チンピラ☆馬鹿一代・超硬派的書評ノート

アメリカン・ショートヘアーのアメジローです。☆書評が中心。☆その他、音楽や映画のレビュー・感想なども。

いつもコメントありがとうございます。☆頂いたコメントは全て読んでいますが、基本的に個々のコメントに対し返答はしていません。

岩波新書の世界(38)山岡耕春「南海トラフ地震」

72e875bd.jpg「南海トラフ地震」とは、海底プレート境界の南海トラフ沿いが震源域と考えられるプレート間地震のことである。

過去の記録(古文書の解読、地層堆積物の調査)から、南海トラフ地震は周期性を持ち、約90ー150年の間隔で発生するといわれている。☆マグニチュード8から9クラス。2017年時点での今後30年以内の発生確率は70パーセント程度である。☆関東から東海、関西、四国、九州まで広い範囲で激しい揺れや津波に見舞われ、その前後に各地での連動噴火、誘発地震も想定される。☆日本の経済と社会の中枢を直撃する・この巨大地震は、ひとたび起これば未曾有の大災害をもたらす可能性がある。

さらに「南海トラフ地震」における、「南海トラフ」の意味を岩波新書の山岡耕春「南海トラフ地震」に即し確認しておくと、「南海トラフは、東海地方から西日本太平洋側の海底の地形につけられた名称である。『トラフ』(trough)とは、もともとは家畜を飼育するための『桶』のことである。桶といっても丸いものではなく、竹を縦に半分に割った内側の形を思い浮かべればよい。そのような特徴を持った地形をトラフと呼んでいる。南海トラフはプレートが沈み込む場所であるが、その地形の特徴をからトラフという呼び名が付けられたのである」(16ページ)。☆このような「南海トラフ」にて、プレート沈み込み圧力の・ひずみがたまると、蓄積した・ひずみ解放のために地殻変動が起こり巨大地震となる。☆南海トラフにて、ひずみの蓄積とひずみの解放(地震)は繰り返し、発生間隔の幅は・ほぼ一定である。

岩波新書の赤、山岡耕春「南海トラフ地震」は、南海トラフで発生する巨大地震について、「必ず起こるか。いつ起こるか。そのとき何が起きるか。どう備えるか」という一般読者の4つの素朴な疑問に答える形で地震学者の山岡氏が平易に解説している。☆ただあらかじめ述べておくと、新情報や氏ならではの独自の理論・予測などなく、普段から新聞・テレビや雑誌のマスメディアに接してたり、ネットにリンクして日常的に情報を得ている人には既知な事柄が、ほとんどである。

まず、「必ず起こるか」については、甚大な被害をもたらすと想定される巨大地震たる南海トラフ地震は、誠に残念ながら近い将来「必ず起こる」。☆山岡氏は断定している、「南海トラフ地震は、必ず起こる。日本列島に住み、生きていくかぎりは避けられない、いわば『宿命の巨大地震』である。…昭和の地震からすでに七0年経過している。フィリピン海プレートは休むことなく日本列島の下に沈み込み、西日本の地殻を少しずつ押し縮めている。今こうしている間にも、刻一刻と次の地震に向けて、プレート境界にかかる力は少しずつ増加している。その日は必ず来る」(13ページ)。☆南海トラフ地震は日本に住む人にとって「宿命の巨大地震」など(笑)、学術的な地震学専攻の学者として・あるまじき、やや扇情的な安っぽい週刊紙記事のような書き方になってはいるが、確かに「今こうしている間にも、刻一刻と次の地震に向けて、プレート境界にかかる力は少しずつ増加している 」。☆ひずみの蓄積は休むことなく、まさに今この瞬間にも刻々と重ねられており、やがては南海トラフ巨大地震は確実に起きる。

次に「いつ起こるか」については、「固有地震モデル」、「時間予測モデル」など本書にての細かな解説を飛ばして結論だけいえば、「地震の長期評価」、確率計算の期待値は前回の南海トラフ地震から約88年後、つまりは2033年頃から発生確率が飛躍的に高まるらしい(48ページ)。☆「将来、南海トラフ地震が起こることは確実」として、ならば「いつ起こるか」。☆これは、おそらく多くの人が非常に関心ある知りたい事で、各種の確率計算にて導き出される次に起こる南海トラフ地震は前回地震の規模(ひずみ解放の程度)や新たな・ひずみの蓄積具合からして、「昭和の南海トラフ地震から約90年後、つまりは2030年代前半」という指標は有益である。☆この指標により昨今、派手なメディア露出にて悪目立ちしている地震予知の輩(地震学者、占い師、有料メルマガ配信の地震予知サービスなど)が、該当地域にて地震が連続すると、「これは南海トラフの前兆で要警戒。近日中に南海トラフ巨大地震が…」などと、やたら煽りまくる無責任な扇情的地震予知に振り回されずにすむ。☆やはり、2030年前後での発生が妥当か。☆まだ2010年や2020年代では、南海トラフ地震は時期尚早という見通しを持つことが出来る。

そして「そのとき何が起きるか」と「どう備えるか」については、本書の「第二章・最大クラスの地震とは」と「第四章・被害予測と震災対策」に記述がある。☆前者の「そのとき何が起きるか」に関しては、この岩波新書が2016年発行で2011年に起きた東日本大震災からまだ5年ほどしか経過しておらず、巨大地震への恐怖心が生々しく拭えずにあるため、ないしは直近の巨大地震の教訓を受けての危機意識からか、南海トラフ地震の被害想定は・かなり厳しく悲劇的なまで大きく見積もられている(今度の南海トラフ地震は、過去数回の割合にて起きるとされる、東海、東南海、南海の三連動が・あたかも確実規定のような書きぶりでもある)。☆近年の政府による南海トラフ地震の発生規模や被害想定が東日本大震災の経験を経て、あからさまに大幅修正された事例を見るにつけ、素人な私からすれば「いたずらに究極事態を悪想定しすぎ」とも正直、思える。☆事実、「内閣府が想定した南海トラフで発生する最大クラスの地震は、地震本部によると過去一六00年間には発生したことがない」のである(208ページ)。☆南海トラフ地震は近い将来、確実に起こるとしても、「低頻度巨大災害」(大規模な災害ほど頻度が低い)という言葉もある。

さらには著者が本書にて南海トラフ地震の被害想定を述べる際、「3・11と何が違うか」など、近年の東日本大震災と比較の上で南海トラフ地震を発生洋式や自然条件や社会的条件の各項目別にて逐一、説明している。☆南海トラフと東北地方太平洋沖の地震は、もともと別個の事案であるにもかかわらず両者を結びつける、このような比較対照な論じ方自体が、「南海トラフ地震の方が東日本大震災よりも被害はさらに甚大」という結果に心理的誇張を加味して導く、無駄に恐怖心を煽る扇情的誘導記述でしかなく、専門の地震学者として氏の書き方は明らかな失策に思える。

また「どう備えるか」についても、山岡氏は相当に悲観的である。☆そして「終章・それでも日本列島に生きる」にて「地震が怖ければ海外に行く」、以前に母校にて南海トラフ地震の講演をした時、参加の中学生から「地震が怖ければ海外に行くという言葉が印象に残りました」なる感想をもらい、氏も「面食らったが、未来を担う若者にはそのような選択肢があってもよいのかも知れない」と納得してしまうエピソードを書き入れている(201ページ)。☆専門家の地震学者である以前に、社会人の大人として若い世代の前で南海トラフ巨大地震のメカニズムや発生予測や被害想定や対策の一連の話をした後に、若い中学生に「だったら海外に行く」と安直に思わせて、またその中学生の発言を受けて「なるほど、それも一つの選択肢かも」と、いい年齢した大人が一瞬であれ納得してしまうのは、やはり社会人の大人としての責任を果たしていない気がする。

ましてや専門家の地震学者で、本書執筆の時点で「名古屋大学大学院環境学研究科教授、地震予知連絡会議副会長」などの肩書を持つ山岡氏が、そんな「いよいよの時は海外に行くのも究極の南海トラフ地震対策で一つの選択肢」と安易に述べてしまうのは、例えば「100年後の世界はどうあるべきか?」の質問に、「どうせ私は墓の中」と答えるのと同様なナンセンスだ。☆「来るべき南海トラフの巨大地震にどう備えるべきか?」、「海外に行けばよい」←(笑)。

その他、前述のような、南海トラフ地震は日本に住む人にとって「宿命の巨大地震」など、学術的な地震学専攻の学者として・あるまじき、やや扇情的な安っぽい週刊紙記事のような書き方など個人的に気になるが(近い将来予測される巨大地震を「宿命」などという「運命」に結びつける感傷的な言葉で語るのは不適切。せいぜい「不可避な巨大地震」などの表現が適当)、こういった「宿命の巨大地震」という書き方や「地震が怖ければ海外に行く」エピソードは、地震学のプロの学者として専門知識があるとか優秀であるとかいう評価以前に、氏自身の人間的性格から(おそらくは)来るもので、岩波新書の赤、山岡耕春「南海トラフ地震」を読んでいて逆に面白いと思える。

岩波新書の世界(37)清水正徳「働くことの意味」

72e875bd.jpg岩波新書の黄、清水正徳「働くことの意味」の概要は以下である。

「古来、人びとは労働をただ『生活のための労苦』とだけ考えてきたわけではない。自然や超越者とのかかわりで、さまざまに意味づけて働いてきた。本書は、主要な労働観の系譜をたどり、その流れの中から、哲学的宗教的な見方をこえた科学的労働理論がいかに形づくられてきたかを明らかにし、その思想的遺産が今日にもつ意味を考える」。

直截に言って「哲学的宗教的な見方をこえた科学的労働理論」とはマルクス主義、「その思想的遺産」はマルクス主義における「疎外」の概念を指す。☆著者の清水正徳氏は西洋哲学専攻の方で、本書の他にも「自己疎外論から『資本論」へ・労働の疎外と労働力の商品化」 という、そのままマルクスの「疎外論」を通しての「労働の疎外」と「労働力の商品化」に関する著作を出しており、よって、この岩波新書も主に疎外論を通しての労働に対するマルクスの指摘を重視した立場からの「働くことの意味」についての考察となっている。

本書が大変に優れているのは、著者による一貫した記述態度であり、この本に関しては「書き方の勝利」という言葉が、いつも私は頭に浮かぶ。☆つまりは「主要な労働観の系譜」として古今東西の主な思想家・哲学者の「労働とは何か」の労働観を取り上げ、それら労働理論の原理的考察に徹する。☆今現在もそうだが、本書初版が出された1982年当時にも、「働くことの意味」をめぐる時事的な労働問題のトピックは多々あって、例えば過労死、会社(忠誠)主義、職場の環境改善運動、賃上げ闘争、首切り合理化反対、労働組合潰し(会社の御用組合結成による分断工作)などがあった。☆しかしながら、本書には・それら現実の労働をめぐる社会的問題に関する言及が、ほとんどない。

