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岩波新書の書評(159)手塚治虫「ぼくのマンガ人生」

72e875bd.jpg岩波新書の赤、手塚治虫「ぼくのマンガ人生」(1997年)は手塚の没後、過去に発表された手塚治虫の文章や講演を再構成して一冊の書籍にまとめたものであるが、何よりも本書を企画した岩波新書編集部の功績が大きいように思う。

日本に数ある新書の内で、伝統ある老舗(しにせ)の岩波新書である。☆岩波新書に収められた新書は後世まで残り、長く読み継がれる可能性が新興の他社新書よりも(おそらくは)高い。☆本書の他にも、手塚治虫の自著や評伝はある。☆しかし、岩波新書「ぼくのマンガ人生」は、手塚治虫に関する、手塚の創作漫画以外での作品書籍として後々まで長く残り、広く読まれ続けるのではないか。

私は漫画家の寺田ヒロオが昔から好きで、以前に寺田を中心に藤子不二雄や石ノ森章太郎、赤塚不二夫らの日記や自伝を、特にトキワ荘に関係する書籍を集中して読んだことがあった。☆その際に手塚治虫に関するものも、よく読んだ。☆手塚治虫は「漫画の神様」と称せられるような、決してよく出来た人ではなくて、若手漫画家の台頭には(例えば、自分よりも漫画家デビューが最年少で早く、児童物だけでなく青年や成人漫画でも成功を収め、テレビの特撮実写でもヒットを連発していた石ノ森章太郎に対し)露骨に悔しがり嫉妬して闘争心を露(あらわ)にするし、アニメーション会社の虫プロダクションを倒産させて経済的に困窮したり、手塚の作風にも時代の波に乗れない漫画家として人気が落ち込む低迷期もあって、「手塚先生の漫画も古くて、もう駄目だな」と編集者たちから内々に・ささやかれる時代もあった。

また手塚治虫が業界に持ち込んだとされるアシスタントを多人数使っての短期間での漫画の量産体制やアニメ仕事の安価での請け負い慣習が、後の漫画家やアニメーターの過酷な労働環境につながったとして、漫画アニメ業界に手塚治虫が・もたらした罪を追及する議論も実はある。☆しかしながら、岩波新書が手塚治虫を扱うと、これが見事なまでに「反戦平和を希求し生命の尊厳を主張し、若者の夢に向かっての努力を応援する誠に理想的な手塚治虫」が前面に押し出されるのであった(笑)。☆そして、もちろん私はそうした理想的な手塚治虫像も否定せず、当然の如く認めるのだけれど。

手塚治虫は1928年の生まれであり、1945年の日本の敗戦時には10代の青年だった。☆関西の生まれであり、大阪大空襲も経験している。☆ゆえに手塚治虫には強烈に反戦平和の志向、人間の生命の尊厳の意識があった。☆本書にても手塚は、「『生命の尊厳』がぼくのテーマ」と述べている。

彼は幼少の頃から身体が小さく近視で眼鏡をかけスポーツが苦手で、いじめられっ子であったという。☆しかし、漫画を早くにから描き始めて、手塚少年は常に漫画に没頭していた。☆手塚によれば、漫画を描くことでいじめっ子から一目置かれ、いじめられなくなった、後に漫画を介して友達も多くできたという。☆この辺りの漫画を描くことにより、いじめが回避されたり、交友の輪が広がり友人が多くできた事情や無二の親友に出会うことができた話は、手塚治虫のみならず、藤子不二雄のエッセイや自伝を読んでも共通する内容である。

岩波新書「ぼくのマンガ人生」の巻末に「ゴッドファーザーの息子」という、漫画を介して自分とは正反対なバンカラ応援団長のヤクザの息子と手塚少年とが友達になって互いに心を通わせる自伝漫画が掲載されてある。☆最後に「ゴッドファーザーの息子」の友人は、手塚が描いた漫画を携え戦地に行き、若くして戦死してしまう。☆あれは、本当に読む人の心に染みる良い漫画であると思う。

当時、漫画は今よりも社会に認められていなかった。☆私が子どもの頃、といっても1970年や80年代だが、その時代でさえ「漫画なんか読んで(怒)」と私ら子どもは大人たちから叱られていた。☆1970年代当時で・そうであるのだから、手塚が漫画に熱中し後にプロの漫画家デビューをはたす戦中や敗戦直後の漫画に対する社会からの厳しい風当たりの強さは推(お)して知るべしである。☆だが、そうした状況の中でも母親や学校の教師は手塚が漫画を描くこと、そして後々漫画の道に進むことを認め応援してくれたという。

手塚治虫は医学の学校に進学し臨床実習を受けて医師免許も持っていたが、後に上京して念願のプロの漫画家になった。☆手塚治虫という人は、来る仕事を基本・断らなかったらしく、実に多作な漫画家であった。☆手塚の生前の当時の密着映像など見ていると、この人は移動中のタクシーの中でも、空港ロビーにても漫画を描く(笑)。☆とにかく大量の原稿を描いて創作する極めて多作な人で、作品数を厳選して寡作で済ます人ではなかった。☆しかも多作な中で、手抜きせずに全作全力で、おそらくは描き抜いているので、手塚の身体には相当な負担であったに相違ない。☆手塚治虫は、いつの時代でも・ほとんど寝ていない。☆寝る時間をも惜しみながら、彼は漫画を描き続けた。☆手塚治虫は60歳で亡くなっているが、やはり早いと思う。☆手塚の早逝は非常に残念であり無念である、私達にとっても当の手塚治虫本人にしても。

岩波新書の手塚治虫「ぼくのマンガ人生」 を貫くテーマは「反戦平和を希求の生命の尊厳と、若者の夢に向かっての努力の応援」の二つだが、特に後者について、手塚治虫の人生を見ていると、人は若い頃から、何かしら一つでも自分の人生にて継続して熱中できる仕事や趣味を持っている人は幸福であると思う。☆そのことに傾注し、充実して自身の人生を費やすことが出来るからだ。☆手塚治虫の場合、それがたまたま漫画だっただけのことである。

「ぼくのマンガは大阪大空襲と八月一五日が原点だ。子供時代、父母、先生、友人との触れあい、作品にこめた熱いメッセージを語る。マンガを読み聞かせてくれた母、作文する楽しさを教えてくれた先生、絶体絶命の苦境で助けてくれた友。彼の創作を支えたものは何か。不滅のマンガ家が遺した講演記録を編集、ハートフルな肉声がいま甦(よみがえ)る」(表紙カバー裏解説)

岩波新書の書評(158)高島善哉「社会科学入門」

72e875bd.jpg戦後の日本の社会科学研究は実によく出来ていて、社会科学における「理論、歴史、政策」の三つの部門のうちの「歴史」、歴史的遡行(そこう)の概観にて、法学でも政治学でも経済学でも対象人物の詳細な実証的研究というよりは、その歴史人物の研究を通して「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」、社会科学成立の観点からする、より本質的な基幹研究が主であった。

このことについて、例えば、経済学のマルクスとヴェーバー研究の大塚久雄、同じく経済学のアダム・スミスとマルクス研究の高島善哉と内田義彦、政治学の荻生徂徠と福沢諭吉研究の丸山眞男らの戦後の日本の社会科学研究を一瞥(いちべつ)してみるとよい。☆大塚のヴェーバーも高島と内田のスミスも丸山の徂徠と福沢も、厳密に文献史料を読んで確認してみると、彼ら戦後日本の社会科学者が提示して描く人物思想とは明らかに異なるのである。☆そして、例えば「大塚久雄が語るヴェーバーは実際の歴史上のヴェーバーとは違う、丸山眞男が示す福沢像は歴史上の現実の福沢の実像とは異なる」と言い募って批判することは比較的容易であり、しかしながら安易だ。☆そういう戦後の日本の社会科学に対する客観的実像からする食い違い指摘の批判は、「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」、社会科学成立の観点からする、より本質的な基幹研究の立場から、それら戦後の社会科学がなされていることを何ら押さえていないからである。

なぜ戦後の日本の社会科学が、客観的で正確な実証研究に徹することなく、結果的に時に実証性の厳密さを犠牲にして、社会科学という学問成立の原理的観点から考察する営みとして主になされたのか。☆それは、各人が常に明瞭に言明しているわけではないが、彼らの内に戦前・戦中の日本の社会科学の不毛の不成立に対する反省と批判の意識が明確にあったからである。☆戦前・戦中の日本においては、国家からの制限・規制・検閲により学問としての社会科学が成立していなかった。☆その科学的学問の不毛は絶えず国家からの干渉を余儀なくされていたことによる。☆だからこそ、戦後の再出発にあたり、日本の社会科学は、「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」といった科学的学問成立の観点からする、より本質的な基幹研究から再び始めなければならなかったのである。

以上のような社会科学成立観点の痛切な問題意識にまで思いを巡らせ、戦後日本の問題状況を勘案して各人の社会科学研究を読む時、現在の私達はそこから無心に学び取るべきものが今日なおあるはずだ。☆岩波新書の青、高島善哉「社会科学入門」(1954年)も、そうした視点から今でも読まれるべき古典の良書といえる。

