チンピラ☆馬鹿一代・硬派的読書ノート

アメリカン・ショートヘアーのアメジローです。☆明るいブログを日々心がけます。☆読書の書評・レビュー・感想が中心。その他、音楽や映画のレビュー・感想なども。☆「継続は力なり」で、出来る範囲で更新を目指します。

岩波新書の世界(23)大庭健「善と悪」

72e875bd.jpg岩波新書の赤、大庭健「善と悪」。副題は「倫理学への招待」。☆本書の概要は、以下です。

「道徳的にみて『善い』『悪い』という判断には、客観的な根拠はあるのか。『赤い』『青い』などの知覚的判断や、『酸性』『アルカリ性』などの科学的判断とはどう違うのか。その基準となる『道徳原理』は、どのようにありうるか。ソクラテス以来の大問題を、最新の分析哲学の手法を用いて根底から論じ、倫理学の基本を解き明かす」

この概要にて注目すべきは「最新の分析哲学の手法を用いて」という点で、この本は「倫理学への招待」の倫理学入門の体裁をとってますけど、一口に倫理学といっても、実は「分析哲学」の立場から述べられたものであるということ。☆そこで「分析哲学とは…」、あらかじめ分析哲学の特徴や長所・短所を押さえた上で本書に臨むのが好ましいと思われる。☆おそらく本書が「倫理学への招待」の倫理学入門であるにもかかわらず、一読して「難しい」と感じられるなら、それは分析哲学の厳密な手法に由来する「意味のある難しさ」であり、そのことを最初に繰り込んで「この本は分析哲学の書」と理解し正当に読まれないといけない。

分析哲学とは、論理的言語分析の哲学で、神学や形而学的な倫理学的言明の真理性には頼らずに、論理経験主義の意味による検証可能性より思考の明晰化をはかる実証主義伝統の哲学。☆よって特徴としては、まず何よりも大論理の形而上哲学の否定。神学を絡めた伝統哲学への批判で、論理的言語や自然科学の方法に依拠した「日常言語の哲学」を志向する。☆そのため、こういった性質をもつ分析哲学が隆盛するのは、先天的な理のイデアを想定するギリシア哲学やヨーロッパの大陸合理論やドイツ観念論と対立する、イギリス経験論、アメリカのプラグマティズム、神学の形而上学とは疎遠な英米の哲学風土においてであり、事実、分析哲学は現代ではイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど主に英語圏にて研究される傾向にある。☆例えば今日、アメリカにて大学教育に採用される哲学といえば、だいたい分析哲学。

このような分析哲学の方法論的特徴は、言語分析や概念提示を中心的な主な道具とする。☆よって議論の流れにおいて、概念定義の論理構造を・はっきりと提示し、言語表現の範囲内での問題提起、それら概念同士の異同や差異を分析し指摘することで考察を論理的に前に進める。☆分析の正しさの基準として、思考実験をしばしば用いたり、時に経験科学の知見を取り入れ議論を展開させる。

分析哲学の長所といえば、従来哲学のように伝統哲学の権威や神学的な直観啓示の先天的な形而上学に一切頼らず、経験的事実ひたすら明晰な論理的言語分析によって厳密に哲学議論を進めること。☆この点において分析哲学は、無駄に深遠で形而上学的な難解イメージや実質を持つ従来哲学への対抗批判となりうる。☆分析哲学は、論理的で有用、日常に近い哲学。☆そして精密な立論議論で、非常によく出来た詰め将棋のように「こう来れば、こうなり、よって・こういった結論が導ける」云々で筋道立てた相当に説得性ある哲学議論を展開させる。

加えて便宜、仮定の想定例の思考実験をはさみ、時に社会の身近な倫理事例の問題の解決策を対話・討論を通して共に考える。☆何よりも、ある事柄に関し、分析哲学の常套で厳密な概念定義を細かな条件場合分けを介してやり、またさらに類似対照な別の概念を提示し、ぶつけ比較考量させることで、これまで単独個別で漠然と認識し考えていた事象や問題が俄然、明確に意識化され物事の理が、はっきりしてくる効能が分析哲学の何よりの魅力だと私は思う。

しかしながら、その反面、毎回・厳密で細かい論理の議論を苦労して追跡し読むわりには、結論が割合、常識的で保守的すぎる…「ここまで大袈裟に散々アオって引っ張って分析議論してきて、最後の肝心の結論がそれ!?」的な肩透かしの感は正直、残る。☆分析哲学は宗教をかませず、神学の形而上的な先天性を一切頼りにせず、経験主義的な言語分析の概念種別と論理主義で攻めるため、最終的に前提事実の素朴な確認や常識的な有用性の観点からする無難な合理判断で終わる場合が多い…ラディカルな変革性に欠ける。☆個人的感慨からして、哲学の倫理学において善を論ずる場合、その正義の正統性根拠は宗教的な形而上学の自然法、人権思想といった普遍的先天的な真理をまず想定して、その抽象原理からアプリオリに現実に天下って適用させる思考を取らない限り、せいぜい「最大多数の最大幸福」のような、経験的事実に基づく功利主義的で有用な現実に即した合理的判断、ラディカルな変革性に欠ける案外、常識的で保守的なものに落ち着くしかないのでは…と思う。

また分析哲学的手法にて、問題意識のはっきりしてない下手な人がやると、雑多な概念定義の紹介羅列に終始し、確かに新しい概念提示もあり、様々に仔細に厳密に条件場合分けして述べてて、非常に専門的な哲学の思考分析のように思えるが、結局のところ「結論は何なのか…何のための厳密分析な概念提示の議論だったのか…」、表層の哲学硬派なイメージ(?)とは裏腹に、本質的な中身の議論が空洞なことが論者によって時に多いことも確か。

分析哲学に関する以上のような個人的感慨で、「最新の分析哲学の手法を用いて根底から論じ、倫理学の基本を解き明かす」とする岩波新書の「善と悪」を、分析哲学の手法に依拠した倫理学入門の本と理解せずに・いきなり読むと、本書にて展開される分析哲学の厳密な方法に戸惑うかもしれないので、あらかじめ分析哲学の特徴や長所・短所を押さえた上で本書に臨むのが好ましいと思われます。

さて大庭健「善と悪」の肝心の内容は、「道徳的にみて『善い』『悪い』という判断には、客観的な根拠はあるのか」について、道徳的特性を細かに分析し、その特性の特徴を幾つか挙げたり、「道徳的判断」に「科学的判断」を持ってきて両者の概念相違を対照考量し、「善悪や正邪の希薄な評価国」と「正直不実、親切冷酷の濃密な評価語」の概念対比をやったり、「投影主義」や「道徳的感受性」などの概念を紹介して、概念定義の論理構造を・はっきりと提示し、言語表現の範囲内での問題提起、それら概念同士の異同を分析し指摘することで考察を論理的に前に進める、まさに分析哲学の手法。☆最後に与えられる結論よりも、そのソツのない周到で手慣れた中途の議論の過程こそが、本書の何よりの魅力であり読み所。

他方、「道徳的な善悪の基準となる『道徳原理』は、どのようにありうるか」の最終的な結論に関しては、「道徳現実」はある、ただし、それには「普遍化可能性」(「道徳的原理が、原理としての普遍性をめつめには、その原理を主張する人の立場・置かれている位置が変わったとしても、なお同じように主張できるのでなければならない」)と、「不偏性」(「ある命題が道徳結論であるためには、その命題の論拠が、不一致を生むような特殊な信念・価値観にもとづいていない、という条件を満たしていなければならない」)という、適用形式の前提と価値判断の内容正統性の2つの点を兼備していなければならないとする。☆そして、その「道徳原理」とは「最大多数の最小苦悩」、つまりは「全体として、最も多くの人の・より深刻ないわれなき苦悩が減るようにするものは、善い」ということ。

何だかイギリス経験主義、ベンサム、ミルの「最大多数の最大幸福」の功利主義哲学を勝手に薄めて造語したようなもので、「『道徳原理』は、どのようにありうるか。ソクラテス以来の大問題を、最新の分析哲学の手法を用いて根底から論じ、倫理学の基本を解き明かす」と最初に大風呂敷を広げてたわりには「肝心の結論はそれ!?」的な肩透かしの感は正直、残る…。☆やはり、道徳的に「善い」ことの内実の結論が、「いわれなき苦悩の減少排除」といった常識的な有用性の観点からする消極的な合理判断で、ラディカルな変革性に欠ける倫理学、案外・保守的なものに落ち着く読後の落胆は個人的に否めない。☆しかし逆に、そこが分析哲学の倫理的考察の堅実さの良さ…と言えないこともない。☆道徳的な「善と悪」に関し、言語論理的な分析を重ね最低限、確実に指摘できる本質要素を煮詰めに煮詰め結晶化して純粋原理として抽出すると、その倫理的命題は「最大多数の最小苦悩」になるということ。

著者は非常に親切な方で、最終章の第七章の結語にて、「これまでの考察によって明らかになってきた善悪の輪郭」として、本書での議論の要点を箇条書き形式で5点に分け列挙し、まとめてくれてます。☆その結語の結論を始めに読んで知った上で、逆算して改めて最初から読むのも、大庭健「善と悪」をスムーズに内容理解するための有効な一つの手立てかと思います。

岩波新書の世界(22)中村明「日本の一文 30選」

521b2ba3.jpg岩波新書の赤、中村明「日本の一文・30選」。☆日本の近代文学から主な一文の名文を30選の厳選にて取り上げ紹介・鑑賞しようという本。☆表紙カバー裏は以下のような、ややカジュアルな解説文になってます。

「プロの作家が生みだす名表現の数々。たったひと言、意表をつく比喩で、見事な構成で、読み手を唸らせる。だが感動するばかりでは勿体ない。そこにはどんなテクニックがあるのか?夏目漱石や志賀直哉から現代の藤沢周平・村上春樹まで。読みたい人も書きたい人も、日本語の名案内人の導きで、その技を学んでみよう!」

せっかく「夏目漱石や志賀直哉から」とあるので、ここで試しに「日本の一文・30選」に入っている夏目漱石の名文の一文と著者による核心解説の部分を、ともにを挙げてみましょう。

「現在連れ添う細君ですら、あまり珍重(ちんちょう)して居らん様だから、其他は推(お)して知るべしと云っても大した間違はなかろう」(夏目漱石『吾輩は猫である』)

「この冒頭に一文を掲げた『吾輩は猫である』からの引用は、…『吾輩』と名のる猫の語り手が、ことばの無駄づかいを楽しんでいる余裕の語り口がおかしみをかもしだす。…まず『現在連れ添う細君ですら、あまり珍重して居らん』と、家族にさえもてない現実を述べ、そのぐらいだから『其他は推して知るべし』と記して、まして他人にもてるはずはない、という意味を感じとらせる。ここで文を切ったとしても十分に婉曲(えんきょく)であり、ことばで細部まで表現せずに、読者が想像で補う余地を残している。ところが、この老成した語り手の猫は、この程度の間接性格では満足がいかないらしく、そのあと、さらに『と云っても大した間違はなかろう』というところまで、表現をもうひとまわりくねらせるのだ。ことばの迂回路をたどる、こういうもってまわった言いまわしが、いかにも尊大な語り口を印象づける。そういう偉そうな主体と、人間が日ごろ小馬鹿にしている『猫』という軽い存在とのあまりの落差、小説の内容とは別に、それが皮相なおかしみとなって広がり、読者を表現の魔術で楽しませるのである」。

「先に挙げた漱石の一文がなぜ名文の名表現であるのか!?」☆読み手に説得力をもって伝えるためには、あの一文に対して・これだけの文字と文章を用いて構造分析的に詳細に解説しなければならないので、名文鑑賞というのは説明する書く方も、軽い気持ちで本書を開いた私などを含め、読む方にも誠に酷なものであります。

中村明「日本の一文・30選」に関し面白い所は、本書を一読のために手に取った読者も、本書を編集販売の岩波新書編集部も、実は本書を執筆の著者も、「日本の一文(を)30選」とかいいながら、「テクニックを会得して、作家が生み出すような数々の名文・美文を自分で書いてみたい、ないしはテクニックを伝授して、その種の名文・美文を他人に書かせたい」、案外・下世話な思いを少なからず皆が共犯共有してること(笑)。☆名文テクニック伝授を本書のウリにして多くの読者を得たい岩波新書編集部の思いは、例えば帯のコピー「読者を・うならせるプロの表現テクニック・感動するには、ワケがある!読みたい人も、書きたい人も必読!」の書きぶりから明瞭であるし、同様に著者も本書以外に岩波新書にて「語感トレーニング・日本語のセンスをみがく55題」といったトレーニング書籍を以前に出しており、能力開発の自己啓発文学本に以前から熱心な方である。☆何よりも本書を購読の・かなりの読者が、名文の秘密を知って文章の書き方向上に生かす文章講座たる「文章読本」の期待を持って、この書を手にしていると思われ…今このブログ記事を読んでる、あなたはどうですか?☆少なくとも私は、そうでした(笑)。☆「岩波の新書本を読んで文章書くの上手くならないかなぁ」って。