だが、その時々の社会的な労働の問題に触れずに労働に関する原理的考察に徹したため、逆に本書は今日でも違和感なく時代を超えて後々まで長く読み継がれる古典の名著になったともいえる。☆やはり時事的なトピックを、その都度・取り入れて著述展開させるのは時代状況に密着・並走しており、同時代で読んでる向きには当時の最新の時事的問題を繰り込んで大変に良いのだが、その時々のタイムリーな時事問題を扱っているだけに、時代が経過すると本の内容が正直、古く見えて色褪せてしまう、場合によっては賞味期限切れになってしまうという難点もあるからだ。

それら労働にまつわるその時々の具体的な社会問題への言及は・ほとんどなく、「働くことの意味」に関し時事論を排して、原理論にのみ傾注する著者の本の書き方選択の態度が、本書を今現在でも普通に読める、絶対に「時代遅れ」にさせず色褪せない、まさに文字通り「不朽」の名著たらしめており、清水正徳「働くことの意味」に関しては「書き方の勝利」といった感慨を私は、いつも持つ。

岩波新書の黄、清水正徳「働くことの意味」の読み所は、後半の「Ⅲ・人間疎外と労働」の章での「『主人と奴隷』の弁証法・ヘーゲルの労働観」、「労働疎外論・ヘーゲルからマルクスへ」、「『労働力商品』の発見・マルクスの労働観」の三つの節、さらには「Ⅳ・現代社会と働くことの意味」の章での「現代における人間疎外・『物化・物神性』をめぐって」、「人間関係と労働・現代の労働思想」、「自由と連帯の可能性・『自主管理』をめぐって」の三つの節であると思う。☆マルクスの疎外論はマルクス独自のオリジナルな発想ではなく、ヘーゲル左派なマルクスがヘーゲルの「主人と奴隷」の弁証法の疎外の理論から継承・発展させたもので、その意味でもヘーゲルの「主人と奴隷」の弁証法は素晴らしい。

弁証法は古代ギリシア哲学の時代からあるが、人間の主体的働きかけとは無関係に神や自然の作用で勝手に生成発展し進化止揚する従来型の弁証法ではなく、近代哲学者のヘーゲルが弁証法的生成発展に「外化」、「疎外」という人間主体の契機を取り入れた近代的弁証法が誠に素晴らしいと思う。☆ヘーゲルの「主人と奴隷」の項を読むだけで私は、おかずなしで白ご飯三杯はいける(笑)。

そういえば1980年代、まさに本書のような疎外論を基調とした近代労働理論の論説が流行っていた。☆私が高校生の頃、大学受験の現代文評論にて、創造性、自律性、自己形成(教養、陶治)、「歓び」の感情、人間の尊厳、文化の継承などの有無により「労働」と「遊び」の異同を厳密に概念規定するマルクスの疎外論に依拠した抽象的な労働理論の評論文を頻繁に、よく読まされた記憶がある。

岩波新書の世界(36)河合隼雄「コンプレックス」

c550f4b8.jpg心理学者の河合隼雄氏については、人並みに氏の著作を軽く読む程度で私は、そんなに強く関心あるわけではないのだが、以前から印象は深い。

昔、大学時代の知り合いの女友達が結構な河合隼雄ファンで、彼女は将来はカウンセラー志望で大学で心理学を学んでいて、彼女の部屋に行ったら河合隼雄が心理学専攻している女子大生らに囲まれて一緒に撮った写真があった。☆またそれを額に入れて丁寧に、とても大切に飾ってあった。☆それで、「河合隼雄は若い女子大生にモテて羨ましいな」と当時、思った記憶がある(笑)。

私は心理学学界内部の学閥の事情など詳しく知らないが、河合隼雄は京都大学出身で後に京大で教鞭とっていたので、関西にある大学の心理学系は河合隼雄の弟子筋の人達が多くいて「河合学派」の学閥、もしかしたらあるのかもしない。☆彼女は大阪の大学に在籍しており、臨床心理学で河合が広めた「箱庭療法」の話など、よく聞いた。

2002年、河合隼雄は文化庁長官に就任して彼が道徳教育の副読本「心のノート」を編集し、全国の小・中学校に無償配布する。☆そのことに対する河合隼雄批判が、当時は実に熾烈で、私は青土社の月刊誌「現代思想」を定期購読していたので、「心の教育批判」として斎藤貴男氏や小沢牧子氏らによる痛烈な河合隼雄批判の寄稿論文を、その頃よく読んでいた。☆斎藤氏らによる「心の教育批判」の概要は、以下のようなことであった。

まず「心のノート」副読教材の配布に象徴される「心の教育」そのものが、まさに「子どもの心」の精神、人間の心的内面の価値意識にまで国家が「公教育」の名目でどんどん侵食し介入してくる道徳教育であり、しかもその道徳教授の内容が一見・誰も反論できない倫理的「正しさ」をもって個人の内面に果てしなく介入してくるので、それが戦前の「修身教育の復活」に繋がる問題を有している。☆教育勅語を踏まえた修身教科に象徴される、戦前の国家による思想教育の万能さに警戒し、公教育の及ぶ範囲をめぐり国家の教育権に限界を附する、公教育を個人の私的自律的な内面にまで入り込ませてはいけないとする。

次に「心の教育」の内容そのものが、命の尊さ、思いやり、感謝の心、公正・公平、公共心、挨拶・礼儀正しさなど、道徳徳目の遵守を上から押しつけるものに偏し、部落差別、民族差別、環境破壊、貧困・格差、戦争など、市民同士の横の連帯や、社会や国家の矛盾に目を向けて解決に取り組む姿勢が「心のノート」には皆無である。☆自由など個人の普遍的権利の行使の大切さに触れていない。☆常に上からの一般的な徳目の励行ばかりを子どもに強いる。☆社会や国家に対する批判的精神を育てることを、学校教育から排除する。☆結果、「心の教育」が巧妙な体制維持のイデオロギーになっている。

加えて、道徳遵守の由来・理由が、日本人の民族性や日本の国家の歴史の伝統と、新自由主義(ネオリベラリズム)下の個人の功利との両極から説明づけられるため、「愛国心」や「公共心」の涵養といった国家や地域社会への個人の献身・動員を促す従来型の道徳教育のみならず、挨拶やコミュニケーションの大切さ(挨拶は相手への印象を良くする、コミュニケーション能力は相手とスムーズに交渉を進めるために不可欠など、自由競争の社会にて個人が生き残れるための功利の指南)、公正・公平さの社会ルール遵守の強調(自己責任の新自由主義社会にて脱落した個人が社会を恨んで暴発しないよう秩序維持のための安全弁)といった、新自由主義体制の維持・促進を前提にした上での個人の「自己生存マネジメント」を暗に説く新たな道徳教育の側面も「心の教育」は兼備している。

その他、「心のノート」の教材書き入れ形式が、解決のない道徳問題を議論して子どもが互いに内容を深め合う自律的な問題解決型というよりは、思考停止で、あらかじめ大人の設定した道徳徳目履行への誘導を促す周到な編集記述になっている。☆「本当の私」探しなど、「心のノート」の内容に俗っぽい自己啓発やスピリチュアル心理学の要素が入っている。☆「心の教育」を文化庁長官の公的立場から推進する河合隼雄が、「スクールカウンセラー売り込み」、カウンセラーの各学校への派遣や常設を熱心に進めるなど、自身が属する臨床心理業界の利権と露骨に結びついている。☆そもそも、臨床心理士の養成により、カウンセリングが特定訓練を受けて専門スキルを得た者のみができる資格制度下の専門仕事となってしまうのは・いびつであり(なぜなら昔は専門スキルを持った心理カウンセラーなどいなくても、友達や親や一般の教師、親戚や地域の大人が子どもの心の悩みを適切無償で聞いていたので)、カウンセラー専門職種化は、人間の内面の心の領域にまで入り込んで積極的に商売する、いわゆる「心の商品化」、「心の市場化」への道を開く、など。

思えば、河合隼雄という人は心理学者としては優秀だったかもしないが、自身の専門分野以外のことに関しては、案外に無知で結構駄目な人だったと思う。☆もともと道徳の正式科目化、道徳教育の学校現場への定着は、保守政党の自民党政権下にて実現させたかったが長年、叶えられずにいた念願の政策であり、前述のように政府による道徳教育推進を戦前の「修身教育の復活」と危惧して反対する、現場教師や保護者やマスコミ世論の根強い警戒・批判が、日本の戦後社会に一貫してあった。☆それで、道徳の教科書や副読本など公的教材作成は、それを作成配布して道徳の正式科目化の既成事実を作りたい政府や文部科学省の道徳教育推進派と、それだけは絶対に阻止したい現場教師や保護者やマスコミの道徳教育反対派の対立攻防の一つの焦点として以前よりあった。

ところが、周知なように1997年の神戸連続児童殺傷事件などを背景に、「子どもらに命の尊さを教える道徳教育の必要性」と称して、時の自民党政府と文部科学省が「心のノート」の道徳副読本の作成配布に踏み切る。☆そして、道徳教材の全国の小・中学校への一律配布の持つ意味、つまりは道徳正式科目化への強力な布石の背景など(おそらくは)ほとんど考えることなく、当時、文化庁長官であった河合は、進んで「火中の栗を拾」って「心のノート」編集を引き受けてしまう。

河合隼雄は、彼の講演録を読んでもダジャレの連発や軽妙な話しぶりで面白いし、対談集を読んでみても河合の人好きのする人当たりのよさの好印象は、彼の著作を通して存分に感じられる。☆河合は、「心のノート」編集も彼なりに子どもたちのことを考えてやっていたと思うし、また「スクールカウンセラー売り込み」も、臨床心理業界全体の発展や自分の弟子筋や教え子たちの仕事確保のために良かれと思って主観的善意から一生懸命にやっていたと思う。☆したがって、斎藤貴男氏や小沢牧子氏らの「心のノート」に対する執拗な河合隼雄批判も、当の河合本人からしてみれば、なんのことやら訳が分からず「単なる嫌がらせ」と感じられたに違いない。☆河合隼雄という人は、心理学者としては優秀だったかもしれないが、自身の専門分野以外のことに関しては、知識人として案外に無知で結構駄目な人だった、そういった個人的結論である。

