2018年12月14日

一人旅

何年ぶりかの一人旅をしてきました。特急電車で片道一時間40分、他府県の温泉地に一泊してきただけのことを、旅とよぶのも可笑しいことですが、70歳を過ぎてからは、ずっと一人での旅をやめていた私にとって、それはひさしぶりに楽しい時間になりました。

出発の朝、家を出る10分前まで降っていた雨は、私が靴を履いている間にやんで、自宅の玄関を出る頃には空があかるくなりました。前日から気温が急激にさがり、極寒の二日間になりましたが、荷物に入れた傘を使用したのは、帰宅の日、自宅近くのバス停でおりてからの5分ほどだけ、お天気の神様が私を守ってくださったのだと思います。

紅葉はまだ十分に美しさを残していて、旅行会社が手配してくださった宿泊ホテルでは、心のこもったもてなしで出迎えていただきました。シーズンを少し外した平日の「おひとリップ」、広いお部屋を独占させていただいた上に、温泉の内湯も露天も、ほぼ貸し切り状態でした。先日、2018年最後のレースを泳ぎ終えて、この一年間よく頑張った自分へのご褒美旅行は、身体の疲れが消えてなくなるほどに、何度も何度も堪能した温泉浴と、自分でお料理しなくても、目の前にずらりと並べてくださるご馳走だけで、他にはなにもいらないと思ったほどの贅沢三昧でした。

乗り物を乗り継いで、片道一時間半ほどの移動を言うのならば、他府県の会場でのレースに往復するのとさほど変わりはありません。背中にリュックサック、カートを引いてのレース当日、場所によっては、朝早く家を出て、帰宅時にもう真っ暗になっていることも珍しくなく、寒い季節など、それはまるで日帰り旅行をしているのと変わるところがありません。でもでも・・・ご褒美旅行は、文字通りのご褒美旅行、本当にそれは、一生懸命に頑張った一年への、すばらしいご褒美でした。「2019年も、また健康で泳いでいこう!」私をそんな気持ちにさせてくれました。



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2018年12月05日

心は2019年へ

先日、2018年最後のレースが終わりました。安堵して、その夜はベッドに横になるとすぐに意識がなくなりました。夢も見ずに8時間も眠りました。

翌朝、喉が痛くて、鼻水シューシュー、やがて少し頭痛もしてきて、風邪をひいたなと気づきました。11月のはじめにインフルエンザの予防注射をうけていましたので、ごく普通の風邪だろうと思って、うがいをしたり、自宅にあった風邪薬を服用したり、流石にその日は泳ぎに行くのは自粛しました。

この程度の風邪も、この1年間はまったくひくことがなかったのに、きっとほっとした途端、老体のタガがゆるんだのかもしれません。熱もなく、食欲も平常通りですが、昨日から声が出なくなってしまいました。鼻水をとめるお薬の所為で、声帯が潤いを失ったのでしょう。電話がかかると、かすれ声で応対しています。

でも、今日は元気に泳いできました。親しいお仲間達から、「どうしたの!その声!」と連発されて困りましたが、1時間ほど楽しく泳いで、心はすでに2019年に向かっています。新しく挑戦したい種目の、めざしたい距離への練習を開始しました。お若い先輩スイマーに助言をいただいて、初めの一歩を踏み出しました。明日がくるのが待ち遠しい・・・そんな気持ちになれるときが、人は一番幸せなのだろうと思います。

ご褒美旅行の日までに、美声を取り戻さなくっては!!

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2018年12月01日

とうとう12月!

2018年、カレンダーが最後の一枚になりました!
12月は今年最後のレースが一つあって、その後、「よく頑張ったね!」の慰労旅行に出かけ、そして最後の10日は、ほとんど毎日のように病院で採血、検査、診察が続きます。

毎日毎日、ほぼ休みなく水泳の練習をして、月に一度か二度はレースをこなし、いつ何を宣言されても不思議ではない年齢なので、病院には足しげく通院、検査、診察、そして何種類かのお薬を受け取りながら、一応は元気な部類に入るのかなと思いつつ、そんな風に一年が終わろうとしています。

成長していく孫達の活躍が大きな励みでした。私自身もまたそれなりに活躍した一年でした。一生懸命だったから、そしてめまぐるしく忙しい毎日だったから、あっという間の一年だったのだろうと思います。私と同じくらいの年齢の有名人が、今年はたくさんお亡くなりになりました。テレビやネットでその訃報を知るたびに、同じ時代を共有してきた同胞を見送る寂しさをかみしめました。

一年というのがこんなに速く過ぎ去るのであれば、新年があけて、78歳、79歳という二年間などあっという間のことかもしれません。私は、80歳という年代区分で、レースのスタート台に立つというのがこの数年の目標でした。72歳で初めてデビューしたマスターズの大会、あれから6年、一年一年とエントリーする種目や距離が増えていきました。80歳代に到達するまでに、そして私の水泳人生に幕がおりるまでに、「あれとあれだけには挑戦しておきたい」という目標がまだ残っています。今まだ人生が終わっては困る・・・あきらめられないことがある・・・元気でいよう!心からそう祈っています!


