2018年01月20日

叔母の死

叔母が亡くなりました。私の母の、一番下の妹にあたるお人です。母は7人も兄弟姉妹がいる大家族の生まれで、母はその上から二人目、そして先日亡くなった叔母は、一番末っ子のお人でした。母方の家族というのは、私の祖父母はもちろんのこと、どの叔父も叔母も大変な長寿で、母自身も93歳という高齢まで全うして亡くなりました。

母の一番下の妹である叔母には子供がいなかったので、大勢いる甥や姪達を、まるで自分の実の子供のように可愛がってくれました。甥や姪達が結婚し、それぞれに子供達が生まれ、その子供達にまた子供達が生まれた頃には、さすがに曾孫のような子供達までは、とても名前を覚え切れないだろうと思ったところ、叔母の記憶力はすばらしくて、私の娘や息子の子供達の名前まで正確に言い当てた時には、本当に驚いてしまったものでした。

私が夫を亡くし、叔母が夫を亡くし、私の母も亡くなった後、叔母から一年に一度受け取る年賀状のなかには、「xxちゃんとどこかで待ち合わせて、一緒にお食事したいです。」と、いつも同じ言葉が書かれていました。私も気持ちは同じだったのに・・・心ではいつも叔母のことを想っていたのに・・・今となっては、それを実行しなかったことが悔やまれてなりません。

子供がいない上に、末っ子だった叔母には、すでに兄弟姉妹の全員が他界してしまっていて、甥や姪である私達と、そのまた子供達だけが、叔母を見送ることになりました。甥や姪、そしてそのまた子供達の全員を、まるで実子のように可愛がってくれた叔母のために、みんなが集まって、お別れの会と銘うった葬儀をすることになっています。

在りし日の叔母のことを思い出しながら、昨日今日は、いつか必ずやってくる、自分自身の旅立ちの日のことを考えました。私には、「お世話をかけることになるけれど、後のことはどうぞよろしくね。」と頼んでいける子供が二人もいます。そして、「幸せな人生を、精一杯に生きるのよ。」と手をふって別れていける孫達が四人もいます。寡婦になったのは早かったけれど、一人でもこうして元気に生き抜いてきて、いのちのバトンを受け継いでくれる家族が、こんなに大勢いてくれることが、私に大きな力を与えてくれています。叔母のことを偲びながら、しみじみと感謝の時をすごしています。





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2018年01月17日

オレオレ詐欺事件の名残り

数年前、私の家に不審な電話がよくかかってきたことがありました。「オレオレ詐欺」という言葉が、今よりもっと世の中を騒がしていた頃の話です。まさか自分に限って、そんな電話に騙されるわけがないと思っていましたのに、ある日、本当に息子かと思うような、とても声が似た男性からの電話に、あわやというところで騙されそうになってしまいました。もちろん、すぐに息子の嫁に問い合わせたり、本人にも折り返し電話をしてみて、それがいわゆる「オレオレ詐欺電話」であったことが判明しましたが、家族の勧めもあって、私はその出来事の仔細を最寄りの警察署に届けました。

数日して、住区の警察署防犯課から担当者が我が家に来てくださり、住まいの周辺で類似した事件が多発しているというお話をうかがいました。そして、電話はどんな語り口であったか、またどんな声、どんな要求をしたかなどを、詳しく記録して帰られましたが、後日、息子の卒業した中学校と大学の卒業者名簿が大量に流出したことが判明、それが原因となって、近隣の家庭にも多くの詐欺被害者が出たことを知りました。私の届け出の内容が大きな手掛かりとなって、隣接する他県にアジトを持っていた、巨大な詐欺組織が逮捕されるに至ったということで、何と私は住区の警察署から表彰状までいただいたのでした。

この事件の後、住区警察署の防犯課では、我が家の電話に、詐欺防止のためのメッセージを話す小さな機器を取り付けてくださいました。知人からは、「あなたのお宅に電話をすると、最初にメッセージが流れるのね。詐欺電話防止?何だかちょっと笑ってしまう・・・」とよく言われましたが、この小さな器具は、それなりに役目を果たしてくれたようで、つける前には本当に頻繁にかかってきていた「オレオレ!」の電話も、やがて引き潮のように間遠になっていきました。