ここに至って、河合は「留学して西洋文化の合理主義に違和を感じ、日本的環境や日本人的心性に配慮した心理療法の工夫といった日本文化に根ざした心理療法の模索を通じて、自分の日本人としてのアイデンティティや日本の伝統文化について深く考えるようになった」とする立場から、自身が留学して学んだユング心理学の理論を活用し、日本文化論を展開しているが、「自分が少年時代に学び育った戦前・戦中の日本の軍国主義の風潮を嫌悪している」旨を河合が至る所で述べながらも、これまで書いたような河合が編集の「心のノート」、彼の「心の教育」の体制イデオロギー的な問題点を見るにつけ、河合隼雄の日本文化論が、紆余曲折の細かな議論を経ながら、結局のところ実質的に保守や右派や国家主義者が日々・書いて量産しているような、日本人の精神性や日本の歴史や伝統を肯定する日本礼賛にのみ終始する日本文化論になっていないかどうか再度、慎重に見極める必要はあるであろう。

さて岩波新書の青、河合隼雄「コンプレックス」は間違いなく河合の代表作の一つで、分析心理学でのユングの理論と、臨床心理学での実際の臨床現場の治療の実体験を患者の実例ケースとともに豊富に挙げて述べられている。☆普段よりの河合の講演や対談での・こなれた話ぶり同様、実に「書き慣れている感」があり、本新書の読後感は大変によい。

岩波新書の世界(35)丸山茂徳 磯崎行雄「生命と地球の歴史」

72e875bd.jpg岩波新書の赤、丸山茂徳・磯崎行雄「生命と地球の歴史」は、おそらくは高校理科の「地学」の教科内容に該当するのではないか。☆私は高校時代、理科の科目は化学や物理を選択していて、地学を本格的に学んだことがなかったので、本書の内容が大変に新鮮で非常に楽しんで読めた。

「巨大隕石の落下が相つぎ、大気、核、マントル、海洋がつくられていった初期地球。中央海嶺上で熱水から栄養をもらって誕生した生命。変動する地球と生命とは、密接な関係をもちながら現在まで歴史を刻んできた。プルーム、プレートの両テクトニクスと古生物学などの学際的な最新研究が描き出す、地球46億年、生命40億年の新たな変遷像」(表紙カバー裏解説)

ところで、精神史や思想史におけるトピックの一つに「自己超越の発想」というものがある。☆人間は卑小で有限で独我な実存であり、人間の生は常に小さく限定されており独善的で実に・はかない。☆その時に自己を超越する普遍的なものへ、あえて主体的にリンクする。☆そして自己を超越した普遍的なものと自身との対峙、その超越からの跳ね返りを通して再度、より深められた自己の存在意味、自身の意味の根源を見出だそうとする。☆そういった発想・思考の操作が「自己超越」である。☆この自己超越の手続きを通して、人間が自身の存在の意味を問い自身の根源について考える時、人間は自己の限界を超えて自身の存在の意味を問い求める自由を知らず知らずの内に手にしている。

「自己超越」における「超越」とは個別な自己を超える普遍的なもの、自己の存在を凌駕し軽々と超え圧倒する絶対的なもの、例えば一神教における絶対神であったり、無常で絶えず流れ行く宇宙の時間の普遍的真理であったり、普遍的規範の合理的ヒューマニズムであったり、心を尽くして集中没入する目の前の絶対的修養行為であったりする。☆そういった現存在の自己を軽々と「超越」するような普遍的・絶対的・圧倒的なものを主体的・自覚的に、あえて自分の前に持ってきて「自己」と対峙させる。☆すると、その瞬間に有限で執着な小さい現存在の自己(小我!)が対象化されて、例えば「今抱えている自分の悩みは、何と・ちっぽけなものなのだろう」や、「目先の損得勘定で自身が利するためだけに振る舞う自分は、何て醜いのだろう」など、超越からの跳ね返りを通じて現在の有限卑小な自身を相対化できる。☆そして、そのことを通し己の実存の本来あるべき意味を知り、自己認識が深められ、限界を超えて自分の存在の・あり方が変わる。☆非我、無心、平静さ、苦しみの超克、自然随意の境地へ達する。☆結果、思考も表情も発言も行動も変わる。

こうした自己超越の事例として昔から定番で・よく挙げられるのは、例えば「旧約聖書」のヨブ記などに見られる非情な絶対神のキリスト教、宇宙的真理の法(ダルマ)を悟り覚醒した仏陀のインド仏教、弥陀の誓願不思議を知ることで己が「悪人」(人間悪)の自覚に至る親鸞の浄土真宗、「正法眼蔵」と「只管打坐」の厳しい行為の型に・はめて行為への没入にて自己の「小我」を断つ道元の曹洞宗、人間は絶対的神の被造物で神を不可知であるがゆえ、世俗内「禁欲」で勤勉な主体の合理性が生まれるカルヴァンの「予定説」、普遍的な自然法と人権規範尊重を志向するヒューマニズム思潮・西洋の近代思想一般、禅の手法を手がかりに人間エゴイズムを凝視し結果、静かに取り去る夏目漱石の「則天去私」の境地などがある。

私が住んでいる地域の近郊に・あまり派手に観光地化されていない、いつも観光客が・まばらな鍾乳洞があり、その鍾乳洞が実に美しく素晴らしい。☆それで定期的に鍾乳洞へ・よく出掛ける。☆悩みがある時や精神的に疲労困憊しイライラしている時に、その鍾乳洞に入り奥まで行って壁面を無心に眺めていると、「この鍾乳洞は何千万年、いや何億年もかけて誰からも知られることなく、地球の成立から自然の浸食作用を重ね静かに長い時間を経て生成され今日に至るのだな。それに比べて自分の人間としての生の短さ、自身が今抱えている悩みの・くだらなさ、自分のこだわり、執着の我執。ああしたい、こうなりたいの目先の損得勘定、自身の欲望充足に奔走して振り回される自我の小ささ・滑稽さ」が痛感させられる。☆絶対的な美しさで、圧倒的な時間軸の中に静かにある鍾乳洞の超越的自然に対峙していると、現存在の自己が相対化されて、今までの小さな自分が全て洗い流されるような、そんな心持ちになる。☆これ、すなわち「自己超越の発想」である。

岩波新書の赤、「生命と地球の歴史」を読んだ際にも、長い時間を経て生成された「生命40億年と地球46億年の歴史」の解説記述に圧倒されて、何だか自己超越の感触が沸き上がる、毎回そんな読後感に私は襲われる。

岩波新書の世界(34)小熊英二「生きて帰ってきた男」

72e875bd.jpgフランクル「夜と霧」やソルジェニーツィン「収容所群島」など、「収容所文学」ともいうべき二0世紀の過酷体験を素材にした文学を私達は・すでに相当知っており、そのジャンルの作品は今では量質ともに、なかなかの蓄積に上る。

特に近代日本文学における収容所文学、例えば石原吉郎「望郷と海」など私は即座に思い浮かぶのだが、特集「岩波新書の世界」にて今回・取り上げる小熊英二「生きて帰ってきた男」も、その石原吉郎「望郷と海」と同じくシベリア抑留帰還者による収容所体験記に当たるものである。☆ただし当人の執筆ではなく、抑留帰還者からの第三者による聞き取りを素材に、「ある日本兵の戦争と戦後」という一人物の生涯を通しての戦前・戦中・戦後日本の生活史・社会史・民衆史を描き出す聞き書き、いわゆるオーラルヒストリー(口述歴史)となっている。☆しかも、「第三者による当事者からの聞き書き」というのが赤の他人ではなくて、血縁の父子関係を介してであり、子の小熊英二氏が、父・謙二氏の話を聞いて著作にまとめた体裁である。☆岩波新書の赤、小熊英二「生きて帰ってきた男・ある日本兵の戦争と戦後」の概要は以下である。

「とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活模様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五年生まれ)の人生を通して、『生きられた二0世紀の歴史』を描き出す」

また「あとがき」にて、著者の小熊英二氏は述べている。

「本書は、一九二五年生まれのシベリア抑留体験者のインタビューをもとに構成されている。この本は二つの点で、これまでの『戦争体験記』とは一線を画している。その一つは、戦争体験だけでなく、戦前および戦後の生活史を描いたことである。多くの『戦争体験記』は、戦前および戦後の記述を欠いている。そのため、『どんな境遇から戦争に行ったか』『帰ってからどう生きていったのか』がわからない。…二つめは、社会科学的な視点の導入である。同時代の経済、政策、法制などに留意しながら、当時の階層移動・学歴取得・職業選択・産業構造などの状況を、一人の人物を通して描いている。本編は一人の人物の軌跡であると同時に、法制史や経済史などを織り込んだ、いわば『生きられた二0世紀の歴史』である」(379ページ)

なるほど、小熊氏が父・謙二氏の経験を記録するにあたり、過酷なシベリア抑留体験以外にも生誕から学校進学、入隊、大陸戦地へ従軍、抑留解放後の帰国、そして戦後の生活まで聞き書きにて全て書い抜いており、この本は、著者の父のシベリア抑留の過酷生活のみを記したものではない。☆父の生家の間取や近所の地図、就職・転職の職歴や給与の仔細、年金の加入と給付状況、転居や新築の履歴、会社の公用車や自家用車、購入履歴の具体的車種(「サンバー」とか「スカイライン」とか)など正直、どうでもよいとも思える枝葉末節な生活の隅々に至るまで、非常に事細かに詳述している。☆この辺り、一般庶民の生活の正確な記録に努める民衆史の社会科学的視点、歴史社会学を標榜する小熊英二氏の矜持によるものか。

やはりオーラルヒストリーにおける口述の語り手たる著者の父・小熊謙二氏が、良い意味での理念的な「名もなき民衆」であり、ゆえに氏は自身の戦争体験を通し肌身に染みて、戦中の軍隊や国家や戦後の社会に対し確実に思う所がある。☆だが、その自身の思いを理論的に昇華できない。☆しかし、世間一般に流通している戦争体験記や戦争文学における不自然な物語劇化の虚偽は自身の戦争経験から明確に批判できる。☆でも、その反感の思いを公的発言や文章にして残すことはない。☆本来ならば「名もなき民衆」の一人として言葉の記録を残さず、無言のまま・やがては去っていく存在である。

例えば、自身の兵隊経験に照らし合わせ昭和天皇の戦争責任に関し、「自分は兵隊だったから、開戦の詔勅を書いた大元帥は、戦争に負けたら責任をとるのが当然だという感覚だった。…天皇陛下は、ここで一度退位したほうがいいと思う」(186ページ)と考えていた。☆またアジア諸国への戦争責任、日本軍の一般市民に対する戦時暴力に関し、戦後の日本社会が歴史修正主義に傾き南京虐殺事件の存在が否定される、もしくは市民への戦時暴力の問題が軽く見積もられる風潮に対し、「『南京虐殺はなかった』とかいう論調が出てきたときは、『まだこんなことをいっている人がいるのか』と思った。本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。…シベリアの収容所にいたとき、中国戦線の古参兵である高橋軍曹が、猥談のついでに残虐行為の話をしていた。戦火をさけて中国人の婦女子だけが隠れている場所を発見し、集団暴行をしたというような内容だった。ほかにも古参兵たちの伝聞で、日本軍がどんなことをやっていたのかはだいたいわかった」(312ページ)。☆「政治家が靖国参拝をくりかえすことや、南京事件が虚構だとかいった論調にたいしては、もはやあきらめの心情だ。しかし『静かな怒り』はいつもある」(376・377ページ)と述べて憤る。