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2018年11月23日

森永ミルクキャラメル

あれは一か月ほど前のことです。スーパーでお買い物をした日、レジに向かう前にお菓子売り場へ行きました。プールでの練習を終えて帰宅して、熱いお茶を入れてほっとする時など、一口何か甘いものを口にしたくなる私のために、いつも冷蔵庫にはちょっとしたお菓子が買い置きしてあります。それは和菓子であったり、チョコレートであったり、暑い季節には冷凍室にアイスクリーム類も欠かしたことがありません。

その日、子供のためのようなお菓子が並んだ棚を物色していた私は、コーナーの片隅に、懐かしい、本当に懐かしいものを発見、「あっ!これって!まだあったんだ!」と、胸に熱いものがこみあげました。「森永ミルクキャラメル」・・・黄色い箱も昔のままでした。100円でおつりがくるようなお値段がついていました。旧友に再会したような懐かしさで心がうるうるしました。

敗戦後の貧しい日本で幼少期をすごした私達の世代は、小学校入学当初の頃には、ほとんどの思い出が食の貧しさと背中あわせでした。小学校2年生の夏に、疎開先の田舎から京都の町の学校に転校してきた頃は、すでに学校給食が実施されていましたが、コッペパンとカボチャ入りのお味噌汁、そして脱脂粉乳のミルクがついていました。

最初は何年生の時だったのか・・・はっきりした記憶は蘇りませんが、遠足の日のお弁当と一緒に、母が荷物のなかに入れてくれたのが「森永ミルクキャラメル」でした。お菓子というものに縁遠かった私達にとって、あの黄色い箱は光り輝く宝物でした。あの一粒が、遠足の一日をどんなに幸せなものにしたか、おそらく豊かな時代の子供たちには想像も出来ないのではないでしょうか。私の育った家庭は、とても質素な家庭でしたが、学級のなかには、遠足の日にお弁当を持たないお子さんもいました。もちろんお菓子など、夢のまた夢・・・そんな時代だったのです。

後日、懐かしさのあまり、ネットでこのキャラメルについて検索をしてみました。そして遠く明治時代にはじまって、大正、昭和、平成と、ゆるぎない伝承がなされてきたことを知り、本当に感動してしまいました。先日、娘が我が家に来たので、「懐かしいもの見つけたのよ。」と黄色い箱から一粒をあげたところ、「うん!うん!これって不滅だよね。私達の遠足のおやつの定番、そして子供達の遠足の日にも定番だった!今テレビドラマのなかで、主人公の男性が執務室の引き出しから、何気に取り出す黄色い箱・・・口に入れる一粒・・・見てる?」と言ったので、出遅れた感に、すっかり言葉を失った私・・・あれ以来、我が家の冷蔵庫には、欠かさず魔法の黄色い箱が保存されています。

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2018年11月21日

乗り越える

先日、クラブの秋の水泳大会がおこなわれました。私は400メートルの自由形に出場、年齢区分での大会新記録を残すことが出来ました。400メートルの自由形は、今年2018年、マスターズの大会でも二度体験、そして今回は三度目の挑戦となりました。

実は今年6月の夏の大会の際、予想もしていなかった人間関係のもめごとに巻き込まれた私は、精神的に大きな打撃をうけました。余波がひろがることを案じて、娘以外には、ことの顛末を誰にも話しませんでしたが、私には落ち度のなかったこの事件、それはまるで、真っ正直に道を歩いていたら、突然空から大きな岩が頭上に落ちてきたのにも似て、唯々苦しくて理不尽な気持ちだけが残り、クラブを退会してしまいたいと思ったほどでした。

そんななかで迎えた秋の大会、「これで最後にしてもよい。出来る限りの成果を残して、自分で自分に花を飾って終わりにしよう。」と、そんな気持ちで精一杯に力泳しました。大会新記録の放送を聞いた時には、苦しかった数か月のことが、さらさら音をたてて流れ消えるのを感じました。
「人が100人いれば100通りの正論」は、亡くなった夫の口癖でしたが、この言葉をもって、いつも私を励ましてくれた彼のことを思い出し、よけいな言葉を口にしないで時の流れに身をまかしてよかったと思いました。