そうした文章の書き方の技術能力向上のための元ネタとしての「日本の一文」の名文・美文・名表現サンプルの「文章読本」という実用的用途で本書に向き合うと、先に挙げた夏目漱石の名文解説を読むにつけ、私などは早くも軽く絶望する。☆というのも、私は・これまでに漱石の「吾輩は猫である」を何度か繰り返し読みましたけど、著者が「日本の一文」として引用紹介している文を一度も「名文」と思ったことがなかったので…本該当文の「皮相な・おかしみ」名文の「表現の魔術」を発見できず、毎回スルーして軽く読み流してたから(笑)。

確かに・そう言われ説明されれば、なるほど…「この文には、表現を・もうひとまわりくねらせて、ことばの迂回路をたどる、こういうもってまわった言いまわしが、いかにも尊大な語り口を印象づける。そういう偉そうな主体と、人間が日ごろ小馬鹿にしている『猫』という軽い存在との・あまりの落差、小説の内容とは別に、それが皮相な・おかしみとなって広がり、読者を表現の魔術で楽しませるのである」。☆書き手の漱石によって事前に練られ、相当に考えられた面白味あふれる滑稽ユーモア文、「読者を表現の魔術で楽しませる」、まさしく「日本の一文」の名文だ。

名文・美文が書けるための条件は、常日頃から読み流してる雑多な文章群から「どれが名文・美文であるか」発見認知でき、「それが、なぜ読み手の心に染み、時に人を感動させる名文の美文たりうるのか」精査分析でき、それを理論的に筋道立て説明できて(まさに本書の著者・中村明氏がやったように)、ゆえに自身が文筆の際には、その名文の美文の仕組みの雛形を遺憾なく活用できる、の手順です。☆「何となく読後感がよいので名文」、「それとなく名文と感ぜられる」では話になりません。☆「それが、なぜ名文であるのか」、必ず説明できなければならない。☆そして、夏目漱石の「吾輩は猫である」の「日本の一文」引用の事例から察せられるように(少なくとも私に関しては)、名文・美文の発見認知と精査分析をともに遂行でき、一般の人が独力で自在に書いて名文や美文を生み出すことは、なかなか困難ではないか…。☆本書を読了後、より一層強く個人的に・そういった感慨を持つ。

中村著「日本の一文・30選」には、先の漱石の名文事例のように、誰が語り手であるかを踏まえ、しかも「笑い」が一般常識からのズレにより生じる仕組みまで押さえた上で、人間が日ごろ小馬鹿にしてる軽い存在な「猫」が、高踏余裕の尊大な口調で、長く語りまくる滑稽の・おかしみを生み出すとする、内在分析の深いタイプの名文もあるが、他方「僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている」(芥川龍之介「久米正雄宛書簡」)といった文を名文とするような、つまりは対立して全く親和性がない、本来は繋がるはずのない言葉を・わざと無理に接続させて「不幸な幸福の中に」を、「たった一言の威力」で「思わす唸る名表現」とする、「結局のところ、名文の名表現を作るには・わざと狙って不親和な言葉同士を無理矢理に強引に結びつければ良いわけね…『思いやりのある殺意』とか『仲良く喧嘩した』みたいな」などと安易に合点され流用されかねない、非常に怪しい表面的な「名文作成実用テクニック(もどき)」が、実際この「日本の一文・30選」の中に・いくつかあることも確か。☆著者による名文・美文の分析タイプの内実に玉石混淆あること正直、否めません…。

岩波新書の赤、中村明「日本の一文・30選」を名文・美文・名表現の元ネタ・サンプル集の「文章読本」として読むにつけ、この本に続けて改めて、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らの「文章読本」、本多勝一「日本語の作文技術」などの文章講座な書籍を今さらながら読み返したい衝動に私は、駆られてた。☆「名表現が満載の名文の美文をスラスラ書けるように、文章が上手になりたいなぁ」(笑)。

岩波新書の世界(21)原武史「滝山コミューン 一九七四」(その2)

cef780c5.jpg(前回からの続き)原武史「滝山コミューン」は、「国家や政治権力と対決する、民主政を標榜する自治集団が、なぜか同質的な全体主義になってしまう逆説的な社会ファシズム現象」を描いていて、非常に優れていると思う。

読んでて、滝山団地の第七小を席巻する「滝山コミューン」の全体主義、確かに憂うつなのだけど、しかしながら、同時に私は「滝山コミューン」の実態以上に、著者の原武史氏の自己愛が入った書きっぷりに・かなりの憂うつを感じた↓↓。

5組の担任の片山先生を始め、5組の生徒、その他クラスの児童に関し、原氏は本名ではなく全て仮名で書いてます。☆しかし、この本を普通に当時5組だった片山学級の卒業生が読んだら気分悪いだろう…。☆事実、本書の執筆にあたり、元同級生らに連絡とって、こちらの趣旨を説明したが、「相手の了解を得るのは至難のわざであった」。当たり前(笑)。☆「滝山コミューン」の理論的指導者、5組の担任・片山先生(仮名)は、本書執筆時の2004年の時点で、「いまでも大阪の公立小学校に勤める現役の教員」で現職で教師をやってるわけです。☆いくら仮名とはいえ、関係者が読めば一発で誰だか分かるし、こんな一方的に書かれて、片山先生も生徒同様・気分悪いでしょう…。

結局、これは・まだ皆が子どもで児童の小学校時代の話なので、「大学生や成人した判断力ある大人が、自分の意志で共産党などの政治運動に参加したら、思いのほか組織が旧式の全体主義でヒドくて参った。それで自分が経験して味わった、組織内部の暗黒な暴露話をやります」とかの類ではないです。☆「たまたま滝山団地に住んでて、義務教育で第七小学校に普通に入学して行ったら、なぜか学校が滝山コミューンになってた児童らの話」で、自覚的な入党とか離脱などの選択余地がない(義務教育の地域の小学校に通うため)子ども集団の話なので、後々になって扱うこと自体が非常にデリケートな話だと思う。

また著者の原武史少年は、実は4年生の時からから都心の学習塾「四谷大塚」に通い始め、中学受験を目指します。☆やがて私立の中学に合格し、地域の公立中学には行かず「滝山コミューン」から脱出する。☆彼は「滝山コミューン」の第七小の中では、圧倒的な少数派。☆むしろ、中学入試や進学主義に否定的な片山先生を始めとする「滝山コミューン」の面々から批判される立場です。☆しかしながら原氏、「自分は滝山コミューンから距離を取っていたが、同様に当時から学習塾が旗振ってやってた中学受験やら進学主義やらの学歴信仰に決して自分は心酔していたわけではない…いや決してなびいていなかった」という自己イメージ救出の操作を非常に・しつこく姑息に周到にやる。

例えば、自身が学習塾の四谷大塚へ通い始めた記述の後に「いまから思えば、七小の授業に不満があったとはいっても、全くいい迷惑であった。私はいまでも、この時点で中学受験戦争の権化というべき四谷大塚と関わりをもったことを恥ずかしく思っている」(単行本、65・66ページ)といった現在視点からの自己救出の文章を抜け目なく・はさむ。

原武史という人は、これまでの氏の研究の著述仕事からして、「天皇と鉄道の人」なわけですが、学校内でのウンザリする「滝山コミューン」との関わりと新しい世界である四谷大塚への塾通いとの間に、鉄道が好きで当時、都心や地方に鉄道を見に行ったエピソードを・しばしば入れて、「確かに自分は塾通いして中学受験をやるが、私は決してガリ勉ではない。進学主義にも屈服してない。趣味の鉄道もあり、バランスがとれた健全な子どもであったこと」を何気にアピールする。

そして、著者の原少年と同様に四谷大塚の塾に通い、中学受験をやる小林次郎(もちろん仮名)という同級生がいるのですけど、彼に関しては自分に対し周到に丁寧にやるような、「塾通いで中学受験やっても、決して進学主義や立身出世主義に心酔・屈服していたわけではない」イメージの救出とか一切ない↓↓。☆むしろ、当時・小林少年の母親が書いた中学受験体験記の本を今更ながらに持ってきて引用する。☆しかも、「私たちが、なぜ、地域の公立の中学校を避けて、遠くの国立や私立の中学校へ子供を入れようとするのか。それは、一口に言って、それが有名大学への、最も近道だからである」など、教育ママぶり全開の・現在の読者が読んだら確実に・ひくであろう極端な文章を載せる…。☆「イメージが大切な自己の救出」とは対照的に、他者の小林少年はイメージ操作の救出なく、容赦なく奈落の底に突き落とす(笑)。

だが自分に関してだけは、以下のように続けて・またまた手堅く救出↓↓。☆「それはおそらく、四谷大塚に子供を通わせていた多くの親たちの本音でもあったろう。しかし少なくとも私の場合、受験の動機がいい中学に行き、いい大学に進学したいという立身出世的なものとはかなり異なっていたことだけは確かである」(257・258ページ)。☆つまりは、「少なくとも私の場合、私だけは当時の中学受験をやる立身出世な子どもたちとは違っていた…」。☆仮名ですけど、第七小学校で同級の小林少年に当たる人が今この本読んだら、他の同級生らと同様・これまた気分悪いでしょうね。

結局、「滝山コミューン」を問題にする著者の視点や問題意識は・そこそこ優れていて、まずまずなのだけど、自分以外の他者、例えば5組の片山学級の生徒、片山先生、同じ塾通いしてた小林少年に対する、著者の原武史氏の容赦ない書きっぷりが・えげつない…感心しない…正直・好きになれない。☆そのくせ、小学校時代の自分のイメージを大切にする、自分だけを執拗に救出して・よく書こうとする自己愛が入ったナルシシズムが非常に鼻につく↓↓。

あまり言うと何ですけど(笑)、その他にも「自分が中学入試の第一志望に不合格だったのは、この試験の結果如何で滝山コミューンから逃れられるか否かが決まる緊張感のプレッシャーから本番の試験では実力が出せず、そのため事前の模試で合格判定圏内だった第一志望の開成中学受験は、不合格で失敗した」みたいなこと書いてます(263ページ)。☆「何だ…この人は自身の個人的な中学入試の失敗の原因まで滝山コミューンなのか…こいつは、滝山コミューンのせいにするのか(怒)」っていう。

「滝山コミューン・一九七四」は社会ファシズムの全体主義の話で、普通に読んでて興味深い話だし、著者も研究者としては優秀なのですけど、私は・こういうタイプの人とは多分・絶対に友達にならない。☆仮に・この人と小中高で同級であっても、この人が呼びかける同窓会には、少なくとも自分は絶対に出席しないし、関わりは持たない…。そんな読後の感想。☆著者は研究者としては確かに頭がキレて優秀なのだけど、何か本の書きっぷりが自己愛入ってて・えげつない…というか、ズバリいうと「未熟で小児病ぽい大人」の悪印象が読後に残る…。

原武史「滝山コミューン」は、「半分が個人史、残りの半分が社会史」な著作。☆そして「個人史」の自伝やエッセイなど記述の際には、人はどうしても過去の自分のことを現在視点からイメージ救出して良イメージで出来る限り・よく書こうとし、他方、自分以外のの他者に関しては比較的冷淡で意外と容赦ない。☆この辺り「個人史」の自伝を執筆する際の難しさ…本書「滝山コミューン」を読むと、ひしひしと私は感じます。

岩波新書の世界(20)原武史「滝山コミューン 一九七四」(その1)

cef780c5.jpg前回、岩波新書の赤、原武史「昭和天皇」を取り上げたので、今回は岩波新書ではないが、同じく原武史氏の著作「滝山コミューン」についての書評記事を2回連続で、例外的に特集「岩波新書の世界」として。☆念のため、原著「滝山コミューン」は岩波新書ではありません…。