だが、その一方で戦後に「不戦兵士の会」に参加して、「例会では、藤田省三さんが講演したりしていた。『アジアへの戦争責任』とか『被害者から加害責任への転換』といった話も聞いた。自分は理論的なことはあまり考えないし、話がむずかしかったから、『なるほどなあ』という感じだった」(335ページ)。☆小熊謙二は「不戦兵士の会」と距離を置き、やがては疎遠になる。☆また帰国後に戦争文学を読んで、軍隊小説の野間宏「真空地帯」に関しては、「レベルが高すぎてよくわからなかった。斜め読みするには適さない作品だった。自分は忙しかったから精読できなかった」(310ページ)。☆収容所文学のソルジェニーツィン「収容所群島」については、「独特の文体で、ラーゲリ(収容所)という特殊状況が書かれていた。細かい文字がびっしりの本で、読みにくいのを耐えて全部読んだ」(314ページ)と答えて、理論的な話は苦手で「よくわからない」旨を正直に明かす。☆自身の直接の戦争体験を理論に昇華させることは、不得意である。

しかしながら他方で、五味川純平「人間の条件」の軍隊小説に対し、「あまり感動はできなかった。実際に軍にあれだけ反抗したら半殺しになるし、耐えることはむずかしいから、スーパーマンの話だと思った」(309ページ)と一刀両断、世間一般に流通している戦争体験記や戦争文学における不自然な物語劇化の虚偽は自身の戦争体験から明確に批判する鋭さも持つ。

著者の父である小熊謙二氏のように、自身の戦争体験を通し肌身に染みて、戦中の軍隊や国家や戦後の社会に対して確実に思う所がある、だが、その自身の思いを書き言葉にして理論的に昇華できず、自身の思いを公的な発言や文章にして残すことなく無言のまま、そのまま去っていく名もなき民衆は多い。☆実は私も・あなたも含めて、ほとんどの人が・そうである。☆だからこそ、「記憶とは、聞き手と語り手の相互作用によって作られるものだ。歴史というものも、そうした相互作用の一形態である。声を聞き、それに意味を与えようとする努力そのものを『歴史』とよぶのだ」(388ページ)とする小熊氏の「歴史」観に裏打ちされたオーラルヒストリーは記述され後々まで残されなければならない。☆そして、その口述歴史の営みは、沈黙して無言のまま・やがては去っていく名もなき民衆個々に対し、その人の生の意味を汲み取り掘り下げて、結果「歴史」として後世に永らえさせることを可能にするのだと思う。☆すなわち、「父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし父の経験を聞き、意味を与え、永らえさせることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである」(389ページ)

ただ小熊英二「生きて帰ってきた男」を読んでいて、氏の父・謙二の戦前・戦中・戦後の人生の軌跡に私自身が、そんなに・のめり込んで時に圧倒されたり、強く共感したりで熱心に読めなかった、比較的フラットな醒めた気持ちで読了したというのも、これまた読後の率直な感想だ。☆例えば以前に石原吉郎「望郷と海」を初めて読んだときのような、生と死の人間実存を考えさせられ心掴(つか)まれて震撼する、そういった衝撃は小熊著「生きて帰ってきた男」には無かった。☆それはなぜなのか。

その一つの要因に聞き書きのオーラルヒストリーにて、最終的に執筆して・まとめるのは、直接体験をした語り手ではなくて第三者の聞き手であり、第三者を介しての間接的な歴史記述になるため、本来は「書かれざる歴史」としてあった語り手自身の体験歴史の内実が薄められ、語り手その人の歴史の生き方内容にオーラルヒストリーの読み手は直にたどり着けない。☆さらには、その手前のオーラルヒストリーの聞き手たる歴史の書き手の記述の手際が時に気になって結果、オーラルヒストリーの内容記述に対し、そこまで深く・のめり込んで時に圧倒されたり、強く共感したりで熱心に読めないといったことも、オーラルヒストリーという間接的な聞き書き形式そのものの原理的問題としてある。

本書に即していえば、父・謙二の人生軌跡の内容よりも息子・英二の聞き書き形式の・あり様の方が場合によっては気になってしまう。☆そうした著者の聞き書きにて・まとめる際の気になる失策記述が本書にはいくつかあって、例えば117ページの「大日本帝国の朝鮮統治は赤字だったともいわれるが…」の一連記述などが、失策に当たる。☆これは父・謙二の直接の発言ではないし、彼の発言から推し量れるような心的本意でもない。☆オーラルヒストリーの聞き書きの中で、聞き手であり書き手である著者の小熊英二が自身の考えを牽強付会に書き入れ添えており、違和が浮き出てて見える。☆あの箇所を含む、いくつかの失策記述が小熊英二「生きて帰ってきた男・ある日本兵の戦争と戦後」にはあり、本書を読んでいて正直、私は気になった。

岩波新書の世界(33)御子柴善之「自分で考える勇気 カント哲学入門」

72e875bd.jpg岩波ジュニア新書、御子柴善之「自分で考える勇気・カント哲学入門」は、全体として親切丁寧な分かりやすいカント哲学の解説書であり、その副題通り「カント哲学入門」として、若い読者に向けての最適な良著であると思う。

「人は誰しも幸福になりたい。では、幸福に値するように『善く生きる』とはどのような生き方だろうか。カントはこうした問題を考え続け、人間社会に『最高善』という理想を掲げる可能性を見出だそうとした。『純粋理性批判』、『永遠平和のために』など、彼の主要著作を一緒に読み、自分で考える勇気をもった大人への一歩を踏み出そう」(裏表紙解説)

本書は、まずカントの生涯を概観し、それから「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の三批判書を順次解説して、さらに「永遠平和のために」を一緒に読むという構成になっている。☆裏表紙解説での「自分で考える勇気」については、認識哲学の「純粋理性批判」に、「幸福に値するように『善く生きる』『最高善』という理想の可能性」に関しては、倫理哲学の「実践理性批判」に・それぞれ対応している。

カントの批判哲学については周知の通り、「批判」とは人間能力の自己吟味であり、人間はどれだけの事が出来るか、問題の立て方をギリギリの所まで煮詰めて、その中から経験の混じり気がない先天的で「純粋」な「理性」という人間能力を抽出し、その理性の機能が及ぶ範囲を確定することである。☆このように先天的理性を有する人間主体に出来ることを見定め、人間理性の所産としての文化の構成原理を明らかにすることを通して、自由な主体を切り開く認識の画期性である。☆ただ漠然と「人間理性は何でも出来る」とする根拠のない全能感の理性への信頼、ないしは逆に「人間理性は万能ではない。結局は何にも出来ない」とする安易な悲観の断念は、人間理性の自己吟味たる「批判」手続き(理性が出来る限界を吟味し、人間主体が出来る事の本領を見極めて、それに着手すること)の欠如であり、何ら自由な近代的主体の成立には、つながらない。

行為を伴う「実践理性」は、可想界の物自体を認識できず限界を持ち、人間は現象界での個別・仮言的な欲望充足の因果律に抗いながら、彼方にある普遍・定言的な物自体の格率「汝の意志の格率が同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行え」を志向し遂行に努めるしかない。☆ここにあるのは「純粋理性批判」と同様な、倫理遂行における「実践理性」の限界を「批判」を通し見極めた上での「人間理性は万能ならず、往々にして人間は誤る可能性があるからこそ、そこに自らを律する主体の契機が生じ結果、人間の自由がある」とする、己を律してその理性の機能が及ぶ範囲を確定し実践する人間主体の自由である。☆このように経験の混じり気のない先天的で「純粋」な「実践理性」の普遍的格率の遂行を、限界がある人間理性の所産たる実践倫理として明らかにすることを通して、理性を有する人間主体に出来ることを見定め、自律の主体を切り開く倫理実践の画期性が生まれる。

カントにおける、人間理性への「批判」吟味を介しての自律的で自由な主体の切り開きである。☆それは、まさにカント自身が呼んだにふさわしく「コペルニクス的転回」であり、「認識が対象に従う」対象世界の素朴実在論から「対象を認識が構成する」人間主体による構成的認識への転回に他ならない。☆カント哲学における認識の能動的主体の確立を、岩波ジュニアを読む若い読者へ向けて、著者の御子柴氏風に表現するならば、「先入観や常識を排し自身の悟性を使用する自分自身で考える勇気を持て!それが大人になるということ」、つまりは、それこそが「自分で考える勇気」である。

また、実践理性への「批判」吟味は、理性の限界ゆえに可想界における普遍的・定言的な格率と、現象界における個別的・仮言語的な自然の因果律との分裂をもたらし、そこに後者の個別的・仮言な欲望充足の自然の因果律を退け、前者の普遍的・定言的格率の「最高善」という理想の遂行を自らに課すことで、現象界たる人間社会の中で自らを律する人間主体の自由の可能性が生まれる。☆そして、自律の人間主体たる人格を互いに目的それ自体とする倫理的共同体、すなわち「目的の王国」が成立する。☆そのことを著者の御子柴氏の言葉を借りるならば、「幸福に値するように『善く生きる』とはどのような生き方だろうか。カントはこうした問題を考え続け、人間社会に『最高善』という理想を掲げる可能性を見出だそうとした」ということになる。☆岩波ジュニアを読む若い読者へ向けて、「幸福とは何か」を主体的に吟味した上で自律的に互いに「善く生きる」ことの勧めとなる。

さて、このようなカントの批判哲学が大変に優れていることに相違なく、彼の批判哲学は、理性の万能を独断する形而上学に対し、被造物としての人間理性の限界を知らしめ、かつヨーロッパ哲学の大陸合理論の普遍性の伝統を保つことができた。☆他方、人間理性の無力を説く経験主義に対しては主体の構成能力を指摘して理性の棄権を戒め、かつイギリス経験論の個別具体的なリアリティを取り入れることもできた。☆このように伝統的ヨーロッパの大陸合理論と新興のイギリス経験論の双方の難点を封じ利点を止揚する「第三の道」たる独自の批判哲学をカントが展開できたのは、フランスでもなくイギリスでもない、両国の哲学を相対化できる、カントが紛れもないドイツの哲学者だからである。