水泳の世界で起きたことは、水泳によって乗り越える以外に方法はないのだと、いまあらためて学びました。誰にも何も言うことなく、悶々と耐えてきた時間、きっと生涯忘れることはないだろうと思っていたのに、新記録で400メートルを泳いだという、ただそれだけのことが、すべての記憶を乗り越えさせてくれました。あれもこれも、些細なことであったと思わせてくれました。きっと夫は笑顔で褒めてくれていると思います。

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2018年11月14日

一人旅

飛ぶようにカレンダーの日にちが過ぎ去って行く・・・いつのまにかもう11月も中旬になりました。公園の落ち葉が赤や黄色に舞い散って、ここから一気に秋は深まっていきます。慌ただしくスイムのレースをこなしているうちに、もう2018年も残り少なくなってきました。12月初旬に今年最後のレースを終えたら、頑張った自分へのご褒美に、身体に負担のかからないような、近場で軽い温泉地へ一人旅をすることにしました。

一人旅と言えば、夫が早逝した20年前から、日本国内は北から南まで、飛行機や新幹線をフルに利用して、それはそれは大変な数の旅を経験しました。若かったから、体力があったから、怖いもの知らずでした。私が一人旅をしなくなったのは70歳を過ぎた頃からのことで、昔は平気だった旅の荷物を持っての移動が、しだいに負担になってきたからでした。そんな私を見ていて、若い家族たちが車での旅行を計画してくれるようになり、荷物を持たないで行ける上に、若い家族が一緒なので、いろいろな手続きもおんぶに抱っこ、最近では孫も運転してくれるようになり、大船に乗って旅を満喫できるようになりました。

ひさしぶりの一人旅を計画するにあたり、トラベル会社に行ってみてびっくりしました。「一人客を受け入れてくれるホテルを教えてください。」と尋ねる私に、スタッフのお方が見せてくださったパンフレットには、「おひとりツプ」のタイトルが印刷され、ひとり旅専用の旅のコースがびっしりと並んでいたからでした。10年ほど昔には、有名な人気ホテルに一人で宿泊するのは無理でしたのに・・・。そもそも、「おひとりツプ」という広告コピーを発案されたお人はどなただったのでしょう。「おひとりさま」と「トリップ」を合体させて、かつては何となく肩身の狭さを感じさせられた「ひとり旅」を、一躍陽の当たる、晴れやかな舞台にひきあげてくださった発案者は、きっときっと、社長賞、部長賞などの表彰を受けられたに違いありません。

少しシーズンを外し、しかも平日から選んだ一人旅は、その温泉地でも名の知れたホテルの、堂々ツインルームを、リーズナブルな価格で予約することが出来ました。温泉に入って、泳ぎまくった一年の疲れを癒し、自分で作らなくてもよいお料理を堪能する・・・ただそれだけの旅だけれど、明日なにがあるかわからない、いつ何を宣告されても不思議ではない私にとって、これは楽しんでおきたいことの一つだったのです。

この「おひとりツプ」、スタッフのお方のお言葉によれば、中国、韓国、そしてもちろん日本国内からも、大勢の女性の利用者があるのだとか・・・今や、お若い世代の女性の中には、一人で何でもやれる人が増えてきている、職業も収入も安定していて、人生を一人で満喫したいと考える女性が増えてきている、そんなことを思い知らされました。



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2018年11月07日

先を照らす言葉

1週間ほど前に参加した、あるレース会場でのことでした。その日、プログラム最初のレースを終えた私たちは、30分後におこなわれる表彰式までの時間を、プールサイドでお喋りをしながら過ごしていました。80歳グループ、75歳グループ、70歳グループ、65歳グループまでは終わって、プールではさらにお若い世代の方達が、同じその種目での熱戦を繰り広げておられるところでした。一つの種目が終わるごとに、その入賞者を表彰する表彰式がおこなわれますが、何分400メートルのレースでもあったので待ち時間が長く、私たちは思う存分にお喋りを楽しむことが出来ました。

80歳グループで泳がれたご婦人は、1年を通して、ほぼすべての大会にご参加、そのお名前がプログラムに載っていないことが無いほど、まさに文字通りのご常連でいらっしゃいます。そのお方のお名前を目にしたのは、私がマスターズに出場するようになってすぐのことでした。私が直接に言葉を交わしたのはあの日が初めてでしたが、お喋りをしていたお仲間のみなさんは歴史も古く、そのご婦人のことを「xxちゃん」と親しく愛称でよんでおられました。「xxちゃんは本当に偉い!xxちゃんは本当に頑張り屋さん!私のお手本!」と、どなたも絶賛されました。

