2017年09月20日

荷物の配達だよ!

火曜日は横浜でレースチームの練習会がありました。何本もダッシュを泳ぎこんでへろへろに疲れて帰宅しました。汚れ物を洗濯機で洗っている間に、お風呂場に飛び込み、シャワーで汗を流し、それから二階のベッドルームで髪を乾かしていると、突然階下で、ガタンと扉があく音がしました。二階の部屋を閉め切って、エアコンまでかけていると、門扉のチャイムの音はまったく聞こえません。「何の音だ!」と心臓が高鳴りました。恐る恐る階段をおりていくと、勝手口の暗闇の中から、「荷物の配達だよ。」という男性の声がしたので、私はもう腰を抜かしそうになりました。

「ばあば、ぼくだよ!頼まれた荷物の配達!合鍵であけて入ったの。ダイニングの電気がついていたから、ばあば、留守じゃないんだなと思ったけど・・・二階にいたの?」と言いながら、突然大学生の孫が暗闇の中から姿をあらわした時には、「あ〜!びっくりしたぁ〜!もう、びっくりしたよぉ〜!」と叫びつつ、私はその場にへたへたとしゃがみこんでしまいました。

実は、この10日間ほど、我が家の車をこの大学生の孫に貸し出していて、聞けばさらにもう1週間ほど使いたいと言います。ところが、我が家のお米や、トイレットペーパーのストックも底をついてきて、車でスーパーへ買いに行かなければならないと言うと、「それなら僕が買ってきて、ばあばの家に届けるよ。」と言ってくれました。

結局、お米の銘柄や、ペーパーの種類を間違われても困るので、娘が自分の家のものを購入するついでに、必要なものを買い求めてくれて、車の中に積み込んでおき、孫が我が家に立ち寄れる日に届けるという約束が成立しました。でもまさか、頼んだ翌日に、すぐ立ち寄ってくれるなんて、これではまるで、翌日配達で人気の、あのネット通販xxxxとそっくりではありませんか!

大学生の孫には、何かの時のためにと、娘と同じように、我が家の合鍵を渡してありました。私の留守中に、車を出したり戻したりする時、それから、自宅と大学や、自宅と遠い出先の、ちょうど中間のあたりにある我が家に、大きな荷物を預けていきたい時などに必要なので持たせてあげました。その鍵を使って、初めて私のために荷物を配達してくれた、記念すべき日になりました。「ばあば、頼まれた荷物の配達だよ。」と言いながら、暗闇の中で笑っていたあの子の顔が心に焼きついています。

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おひさしぶり!の笑顔だけで

用事があってゆうちょ銀行に行きました。スーパーにも立ち寄って外に出ると、ばったりと昔のお知り合いに会いました。「まあ、おひさしぶり!えっ〜と、1年半ぶりくらいですよね。お元気そうでよかったわあ!」手に手をとってご挨拶をしたのは、今はもうなくなった、かつてのスポーツクラブで、ご一緒にスイムレッスンをうけていたご婦人でした。お互いに大きな病気もせずに、こんな風にして再会できたことを喜び合いました。

そこへ、自転車に乗ったご婦人がすう〜っと寄ってこられ、私達二人の顔を代わる代わるに見ながら、「あらあ〜、おひさしぶり〜!えっ!お二人ってどういうご関係?お知り合いなの?」とびっくりされました。Aさんと私は、昔のスポーツクラブのお仲間、そしてBさんと私は、子供の幼稚園時代のママ友、さらにAさんとBさんは、子供の小学校時代にPTAのお仕事をご一緒されたことがあるという、偶然の三つどもえ再会劇となりました。

立ち話でしたから、これといって難しい話など何もなく、でも「おひさしぶり!」の笑顔だけで、三人とも気持ちがほのぼのと和らぎました。Aさんとは1年半ぶり、Bさんとは、息子が幼稚園を卒業した40年前のあの日から、一度か二度は、道でばったりとお目にかかったことがありました。この日三人は、お互いに相手の生活になど何も立ち入ることなく、ただただ「お元気でよかったわあ!」の言葉を交わしただけでしたが、お別れをしたあとで、なぜか心がルンルンと弾むのを感じました。