しかし、これまた周知の通り、ドイツ観念哲学の立場にあったがゆえにフランスの大陸合理論とイギリスの経験論を鮮やかに統合できたカントは、三批判書の中途にて早くも失速してしまい、今まさにフランス革命を迎えつつあるフランスでもなく、すでに名誉革命を終えたイギリスでもない、いまだ中央集権化がならず領邦絶対主義国家の分裂状況たる後進国・ドイツの哲学者であったがゆえに、彼の実践哲学は現実行動の場を持たず、実践理性の世界は・ひたすら個人の内面に収斂する。☆カントの「実践理性批判」は、非常に厳格な各個人の内面にのみ課せられた格率遂行の道徳的要請に終始した。☆カントの実践理性の哲学は、個人に対し現実世界にて何ら政治的・社会的な行動の義務を課さなかったのである。

カントは齢(よわい)60近くにして、やっと主著を公刊しはじめた誠に遅咲きな人であり、大学での講義と思索と散歩の規則的で静かな生活を生涯に渡り送った。☆そうした内省的で厳格な彼の生活態度に見合うかのように、カントの実践哲学は敬虔主義の厳格主義のリゴリズム、俗な言い方をすれば「カントの実践哲学は現実との接点を持たず、だから厳格な道徳主義で説教くさい」。

加えてカントが71歳の時、1795年に発表した「永遠平和のために」も、あの著述だけを近視に無心に読めば「共和的な市民的体制の構築」や「常備軍の全廃」など、世界大戦勃発の封じ込めを意図した、後の国連を彷彿とさせる平和的世界組織構想の先駆けで一読、素晴らしいように思えるが、カントが「永遠平和のために」を執筆時のドイツの政治状況を・よくよく考えてみると、当時のドイツは領邦絶対主義国家の分立にて中央集権的な絶対主義体制たるドイツ帝国は未だなっていない。☆ドイツ帝国が成立するのはカントが亡くなった1804年から、さらに約70年後の1871年である。☆また共和制の国民国家たるドイツ共和国の成立は、まだまだ先で1918年である。☆カントからヘーゲルに至るまでドイツ観念哲学の彼らは、後進国・ドイツの領邦絶対主義体制の遅れた国内状況は放置したまま、常に隣国の先進国たるフランスのフランス革命を注視していた。

そんなカントの最晩年の著作「永遠平和のために」も彼の実践哲学同様、観念論で現実との接点を何ら持たないカント哲学の弱点が見事に集約されていた。☆母国・ドイツにてプロイセンを始めとする家産的官僚による領邦国家分立のなか中央集権の絶対主義体制すら成立していないのに、普遍的立法の「目的の王国」を志向し「共和的な市民的体制の構築」や「常備軍の全廃」を自在に構想するカントに(少なくとも私は)噴飯の爆笑である。

以上のような、本書には書かれざる点まで含めたカント哲学の、西洋哲学全般や同時代思潮における画期性と難点の両方を踏まえると、御子柴善之「自分で考える勇気・カント哲学入門」は、カント哲学を初学の若い読者に向けての「入門書」として分かりやすく解説するという点以外に、「若い読者が読む岩波ジュニア新書であること」を著者の御子柴氏が余りに強く勘案しすぎて、「若い人達が・これからどう生きるべきか。大人になるとはどういうことなのか」、カント哲学を通しての著者の書きぶりが、岩波ジュニアの哲学思想分野の他著、例えば岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」などと比較しても、非常にクドくて説教くさい。☆しかも、それが「後進国・ドイツの政治的社会的状況ゆえに現実との引っ掛かりを持たず、彼の『実践理性批判』は非常に厳格な各個人の内面にのみ課せられた格率遂行の道徳的要請に終始した」弱点を持つカントその人の「カント哲学入門」においてである。

やはり、この辺りの著者の説教じみた語り記述の・あり様が本家のカント同様、本書の難点であると、あえて言えば言えなくもないというのが率直な読後の感想である。☆少なくとも私が若い人を前にしてカントを語るなら、カント自身のカント哲学における厳格なリゴリズム、道徳主義一辺倒な難点を・あらかじめ見越し、カントを介して説教くさく「自分で考える勇気をもった大人への一歩を踏み出そう」など殊更に語りはしない。☆しかしながら、岩波ジュニア新書の御子柴善之「自分で考える勇気・カント哲学入門」は、全体として親切丁寧な分かりやすいカント哲学の解説書であり、タイトル通り「カント哲学入門」として最適な良著だと思う。

岩波新書の世界(32)三木清「哲学入門」

72e875bd.jpg岩波新書の赤、三木清「哲学入門」は戦時中の1940年初版で「入門」のタイトルがついてはいるが、題名をそのまま信じて初学の方が「哲学入門」として読むと確実に大怪我をする新書本である。☆初学者向けの「哲学入門」とするには、余りにも内容にクセがあり過ぎる。

著者の三木清も「序」にて、「本書は、哲学概論ではない。従って、それは世に行われる概論書の如く哲学史上に現れた種々の説を分類し系統立てることを目的とするものではなく、或いはまた自己の哲学体系を要約して叙述することを目的とするものでもない」旨を述べている。☆哲学史や哲学概論のように時系列や分野別に系統立て整理して哲学を詳説するのではなく、大まかな議論の流れは、あらかじめ想定してあるのだろうが、その都度、哲学概念などに関し三木が考えていることをブレインストーミング的に連発し比較的、自由奔放に述べる。☆そして、三木が挙げた哲学概念と類似な概念を・またまた挙げて、それとの異同を論じたりで先が読めない哲学談義が続く。

だから、三木の「哲学入門」を読んでいると、時系列の歴史展開で構成が・しっかりしている哲学史などとは異なり、論旨を追って読んではいるが内容を明確に把握できないような、何だか漠然としたフワリとした捉え所のない読後感に包まれる。☆同様に三木の「人生論ノート」においても、そう。☆しかし、そういった哲学史や哲学概論の定番な論じ方に終始しない奔放自由な議論の運びが、三木清「哲学入門」の読み所の魅力であるともいえる。

三木の「哲学入門」は、冒頭に「序論」を置き全二章からなる。☆なかでも特に最初の「序論」は「哲学とは何か」についての三木の論じ方が秀逸であり、読んでいてその論述運びの巧みさに思わず舌を巻く。☆三木清は、相当に・こなれた哲学者の書き手である。☆冒頭の「序論」での議論の流れを半ば強引に、あえて公式的に・まとめれば以下のようになる。

「出発点(哲学とは何か)ー人間と環境(主観と客観の成立)ー本能と知性(人間と動物の相違)ー経験(行為)ー常識(社会性)≠科学(科学と常識の相違)≠哲学(哲学と科学の相違。哲学とは何か)」

まず最初に「出発点」たる「哲学とは何か」の問いから始めて、「哲学には考察の対象はない…哲学は無前提の学」と言っておいて、次に「人間と環境」で「人間は環境と共にある現実的存在で、主観と客観の成立」を述べ、続けて「本能と知性」で「人間と動物の相違」を自律的な知性の有無に求める。☆そして「経験」にて、人間の自律的な知性は「経験」によって知る「経験」の行為に関するもので「経験」行為は習慣形成となる。☆それから「経験」と類似概念の「常識」を持ってきて、個人の個別的な「経験」に集団文化の社会性が加味されると社会にて法的強制力を持つ「常識」となる。☆さらには「常識」と類似概念の「科学」を新たに持ってきて、「常識」は技術的・日常的・実定的であるが、「科学」は理論的・観想的・批判的であるとする。☆そして最後に冒頭で示した「出発点」たる「哲学」を再度持ってきて、今度は「科学」と「哲学」の相違を述べる。☆「科学」は分化的・専門的で価値中立的で非感情的な客観的・対象的なものの見方であるが、「哲学」は全体の学であり、前提の学である。☆「科学」が客観的な見方に立つのに対し、「哲学」は人間の主体的立場に立つ学で価値の問題を含む。☆「哲学」は、どこまでも主体的な見方に立つもので、科学の前提となるものを求める学が「哲学」であるとする。☆そうして「科学」とは異なる「哲学」について、「主体」や「自覚」などの各項目概念に関し、ニーチェやヘーゲルを引用して詳述し「哲学とは何か」の規定内容を詰める。

「序論」の「出発点」にて、三木清は「哲学には考察の対象はない…哲学は無前提の学」などと無愛想に語っていたのに後に続く奔放議論な過程にて、「人間と動物」や「経験と常識」や「科学と哲学」など類似概念をその都度ブレインストーミング的に三木が連発し重ね、両者の異同を論じることを通して、結果「序論」の最後には「哲学とは何か」の輪郭が、いつの間にか不思議と浮き出し明確になってくる。☆哲学史や哲学概論の定番な論じ方に終始しない、こうした奔放自由な、しかし実は事前に練って十分に考えられているであろう実に巧みで見事な議論の運びが、三木清「哲学入門」の・まずは最初の読み所であるといえる。

それから第一章「知識の問題」にて認識論を扱い、続く第二章「行為の問題」にて実践倫理を論じる。☆三木清「哲学入門」は全体にヘーゲル哲学の影響が強く、よって日本近代哲学史の中ではヘーゲルの主客統一問題と終始、共に格闘した西田哲学の京都学派に類する哲学で(例えば本書でも「哲学は学として、特に究極の原理に関する学として統一のあるものでなければならぬ…かようなものとしてここで予想されているのは、私の理解する限りの西田哲学である」とする西田哲学支持の三木の記述あり)、やはり三木清を始めとして西田哲学の京都学派の面々、近代日本の戦前昭和の主な哲学者たちが、「なぜに、あそこまでヘーゲルに傾倒し惑溺するヘーゲリアンのヘーゲルイカれ派になってしまうのか」の問題は、三木の「哲学入門」を読む際にも一貫して考えられなければならないと思う。☆戦前昭和の哲学者たちが、ヨーロッパ留学して主にドイツ観念論の哲学者に師事したという外的な事情だけでなく、ドイツ観念論哲学と京都学派など戦前の日本哲学との内的連関まで押さえた内在的理解が必要か、と。