正直、読み返すと我ながら著書の原氏には大変に申し訳ないほどの人格毀損な痛烈文章に、結果的になってる(笑)。☆ただ書き手の原氏が、わざとなのか、それとも無意識で・たまたまそうなっただけなのか、私にはよく分かりませんけど、この「滝山コミューン」に関しては、「半分が個人史、残りの半分が社会史」で、非常に自身の人柄・性格や人格がにじみ出るような手法の記述で、あえて筆を進めていることも確かで、氏が自身の人柄・性格や人格に乗せ割合・無防備に奔放自由に書いているので、本書を読む方も、その点に触れツッコまずにはいられない…。☆到底、スルーの看過はできません。

最初に・このように述べたところで、おそらく誰にも信じてもらえないかも知れませんけど(笑)、実は私は原武史ファンで、自伝やエッセイ関連はともかく、氏の一連の近代日本史研究、とくに近代の天皇制に関するもの、例えば「可視化された帝国」などは相当に屈指な名著と思い、日々・読み返しては陰ながら氏を尊敬しております。☆そんなわけで、「岩波新書の世界」の番外編、原武史「滝山コミューン」に関する記事を以下2回に分けて。

先日の、NHK教育「ハートをつなごう」の番組再放送で、「脱・孤育てのススメ」やってました。☆内容は、子育てを家庭内のみで孤立してやるのではなく、地域の大人たちが協力して皆で育てる、ある地域の取り組みを紹介。☆課外活動とか野外教室など(行事、レクリェーション、実験学習…)地域の大人たちが協力して精力的にやると、自分の両親以外の大人と接し・ほめられたり、時に叱られたりして、自主性・積極性やコミュニケーション能力が育ち、子どもたちがイキイキしてくる…という、まさに「脱・孤育て」な内容。☆番組では司会者やらコメンテーターやら全員が、地域一体となってやる、協力した子育てを肯定・賞賛するような流れだった。

しかし、このとき私は、番組内の「野外学習や課外活動を、ふんだんに盛り込んだ、地域の大人らによる自主学習・積極教育への取り組み」を観ながら、原武史の書いた「滝山コミューン・一九七四」を反射的に思い出したりしてた…。☆そんなわけで、今回は「滝山コミューン・一九七四」の話。

場所は東京郊外の多摩地区にある滝山団地、時は1974年、「滝山コミューン」とは、著者いわく、「国家権力からの自立と、児童を主権者とする民主的な学園の確立を目指した地域共同体」のこと。☆1974年の70年代前半は、いよいよ大学闘争の学生運動をバリバリやってた大学生が大学を卒業し、社会人として社会に出てくる頃。☆滝山団地の子どもらが通う第七小学校にも、大学出た若い先生、片山先生が赴任してきます。☆日教組教育の理論的実践者である、彼が指導する「滝山コミューン」。☆「自由よりは平等、個人よりは集団を重んじるソビエト型教育が、偶然にも同質的な滝山団地の環境と適合的であった」。☆ゆえに第七小では、そういった「滝山コミューン」の旧ソ連型の集団主義教育が学校全体を席巻します。

もちろん、それは「団地環境との適合性」や「片山先生一人のごり押し」だけでなく、当時の第七小には20代の若い教員が比較的多くいた、以前からの文部省の言うこと・よく聞く国の言いなり的立場の校長が退任し、学校自治や教員組合の活動を黙認する新しい校長になった、児童の増加で校舎が応急的なプレハブだったため、その改善要求を学校に突きつけるPTA組織の力が・もともと第七小学校では強かった…などの複合的要因があります。

具体的には「学級集団づくり」で、児童を班に分けて、班競争させて点数をつける。もちろん切磋琢磨の向上もあるが、かたや点数の低い「ボロ班」や「ビリ班」のあぶり出し。☆学校行事や課外活動なども大人の教師でなく、子どもたちが自治的に進める。☆選挙にて立候補・演説やって児童らが主体的にアピールして、係を決めてルールやスケジュールを自分たちで作って活動する。☆集団を乱した児童に対し、皆で自己批判の反省を迫る「追求」の実践もある。☆学習も、算数の「水道方式」に象徴されるような、皆に分かりやすい教授法の授業展開で、脱落者を出さないようにする。☆だから、一部の出来る子どもだけを、さらに伸ばす能力別指導とか、中学受験を目標にした学習塾の詰め込み式教育なんかには、第七小全体で批判的なわけ。☆また日教組ですから、当然・第七小では学校行事式典での日の丸掲揚・君が代斉唱には反対。

著者の原武史少年は、「滝山コミューン」の中心学級の片山先生が担任の5組ではなく、日教組に入ってない教師が担任の3組の生徒で、端からみて5組の片山学級が引っ張る「ソビエト型集団主義教育」に違和を感じている。☆4年、5年のうちは他学級のことなので・そんなに気にしてなかったが、6年生になり、課外活動の林間学校を経て、5組の片山学級の生徒が児童委員会への組織的・積極的な立候補を行って、いよいよ5組が第七小全体の「中心学級」になっていく。☆やがて5組以外の他のクラスの生徒も、大いに片山学級の影響を受ける。☆著者がいうところの、「片山のもくろみは見事に成功し、…6年5組による絶対的支配が確立した。独裁体制の確立と言ってもよい」。☆そして、著者の原少年は、学校全体が「滝山コミューン」化していくことに不快や嫌悪を募らせていく…。

著者の原武史氏の不快や嫌悪というのは、「滝山コミューン」における、ソビエト型の集団主義です。☆これは政治学などで、割りかし昔からよく指摘される逆説の陥穽(かんせい)なのですけど、「国家権力と対決する民主主義や自由主義を標榜する集団組織が、その闘争性ゆえに、集団内部での引き締めで平等や規律が極度に重んじられ、その結果・個性や自由が排除され非常に風通しが悪くて重苦しい、同質的な全体主義的集団になってしまう…」という。

本書を読むと、原少年の小学校時代の回想を述べた後、必ずセットで日教組の研修プログラムやテキストとか機関誌、学級づくり・指導法の関連書籍よりの引用がある。☆そこから「当時の第七小学校の滝山コミューンは、かなり忠実に日教組による旧ソ連型の集団主義教育をやっていたのだなぁ」と、読み手に分かるようになってます。☆それで原少年は、そういった「滝山コミューン」の、「自由や個性が認められない同質的な全体主義」に、以下のような反感の感慨を持つ。☆おそらく、この部分が著者の核心の思い…まさに「心の叫び」というか、本書での一番の読みどころ。

「滝山コミューンに対して、当時の私が抱いた最大の違和感は、なぜ子供が背伸びして大人のまねをしなければならないのかというところにあった。何が『民主主義』だ、何が『民主的集団』だ。子供は子供らしくすればいいではないか」(単行本・151ページ)

この本は、「国家や政治権力と対決する、民主政を標榜する自治集団が、なぜか同質的な全体主義になってしまう逆説的な社会ファシズム現象」を描いてて、非常に優れていると思う。

この記事、次回へ続く…。

岩波新書の世界(19)原武史「昭和天皇」

8bb8e9cb.jpg一概に「昭和天皇」について論じるといっても、あらゆる視点からの切り口・語り口が実に様々にあるわけで、岩波新書の赤、原武史「昭和天皇」は 、そのまま・それだけの「昭和天皇」の漠然タイトル(笑)。☆しかし、一読して本書の内容を押さえるなら、戦前・戦中から戦後の時系列に沿って、皇太子時代から摂取就任、天皇即位から崩御までの昭和天皇の生涯を、宮中祭祀の観点から一貫して「昭和天皇」について明らかにしようとするもの。

前半の「戦前・戦中から戦後の時系列に沿って昭和天皇の生涯を」は、全六章からなる、「ヨーロッパ訪問と摂政就任」、「天皇としての出発」、「戦争と祭祀」、「退位か留位か」など、著者による本書の章立て構成にて明白であるし、また後半の「宮中祭祀の観点から一貫して『昭和天皇』について明らかにしようとする」に関しては、以下のように表紙カバー裏解説にて簡潔に・まとめられています。

「新嘗祭、神武天皇祭など頻繁に行われる宮中祭祀に熱心に出席、『神』への祈りを重ねた昭和天皇。従来ほとんど直視されなかった聖域での儀礼とその意味に、各種史料によって光を当て、皇族間の確執をも視野に入れつつ、その生涯を描き直す。激動の戦前・戦中から戦後の最晩年まで、天皇は『神』に向かって何を祈り続けたのか…」

確かに「皇族間の確執をも視野に入れつつ」で、長兄の昭和天皇と三兄の高松宮と間での皇位継承や日本の終戦処理をめぐる確執の対立など、昭和天皇に関する評伝や研究にて従来より広く指摘・言及される内容が、本書でも述べられています。☆また逆に本書では・あえて触れらてませんけど、昭和天皇は次兄の秩父宮と末弟の三笠宮とも、高松宮との関係同様、あるべき日本の望ましい皇室像の認識立場や十五年戦争にての対米英戦の戦争継続や終戦処理をめぐる確執の不和が多々あり、皇族内の兄弟関係は終始良好には落ち着かず、必ず不穏な空気の波風が立って、普通の一般家庭にもありがちで案外・俗っぽく、「なるほど、確かに昭和天皇は人間らしい…はからずも天皇の神格否定」。

個人的感慨として、ここに「新日本建設に関する詔書」の「天皇の人間宣言」の代替のようなものを勝手に読み込み納得してしまうのは、やはり不敬で不遜でしょうか…。☆右翼や国粋主義者、熱烈な天皇支持者や皇室崇拝者から、お叱りを受けてしまいそうですが(笑)。

本書を読み進めて行くと、さらに生母・節子(さだこ)、すなわち大正天皇の皇后、貞明皇后たる皇太后と皇子の昭和天皇の確執の不和が、明かされる。☆皇太子時代の若年の頃からスポーツや生物学研究、近代的都市計画に夢中であった昭和天皇に対する皇太后の苦言。☆ヨーロッパ訪問後の帰国で、英国王室の影響を受けて、後宮の改革など宮中の近代化に着手する昭和天皇への批判。☆後の対米英戦にての戦争継続や敗戦後に退位を勧める皇太后との対立。☆いつの時代でも皇子の昭和天皇と生母の貞明皇后の関係は、確執の不和である。

そして何よりも、本書のテーマである「宮中祭祀」のあり方をめぐっての、昭和天皇と貞明皇后の対決。☆昭和天皇も戦時中や戦後の壮年、晩年期には宮中祭祀に非常に熱心になりますが、皇太子時代の若年の頃は日本の皇室伝統の祭祀儀礼には割合淡泊であり、宮中祭祀を疎かにして大正天皇の代役を果たさず…。☆それで皇太后が昭和天皇の宮中祭祀への「形式」的態度に「神罰」を匂わせて時に、あからさまに激怒する。☆「たしかに明治天皇や大正天皇のときと比べれば、昭和天皇が出席する旬祭の数が増えた分、親祭の回数は増えたように見えるが、…皇太后は『形式』だけにとどまる天皇の祭祀に対する態度を批判し、『真実神ヲ敬セザレバ必ズ神罰アルベシ』と話しているのである」(82ページ)。

昭和天皇は、宮中祭祀に関し生涯を通して熱意の濃淡があり、壮年期の戦時中には若年期とは・うって変わって、以前からの皇太后の期待に沿う形で非常に熱心に祭祀儀礼に打ち込みます。☆すると若い時とは違った皇太后同様に負けず劣らずの昭和天皇の宮中祭祀への積極性から、今度は皇太后との間で「祭祀権の主導をめぐる争い」になってしまう…。☆「『かちいくさ』を祈る皇太后は、戦況の悪化に反比例するかのように、神がかりの傾向を強めつつあった。天皇は、そのような皇太后に手を焼きつつ…太平洋戦争期の天皇は、宮中祭祀を継続しながら祭祀権を事実上皇太后に奪われる格好になっていた」(142ページ)。☆やはり昭和天皇と貞明皇后は戦時中も、またもや一貫して確執の不和である。

その一方で、長兄の昭和天皇と確執ある生母の貞明皇后は、次兄の秩父宮や三兄の高松宮との関係は非常に良好であり、皇太后は明らかに彼らの方に目をかけていた。☆「天皇が祭祀を熱心に行うようになった大礼以降も、皇太后との確執は続いていた。…昭和天皇と皇太后の関係とは対照的に、秩父宮や高松宮と皇太后の関係は良好であった。秩父宮や高松宮は赤坂の大宮御所をしばしば訪問する一方、皇太后も秩父宮邸や高松宮邸を頻繁に訪れた。彼らが会う回数は、天皇と皇太后が会う回数よりもはるかに多くなった」(96・97ページ)。☆皇族内の母子、兄弟関係での案外・俗っぽい、普通の一般家庭にもありがちな不和の確執による不穏さの空気。☆昭和天皇の皇族内での孤独と苦悩。☆まさに本書にて明らかにされる、「皇族間の確執をも視野に入れつつ」の「昭和天皇の生涯の描き直」しです。