「まだお嫁にも行っていない、若い若い一人娘を亡くして、そのショックから胃がんになり、手術で胃の3分の2を失なったの。その直後に夫まで亡くしたし、自分も交通事故で大怪我をしたし・・・もう自分には何にも残っていない・・・そんな頃に水泳と出会ってね・・・もう怖いものなんか何もない、生きられる時間だけ生きてみればよい・・・そう思ってここまでやってきたの・・・案内のあった大会は全部エントリーしている。それが開催される日までを精一杯に生きているだけ・・・」明るい表情でそう言い切られた「xxちゃん」を、みなさんは異口同音に、「私の道しるべ」「私のお手本」と讃えました。

先を照らす松明のように、私は力強い一言一言に涙が出そうになりました。私よりも、もっともっと大きな試練を乗り越えながら、一人で立派に生きておられる姿を見て胸がいっぱいになりました。先のことはわからない。もう出来なくなったところまででよいのだ。人生ってそれでよいんだ。すう〜っと心が軽くなりました。


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2018年10月30日

秋晴れの日

秋晴れの爽やかな空がひろがった昨日、和室の押し入れを大掃除しました。リビングとして使っている一階の和室には、来客用の寝具などが収納してある押し入れがあります。我が家は増改築した部分でさえ、すでに50年近い歴史を有していますが、現在私がリビングとして使用している和室にいたっては、亡くなった夫が生まれる前の、つまり太平洋戦争以前の時代に建てられたものですから、あらためてその古さには驚いてしまいます。

この和室は、20数年前、義母が亡くなった後に少し手を入れました。天井を張り替えたり、壁を塗り替えたり、もちろんこの押し入れも、中のベニヤ板などを新しくしてもらいました。東日本大地震の時には、さすがにこの部屋への衝撃は大きく、もう駄目かと思いましたが、なぜかどこも破損することなく持ちこたえました。この家が潰れるのが先か、私の寿命が終わるのが先かと心配しながら、私は思い出深いこの家屋を去ることもなく、一日一日、とても幸せな時間を過ごしていました。

ところが、この夏の記録的な猛暑と、その後の度重なる台風や大雨のあと、この居間ですごしていると、どこからか何ともいえない異臭を感じるようになりました。私は視力、聴力ともに、年齢相応の退化が見られますが、嗅覚にはまったく問題がなく・・・どこからの臭気なのだろうと悩み続けて数週間、とうとう異臭のもとがわかりました!いつもは開けることのなかった押し入れの襖をあけてびっくり、ああ、このなかだったのかと驚愕しました。

敷き布団、掛け布団、マットレス、毛布、敷布、枕などなど、すべて外に出してみました。湿気をふくんだ布団類は、秋晴れの空の下、二階の物干し場に所狭しと並べて陽にあてました。敷布やカヴァー類は片っ端から洗濯機の中へ、そして座布団や枕類は、あまりに古くなったものは処分しました。空っぽになった押し入れの中は、何度も丁寧に拭き掃除をくりかえし、その上からリセッシュを吹きかけて、その後は4時間ほど、扇風機の風を押し入れの中で回転させました。

抜けるような秋空の下、午後の3時頃には、ふっくらと乾燥を終えた大量の寝具が階下に運ばれました。手で触ってみても、内装のベニヤ板はカラカラに乾いて、あの埃と汚れと湿気が混じったような異臭は消えていました。不要なものを処分したので、満員電車状態ではなくなった押し入れには、ふっくらになった寝具や座布団が余裕をもって収納され、清潔に洗い直されたシーツやカヴァー類が、紙袋に整頓されて並べられました。

乾燥させている間に、近くのドラッグストアに走って購入してきた、乾燥剤やお花の香りのついた脱臭剤を並べると、見違えるようになった押し入れの大掃除は終了しました。大量の布団類を二階に運びあげ、またそれを運おろした労働は、この老体には耐えられないほどの筋肉痛、腰痛、疲労を残しましたが、まるで花園にいるような満足感が、それらを帳消しにしてくれました。

この作業、本当はもっともっと頻繁に行うべきだったと反省しています。天井も壁も、雨漏りなどはまったく心配ない状態ですが、あの猛暑、あの大雨が、汚れた押し入れの中の湿気を変質させてしまったのでしょう。そう言えば、いつでしたかテレビで放送されていたのを思い出しました。日本家屋の押し入れなどは、晴れた日に扉を開け放ち、窓からの風を取り込んで乾燥させましょうって、そう言っていたなあと、腰痛に悲鳴をあげながら思い出しました。



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2018年10月27日

間一髪!