三木清の「哲学入門」は1940年初版の岩波新書で戦時中の発刊で、それにしても第二章「行為の問題」での三木の実践哲学の書き方がヒドい。☆第二章「行為の問題」は「道徳的行為」、「徳」、「行為の目的」の三つの節からなり、カントやヘーゲルを援用した「超越的なもの…真に自己自身に内在的なもの…世界の呼び掛けに応えて世界において形成的に働くこと…自己形成的に働くこと…自己を殺すことによって自己を活かすこと…人間は使命的存在である」の一連記述が、戦時日本の近代天皇制国家の総力戦体制下での国家総動員の主旨に合致する、高度の自発的服従性を国民から遺憾なく引き出す見事なまでの「主体性」理論の哲学で、ここまで「自己を殺すことによって自己を活かすこと…人間は使命的存在である」の暗に国家への献身を一心に説く三木清の文章に、当時の戦争遂行の挙国一致内閣や軍部の指導者は、必ずや小躍りして喜んだに違いない。☆それほどまでの時局に迎合した三木清の哲学文章である。☆冷静に普通に読んで「カント哲学やヘーゲル哲学への冒涜」にも思え、とりあえず私は苦笑いするしかない。☆結局のところ、この事態は本家ドイツ観念論におけるカントやヘーゲルの志向する絶対や普遍と、戦前昭和の日本哲学の西田幾多郎や三木清らがいう「絶対」や「普遍」のスケール内実が大きく食い違うから、ということになりそうだ。

最後に三木清その人については、三木の生涯そして三木の最期、48歳での若すぎる死、特に彼の死に関し、あまりにも悲痛で残念で、ここに彼の死の詳細を具体的に記述する気持ちに・なかなかなれない。☆三木の家族や親族、友人や同僚たちは非常に残念で悔しかったと思う。☆哲学を学んで留学もし学問を立派に修めて、あれほどの著述を世に出すことができた人物が最期に、ああいう亡くなり方をするというのは、誰よりも三木清本人が一番に残念で悔しかったはずだ。

三木清の生涯を振り返って見ると、大学卒業なりヨーロッパ留学から帰国のタイミングで彼が母校の京都大学文学部哲学科に奉職できなかったことが三木の人生において相当な痛手で、三木が京都大学で教師の職を得て哲学研究に邁進していたら、ジャーナリズム畑に足を突っ込んで日本共産党と接触を持ったり、近衛文麿の昭和研究会に出入りしたりでフラフラすることもなかった。☆三木清の悲劇は、彼が希望していた京大での教師の職を得ようとしたけれど遂には得られなかった、そのことに尽きるような気がする。

私自身の人生を振り返ってみても、また身近な家族や親族や友人、著名な同時代人や歴史上の人物に関しても、人には生涯に一度か二度、「どうしても自分の思いを遂げなければならない、絶対に譲れないし落としていけない人生の勝負の岐路」があって、そこで自分の思い通りに出来た人は、その後の人生も比較的スムーズに運よく上手く行く。☆しかし、その肝心な人生の岐路で自身の思いを遂げられず失策して運を落としてしまった人は、後々もその不運を長く引きずる。☆そうして後に振り返ってみると、「あのとき失策して上手く行かなかったことに自分の人生の全ての不幸が遠回しに由来している」、そういった人生の真理が、人間にはあるように思う。

岩波新書の世界(31)渡辺照宏「日本の仏教」

72e875bd.jpg仏教概説の古典、ベック「仏教」の日本語訳などをしている、インド哲学、仏教研究の渡辺照宏(わたなべ・しょうこう)には、岩波新書「仏教三部作」ともいうべき一連の仕事がある。☆すなわち、「仏教」(1956年)、「日本の仏教」(1958年)、「お経の話」(1967年)。

氏の三部作が優れているのは、仏教テーマを論じる過程で前著の後半にて新たに出てきた問題を次著にて、さらに詳しく論じ上手い具合に話を接木させ、三部作を大きく展開させるところである。☆例えば「仏教」においてインド原始仏教を論じる際、どうしても北伝の中国・日本仏教が、本来的なインド仏教からの逸脱・変容の問題が出てきて、それでを次著「日本の仏教」にて日本仏教の非仏教性をより詳細に厳しく糾弾・批判する。☆そして日本仏教批判と共に「日本の仏教」の宗派の分立や系譜に言及していたら、その過程で仏典への概要知識が必要となり、今度は次著「お経の話」にて仏典に関し詳しく解説する、というように。

渡辺氏の仏教三部作は、各著作の展開接木が厳密で、読み手に与える著述内容の連続性からくる読後感が非常に良い。☆だから岩波新書の青、渡辺「仏教三部作」を読む場合には、やはり「仏教」から「日本の仏教」、その後「お経の話」と執筆刊行順に続けて読むのがよいと思われる。

なかでも仏教三部作の二冊目にあたる、渡辺照宏「日本の仏教」は、「外来思想である仏教を日本人はどのように受け入れ、継承してきたか。仏教は国家主義や呪術や死者儀礼と・どうして結びついたのか」という問題意識から、「日本独自の仏教形態」を見つめる内容となっている。☆つまりは、インドにて発祥した仏教が中国で変化し、それが日本に伝えられたという歴史的立場を踏まえ、外来思想たる古代インド 仏教の本来性・正統性よりする、日本仏教の変容(質的変化)の見極め、総じて日本独自の仏教形態を否定的に捉えようとする。☆その「日本独自の仏教形態」とは、本書「日本仏教の実態」章にて、五つの項目からなり、それら観点から「日本の仏教」批判を渡辺氏は展開している。☆もちろん、その五項目は仏陀が開いた古代インド仏教にはない要素(せいぜいあっても仏教の本質にはなりえない枝葉な属性)であり、インドにて発祥も中国仏教を経ての日本の仏教受容の際に変容したものである。☆「日本の仏教」における、「日本仏教独自の形態」たる非仏教性の五つの要素とは、

国家主義(政治権力との結びつき)、呪術祈祷(欲望充足)、死者儀礼(葬式仏教、祖先崇拝)、対立と妥協(神仏習合)、形式主義(宗教儀礼の形式化・娯楽化)

これら五つの指標をもとに著者による非仏教性の指摘、「日本の仏教」に対する糾弾・批判は痛烈を極め、「(日本における仏教の)皮相的な受けいれ方」(21ページ)、「(多くの日本人が)仏教の純粋性を汚す」(49ページ)、「(中国・日本の東アジアにて)仏教の代用品が発生」(50ページ)など氏の言葉遣いは実に、えげつない。☆そして、本書の最大の読み所は「日本の仏教」、特に鎌倉仏教に対する渡辺氏の容赦ない徹底批判にある。☆氏は法然、日蓮、親鸞を斬って斬って斬りまくる、例えば以下のように。

「(法然の撰択専修を伝道の実利に基づく恣意的把握であり、仏教理念の放棄と見なして)法然の仏教を受け入れた態度は、仏教の本格的な、真正な形態を把握しようという動機から出発したものではない。…その選択の標準は真実性よりも、むしろ実利性にあったと言わなければならない。言いかえれば、絶対的真理の追究を抛棄して、時機相応の救済を求めたことになる。…仏教における本質的なもの、すなわち菩提心の理念はまったく抛棄されたわけである」(60ページ)

「(日蓮の法華経唯一信仰、神祇との妥協を他宗派攻撃の非寛容であり、国家政治主義と見なして)彼における主要な関心は…個々の人間の救済ではなく、国家的政治的危機に向けられていた。…日蓮のこの主張は『法華経』の信仰と民族固有のシャーマニズムの神祇と結びつけ、国家主義的な政治活動を目ざすものであるから、およそ仏教の本流とは縁遠いものであるけれども、日蓮自身としては、これが正しい仏教の行き方であると確信していたのである」(62ページ)

「(親鸞の他力易行、非僧非俗を社会事業への実践なき現実逃避の観念論であり、独善的な閉ざされた教団形成と見なして)法然、親鸞、日蓮たちのような新興宗派の僧侶たちはだいたい主観的観念的遊戯にふけっていただけで、実質的には何ら民衆の生活を助けることなく、むしろ信者の仕送りによって生活を支えられていた場合が多い」(64ページ)、「浄土教の流行がわが国におよぼした影響は大きい。中でも浄土真宗は、親鸞自身の意図とは別に、思いがけない方面に影響した。自力の拒否、戒律の放棄は独善的な、閉ざされた教団を成長させた。…いわゆる自力の立場に立つ聖道門の人たちが社会事業に貢献しているのに、真宗の人々は最近までその方面に無関心であった。親鸞の非僧非俗の立場は出家教団の秩序を破壊したのみでなくて、在家信者の基本的義務さえもふみにじってしまった。…また一般に浄土教は現実逃避の傾向が強い。日本人が正面から現実の問題と取組むことを回避する態度を助長したのも、浄土教であった」(204ページ)

このように氏の「日本の仏教」批判は痛烈を極めるが、もちろん渡辺氏は日本仏教を全面批判の全否定しているわけではなく、「仏教にかぎらず、およそ宗教家としての評価の標準は、その精神的体験の深さとともに、対人間的に実際にどう行動したかという点にあると考えられる」(42ページ)とする宗教全般に関する渡辺氏独自の評価軸から、行基、空海、叡尊、忍性などは社会奉仕に献身した僧侶として、仏教における「慈悲慈愛の実践と結びついている」、「自利利他円満(自己と他人との目的の完成)」遂行の点で非常に高く評価される。☆「平安時代にも、橋をかけ、渡し船を設け、井戸を掘り、樹を植える等の事業に僧侶が努力した例は多く、…空海は讃岐万農地(満濃地)の築造、貧困青年の教育機関(綜芸種智院)の創設経営をはじめ、多くの社会事業にもその才能を示した。…民衆の幸福の増進のために積極的に手をさしのべた」(33ページ)。

他方、親鸞や日蓮に関しては、先の引用同様、社会的実践奉仕が伴わない「口先だけ」の遊戯的観念論として渡辺氏により大変に厳しく、親鸞や日蓮ならびにその宗派の方々には実に気の毒なほどに、さんざんな酷評となってしまう。☆「修行の真偽は対人関係においてはじめて識別されると言ってよかろう。わずかに信者の仕送りによって余命をささえながら、口先だけの指導をしていた親鸞や日蓮が仏教者の典型であるとは少なくとも私には納得できない」(42ページ)

渡辺氏による岩波新書の、いわゆる「仏教三部作」、なかでも「日本の仏教」は前著「仏教」から引き継いだインド仏教の本来性への考察からする日本仏教批判で、概ねその内容に私は同意できる。☆例えば、氏による「日本の仏教」批判、五つの非仏教性の指標のうちの「死者儀礼」の指摘など、日本仏教の今日的問題としても誠に納得共感でき、私などは親族葬儀やら月命日やらで我が家に出入りする本来は神祇不拝の真宗僧侶に対し、「お前ら葬式とか追善供養など熱心にやってるけど、それって仏教じゃないだろ。『無常・苦・非我』の宗教哲学、仏陀(覚者)の仏教というよりは、むしろ呪術や祖先崇拝の日本的神道なのでは!?」と非常に失礼ながら毎回、率直に思ってしまう。☆もちろん、絶対に口外しないけれど(笑)。

