2018年06月14日

何年ぶりかの映画

夏の発表会が終わった後の、ほんのひととき、数日のオフ日が持てた娘と、何年ぶりかの映画を見に行きました。すばらしい賞に輝いたという話題の作品は次回にまわし、昨日は「終わった人」の方を見ることにしました。定年退職後の男性の心を描いた秀作であったと思いました。50歳代の娘は、これから迎えるその時を思って感慨深く、そして77歳の私の方は、退職後僅か3年、良くも悪くも、この映画に描かれているような心の揺れを味わうことなく、まるで風のようにさあっと天国に旅立って行ってしまった夫のことを偲びながら鑑賞しました。音楽がよかったし、主人公の夫婦を演じられた俳優さん達の演技もよかった・・・映画の中の台詞にあった「散るさくら、残るさくらも、散るさくら」という五、七、五の言葉が胸にしみました。

映画を見終わってから、映画館のあるショッピングモールをぶらぶら、二枚買えば10%割引というセールに魅かれ、娘と一緒にブラウスを一枚ずつ買いました。それぞれの趣味で選んだ二枚は、どちらも二人によく似合っていて、何だか幸せな気持ちになりました。娘と孫が携帯で連絡を取りあって30分ほどすると、大学の授業を終えた孫娘も電車で到着して、私達は1ヵ月ぶりで三世代女子のお食事会をすることになりました。

「大学の授業がとても楽しい・・・すばらしいお友達がたくさん出来た・・・サークル活動もアルバイトも、どれもわくわくと楽しんでいる・・・」という孫娘の話を聞いて、本当によかったと安堵しました。こんなはずではなかったと、大学生の5月病もはじまるこの時期に、こんなにきらきらと輝いている孫娘を眩しく眺めました。

数日前の「喜寿のお祝い」には出席出来なかった孫娘が、「ばあば、特別のお誕生日おめでとう!」と言ってさしだしてくれたプレゼントをびっくりしながら受け取りました。「アルバイトのお金で買ったのよ。」と言われ、そんな大切なお金で贈り物まで準備してくれるようになった彼女の成長に胸があつくなりました。優しいピンクに花柄模様のトートバッグ、さっそく明日からスポーツクラブへ持っていきましょう。

帰路の電車にゆられながら、映画のなかに出てきた「散るさくら、残るさくらも、散るさくら」の五、七、五を思い出しながら、ひさしぶりに夫とすごした年月を懐かしみました。「あれから20年、そろそろ待ちくたびれたよ。」という一言が聞こえてきたような気がしましたが、「もう少し、まだもう少し・・・立派に成長してきている孫たちとのふれあいを満喫してからね。」という返事を、夫にも、自分にも言い聞かせました。

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2018年06月11日

喜寿

「喜寿」のお祝いということで、娘と息子が、盛大な前倒しのお誕生日祝いをしてくれました。58歳で夫を見送ったあと、毎年めぐってくるお誕生日とは異なって、長寿のお祝いとしては、60歳の「還暦」、70歳の「古希」、そして77歳の「喜寿」までをお祝いしてもらったことが感動でした。63歳の若さで早逝した夫の分まで、二人分の命として生きてきたんだと、感慨無量の想いがあります。

80歳の「傘寿」は、そう遠くないので、元気で到達したいという私の言葉に、子供達からは、「是非に!」と励まされました。88歳の「米寿」は、そこに至るまでに、何も特別の病気に見舞われないかが一番の心配だし、90歳の「卒寿」や、99歳の「白寿」などはあり得ないだろうと思います。

東京オリンピックの翌年、日本で国際マスターズが開催されます。その年、私は80歳のお誕生日を迎えることになり、現在の75歳〜79歳の年齢区分から、80歳〜85歳の年齢区分へと昇進!することになっていて、そのことが他のどんなことよりも、大きな目標になっていることを、二人の子供たちに話しました。「80歳になったら・・・」と、「何が欲しい」とか、「どこへ行きたい」などの願いではなく、「世界各国の80歳〜85歳のスイマーと一緒にスタート台に立ち、金髪や碧い瞳の人達と競ってみたい」と言う母親の願いを、息子や娘は眩しいような表情で聞いていました。