二日前、娘が我が家にやってきたので、お茶を飲みながら、前日にかかってきた、昔の同級生からの電話のことをおしゃべりしていた時のことでした。聞き終えた娘が、ぽろりとひとこと言いました。
「ふ〜ん、そういうの、珍しいなあ。最近はね、私達の世代だと、そういうのは同窓会の席でも、暗黙の了解で「踏み込み禁止」事項になっているんだよ。ママたちの世代と違って、私達くらいの時代になると、「結婚しない」「子供を作らない」「離婚」「再婚」なんて、決して珍しくないし、いろいろありのお互いの生活には触れない、立ち入らないのが常識なの。結婚しない人、離婚した人が混じっているなかで、「うちの主人がね〜」の話題はまずいし、子供がいない人、子供を作らない人が混じっているのに、「うちの子はね〜」みたいに、学校がどことか、そういうのは浮いてしまうわけだし・・・一番無難なのは、数学のxx先生に居残りさせられたよね・・・とか、音楽のxx先生の試験にはまいったよね・・・」のあたりの思い出話・・・だけど、そういうのは、一度やってしまえば十分と思う人もいて当然だし、じゃあ同窓会って何?ということになるしね・・・」

娘の話のなかには、含蓄深い言葉もいろいろあって、話したあとで、私は気持ちがすっきりとしました。あの夜、「xxさんのお兄さんって、xxになられたんでしょう。いまどうしてらっしゃるの?」と聞かれ、「お仕事を退官したあとは、元気に悠々自適の老後を楽しんでいますよ。」とお返事したことを話すと、娘は「叔父さんのことまで!?それはちょっと行き過ぎだ!」と苦笑しました。



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2017年09月18日

台風一過

雨と風に荒れた一夜が明けて、台風一過、秋晴れの青空がひろがりました。ひさしぶりに家中の窓を開け放ち、カーテンをゆらす風に癒されています。近くの神社の秋のお祭りは、二日とも雨に見舞われましたが、それなりの賑わいでした。毎年、この秋のお祭りが終わると、朝晩、急速に秋の気配が感じられるようになります。

猛暑の7月8月、雨の多かった9月、カレンダーに書き込んできた目いっぱいのレースの予定も、残すところ、9月に一回、10月に二回、そして11月に2回を泳ぎ切ると、来年度の登録に引き続き、早々と、2018年1月のエントリー受付がはじまります。何と慌ただしいことでしょうか。

昨夜、かなり遅い時間になって、高校時代の同級生だったというご婦人から電話をいただきました。現在の姓をお聞きしてもわからず、旧姓を名乗られてもまだわからず、最後に「xxっていうあだ名でよばれていた・・・」と言われて、やっと「あ〜、思い出しました!」ということになりました。それほど親しくさせていただいたお人ではなかったけれど、高校生活3年のうち、どこかでご一緒のクラスであったことは確かでした。

どんどんお話が弾むということはなく、何となくの世間話も途切れがちになった頃、やっとお電話の趣旨が、同窓会への勧誘であったことがわかりました。「私、今回はじめて幹事を任されたの。xxさんって、高校の同窓会にいつもおいでにならないけれど、どうしていらっしゃるの?お元気なの?私たちもみんな、それ相応の年齢になったわけだし、元気にしているあいだだけの同窓会だと思うのよ。どうしてお出にならないの?」と、しだいに語調が取り調べ風になっていくことに、私は困惑していました。

「昔、一度出たことはありますよ。それと、1年ほど前に、プチ同窓会のようなものにお誘いくださって、中学高校時代に親しかったお人達と、半世紀ぶりに再会して、お食事させていただいたこともありました。とても懐かしく楽しい会でした。絶対に出席しないって決めているわけでもないし・・・今日はお声を聞けて懐かしかったですよ。お電話ありがとうございました。でもまあ、今回は出席できないということで、本当にごめんなさいね。」

なぜ出席すると言わないのか、昔の同級生たちに、「懐かしい!会いたいわ!」という運びにならない理由は何なのか、幹事さんの執拗な取り調べ(!)はさらに加速していって・・・
「とっても元気にしているので安心してください。文学少女風だった昔の私と、がらりとイメージが違ってしまっていますが・・・11年ほど前に、ひょんなことから水泳の世界にご縁ができて・・・きっと私にあっていたのかもしれませんね。今では、ほとんど毎日泳がない日がないくらい、4年前からはマスターズの大会のご常連になり、すっかりスポーツウーマンになりました。健康で楽しく、元気に明るく生きていますと、みなさまにはよろしくお伝えくださいね。」