ゆえに高島善哉「社会科学入門」を一読して、「アダム・スミスやマックス・ヴェーバーやカール・マルクスに関する記述が正確ではない」などの不平を連発してはいけない。☆本新書からは「そもそも社会科学という学問が、どのようにしたら成立するか」の科学的学問成立の原理の仕組みを、より大きな枠組みにて押さえて読み取り、そこから積極的に学ぶべきである。

岩波新書「社会科学入門」の主な読み所としては、「一・社会科学の窓(序説)」において、人間社会に関する科学である社会科学を自然事物を扱う自然科学と対照させて、「社会科学とはどういった学問であるか」解説するところ。☆「二・社会科学への関心」にて、人間の社会(産業革命や資本主義や国民国家など)を考察する際には「現代社会への関心」に加えて、「体制・階級・民族への関心」の少なくとも三つの基本的な分析視角があること。☆「三・社会科学の歩み」にて、宗教改革のルターや絶対主義のホッブスから始まり、現代社会のマルクス以後に至るまでの「社会科学の歩み」の概観小史の記述を、それぞれ挙げることができる。

また巻末には「社会科学の代表作一00点」が提示されている。☆著者の高島善哉が、政治学と法学と経済学と歴史学と社会学と教育学と社会主義の七つの範疇(はんちゅう)に分けた上で、これから社会科学を志す入門者が読むべき代表的な著作を一00点選んでリストにしている。☆これを見ると、初学者向けの概説本や主要研究論文ではなく、古典の原著を、そのまま直接一00冊読むよう勧めている。☆初学の入門の人に、例えばルソーの「社会契約」(1762年)やマルクスの「資本論」(1867―94年)を最初から直で読めというのは、私は酷(こく)な気がする。☆確かに、読書のアドバイスで「カントについて書いたものは読むな、カントを読め」などと昔からよく言われるが、いきなり原著から読んでも初学者には難しく理解が困難で、読了できずに中途で挫折してしまう場合が多い。☆ここはルソーやマルクスに関する概説書や主要研究論文にまず当たり、いよいよ習熟した段階で初めて原著に臨むのが最良ではないか。

とりあえず高島の「社会科学入門」の道は厳しいのである(笑)。☆高島善哉は、一橋大学の大学院社会学研究科と一般の社会学部の構想設置に尽力した人であった。☆高島の弟子には社会思想史研究の水田洋や平田清明らがいる。☆彼ら一橋社会学派の高島ゼミ生が後に共同でやった仕事の一つに、高島・水田・平田による共著「社会思想史概論」(1962年)がある。☆あの書籍は、非常に良心的な社会科学史の概論解説の名著である。

一橋大学社会学部の新入生は、今でも岩波新書の青、高島善哉「社会科学入門」を読まされるらしい。☆本新書の後に続けて、高島・水田・平田「社会思想史概論」を読むことを、お薦めする。

岩波新書の書評(157)岡本隆司「袁世凱」

72e875bd.jpg先日、ジャッキー・チェン主演の映画「1911」(2011年)を観た。☆本作は中国近代史の辛亥革命を扱った作品で、劇中「中国革命の父」孫文が身なりも思想人格も・しっかりした好印象の理想的な良人物として、そして孫文とは対照的に袁世凱が小太りのヒステリックな個人の権力欲にまみれた野心家で、あまりにも俗悪人物として描かれており、「孫文は善だが、袁世凱は悪」の露骨で単純な善玉・悪玉論に思わず私は笑ってしまった。

事実、袁世凱に関しては、中国でも日本でも昔から印象は良くない。☆このことは岩波新書の赤、岡本隆司「袁世凱・現代中国の出発」(2015年)にての以下のような表紙カバー裏解説を一読するだけでも、「従来よりの袁世凱の評判の悪さの嫌われぶり」は、とりあえず確認できるのである。

「無学で無節操な裏切り物、『陰険な権力者』と、日本でも中国でも悪評ばかりの袁世凱。しかし、なぜそんな人物が激動の時代に勢力をひろげ、最高権力者にのぼりつめ、皇帝に即位すらできたのか。褒貶(ほうへん)さだまらぬ袁世凱の生涯を、複雑きわまりない中国のありようを映し出す『鑑(かがみ)』として描きだす」

「無学で無節操な裏切り物と日本でも中国でも悪評ばかり」とは、まさに悪名三昧(あくみょう・ざんまい)の散々な言われ様の袁世凱である(笑)。☆しかしながら、そういった悪名高い「陰険な権力者」、袁世凱が・なぜ中国近代の激動の時代に勢力をひろげ最高権力者に登りつめ、最後は皇帝にまで即位できたのか、それはそれで不思議であるし、個人的に大変に興味ある話ではある。☆悪人ゆえに人を惹(ひ)き付ける悪の人たらしの魅力かあったのか、さもなくば革命混乱時の火事場の・どさくさに紛(まぎ)れ、悪知恵に長(た)けて・たまたま上手い具合に権力掌握できただけなのか。

岩波新書の岡本隆司「袁世凱」は、そうした「袁世凱=悪玉」の人物評価の定番歴史認識を転換しようとするものである。☆本書にて著者はいう、「専門の研究では近年、周辺の史実が精細に解き明かされて、袁世凱にも・いわゆる再評価がすすんでいる。悪評に満ちた人物像は、過去のものになったといってよい」。☆ならば、今日の研究にて袁世凱はもう「陰険な権力者」ではないのか、彼を・むしろ「周到な政治家」と言い換え再評価すれば済むのかといえば、事はそう簡単ではない。☆その辺りの袁世凱評価が未確定な所こそが、「褒貶(ほうへん)さだまらぬ袁世凱の生涯は、複雑きわまりない中国のありようを映し出す『鑑(かがみ)』」とする本書での著者の本意である。

国内政治の辛亥革命(1911年)後の孫文に代わる臨時大統領就任と後の皇帝推戴の専制支配の確立から、袁世凱は「反革命」であり、国外政治にての、例えば日本の大隈内閣からの二十一カ条の要求(1915年)の袁政府の受諾から袁世凱は「媚外」でもあるとされる、従来よりの悪評である。☆そして袁世凱の生涯の最大のクライマックスは、やはり辛亥革命にあるのであって、人々は袁世凱をして「清朝から寝返って中国民国の大統領となり権力を掌握した。ここに主君を裏切る節義のない権謀術数、自己の権力欲にまみれた信義なき無能な俗物政治家」とするのであるが、こうした袁世凱の「俗物悪評」に対し、著者は次のような別の見方を述べる。

「かれ(註―袁世凱)は軍事力を掌握するがゆえに、日清戦争・戊戌政変・義和団事変など、重大事件がおこると、そのたびキャスティング・ボードを握る立場にたたされ、そのつど帰趨(きすう)を左右する選択、決断を強いられた。…それは辛亥革命でも、ほぼ同じである」。「当時、最も実力ある者が政権を掌握して、…その任にあたるべきは、袁世凱しかいなかった。こうした客観的な趨勢は、むしろ火を見るより明らかで、当時は内外の別なく、誰もが理解できたところである。外国人が袁世凱を『ストロング・マン』と称したのも、不思議ではない。かれが野心をもち権謀をめぐらせた、というより、衆望が期せずして、かれのもとに集まっていった、とみるほうがいっそう適切である」(176・177、182ページ)

このように袁世凱には、そもそもの軍事力を背景とする実力があり、清王朝滅亡から辛亥革命を経ての中華民国成立の激動の時代にて、中国国内の勢力を分裂させず一つにまとめ統一して、その上で中国を蹂躙(じゅうりん)する外国勢力に一致団結して立ち向かう、いわば「ストロング・マン」として、袁世凱当人の意向とは関係なく、袁の有能さの実力ゆえに周囲の者が勝手に袁世凱の元に集まり、結果的に彼に権力が自然と集中していった、とする著者による袁世凱の実像素描である。☆同様に、後の第三革命にての袁世凱の皇帝推戴(1915年)にしても、「袁世凱の帝政運動・皇帝即位は、アナクロニズムと評されがちだが、しかし当時の世上、帝制への志向は、皆無ではなかった」(199ページ)と述べて、「是非とも皇帝になりたい」権力固執の袁世凱当人の意向というよりは、もともと当時の中国にて「世上に帝制への志向」の世論の後押しの支持が暗にあったことを指摘する。

また、こうした袁世凱の実力者ゆえの周囲からの働きかけによる自然な権力掌握過程の理解は、例えば「宣統帝即位に伴う袁世凱の罷免」(1909年)について、北洋軍の建設や幅広い人脈保持など彼の有能さを高く肯定的に評価して袁世凱を弁護するとともに、他方で、主に「私怨」にて袁世凱を罷免し切り捨てた清朝を「小児的な短慮」と厳しく批判する記述を著者から引き出させることにもなった。