夫が亡くなったとき、私は自分もまた夫と同じように、63歳くらいで人生を終えるに違いないと思っていました。まさか77歳のお祝いをしてもらうことになるなんて・・・
カレンダーの日付は飛ぶように過ぎ去り、ついこのあいだ始まったばかりのような気がする2018年も、いつのまにかもう半分近くが終わりました。78歳、79歳を生き終えて、私が夢の80歳を迎えるのもそう遠くないような気がします。大きな怪我をしないよう、重い病気に見舞われないよう、「傘寿」のお祝いもしてもらい、金髪のおばさま達と泳ぐことが出来ますようにと願っている、本当に気持ちだけは少女のような私です。

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2018年06月06日

おろし蕎麦

昨日はレースチーム顧問ご指導の練習会に参加しました。現在は50代、60代が中心、その中で私一人が飛びぬけて高齢者という練習会です。2時間のトレーニングが終了したのは午後1時、疲労困憊の身体に空腹も加わって、地下鉄の最寄り駅に到着した時には、灼熱の太陽の下、今にも倒れそうでした。

ともかく栄養補給をと、駅前の小さなお蕎麦屋さんに飛び込みました。注文してすぐに運ばれてきた「おろし蕎麦」の美味しかったこと!「つけて召しあがっていただいても、ぶっかけにしていただいても・・・」と言われたので、蕎麦つゆを全部上にかけていただきました。お蕎麦の上に、ミョウガとみず菜と、たっぷりの大根おろしがかけてあっただけの、とてもシンプルなお蕎麦でしたのに、瀕死状態の私の身体がたちまち蘇る美味しさでした。

元気になった私は、地下鉄のなかでふと思い出しました。住まいから電車一駅先の駅前に、長年老夫婦が暖簾をあげておられたお蕎麦屋さんがありました。どのメニューもとても美味しくて、長年ご贔屓にさせていただいていたのに、一昨年、突然閉店になってしまいました。跡継ぎのお人がおられなかったのだろうと、とても寂しい気持ちでした。

私と娘が大好きだったのは、そのお店の「ぶっかけ蕎麦」で、時折思い出したように食べたくなっては、わざわざ一駅歩いてでも食べに行ったものでした。それは、昨日の「おろし蕎麦」よりも、もっとさまざまなお野菜やうす揚げなどを散らしたものに、たっぷりの大根おろしをかけ、わさびや生姜、好みで七味唐辛子などもふりかけて食べるものでした。大皿に盛られた一品が、悠に二人前くらいの量があったなあと、懐かしく思い出しました。

昨日の美味しさが忘れられなくて、今日のお昼には私流の「おろし蕎麦」を作りました。お蕎麦の茹で汁も捨てないで、最後に蕎麦湯もいただきました。若いお人達に混じっての練習会も、この先どれだけ一緒についていけるだろうと心配ですが、あんなに瀕死状態になっていても、美味しいものをいただけばすぐに蘇り、嘘のように元気になってしまう私・・・食に関する記憶だけは、ほぼ100%衰えていない私・・・次に娘が我が家にやってくる日には、私流の「ぶっかけ蕎麦」を用意してあげて、懐かしいお店の思い出話をしてみましょう。

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2018年06月04日

忖度という言葉

この1年ほど、しばしばテレビの報道、雑誌や新聞などの記事で、目にしたり耳にしたりするようになった「忖度」という言葉、実は私、あの土地問題があったことで、テレビにこの言葉が登場するまで、何と一度も使ったことがありませんでした。

私は小さい頃から国語は得意科目の一つで、読書量もまわりの同級生と比較にならないほど多かったのに、この年齢まで読んだ膨大な数の文芸作品の中でも、一度も目にしなかったということに、正直びっくりしています。小学校から大学卒業まで使用した教科書の中にも、おそらく一度も出てこなかったのではないでしょうか。「そんたく」と、正しく読めなかったくらいです。

あの事件以後、この言葉がネットでの検索ワードナンバー1になったという記述にも、なるほどとうなづけるものがありました。本来は、「人の気持ちを思いやる」というように、別に悪い意味合いを持たない言葉だったそうですから、多分、「忖度」という二字熟語こそ知らなくても、もっと違う平易な言葉で、同じ気持ちを表現してきたのだろうと思います。

流行語になってしまった「忖度」は、むしろ良くない方の意味合いで使用されていたわけですから、そうであるなら、それをむきだしに、平易な言葉で「こびる」とか「へつらう」などと表現するよりは、「忖度する」の熟語で書いた方が、意味合いが曖昧なだけに、会話が少し品よくなると感じました。