そこまで話しても、まだ彼女は納得してくれなくて、「お子さんは何人?お孫さんは?ご家族はどちらにお住まいなの?ご家族は円満なの?」と身上調査みたいになっていって・・・「娘と息子がいます。どちらも幸せな家庭を築きました。孫は四人、大きい方から、大学2年生、高校3年生、高校1年生、そして一番小さい子が中学2年生です。」と、なぜこんなことを答えているのかなと、ちょっと苦笑しながらも、聞かれたことには何でも答えました。長いお電話がやっと切れて、私はぐったりと疲れてしまいました。

台風の最中にかかってきた昨夜のお電話、心が疲れてすぐには寐つけず、私はひさしぶりに入眠剤を使用しました。ぐっすりと眠れた一夜が明けて、カーテンをゆらす爽やかな風を感じながら、美味しい朝食をすませ、私は元気でいることに感謝し、幸せな人生だなあと実感しながら、いまこんな風にパソコンに向かっています。心は近づいているレースのことでいっぱいで、今日も元気でいられることに、ただただ感謝です。





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2017年09月15日

私のお料理タイム

朝食をすませ、洗濯の終わった衣類を干し、家の周囲を少しお掃除し終えると、私のお料理タイムがスタートします。冷蔵庫の野菜室の中から数種類のお野菜を取り出すと、茹でる、煮る、炒める、焼く、または生のままでサラダにと、いつも5種類から6種類くらいのお惣菜を仕上げますが、熱いものはテーブルの上で少し冷ましたあと、ラップで覆って冷蔵庫に保存、生野菜のサラダなどは、一度に三皿分を作ってしまいます。

朝のうちに仕上げたお惣菜は、その日の昼食から食べ始め、普通は翌日の夜までには食べ終わります。午後遅くになって、私はスポーツクラブへ出かけますが、家を出る前に炊飯器の予約タイムをセットしておけば、帰宅した私がする作業は、食器をプレートに並べ、作りおいたお惣菜を数種類選んで、自分の好きな色の小鉢に取り分けるだけです。冷たいままで美味しいものはそのままで、温めた方が好きなものは、レンジでチン、どんなにへとへとになっていても、モリモリ、パクパク食べているうちに、少しずつ元気を取り戻してしまう私です。

主食として食べるのは、朝食がパン、昼食は麺にしたりご飯にしたり、夕食は必ずご飯をいただきます。ご飯も、最近は白米より、5穀米や18穀米などが好きになりました。こんなに食器を使っては、後かたづけが面倒でしょうと、そんな声も聞こえてきそうですが、一人のための食膳でも、ちまちま懐石料理店風にという趣味の方を優先しています。トレイの上にずらりと並んだお料理は、お野菜ものが7割、動物性たんぱくが1割、植物性たんぱくが1割で、残りは果物か、一口の甘味、それらすべてを、最後の一口まで「美味しい!」と思いながら完食して、私の夕食は終わります。

特別にお料理上手というわけでもなければ、その道を追及したいという望みもないけれど、朝のこのお料理タイムは、とても楽しく続けています。人に自慢できるような、特別のレパートリーがあるわけでもないし、調理そのものも、煮る、茹でる、焼く、炒める、和えるなど、ごくごく単純な手順ばかりですが、スーパーのお惣菜売り場に並んだ品とは比較にならないほどの満足感が得られます。

ピアノのお仕事があって、娘が一週間に二度我が家にやってくる日には、自分ひとりで食べる時よりも、ほんの少々メニューと飾り付けに変化がありますが、基本、自分ひとりのための食膳も、かなり量は多いし、かなり充実した内容になっているかもしれません。つい先日、ご一緒にハードスイムトレーニングを頑張った、50代のご婦人が、「一本も抜かず、最後まで同じ間隔を保ちながら、ずっと私の後ろを追いかけてこられるxxさんに、大きな励みをいただいています。お元気の秘密は何ですか。」とおっしゃったので、「ときどき、タクシーに乗ろうかと思うほど疲れていることもあるけれど、私、すごく食べるんです。いっぱいいっぱい食べるんです。どんどん好きなものを食べているうちに、少しずつ元気が戻ってきて、食べ終えた食器を洗っている頃には、すう〜っと元気が戻ってくるんです。」とお返事すると、「なるほど〜、秘密は食ですね!」とおっしゃったので、何だかとても可笑しくなり、二人で大笑いしてしまいました。