あれから3,4年の月日が流れ、私があの事件のことを忘れかけていた数日前、我が家の電話が、突然送受信をすることが出来なくなりました。契約している電話会社に連絡し、その分野担当のお方の指示に従って、電話機周辺の配線を調べたところ、原因はあの詐欺防止メッセージ器具の故障だとわかりました。とりあえず器具は外し、この器具をつけてくださった警察署に連絡をして、お借りしていた器具を返却しました。

我が家の「オレオレ詐欺事件」の名残りでもあった、あのお話をする器具も、今ではもう廃版になっているような古いものだそうで、防犯課のおすすめもあって、近々、そのような機能もついている、最新式の電話機を購入することに決めました。世の中の大勢は、もうすでに固定電話そのものを使用しない方向へ進んでいますが、今しばらくは電話機を置いておくことになりました。

警察からかけつけてくださった、防犯課の親切な署員のお人は、他にも詐欺に巻き込まれないための身の処し方を、あれこれと指導してくださいました。「生きにくい世の中になりましたね。」と、私は溜息をつきながらお話をうかがいました。電話だけではない、パソコンでも、スマホでも、「これは何だろう!?」というような、とても紛らわしいメッセージを頻繁に受信します。雨のように降りかかってくるそれらの攻撃から、私は身を守っていかなければなりません。リビングに飾ってある、「オレオレ詐欺事件の名残り」でもある、あの表彰状を眺めるたびに、私は「大変な時代になったなあ!」と思っています。そして同時に、一人暮らしの私から連絡をうけて、すぐに飛んできてくださった、親切でお優しい住区の警察署員のお方たちに、心から感謝の気持ちを抱きました。

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2018年01月09日

時は流れ、人も変わり

2か月に一度の血液検査をうけてきました。昨夜夕食を食べたのは19時頃、検査を終えて、帰路のスーパーですぐに食べられるものを買いもとめました。15時間ぶりに胃袋のなかへ落ちていく食べ物が、萎れていた私の生気を、やっと蘇らせてくれました。

病院からの帰路、2年前に閉鎖となったスポーツクラブの跡地の前を通りました。あれからちょうど2年、工事の覆いが取り除かれ、あの場所には立派な高層マンションが出来上がっていました。この場所にスポーツクラブがなくなったために、大勢の人達が流浪の民となったことも、やがて間もなく忘れ去られてしまうかもしれません。マイナス金利の時代を迎え、大きなお買い物をして、低金利でローンを組むのが、この時代を生き抜く知恵だと言われています。すっかり様変わりしたこの地に、すっくと建つ高層マンション、この時代を利口に生き抜く人々によって、きっと瞬く間にマンションは満室になることでしょう。時は流れ、人は変わり、街は変貌を遂げます。

プールレッスンが夕方まで組まれている火曜日には、それが始まる前の、朝一番のひとときを狙って、1時間ほど自主練習をすることにしている私ですが、今日は血液検査のために病院に出かけて、大事なチャンスを逸しました。どうしようかな・・・遅くなった朝食を食べながら、スマホで近隣の公営プールの情報を検索、正午過ぎあたりに、教室などの貸し出し時間帯がないプールを見つけました。自宅からも近いので、食後の休憩をした後、すぐに出かけることにしました。

プールは空いていました。幼稚園も学校も、もう普通の生活がはじまったのでしょう。小さいお子さんの姿もなく、安心して長距離を独占させていただけました。100メートル、200メートル、400メートルを、さまざまな種目で練習することが出来ました。クロール、背泳ぎ、個人メドレーなど、どれも周囲のお方のご迷惑になることがありませんでした。

プールを出た後、大きな通りまで出て、そこからバスで3駅目でおりて少し歩き、スポーツクラブに向かいました。ゆっくりとお風呂でくつろぐつもりでした。レンタルロッカーのなかには、必要なグッズが入っているし、タオルセットもレンタル出来ます。午後からまるで春のような日差しになった火曜日は、のびのびと自主練習をした後に、温泉気分まで満喫することが出来ました。

慣れ親しんだ環境が激変した2年前、途方に暮れた私は、目の前が真っ暗になりましたが、やがて新しい生活の中から、一つ一つ希望を見出すようになりました。人は変わり、その変化のなかで成長し、気がついた時には、昔には想像もしていなかったような大きな収穫を手にしていました。



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2018年01月07日

記念写真

クラブでも公営プールでも、何日かお正月休館日が続いたために、十分な練習が出来ないまま、2018年最初の大会の日がやってきました。暮れに少し首と肩を痛め、それが理由にはならないけれど、エントリーした二種目ともにまあまあというくらいの結果、とは言うものの、表彰台に立って賞状ををいただいてきました。