「私腹を肥やしたと弾劾する上奏があって、それに答えての命令である。…つまりは突然の罷免、政府からの放逐である。…しかり、小児的なのである。私怨の報復かどうかはともかく、北洋軍の建設に力をつくし、各界にひろい人脈をもつ袁世凱を罷免、放逐した行為じたい、短慮としかいいようがない」(150・151ページ)

冒頭で触れた映画「1911」の人物描写に見られるように、孫文の善人と対比させ、袁世凱をして「俗物」の悪玉とする方が歴史の語られ方としては確かに面白い。☆しかしながら、厳密な歴史学の歴史研究では、岩波新書の岡本隆司「袁世凱」にて史料提示の論証を交え厳密に考察されているように、「袁世凱自身が野心をもち権謀術数をめぐらせたというよりは、当時の中国の衆望が期せずして彼のもとに集まっていったと見るほうがいっそう適切」というのが、袁世凱その人の史実に近いと思える。

本新書にて描かれている袁世凱は、精鋭軍の育成掌握に優れ各界に幅広い人脈を持つ、生(なま)の軍事力と政治力とに秀でた実務の処理を黙々粛々とこなす典型的な有能官僚タイプの男である。☆ゆえに、もはや繰り返すまでもなく、本人の思惑を遥かに越えた所で、混迷の中国近代史にて時にキャスティング・ボードを握る重要立場に立たされ、周囲からの期待により彼は辛亥革命の歴史の表舞台に押し出されたのであった。☆そうして、袁世凱は確かに有能官僚タイプの優秀な男であったが、如何せん実務能力のみ、せいぜいのところ実直な官僚たる「俗吏」止まりであったため、彼の能力と実績とは必ずしも比例しなかった、というのが本新書にての著者の結論である。

辛亥革命の袁世凱に止まらず、ピューリタン革命のクロムウェルや、フランス革命のロベスピエールやナポレオンなど、本人に独裁への露骨な権力独占の欲望がなくとも、当人が誠に有能優秀であるため、周囲から押し出されて知らぬまに革命の中心に躍り出て、最後は結果的に反革命の専制支配の反動役割まで一気に演じてしまうことは、時にある。☆これも革命という歴史の劇的進歩に伴う一時的な反作用であり、古今東西、激動の革命の歴史にて実は共通して見られる現象なのでは、という思いがする。

近年、岩波新書の赤版にて岡本隆司「袁世凱・現代中国の出発」(2015年)の他にも、岡本隆司「李鴻章・東アジアの近代」(2011年)、深町英夫「孫文・近代化の岐路」(2016年)などが出ている。☆扱われる人物評価を含めて、中国近代史に関する書籍は、だいたい誰の何を読んでも面白いというのが率直な感想だ。

岩波新書の書評(156)宮沢俊義「憲法講話」

72e875bd.jpg昔から岩波新書を継続して愛読していて、「岩波新書は憲法に関する新書を多く出しすぎる」の率直な思いがする。☆事実、岩波新書にての憲法関連書籍は実に多くあり内容が重複して、私は以前に読んだものでも忘れてしまったり、他の書籍と内容を混同して記憶してしまっているものも多い。

近年でも岩波新書は、憲法関連の新書を連発しており、端から見て異常とも思える程だが、それには、日本の戦後民主主義の内実が、戦前日本の大日本帝国への批判・反省から、国家の恣意的自由な権力行使に制限の歯止めをかけて封じる立憲主義の立場と一致しており、ゆえに戦後民主主義は戦後の日本国憲法の理念と共通していて、戦後民主主義は朝日・岩波文化と言われるほどだがら、現憲法に対する護憲の立ち位置の岩波書店としては、つい力が入って憲法関連書籍を熱心なまでに連続して出してしまう。☆特に岩波新書は、改憲反対の護憲論の憲法関係新書をよく出す。☆おそらくは、そういったことである。

このように類書が非常に多くある岩波新書の憲法関連書籍であるが、その中で・あえて一冊選ぶとすれば私は、青版の宮沢俊義「憲法講話」(1967年)を挙げる。

宮沢俊義は、言わずと知れた憲法学者の美濃部達吉の弟子である。☆美濃部達吉といえば、戦前日本にて国家法人説である天皇機関説を主張した人だ。☆美濃部は後に岡田内閣から二回に渡り「国体明徴声明」を出され、美濃部の天皇機関説は国家により排撃され明確に否定された。☆実は宮沢の師の美濃部にも「憲法講話」(1912年)という同タイトルの著作がある。☆もっとも美濃部のものは戦前の帝国憲法に関して、宮沢のものは戦後の日本国憲法に関しての「憲法講話」という違いはあるが。☆そして美濃部達吉の師は、戦時に国会にて軍国主義に抵抗した法学者であり政治家でもあった一木喜徳郎であった。☆つまりは戦前から天皇機関説の学説を介して、「一木喜徳郎―美濃部達吉―宮沢俊義」の師弟のつながりがあり、宮沢は近代日本の憲法学者として出自がしっかりしている。☆宮沢の憲法学の背後には一木や美濃部から引き継いだものが確実にあり、そこが読んで宮沢の憲法書籍には、ある種の重さの凄(すご)みがあり信頼できる。

この人は基本の憲法理論についても、個別の条文解釈にしても、個々の判例理解にても、そこまで新奇で突飛な変なことを言わない安定感がある。☆宮沢の発言や政治的立ち位置も戦前から戦中、戦後にかけてその都度、多少は変わる。☆しかし、宮沢憲法学の基本的立場は、美濃部の天皇機関説に準ずるものであって、そもそも天皇機関説とは、大日本帝国憲法の欽定憲法下にて、国民主権や民主主義を堂々と主張できない中での、それでも国民本位の政治遂行のためにギリギリのところまで煮詰めて考えられた、帝国憲法体制下にて決して憲法否定にならないよう配慮された高度に政治的な、後の日本国憲法の国民主権に連なる、主権の運用をめぐる「健全な立憲主義」への志向を有する、民主的な憲法解釈理論なのであった。

そうした戦前からの帝国憲法下の天皇主権説から故意に逸脱するような確信犯的な天皇機関説を素地にもつ宮沢俊義が、戦後の日本国憲法に関する「憲法講話」にて、戦前の帝国憲法的なものを容赦なく批判し、現行の憲法について堂々と語っている姿は、一木や美濃部らのことを思うと非常に意義深い。☆宮沢俊義は「憲法講話」の「はしがき」にて、本書タイトル「憲法講話」に関連づけ次のように書いている。

「『憲法講話』という表題には、忘れられない思い出がまつわる。…美濃部達吉先生の『憲法講話』は、出版の当時、一部の人からあたかもわが国体の基礎を揺るがさんとする危険思想を含むものの如く攻撃せられ、後の機関説事件での政治権力による学説弾圧の遠因となった。これを思うと、今の憲法の下で公刊されるこの『憲法講話』は、どのような批判をうけるにせよ、そういう政治権力による弾圧からは自由だと予想されるのは、ありがたいことである。これも、日本国憲法の前文にいう『自由のもたらす恵沢』というべきであろうか」

岩波新書「憲法講話」を始めとする宮沢俊義の著作を読むときは、同時に宮沢の師である美濃部達吉や一木喜徳郎ら近代日本の憲法学の営みをも意識して読むべきだ。☆最後に岩波新書の青、宮沢俊義「憲法講話」の概要を載せておく。

「日本国憲法に結実した人間主義・平和主義の精神は、国民が旧憲法下でのにがい体験から学びとったものであり、敗戦による荒廃から立ち上る戦後民主主義の基本原理であった。だが、今日なお『いつか来た道』へ戻そうとする動きが執拗に続いている。日本国憲法のふくむ問題点とその意味を、旧憲法とかかわらせつつ分りやすく語る」

岩波新書の書評(155)高桑純夫「人間の自由について」

72e875bd.jpg岩波新書の青、高桑純夫「人間の自由について」(1949年)は、本新書の表紙をよく見ると、青地カラー上にあるタイトル表記「人間の自由について」にて、「人間」と「自由」の文字だけ微妙に太く濃いポイント印字になっている。☆「人間」と「自由」の二語こそが肝要だ、とする著者の強い思いの表れであろうか。

本書は文字通り「人間の自由について 」述べている。☆西洋哲学史における「自由の概念の変遷」を論じたものだ。☆著者は、自由の概念の変遷契機を主に3つの歴史的事象を境に区分する。☆(1)ルネサンス、(2)フランス革命、(3)史的唯物論である。