たいしたことはしていないけれど、この朝のお料理タイムは、私の頭脳の老化を抑制してくれているのではないかなと思っています。それに何よりも、大好きなお惣菜が、冷蔵庫にいっぱい保存できている、そう思うだけで、安心して泳ぐことが出来ますし・・・


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2017年09月13日

大荷物

先日の夕方遅い時刻、クラブの帰りにスーパーでお買い物もした私は、背中にリュック、左手に小さなトートバッグ、右手にはお買い物をしたレジ袋二つ分を抱えてバスに乗り込みました。二つのレジ袋は、お野菜などの重みで手に食い込み、少し待たされたバスの到着を、私は首を長くして待ちました。

次の駅で、お若い女性の乗客が乗り込んでこられました。20歳代の可愛いお人でした。座席は十分に空いていましたが、その女性はご自身が着席をなさらず、まず大きなトートバッグを二つ席に置くと、立ったままでスマホをあけられました。右肩にも、左肩にも、座席に置かれたのと同じくらい大きくて重そうなトートバッグを担ぎ、さらにさらに、胸には小さな赤ちゃんまでキャリーベルトで固定なさっています!小柄で華奢な身体つきのご婦人にしては、あまりにも過重すぎる大荷物です。さきほどまで、レジ袋二つにも悲鳴をあげていた自分が恥ずかしくなりました。

家事も、育児も、老親の介護も、何もかも背負って、それでもくじけずに頑張って生きていた頃を思い出しました。20歳代、30歳代、40歳代・・・さまざまなことが、今よりもまだ不便な時代でしたが、若かったからこそ、無我夢中で乗り切れたのだろうと思います。良いとか、悪いとか、こうあるべきだとか、あるべきでないとか、そんなことを考えるよりも、目の前の義務を果たすこと、自分がするより他にする人がいない仕事を、日々こなしていくだけで、24時間があっという間に過ぎていきました。

バスをおりてから、パラパラっと落ちてきた小雨のなかを、私は携帯していた折り畳みの傘を広げて自宅に向かいました。小さなトートバッグと、レジ袋二つを両手にぶらさげても、どちらかの手で傘をさすことは出来ましたが、あの華奢な身体をしたお若いママは、あの大荷物に加えて傘までさすことは無理だったはず、バスを下車してから、ご自宅までは近い距離だったのでしょうか。きっときっと、ご自身は濡れながら、胸に抱えた赤ちゃんにだけは、ハンカチか何かをかけてあげて、あの大荷物と共に帰られたに違いないと、自分の娘や孫を見るような気持ちで胸が痛くなりました。

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2017年09月11日

パセリ

昔から苦手で、ほとんど口にしなかった珈琲に、ひょんなことからはまってしまったのは、ちょうど1年ほど前のことでした。我が家に来ると、必ずと言ってもよいほど、娘がよろこんで飲む珈琲、これまではインスタントの粉が、いつも彼女のために用意してありましたが、1年前のある日、品切れになったそれを購入しにいった私は、うっかり間違えてドリップ式で使用するレギュラー珈琲の粉を買ってしまい、偶々棚の奥に、昔夫が愛用していた珈琲メーカーを発見、18年ぶりにいれてみた珈琲の美味しさに魅せられてしまいました。

毎年受診する健康検査では、これまで年齢の割に血圧が低い方で、眼圧も「問題なし」でスルーしてきた私ですが、今年はじめて、「えっ!」という血圧の数値が出た上、すごくというほどではないものの、例年よりは高い眼圧の数値が測定され、その項目だけが再検査になりました。ネット検索で、血圧の上昇、眼圧の上昇に、珈琲や紅茶などのカフェインが、大きな関係をもっていることを知り、これまた「えっ!」と認識するにいたりました。

血圧の降下にはカリウムが効果があると、これまたネット検索で知り、これまで眼中にもなかったパセリをスーパーで購入、なかなか食する機会のなかったそれを、以来、さまざまなかたちでお料理に取り入れる工夫をしてみました。お味噌汁やスープに散らしたり、刻んでサラダの上に振りかけたり、軽くお湯に通して細かく刻んだものをおかかと混ぜ、お醤油をたらして白いご飯の上にふりかけたりもしました。これまでレストランのお肉料理に添えてあっても、飾りとしか思わなかったパセリが、突如、私の食卓を飾るようになって間もなく、本当に言葉通りに「間もなく」、私の血圧はすう〜っと昔の数値に降下したのでした。

