2009年11月

2009年11月29日

一瞬、パッと・・・

先週の金曜日、午後から三駅先の商店街までお買い物にでかけた時のことでした。最寄駅から普通電車が出発して間もなく、窓外の景色をぼんやり見ていた私の視界に、突然パッと一つの広告の看板が飛び込んできました。

「どんな腹でも、凹ませます!」

さあっと電車が通り過ぎてしまう、ほんの一瞬の広告だったにもかかわらず、私の脳裏には、このコマーシャルコピーと、綺麗な女の人のスリムな身体の写真が、ばっちりと焼きつけられました。

エステのお店だったのでしょうか、それともボディケアが売りの、何かのエクササイズスタジオだったのでしょうか・・・それにしても、すごい一言です!これを考えだしたお方に脱帽しました!とりわけ、「凹」の文字を使って「凹ませます」だなんて・・・何とストレートな表現でしょう。

一瞬の広告でしたから、もちろん、スタジオの名前も場所も連絡先も、私の記憶には残りませんでしたが、もし「どんなことをしても、何が何でも、このお腹をへこませたい・・・」と悩んでいるお人がこれを目にしたのなら、きっとその看板の場所で電車をおりてでも、お目当てのところを探しあてるだろうと思いました。

満天に輝く星の数ほど、無数に存在する言葉の中から、これぞ!の一言を見つけだすために、まさに命がけで仕事をしている方もいらっしゃいます。別にお仕事にしているわけではなくても、自分の想いを伝えるために、これぞ!という一言が見つかった時ほど嬉しいことはありません。言葉って、生きものだと思います。



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2009年11月27日

初めの一歩と、最後の一歩と

昨夜、スイミングスクールを終えた孫娘が、着替えをすませて外に出てくるのを待っているあいだ、ビルの前の広場で、同じようにお子さんが外に出てくるのを待ちながら、小さい赤ちゃんを遊ばせているお母さんの姿をぼんやり眺めていました。

広場には三段ほどの階段があって、1歳くらいの赤ちゃんが、よちよち歩きのおぼつかない足取りでそこへ近づき、何とか最初の一段をのぼろうとしているところでした。右足をよっこらしょっと持ち上げて、おぼつかない左足をゆらゆらさせ、私が息をのんで見守るなか、右の足が無事に階段の二段目に着地しました。同じ手順を踏み、三段目までのぼりつめた赤ちゃん・・・満面の笑みをうかべたものの、さて、ここからどうして下までおりようかと思案顔、手すりも何もない場所なので、ひょっとして転げ落ちるのではないかと、はらはら見守っていると、赤ちゃんはずるずるとお腹ですべり落ちて、怪我をすることなく下まで着地することができました。

あんよが出来たばかりの、この年頃の赤ちゃんの、何とも愛らしい姿を眺めているうちに、ふっと95歳の母のことを思いだしました。母のいる施設内は、完全なバリアフリーになっているので、日常、段差をのぼりおりする必要はありませんが、屋外に散歩に出た時などの段差は、それがどんなに低いものであっても、もうかなり危なっかしくなってしまいました。「お母さん、ほんのちょっと高くなるよ!気をつけてね!右足をそおっとあげて・・・そうそう・・・大丈夫?・・・私につかまってね!・・・左足があがるよ!」杖と私の腕を支えにして、私の足でなら僅か1分の喫茶店まで、裕に20分もかけて珈琲を飲みに行ったのは、かれこれ2年くらい前の話です。もう母はこういうことが出来なくなりました。

初めての一歩、そして最後の一歩・・・赤ちゃんから始まって、母のような年齢の人が、最後に自分の足で踏みしめる最後の一歩・・・始まりがあって、最後があって・・・人生とは巡り巡りながら、どこまでも続いていく長い道だと思いました。生まれた子供の最初の一歩の世話をする年月と、老いた親の最後の一歩を共に歩いてあげる年月を差し引くと、人の一生って短いものなんだなあと思いました。68歳の私・・・痛いところがあったとしても、自分の足でどこへでも行ける今を、大切に大切に生きていこうと思いました。