すなわち、(1)のルネサンスにて、個人主義の近代的自我の覚醒がなされ、同時に人間主体に対する客体自然が発見され合理的自然科学が成立する。☆それから(2)のフランス革命にて、市民革命を経て「自然権」としての人権の政治的観念が成立する。☆この自然権は個人主義の経験的かつ規範的な人間の普遍的自然把握に根差したものであった。☆そうして、(3)の史的唯物論にて革命下の個人の経験的・規範的な人間理解に、さらに歴史社会の発展法則という時間(歴史)の契機が加わり、文字通り「史的」唯物論の自由の形成過程となる。☆その規範当為の本来的人間に保障されるべき「自由」は、物質的貧困窮乏に苦しむ大多数の人間疎外を打開する、より現実に根差したものとなる。☆ゆえに史的唯物論における人間の自由は、フランス革命当時の「百科全書」記述に体(てい)よく掲載され収まるような見栄(みば)えのよい、従来よりの静的鑑賞的な人間存在の自然権の「自由」概念ではなくて、現実政治の中で物質的貧困と階級格差の是正を時の政治権力に対し激しく求め抗議する、よりラディカルな人間存在への「自由」であったのだ。

こうしたことが、そのまま全て本書に厳密に記述されているわけではないが、以上のことは岩波新書「人間の自由について」を読む際の前提ないしは本書の大まかなアウトラインにはなろうし、それに類する主な事柄は確かに本新書に記載されてある。☆本書にて「ルネサンス、フランス革命、史的唯物論」の3つの時代契機により「人間の自由」の歴史を論じていることは確かで、それを西洋哲学史のなかの主要人物に結びつけると著者に依るかぎり、(1)のルネサンス以降はホッブスの自然権の「自由」の概説から始まり、(2)のフランス革命以後は主にカントの道徳的「自由」の検討に傾注し、(3)の史的唯物論は、そのままマルクスの経済社会的「自由」の解説に、それぞれ対応し論じられている。

高桑純夫「人間の自由について」を最初に手にした時、そのタイトルからして西洋哲学史における「自由の概念の変遷」を(1)のルネサンスから(3)の史的唯物論まで、3つの区分の全時代に渡り概略的に大きく広く論じる新書だと思っていたし、そうした思い込みで私は読み始めていた。☆ところが実際に読み進めていくにつれて、高桑「人間の自由について」は、特に(2)のフランス革命時の、ドイツ観念論の祖たるカントの道徳的自由論に力を入れ集中して論述していることに気づいて、非常に驚いた。☆岩波新書「人間の自由について」は、そのタイトルからは容易に予想しがたく、内容は実のところ主にカントの道徳的自由に関するものであった。☆つまりは、本書はカント哲学についての書籍なのだ。

しかも、カントの自由論について、三批判書の内の実践道徳論である二冊目に該当の「実践理性批判」の読解解説に焦点を定め、カントの道徳自由論に特化した考察である。☆そうしてカントの「倫理的自由」の内在的読み方の解説を行いながら、同時にカントの実践理性の「人間の自由」を容赦なく批判している。☆本書を読んでいると、著者からする「カントにたいする不満」、「カントの自由論につきまとう欠陥」といった率直な言葉がすぐさま目に入り、心に刺さる。

個人的な感慨として、近年のカント哲学に関する著作は圧倒的にカント礼賛(らいさん)であり、カントを肯定的にのみ捉え論じるものが多い。☆私はそうした昨今の「カント礼賛」傾向に少なからず不満を抱いていた。☆そういった意味からして、高桑「人間の自由について」にて展開されるカント批判には、実に胸がすく清々(すがすが)しい思いがする。

確かにカントはドイツ観念哲学の道を拓(ひら)いてカント以降、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルへと続く。☆ドイツ観念論においてカントは偉大である。☆しかも、カントの登場は当時行き詰まりつつあったヨーロッパの哲学界にても、西洋哲学史の危機を救う画期の「事件」であった。☆伝統的ヨーロッパの大陸合理論と新興のイギリス経験論の双方の難点を封じ利点を止揚する「第三の道」たる独自の批判哲学を当時、カントは展開できた。☆それはカントが、フランスでもなくイギリスでもない、両国の哲学を相対化できる、カントその人が紛(まぎ)れもないドイツの哲学者だからであった。

総じてカントまでのヨーロッパ哲学史を概観するとき、「人間の自由について」の観念は、個人主義の発見に伴うホップスの「自由」の定義、自由とは拘束の欠如と自己保存衝動の確保とされる、極めて感性的で素朴な定義から、後のカントに至って、人間の自由は現象界における個人の欲望充足の因果律を乗り越え、物自体の可想界にまで架橋した、他者との倫理関係における定言命題の格率遂行の主体的な判断行為に厳格なまでに高められていた。☆ここに単なる手段に堕することのない、「目的の王国」における、それ自体が目的であり尊厳性を持った人間主体の「人格」が初めて成立する。☆カント以前にて人間の自由に伴う「個人」や「人権」はあったが、「人格」は未だ存在していなかった。

しかしながら、これまた周知の通り、ドイツ観念哲学の立場にあったがゆえにフランスの大陸合理論とイギリスの経験論とを鮮やかに統合できたカントは、三批判書の中途にて早くも失速してしまう。☆今まさにフランス革命を迎えつつあるフランスでもなく、すでに名誉革命を終えたイギリスでもない、いまだ中央集権化がならず領邦絶対主義国家の分裂状況たる後進国・ドイツの哲学者であったがゆえに、彼の実践哲学は現実行動の場を持たず、実践理性の世界は・ひたすら個人の内面に収斂(しゅうれん)する。☆カントの「実践理性批判」は、非常に厳格な各個人の内面にのみ課せられた格率遂行の道徳的要請に終始した。☆カントの実践理性の哲学は、個人に対し現実世界にて何ら政治的・社会的な行動の義務を課さなかったのである。☆カントにおける「自由」は、政治的自由ではなくて、あくまでも道徳的自由であった。

本書にて展開されるカント哲学批判も、カントの道徳的な「人間の自由について」、それが観念的であり教説的であるということが批判論拠の柱になっている。☆事実、カントの哲学は驚くほど実に精密であったが、あまりにも観念的過ぎた。☆カント批判を展開すると同時に、「なぜカントの実践理性の哲学は、個人に対し現実世界にて何ら政治的・社会的な行動の義務を課することなく、カントにおける『自由』は、政治的自由ではなくて、どこまでも道徳的自由の観念論的厳格主義(リゴリズム)に終始したのか」についても、当時の未だ中央集権化ならず政治的市民革命が果たせないドイツの後進性と、カントその人のキリスト者たる個人の人間資質の面から著者は的確に分析・指摘している。☆この点は、特に本書の「第六章・自由と責任」の「第二節・カントの自由論」と「第三節・その批判」にて詳細に考察されている。

こうした「リゴリズムの厳格主義で観念論的過ぎる」とする旨の、著者からの「カントにたいする不満」や「カントの自由論につきまとう欠陥」のカント哲学批判は、本書が出版された1950年前後の敗戦直後の日本の哲学思想界の状況に支えられ、実に見事に対応していた。☆当時の戦後社会の時代の雰囲気として、カントを始めとするドイツ観念哲学に対する批判の素地は確実にあった。☆岩波新書「人間の自由について」にて直接に言及されてはいないが、本書を執筆時の著者に、京都学派の西田哲学など、戦中昭和の多くの日本の哲学者らがカントやヘーゲルを始めとするドイツ観念哲学にイカれていたことに対する反感や、カントの観念哲学が敗戦後の日本社会の混乱、特に人々の物質的困窮問題に際し何ら解決の方策を示し得ず無力であることへの失望の思いがあったからだと本書を読むにつけ本文行間から、それとなく窺(うかが)い知ることは出来る。☆実践哲学の観点から「カント哲学の意義」を否定しようとする、例えば以下のような、やや感情的な著者の書きぶりからして、そうだ。

「パンが足りず、着物が足りず、住宅が悪かったら、自由だけではたいしたことはできない。自由だけで暮らしていくのは非常に困難である。よく、そして、楽しく生活するには、自由という富が、物質的な富でおぎなわれることが必要である。自由は、おそらくはこういうものであろう。…私たちにとって、いままさに自由の中心問題と見えるところのものが、カントには、無類の邪魔ものとしか映っていない」

そして著者はさらに以下のように続ける。

「まさにこのような現代社会に立つわれわれである。とすれば、現代のわれわれにとって、たとえばカントのいう実践的自由のような自由が、いかに精密に分析され、またいかに厳格に論証されようと、それがいったい何の意義をもちうるであろう」

こうしてカントにおける道徳的「自由」が、現実の物質的窮乏を始めとする現代社会の人間疎外の根本問題に何ら解決の意義を持ち得ないことを指摘しカント哲学を容赦なく批判し尽くした後で、著者は「人間の自由とは、客体の運動・性質を支配する必然的法則を捕捉して、逆に人間がその客体を自己の統制下におくとき、つまり人間が物の主となったときの自主性をいうのである」という、「反デューリング論」にてマルクスが展開したような発展止揚な経済社会的「自由」への展望を最終章にて少しだけ語る。☆しかし、残念ながら本書は、そこで終わってしまう。

