかるので全村民から委任状を貰った
・長岡市と合併したことにより財政規模が大きくなったetc.
地震前と復興後の世帯数と人口です。村を離れた人も多くは農作業や養鯉に山古志に通っているそうです。
2回の昼食にいただいた1食1,000円の古志弁当です。容器は行政で用意し、中は何軒かそれぞれ自前の献立で競い合っているようですが、どちらのお店のお弁当もとてもおいしかった。。。。
レセプションのテーブルで隣席だった方は地震前から民宿を経営されており農業体験などできる農業民宿だそうです。
2009年11月17日
居住福祉サミット in 山古志
日本居住福祉学会の居住福祉サミットが山古志で開催され、初めて山古志に行ってきました。
日本の原風景のような棚田があちこちにあります。
「逝きし世の面影」に書かれていた幕末から維新の頃に来日した外国人たちが感嘆した棚田もこういう風景だったのでしょうか。
左は芋川という小さな川が土砂で埋まりダム湖になった場所です。
水路を作って水位は下がりましたが家は土砂に埋まってしまっています。水の心配のない高台に新たに家を建てていますが、この家を見ながら暮らすのは辛いことでしょう。
右は全戸全壊した集落です。丸い屋根は農作業小屋で他地域に移転してここに通っているそうです。
自力再建できる資力ない家庭のために建てられた公営住宅です。
一箇所に集める大きな建物ではなく、元の集落の人たちと暮らせるよう木造、菜園付の2軒長屋、4軒長屋(2軒×2に区切れている)を集落ごとに建てています。
ここは全壊した小学校跡地に建てられた公営住宅で、子供たちが卒園記念に植樹した桜は無事でした。小学校は中学校と一緒になっています。
小学校跡地の公営住宅敷地内に自力再建者向けのモデルハウスが建てられています。地元建築資材を使ったもので高床(3階建)1,500円、低床(2階建)1,200万円でそうです。公営住宅も自力再建住宅のモデルハウスも同じような外観というのは都会人にはない発想でしょう。このモデルハウス型の家もちらほら建っていましたが、残念ながら大半は新建材によるカラフルな家が再建されていました。
山古志ではもっとも高地にある集落「天空の里」と闘牛場です。天空の里は新しく宅地造成したところで、元の集落を再建できなかった集落が集落ごと移転しています。
日本の原風景のような棚田があちこちにあります。
「逝きし世の面影」に書かれていた幕末から維新の頃に来日した外国人たちが感嘆した棚田もこういう風景だったのでしょうか。
左は芋川という小さな川が土砂で埋まりダム湖になった場所です。
水路を作って水位は下がりましたが家は土砂に埋まってしまっています。水の心配のない高台に新たに家を建てていますが、この家を見ながら暮らすのは辛いことでしょう。
右は全戸全壊した集落です。丸い屋根は農作業小屋で他地域に移転してここに通っているそうです。
自力再建できる資力ない家庭のために建てられた公営住宅です。
一箇所に集める大きな建物ではなく、元の集落の人たちと暮らせるよう木造、菜園付の2軒長屋、4軒長屋(2軒×2に区切れている)を集落ごとに建てています。
ここは全壊した小学校跡地に建てられた公営住宅で、子供たちが卒園記念に植樹した桜は無事でした。小学校は中学校と一緒になっています。
小学校跡地の公営住宅敷地内に自力再建者向けのモデルハウスが建てられています。地元建築資材を使ったもので高床(3階建)1,500円、低床(2階建)1,200万円でそうです。公営住宅も自力再建住宅のモデルハウスも同じような外観というのは都会人にはない発想でしょう。このモデルハウス型の家もちらほら建っていましたが、残念ながら大半は新建材によるカラフルな家が再建されていました。
山古志ではもっとも高地にある集落「天空の里」と闘牛場です。天空の里は新しく宅地造成したところで、元の集落を再建できなかった集落が集落ごと移転しています。
2009年11月07日
巨匠 鵜飼良平氏に蕎麦打ちを学ぶ