渡辺照宏「日本の仏教」での、氏による日本仏教批判の概要=「国家主義、呪術祈祷、死者儀礼、対立と妥協、形式主義」の非仏教性の五つの指標を、よくよく考えてみると、それらは・いずれも日本の神道の信仰内容である。☆ここにおいて、輪廻や宇宙など世俗を超える普遍真理を持ち、かつ信仰が個人の内面哲学の問題になりうる世界宗教たる仏陀の仏教が、信仰が内面哲学の世界を措定せず祖先崇拝や外的儀礼、欲望充足の呪術に吸収され、ゆえに政治権力と権威を一体のものとする祭政一致な共同体への統合原理になる、民族宗教たる土着の神道への変容、つまりは「日本の仏教」を「日本における仏教の神道化」現象として理解することが必要となるはずである。

岩波新書の世界(30)渡辺照宏「仏教」

72e875bd.jpg日本仏教史にて各宗派の仏教関連本を読んでいると、日本仏教史成立以前に中国・朝鮮経由で日本に伝来し根付いたインドからの外来思想たる仏教、そのインド仏教の原型は・どのようなものであったか、ふと知りたくなる。☆すなわち、紀元前にガウタマ=シッダールタが開祖の仏教とは、どういったものであったのか。

岩波新書の青、渡辺照宏(わたなべ・しょうこう)「仏教」は、そうした初学な人に向けて書かれたインド仏教の概説本である。☆本書は、版を重ね後に改訂増補あり、最新は第二版のようだが、私が所有しているのは1956年発行の初版なので、その初版をもとに以下、読後の感想など書いてみると。

本書は、インドの仏教について、まだ本格的に学んだことない初学の方にも分かりやすい解説記述となっており、例えば「まえがき」にて、著者による次のような文章がある。☆「私は執筆にあたって『わかりやすく』という点に重きをおいた。そのため、複雑な問題をあつかった個所は高校二年在学中の長男に読ませ、だめを押しながら筆を進めた。だからその程度の学力ある人ならば、楽に読みとおすことができるはずである」。☆なるほど、高校二年程度の学力ある人ならば、本書は大丈夫らしい(笑)。

本書では「仏教とはなにか」、すなわち「仏教の本質をほんとうに理解するためには」の本論を展開するにあたり、冒頭にて「仏教のみかた」について著者は、まず直截に述べる。

「仏教の本質ををほんとうに理解するためには、何が仏教の根幹であり、何が附加的、第二義的な要素であるかということを一応識別してかからなければならない。そうすれば、常識的な意味でわれわれが仏教と信じていたことが実は非仏教的であり、またはその反対であることも発見されるであろう。こうすることによってはじめて仏教の正しい評価が可能となり、したがってわれわれの現代生活における仏教の地位を決定することもできるであろう。そのためにはまず『われわれはすでに仏教を知っている』という常識的な理解そのものを批判してかからなければならないであろう」(「仏教のみかた」5ページ)

仏教思想において、複数の具体的要素な教説内容を一語にまとめる、またその一語から複数の具体的要素を分解羅列して挙げる、の操作が顕著であり、例えば「五蘊」や「四法印」や「八正道」などに関し、「世界の存在要素たる『五蘊』の5つの内容は何ですか?」、「仏陀が悟った普遍的真理の『四法印』の4つの命題は何ですか?」、「正しい修行方法たる『八正道』の8つの普遍的な規範は何ですか?」など、一語凝縮から各教説要素を抽出して即座にスラスラ答えられることが、あたかも「仏教を知っていること」のように時に誤解され、実際に私は・お寺に説法を聞きに行き「八正道の8つとは」の用語解説を長々と聞かされ、実に辟易した経験がある。☆先の著者の指摘に従うなら、「四法印の4つの真理や八正道の8つの方法を何も参照せずにスラスラと淀みなく言える」などではなくて、やはり「何が仏教の根幹であり、何が附加的、第二義的な要素であるか」を自分なりに精査し吟味し「仏教の本質」に標準を定めて、仏教の本筋を学ばなければならない。

岩波新書「仏教」は、インドの風土や古代インドの宗教事情、仏陀の生涯(出家から成道を経て入滅まで)、教団形成史、仏教の思想、仏教信仰の実際、将来への展望など、各章に分けて丁寧に説明されており、特に「仏教の思想」章にて展開される仏教思想の主要概念を押さえることが、「仏教の本質ををほんとうに理解する」ことに直に繋がると思われる。☆私自身の概観と本書での説明解説の力点も踏まえると、何よりも「仏陀」の意味を、ガウタマ=シッダールタの歴史的個人と、「真理に目覚めた覚者」の普遍的・理念的人格の複数相において先ず理解しておかなければならない。☆さらには「仏陀」との相違において「菩薩」を、一元論的真理が汎神論と神秘主義に分岐する「法(ダルマ)」、仏教と他宗教との方法論の違いにおける「中道」、大乗の理念としての他者との関係性にて仏教倫理における「慈悲」など、その意味を知らなければならない。

本書参照も含め、少なくとも私個人の感慨からして、「八正道の具体的内容を暗誦で8つ連続スラスラ言えて何だか自慢げ・誇らしげ」などというのは実に噴飯で、「何が仏教の根幹であり、何が附加的、第二義的な要素であるかということを一応識別してかからなければならない」立場からして、「附加的、第二義的な」枝葉末節の要素であるように思える。☆「仏教の根幹とは何か」見極め吟味の大切さ、すなわち「仏教の本質ををほんとうに理解するためには…」、そうした具体的な知ることの内実を本書「仏教」は教えてくれる。

また仏教と近代思想の関係について、仏教と近代思想を比べれば、明らかに仏教の方が深遠でスケールが大きいわけで、だが本書でも仏教の今日的意義として、人間の尊厳の自覚、他者への奉仕、暴力否定の平和主義、寛容の徳など仏教思想の諸点を近代思想のヒューマニズムに重ねて、「仏教の倫理はヒューマニズムの一言につきる」と説いている箇所がある(「仏教の思想」182ページ)。☆実際に仏教研究にて、このように大乗の仏性具備「一切衆生悉有仏性」を近代思想の人間の平等の主張、個人主義の人権思想に重ねて読み込む論者は、いまだに多い。☆しかしながら、他方、例えば本書にて「菩薩」について、「現在の生涯だけでなく、修行の結果のみでなくて過去における無数の生涯のあいだに多くの衆生を助け、仏陀となるべき素地をつくっておいたといわれる」とする、前世からの輪廻の生涯の積み重ねに触れたか記述もあり(「仏教の思想」162・163ページ)、そもそも仏教というのは、それ自体で単独異質に成立している宗教思想ではなく、古代インド哲学の「梵我一如」、「輪廻」、「解脱」などの観念を引き継ぐ宗教であるから、その射程は宇宙の真理、前世と来世の輪廻など人間存在を超えた圧倒的な時空の拡がりの彼方まであるはずだ。☆かたや近代思想は、前世や来世、宇宙の生成・真理などの、とりあえず不可知なことは思考せず世俗的で、目に見える現象たる人間社会の合理性や、個人と社会全体の功利や繁栄を第一に考える実は相当に限定された「不自由な」思想であり、仏教と近代思想を比べれば、仏教の方が深遠でスケールが大きい。

加えて「仏陀」の「真理を悟った覚者」についても、その「宗教的叡智」は実は言葉で説明でき理解できるものではない。☆ガウタマ=シッダールタが菩提樹の下の瞑想にて全てを悟って「成道」を遂げた際の宗教的覚醒は、言葉では決して表し得ない、宗教的覚醒の叡智には、言葉では感得できないものがあるはずだ。

大乗の思想において、言葉で知識として知ることは、「忍辱、精進、禅定」など主要実践徳目の内の「智慧(般若)」の中の・さらに本当に狭い、ほんの一部分でしかない。☆ところが私達、近代人は文献を通し「仏教を学問」として、仏教研究をやって言葉で仏陀を理解しようとする。☆言葉や知識のみでは到底、了解し得ないのに、あえて宗教を言葉で論じ学ぶ宗教学、仏教研究の矛盾の限界を個人的には仏教研究の宗教書籍を読む度に常に感じ、迷いながら半ば醒めた気持ちで読み進めたりするわけで、そういった毎度の思いは渡辺著「仏教」を通読時にも正直あった。☆本書が「仏教の本質を・ほんとうに理解するためには」といった仏教の根幹を見定めるように説く、良心的な仏教研究志向の本であるがゆえ、なおさら普段よりも一層その思いは個人的に強かくあった。☆近代の学問による仏教研究だけでは決して掴みきれない仏教の宗教的本質が、どこか別の所に確かにあるような。☆言葉や知識の「智慧」だけではない、前世や来世とか輪廻とか宇宙の一元真理の汎神論など、変な神秘主義に惑溺の嗜好はないが、やはり近代思想の世俗の功利や合理性の追求を超える高次の精神性の体現、叡智の獲得、覚醒した者だけが悟る普遍的真理は確実にある、と私は思う。

さて、冒頭にて述べた「日本仏教史にて各宗派の仏教関連本を読んでいると、日本仏教史成立以前に中国・朝鮮経由で日本に伝来し根付いたインドからの外来思想たる仏教、そのインド仏教の原型は・どのようなものであったか、ふと知りたくなる」。☆これは思想史研究にて案外に定番な昔からある、「外来文化の受容の際の変容(質的変化)問題」である。☆外来のものを受容の際には受容の主体や環境文化の偏向が働き、決して・そのままではなく、必ず変容して摂取される。☆そして、この受容に際しての変節の変化に・ある種の価値判断を乗せると、「外来思想として本来的に正統であったものが、受容に際して変容し本来性の正統的性質を失って全く別のものに矮小化し根付いてしまう問題」となる。

こういった思考は特に日本思想史研究にて、かなりの常套で(なぜなら日本は東アジアの・さらに極東に位置し、常に外来文化の移植を経験してきた地域だから)、例えば中国・朝鮮からの儒教受容でも、西洋からの近代化摂取でも、アジアや西洋の儒教や近代化の本来性の正統的実質が・そもそもあって、しかし日本に伝わり「主体的に」受容される際に必ず変節し矮小化されて本来的なものではなくなる、異質なものになるの指摘・批判となり、半ば「日本思想批判」として展開される。☆日本仏教史においても当然、その受容の際に本来的なインド仏教の変容結果としての日本的仏教にての矮小化、つまりは「日本に伝来し摂取され根付い日本仏教はインド発祥の正統的な仏陀の仏教とは明らかに異なる、似て非なる」とする、日本仏教の非仏教性を指摘し問題にする議論は以前より根強くあった。