同じ75歳〜79歳グループのなかには、どんな種目でもこなされる「名人」が何名かおいでになりますが、新年早々、またまたそのお一人とご一緒に並んでスタート台に立つことになりました。ほとんどの大会でお顔を合わせるこの名人とは、いつも軽く会釈をする程度の接触ですが、今回は表彰台をおりたところで、突然先方からお声をかけてくださいました。「記念写真を撮っていただきましょうよ!」とおっしゃっり、私達は賞状を手に、少女のようにピースサインなどしてカメラにおさまりました。

「同じ年ですよね。16年の巳年?でも、とても同じ年だなんて思えないですよ!何でもお上手!何でも速い!プログラムにお名前を見つけると、ああ、今回も名人と泳ぐんだなあって思って、それだけで少し元気がなくなってしまいます。」と笑いながら申し上げると、「私の所属チームのなかには、貴女のことを目標にして、頑張って練習しているお人がいますよ。」とおっしゃったので、私は目をパチクリ、びっくりしてしまいました。

マスターズの大会に出るようになって4年が過ぎましたが、お顔とお名前を知っているだけで、所属チームも、所属クラブも違う、ましてや名人級のお方と、ピースサインで記念写真を撮っていただいたなんて初めての体験でした。「ほら、綺麗に撮れたわよ。」と、スマホの画像を見せていただきましたが、そこには満面の笑顔の高齢者が二人、ずっと昔からのお友達のような顔をして並んでいました。

2018年、今年も元気でいろいろな種目に挑戦していきたいです。

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2018年01月03日

年のはじめ

2018年、新しい年がはじまりました。元旦からよいお天気です。よいことがたくさんある、素敵な年になるような気がしています。元旦には、毎年恒例の「泳ぎ初め」をしてきました。住区の区営プールのなかには、お正月三が日に、特別の新年営業をしてくださるところがあって、予想以上に大勢の人達で賑わいます。のびのびと泳ぐというわけにはいきませんが、どなたもきっと、年の初めの縁起物と思って足を運ばれるのでしょう。

二日も空が綺麗に晴れました。娘夫婦が来てくれて、みんなで和気あいあいのお食事を楽しみました。暮れからずっと悩んでいて、ノウハウがまったくわからなかった、パソコンでの操作の一つを、大学2年生の孫がスラスラと解決してくれました!我が家のファックス機には、数年前のオレオレ詐欺電話事件を期に、防犯メッセージ器具が取り付けられ、そのためらしくファックスの送受信が出来なくなっています。暮れに英語の勉強に来た中学生の孫のために、何とかパソコンを使用して、練習問題などを送信してあげたいと思った私は、そのことを孫に相談してみました。

「出来るよ!」と一言、彼の手引きによって、私の悩みはいとも簡単に解決されました。プリンターで書面をスキャン、パソコンのデスクトップに保存されたものを、メールに添付して送信すればよいだけのことでした。新しいパソコンを購入したのは去年の1月、その時一緒に買ったプリンターは、この1年間で、指折り数えるほどしか使用していませんでした。プリンターの操作一覧のなかに、「スキャン」とその「保存」の選択があったことも、昨日はじめて知りました!「もう一度ゆっくりお願い!」と頼んで、操作手順を紙に書き取り、練習のために書類を一枚、娘のスマホアドレス宛に送信、私は無事に新しいスキルを身につけました!

若い人達はこの分野のことを何でも知っている・・・どんなことでも、いとも簡単にやりとげる・・・音楽をダウンロードしたり、音源を録音したり、それを違うファイルに変換したり、彼らにとって、この分野の機器はすべて生活の一部です。私がホームページを作成した20年近く前には、想像も出来なかったノウハウが、すでに若者たちにとっては、日常茶飯事になっているんだなと思いました。強い味方があらわれたおかげで、中学生の孫と私だけの「英語塾」は、新しい発展をすることが出来るでしょう。新しい年のはじまり、新しい時代のはじまり、新年早々、ばあばの生活は生き生きしてきました。

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2017年12月31日

大晦日

2017年の大晦日、息子夫婦とお墓まいりに行きました。学校が冬休みになった高校生の孫と、先日英語のお勉強に来てくれた中学生の孫も、今回は一緒に行くことが出来ました。時折、空から白いものが舞い降りてくる寒い日でしたが、高速道路は渋滞もなく、ひさしぶりの会話を楽しんでいる間にお墓に到着しました。