さて、原武史「昭和天皇」は、天皇を論ずる際の切り口のテーマである「宮中祭祀」と、天皇の生涯を時系列にて記述する章立て構成からして昭和天皇の宮中祭祀への取り組み内実の時代的変遷が、本書の最大の読み所であると私は思う。☆ここでいう「天皇の宮中祭祀への取り組みの内実」とは、すなわち、先に引用した表紙カバー裏解説の結語「天皇は『神』に向かって何を祈り続けたのか…」。☆つまりは、天皇による神への祈りの具体的祈願の内容。

この点に関し、十五年戦争後半の日中戦争勃発と対米英開戦の戦中、それから敗戦を受けての戦後の時系列に沿って、当時の戦況や政治状況と、それら状況に対する天皇のその時々の意向、その都度「天皇は『神』に向かって一体、何を祈り続けていたのか…」祈りの内容、そして「昭和天皇」に対する著者・原武史のコメント記述。☆以上の点を押さえ、主要なものを本書から便宜、書き出してみると…。

1937年10月17日、日中中戦争勃発後の神嘗祭(かんなめさい)。☆当時の新聞報道によれば、「天皇陛下は東亜の平和確立を御祈願遊ばされた、…恭しく時局の安定を御祈願遊ばされ…」。☆昭和天皇は、日中戦争にて「重点に兵を集め大打撃を加えたる上にて、我が公明なる態度をもって和平に導き、すみやかに時局を収拾するの方策なきや」(「昭和天皇独白録」)と話した。☆「天皇は日中戦争でも必ずしも米英との衝突を恐れて戦争の早期終結を主張していたわけではなく、その前に中国軍を叩くことが必要という認識を抱いていた。『東亜の平和確立』、『時局の安定の』ためには、戦争の勝利という重大な条件が付いていたのである」(109・110ページ)

1939年9月1日、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発。☆東アジアでは日中戦争の長期化に伴い、後に日独伊三国同盟の締結に続いて、1941年12月1日の御前会議にて米英およびオランダとの開戦が決定、12月8日に太平洋戦争が勃発。☆宣戦布告から日本軍は戦闘各地にて連戦連勝の破竹の勢い。☆側近の木戸幸一の回想によると、「大東亜戦の緒戦の成功は誠に目をみはらせるものがあり、その為め国民の間には政府の宣伝なども手つだって聊(いささ)か戦勝気分に酔ひ安易な考えがあるように私には見えた」。

1942年3月9日のジャワ島占領に際し、昭和天皇は「余り戦果が早く挙(あが)り過ぎるよ」(「木戸幸一日記」)と上機嫌に語った。☆1942年2月18日、「天皇は戦勝第一次祝賀式に際して、再び正門鉄橋に白馬に乗って現れ、宮城前広場を埋めつくした十数万の人々の歓呼に応えた。日中戦争における漢口陥落のときと全く同じパフォーマンスを行った天皇は、漢口陥落のときと同様、『神の御加護』による戦争の勝利を確信していたに違いない」(127ページ)

しかし、戦争の転機となる1942年6月のミッドウェーにおける劇的敗北を経て、次第に日本の戦況が悪化してくると、1942年12月12日、天皇は極秘に伊勢神宮に参拝。☆当時の侍従・城英一郎の、この日の日記には、「御告文 緒戦の戦勝を感謝、非常の国難に御身を以て国民を率ひられ、尚将来の神明の御加護を祈念あらせらる」。☆「天皇はひそかに、伊勢神宮に戦勝祈願の参拝をした」(127ページ)

さらに一向に好転しない、悪化の一途をたどる戦局を受け、1944年2月11日、天皇は宮中三殿で紀元節祭を行った。☆当時の侍従・尾形健一の日記によれば、「時局ヲ特ニ御軫念(しんねん)アラセラレ御告文ニ戦勝祈願ヲ併セ行ハセラレタリト洩レ承ル」。☆「(天皇は)戦況が好転するよう、『御力、御救』を祈願したということだろう」(134ページ)

けれども続くサイパン陥落など、日本の連敗の劣勢は止まらず、いよいよ敗色濃厚ななか、戦争の即時終決を・はっきり主張し進言した近衛文麿の「近衛上奏文」に対し、「近衛は極端な悲観論で、戦を直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた。私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦を止めるのは適当ではないと答へた」(「昭和天皇独白録」)と天皇自身が後に回想。☆昭和天皇は、どこまでも強気である。☆1945年3月6日に日光に疎開していた皇太子へ出した手紙にて、「空襲見舞ありがたう。戦争は困難ではあるが、最善の努力と神力によって時局をきりぬけやうと思つて居る」

1945年4月に沖縄本島への米軍上陸、本土への米軍の空襲が激しさを増すなか、「天皇の戦争継続の意思は揺るがなかった。天皇は、たとえ沖縄戦に敗れても、『唯一縷(いちる)の望みは、ビルマ作戦と呼応して、雲南を叩けば、英米に対して、相当打撃を与へ得るのではないか』(「昭和天皇独白録」)と考えていた」(145ページ)。

1945年6月14日、天皇は大宮御所に皇太后を訪問。☆訪問前から「御気分悪しくならせられ」、「御嘔吐」した天皇は皇太后と会見後、倒れるように床に着き、二日間にわたり寝込む。☆その一週間後の6月22日、天皇自らが召集した最高戦争指導者会議の席上、天皇は従来の方針を転換、直ちに戦争の終決工作に着手すべきと意思表示。☆1945年8月10日、御前会議にてポツダム宣言受諾の「聖断」を下す。☆同夜、天皇は宮内省にて「終戦の詔書」を録音。

1945年9月1日、宮中三殿にて祭祀を再開。☆当時の侍従・徳川義寛の回想によると、「この時の御告文はもちろん表には出ていません。でも、終戦の詔書を踏まえて作られていて、『国民と共に再建に歩む』との趣旨が入っていました」。☆「徳川の回想から推測する限り、御文告には自らの戦争責任を問う言葉も、退位に触れる言葉もなかったと思われる」(152ページ)。

1945年11月13日、天皇は伊勢神宮を参拝。☆1942年12月12日の戦勝祈願から、ほぼ三年ぶりの参拝。☆当時の侍従・木ノ下道雄の日誌に記録されていた昭和天皇の発言、「神の御力によりて国家の再建と世界平和確立に尽くさんとす」。☆また昭和天皇の同発言、「戦時後半天候常に我に幸いせざりしは、非科学的考え方ながら、伊勢神宮の御助(たす)けなかりしが故なりと思う。神宮は軍の神にあらず平和の神なり」。☆「天皇は、三年前に自らが伊勢神宮で行った祈りを、明らかに反省していた。…しかし、『軍の神』であろうが『平和の神』であろうが、『神の御力』にすがる発想そのものは、敗戦前と少しも変わっていない」(155・156ページ)

以上、原著「昭和天皇」からの書き抜きにて明確になるのは、十五年戦争後半の日中戦争勃発から対米軍開戦を経て、後に日本が・いよいよ敗戦濃厚になるギリギリの時期まで、つまりは沖縄本島への米軍上陸があり、本土に連日連夜・米軍の空襲があり、日本の国民の生命や財産が相当な危険に・さらされ甚大な被害があっても、終戦の1945年8月の二ヶ月前の6月の時点まで、昭和天皇が実は相当な強気で、戦争継続への意欲を持ち、しかし終始・確執不和があった生母の貞明皇后への訪問に臨んで、その直後に何らかの理由で寝込み(皇太后による天皇への詰問や互いの口論が原因と考えられる…)、昭和天皇の中で・かなりの劇的な心境変化があって、その一週間後に自らが召集した最高戦争指導者会議の席上にて従来の戦争継続の立場を転回し、終戦工作の指示を初めて表示意思したということ。☆皇族内の母子関係にて確執あった皇太后との会見後に寝込むという、案外・私的な契機で(笑)、天皇の戦争への姿勢意欲の方針は「徹底抗戦の継続から終戦工作の模索へ」と大きく転回する。

加えて、本書のテーマである「宮中祭祀」にて、その都度「天皇は『神』に向かって何を祈り続けたのか…」、天皇による神への祈りの具体的祈願の内容。☆神嘗祭、紀元節祭、伊勢神宮参拝にて、戦中は「神の御加護」、「御力、御救」、「神力」など緒戦の勝利の戦果の僥倖(ぎょうこう)…昭和天皇の祭祀の祈りは、どこまでも「戦勝祈願」である。☆ところが敗戦を迎え戦後になると、天皇の神への祈りの内容が激変し、今度は「国民と共に再建に歩む」や「神の御力によりて国家の再建と世界平和の確立」の、国家の再建、世界平和の実現のための祈りに変わる。☆「戦勝」から「平和」へ、全く正反対に神への祈りが変貌する。

あげくには、そんな祈る主体の天皇の変化に合わせる形で祈りの対象たる肝心の神、伊勢神宮の神さえも戦中の「軍の神」から、戦後には「平和の神」へと昭和天皇の言説により実に都合よく強引に変えられてしまうのであり(「神宮は軍の神にあらず平和の神なり」)、恣意的自己解釈によって、伊勢神宮の「神」の性格すら勝手に変更できてしまう全能な昭和天皇(笑)。☆戦前・戦中から戦後を通して「天皇は『神』に向かって何を祈り続けたのか…」の、昭和天皇による継続した祭祀の神への祈りに付きまとう、自己本位な胡散臭さの欺瞞の疑いは果てしなく強い。☆宮中祭祀に関わる昭和天皇に対する不信の思いは、どこまでも拭えない…。

なるほど、そもそも祈願の祈りというのは、非常に個人的で内面的な精神的行為であり、ゆえに・まさに宗教的行為なのであって、何かを祈り続けている人に関し、その人が実際に神に向かって本当は何を祈っているのか…実のところ無心に祈ってる当人以外には誰も分からないわけです。☆祈りの内実は客観的に外から見えず、他人が確認しようもないので(笑)。☆それで「神に何を祈るのか」、祈りの内容は、本人の都合により実は案外、当人の内面にての恣意的操作で自分本位に勝手に祈願内容を巧妙にズラしたり、時に大きく転回させたりで、いくらでも自由に変えられる。

本書の「昭和天皇」の話に戻ると、著者の原氏が指摘しているように、確かに「(戦後の)天皇は、三年前に自らが伊勢神宮で行った祈りを、明らかに反省していた。…しかし、『軍の神』であろうが『平和の神』であろうが、『神の御力』にすがる発想そのものは、敗戦前と少しも変わっていない」。☆「神の御力にすがる発想そのもの」の姿勢は戦中から戦後まで連続して何ら変わらず、しかしながら目先の祈りの内容だけ「戦勝祈願」から「世界平和の実現」へ、全く正反対なものに入れ換えた。

そして本書記述にあるように、敗戦後に側近の木戸幸一や、長年に渡る確執があった生母の貞明皇后の宮中関係者と皇族らから、「第一に皇祖皇宗に対して、第二に国民に対して責任をとるには退位しかない」旨の戦争責任の追及により、昭和天皇が暗に退位を周囲から迫られる窮地に陥った際、「天皇が神に戦勝を祈り続けた戦中期の祈りを悔い改め、平和を祈り続ける決意を固めていたとすれば、退位しなくても責任をとる道が開けることなる」(159ページ)。☆「神の御力にすがる発想そのもの」の、神への祈りの主体の祭祀の姿勢は戦前・戦中からそのままに戦後まで一貫して連続させ、しかし、その小手先の神への祈りの内容だけ「戦勝祈願」から「世界平和の確立」へ変えることで、昭和天皇は退位で責任をとることなく、むしろ「世界平和」を神に祈り続ける天皇として退位を封じて留位を果たす。☆昭和天皇は、戦後も引き続き自身の地位を確実なものにできた。☆さらには、

「天皇は、マッカーサーとの第三回会見で、『日本人の教養未だ低く且つ宗教心の足らない現在』という言葉を用いたほか、徳川義寛にもしばしば『宗教心を持たねばだめだね』、『こういう戦争になったのは、宗教心が足りなかったからだ』と語っていたという」(175・176ページ)