実は岩波新書「仏教」の著者、渡辺照宏氏も「中国や日本に伝来し摂取され根付いた仏教はインド発祥の正統な仏陀の仏教ではない」とする相当な中国・日本の仏教に厳しい、北伝仏教批判論者である。☆それは先の引用にて、「常識的な意味でわれわれが仏教と信じていたことが実は非仏教的であり、またはその反対であることも発見されるであろう。…まず『われわれはすでに仏教を知っている』という常識的な理解そのものを批判してかからなければならない」という氏の語り、「常識的な仏教理解を疑え」という・いかにもな物言いに如実に現れており、氏の本意は容易に推察できだろう。

事実、渡辺氏は「仏教」を概説するにあたり、「中国・日本の仏教が、インドで仏陀が開いた本来の正統的な仏教とは異なる」と実は言いたくて仕方がない。☆本書「仏教」にて最初の章から、そういった中国や日本の北伝仏教に対する告発衝動が間歇的(かんけつてき)に吹き出す筆致を何とか抑えに抑えて、「中国・日本に伝来の仏教がインド本来の仏教とは全く異なること」に遠回しに幾度となく触れながら、核心の部分を一気に論じることなく時にあからさまに・はぐらかし、ゆえに読み手には明白に・その事情は伝わり皆が、まる分かりなはずなのに(笑)、しかし渡辺氏は我慢して書き続けていくが、本書の終わり近く最終章の一つ前の「仏教信仰の実際」章にて、いよいよ・その衝動は抑えきれず爆発する。

「中国人の理解した仏教においては、仏教のうちのある一点が集中的に注目され、それ以外の問題はアクセサリーとして・とりあつかわれた」(「仏教信仰の実際」186ページ)、「われわれはシャーマニズムに同化した変態的な密教の儀礼が、多くの亜流によって濫用されてきたという事実をも見おとしてはならない」(191ページ)などと述べ、そして一度火が・ついてしまった氏の「中国・日本の仏教がインドで仏陀が開いた本来の正統的な仏教とは似て非なる」の非仏教性に対する怒りの告発は収まることなく、そのままの高揚で岩波新書「仏教」の続編、同じく岩波新書の青、渡辺照宏「日本の仏教」へと続き、そこで氏の本格的な日本仏教批判が詳細に展開されるのだが、その続きの渡辺著「日本の仏教」については、また次回の特集「岩波新書の世界」にて。



岩波新書の世界(29)島薗進「国家神道と日本人」

c550f4b8.jpg岩波新書の赤、島薗進(しまぞの・すすむ)「国家神道と日本人」(2010年)の概要は以下である。

「戦前、日本人の精神的支柱として機能した『国家神道』。それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。また、敗戦でそれは解体・消滅したのか。本書では、神社だけではなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う。日本の精神史理解のベースを提示する意欲作」(表紙カバー裏解説)

本書は五つの問いかけ表題で、「国家神道」の定義と形成過程、用語法、三区分の時代的変遷の全五章にて構成されている。☆すなわち、「第一章・国家神道はどのような位置にあったか?宗教地形」、「第二章・国家神道はどのように捉えられてきたか?用語法」、「第三章・国家神道はどのように生み出されたか?幕末維新期」、「第四章・国家神道はどのように広められたか?教育勅語以後」、「第五章・国家神道は解体したのか?戦後」の各章よりなる。

まず本作のテーマである「国家神道」の定義について、本書から該当箇所を引用しておくと、

「国家神道の正統的な表現を想定するとすれば、このような信念の体系となる。…国家神道は皇室祭祀と伊勢神宮を頂点とする神社および神祇祭祀に高い価値を置き、神的な系譜を引き継ぐ天皇を神聖な存在として尊び、天皇中心の国体の維持、繁栄を願う思想と信仰実践のシステムである」(59ページ)

全五章のうち、第一章の「宗教地形」は、国家神道形成・定着の基礎的記述で、明治維新から大日本帝国憲法下での「信教の自由」体制確立までの明治国家の宗教政策の試行錯誤、ジグザクな迷走過程を概観する。☆神祇官から神祇省、教部省の設置から内務省への吸収の教化組織の相次ぐ改編。☆神仏分離令、廃仏毀釈、宣教師の設置、大教宣布の詔、信教の自由保障の口達の各種法令。☆仏教、キリスト教ら他宗教との衝突回避とともに、国民教化の柱たる神道の優越性確保のための戦術転換、神道国教化政策から神道非宗教論への転回、すなわち神道習俗論、神道祭祀の強調路線への変更(国家神道と教派神道の分離)など、国家神道研究・基礎的概観の内容で、第一章「宗教地形」は、国家神道を理解し深める基調の議論で必読だと思う。

その他、本書の読み所は、第二章での「用語法」の国家神道定義に絡めた著者による、村上重良を始めとする先行研究批判であると思える。☆すなわち、「村上重良の国家神道論の欠点」は、「国家神道を描き出す際に、戦時中の国家神道の像にひきずられている」こと、「国家神道をまずは神社・神職の組織として捉える」ことにあるとする(71ページ)。☆実は、この二点の先行研究批判を通しての著者の処方箋は、国家神道の考察に際し、先に引用した表紙カバー裏解説での「(戦時下以外の)国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う」と、「(神社・神職組織以外の)皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ」るの部分に、それぞれ対応しており、「国体思想や民間宗教」と「皇室祭祀や天皇崇敬の装置」の各要素に重点を置いて本書では国家神道が論じられている。☆特に、後者の「皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れる」に関しては、(おそらくは)1990年代の国民国家論を著者は相当に意識して、国民創出の各種装置(皇室祭祀、行幸視察、祝日、学校行事などのシステム化とメディア活用)の作用を見極めた国民国家論の成果を国家神道研究に繰り込んでのことだと思われる。

本書は国家神道に対し何かしら、ある程度学んで馴染みある人にとっては、これまでに何度も繰り返し解説されてきた定番内容が多い。☆というのも、すでに私達は、村上重良、大江志乃夫、安丸良夫、阿満利麿らによる国家神道に関する大変に優れた先行研究を知っており、加えて、それら国家神道の問題性を指摘する研究に反論する、葦津珍彦、阪本是丸、新田均など神道学者らの対抗言説のあり様も・およそ分かっているからだ。☆そういった意味で、岩波新書、島薗進「国家神道と日本人」は、国家神道に初学の方には分かりやすい親切記述で入門書として最適ではあるが、ある程度・国家神道を知っている者にとっては、すでに他著にて既読感ある内容なため多少の物足りなさを感じてしまうのも読後の正直な感想で、その辺りが、あえて本書の難点といえば言えなくもない。

そういった多少の不満も抱きつつ、最後に本書も含め村上重良や安丸良夫ら各氏の国家神道研究の書籍を読んだ後に、いつも私が感じる疑問と国家神道研究に対する多少の提言を以下、二つ。

明治期の近代日本において国家神道という復古的な宗教政策が、今さらながら成立するのは、なぜなのか。☆世界史的にみれば、この時代・西洋では政治権力は国民形成やナショナリズム高揚に宗教を使うことなど、もはや・やっていないわけで、国家が政治的な体制信従に宗教を利用すれば、個人の内面の信仰問題に触れざるをえず各人を刺激し、逆に宗教上の信条対立が政治闘争に転化し、体制分裂して収拾がつかなくなるから(絶対主義下の宗教戦争、宗教改革など)。☆結果、西洋近代において国家は、世俗の秩序を優先して権力的な宗派強制を断念し、個人の信仰には踏み込まず宗教上の寛容、事実上の「信仰の自由」が保障される。

ところが、日本の近代では明治国家は・まぎれもない教化国家で、国家神道の宗教政策をとる。☆日本では、明治の時代になっても神道の宗教利用の線が未だ成立する。☆この対照は、世俗権力を超える普遍原理を持ち、かつ信仰が個人の内面の良心問題になりうる世界宗教たるキリスト教と、信仰が内面世界を措定せず外的儀式や呪術に吸収され、ゆえに権力と権威を一体のものとする(祭政一致な)共同体への統合、国家への忠誠や国民的陶酔の引き出しに寄与する民族宗教たる神道との相違に求められ、国家神道研究において、国学、水戸学、尊皇論など国家神道の生成過程の一国史的な掘り下げ考察だけでなく、西洋のキリスト教史との世界史的な比較宗教学的視点から、日本の神道(民族宗教!)そのものが発揮する国民教化の政治性の問題を突き詰めて考えるべきではないか。

また国家神道が、なぜここまで近代日本において長く強力に民衆に浸透し、国民教化の政治性を発揮できたのか。☆国家神道が近代日本に長く深く根付く、民衆における国家神道受容基盤の問題がある。☆本書「国家神道と日本人」でも最終章「国家神道は解体したのか?」にて、戦後に制度上・組織的には国家神道は解体されたが「見えにくい国家神道」として、バルトの「空虚な中心」による統合というポストモダン的言説(?)を用いて、戦後も引き続き「天皇中心の国体の維持、繁栄を願う思想と信仰実践のシステムである国家神道は存続している」旨を述べ、著者は本書を結んでいる(214ー223ページ)。☆従来よりの国家神道論にて、多くの論者が「日本人の精神的支柱として機能し続けた国家神道への考察を通して、近代日本人の精神性の解明を果たす」とか、「国家神道の分析は、日本人の宗教意識を明らかにする鍵になる」などの趣旨は、よく述べられているし、本書でも「(国家神道を通して)日本の精神史理解のベースを提示する意欲作」とする表紙カバー裏解説になっている。☆しかしながら、少なくとも私は、本書も含め今まで国家神道関連書籍を読んで、近代日本人の精神性や宗教意識を明確に解明した本に・いまだ出会ったことがない(笑)。☆日本人の精神性や宗教意識を明らかにし、同時に国家神道の民衆定着への強力さ由来の原理的解明を果たした国家神道研究書籍を、いつか読んでみたい。

現時点での私個人の見立てでは、国家神道の強靭さは、近代日本思想史研究ないしは日本近代文学史にて、しばしば指摘されるところの「近代日本の精神構造」たる「欲望自然主義(欲望ナチュラリズム)」が、民衆側に国家神道の受容基盤として根強くあり、神道信仰に通ずる日本人の精神性=欲望自然主義を媒介としているため、戦前・戦中のみならず戦後も国家神道(的なもの)が、ずっと変わらず存続し強固にあり続けているのではないか。☆すなわち、「近代天皇制国家ー国家神道ー(欲望自然主義)ー民衆」の定式化にて、国家神道を受け入れて体制信従する民衆側の精神性・宗教意識の問題を「欲望自然主義」と明確に規定してはどうか。☆少なくとも本書「国家神道と日本人」での最終章のような、戦後に国家神道は制度上・組織的に解体したが、いまだ国家神道的なものが日本人に根強く残滓の事態について、バルトの「空虚な中心」のような、あやふやなポストモダン言説でいくら説明されても私自身は、はぐらかされ誤魔化されている感じがして全く納得できない。

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