岩波新書の高桑純夫「人間の自由について」(1949年)は、主にカントの観念論的な道徳的「自由」に関し述べ批判したものであるが、続くマルクスの実践的な史的唯物論における経済社会的「自由」については、同じく岩波新書の田中清一「自由の問題」(1959年)にて集中的に述べられている。☆高桑「人間の自由について」がカントの道徳的「自由」に関して、田中「自由の問題」がマルクスの経済社会的「自由」についての書籍と論じ分けられており、実は二冊で続き物になっているのだ。

この辺りの趣向、当時の岩波新書編集部の編集方針は心憎いばかりである。☆昔の岩波新書には隠れた名著が多くある。☆それらを発掘し再発見して読み返す楽しみと喜びが確かにある。☆岩波新書の青、高桑純夫「人間の自由について」を読了後は、すぐさま続けて同新書の青、田中清一「自由の問題」を読むことを、お薦めする。

岩波新書の書評(154)坂井豊貴「多数決を疑う」

72e875bd.jpgある書籍が世評に受けて広く読まれるのは、当然その書物の内容が優れているからであるが、その他にも著作にて取り上げられている話題のトピックが人々の関心や時代の気分に見事に合致し、爆発的に読まれることはある。

岩波新書の赤、坂井豊貴「多数決を疑う・社会的選択理論とは何か」(2015年)は内容が優れた良書であることは言うまでもないが、やはり「多数決を疑う」という本書の内容が2000年代以降の人々の時代の雰囲気に合って「言い得て妙」な絶妙なテーマのため、近年の岩波新書の中では特に好評で、ここまで広く読まれているのでは、私は本新書を一読して・そうした思いがした。

事実、2000年代以降の自民党を主とする保守政権の安定継続の一人勝ち状態は、国政選挙にて有権者の国民の多数の支持を得た政権であるにもかかわらず、明らかに従来よりも酷い、復古右派的政策と新自由主義的政策の両輪駆動である。☆近隣東アジア諸国を敵対視し強硬に出て右派の国家主義者らの歓心を買い、他方で市場経済万能主義だが、明白に特定の経済団体や一部の富裕層に対してのみ「保護」の意向が働く「日本型」新自由主義にて、彼らだけに利するような政治を昨今の政府は強引手法で連発している。☆ここに、代表民主制にて選挙の多数決で正統に決まった政権与党のはずなのに、大部分の国民の政治的意向が反映されず、現在の多くの人々が、そもそもの「多数決を疑う」気分の雰囲気が社会にて醸成(じょうせい)されている。☆そうした社会の心的雰囲気に対応する形で、岩波新書「多数決を疑う」は人気で今日、幅広く読まれているに違いないというのが私の見立てだ。

「選挙の仕組みに難点が見えてくるとき、統治の根幹が揺らぎはじめる。選挙制度の欠陥と綻びが露呈する現在の日本。多数決は本当に国民の意思を適切に反映しているのか?本書では社会的選択理論の視点から、人びとの意思をよりよく集約できる選び方について考える。多数決に代わるルールは、果たしてあるのだろうか」(表紙カバー裏解説)

「多数決は本当に国民の意思を適切に反映しているのか?」、これは今日の日本の政治に対し多くの国民が抱いている率直な実感であると思われる。☆ここで間接民主制であるイギリス人民主権の矛盾に対する例の有名な、ルソーの言葉を引用しておいても無駄ではあるまい。☆「英国人は自分では自由だと思っているけれど、自由なのは選挙で投票する瞬間だけで、その後は再び奴隷に戻る」。☆多数決の民主制は必ずしも民意を正確に反映しないことへの虚無が、ここにある。

岩波新書「多数決を疑う」は主に三つの次元の考察記述からなる。☆まず「多数決を疑う」に当たり、意見集約の方式について、多数決以外にも類似の方法ルールを挙げて、それらの利点と難点とをマトリックス形式の評価表にて、統計原理的に考察する。☆この記述では、統計確率学的観点からの法則や現象や矛盾の指摘があり、落ち着いてじっくり読まなければ内容を正確に理解できない。☆丁寧で慎重な読みが求められる、本書の大部分を成す重要な箇所だ。

次に「多数決を疑う」議論について、フランス革命の時代にまで遡(さかのぼ)り、コンドルセやルソーらの多数決評価の思想に触れている。☆そもそも多数決にて個人の意見を集約しようとするのは、伝統や権威、宗教や君主に任せるのではなく、自分達のことは自分達で決めようとする近代政治の確立と共に再び注目され始めた考えだ。☆そのためコンドルセらフランスの啓蒙思想家たちも多数決について、前述引用のルソーによる代表民主制に対する皮肉に見られるように、その問題点も含め主体的に精密に考えられてきた。☆この部分のルソーらによる多数決に関する歴史的議論の記述を読むことで、多数決という意見集約の歴史的定着の過程や、その仕組みの原理的問題の深さを知ることが出来る。

さらには「多数決を疑う」ことについて、一般論のみならず現代日本の実際の時事問題を具体例に挙げ、それらに結びつけて論述展開している。☆例えば「小平市の都道328号線問題」(一般利益ではない、人々の関心の濃淡がある特殊利益の決定に多数決を導入することの問題)や、「64%多数決ルールの憲法改正への適用」(過半数とは多数決で物事を決める際の最低ラインであり、計算数値で出た望ましい民意反映の正当な可決ライン63・2%を改憲の国民投票における可決ラインにするべき)などがある。

本書は人気で多くの人に読まれており、それゆえ書評やブックレビューも多い。☆特に後者の「64%多数決ルールの憲法改正への適用」にて、それが日本国憲法改正条項に関し、現行の国民投票における改憲可決ラインが過半数というのはハードルが低い、憲法改正には「64%多数決ルール」を適用して、国民投票の可決ラインを64%程度まで高めるのがよいとする本書にての著書の主張に対し、別に著書は思想的立場が護憲論の改憲反対であるからではなく、多数決の統計学的原理の妥当観点から・ただ単に国民投票の可決ラインを現行の過半数から引き上げるべきとしているだけなのに、そこに「改憲阻止のための護憲派による不純な政治工作」を勝手に見出だし、激怒して攻撃する改憲論者らの本新書に対する感情的で極端な低評価が時に見られる。☆この辺り、岩波新書「多数決を疑う」は内容の優れた良書であるだけに、さすがに著者は「もらい事故」のような感じで非常に気の毒な思いがする。

さて、本書では「多数決の精査とその代替案を模索すること」がテーマである旨が「はじめに」にて述べられている。☆本論にて多数決が適切であり最良・最善であるとする「多数決を自明視」する俗説に著者は疑問を呈しつつ、また「多数決で決めた結果だから民主的」や「多数決の選挙で勝った自分の考えが民意」といった、「多数決こそ民意であり正義」とするような傲慢な多数派による数の暴力、特に少数派への抑圧姿勢を暗に批判しながら議論を進めている。☆「多数決の精査」については、「票の割れ問題」(僅差で敗れた二位票がすべて死票になってしまう)や、「ペア敗者」の問題(他のあらゆる選択肢に負けている「第三の最も弱い者」であるのに、全体での多数決だと最多票を得て勝利してしまう)など、多数決が抱える難点を指摘しつつ、多数決以外の他の意見集約方法も精査して、それら利点と問題点を一覧し、まとめている(58・59ページ)。

意見集約の方法として、基本は過半数以上の単純採決により決定される「多数決」の他に、例えば「ボルダルール」や「ゴンドルセ・ヤングの最尤法(さいゆうほう)」などがある。☆ボルダルールとは、1位に3点、2位に2点、3位に1点というように順位別に等差のポイントを付け加点していき、最終的な一番を決めていくやり方である。☆ゴンドルセ・ヤングの最尤法とは、選択肢が三つ以上ある場合、選択肢を二つずつ取り出してペアごとに多数決をし全てのペア組み合わせの勝敗「データ」を集めて、最後に序列順位を決定する方法をさす。

その比較精査の作業によれば、著者においては「総合的な評価としてボルダルールはよい」ということになりそうだ。☆事実、著者は次のように述べている、「一つの選択肢を決める投票では、ボルダルールとゴンドルセ・ヤングの最尤法が、非常にうまくできた集約ルールである。どちらか一方を選ぶならば、筆者はボルダルールを勧める」(59ページ)。

また「多数決の問題を克服する代替案」については、著者は多数決そのものを全否定するのではなく、その限界の問題点を指摘しながら、少数派は多数決の投票結果に従わざるを得ない現状の不条理を踏まえ、「多数決の暴走への歯止め」として以下の3つの処方箋を提示する。☆多数決に対してへの改良見地の立場である。

「(1)多数決より上位の審級を防波堤として事前に立てておく(特に自由や権利の侵害に関する事柄は、多数派が少数派を抑圧する法律や施策が出来ないよう、上位の憲法がそれを禁止するというのが立憲主義のやり方である)。(2)複数の機関で多数決にかける(例えば、立法府を衆議院と参議院の二院に分けて、両院の多数決を共にパスしないと法律を制定出来ないようにする)。(3)多数決で物事を決めるハードルを過半数より高くする(ただの多数決だと過半数の支持さえ得られれば法案が通るので、提案者は少数派に配慮する必要が乏しく、またそこへ意識を向ける誘因が働きにくい。ハードルを過半数より高くすると、提案者がより広い層を配慮するようになる)」(81―83ページ)