中学生の孫は、このところ急に身長がのびました。「身長が小さい順におまいりしようよ!」と彼が言いだして、嫁のxxちゃん、中学生の孫、私、息子、高校生の孫の順にお焼香をしました。自分が最初ではなく、お母さんの方が一番だったことが何よりも自慢なようすでした。亡夫のお墓からすぐの場所にある祖父母のお墓にもおまいりしましたが、今度もまた彼が、「今度は大きい人から順ね。」と言って、最後が自分ではないことを強調したがったので、もうみんなで大笑いしてしまいました。小学校を卒業しても、身長の伸び方が遅く、みんなで心配していましたので、急にすくすく背がのび始めた彼の成長は、家族の誰にとっても、何よりのよろこびでした。

お墓を出た後、少し車を走らせ、そのあたりでは有名だというお蕎麦屋さんで、とても美味しい年越し蕎麦をいただきました。その昔、食が細くて心配をした二人の男の子達も、いつのまにか成長して、大人と同じようなお蕎麦を、大人よりもたくさん完食するようになった変化に目をみはりました。

ちょうど今は、娘の家族、息子の家族と、それぞの子供たちが目いっぱいのスケジュールで動いているので、みんなで揃ってお墓に行くことが難しくなりましたが、私はどちらの日程にも同行させてもらって、そのたびに楽しいひとときを満喫することが出来ました。

住宅地の大晦日は、2017年から2018年へと、静寂のなかに時が流れていきます。あと数時間でカウントダウンです。間もなく近くのお寺から除夜の鐘、そして神社の境内からも、太鼓や読経の音がしめやかに流れてくるでしょう。激動の2017年をふりかえり、新しい2018年が、どうか輝く年となるよう、私は心から祈ります。

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2017年12月28日

ひさしぶりに先生

学校が冬休みに入りました。昨日、今日の二日間は、私の一番小さい孫が、英語のお勉強のために我が家にやってきました。彼は中学2年生、ひさしぶりの先生をすることになった私は、昔のことなど思い出しながら、きっとこのお手伝いは、私の人生の最後の置き土産になるに違いないと、その感慨も一入でした。

最近では滑舌が衰え、日本語の単語もすぐには出てこなくなった、とても困ったさんの私なのに、長いあいだ子供さん達のお相手をしてきたこのお仕事のことだけは、何もかもが淀みなく蘇ってきて私を驚かせました。この子が、私の一番小さい孫なので、知識のすべて、ノウハウのすべてを駆使して、彼のお相手をしてあげたいと思ううち、気がつけば、一日に8時間近くも先生をしていました。

私と孫は、午前中に3時間、午後にもまた、あいだの休憩時間を挟んで、4時間近くもがんばりましたが、「中学生の男の子って、どんなものが好きだったかしら。」と悩みながら用意してあげた昼食を、彼は何も残さず綺麗に完食してくれました。小柄だった子なのに、この半年で急に背丈がのびてびっくりしましたが、やはり一番小さいこの孫だけは、私のなかではひと際幼い印象が拭えませんでした。

今日はもう28日、今年ももう残すところ僅かしかありません。明日は2017年の泳ぎ納め、25mx108本のトレーニングを泳ぎます。泥縄でバタバタとしか出来なかった大掃除も、あれこれと準備が出来なかったお正月のお料理も、すべては、健康で過ごせた日々との引き換えでした。ささやかにお正月のお飾りをつけた玄関から、どうか新しい年の気運が舞い込んでくれますように!




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2017年12月25日

最終回になみだ

日曜日の夜の、何よりの楽しみだったドラマが、とうとう最終回の放送を終えました。最終回の録画は消去せず、翌日の今日もまた、もう一度胸を熱くして見直しました。主人公のマラソンランナーが、過去の大きな挫折を克服して、遂にフルマラソンでの優勝を果たした後、インタビューに応えて口にした言葉になみだしました。

「良い時も悪いときも、常に変わらず僕を応援してくださった人達に、今日の優勝の栄光を捧げたい・・・」という言葉に泣きました。同じような体験をした、あの辛い日々と、そこから立ち上がることが出来たあの瞬間を思い出したからでした。「良い時も、悪いときも・・・」これらの言葉を、何度も何度も痛感したこの2年間、いつも同じ笑顔で私を励まし続けてくださった、笑顔の優しいチームリーダーのことや、どんな結果も同じように、大きな包容力で受け止めてくださった、レースチームのコーチの温かさなどが、まるで映画のフラッシュのように脳裏をかけめぐりました。