敗戦直後のマッカーサーとの第三回会見での昭和天皇の語り、「日本人の教養未だ低く且つ宗教心の足らない現在」という言葉に加え、「こういう戦争になったのは、宗教心が足りなかったからだ」←(笑)。☆戦時中には何度も継続して「戦勝祈願」で神に祈って宗教心の祭祀に・あれほど熱心だった昭和天皇の、戦後に神への祈りの内容を「世界平和の確立」に姑息に恣意的に変更したからでこそできる、かつての敵、米軍のマッカーサーの前での昭和天皇の語り↓↓。☆しつこいですが、戦時中には何度も継続して「戦勝祈願」で神に祈って宗教心の祭祀に・あれほど熱心だった昭和天皇が、敗戦後「こういう戦争になったのは、宗教心が足りなかったからだ」←(爆笑)

岩波新書の赤、原武史「昭和天皇」を読んだ上での、戦前・戦中から戦後を通して「天皇は『神』に向かって何を祈り続けたのか…」の昭和天皇による継続した宮中祭祀、神への祈りに付きまとう、自己本位な胡散臭さの欺瞞の疑いは果てしなく強い↓↓。☆本書を通しての、宮中祭祀に関わる昭和天皇に対する不信の思いは個人的に、どこまでも拭えない…。

もちろん、著者の原氏は本書にて、「天皇は『神』に向かって何を祈り続けたのか…」の戦前・戦中から戦後への「神の御力にすがる発想そのもの」の祈りの連続性と・その目先の祈り内容変更の、昭和天皇の祭祀の欺瞞に触れているし、また昭和天皇の祈りの内実、祈願の優先順位が常に、「第一は万世一系の皇祖皇宗で、第二に国民」であり、ゆえに戦時中も、国民の生命よりは「三種の神器」の国体の死守を終始優先させたこと、同様に戦後においても天皇の「主観的な」戦争責任の謝罪は、あくまでも皇祖神や「英霊」に対してであり、一般国民や侵略されたアジア・太平洋地域の住民に対する天皇の責任意識は極めて希薄であったこと。☆特に、「第一は祖宗、第二に国民」の昭和天皇の優先順位については結構、繰り返しの重複で案外しつこく本書にて原氏は何度も述べて(笑)、「天皇の戦争責任」の文脈で昭和天皇を厳しく糾弾しており、右翼や国粋主義者、熱烈な天皇支持者や皇室崇拝者らにとっては、大変に耳の痛い内容になってます。☆さらには、著者の前仕事「可視化された帝国」での、近代の視覚上位の「可視」の見る文化に依拠した「国体」の視覚化や、空間支配に・とどまらない「時間支配」など近代天皇制国家による民衆の内面収奪支配の問題についても、頻繁に言及されてる。

原武史「昭和天皇」はコンパクトな新書ではあるけれど、一読後の感想、大変に中身が濃い良著であると私は思います。

岩波新書の世界(18)オルドリッジ「核先制攻撃症候群」

72e875bd.jpg今回も特集「岩波新書の世界」。☆岩波新書の黄、オルドリッジ「核先制攻撃症候群」は、日本語訳の初版発行が1978年で、米ソ東西冷戦下での両大国の核軍備競争、その軍拡競争を表向きで理論的に強力に支える戦略的核武装の核抑止の軍事政策に対し、副題にて「ミサイル設計技師の告発」とあるように、アメリカ側の戦略核「ミサイル設計技師」が「告発」し、徹底批判する内容の本です。

そこで本書には直接に書かれてはいない、軍拡競争を進める核兵器保有国による核抑止論の問題性について、前提となる話をまず・まとめておくと、おそらくは以下のようなこと。

そもそも核抑止論以前に、「軍事力を高めることが戦争防止につながり、平和をもたらす」という、一般兵器による軍事的な抑止効果の考えがある。☆自国の軍事力が相手国より高ければ、もしくは両国の軍事バランスが均衡していれば、仮に戦争になれば泥沼になり収拾がつかなくなるので、リスクとコストの観点から相手国は戦争を仕掛けてこない、また・その地域での軍事力のパワーバランスが安定している場合、お互いに抑止の力が働き、結果として戦争は回避される。☆あえて現実には実戦使用しないが、配備増強して・ひたすら備える、相手国に対しての示威行為たる軍事抑止力の理論です。

ところが軍事による抑止力というのは、「相手側に恐怖感の懸念を起こさせて、抑え込む力」であり、そのためには抑止のための軍事力は・どれだけ必要なのか、自国の都合それ自体で客観的に決まるのではなく、常に対立する他国との関係性において決まる。☆つまりは、「相手国と均衡、もしくは相手国よりも凌駕」の判断にて抑止のための軍事力は決まるわけです。

軍事力が抑止になるためには、「現実には使うつもりはないが、相手国が攻撃してくるなら我が国も反撃する」お互いに相手の喉元にナイフを突きつけて身動きできず、固まっている状態であって、実は緊張状態の下たまたま均衡が保たれ抑止が働いているだけの一時的な擬似的「平和」でしかない…。☆仮想敵国が、どれくらいの軍事力を備えているか客観的に分かりにくく、「軍事力の均衡」というのは双方の主観的思い込みに依存する面が大きい。☆その結果、お互いに疑心暗鬼になり、抑止のための軍事は原理的に増大・増強・拡大・拡散・エスカレートする傾向をもつ。☆「相手国に差をつけられ凌駕されないよう、我が国でも更なる軍備増強を」。

そして、現代の国際政治の常識からして核兵器は物的破壊力、人的殺傷力にて共に圧倒過剰な最終兵器なので、現実には実戦使用しないが、「相手側に恐怖感の懸念を起こさせて、抑え込む力」たる抑止力誇示のための軍拡競争は、最後には必ず核保有にまで行く。☆武力で抑止といった場合、必然的に最後は核開発、核兵器保有の道を絶対に選択してしまうのであり、ここに至って軍事力による抑止論は、そのまま核抑止論になる。☆そこで改めて「核抑止論」とは…。

「核兵器の保有は、その法外な破壊力のために、かえって戦争を抑止する力となるという考え方。核兵器を使用しようとした場合、自国も相手国から核兵器による報復反撃の破滅的な被害を覚悟せねばならず、そのため最終的に核兵器の使用を互いに思いとどまらせるという論理。『恐怖の均衡』という考えに基づくもの」

ここまでが核抑止論の形成由来についての一般論の前提の話。☆以下、オルドリッジ「核先制攻撃症候群」に即して話を進めると…。

「ミサイル設計技師」である著者がアメリカの核ミサイル技術開発に現役従事していたのは1970年代で、東西冷戦の体制下、米ソ両国ともに核軍拡競争は熾烈を極め、また相当な程度に核兵器開発が進み、前述のような核抑止論が自明の国防理論として幅を利かせていた時代です。☆そこでミサイル設計技術者の著者は、「カウンターフォース」の戦略思想、「言外に攻撃」という軍事戦略の軍事思想を、現場にて上層から徹底して叩き込まれる。☆「カウンターフォース能力の向上」とは、戦略核武装における核攻撃にて、より効果的な敵国の無力化遂行のため、戦略的軍事目標を狙う際の圧倒的な爆発力と精確な命中率の能力向上を技術的に果たすことを内実とする。

本書での著者の分析によれば、核抑止論での軍拡競争にて量的に拡大する核兵器の配備が、いよいよ量的飽和を迎え、これ以上・核ミサイルの数を増やすことが、「相手側に恐怖感の懸念を起こさせて、抑え込む力」の抑止効果の観点から無意味になってくると、その量的飽和から質的向上へ移行の「量よりも質」の、いわゆる「量質転化」が生じ結果、兵器の精巧化に焦点が向けられるようになってきたこと。☆また、核兵器の射ち合いは全面的核戦争にエスカレートし、そうなれば両国どちらも破滅に陥るので現実には考えにくいが、もし仮に万が一、相手国のソ連から核攻撃をアメリカ本土が受けた場合、アメリカが反撃する報復戦力にて「確実破壊」能力の精度を上げる必要があること。

以上の二点を主な背景とする、核抑止力の「量から質へ」の転回を果たすカウンターフォース能力開発の戦略思想は、実のところ、もはや抑止力ではない現実使用目的な、圧倒的第一撃で仮想敵国を無力化しようとする、アメリカの先制第一撃能力の開発に他ならず、カウンターフォース能力向上の究極目標は、現実に相手の反撃を許さぬ圧倒的な第一撃能力開発にあり、ここに至って現在のアメリカは「核先制攻撃症候群」に陥っている。☆量質転化のカウンターフォース能力の軍事戦略は、核兵器の抑止力名目から実戦使用の核先制攻撃への戦術転回を意味し、現在のアメリカが、核攻撃のミサイルボタンを先に押す「核先制攻撃」の可能性は十分にある、とする本書にての、アメリカの兵器開発現場からの「ミサイル設計技師の告発」となるわけです。

議論の進みが性急ですね…ここまでの話の流れを、もう一度振り返ってみましょう。☆そもそもの始まりは、核抑止論以前に、一般兵器の軍事力による抑止論という、実際には使用しないが抑止のために配備して軍備増強する、「恐怖の均衡」の擬似的「平和」の理論が、まず最初にあって、そうすると相手国との軍事力均衡のために、お互いに疑心暗鬼となり、崖下に向けて全力でアクセル踏み込むチキンレース的醜態・醜悪な軍拡競争に参加するはめになって、「現実には決して使用しないし確実に抑止力になる」エクスキューズの言い訳名目で、ついにはエスカレートして核開発の核兵器保有にまで手を出し、さらに核軍拡競争のチキンレースを続け、その核配備が数的な量的飽和に達すると、より過剰な新たな抑止の名目が求められ、今度は戦略核武装の圧倒的な爆発力と精確な命中率を目指す質的能力向上の「量質転化」が起きて、するとこれまで・あくまて核抑止論にて実戦使用はしない、誇示の示威的軍備の核戦略が、いつの間にか核先制攻撃能力を実際に検討し遂行を目指す、核先制攻撃の現実的軍事戦略へと転回する。

最後の、実戦使用しない核抑止力の名目から実際に先制攻撃を検討し、その遂行もあり得るとする軍事核利用の戦略思想への転回が強烈に決定的であり、この由来を・たどれば、そもそも一番最初の「実際に使うつもりは全くないのに平和のために、なぜか軍備増強に邁進する」(?)軍事抑止力理論のナンセンスな不毛さが根源端緒の問題なわけです。

以上のような一連の流れで押さえると、核抑止論批判の反核平和の原水禁の運動は、実は
「核抑止論」における、前半の具体的「核」兵器そのものについて、「非人道的」とか「人類滅亡へのプロローグ」など主に感情的に全力否定するのではなく、むしろ放っておいても最後は必ず核武装の選択をしてしまう、軍事力の「抑止」により「平和」がもたらされるとする、後半の「抑止論」の理論の方を実は重点的に問題俎上に乗せ、徹底して否定し批判し尽くさなければならないはずです。☆反核平和の原水禁運動にて、目先の「核」の方に意識を奪われてはいけない…本当に批判し問題にすべきは後の本体の「抑止論」の方。

結局のところ理性的に個別独立に考えて、現代の国際政治のリスクとコストの常識からして、また人道上の観点からしても、現実に相手の反撃を許さぬ程の圧倒的第一撃な核先制攻撃を検討し選択することは、普通ならあり得ない。☆しかし、軍事力による抑止理論からの一連の流れで、その連続した流れの中で一貫して考えることを強いられると、人間とは誠に不思議なもので、異常に固定化し執着して限定された狭い範囲で不自由に物事を考え、感覚が麻痺して、時に信じられないような非理性的な判断決定を下すことは往々にして現実にあり得る。

また、本書には直接に書かれてませんが、アメリカ大統領や政府首脳の高官、国防相の役人、現場の軍人参謀らが、核抑止論からの「恐怖の均衡」の極度の緊張持続を強いられ続ける状態下にて、その心理的圧迫に・やがては耐えきれなくなり、疑心暗鬼や視野狭窄で正常な理性的判断が出来ず(「今もし我々から核先制攻撃を仕掛けなければ、やがてはソ連に先手を打たれアメリカ本土が先制核攻撃を受け、その後に・いくら我々が報復核攻撃をしたところで、もはや手遅れなのでは…ならば、こちらから核先制攻撃を!」という非常に切迫した心理状態)、個人ないし集団組織で暗示的な異常心理に陥って結果、核先制攻撃を決断選択する可能性も現実にあり得る。