「それでいいのか蕎麦打ち男」の著者 残間里江子さんが主宰しているWillbe Club が蕎麦打ち講習会をするというので参加しました。しっかり技術を身につけようという3回の本科コースではなく1回だけの体験コースです。
講師の鵜飼良平氏は明治25年創業「上野薮そば」三代目主人で江戸流手打ち蕎麦「鵜の会」宗家、蕎麦打ち男たちの憧れの方だそうで、「鵜飼先生が蕎麦を打たれるのを見たい」と九州から参加された方もいたとか。助手の先生方も4段、5段(最高位)の方々で、私の台についてくださったのは5段で女流名人 寺西恭子さんでした。さすが残間里江子さんの企画の講座です。
これだけの素晴らしい先生に教えていただきながら、私は戦後の食糧難の時代、小麦粉が手に入るとこうやってうどんを作ってくれた母を思い出しました。延し台は足を折畳んだ卓袱台でした。
蕎麦打ち終了後、先生方が打ってくださったお蕎麦をご馳走になり、Willbe Club からお土産をいただきました。私は残間さんの著作「引退モードの再生学」が当たりました。「それでいいのか蕎麦打ち男」を文庫本にする際改題したものでした。
「蔓延する蕎麦打ち男」「もう一度、萌えるような恋かしたい、だと?」と団塊の世代(著者の同世代)の男性を切りながら、自身のこともちょっと書き、同世代の女性たちには、孫転がしをせず、自分転がしを。。。
講師の鵜飼良平氏は明治25年創業「上野薮そば」三代目主人で江戸流手打ち蕎麦「鵜の会」宗家、蕎麦打ち男たちの憧れの方だそうで、「鵜飼先生が蕎麦を打たれるのを見たい」と九州から参加された方もいたとか。助手の先生方も4段、5段(最高位)の方々で、私の台についてくださったのは5段で女流名人 寺西恭子さんでした。さすが残間里江子さんの企画の講座です。
これだけの素晴らしい先生に教えていただきながら、私は戦後の食糧難の時代、小麦粉が手に入るとこうやってうどんを作ってくれた母を思い出しました。延し台は足を折畳んだ卓袱台でした。
蕎麦打ち終了後、先生方が打ってくださったお蕎麦をご馳走になり、Willbe Club からお土産をいただきました。私は残間さんの著作「引退モードの再生学」が当たりました。「それでいいのか蕎麦打ち男」を文庫本にする際改題したものでした。
「蔓延する蕎麦打ち男」「もう一度、萌えるような恋かしたい、だと?」と団塊の世代(著者の同世代)の男性を切りながら、自身のこともちょっと書き、同世代の女性たちには、孫転がしをせず、自分転がしを。。。
2009年11月06日
エジプト大使館フォーラム
NPOアクティブミドル国際協会主催のフォーラムはオーストラリア、デンマーク、ルーマニアに続き今月はエジプトです。
大使館内の多目的ホールで駐日大使ワリード マハムード アブデルナーセル博士の講演があり、その後、民族楽器ウードの演奏を楽しみ、上の階に移動して大使公邸での立食パーティです。
写真は大使夫人が選んでくださったエジプト料理。あまりの種類の多さに少しずつでもいただききれませんでした。これがアラブのおもてなしでしょうか。。。。
ウードの演奏は常味祐司氏です。日本の琵琶に似た楽器です。
西洋音楽は一音と半音で構成されていますが、アラブ音楽は半音などという世界ではなく、宗教曲やフォーマルな曲では一音を9分割、民謡は8分割しているのだそうです。
大使館内の多目的ホールで駐日大使ワリード マハムード アブデルナーセル博士の講演があり、その後、民族楽器ウードの演奏を楽しみ、上の階に移動して大使公邸での立食パーティです。
写真は大使夫人が選んでくださったエジプト料理。あまりの種類の多さに少しずつでもいただききれませんでした。これがアラブのおもてなしでしょうか。。。。
ウードの演奏は常味祐司氏です。日本の琵琶に似た楽器です。
西洋音楽は一音と半音で構成されていますが、アラブ音楽は半音などという世界ではなく、宗教曲やフォーマルな曲では一音を9分割、民謡は8分割しているのだそうです。