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一緒に歩いた道のりは・・・

昨夜はプールに行きませんでした。火曜日のマスターズクラスも、翌日の中上級ワンポイントも平泳ぎのレッスンで、より効果的な、より強いキック力をめざすための練習が二日間も続いたために、私のウイークサイドである左側に、大きな疲れが残ってしまいました。左太腿と左膝に残った筋肉痛と関節痛には、何よりも完全な休養が必要だと感じ、泣く泣く休泳日をとることにしました。

夜のスポーツクラブに行かないと決めたので、小学校の音楽会を見終えてから、ひさしぶりに、孫たちの通っているスイミングスクールを見学することにしました。この日の午前中に、運動場で友達とぶつかって眉間に怪我をした6年生の孫は、大事をとってプールをお休みしましたが、4年生の孫娘が、月末のタイム測定をうけることになっていたので、楽しみに見学させてもらいました。

彼女は平泳ぎ50メートルの測定に挑戦しましたが、すばらしい泳ぎっぷりで自己ベストをだしました。測定前に、四泳法のすべてを泳いでいるところを見ましたが、ほんの僅かのあいだに、子供っぽい動きがなくなっていて、バタフライ、背泳ぎ、クロールも、平泳ぎと同じように、ダイナミックでスピード感にあふれた泳ぎをしていました。私の知らないあいだに、飛び込みもおぼえていたのには驚きました。

私が水泳と出会ったのは今から3年半ほど前のことですが、孫達が基本コースを終えて、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライと進級していくのと、私が進んでいくのとが時期を同じくしていたために、まさに手に手をとって、一緒に歩んできた道のりでした。今では体力的に、68歳のばあばをはるかに引き離し、200メートルの個人メドレーも軽くこなす二人ですが、ここまでくるあいだに、いくつも越えてきた関所をふりかえると、何だか戦友のような気がしてなりません。

まさか、自分の孫たちと一緒に、水泳をおぼえていくことになるなんて、夢にも思っていませんでした。偶々の出来事ではありましたが、この3、4年の時間を幼い孫たちと一緒に歩んだことは、私の人生のすばらしい成果の一つだったと思います。



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2009年11月26日

音楽は時代とともに

今日の午後は、孫たちの通っている小学校で、高学年による音楽会がおこなわれましたので、娘と一緒に聴きにいってきました。4年生は、「エーデルワイス」と、もう一曲、モーツアルトの「魔笛」より「魔法の鈴」を合唱と合奏、孫娘は鉄琴のパートを担当していました。インフルエンザで一週間も学級閉鎖になったのに、よくこんなに素敵に仕上がったと感激してしまいました。

さらに驚いたのは、6年生の孫たちが演奏した、インディジョーンズ「レイダースマーチ」で、その迫力と演奏力のみごとさに、しばらく会場から大きな拍手が鳴りやみませんでした。バスオルガンを担当した孫は、音楽会でこの曲を演奏することが決まった時から、自宅で母親に積極的に教えを乞うなどして、自分のパート練習に余念がありませんでした。そこまで一生懸命になるほど、大好きな曲だったからでしょう。何よりも、指導なさった音楽専任の先生のご努力に頭がさがりましたが、リズムも難しいこの曲、譜読みだけでもさぞ大変だったに違いないのに、きっと私達世代と、今の6年生の子供達では、育ってきた音楽環境に大きな違いがあるのだろうと思いました。

私が小学生だった60年ほど昔には、小学校の学芸会で演奏される合奏や合唱の曲といえば、いわゆるお唱歌のレベルを超えるものではありませんでした。それから年月を経て、ちょうど30年ほど昔、長女の小学校の卒業式で、「蛍のひかり」や「仰げば尊し」にかわって、あの「翼をください」が大合唱された時の驚きは、今でもはっきりと記憶に残っています。純真無垢な少年少女たちが、歌詞をかみしめるように歌った「翼をください」・・・父兄達も感動の涙を流したものでした。

音楽は時代とともに移り変わります。その時代の子供たちの心に、一番まっすぐに想いを届けることのできる音楽とはどんなものか、音楽を担当される専科の先生も責任の重いことだと思いました。ひさしぶりに、リンゴのほっぺをした小学生達の、ひたむきな歌声と演奏を聴き、何だか心があらわれるような気がしました。