ニュース番組を賑わしていた例の土地問題が、少し下火になっていた最近、別の問題でニュース番組が沸騰するようになりました。その中で番組の解説者が口にされた「忖度」という言葉が、本当にひさしぶりに印象に残りました。組織の下にあったものが、上に位置した者に「忖度」した結果、こういう事態が引き起こされた・・・という使い方でした。すでに「忖度」という熟語を学習ずみであった私は、なるほど!と、大いに納得するところがありました。

こんなことがあって、意識して自分の生活の周辺を眺めてみると、人が集まるところには、必ずといってよいほど「忖度」が存在していることに気がつきます。私のような高齢者のまわりにも、よい意味での「忖度」ではなく、よくない方の「忖度」がいっぱいあって暗澹としてしまうことがあります。もう最終コースを歩む私達ならともかく、まだ幼い思春期の子供達が、「忖度」の犠牲になって苦しむことは耐えられないなあと胸が痛いです。





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2018年05月30日

とても疲れた・・・

この事件・・・はじまりはいつだったかしら。毎日、毎日、テレビのチャンネルをどこに回しても目にとびこんでくる同じ話題、驚いたり、あきれたり、心配したり・・・じっとテレビの前を動かないでいると、老体の血流が悪くなるので、めぼしい番組は録画しておいて、買い物に出かけたり、料理をしたり、家事をしたり、夕方になるとスポーツクラブへも泳ぎに行くけれど、帰宅するとまた、録画してあったこの事件ばかり・・・流石に疲れきった昨日、やっと僅かにものごとが動きはじめました。

夫は学生時代にスポーツをした人だった・・・息子も小学校、中学校、高校、大学と、ずっとスポーツと共に歩んだ子だった・・・、娘婿も同じ青春を送った経験があるし・・・現在、四人いる私の孫のなかには、まさに学業とスポーツの世界で、タイムリーに生きている子もいる私・・・ふりかえれば、現役の母親だった年月には、自分自身は経験したことのない、ある種、理不尽とも言えるスポーツの集団で生きる息子の身を、唯々心配しながら眺めた時代もあったけれど・・・
でも、でも、今回のはかなり違う・・・何かが根本的に違う・・・

私は世界大戦が始まった年に生まれた「昔の人」なので、親の世代から伝え聞いた、戦争時代の日本のようすを、ある程度までよく知っている人間です。その時代の日本を描いた映画とかテレビドラマなども、戦争を知らない世代の人にくらべれば、もっともっと身近に感じながら理解できる年齢の人間ですが・・・いまこの現代にあって、80年、90年も昔に横行した、あの理不尽な思想が、まだ同じように大手をふって歩いている集団があるんだ!と、本当に本当にびっくりしてしまったのです。

よく戦争映画に描かれていたあの場面・・・誰もが常軌を逸していた戦時下にあって、上官から順々に下へと命じられていった無慈悲な指令・・・逆らえばわが身にふりかかる恐怖から、唯々諾々と下へ下へと命じられる命令、最後には「蝉になって鳴け」と言われ、柱にしがみついて、目をつぶってミーンミーンと鳴き声をあげた初年兵の姿や、「何のために」も理解しないまま、「お母さ〜ん」と叫んで飛び込んでいった特攻隊の戦士のことなど、そんなことを描いた映像ばかりを思い出しながら、77歳は胸を痛めてテレビを見ていたのです。

かつて、「戦争に勝つために」「敵に勝つために」であった理不尽は、時代をへて「試合に勝つために」と様相を変えてきたとしても、そこまでして「勝つ」って何だろうと思ってしまいます。もちろん、晩年になってから、まさかのスイマーとなった私は、レースのスタート台に立った瞬間には、全力で泳ぐことを心に誓って飛び出すし、前回より僅かでも速く泳ぎたい、ベストタイムを出したいと願って泳ぎます。銅メダルも銀メダルも嬉しいけれど、一生懸命に練習した成果が金メダルとなって報われたときの喜びは何物にも代えがたいことを知っています。努力の結果の勝利・・・でも、でも・・・今回のことは、何かがどこかで違っているなあと感じつつ、何だか本当に疲れてしまいました!