二日前の夕刻のことでした。10月も終盤になり、6時にもなると真っ暗になってしまいます。スポーツクラブでの自主練習を終えた私は、いつものように一つ目の停留所で下車、次の路線に乗り換えようと、信号が青に変わったばかりの、とても大きな自動車専用道路を横断しました。

横断し切って、歩道の上に最初の一歩を踏んだ、まさにその瞬間でした。ものすごいスピードで、私の右側から自転車が疾走、間一髪!あわやというところで事故になるところでしたが、まさに紙一重のところで接触事故を逃れました。ライト無し、ベルの合図もなし、「馬鹿野郎!」と叫んで、お若い男性が走り去りました。

とても幅の狭い歩道への第一歩の前に、車道の方に人が残って、歩道の左右確認を要求するよりも、青の間に渡り切ろうとする人の群れがある場所では、歩道を走る自転車のスピードは落とすべき、それに真っ暗な時刻のライト点灯や、ベルでのアラームは必須ではないのかと思いました。あの状況で、もし77歳の高齢者に激突してしまったら、責任はどちらに課せられたのでしょう。

クラブへの往復ともに、バスを待つ停留所が、1メートル僅かと、極端に狭い道幅の歩道の上に設置されているところがあって、日が暮れてしまった時刻や、雨の日で傘をさしている時など、そこを通過しようとされる自転車との接触が、とても危険なので心配になってしまいます。自転車を通してあげるために、人の方が車道に下りて道を譲るというのも、何だか主客転倒のような・・・

バスに乗っていますと、最近では運転手さんが、「バスが停留所に到着するまで座席をお立ちにならないでください。」と、車内事故防止のためのご注意を、何度も繰り返してくださっています。高齢者が乗り込んでおいでになると、「優先席への譲り合いをお願いいたします。」と、お声がけもされているくらいですので、バス停留所の位置と、その場所の道幅なども、一考してくださるとよいのにと思いました。



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2018年10月18日

捨てられない女の大仕事

猛暑の日々の記憶が、少しずつ薄らいでいく日々、夏服から秋服への衣替えをしました。衣替えの時を迎えるたびに、そのシーズンに一度も袖を通さなかった何枚もの服が洋服箪笥のなかに、そしてほとんどが一度も袖を通さず、前回の衣替えの時に、ただ箪笥にしまわれただけだった衣服と入れ替えられました。新しいものをまったく購入しないならともかく、それなりに流行のお洋服を買うのであれば、物理的に言っても、洋服箪笥が飽和状態になるのは当たり前のことで・・・とうとう意を決して、昨日は断捨離に踏み切ることになりました。

物を捨てられない女にとっては、本当に泣く泣くの辛い作業でした。ビニール袋二つ分の古着が回収車の中に放り込まれ、何事もなかったかのように走り出したのを、私は居間のカーテン越しに見送りました。「どんなに思い出があっても、どんなに大好きだったとしても、あんなに可愛いスカートや、あんなに甘い雰囲気のブラウスを、77歳の後期高齢者が着て歩けばどうなると思うの!」と、一生懸命に自分を納得させました。


「捨てられない女」の話を聞いた周囲のご婦人のなかには、想像以上に共感者がおられたことが驚きでした。衣服だけではなく、さまざまな「思い出の品」で家のなかがあふれているとおっしゃったお方も少なくありませんでした。「捨てられない女」は、ただ過去に生きているかと言うとそうでもなく、十分に現在に生き、十分に未来に夢を抱いて生きているのですが、品物への愛着、歩んできた日々への愛着が、私を癒して生きる気持ちを奮い立たせてくれるのです。

とても寂しかったけれど、ギューギュー詰めだった洋服箪笥がすっきりと様相を変え、一番手、二番手に大好きなお洋服が、先日娘と一緒に行って買ったばかりの今年流行のお洋服と一緒に、満員電車状態ではない箪笥に並んでいるのを見ると、何だかすっきりと気持ちの切り替えが出来ました。

「物を捨てられない女」の、ちょっと笑ってしまうような断捨離の日、それから一夜が明けた今日は、洋服ダンスの中から一番「新人」のお洋服を取り出して、少しお洒落をして眼科の検診に行ってきました。とても爽やかな時間でした。

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