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2009年11月24日

縄跳び

昨日は祭日の月曜日でした。スポーツクラブが特別に開館されていましたので、夕方少し早目に行って、1時間ほど泳いできました。

いつもと一筋だけ違う道を、のんびりと歩いて帰ってきましたら、道路で幼稚園くらいの男の子が、お若いお父さんと縄跳びの練習をしていました。まだあまり上手ではないけれど、普通のノーマルな前跳びが出来るようになった男の子が、ちょうど私とすれ違う瞬間に、「パパ、後ろ跳びもやってみる!」と言いました。「よ〜し、そのくらいの気持でやれば、きっとすぐに出来るようになるからな!」

通り過ぎてから、後ろをふりかえってみましたら、後ろ跳びとよぶにはほど遠く、後ろへ縄を送っては、よいしょっ!というたどたどしさで、男の子が練習している小さな姿が見えました。空には、綺麗な三日月さま、暗い夜道に、何とか息子に後ろ跳びを成功させたいお父さんと、一生懸命な坊やの姿が浮かびあがって、とてもほのぼのとした気持になりました。

幼稚園の坊やも私も、さして変わりがないなと思いました。前跳びが出来たら、後ろ跳びも出来るようになってみたい、もしそれが出来たら、二重跳びも、三重跳びも・・・縄跳びが出来たから、それがどうしたと言われれば、何と言うこともないけれど、出来なかったことが出来るようになるって、それはそれはすばらしいことです。

坊やの縄跳びも、私の水泳も、出来なかったことが出来るようになっていく嬉しさがあるだけで、だから何ということもないことですが、世の中のほとんどのことは、似たようなものではないかと思いました。ほんの短い、限られた時間だけを生きる私達ですが、「出来るようになった!やれるようになった!」と思いながら、一日一日を輝いて生きていけたら・・・こういうのを、「夢」とよぶのだろうと思います。



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2009年11月23日

好きこそものの・・・

どんよりとした昨日とはうってかわって、今日は一日中、気持のよい秋晴れの空がひろがりました。朝から窓を開け放って、きのうの日曜日に着た三人分の和服や襦袢、帯や小物類などを片付ける前に、十二分に風を通して湿っけをはらいました。

和服は身につける前の準備から始まって、着つける時の時間、そして着終わった後の後始末が、洋服とは比較にならないほど手間を要します。衣服とよぶよりも、それは衣裳という名前で分類した方が相応しいような・・・どんなに大変でも、そのことを面倒だと思わない、好きこそものの・・・の世界にいる人のためのものかなと思います。

当日の朝、はっきりしない空模様を心配して、息子の嫁は着物一式を大きなバッグに入れ、とても身軽な格好でホテルにやってきました。ホテル内の更衣室を借り、30分ほどで、いとも気軽に和服に着替えてしまいましたが、昔から着物が好きで、和装着つけのお免状まで取得した人ならではの早業だったと思います。

ほんの内々の、気心の通じた4人で楽しむ会だからこそ、誰の思惑を気にする必要もなく、誰に遠慮をすることもない、唯々楽しい会ではありますが、もしここに、「・・・ねばならない・・・」の気持から、義理で参加しているお人が一人でもいらっしゃれば、きっといろいろな難しい問題が生じてくるだろうと思います。

今日は一日中、肌着から足袋や半襟まで真っ白に洗いあげ、着物に風を通し、皺になった帯にアイロンもあてて、着終わった衣裳の後始末に没頭しました。一つ一つ丁寧に、次に着る時のために、折り目正しく片づけていく・・・好きこそものの・・・という言葉を、苦笑しながら思い出していました。

私が元気でいる限り、一回でも多く、娘と嫁と孫娘と、そして私自身のために、華やいだひとときを準備してあげたいと思いますが、いつか私がいなくなった後にも、みんなで思い出の着物を着まわして、好きこそものの・・・の世界を楽しんでもらえるよう、何か土台のようなものを作っておいてあげたい・・・それが私の願いなのですけれど・・・。