そういった意味で、「核先制攻撃」は・まさに一時的な精神錯乱状態の元で下される判断思考…病的判断の病理の症状の「症候群」なんですよね。☆この意味において、本書の「核先制攻撃症候群」っていうタイトルは実に絶妙だと私は思う。

とは言え、このオルドリッジの「核先制攻撃症候群」を昔・初めて読んだ時、米ソの東西冷戦の情勢下にて、著者が述べるようなアメリカによるソ連に対してへの「核先制攻撃」の現実的可能性は皆無に近い…実際には、あり得ないと率直に私は思った。☆というのも、このような「核先制攻撃症候群」にて核先制攻撃を決断する際の絶対条件は、先制の第一撃が現実に相手の反撃を許さぬ圧倒的第一撃でなければならず、もし先制第一撃にて反撃の余地を残せば、必ず敵国からの報復核攻撃を受け結果、核兵器の射ち合いで全面核戦争の泥沼化、米ソ両国ともに破滅に陥る。☆ゆえに核先制攻撃は、圧倒的(ノックアウト的)第一撃能力でなければならない。

しかしながら、著者が指摘するようなカウンターフォース能力向上の核兵器の爆発力の圧倒化や命中率の精確化にて、仮想敵国の・より効果的な無力化のための攻撃に寄与したとしても現実問題、ソ連が大量に配備している各地の核弾頭ミサイルの格納サイロ(発射台)、その他「堅固」無数の軍事目標を先制第一撃で全破壊する戦闘能力が当時のアメリカにも、同様にソ連にもあるとは到底思えなかったので。☆また核弾頭ミサイルを積んだ原子力潜水艦も、近海に多数潜航していて、いくら圧倒的第一撃とはいえ、それらを一度の一撃で全て破壊し尽くすことは現実的に不可能です。☆一つのサイロでも一隻の原子力潜水艦でも先制第一撃で破壊し損なえば、たちまち報復の反撃の核攻撃を受け、お互いに泥沼になる。

繰り返しになりますけど、核先制攻撃がやれる絶対条件は、後に相手国から報復の核攻撃をされないように、最初の先制第一撃で敵国の全ての軍事施設や軍事目標や軍事兵器を徹底破壊し完全に相手を無力化することで、そうしなければ、互いに報復の核兵器の射ち合いになり、どちらも滅亡に至るわけです。☆その場合、原理的にいって核先制攻撃はあり得ない。☆そういった意味では、奇妙にも米ソの冷戦対立下にて核抑止論は、かろうじて機能していたとも言える。

そして今日、個人的に非常に相当に気になるのは近年の東アジア情勢、北朝鮮の核開発をめぐる米朝の対立。☆冷戦時代の旧ソ連の対抗戦略核武装の大きさ規模ならアメリカは躊躇するが、現在の北朝鮮程度の核軍備なら、敵基地攻撃への圧倒的第一撃で相手に反撃を許さぬ程の核先制攻撃をアメリカは北朝鮮に対し遂行でき、かつ北朝鮮からの報復核攻撃もアメリカ本土には無いと完全予測して、先を読みきった場合には、アメリカは北朝鮮に核先制攻撃を仕掛けるのではないか!?

現在のアメリカ大統領、政府首脳の高官、国防相の役人、現場の軍人参謀ら皆が「核先制攻撃症候群」のシンドロームの病理にイカれ、先制核攻撃のミサイルボタンを我先に・むやみやたらと押したがる、核攻撃が北朝鮮本国にもたらす破滅的破壊と、近隣の東アジア諸国、韓国や日本の同盟国への戦禍の甚大被害は無視して、何よりも・まずは自国のアメリカ最優先、「アメリカ本土の安全保障確保のために、とりあえずは北朝鮮に対し核先制攻撃をやりたくて、やりたくて仕方がない」の、「核先制攻撃症候群」の妄想に取り憑かれている可能性の危惧、今日のアメリカの対北朝鮮政策に関し、現実的に私には一貫して切迫してある。

もちろん、人道上の見地からして、いかなる状況であれ、核先制攻撃には断固として私は絶対反対です。

岩波新書の世界(17)林屋辰三郎「京都」

72e875bd.jpgのっけから頭悪そうで誠に申し訳ありませんけども(笑)、本というのは中身を熟読して新たな知識習得したり、内容を味わって楽しむ以外にも、その本を携帯し読んでいる所を・わざと人に見られて、「あーあの人は雰囲気ある人だな。物事の道理をわきまえて分かっている人だなぁ」と他人を納得させる、そういった書籍の小道具的「見せ本」な使い方の読み方も実際にある、と個人的には思います。

岩波新書の青、林屋辰三郎「京都」は、旅行の観光での短期滞在や、進学や仕事での長期移住にて外から京都に入って来る人が、何気に携帯してると何かしら絵になる、「あーこの人は雰囲気ある人だな。物事の道理をわきまえて分かっている人だなぁ」と少なくとも私自身は納得させられてしまう、好印象を引き立て演出する小道具な「見せ本」 なのです。

京都に下車予定の中途の新幹線車中にて美しい女性の方が、岩波新書の青の「京都」を静かに読書してる風景に出くわしたならば、それだけで私は完全にノックアウト(笑)。☆間違いなく、彼女に惹かれ好きになってしまうでしょう。

肝心の本の中身に関しては、この林屋著「京都」は章立て構成の工夫が大変に優れていると思います。☆現代の近代都市であるが、同時に古くからの歴史都市でもある京都。☆その京都の「時間と空間」の両軸を考慮した、著者による章立て構成が実に心憎い。☆先史の時代から古代、中世、近世、近現代と時代区分して古い時代から最新の現代まで順番に「京都」を述べて行く。☆しかも、その際、特定の時代に京都の・ある特定地域を対応させ、「一時代一地域」のセットにして、その地域に特化した寺院仏閣の名称や固有な地名を太字にし濃く印字強調して集中的に述べる。

例えば、歴史時代以前の地質学的自然形成、先史時代の京都なら「序章、湖底の風土」で神泉苑、古代原始の縄文時代の京都なら「一章、京都の古代人」で賀茂、同様に古代の平安時代の京都なら「三章、平安京の表情」で東寺、中世の鎌倉時代の京都なら「八章、京都における鎌倉的世界」で高尾・栂尾(とがのお)、同様に中世の室町時代の京都なら「九章、新しい京都の誕生」で京の中心部の町、近代の幕末・維新期の京都なら「一四章、幕末と維新と」で三条河原を、それぞれ取り上げるというように。

内容的には比較的オーソドックスで無難な記述で、ある程度の日本史の知識ある方なら既知な基本の歴史内容。☆しかし、最新の学説や情報を・あえて盛り込んでいない所が、版刷を重ねても増補で改訂の必要なく、自動的に増刷できるので、その点で本書「京都」は、出版元・岩波新書の「編集者思いな本」なのかもしれません(笑)。☆私が所有しているのは1962年発行の第4刷で、近年でも本書は増刷販売されてますけど、おそらく最新の刷も初版と、ほとんど内容は変わっていないと思う。

「京都」に関し、幸運なことに私は大学進学で京都の街に数年間、実際に住んで生活したことがあります。☆やはり、その街を本当の意味で知るには、短期の観光や旅行滞在ではなく、実際に年単位で・その地に住んで生活しなければ、その街のことは肌身で感じて経験的に本当の意味で分からないだろう…とは思う。☆昼夜朝晩、春夏秋冬、晴天の日も破天な日も実際に住んで生活してみなければ。☆そういった個人的な幸運もあり、本書「京都」を読んでいると、「なるほど」な紙面上の京都の歴史知識の活字理解以外にも、実際の京都の街の現地の思い出記憶や、街角の雰囲気、その場所の空気が自然と思い起こされて、非常に楽しく読めた。

その一方で京都と同じくらい大好きな街に広島の尾道があって、私は尾道出身、大林宣彦監督の尾道を舞台にした尾道映画が大好きで、これまでに何度となく尾道を訪問し、坂道小路を散策したりしているのですけど、しかも尾道に入る時には新幹線ではなく、わざと海辺の在来線を使って毎回・尾道入りするのですが、最短で日帰り、長期滞在したとしても・せいぜい数週間程度なので、どうしても尾道の街を本当に知った気持ちになれない…やはり本当の意味で街を知るには年単位で実際に住んで、その地で生活しなければ…。☆毎回、尾道の街を後にする際、そういう思いは常にある。

大林さんの尾道映画、2回に渡る尾道三部作は、いずれも素晴らしく何度となく観返したくなる作品で、毎回の初々しい歴代ヒロインと、彼女の脇を・しっかり支えるベテランで常連な大林組の俳優さんたちに加えて、監督の大林さんが尾道出身で高校卒業まで尾道の街に長く住んで実際に生活してたから、街の全貌を経験的に実感で肌身を通して感じ知っている。☆だから、大林宣彦氏の尾道映画は毎回毎作・素晴らしいのだ、と個人的に思います。

さて、林屋辰三郎「京都」については、実際に京都に行き本書を携帯して、例えば伏見を散策したら、第一一章の「京都に吹きこむ新風」の章を、西陣に行ったら、第一三章の「京都の伝統的産業」の章を、その場所でその都度・読むと、また新たに感じる特別な感慨が沸き起こって面白いかもしれませんね。

岩波新書の世界(16)加藤典洋「村上春樹は、むずかしい」

892badc8.jpg岩波新書の赤、加藤典洋「村上春樹は、むずかしい」。☆本書の表紙カバー裏には、次のようにあります。

「はたして村上文学は、大衆的な人気に支えられる文学にとどまるものなのか。文学的達成があるとすれば、その真価とはなにか。『わかりにくい』村上春樹、『むずかしい』村上春樹、誰にも理解されていない村上春樹の文学像について、全作品を詳細に読み解いてきた著者ならではの視座から、その核心を提示する」。

さらに冒頭、一番最初の書き出しは以下。☆「この本がめざすのは、村上春樹の文学的達成の実質を計量することである」。

さて、本のタイトル通り「村上春樹は、むずかしい」のでしょうか!?☆少なくとも・この本を読む限り、本書にて加藤典洋氏が展開している村上春樹論に関し、「村上春樹は、むずかしい」ことはない…むしろ「わかりやすい」村上春樹、「村上春樹は、むずかしくない」という個人的な読後の感想。

というのも、加藤氏が本書にて取ってる文芸評論の手法が従来のものと違って、つまりは村上文学の各作品に即した主題や、事前に綿密に計算された表現技法の試みや記述形式に託された作家の意図、その成功可否の見届け…そういったものを作品別に焦点を定めて掘り下げていく従来の文芸評論な読みではなく、村上春樹のデビュー作から現在の最新作に至るまでの、彼の文学者としての歩みを時系列の一本線で押さえ追跡し、小説を書き継ぐにつれて、その都度文学的な課題に突きあたり、その課題を乗り越えながら、その途上で「なぜ村上春樹は小説を書き続けるのか!?」といった小説家にとって作品を創作することの根源的意味の深化の過程を明らかにしようとする、いわば歴史的な思想史研究のような、そういった性格の村上春樹論を加藤氏は、本書に限っておそらくは自覚的に・あえて選択してやっていると思うので。☆だから結果、この著作での「村上春樹は、むずかしくない」のだろうな、と私は思う。

本書の概要は、およそ以下の通り。☆村上春樹のデビューから現在に至るまで、彼の作家キャリアを追跡するにあたり、時系列に整序し主に4つの時代に区分して村上文学の内容深化の過程を述べる。

まずは「第1部・否定性のゆくえ・1979ー87年」。☆デビュー作「風の歌を聴け」の「金持ちなんてみんな糞くらえさ」、「気分が良くて何が悪い?」のコピーを、同時代の村上龍の「うまい!やりたい!うれしい!」の肯定性の単純さのコピーと比較対照させながら、初期・村上春樹において、原初的な近代の単純な否定性を陳腐化して生成された、 「悲哀にみちた否定性」という「新しい」否定性を見出だす。☆その「悲哀にみちた否定性」は「中国行きのスロウ・ボート」にて、具体的に日本の大陸での戦争で「戦地で死んでいった人々のため」に祈る村上の実父の「私に入ってくる」イメージ喚起を経て、「死はなぜかしら僕に、中国人のことを思い出させる」という「単純な否定性、単に語られる罪責感で終わらない『否定性』の露出」となり、「貧乏な叔母さんの話」では、「貧しい人々」(プロレタリアート)への自身の罪障感の強迫意識、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」では、新左翼の学生運動「内ゲバ」死者への関心として具現化され、さらには「パン屋襲撃」にて、「悲哀にみちた否定性」を否定・無化する、高度資本主義なポストモダンの消費社会批判の文脈も加味される。