もともとそれほど好きでなかった珈琲、カフェインに弱いので、飲むとしても午前中に限られていた珈琲ですので、それを中止してもそれほどの我慢を強いられてはいませんが、朝ご飯のときの、一杯の珈琲タイムのために、いくつか収集した素敵な珈琲カップやスプーンを眺めては、少し寂しい気持ちが胸によぎったことも本当でした。最近、朝食のトレイの上には、香しい珈琲に代わって、緑のパセリを散らしたオニオンスープが、あの素敵な珈琲カップに入れられて並んでいます。

これまで見向きもしなかったのに、ひょんなことから、突如日の目を見ることになったパセリは、私の食卓の上で、今日も得意げな表情で微笑んでいます。

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2017年09月10日

瞬発力

二日前の金曜日は、予約してあった眼科の検査を受診してきました。眼圧検査、眼底検査に引き続いて、その日は「視野検査」をしていただきました。検査技師の方から、「これまでに視野検査を受けられたことがありますか。」と聞かれたので、「運転免許の更新に際して、一年前の夏、後期高齢者教習をうけましたが、あの日検査をうけたのが視野検査ではなかったでしょうか。」とお答えすると、「運転免許などの視野検査とは違って、もっと綿密なものになります。」ということで、私は生まれてはじめてのその検査に挑戦してきました。

遠くから、近くから、上から、下から、さらに大きさも、大きいものから小さいものまで、種々さまざまな光を、目で確認できた瞬間に、手元のボタンを押すというその作業を、両目に対して、およそ30分近くもくりかえしました。途中で少し休憩を入れてくださいましたが、目というよりも、神経が疲れてしまいました。

かなり遠いものも、相当小さいものも、ほとんどとらえることが出来ましたが、今回の検査を経験してみて、見えた見えないとは別の、見えたらどれだけすばやくボタンを押せるかという、いわば「瞬発力」ということが大きく作用していると感じました。「瞬発力」のレベルによって、ボタンを押す速さは異なるわけで、その能力そのものが退化の一途をたどっている高齢者の場合は、どのような判定のなさりかたなのだろうと、ふっと感じてしまいました。

水泳の大会で、スタートの合図の瞬間、スタート台から飛び出す時間を、「反応タイム」として測定しますが、私はそれが決して速くありません。そのかわりに、すばやすぎてフライイングの違反をカウントされた経験もなく、まあ、同じ年齢グループのほとんどは似たようなものだとあきらめています。「瞬発力」と言えば、若い頃からゲーム好きの私が最も苦手としたものは、リズムよくピョンピョンとすばやく跳んでいくもので、孫などが実に鮮やかにゴールインできた「スーパーマリオ」なども、途中でギブアップしてしまいました。

ご担当の検査技師さんからは、結果についてのコメントはなく、10日ほど後に予約をした診察日に、初診をしていただいたお医者様からご通達があり、今後の治療についてのお話をご相談させていただくことになっています。どのような結果であっても、年齢相応の覚悟は出来ていますので、それがどんなものであれ、この時期にわかって、ここから治療ができたことがよかったと、そのように受け止めたいと思っています。


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2017年09月07日

敬老の日

9月のカレンダーを見ていて、祝日があることに気がつきました。「敬老の日」・・・そうでした。すっかり忘れていました。93歳まで長寿を全うした実母が、晩年入居していた施設に、私は9月の初旬になると、母の「お誕生日」と「敬老の日」のお祝いにと、お花やお洋服をもっていきました。5月には「母の日」のお祝い、そして9月には「お誕生日」のお祝いをしていましたが、90歳をすぎた頃からは、「お誕生日おめでとう。」に「敬老の日おめでとう。」もつけたすようにしていました。

その頃は、長く患っていた義母もすでに亡くなっていて、私が「敬老の日おめでとう。」とお祝いしてあげるのは実母だけしか残っていませんでした。母は若い頃から、女優のxxさんに似ていると言われたほどの美人で、亡くなった父の惚れ女房でした。うっかり「敬老の日おめでとう。」などと言えば、怪訝を悪くしかねないようなお人だったので、それを大っぴらに口にするようになったのは、母が90歳をすぎた頃だったのですが、その頃にはすでに母は喜怒哀楽の気持ちをすっかり失ってしまい、綺麗なお花を持っていっても、大好きだった紫色のお洋服を持っていっても、無表情、無感動で、ただぼんやりと眺めているだけでした。その母が亡くなって数年が過ぎ、四人の親たちをすべて見送ってしまった今は、9月に「敬老の日」という祝日があることさえ、私はすっかり忘れていました。そもそも、「敬老の日」って、何歳くらいからのお人の長寿をお祝いするのでしょう。