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2009年11月22日

秋の「和の会」

11月3回目の日曜日、きょうは、我が家の秋の「和の会」を、滞りなく終えることができてほっとしています。天気予報に、前日までずっと傘マークが消えず、今朝も孫娘や娘に着物を着つけていた頃には、まだ細かい雨がふっていましたのに、私自身の着つけを終えて外を見た時は、すでに雨はぴたりとやんで、それから午後3時過ぎに帰宅するまで、一度も雨に濡れることはありませんでした。

晴れ女の誉れ高い(?)私の力も、流石に今回はもう威力を失ったかもしれないと、半ばあきらめていました。お天気の神様からは、「この1年、何度奇跡を起こしてやったと思っている!もう1年の終わり、お前のためばかりに、雨雲を追い払ってやるわけには、いかな〜い!」と、きつ〜いお叱りをうけたような気がしていましたのに・・・。

高輪のプリンスホテルは、私も娘も嫁も初めてでしたので、端正な日本庭園を見晴らす「七軒茶屋」での会席料理は、本当に楽しいひとときでした。お庭を散策中、雨にこそ降られませんでしたが、今日はびっくりするほど寒い日で、ショールをかけていても、カメラを持つ手が寒さでふるえてしまいました。

息子夫婦の子供達も8歳と5歳になり、嫁も少しずつではありますが、外出がしやすくなりました。もちろん4人の孫達は、まだみんな小学生なので、「和の会」の時間帯にも限界がありますが、これから徐々に徐々に、ヴァラエティに富んだ企画もたてることが出来るかなと、この会のプロデューサーのばあばは心を躍らせています。誰に気を遣うこともなく、誰に遠慮を感じることもない、私達4人だけの、本当にささやかな華やぎの時間・・・息子と娘婿の力添えで、今回も無事に終えることができました。気持ちよく送り出してくれた二人のお父さん達に、心から感謝の言葉をおくりたいと思います。次は春の「和の会」・・・みんなとても楽しみにしています。

Youtube 動画「深まる秋の日に」
http://www.youtube.com/watch?v=RIkl4NNbo8c



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2009年11月21日

思いがけないお便り

今日は、思いもよらなかったお便りが、私のもとに舞いこんできました。それは、夢にも思わなかったお人からのお手紙でした。お名前を拝見してすぐ、私の記憶の回路は、5、60年という長い年月を、目にもとまらぬ速さでさかのぼり、はるか昔の、中学生時代、高校生時代へと私を運んでくれました。

お便りの主は、私が中学から大学までをすごした京都の私立学校の、3年先輩の男性で、もちろん直接の接点は皆無でしたから、お顔を鮮明に思い出すことは出来ませんでしたが、お名前の方は、はっきりと私の記憶に残っていました。

私は中学・高校の6年間を、学校の聖歌隊員としてすごしましたが、その聖歌隊は、クリスマスなどの大きな行事の際は、中学・高校合同で活動することがありました。3年上のその先輩とは、中学も高校もすれ違いだったわけで、同じ校舎で学んだことはなかったはずなのに、私は中学生の頃から、聖歌隊の先生や先輩から、よくそのお人の名前を聞いたことがありました。理由はわかりませんが、ともかく、とても有名な先輩だったような気がします。どういうことで有名だったのか・・・学業の成績が優秀でいらっしゃったのか、歌がお上手でいらっしゃったのか、それとも、指導者としての力量がおありだったのでしょうか。

お仕事中に何気なく、無性に母校の赤煉瓦の建物が懐かしくなって、その建物の名称をパソコンに入力して検索したところ、思いがけない作品と遭遇してしまった・・・と、そのお便りに書いてありました。あれは、夫が亡くなって間もなくのことでしたが、私は亡夫の会社時代の同僚のお方で、同じ大学の卒業生でいらっしゃったお人から、母校の赤煉瓦の校舎の写真を数枚送っていただいたことがありました。とても懐かしい写真に、私は強い郷愁をかきたてられて、ホームページに写真と追憶のエッセイを書き残しましたが、その作品が、思いがけないご縁の糸をつないでくれました。

