尾崎紀世彦ファンクラブ会員証キヨファンの方が会員証を貸して下さいました。
皮の会員証は縦9.5センチ、横8.5センチ、厚さ3ミリでしっかりしたものです。
尾崎紀世彦ファンクラブ会員証・表

尾崎紀世彦ファンクラブ会員証・裏その他にラミネートされた紙の会員証(縦5.5センチ、横9.1センチ)がありました。
会員名と事務所の住所を消しました。
キヨのアニメがカワイイですね(^^)
尾崎紀世彦ファンクラブ・スケジュールはがき←79年11月と12月の会員用「スケジュールのお知らせ」ハガキです。事務所の方の追加メモも書いてあります。

私は入会していませんでしたので情報が全くありません。
以下の事をご存知の方がいらしたら是非教えて下さい。

ファンクラブの存続期間はいつからいつまででしたか?
会報はどんな内容でどのくらい来ましたか?
会員は何名ぐらいいましたか?
当時の会員名簿をお持ちの方、ご連絡をくださいませ。
よろしくお願いします。

二丁マイク!!追記:
キヨファンの方から情報を頂きました。(1月22日)
        ↓
*ファンクラブ存続期間は1974年〜75年と、78年〜80年。
*会報にはキヨとマネージャーのコメント、スケジュールについて、ツアーの報告等が書かれていた。
*74年〜75年に4通以上の会報が発行された。
*78年〜80年は会費無料でスケジュールのハガキだけ送られてきた。

Motchyさんから情報を頂きました。(1月23日)
        ↓
『最初のが「オフィスエム」という名前の事務所で、VOL.1には1974年3〜5月の、VOL.2には1974年6〜8月の、VOL.3には1974年9〜11月の、臨時号には1974年12月〜1975年1月の、VOL.4には1975年2〜4月のスケジュールが載っていました。ちなみにこのときの私の会員番号は1278でした。1975年4月には、4月21日付でレコード会社をビクターに、所属プロダクションをオフィス・エムより「ビクター芸能蝓廚飽楡劼掘▲侫.鵐ラブを解散するお知らせ状が届きました(そのお知らせ状には1975年5〜7月のスケジュールが載っていました)。

次のファンクラブ(名前同じくKIYO'S CLUB)は「アートピア」という事務所に移ってからで、VOL.1には1979年9月30日〜12月24日の、VOL.2(このときは「グローバルレコード(小沢音楽事務所グループ)」という事務所に移籍)には1980年3月26日〜5月30日のスケジュールが載っていました。再発足したファンクラブの会報VOL.1では「マイ・ベター・ライフ」のことがVOL.2にはアルバム「風のグラフィティー」のことが載っていました。ちなみにそのときの私の会員番号は49でした。』