今日は早朝の4時頃に目が醒めてしまいました。私はベッドに横になったまま、とりとめもなく考え事をしていました。ふっと「敬老の日」のことに想いがいたり、しばらく「敬老」という言葉の意味などを考えました。

最近、お若い世代のお人たちに混じって活動をする生活をしていると、その世代、世代によって、世界の見え方、物事の受けとめ方や、理解の仕方が、こんなにも違うのかと気がつくことが多くなりました。50代で見えたこと、60代で見えたことは同じではなく、さらに70代も半ばを過ぎるところまで生きてきてみると、年齢を重ねるにつれて、まるで一枚一枚、すうっ〜すうっ〜と薄紙を剥がすようにして、年々歳々、あらたに見えてきたものがあること、もっと大袈裟に言えば、人生のありよう、人の生きる世界のありようなどを理解できるようになってきたことに驚いています。人間は伊達に生きているだけではないのだと思うようになりました。

「敬老」って、きっと、若い世代のお人たちが、今はまだ見えていない世界が洋々と長くあることを心にとめ、すでに自分たちの知らない年月を生き終えた人たちに、謙虚な心を向けることなのだろうと思いました。功成り名遂げた人だからとか、巨万の富を築いた人だからとかではなく、それは有名人とか無名人とかの問題でもなく、ただ静かに黙々と生きてきたすべての高齢のお人たちには、まだ自分たちが知らない、まだ自分たちには見えていない世界が見えていることを、心をひくくして認識する日、それが「敬老の日」なのだろうと思ったのです。たくさんの悲しいこと、たくさんの嬉しいことを経験し、世の中の理不尽にも、実を結ばなかった多くの努力にも耐えて、長い年月を生きぬいてきた人たちの存在を心にとめるだけでも、それはどんなお祝いにもまさるような気がしました。




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2017年09月05日

シルバーパスの更新

シルバーパスの更新に行ってきました。70歳の年に配布いただいた初回分と、翌年からの6回の更新分を加えると、今回でもう7回もシルバーパスを頂戴したことになります。最初の頃は、唯々申し訳がないような気がして、あんなに恐縮してバスに乗っていたのに、今ではシルバーパスを利用して行けるところなら、少々時間が多くかかっても、そのルートの方を選んでしまうほど、私はすっかりバス愛好家になりました。

ご案内のあったいくつかの更新事務所の中から、我が家に最も近い場所を選んで行ってみると、朝早い時間であったのに、もう大勢の高齢者の方たちがおいでになっておられました。なかには、お若いご家族や、制服姿の介護ヘルパーさんに手をひかれてというお方もあって、この制度の浸透度の高さに驚きました。

順番を待っているあいだ、先に手続きを終えられたご高齢者のごようすを拝見していて、どのお方にも共通していたのが、丁寧な感謝の意思表示のご挨拶でした。事務担当の係のお方に、深々と頭をさげられて、「毎年、このような恩恵をいただいて、本当にありがとうございます。東へ西へ、どちらへ行く時にも利用させていただいて、お礼の言葉もありません。」とおっしゃるご高齢のお人たちに、事務処理担当のお若い女性の方がびっくりして立ち上がり、「ご丁寧にありがとうございます。みなさまには、毎日バスを利用していただき、家にこもることなく、お元気に外出していただきたいという願いから、この制度ははじまりました。みなさまがお元気でいてくださることが、ひいてはお若い世代の方たちの安心と活躍を約束することになりますので、どうか十分にご利用いただいて、お元気な毎日をお過ごしください。」と、恐縮して頭をさげておられるようすに心をうたれました。

ご高齢のみなさん・・・などという表現は間違いでした!高齢者の私達と書くべきでした!若い家族にたのまれて、時折は何かささやかな手伝いをすることをのぞけば、世の中人のためになるような立派なことは何もせず、毎日、東へ西へと飛び歩いている遊び人の私が、このような恩恵をうけていてよいのかなと、いつも自戒しながら頂戴しているシルバーパス、もちろん私自身も、どの高齢者のみなさまとも同様に、感謝の言葉と共にパスの贈り物を手にしてきたのは言うまでもありませんでした。