大学ではグリークラブで、ご卒業後は、そのOBによって結成された合唱団でもご活躍だそうで、あらためて、そのお方が有名人であった理由が納得できるような気がしました。後輩の誰もが憧れていたお人だったのでしょう。あの聖歌隊は、どこか隊員が家族のような温かさで結ばれているところがありました。みんなが憧れていた先輩・・・お名前を存じていただけの先輩・・・私の作品を読んで、赤煉瓦の建物や学校時代のことがあまりに懐かしく、思いがけないお便りをくださった先輩・・・何だか今日は、心が60年の年月を一気にさかのぼり、京都の町や、懐かしい学生時代をさまよいました。



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2009年11月19日

大切な大切な、私の脚なので

昨日は来客があって水泳はお休みにしましたので、今日は雨にも負けず、いそいそとプールにでかけました。先週の金曜日、星2つのエアロビクスのクラスで、あまりにも元気よくとんだりはねたりし過ぎたのがよくなかったのか、あれ以来、左の太腿と膝に痛みを感じるようになり、この数日の低い気温も災いして、痛みの上書きをしてしまったようでした。

1時間弱の水泳中、クロール、背泳ぎ、バタフライのどれも、キック時に膝の痛みはありませんでしたが、平泳ぎだけは、いつものように足を蹴り開くことが出来ませんでした。でも軽く動かしたことで、患部の強張り感が消え、プールからあがる時には、少し楽になっていました。たった一日お休みしただけなのに、一か月くらい水に入らなったような気がしました。

早目に帰宅して、今日の午後に、リビングにセットしておいたお炬燵のなかで、ぬくぬくと下半身をあたためていましたら、嘘のように膝が楽になってきて、やっぱり冷えたのがよくなかったなと気がつきました。1、2週間早く、お炬燵を出しておくべきだったと思いました。

年齢が年齢なので、どこにも痛いところがない方が不思議です。少々の痛みで落ち込むのはやめにしました。バンテリンも擦り込んだことですし、少しずつ少しずつ動かしているうちに、きっとよくなってくれると思います。大切な大切な私の脚なので、この寒い季節を上手に乗り切っていかなくっては・・・。



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冬支度

昨日は木枯らしが吹き、今日は朝から冷たい雨がふって、秋が駆け足で通り過ぎていくのを感じます。天井の高い、昔風の日本家屋なので、夏は比較的快適ですが、冬場の寒さは半端ではありません。

朝食の後、えいっ!と気持に喝をいれて、住まいの冬支度を始めることにしました。ベッドのなかに電気毛布をセットし、掛け毛布もサイズの大きい厚手のものに変えました。衣裳ケースから毛糸のセーター類を出し、整理ダンスのなかも、秋から冬に模様替えをしました。この衣替えをするたびに、勇気をだして、サイズのあわなくなった衣類を処分するようにしていますが、今シーズンも、3年前くらいから、あまりに大き過ぎて着られないのに、未練があって手放せなかった、いくつかのだぶだぶの洋服を、泣く泣く処分することにしました。

朝からこのあたりまで作業して、かなり腰や膝に疲れと痛みが出てきましたが、今夜の寒さを予測して、頑張りついでに、リビングにお炬燵を出すことにしました。プールから帰宅後、時間が経過するにつれて、しんしんと身体に押し寄せてくる冷えは、室内の暖房だけではなかなか解消できません。どお〜んとリビングのスペースを占領してしまうお炬燵ですが、寒い我が家には、無くてならない貴重な暖房器具になっています。

年々歳々、寒い季節になると、身体のあちらこちらに痛みを感じるようになりました。私は汗が引きにくい体質なので、あたたかい季節には、スパで湯船につかることはありませんが、最近はかなりゆっくりとあたたまって、全身の筋肉や節々の疲労を治療してから帰ります。夏場は、あんなに年齢のことを忘れて泳ぎまくっていた私なのに、寒さが深まるにつれて、エクササイズの後のケアが必要になりました。身体のどこかに痛みを感じる日は、自分の年齢を思い出して、ちょっと不安になったりもする私ですが、自分で自分を励まして、きらきらしていなくってはと思っています。



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