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2018年05月23日

自分のためだけに燃える

数日前に、また一つレースをこなしてきました。今回は、同じ種目にエントリーされた、娘のようにお若いご婦人とご一緒に会場まで向かいました。二人ともその会場でのレースに参加するのは初めてのことだったので、待ち合わせ、乗り物、会場までの道などなど、ぴったり寄り添って行きました。初めての更衣室、初めてのプール、一緒にアップし、一緒に招集をうけて、無事に二人ともそれぞれの年代区分でのレースを泳ぎ切りました。二人揃ってメダルをいただき、ほっとして帰路につきました。とても優しい、とても素敵なご婦人だったので、カレンダーのこの一日が、バラの花マークをつけたいと思ったほど、嬉しい楽しい日になりました。

金メダルをいただいたものの、自分のタイムそのものには少し不本意な気持ちが残りました。4月初旬に400メートルのレースに挑戦した後、左肩、左上腕、左肘、左手首に後遺症の痛みが発症し、日にち薬で徐々に回復しながらも、まだまだ完治ではない左半身を、無意識にかばってしまうところがあって、全力で泳げなかったという残念さが残りました。この負傷が、どうか私の水泳生活に終止符を打たせるようなことにならないよう、何とか早期に回復して、もうしばらく輝いていきたいと祈るばかりです。

今回、初めて少し大きい負傷を体験したために、ここまでの5年間をしみじみとふりかえる気持ちになりました。あれは私が71歳になってすぐの夏、突然空からふってきたような、予想もしていなかったあの一言ですべてがはじまりました。その頃所属していたスポーツクラブにあったマスターズレースチームのリーダーが、「来月、住区の区民水泳大会があるんだけれど、私達と一緒に参加してみない?」驚いて言葉が見つからず、ポカンと彼女の顔を見つめていたのを覚えています。

結局その翌月、70歳〜のグループでクロール50メートルを泳いだ私は、「こんなもの、生まれてからこのかた手にしたことなかった!」という、一位の賞状と金メダルを手にしたのでした。運動音痴の母親が!と、娘も息子も腰を抜かしました。古い日本家屋の奥で、お嫁さん、奥さん、お母さんとして、ひたすら家族のためにだけ生きてきた私の、それは新しい人生に踏み出した第一歩でした。

翌年の5月には、マスターズ水泳大会にデビュー、それからの5年間というものは、「自分のために生きる」「自分のために輝く」人生を走り続けてきました。ふりかえれば、それは鈍行列車ではなく、急行列車に乗っての5年間でした。よくここまで骨折や捻挫、さらには入院や手術というような、大きな病気にも怪我にも見舞われなかったものだと思います。

長い長い、家族のためだけに生きてきた半世紀近い人生の終盤に、「これはこれまでのご褒美」として、私が手にすることになった「自分のためだけに輝く時間」は、何物にも代えがたいすばらしい贈り物でした。自分のためだけに努力した成果が、自分のためだけに評価される・・・胸がときめくような、心が舞い踊るようなその瞬間に、私はいま生きている幸せをかみしめています。

急行列車を、さらに特急列車にまで乗り換えたばかりに、思いもしない負傷に見舞われたいま、「天から授かった残りの時間を、どうか一日でも長く、元気で走り続けられるよう守っていてね。」と、今朝も夫の遺影に手をあわせました。


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2018年05月17日

ずいぶん手のこんだ・・・

まるで真夏のように暑い昼下がりに、我が家の固定電話が鳴りました。受話器の向こう側から、若い男性の声が聞こえました。また保険のお誘いかな、家屋の修理か、それとも不用品の買い取りかも・・・何故か電話の回線が混線状態のようで、音声が切れ切れになっています。
「こちらは・・・区の、健康保険窓口の担当、・・・と申します。数か月前、そちら様宛に送りました緑色封筒の書類のことでお電話をさせていただきました。その中には、締め切りが5月1日の返信書類が入っておりましたが、ご確認のお電話をさせていただいております。」

「緑色の封筒?5月1日が提出期限?・・・ちょっと記憶にないです・・・それは、そもそも何について回答を返信する書類だったのですか?」

「過去5年間に、そちらさまがご利用になられた医療負担金を一覧にした書類です。このたび、個人負担金の割合が見直されることになりまして、僅かではありますがお手元に戻ることになり、その振り込み先などを書き入れてお送りいただきたいというお願いの手紙でございました。」

「緑色の封筒、その中に記載されていたという内容、どちらもまったく記憶にはありません。どちらにしましても締め切り日は過ぎてしまっておりますよね。」

「それで本日はお電話をさしあげたわけです。本来は期日を過ぎておりますが、お電話でいくつか確認させていただければ、こちらから振り込ませていただきたいと思います。」

会話がこのあたりまで進んだ段階で、私は「あり得ない!」と確信しました!