「良い時も悪い時も・・・」本当に、人生のすべての「良い時も悪い時も・・・」、人は自分を支えてくれる優しさによって、前を向いて生きていけるのだと思います。最後の最後には、自分を助けることが出来るのは、自分ひとりしかいないのだという、強い自立の心と一緒に、このこともまた、人生の真理として学んだ2年間でした。

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2017年12月24日

クリスマスイヴ

12月24日、日曜日、今日の朝は教会のクリスマス礼拝に出席しました。今年はイブと日曜日が重なったので、朝にはクリスマス礼拝、夕方からはキャンドルサーヴィスと、一日に二度の集会が開かれました。毎年24日のイヴは、キャンドルサーヴィスに出席している私ですが、今年は夕方に予定があったので、朝の集会の方に参加しました。150名もの出席者が集まり、礼拝堂は補助椅子まで並べられるほどでした。最後には、会衆一同でメサイヤのハレルヤコーラスを合唱しました。何年ぶりかで歌ったハレルヤコーラス、高音が続くソプラノパートが、まだ何とか歌えたことに、とても感動しました。

この2年間は、クリスマスイヴのキャンドルサーヴィスだけで、1年に数回めぐってくるお当番の日をのぞけば、日曜日の朝に教会に行くことが出来ませんでした。毎月2度か、多い時には3度も、日曜日にはマスターズのレースが重なりました。すでにレースをエントリーしてしまっていた日曜日に、偶々お当番のご通知があった時などは、事情をお話して、お親しい会員のお方と、お当番の日を交代していただいたこともありました。レースのない日曜日に、私が礼拝に出席すると、役員のみなさんが揃って、「xxさん、ひさしぶり!いらっしゃい!お元気でよかったわ!」などと、大歓迎をしてくださるので、私はそのたびに恐縮して、自責の念にかられてしまいました。

イヴと日曜日が重なったおかげで、出席することになった今朝のクリスマス礼拝は、牧師先生のお話も、みなさんと一緒に歌った賛美歌の数々も、ひさしぶりの聖餐式も、どれも深く心に残るものがありました。パンと葡萄酒をいただく前に、牧師先生が語られた言葉がすばらしく、どの言葉も、ちょうどこの数日間、私の心を悩ませていたことなど、どれも取るに足りないことだと反省させられました。

この2年間に参加してきた、マスターズのレースの数々は、言葉に言い尽くせないほどに、私を成長させてくれました。嬉しかった日、苦しかった日、それらのすべてが、私に人生の真理を学ばせました。強い自立と、謙虚な努力と、そして生きていることのすばらしさを知ったこの2年間、そんなことのすべてを、私は礼拝のあいだ中ずっと、感謝の気持ちでふりかえっていました。


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2017年12月20日

お年賀状

今朝はお年賀状を書きました。年末に向けて、カレンダーには今年最後の予定がびっしり、もし今日を逃がせば、25日までの投函は無理かもしれません。兄弟と叔母と甥っ子たち、娘や息子の配偶者のご実家、そして年々数が少なくなってきている、亡夫の親友や会社時代の同僚後輩の方達などへ、それほど多くの枚数ではないけれど、ひさしぶりにペンを握りました。

今も夫が生きていれば81歳、退職をした会社のOB会サイトには、年々訃報の数が増えています。毎年毎年、年末までに数枚は届く喪中葉書、そして今年の年頭に頂戴したお年賀状のなかには、「長いあいだ交信をさせていただいたけれど、発病、手術のあと、厳しい闘病生活を送っているため、今回をもってお年賀状を終わりにさせてほしい。」と書かれたものもありました。

夫が他界してもう19年です。亡夫の親友や、かつての同僚後輩のみなさまも、それなりにお年を重ねておられますが、私からの年賀状を受け取られた方達が、「ああ、xxxさんの奥さん、あれからもう19年だけれど、元気で過ごしておられるんだなあ。」と思っていただけたら、そしてその瞬間に、在りし日の夫の姿を思い出していただけたら、それが亡夫への供養にもなるかなと思って、今年も私はお年賀状を書きました。


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