岩波新書の坂井豊貴「多数決を疑う・社会的選択理論とは何か」を一読して痛感するのは、多数決が常に適切であって最良・最善であるとする「多数決を万能視すること」の危険性だ。☆以前にテレビ討論にて、ある著名な「国際政治学者」の方が、「選挙で勝った方が民意で、国会で多数決で決まった結果が民主的なのだから、負けた少数派は多数派に従うのは当たり前だ。悔しければ選挙で勝って国会で多数を組織してみろ」というような捨て台詞を吐いたのを聞いて、私は一瞬・自分の耳を疑った。☆とても信じられない思いがした。

何でも多数決で決めて、常に多数派が正しいわけではない。☆多数決の暴走はありうるし、多数派による少数派への抑圧の横暴も起こりうる。☆そもそも多数決で決定する事柄は、必ずどちらかの意見・立場を表明し意思決定しなければならない早急の政治上の判断など、実は相当に限られた例外事象の、まさに「究極の選択」なのであって、互いの利害対立が鋭くある場合や人々の関心の濃淡が幅広くて合意形成(メタ合意)が不可能な事柄は、もともと多数決による投票対象にはならない。

例えば昨今の国内政治の国会運営にて、政府と与党は人数的に多数を占めているので、成立させたい政策法案は形式的な審議をやり、その上で最後は強行採決の非情手段も含む多数決にて次々と政策実現させていっているが、それは毎回、必ずしも民意を正確に反映したものとはいえない。☆時の内閣や与党が公正な選挙にて多数決に支えられて、国会で正統に多数派を占めているとしてもだ。☆だから、反対派の少数派の野党は、政府と与党の数の横暴に対抗し、時に審議日程を延ばして時間切れの廃案に持ち込んだり、内閣不信任案決議を出して時間稼ぎをしたり牛歩戦術にて投票の遅延行為に出て抗議の意を示したりする。☆そもそも多数決の数の論理によって決定判断に適さない政策法案もあるのだから、採決することになれば多数派の政府と与党に必ず敗北する少数派の野党が、審議の延長や不信任案提出や牛歩の戦術に出るのも、正当な一つの民主的手段として尊重されるし認められる。

常に何でも多数決にて意見集約し決定することが正しいとは限らないのである。

岩波新書の書評(153)森川智之「声優」

72e875bd.jpg普段からアニメや映画の日本語吹き替えやドキュメンタリーなど観ることは多いが正直、私は特に声優を気にして鑑賞することは、これまであまりなかった。☆岩波新書の赤、森川智之「声優」(2018年)は、現役の人気声優であり、またプロダクション経営もなす著者が「声優」という「声の職人」について語る新書だ。

誠に失礼ながら、森川智之という声優のことを本書を読むまで私は知らなかった。☆森川智之は人気声優であり、ファンから「帝王」と呼ばれているらしい。☆アニメやゲームや映画吹き替えやナレーション、加えてプロダクション経営や後継声優の育成も手掛けるなど幅広く活躍しており、声優として業界ではベテランの人物らしい。☆著者は1967年生まれだが、本書掲載写真を見ると非常に若々しくスマートでビジュアルがよい。☆私より歳上であるのに、確実に私よりも若く見える(笑)。

昔は声優といえば、比較的日陰(ひかげ)のマイナスなイメージがあって、もともと俳優や歌手志望であったのだけれど、そちらの本業で活躍できない人が不本意ながら声優やナレーションの裏方仕事に流れていく事例が多かったと聞く。☆だが、近年では声優の仕事そのものが人気であり、最近の人は最初から声優志望で「声優になりたい」人が、ほとんどらしい。☆また昨今の声優は声のみの裏方の仕事だけでなく、本人が顔出しで積極的に表に出てライヴをやったり写真集を出したり、一般の俳優やタレントをしのぐ勢い人気であるようだ。☆おそらくは、そうした声優人気を背景に、岩波新書「声優」は企画され出版されている。☆「声の職人」たる「声優」の実像や日常の仕事や業界の実際について知りたい読者が、潜在的に多くいるに違いない。

本書は森川智之という声優の日頃の仕事ぶりや氏が声優になったきっかけ、声優の育成システムや業界のあり様、森川が力を入れている後継育成の取り組みや自身の声優という仕事に対する思い、今後のことなどを語りの談話形式にて縦横無尽に述べている。

岩波新書「声優」を一読して、声優という仕事に非見識ながら素人の私が率直に感じた特に印象深かった内容は以下の二つだ。

まず、著者である森川智之その人が、相当に優秀である。☆森川が声優の世界に入ったきっかけは、10代の頃に当時活躍中の現役声優が主宰する養成所への入所であるのだが、そこで先生に「声が大きいね」と誉(ほ)められ、かつ「きみは声が大きい。発声もできているし滑舌もいいから、他のクラスの発声練習を先生として見てくれ」と言われ、新入の研究生でありながら同時に声優養成所の講師までやっている。☆森川智之いわく、「自分のクラスの授業は生徒として受けながら、他のクラスの授業を担当するという不思議な経験もしました」。

これは素人目からみて、かなわないと思う。☆声優としての資質以外にも、この人にはコミュニケーション能力や社会人としての常識、「この人と一緒に仕事をしたい」と人に思わせる信頼感や安心感の人間的魅力がそもそもあって、それに後に声を通して自在に感情表出できるなど声優としての技術(テクニック)が研鑽(けんさん)され加味されて、以後ずっと声優として第一線にて活躍の実績キャリアがあるのであり、森川智之は相当に例外、普通の人には到底マネのできないような特異な事例であるように思えた。☆とりあえず養成所に研修生として入ったら、いきなり「他のクラスの発声練習を先生として見てくれ」と頼まれるというのは普通の人には、なかなかあり得ないことである。☆この人の声優のなり方や業界での成功事例は・かなり特殊であり希(まれ)で、一般人にはあまり参考にならないのでは、の率直な感想だ。

また声優の森川智之は、トム・クルーズのほとんどの作品を担当する専属吹き替えということだが、そのきっかけとなるトム・クルーズの吹き替え役オーディションの過程、キューブリックの作品「アイズ・ワイド・シャット」(1999年)の吹き替え役に決まるまでのエピソードが読んで非常に興味深いし、面白い。☆映像に関して異常なまでの完璧主義を誇る本格派の映画監督、スタンリー・キューブリックであったが、その映画作品の日本語吹き替えスタッフもキューブリックに負けず劣らず相当な完璧主義のプロフェッショナルな仕事を要求する硬派で職人気質な人達だったことが分かる。

声優として成功するには、「この人物やキャラクターならば、絶対にこの人の声でなければダメだ」と多くの一般の人々に思わせる、世間にそう認知させる自分にしかできない声優としての定番のアタリ役仕事を手に入れることが重要ではないか、と思える。☆古い例で申し訳ないが(笑)、例えばテレビ映画の「刑事コロンボ」の日本語吹き替えなら小池朝雄だとか、ジャッキー・チェンの日本語吹き替えなら絶対に石丸博也だとか、アニメ「サザエさん」ならフグ田サザエの声は加藤みどりでなければ違和を感じる視聴者が多いなど。☆そうした自分にしか出来ない、他の人では代替がきかない、世間の人達を納得させるような定番イメージ構築の役柄仕事を持っている声優は、末長く活躍できるのではないか。

さて、岩波新書「声優」を実際に手にして読む人とは主にどういった人達であろうか。☆まず、森川智之のファンが彼のことをもっと知りたいと思い、本新書を手にするだろう。☆次に将来は声優の仕事に就きたい、声優志望の若い人が本書を読むと考えられる。☆この点に関しては語り手の森川も、また岩波新書編集部も・あらかじめ強く想定いるらしく、本論にて「声優育成の専門学校の授業料の妥当額」の話や、森川智之からする「声優を目指す人に、これだけは伝えたいこと」など声優志望の読者へ向けた実践アドバイスの話が多くある。☆さらには「声優」という職種を外して、一般の社会人が「自身の仕事にどう向き合うか」、「自分にとっての天職の見つけ方」の仕事論として一般化しても読める。☆声優・森川智之の仕事に対する認識や姿勢は実に立派であると私は感心した。☆本書を一読して、声優以外の職業に従事している者も見習いたい参考になる箇所が大いにあった。