しかしながら、そうした「悲哀にみちた否定性」やポストモダンな消費社会批判は、やがて理想、反逆、連帯の消失状況の中で、時代の喪失感を村上に痛感させ、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」にて、村上の中に「内閉性の浮上」をきたす。☆ここに「悲哀にみちた否定性」から、「抵抗としてのデタッチメント」(現実離脱)への傾斜を加藤は見る。☆だが、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」における、そういった現実離脱の「内閉性」の突きつめの抵抗の耐用期限は、やがて切れる…。

そこで「第2部・磁石のきかない世界で・1987ー99」の次のステージへ移行。☆この中期は「ノルウェイの森」を契機に、かつての内閉性の「孤=個」を基点とする文学から、男女一対の「対」を基軸とする文学へと変わる。☆居心地のよい現実離脱の「デタッチメントな個の世界」が崩壊し、他者との繋がりや喪失を味わう「コミットメントな対の世界」へ移行する。☆さらには「対の世界」を越えた他者が全面的に出てきて、例えば、それは「ねじまき鳥クロニクル」での歴史記述の露出、例の・あの有名な「ノモンハンでの皮剥ぎ刑」の描写となって作品上に現れる。

このように、村上が「個の世界」を手放して対の他者や共同体の社会の歴史にリンクするようになったのは、この時期、彼がアメリカに4年間住んで、個人として逃げ出すよりも自分の社会的責任を考えてみたいと思うようになったこと、また物語が個を解体し、しかし・それでも自分の無意識の闇を追究した時、その自身の無意識の底に「歴史」が現れてきたことに由来する。☆それから「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」にて、1995年に起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件での被害者と、加害者側のオウム真理教元信者へ聞き書きを「ノンフィクション的」手法でまとめ、これまで「個の世界」に自閉してた村上春樹が、「対の世界」のみならず、自身が所属の共同体の「歴史」や、現在進行形の「社会」の事件に直接にコミットし、「時代とのせめぎあい」に自分の身を積極的に・さらす大きな転換期を迎える。☆この転機の大転換についての、加藤氏の述べ方は「村上春樹、武装解除される」(笑)。

そして「第3部・闇の奥へ・1999ー2010年」。☆第2部の「対の関係」が主に恋愛や結婚、夫婦といった「横軸」の繋がりであったのに対し、この第3部では先生と生徒、年上と年下、父と子といった「縦軸」へと他者との繋がりが責任ある社会的役割に拡充する。☆思えば、村上春樹という人は、フリーの・いつでも降りられる職業仕事の自由人や独身男性のみで、定職ある会社勤めの社会人や父親など、一定の社会的責任の役割ある、規範ある父性な人物をこれまで書いてこなかった…。☆そういった小説上の登場人物の変化は「神の子どもたちはみな踊る」、「海辺のカフカ」にて一人称の語り手である「僕」からの離脱、「私」から「彼」への三人称への移行の書き方の変化に表れている。☆また「海辺のカフカ」、「アフターダーク」における、隠喩から換喩へ、他界から異界へ。☆村上文学の小説世界が単に現実の社会と接点を持ち、開かれていくだけでなく、より重層的に充実し拡充していく。

それから最後に「終りに・『大きな主題と小さな主題・三・一一以後の展開」。☆オウムの事件よりも、さらに規模の大きな東日本大震災での福島第一原子力発電所の苛酷事故が発生した。☆その三・一一の原発事故を受けてのスペインのカタルーニャ国際賞の授賞スピーチにて、反原発の反核という「倫理と規範」を語る村上春樹。☆「唯一の被爆国である日本」が、戦後一貫して原子力エネルギー政策を推進してきたことに対する批判。☆ここに至って、原発事故に対する倫理責任追及や、戦時暴力の日本の戦争責任問題追及など、「損なわれた倫理や規範の再生」、「新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させ、生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ立ち上げて」いくという自身へ課する「大きな主題」の課題に現在の最新の村上文学は到達している。

以上のように、村上春樹の文学仕事の遍歴をデビューから現在まで時代区分を施し、時系列で一貫して追跡して、そうして最後に加藤氏は村上文学の現在を・しみじみと総括する、「思えば村上春樹も遠くまできたのである」と。

「人に歴史あり」ですね。☆やはりデビュー時からの「悲哀にみちた否定性」という著者による分析評論が非常に優れていて、村上春樹、この人は・やがては来る1980年代のポスト・モダンな高度資本主義肯定の「ポップなもの」の礼賛は安易に出来ないし、また同様に80年代以前から続く60年、70代からの政治運動、「戦後民主主義」理念のような「原初的な近代の単純な否定性」にも簡単に行けない…。☆前者の「単純な肯定性」の例として、村上春樹と同時代デビューで、単に名字か同じ「村上」だっため(笑)、気の毒なまでに「二人の村上」として何かと比較されてた村上龍を、本書でも「単純な肯定性」の例として挙げ、「悲哀にみちた否定性」の村上春樹と相変わらず対比させる。

かたや「原初的な近代の単純な否定性」の例として、本書では具体的に述べらてませんけど、その例を挙げるとすれば、反核発言、戦争責任の議論を通して「自分とは異質な他者との繋がり模索」を自身の作品の中心テーマにし、一貫して文学の仕事をしてきた大江健三郎になると私は思う。☆大江氏は、長編デビューの「芽むしり仔撃ち」から「万延元年のフットボール」、「ヒロシマ・ノート」、「核時代の想像力」など、自由・平和の普遍権利の規範や、社会的弱者との共感などの倫理的想像力、戦後民主主義の・いわゆる「戦後的なもの」の理念を守り、「原初的な近代の単純な否定性」の文学をやってきた人。

文学をやりながら内向せず、ずっと外部の歴史や政治や社会の他者に開かれ繋がり持って、一貫してブレずにやれた。☆またその過程で、障がいをもった息子さんのことを即自身の作品テーマに取り入れるなど、自分には理解できない、自分が試される偉大な他者を自身の中に繰り込んで血肉化させていく作業を、その都度やり自身の文学世界を補強して、現実世界に対する「原初的な近代の単純な否定性」を連続して保って割合、安定した立ち位置で大江健三郎はやってきた。

でも、村上春樹は違った。☆「悲哀にみちた否定性」から作家キャリアをスタートさせて、後にすぐ「個の世界」の現実離脱な内向性の潜り込みの一定期間を経て、やっとその後に歴史と社会に向き合う「新しい倫理や規範と新しい言葉を連結させた新しい文学」を説く現在位置にまで至る。☆そういった紆余曲折のジクザクがあって、村上さんは大江さんのように直線的にはいかないわけです。

大江文学は、最初から密閉遮断された空間集団の中での人的抑圧関係など、政治社会的なモチーフが前面の主要テーマでスラスラ出るけど、村上文学は簡単に政治社会に行かない。☆政治や社会の他者と全く関係のない現実離脱の自閉の世界に一度は潜り込み、そういった一見、他者と没交渉な非政治的な内的世界の若者の生活を書く一定の「個の時代」を通過しないと、他者との触れあい回復し政治社会的な回路が開かれる現在位置にたどり着けなかった…。☆文学者の現在位置で村上春樹と大江健三郎は、反核の「日本人と核」の問題を通じての戦後日本の再度の総括や、中国などでの戦時暴力の戦争責任の問題で東アジアの他者に触れる主題など、相当に近い立ち位置にあると思われる。☆しかし、その現在に至るまでの中途の文学仕事の過程遍歴が全く異なるので、やはり「人に歴史あり」です…ね。

なるほど、本書を読んで・すぐに気づくのは、冒頭で引用したような、著者の加藤氏が最初から相当な前のめりで、村上文学の「文学的達成があるとすれば、その真価とはなにか」とか、「この本がめざすのは、村上春樹の文学的達成の実質を計量すること」など、時系列に歴史的過去に遡行し、村上文学の成果の「文学的達成の真価や実質」(?)の獲れ高を、やたら声高に叫んで手にしたがること。

加藤氏にとって望ましい村上文学の達成の真価の獲れ高の実質は、現在の村上春樹の立ち位置たる「新しい倫理や規範と新しい言葉を連結させた新しい文学」であり、より具体的に言えば、個の世界や対の世界に自閉せず、他者との繋がりの倫理や自分たち共同体の歴史への責任の規範を持って、それを文学の主題にし言葉で明確に述べること。☆すなわち文学を通しての、唯一の被爆国たる日本が福島の苛酷な原発事故を自身の内に取り込んでの反核の主張や、アジア・太平洋地域の人々や自国の国内の人達に対する戦時暴力の日本の戦争責任追及の姿勢に他なりません。

特に後者の戦争責任追及に関する問題は、自国兵士の追悼とアジアの民衆犠牲者への謝罪、それら両者の優先順位をめぐる「ねじれ」、さらにはアメリカ主導による戦後の日本国憲法制定の「けがれ」といった、加藤典洋氏の「敗戦後論」の一連の仕事に直結してると思うので、ここに至って氏の「戦後論」の仕事を総体的に読み解き、その「戦後論」の全体の中に氏の村上春樹論の仕事を再度、組み入れて理解する作業が必要になってくると思う。

そして、現時点での私の見立ては、「敗戦後論」と村上春樹論における、日本の国家の戦争責任追及や、国家を超える普遍的規範確立の追求姿勢の態度に加藤氏の中で明らかに温度差の・かなりの落差があって、加藤典洋氏は、そのことにいつ決定的に気づき、最終的に自分の中で、この二元論的並走の回収に後々どのように決着を着けるのか…もしくは今後も・ずっと放置されたままなのか、個人的に相当な関心があります。


岩波新書の世界(15)篠田浩一郎「小説はいかに書かれたか」

892badc8.jpg岩波新書の黄、篠田浩一郎「小説はいかに書かれたか」は古書店巡りをしてると、行く先々の古書店にて重複して非常に・よく見かける本。

発行部数多く、岩波新書の中では当時かなり売れた部類に入る本なのか…と思ったりします。☆もしくは、本書は大学の文学講義にて教科書テキストに指定されたり、参考文献に挙げられたりで、そのため一時期、多くの学生が購読していた背景があったのかもしれません。

とりあえず一読しての個人的感想は「難しい」。☆ただ「難しい」の一言に、私の場合は尽きる(笑)。☆そのように「難しい」と感じてしまうのは、本書における「小説はいかに書かれたか」に関し、その副題である「『破戒』から『死霊』まで」での著者により提示される小説の具体的方法論の読みが、おそらくは一般の人が日常的に普段・読んでる小説の「読み」と異なるから。☆少なくとも私自身の普段の日常的な小説の「読み」とは確実に異なるので、本書にて展開される「小説はいかに書かれたか」での読みは、私などには「難しい」と感じられてしまうのだと思います。

「形式と内容の二元論」を古いものとして一見・排しながらも、しかし著者による「形式の変革はおのずから小説の、いわゆる内容の変革をも果たしているはずであり、…その言語によって表現されたものは新しい時代の歴史的問題性を内に胎んでいるはずだという確信」から、本書では小説の形式(文体、物語構成、表現技法…)に・こだわり、形式を入口にして作品の内容に迫る方法論のアプローチとなっており、一般の人が日常的に小説を読んで時に味わったり、読後感を反芻したりで楽しむ通俗的読みとは明らかに異なる。

なるほど普通に考えて、私達は自身で思っている頭の中の小説構想を言葉に託して無制約に自在に物語を書けるわけでは決してなく、あらかじめある小説の形式たる言葉の文体や物語構成、技法の制約に最初から引きずられ先天的に限定され、そういった形式に半ば依拠しながら「不自由」に発想し構想して小説を書いているのだ、と思います。☆だから、「形式と内容の二元論」にて、とりあえずは形式への着目・検討から入って次第に小説内容そのものを詰めていく文芸批評の順序は妥当であるな、と個人的に深く納得する。

さて本書は、副題の通り「『破戒』から『死霊』まで」の明治以降の日本近代文学を扱っており、全部で四つのパートからなり、各パートにて二つの小説を挙げ論じていく構成となってます。☆すなわち、パートⅠでは島崎の「破戒」と漱石の「明暗」。☆島崎藤村「破戒」における二葉亭四迷の言文一致の影響、タイトルや登場人物の名の付け方の考察。☆夏目漱石「明暗」での「文学論」の方法論、連想論と暗示論の分析。☆パートⅡでは、志賀の「暗夜行路」と有島の「或る女」。☆志賀直哉「暗夜行路」での三人称から一人称への人称変更の書き換えの結果、自己の言語を他者の言語に化そうとする企て成否の見極め。☆有島武郎「或る女」での自然把握、前半の擬人法多用から後半の擬人法回避への転回を、日本の近代化の問題に結びつけて論ずる。