娘は、「ママが元気で、こんな風に自立していてくれるから、私も安心して多忙な生活をこなすことが出来ると思うの。」と言ってくれています。健康診断の結果を見たとき、一番に心配するのは、自分自身のことよりもまず、娘の手を煩わせるような事態にならないようにということばかりです。東京都の意図の通り、どうか最後の日まで、身体も心も自立して、シルバーパスの恩恵をうけながら、元気に外出できるような高齢者でいられますように・・・そう祈るばかりです。

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2017年09月04日

瓢箪から駒

「瓢箪から駒」というのは、冗談で言ったつもりのことが、現実に起きてしまう・・・そんな意味で使うことわざだったでしょうか。でもどちらかと言うと、まさかと思うような、良い結果となった・・・そんな時のことを表現する方が相応しいような気がするのですが・・・実は昨日、私にも「瓢箪から駒」が出てしまいました。

先日、下見練習ツアーを実施しておいた他府県の会場へ、水泳の大会のために行ってきました。二種目エントリーしていたうちの、最初の一つで、スタート台から飛び込んだ途端に、そのハプニングは起こりました。私は運動神経の鈍い高齢者にありがちな、まるで身投げに近いような、とても下手なスタートなのですが、どうしたことか、昨日は斜め下方向に向けて、頭の先からスポッと綺麗に飛び込めてしまいました。ゴーグルのベルトは、かなり痛いほどにきつくしめてあったのですが、スポッと入水が決まった途端、頭の上の方から強い力がゴーグルにかけられ、左側の眼鏡がぐぐっと下方向にずれてしまったのです。

左側の目は、ずれたゴーグルのゴムの部分で押しつぶされたような感じになり、目があけていられない状態です。どうすることも出来ない・・・このまま行くしか方法がない・・・瞬間の迷い、瞬間のショックではありましたが、私は右目片方だけで最後まで死力を尽くすことを決心しました。三回の折り返しターン、そして最後のゴールタッチだけは、少し落ち着いて丁寧に右目を凝らして確認しましたが、それ以外の直進部分は、「いつもと同じように、いつもと同じペースで」と言い聞かせて泳ぎました。私は右側呼吸で、しかも200という距離の時は毎回呼吸なので、見えない左側へ頭をふりむける必要はありません。

結果は、先月の初めに出た、奇跡的なタイムほどにはなりませんでしたが、それに準ずるグッドタイムでした。このあいだ娘とお喋りをしていて、「近く精密検査を受診してみないと、これからのことは何もわからないけれど、もし将来左側の視力を失うことになったとしても、右側の目だけで泳ぎ続けようと思うのよ。もし・・・万一・・・その時のことを思って、実は昨日クラブのプールで、左側の目を閉じて泳ぐ練習をしてきちゃった!」と言うと、「もう、ママったら!」と娘が苦笑し、自分自身でも大笑いしてしまいました。

まさか現実に、あんなハプニングが起きるとは思ってもみませんでした。その瞬間は、心臓がとまるかと思うほどの驚きと恐怖でした。でもどうすることも出来ないので、必死で最後まで泳いだというのが真実でした。片目で泳ぐのは初体験だったので、かなり深重になったけれど、でも最後の25メートルは、それなりに全力ダッシュもしました。ずれたゴーグルの隙間から水が滲んできていて、最後のゴールの壁は、右目でも完全に確認出来ず、激突状態でゴールインしました。

二種目とも表彰状をいただいて、遠い遠い会場から、またまた電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、自宅に戻ったときには、その日の大きな体験のために疲労困憊し、そのままリビングに倒れてしまいました。死んだように眠った一夜が明けて、美味しく美味しく朝食を食べた私は、思いがけず身にふりかかったハプニング、冗談で言ったはずの言葉が、「瓢箪から駒」となった出来事をふりかえり、これは天の啓示であったと思いました。少々のことなら、これから先何が起きても乗り越えられる、人生の最後まで希望を捨てず、やりたいと願うことを実現するため、精一杯前向きに生きていこうと思えるようになりました。

ps:目のことについて、ご自身のご体験や、お薦めのクリニックなど、本当にたくさんのお優しいコメントをいただきありがとうございました。元気でがんばります。

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