「それでは、私が今から直接に窓口にまいります。ご担当者のお名前をもう一度お願いいたします。」すると・・・

「ご足労いただかなくても、お取引金融機関と、口座番号をお知らせくだされば、私の方から振り込ませていただきます。書き控えますのでどうぞ・・・」

「ありがとうございます。ただ、そのような個人情報を電話でお知らせするわけにもまいりませんので、窓口にまいります。お名前は何とおっしゃいましたか?」

ここで、電話はぷつんと切れて、ツーツーツー・・・。

オレオレ詐欺も、このところずいぶん手がこんでくるようになりました。今日のこの話、最初の3分の1くらいまでは、そんな書類届いたかな?4月中は忙しすぎたから、ひょっとして開封しないでいたのかしら?と思いました。私の記憶も、最近では信用しがたいものがあります。でも、仮にも公的な機関が、正式な書類の受理もないのに、それがどれほどに些少な額であろうと、返金や振り込みをしてくれるなんて、絶対に絶対にあり得ません!
ずいぶん凝った脚本を作ったものだと思いましたが。

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2018年05月14日

前時代風にも良さが

町内のお世話係がまわってきたこの春、私の最初のお仕事は、某慈善団体への寄付支援をお願いしてまわる訪問でした。ゴールデンウイークも明けて、遠出をなさっていたご家庭も、そろそろお戻りになっているのではないかと思われた週明けから、担当のご家庭への訪問を開始しました。

ふりかえれば、私が最後にこのお役目を果たしたのは、今から15年ほど前のことです。担当を任せられていた家庭数は6軒でした。当時の我が家は、義母も夫もすでに他界し、子供達はそれぞれ独立して新しい家庭を築いていた時代の話です。6軒のうちのほとんどは、私よりも年長のお方が主婦でいらっしゃって、どのご家庭でも、うかがった朝の時間に、主婦がお留守などということはなく、20分もしないうちに、全家庭の訪問をしてご寄付をいただくというお役目も終了したものでした。

15年ぶりにめぐってきたこのお役目、前回の倍以上の数になった地区班所属のご家庭のうち、お一人だけは私よりもご年長の主婦のお方が健在でしたが、それ以外のすべては、親子で世代交代をなさっていたり、新しくこの地に住まわれるようになったお若い方々ばかりでした。「お出かけになる前にと思いまして・・・」とお詫びしつつ、朝の9時半にご訪問した全所帯数のうち、3分の2がご在宅でしたが、他のお宅はすでにお仕事に出られた後というごようすでした。再度うかがったその夜もお留守、翌日もお留守、その翌日もまたお留守で、結局毎日通い続けて、一週間後の日曜日に、やっと全てのご家庭の訪問を終えました。それでも、1週間でお仕事をなし終えることが出来たというのは大変な快挙であると、前任のご担当者がびっくりなさいました。

1年間の任務期間で果たすことになっている、似たような内容のお仕事は全部で4種類、マンション住まいの娘の家ではどうなっているのかと聞いたところ、「入居してから17年、そんなお役目がまわってきたこともなければ、そういう訪問を受けたこともないわよ。毎月口座から引き落とされているマンションの管理費の中にみんな含まれていて、管理人さんのところで処理されているんじゃないのかな。」と言って、「他の地域ではどうしているのか興味があるわね。確かに、少し前時代的なシステムのような気がする。だってママがこの地にお嫁にきてもう半世紀、まったく何も変わらないのが不思議よね。」と笑いました。

ただ15年ぶりに、昔ながらのこの訪問をしてみて、「前時代的なものも良いなあ。」と感じたところがありました。同じご近所に住んでいても、娘と同じくらいの年齢のご所帯と、私のような年齢の高齢者が接点を持つことなど、こんな機会でもなければまずあり得ません。「この場所に、いつのまにかこんなにたくさんの家屋が増えて、こんなにたくさんのお若い方々が来られたなんて、今回知って驚いています。初めまして。私はもう半世紀ほどもこの地に住んでいる高齢者ですが、こんな機会があってご挨拶ができたことをよろこんでいます。どうぞよろしくお願いします。」と申し上げると、どなたも同じように喜んでくださいました。とてもよいお方ばかりでした。昔ながらのこのシステム、失ってしまいたくないものがあると思えばこそ、上層部のお人達が死守なさっているのかもしれません。