そして最後に、ただ単にアニメやゲームが好きなだけで将来その分野に関わる仕事に何となく就きたいと楽観的に考えているプロ根性の覚悟が希薄な若い人が近くにいて、もし自分の家族や親族の子どもで「アニメが好きだから将来はアニメに携わる仕事をやりたい、声優の専門学校に行きたい」としている人に、本書を黙って・おもむろに渡し、「プロの声優になるには、これほど大変なのだ。例えば養成所に入所したら、いきなり講師もやってくれと頼まれるような、それほどの才能資質と人間魅力がある人でないと、森川智之のような声優業界での成功は難しい。それほど選ばれた人にしか通用しない厳しい業界なのだ」と暗に無言で知らしめ説得する、その辺りが岩波新書の赤、森川智之「声優」の最適な使い方であり読まれ方の落とし所であるように私には思えた。

岩波新書の書評(152)河原理子「戦争と検閲」

72e875bd.jpg岩波新書の赤、河原理子「戦争と検閲」(2015年)の表紙カバー裏解説文は、相当に力が入っている。

「『生きている兵隊』で発禁処分を受けた達三。その裁判では何が問われたのか。また、戦後のGHQの検閲で問われたこととは?公判資料や本人の日記、幻の原稿など貴重な資料を多数駆使して、言論統制の時代の実像に迫る。取材し報道することの意味を問い続けて来た著者が抑えがたい自らの問いを発しながら綴(つづ)る入魂の一冊」

著者の河原理子は朝日新聞記者を経て、雑誌「AERA」編集長、文化部次長、編集委員、甲府総局長などの職を歴任している。☆元現場の新聞記者だけに報道ジャーナリズムの自由の問題に深い関心を持ち、戦時中の国家による言論規制・検閲のトピックに関し、特に新聞雑誌に対する報道規制(国家の「安寧秩序」を乱し、風俗を害すると見なされた場合の事前の発禁措置と差し押さえ、発売後の回収命令など)たる過去に施行された「新聞紙法」(1909―49年)の実態に結びつけて、言論表現の自由を再び制限しようとする今日の国によるマスコミ規制の反動化に著者は強く警鐘を鳴らす。☆ゆえに前述引用のような、「取材し報道することの意味を問い続けて来た著者が抑えがたい自らの問いを発しながら綴る入魂の一冊」の力の入った解説文となるわけである。

河原理子「戦争と検閲」の副題は「石川達三を読み直す」である。☆石川達三(1905―85年)は後に「社会派」と呼ばれた文学者であり、第一回芥川賞受賞者である。☆石川は日中戦争当時、総合雑誌「中央公論」の特派員として中国大陸に渡り、従軍取材を行った。☆石川達三「生きている兵隊」(1938年)は、中国北部から南京に転戦して入城するある部隊の姿を描いた小説である。☆本作品は「中央公論」1938年3月号の看板寄稿になるはずたった。☆ところが、当時の内務省により発売頒布禁止処分、いわゆる「発禁処分」にされたのだった。☆その後、石川は警視庁での取り調べを経て新聞紙法違反の罪で刑事裁判にかけられ、有罪判決を受けた。☆これは筆禍事件である。☆国家による言論弾圧事件の典型であった。

「生きている兵隊」事件の一審裁判の記録と当時の警視庁の「聴取書」や「意見書」を石川達三の子息である石川旺(さかえ)が所有しており、本書は、それら裁判記録と達三の未発表原稿(「南京通信」など)、非公開日記を著者が氏との縁で閲覧させてもらったことによる、新発掘資料の公表が今回の新たに「石川達三を読み直す」の目玉となっている。

本書にて引用されている石川達三の一審裁判(禁錮四ヶ月執行猶予三年の有罪判決で確定)での、判事による判決理由は以下である。

「八田卯一郎判事は判決理由のなかで、『生きている兵隊』の四つの記述を挙げた。(1)瀕死の母を抱いて泣き続ける中国娘を銃剣で殺害する場面、(2)砂糖を盗んだ中国青年を銃剣で殺害する場面、(3)前線は現地徴発主義でやっているという話と、兵士たちが『生肉の徴発』に出かける話、(4)姑娘が『拳銃の弾丸と交換にくれた』という銀の指環を笠原伍長らが見せる場面。これら『皇軍兵士ノ非戦闘員ノ殺戮、略奪、軍規弛緩ノ状況』を記述し…これらの掲載事項が安寧秩序を紊乱(びんらん)する」(109ページ)

つまりは、「事変進行中に安寧秩序を紊(みだ)す作品を掲載した」というのが石川の有罪判決の理由である。☆この「戦時の安寧秩序を紊す」理由で有罪の判決が出るに先立ち、法廷にて石川の次のような答弁があった。

「なぜ戦場への派遣を希望したのか、と八田卯一郎判事に問われて、達三はこう答えている。『日々報道スル新聞等テサヘモ都合ノ良イ事件ハ書キ真実ヲ報道シテ居ナイノテ、国民カ暢気ナ気分テ居ル事カ自分ハ不満テシタ。…殊ニ南京陥落ノ際ハ提灯行列ヲヤリ御祭リ騒ヲシテ居タノテ、憤慨ニ堪ヘマセンテシタ。私ハ戦争ノ如何ナルモノテアルカヲ本当ニ国民ニ知ラサネハナラヌト考ヘ、其為ニ是非一度戦線ヲ視察シタイ希望ヲ抱イテ居タノテス』」(97ページ)

確かに、石川達三「生きている兵隊」を読むと小説でありながら、当時の判事が「事変進行中に安寧秩序を紊(みだ)す」と苦言を呈し有罪判決にするような、大陸前線での日本人兵士による中国現地の非戦闘員である民間人に対するの戦時(性)暴力の実態、「皇軍兵士ノ非戦闘員ノ殺戮、略奪、軍規弛緩ノ状況」を石川達三は何ら悪びれることなく、殊更(ことさら)隠そうともせず、従軍取材を通じて自分が見たままのことを書いている。☆現在でも石川の「生きている兵隊」は絶版にならず出版されており普通に入手して読めるが、先に判事が指摘した戦場の4つの記述事例の他に、私が読んで強く印象に残ったものでも、例えば、

「(当時の日本軍の敵兵捕虜の扱いにて軍内部で組織的に日常的に殺害していたことに関し)こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。自分たちがこれから必死な戦闘にかかるというのに警備をしながら捕虜を連れて歩くわけには行かない。最も簡単に処理をつける方法は殺すことである。しかし一旦つれて来ると殺すのにも骨が折れてならない。『捕虜は捕らえたらその場で殺せ』。それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された」。

「(日本軍内部での上からの命令の組織的公認のかたちで、「支那軍の正規兵」のみならず「女子供」の非戦闘員も日常的に殺害していたことについて)南京に近づくにつれて抗日思想はかなり行きわたっているものと見られ一層庶民に対する疑惑はふかめられることにもなった。『これから以西は民間にも抗日思想が強いから、女子供にも油断してはならぬ。抵抗する者は庶民と雖(いえど)も射殺して宜(よろ)し』。軍の首脳部からこういう指令が伝達された」

などの記述がある。☆これらの記述は、今でも石川著「生きている兵隊」を読めば容易に確認できる。☆石川達三の書きぶりからして、当時の日本軍は南京侵攻の過程で「現地徴発」という名の略奪、「生肉の徴発」と称する若い女性の連れ去り、捕虜の虐殺、女性と子供の殺害を上からの命令で組織的かつ日常的に行っていたことが分かる。

確かに、作者の石川達三は末尾に「本稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものであり、従って部隊名、将兵の姓名なども多く仮想のものと承知されたい」という付記を置いている。☆結局これは、「どの部隊がモデルになっていて、作中の将兵らは一体・誰なのか」具体的な追及や混乱を避けるための著者の石川達三の配慮であって、この作品に書かれてること、「生肉の徴発」と称して若い女性を探したり、捕虜や女性・子供の非戦闘員を容赦なく日常的に殺したりするのは、石川が従軍取材して実際に目にしたことであろう。☆なぜなら、石川達三は公判証言にて、先に引用したように「日々報道する新聞等は都合の良い事件ばかりを報道して、国民が前線兵士の真実を何ら知らず、暢気(のんき)な気分でいる事が自分には不満だった。殊(こと)に南京陥落の際には国内では提灯行列をやって御祭り騒ぎをしたりして、自分としては憤慨に堪(た)えなかった。私は戦争とは如何なるものであるか、真実を国民に知らせねばならないと考えて、そのために戦線視察を希望した」旨を、彼は従軍し小説執筆をした自身の根本動機として明快に述べているからだ。

従来より日本軍の大陸での民間人に対する戦時(性)暴力の実態を、全くなかったことにして全否定したい、もしくは仮にあったとしても非日常の偶発事故の例外的事例や一部の心ない個人の突発的暴走にして、日本軍が組織的に奨励したり公認していたことにしたくない、右派や保守や歴史修正主義者らは、「生きている兵隊」での「生肉の徴発」の若い女性の連れ去りや捕虜や子供ら非戦闘員への容赦のない組織的・日常的な殺戮も「小説中のフィクション」であり、実際にあったことではないものとして理解し処理しようとしてきた。☆その際には、石川が作品末尾に付した「本稿は実戦の忠実な記録ではなく」の一文が彼らの主張の根拠になっていた。