パートⅢからは、これまで論じてきたパートⅠとⅡでの自然主義や白樺派や新感覚派に対し、それら旧来文学を超える試み、文学の歴史的発展の評価軸が新たに加えられ、葉山嘉樹「海に生くる人々」と横光利一「上海」での、「話すように書く」近代口語文から「書くように書く」記述文体への転換、プロレタリア文学の従来的な形式論への反抗、自然主義や新感覚派の文体からの離脱を述べる。☆また葉山は文学以前の生活にぶつかったが、横光は文学以前の生活に欠けていた…両作家のコントラストを指摘し、小説記述への影響をも示す。

さらにパートⅣでは戦後文学、「近代文学」同人の野間宏「真空地帯」と埴谷雄高「死霊」を現代小説と規定し、二葉亭以来の言文一致体の文章(近代小説)とは別の次元の「新しい小説」(現代小説)と評価する。☆野間の「真空地帯」での複数の時間と階層に基づく複雑視点の組み合わせの小説構造分析。☆そして、その階層の複数視点の不統一を戦中の日本の軍隊や戦後日本の中での天皇制の巧みな内在的存命に結びつける。☆他方、埴谷の「死霊」での複数の語り手の文面登場による複数の客観的視点の転換、生の彼岸の死の側から人間を見つめる逆発想の存在論の指摘など。

本書の執筆にあたり、「私の年来のテーマである、私の呼ぶ『内在的天皇制』、すなわちこの日本人の集団的深層心理がやはり言語のレベルから出発してどのようにして作品化され、その作品のなかに内在化しているか」の著者の問題意識に加え、「現在説話の記号学は構造(化)分析、読解、またナラトロジーなどに分化しながら未開の分野として開拓されているが、私が本書で用いた方法はこのいずれもの発想をとりいれながら、しかし専門用語の使用などをできるだけ排しつつ、こうした発想にも慣れていないごく一般の読者に十分理解できしかも興味をもって読めるよう配慮したつもりである」と著者は述べてます。☆著者の中にある「内在的天皇制」といったある意味、日本の「近代」に対する問題意識を共有し、しかも同時に記号論や物語の構造分析など、「脱近代」のポスト・モダンな新しい方法論にも精通していなければ、おそらく・この「小説はいかに書かれたか」は、まっとうに読めたことにならないと思う。

加えて、「破戒」から「死霊」まで小説を未読の読者にも分かるよう工夫して記述した旨、著者は述べてますが、しかし本書の深い理解のためには、扱われている当該作品をあらかじめ読んだ上で本書に当たるのが望ましい。☆確かに、最後の埴谷雄高「死霊」など難解で長編なので読むの大変なんですけど、この「小説はいかに書かれた」の1980年代はまだ埴谷の「死霊」も第三章までしか発表されておらず、本書でも第三章までの扱いなので、まだまだ短編感覚で軽く読めると思う。

以上の点を考えると、繰り返しになりますけど、やっぱり一読して「難しい」の感想に私なんかはなってしまいます…ね。☆ただ私みたいな文学の素人で、日本の近代文学における近代天皇制についての問題意識が希薄で、また記号論やテキスト解体のポストモダン思潮にも全く不慣れで日々、自己流読書で勝手に楽しんで小説読んでるような一般の平凡読者にとって、本書でやってるような、小説の書き手により事前に十分に練られ考え抜かれた物語の複雑な構造に気づくとか、巧みな表現技法の効果を見切る、形式により制約され制限された小説内容の限界を見届ける、といったことは、たまたま偶然に時々・意識的にできることはある。☆しかし、それは本当に時々の・たまたまの偶然の幸運でしかなくて(笑)。☆毎回、高い精度でもって確実にできる訳ではない…。

「プロの文芸批評家や文学研究の方たちは、日々こういうような問題意識を持って分析的に小説を読んでいるのだな…やはり普通の人が日常的に楽しんで読む『趣味は読書』のお気軽・お手軽な読み方とは違うな」といった小説の読みの深さの別次元の可能性を、改めて読者に知らしめてくれる本。☆そんな岩波新書の篠田浩一郎「小説はいかに書かれたか」についての、個人的感想の結論です。

岩波新書の世界(14)久野収 鶴見俊輔「現代日本の思想」

892badc8.jpg岩波新書の青、久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」。☆昔からある割かし有名な本で名著。

副題に「その五つの渦」とあるように、近代日本思想の集団やグループ、思想流派系統から主に五つのものを取り上げ、それぞれの思想について出自の時代状況や思想の担い手、思想そのものの良さや限界の問題点など、久野と鶴見が(おそらくは)事前に討論し、縦横無尽に自在に語り斬りまくって、後に・それを文章化し新書一冊にまとめたもの。

冒頭の「まえがき」にて直裁に述べられているように、「本書は、日本の代表的思想流派を正面からあつかった思想入門である」。☆そして、本書にて扱われる「現代日本の思想」の「その五つの渦」とは、すなわち、(1)日本の観念論・白樺派、(2)日本の唯物論・日本共産党の思想、(3)日本のプラグマティズム・生活綴り方運動、(4)日本の超国家主義・昭和維新の思想、(5)日本の実存主義・戦後の世相。

実は・この「現代日本の思想」には、「戦後日本の思想」という姉妹本があって、取り扱う思想は違えど、その著作にて全く同じことやってます。☆「戦後日本の思想」は、久野と鶴見に加え藤田省三が参加しており、取り上げる思想グループについて、毎回誰か一人が報告書のレジュメを事前に作成し発表して、その報告を受け久野、鶴見、藤田の三者が質疑討論の座談形式で「戦後日本の思想」を自在に語る、という思想史研究会での実際の段取りを忠実に再現した本になってる。

この「戦後日本の思想」における、レジュメ報告そして、その報告を受けての座談討論という手順からして、岩波新書の「現代日本の思想」も、普通に書き言葉で硬質に記述されてますけど同様に、おそらくは久野と鶴見の事前のフランクな討論座談が・まずあって、後に・それらを文章化し、各章分担で二人で分筆して新書本の一冊にまとめたものだと思われる。

それにしても久野収と鶴見俊輔は、いつも仲良し一緒で共著をよく出しますね。☆「戦後日本の思想」のあとがきには、「思想の科学」の運営で事務所移転費捻出のため、前に久野、鶴見、藤田で出して絶版品切になっていた本書を、「天皇制特集」をめぐり以前に藤田君と「思想の科学」本体の間で色々あったにもかかわらず、今回は藤田君の御厚意の御了承を頂いて、再版の形で出した…という趣旨のこと書いてた。☆よって、久野と鶴見が単に懇意だから共著を多く出すというだけではなく、「思想の科学運営費捻出のため」っていう案外、差し迫った経済事情があって、久野と鶴見の仲良しコンビは頻繁に共著を出版するわけです。

また、鶴見俊輔も単独で対談集の著作、かなり連発して出してますけど、あれも・やっぱり「思想の科学」続けるための予算捻出の一策で、結局のところ、対談や座談は当日しゃべって後は文字起こしするだけで比較的労力少なく短期間で簡単に著作が連発量産できて、安易に印税稼げるから。☆普通に苦労して、それなりの時間を費やし書き上げて一冊本を上梓の労力に比べたら、明らかに手抜きで横着な本作りで正直、私は好きになれないのです…対談や座談の種類の本は。

でも、久野と鶴見の「現代日本の思想」や「戦後日本の思想」は、日本近代思想の各々を任意に取り出し、その良さと問題点を二人が自在に語って斬りまくるっていう企画ヒットの当たり具合と、そもそもの久野と鶴見とが持つ思想を論ずる際の力量見識の高さゆえ、即席インスタント作りの対談・座談の書籍化であっても、さらには「思想の科学の運営費捻出のため」っていう案外・俗っぽい経済事情からの出版動機であっても、何か高水準の良い本に結果なってる。

さて、「現代日本の思想」の具体的内容について、各々思想を論ずる際の方法論のアプローチ、思想そのものへの指摘・評価は個人的に概ね賛同。☆特に好きで内容よく、読んで心に残り「必読だ」と思えて・お勧めしたいのは、第一章「日本の観念論・白樺派」と、第四章「日本の超国家主義・昭和維新の思想」。

第一章の「日本の観念論・白樺派」については、「白樺派的観念論方法の弱さ」として、「白樺派には制度がない」という指摘が、実に的(まと)を得た誠に傑作な名文句だと私は思う。☆白樺派は、制度がなくて実感のみ…制度の不在は規範の欠如…ゆえに主観主義、正直主義、告白主義に終始して、白樺派のコスモポリタン的観念に基づく現状批判は常に不徹底に終わる…特に対国家の政治権力に対して。

なるほど、例えば武者小路実篤「真理先生」における馬鹿一の真っ直ぐ直情な正直主義、また武者小路の「人生論」に見られる誠実実感の主観主義一辺倒で行く、明らかな制度規範の欠如、そこに由来する、類のコスモポリタニズムなのに、なぜか種の対国家権力への弱さから来る武者小路自身の文学者の戦争責任の重さなど、確かに読んでて「白樺派は・やりきれない…」の思い、普段から個人的に強く抱いてた。☆本書における「白樺派には制度がない」の指摘は、そういった常日頃からの白樺派に対する読後の個人的不満をうまい具合に・すくい上げる。

また第四章の「日本の超国家主義・昭和維新の思想」に関しては、近代天皇制の超国家主義を、国民一般の前では絶対君主の・たてまえの「顕密」だが、支配層間では制限君主の申し合わせの「密教」の使い分けの二元論にて論ずる。☆そして北一輝の国家社会主義と吉野作造の民本主義とを、北が「昭和維新断行」の思想で天皇制権力への集中、かたや吉野は普選運動と貴族院改革を柱の民本主義で天皇制権力の相対化を志向する現象的には一見、全く逆方向の言説であるにもかかわらず、両者を「密教による顕教征伐」として無理矢理に同値の等価にまとめて一緒にする強引で力わざな、あの手際(笑)。

国民一般に対し「顕教」の一枚看板を一貫して下げきれず、そのくせ舞台裏では露骨に「密教」的な陸軍内部での権力派閥争いに端を発する二・二六事件にて、皇道派の理論的指導者であった北一輝が「密教の大衆化による顕教征伐」を本当に志向していたのか…果たして北が「密教」の立場にのみ依拠し、国民一般に対し「顕教」の表看板を降ろすことができたのか…「密教」と「顕教」の二元体制を克服した国家社会主義を北は本気で目指していたのか…そもそも近代天皇制国家において「顕教」の、たてまえ看板を外すことは原理的に可能なのか…ずっと私は疑問に思ってて、果てしなく怪しくて、そこの所を久野・鶴見の両人に突っ込んで厳しく追及して聞きたい所ではありますが、あえて問わないことにしましょう。☆とりあえず久野と鶴見は、素晴らしい。

最後に久野収と鶴見俊輔に関し、個人的に羨ましく思うのは、この人達は・もともと人望があり、その上で研究著述生活の過程で相当に周囲の人々との人間的出逢いに恵まれた人であること。☆久野と鶴見の仲良しコンビはもちろんのこと、久野収なら弟子の佐高信氏、鶴見俊輔なら姉の鶴見和子さんなど。☆「生涯に渡って孤独にならず、いつも周りに人がいて人から好かれ慕われて、同業仲間の人的交遊に本当に恵まれた人達だったな、久野も鶴見も」っていう個人的感慨ある。

私なんか一応は大学出ましたけど、卒業して社会人になってからは、大学の・かつての指導教授と交流もなく、研究会や読書会にも参加せず、いつも・ずっと独りで、ただ何となく本読んでるだけ…ですから。☆特に学問を教えてくれる手本になる師がいる、師匠持ちの弟子の方なんて、あの師弟間の人的関係が非常に羨ましく思えます。☆例えば、佐高信さんが、今でも・ずっと師の久野収のことを折に触れ語り続けるところなど。☆師匠がいる人は良いですね。☆先日も、幸徳秋水の「兆民先生」を読んで、中江兆民と幸徳秋水の師弟愛の・つながりに私は泣きそうになりました(笑)。☆久野収も鶴見俊輔も人望あって皆に好かれ慕われて、周りの人々に恵まれ人的交流が絶えず、実に羨ましい人達でした。

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