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2018年05月07日

「いらっしゃいませ!」

連休のある日、孫娘がアルバイトをしているお店を訪ねてみました。娘夫婦と大学生の兄も一緒に行きました。「制服がとっても可愛い!是非あれを着て働いてみたい!」というのが、孫娘がこのお店を選んだ理由でしたが、「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎えてくれた彼女に、その制服はとてもよく似合っていて、まるでお人形さんのようでした。

いつもお世話になっている上司や先輩のみなさん達にもみんなでご挨拶をして、彼女が「働きはじめてから、こんなに注文したお客さんは初めてだ!」と驚いたほど、いろいろとたくさん注文して、美味しく楽しくいただきました。同じ制服を着た先輩のお嬢さんに、娘夫婦や兄が「娘の仕事ぶりはどうですか?」とか「妹はどうでしょうか?」などと声をかけたところ、「とってもよく出来る子でびっくりしている。」などと言ってくださったのでほっとしました。

このお店では、大学受験のすべてを終了した段階から働きはじめました。高校の卒業式も、大学の合格発表もまだの時期で、「高校卒業見込み」「大学入学見込み」で雇われた彼女でしたが、大学合格の発表があって、晴れて大学生となった彼女のことを、店長さんはじめ、先輩のみなさん達が、あらためて祝福してくださったそうでした。

真面目で努力家の彼女ですが、その分、道を外さない優等生タイプ、両親や家族の愛情に包まれて育ってきた、いわば筋金入りの「箱入り娘」です。世の中にはいろいろな人がいる・・・10人の人がいれば、そこには10通りの正論がある・・・人様からお金を頂戴するということはどういうことか・・・それを学ぶことは、学窓で学ぶ学問のすべてと同じか、むしろそれよりはるかに難解なことなのだと、きっと彼女は痛いほど知ることでしょう。

受験が終わった後、入学式までの春休み中に、かなり目いっぱい働いた最初のお給料日、彼女は感動の初アルバイト料を受け取りました。銀行に開いた、自分専用の口座、そこに記載されていた金額は、おそらくこれまでの人生で、祖父母や両親などから贈られてきた、お誕生日祝いやクリスマスプレゼント、卒業や入学のお祝い、お正月のお年だまなどなどのどれよりも、眩しくきらきらと輝いていたことでしょう。社会への第一歩、彼女に大きなエールを送ります。

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2018年05月04日

5月のそよ風

子供さん達が弾くピアノの練習曲に「5月のそよ風」という綺麗な曲がありますが、そのメロディーが聞こえてくるような、今朝はカーテン越しに軽やかな5月のそよ風が吹き込んで、爽快感で胸がいっぱいになります。蒸し暑くて、朝は風雨にも悩まされた昨日とはうってかわり、何と気持ちのよいことでしょうか。

重い荷物を手に、電車を何回も乗り換えて、はるばると遠い会場でおこなわれたレースに参加してきました。先月の大会で負傷した腱鞘炎を、消炎ゲルでだましだまし、何とか無事に泳ぎ終えました。不調だったからこそ、無事に予定タイム内で泳ぎ切れてほっとしました。いただいた金メダルが特別に重く感じられました。

レースの日の荷物は、帰り道になると、最初よりもはるかに重くなってしまいます。水着もタオル類も水分を吸い込んでいるので、すべてが乾いた状態の倍以上の重さになり、より一層重く感じてしまいます。手首に痛みがあったので、正直昨日は、どこかに荷物を捨てて帰りたいくらいでした。次の大会からは、旅行用のカートを使いましょう。カートをカラカラ引いていくと、エスカレーターの使えない駅の階段が困りますが、昨日のあの重さを思えばはるかに楽かなと思います。

今年の1月におこなわれた大会で、これまでずっと同じ年齢グループで泳いできたご婦人が、新しく80歳グループに昇進(!)されたことを知りました。昨日の大会でも、80歳グループで一位になられたそのご婦人の活躍を、眩しい気持ちで眺めました。私は今年77歳、病気や怪我に見舞われることなく、私も無事に80歳のグループに辿り着くことが出来るでしょうか。不調な左半身に心を痛めつつ、でも爽やかな5月の風に吹かれながら、また頑張ろうという気持ちになっています。


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