しかしながら、「日々報道する新聞等は都合の良い事件ばかりを報道して、国民が前線兵士の真実を何ら知らず、暢気(のんき)な気分でいる事が自分には不満であったし憤慨に堪(た)えなかった。私は戦争とは如何なるものであるか、真実を国民に知らせねばならいと思った」ほどの熱意を持って従軍取材に志願し大陸前線の南京攻略部隊に密着した石川達三なのであるから、小説「生きている兵隊」末尾にて、いくら「本稿は実戦の忠実な記録ではない」云々の付記があったとしても、日本軍による現地の民間中国人に対する殺戮・略奪が全くの虚偽のフィクションで誇張の創作などとは到底、考えられない。☆何しろ、「国民が前線兵士の真実を何ら知らず、暢気(のんき)な気分でいる事が自分には不満で憤慨に堪(た)えなかった」とするほどの怒りに震え、真実を求めて戦地に赴き、戦争小説「生きている兵隊」を書き上げた石川達三であるのだ。☆その石川が「生きている兵隊」の戦場での具体的行為について、嘘や誇張を交えて書くことはあり得ない。☆石川による末尾の「本稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものであり、従って部隊名、将兵の姓名なども多く仮想のものと承知されたい」という付記は、「どの部隊がモデルになっていて、作中の将兵らは一体・誰なのか」具体的な追及や混乱を避けるための著者の石川の配慮であって、この作品に書かれてある日本軍による組織的・日常的な戦時(性)暴力の実態は実際にあったことと読み取るのが妥当である。

ここは非常に大切な所なので、以前より日本軍の大陸での一般市民に対する戦時(性)暴力の実態を、全くなかったことにして全否定したい、もしくは仮にあったとしても、それは突発例外的な個人の暴走であって、日本軍が上から奨励したり公認して組織ぐるみでやっていたことにしたくない、右派や保守や歴史修正主義者の方々は特に熟考して、よくよく冷静に考え直して頂きたい。

結局のところ、石川達三「生きている兵隊」の筆禍事件に関し、その真相は、石川は「国民が前線兵士の真実を何ら知らず、暢気(のんき)な気分でいる事」に激怒し、大陸最前線での日本の「生きている兵隊」の真実の実態を銃後の日本国内の国民に正確に伝えたいがために、彼は従軍取材して、まさに「生きている兵隊」の戦争小説を執筆したのだった。☆そのため、この人の場合、非戦闘員にまで及ぶ一般市民に対する殺戮、性的暴力、略奪、放火といった前線部隊での「生きている兵隊」の残虐で非人道的な実態を書きはするが、そこに「人道的立場からの反戦意識」や「戦時暴力に対する倫理的糾弾」など、ない。☆ただ単にリアリズムを目指して、現地での日本軍の見たままを、捕虜・非戦闘員の虐殺も略奪も別に悪びれず、殊更に隠すこともなく、そのまま素直に正直に素朴に石川は書くだけである。☆それこそが銃ではなくてペンを以てする、文学者たる自身の国への戦争協力であると自覚し石川達三は、戦時中に作家活動に邁進したのであった。

そうして、石川の「生きている兵隊」は余りにもリアリズムがありすぎて真実を追求し、容赦なく日本軍の前線兵士の実態を書いてしまい、それは「皇軍兵士ノ非戦闘員ノ殺戮、略奪、軍規弛緩ノ状況」を明るみに出して、「事変進行中に安寧秩序を紊(みだ)す」ような、人道的見地からの非倫理の蛮行や軍の統率コントロールが出来ていない日本軍の不名誉の「不都合な真実」を国民一般の世間に知らしめることになるので、石川「生きている兵隊」は新聞紙法に抵触して発禁処分となり、石川達三は有罪判決になったというのが実の所であった(96―111ページ)。☆国家としては、前線兵士の日常的な残虐行為や軍規律の現地での乱れの組織崩壊(当時の国際条約からして、捕虜や民間人の殺害は軍規違反の戦争犯罪に該当する)を絶対に国民に知られたくなかったのである

従来からの戦争小説「生きている兵隊」をめぐる規制検閲、国家による言論弾圧に抵抗し報道ジャーナリズムの自由を守ろうとした石川達三の「勇敢」イメージとは微妙に異なる、石川「筆禍」事件の真相である。☆石川達三は反戦意識から国策遂行の戦争批判にて「生きている兵隊」を執筆し、それゆえの発禁処分で言論弾圧になったわけではない。☆むしろ、真相は逆で、石川達三からする文学者の戦争協力のあり様が戦時の日本の軍隊の真実を暴露しすぎて過激すぎるため、国の方が慌てて「生きている兵隊」の作品掲載を諌めた(いさ)めた「検閲」の「言論弾圧」の実情であったのだ。

この辺の事情を、一審裁判の記録と当時の警視庁の「聴取書」や「意見書」を保管していた達三の子息である石川旺は、公判記録を事前に読んで知っていた。☆だから、「戦争と検閲」の著者・河原理子が「石川達三の話を詳しく聞かせてほしい」とお願いしても、石川旺は上手い具合に・はぐらかすし、いよいよになると「戦後、達三は自由主義者としてメディアに取り上げられたようですが、自由主義者というわけじゃあない」と石川旺は河原理子に語ったりする。☆この「戦時に検閲に引っ掛かって弾圧されたといっても、達三は戦争遂行の国策に抵抗した自由主義者だったというわけでは決してない」旨の発言は、非常に含みのある味わい深い言葉だ。☆まさに「石川達三は一筋縄ではいかない」のである。☆その辺りの現実の微妙で複雑な「石川達三の読み直し」を、岩波新書の赤、河原理子「戦争と検閲・石川達三を読み直す」は私たちに教えてくれる。

岩波新書の書評(151)成毛眞「面白い本」

c3905930.jpg岩波新書の赤、成毛眞「面白い本」(2013年)は、著者が太鼓判を押す「これは面白い!」のノンフィクション書籍を100冊紹介する内容だ。☆世評の読書アンケートにて本新書があまりにも人気で評判が良いので先日、手にして読んでみた。

本書は「面白い本」を100冊、全9章に分けてリストアップしている。☆当然、紙数の限られた比較的薄い新書にての100冊紹介なため、1冊あたりの解説文は少ない。☆1冊につき1ページ程しかない。☆実際に読んでみて本格書評というよりは、軽妙で面白いコメントを付した読書リストのカタログ広告本といった印象だ。☆著者は「この本は面白い!」というが、「一体どこが面白いのか、なぜ面白いのか、掘り下げてより詳しく教えてもらいたい」の率直な思いが残る。

やはり近年の主にネット社会にて流通人気の書籍の文章術は、理性的に精密に深く感得させて読ませるよりも、もはや感性的に見る「カタログ文化」の文章記述というか、読む文章であっても、特定の狭い間口の読者に対し突っ込んで腰を据えて細かに掘り下げて語るよりは、瞬間的に広く人々の耳目を集め注目させ関心を持たせて、そのまま読ませる読書行動にまで不特定多数の人を誘導する技術(テクニック)が必要で、そのためには時に突飛な語り口や面白いインパクトのある言葉の選択、読む動機に即つながる目的・効用の抜け目ない宣伝と、出来うる限り短く・まとめて終わらせる、無駄に読み手を甘やかす、忍耐や根気を要求しない情報量や難易度や文章容量の軽短さへの配慮など、そういう書籍が好まれる読書のあり様なのだと思う。

残念ながら最近の読者は、誘導テクニックの突飛な語りや面白いインパクトのある言葉、読む動機に即つながる目的・効用の直接提示や、忍耐や根気を要求しない読み手への配慮などなければ、もはや書籍を読んではくれないのである。☆そして私は、そうした軽佻浮薄(けいちょうふはく)な読書傾向を、どちらかと言えば嫌悪するのだけれど。

岩波新書の赤、成毛眞「面白い本」は、何よりも著者の書く紹介・推薦の文章が今風で適度に軽く面白い。☆例えば以下のような本新書の紹介文は一見、考えなしに即興(インスタント)で軽く書かれているように思えて、実のところ戦略的に事前に十分に練って、よくよく考えて周到に記述されている。

「面白いにもホドがある!書評サイトHONZの代表が太鼓判を押す、選りすぐりの面白本100冊。ハードな科学書から、シュールな脱力本まで。いずれ劣らぬ粒ぞろい。一冊でも読んだら最後、全冊読まずにいられなくなる。本代がかかって仕方がない、メイワク千万な究極ブックガイド」

「面白いにもホドがある!」の一言フレーズのコピー的文章の書き出しの入り方。☆また「ホドがある」や「メイワク千万」など、カタカナの使い方も絶妙だ。☆普通なら「迷惑千万」と書くに違いない。☆だが、あえて「メイワク」だけカタカナにして崩す。☆こうした文章記述は、読み手に与える読感の効果まで考え事前に計算して書くとなると実は、なかなか大変なはずで、密(ひそ)かに私は感心する。